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明治時代
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1867年11月10日 明治天皇は、将軍・徳川慶喜からの大政奉還の上奏を勅許し、政権を朝廷に戻した。
1868年1月3日 討幕派の主導において王政復古の大号令を発し、「新政府樹立」を宣言。
1868年1月3日 討幕派の主導において王政復古の大号令を発し、「新政府樹立」を宣言。
- 戊辰戦争 旧幕府軍と 明治元年(1868年)から明治2年(1869年)にかけて戦い勝利した
1868年4月6日 五箇条の御誓文を発布
- 閏4月21日(6月11日)には政体書によって新しい政治制度を採用
1868年10月23日 改元の詔書 明治と改元して一世一元の制を定めた
- 改元は、1868年1月25日に遡って適用
1869年 東京城(旧・江戸城)を皇居と改称
1869年6月17日(7月25日)には版籍奉還の上表を勅許
1871年8月29日 廃藩置県を断行し、中央集権体制を確立
1870年2月3日 宣教使ヲ置クノ詔(大教宣布の詔)
1869年6月17日(7月25日)には版籍奉還の上表を勅許
1871年8月29日 廃藩置県を断行し、中央集権体制を確立
1870年2月3日 宣教使ヲ置クノ詔(大教宣布の詔)
- 神道の国教化(国家神道)と天皇の絶対化を推し進めた
1872年(明治5年)に太陽暦を導入
1873年 明治六年政変 征韓論を巡って政府部内が紛糾
1873年 明治六年政変 征韓論を巡って政府部内が紛糾
- 勅旨をもって西郷隆盛の朝鮮派遣を中止させた
立憲政体の詔(漸次立憲政体樹立の詔)を発して政体改革を進める
1774 『解体新書』刊行
日本でそれまで使われていた中国の医学書は、陰陽と五行に基づき、人体を切除することはほとんどなかった。そのため、人体の内部を表した図は実際とはかけ離れていた。
ドイツ人医師クルムスの医学書"Anatomische Tabellen"のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』に書かれた人体解剖図が実際の人体の内部ときわめて一致していたため、近代医学への関心が高まっていた杉田玄白らによって日本語への翻訳が試みられた。。西洋語からの本格的な翻訳書として日本初。著者は杉田玄白。安永3年(1774年)、須原屋市兵衛によって刊行される。本文4巻、付図1巻。内容は漢文で書かれている。
「神気」「経脈」を組み合わせて、「神経」という言葉を作り出した
1881年 国会開設の勅諭を発して議会創設の時期を明示し、自由民権運動の沈静化を図った
1882年 軍人勅諭 軍隊を「天皇の軍隊」と規定
1882年 軍人勅諭 軍隊を「天皇の軍隊」と規定
- 大元帥として軍隊の統率にあたり、軍備の増強に努めた。
1884年 立憲制に対応する諸制度を創設(内閣制度、市町村制、府県制、郡制の制定など)
1889年2月11日 大日本帝国憲法を公布
1889年2月11日 大日本帝国憲法を公布
- 日本史上初めて天皇の権限(天皇大権)を明記
- 近代天皇制国家確立の基礎となった
1890年 教育勅語
1911年 各国との不平等条約の改正を完了
1911年 各国との不平等条約の改正を完了
- 名実共に日本は列強の一員となった。
1912年7月30日 明治天皇 持病の糖尿病が悪化し、尿毒症を併発し61歳(満59歳)で崩御