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仏典
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原始仏典
「スッタニパータ」
- セイロン(スリランカ)に伝えられた、いわゆる南伝仏教のパーリ語経典
- 最初期に編纂された最古の仏典のひとつ
- 南方の上座部仏教圏では、この経典のなかに含まれる「慈経」、「宝経」、「勝利の経」などが、日常的に読誦されるお経として、一般にも親しまれている。
『ダンマパダ』『法句経』(ほっくきょう)
- 釈迦の語録の形式を取った仏典
- 『スッタニパータ』と共に原始仏典の、最古層の部類
『テーラガータ』仏弟子の告白
『テーリーガータ』尼僧の告白
『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』 (南伝 『大般涅槃経』)
- 初期仏教中で、釈尊の最後の旅からはじまって、入滅に至る経過、荼毘(だび)と起塔について叙述する経典
- 元来は『律蔵』中の仏伝の一部であったと考えられている。
この中では、釈尊が、自分の死後は「法を依(よ)りどころとし、自らを依りどころとせよ」(自灯明・法灯明)といったこと、また「すべてのものはやがて滅びるものである。汝等は怠らず努めなさい」と諭したことなどが重要である。
『サンユッタ・ニカーヤ』 (『阿含経』相応部)
- 釈迦に対する問いと、釈迦の回答の形式
『阿含経』
- アーガマ経典、またはパーリ五部と呼ばれる経典群
大乗仏典
華厳経(正式には『大方広仏華厳経』)
- 大方広仏、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典
維摩経(別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう))
- 中インド・バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語
- 維摩が病気になったので、釈迦が舎利弗・目連・迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも見舞いを命じた。しかし、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。
維摩経の内容として特徴的なのは、不二法門(ふにほうもん)といわれるものである。不二法門とは互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではない、ということを説いている。例を挙げると、生と滅、垢と浄、善と不善、罪と福、有漏(うろ)と無漏(むろ)、世間と出世間、我と無我、生死(しょうじ)と涅槃、煩悩と菩提などは、みな相反する概念であるが、それらはもともと二つに分かれたものではなく、一つのものであるという。
首楞厳三昧経 (しゅりょうごんざんまいきょう) 鳩摩羅什(くまらじゅう)訳
- 仏が、堅意(けんい)菩薩が菩提をすみやかに得る法を問うたのに対してこの三昧(さんまい)を説き、また舎利弗(しゃりほつ)が魔境を遠離(おんり)する道を問うたのに対して、魔境を現してこれを退治して証明せられたことを説いた経典
勝鬘経 (正しくは『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』)
- 舎衛国波斯匿(はしのく)王の娘で在家の女性信者である勝鬘夫人が説いたものを釈迦が認めたとされ、一乗真実と如来蔵の法身が説かれている。
- 『維摩経』とともに古くから在家のものが仏道を説く経典として用いられ、聖徳太子もこの経典の注釈書『勝鬘経義疏』を著している。
- 十大受
- 三大願
法華経
- 法華経は28品の章節で構成されている
- 智顗(天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科する
- 三分(さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する
十地経
浄土三部経(じょうどさんぶきょう)
日本の浄土教の根本聖典
『仏説無量寿経』2巻 曹魏康僧鎧訳(略称『大経』) 浄土宗
- 極楽浄土に生まれたいと願う者は皆、仏になることが約束され、阿弥陀仏の名号を聞信し喜び、心から念ずれば往生が定まると説かれる
『仏説観無量寿経』1巻 劉宋畺良耶舎訳(略称『観経』) 浄土真宗
- 「いづれの行もおよびがたき」罪悪の凡夫でも、南無阿弥陀仏のお念仏を称えることによって救われ、極楽に往生できることを説く経典です。
- その経典の序分には、「王舎城の悲劇」と称される、親子の間で繰り広げられた悲劇の物語が説かれています。
『仏説阿弥陀経』1巻 姚秦鳩摩羅什訳(略称『小経』) 時宗
- 阿弥陀経は5世紀の初め、鳩摩羅什三蔵によって翻訳されたお経で、比較的短く4枚程の紙に収まるところから『四紙経』とか『小経』とも呼ばれています。
- まず阿弥陀仏の極楽浄土の荘厳を説き、次にその浄土に往生するために阿弥陀仏の名号を執持(しゅうじ)することを勧め、最後に六方世界の諸仏がこの説を讃嘆・証誠して信ずることを勧める。
般若経(はんにゃきょう、サンスクリット:prajñā sutra प्रज्ञासूत्र )
八千頌般若経(紀元前後 - 1世紀)
- 大乗仏教初期に編纂され後の仏教発展の基礎となったと考えられている。
- 現存サンスクリット本に対応する残存する漢訳は、『道行般若経』支婁迦讖(しるかせん)訳(179年)、『(小品)摩訶般若波羅蜜経』鳩摩羅什訳(408年)、のほか計4本である。
二万五千頌般若経(Pañcaviṃśatisāhasrikā-prajñāpāramitā sutra)
- 現存サンスクリット本に対応する残存する漢訳は計3本、『摩訶般若波羅蜜経』鳩摩羅什訳(403年、大品般若経) は中国・日本の仏教形成に大きな影響を与えた。
十万頌般若経
- 現存サンスクリット本に対応する漢訳はないため、鳩摩羅什(344年 - 413年)の時代には編纂されていなかった可能性がある。玄奘訳『大般若波羅蜜多経・第一会』との対応は明確でない。
金剛般若経
- この経は「空」を説く般若教典の中で「空」という用語が使われていないため最古層に編纂されたものと考えられている。
- 空海将来と称するサンスクリット本がある。
- 残存する漢訳は、『金剛般若波羅蜜経』鳩摩羅什訳(402年)、『能断金剛般若波羅蜜多経』玄奘(648年)ほか計5本である。
般若心経
- 最古のサンスクリット本が法隆寺に伝わる。(8世紀後半の写本とされている)
- 残存する漢訳は、『摩訶般若波羅蜜大明咒経』鳩摩羅什訳(402年 - 413年)、『般若波羅蜜多心経』玄奘訳(649年)があり、こののちも4本残存するが、玄奘訳が人口に膾炙している。
善勇猛般若経
大般若波羅蜜多経
- 663年 玄奘訳
- 大乗仏教の基礎的教義が書かれている長短様々な般若教典を集大成したものである。通称は大般若経で、般若経(はんにゃぎょう)と略称することもある。600巻余の膨大な経典である。
- 一般に空を説く経典とされているが、同時に呪術的な面も色濃く持っており、密教経典群への橋渡しとしての役割を無視することはできない。
大蔵経(一切経)
パーリ大蔵経
南方上座部の公式の立場では、パーリ大蔵経の経と律とは、釈尊滅後すぐに開催された第一回結集(けつじゅう)において編集決定されたものと同一であることになっているが、学問上は疑わしい。仏滅後300〜400年後に、現在のテキストの原形が成立したというのが妥当
19世紀末ロンドンにパーリ聖典協会(Pāli Text Society)が設立されて原典の校訂出版等がなされ、日本では若干の蔵外文献も含めて『南伝大蔵経』65巻(1935-41)に完訳されている。
1951年にはビルマのヤンゴンで第六結集(仏典編纂会議)が開かれ、54巻の三蔵と数十巻の注釈書が編集された。現在出版されている、あるいは近年に出版されたパーリ聖典はこれを底本とすることが多く、日本語訳は大蔵出版より順次刊行されている最中である
19世紀末ロンドンにパーリ聖典協会(Pāli Text Society)が設立されて原典の校訂出版等がなされ、日本では若干の蔵外文献も含めて『南伝大蔵経』65巻(1935-41)に完訳されている。
1951年にはビルマのヤンゴンで第六結集(仏典編纂会議)が開かれ、54巻の三蔵と数十巻の注釈書が編集された。現在出版されている、あるいは近年に出版されたパーリ聖典はこれを底本とすることが多く、日本語訳は大蔵出版より順次刊行されている最中である
チベット大蔵経
7世紀、ソンツェン・ガンポ王の命令で、聖典のチベット語訳は、トンミサンボータによって始められ、13世紀ころには大蔵経が開板された。
- カンギュル(甘殊爾/仏説部)
- テンギュル(丹殊爾/論疏部)
からなり、前者は律蔵と経蔵、後者は論蔵であり、前者には1000あまりの経が、後者には3500あまりの論が収録され、漢訳大蔵経に匹敵するくらいの量をもつ。その中に、大乗の経・論、ことに原典も漢訳も現存しないインド後期仏教の文献が多く含まれており、インド後期仏教の研究にも重要な意味をもっている。チベット語訳はサンスクリットの逐語訳に近く、原形に還元しやすいので、原典のない漢訳経典の原型を探るためにも重要視されている。
漢訳大蔵経
中国における聖典漢訳事業は2世紀後半から始まり、11世紀末までほぼ間断なく継続された。
隋・唐時代にも多くの仏典目録が編纂されたが、最も重要なのは730年に完成した智昇撰『開元釈教録』20巻である。ここでは、南北朝以来の経典分類法を踏襲して大乗の三蔵と小乗の三蔵および聖賢集伝とに三大別し、そのうち大乗経典を般若 、宝積 、大集 、華厳 、涅槃の五大部としたうえで、大蔵経に編入すべき仏典の総数を5048巻と決定した。ここに収載された5048巻の経律論は、それ以後の大蔵経(一切経)の基準となった。
隋・唐時代にも多くの仏典目録が編纂されたが、最も重要なのは730年に完成した智昇撰『開元釈教録』20巻である。ここでは、南北朝以来の経典分類法を踏襲して大乗の三蔵と小乗の三蔵および聖賢集伝とに三大別し、そのうち大乗経典を般若 、宝積 、大集 、華厳 、涅槃の五大部としたうえで、大蔵経に編入すべき仏典の総数を5048巻と決定した。ここに収載された5048巻の経律論は、それ以後の大蔵経(一切経)の基準となった。
大正新脩大蔵経
大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)の10年間をかけて、高楠順次郎・渡辺海旭監修で高麗海印寺本を底本として日本にある漢訳経典をすべて調査校合した、民間人の手になる大蔵経
歴史的な順序を追って分類し、2,920タイトル収蔵
正蔵(55巻)、続蔵(30巻)、昭和法宝目録(3巻)、図像部(12巻)の全100巻
世界における仏教界や仏教研究に寄与
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/
歴史的な順序を追って分類し、2,920タイトル収蔵
正蔵(55巻)、続蔵(30巻)、昭和法宝目録(3巻)、図像部(12巻)の全100巻
世界における仏教界や仏教研究に寄与
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/
三蔵
大蔵経を分類するのに、三蔵(tipitaka, tripitako)という分類もある。蔵とは籠・容れ物という意味で、
- 経:狭義の経で、釈尊の教えそのものをいう
- 律:教団の規則
- 論:仏教の教義を解説・詳説したもの
の三つから成り立つ。