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茶
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茶の木
茶の木には、大きく分けて二種類あります。
- 中国小葉種(中国酒)
- アッサム種(インド種)
- 小葉種の葉の長さは4~5センチ。葉質は固く色は濃緑色。中国南部から東部を経て日本に多く分布します。玉露や煎茶に適しています
- 葉は極めて大きく、長さ20~30センチもあります。樹高も高く、インドのアッサム、マニプール地方に分布します。
品種 http://vegetea.naro.affrc.go.jp/joho/hinsyu/meimei.html
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/0705/spe2_03_02.html
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/0705/spe2_03_02.html
お茶の伝来
- 臨済宗の開祖でも知られる栄西禅師が、宋よりお茶の種を持ち帰る
- 空海(806年に唐から種子を持ち帰り製法を伝えた)や最澄も持ち帰り栽培したという記録がある
- 明恵上人(華厳宗)が駿河の清見(静岡県)など各地に広めた
- 駿河茶の始まりは、静岡出身の僧、聖一国師(臨済宗)が中国より持ち帰ったお茶の種を出身地近くにまいて栽培したのが始まり
- 室町時代 闘茶という、飲んだ茶の銘柄を当てる一種の博打が流行した
- 村田珠光が茶会での博打や飲酒を禁止「わび茶」の源流
- わび茶は、堺の町衆である武野紹鴎、その弟子の千利休によって安土桃山時代に完成
発酵
- 紅茶:完全発酵茶・全発酵茶 (紅茶)
- 青茶:半発酵茶 (ウーロン茶)
- 白茶:弱発酵茶 (白毫銀針、白牡丹、寿眉)
- 緑茶:不発酵茶 (緑茶、抹茶)
- 黒茶:後発酵茶 (プアール茶、六堡茶)
- 黄茶:弱後発酵茶 (君山銀針)
茶の学問
「茶経」3巻(ちゃきょう、さけい)
780?刊行 中国・唐の、陸羽によって著された世界最古の茶書。
唐代と唐代以前の茶の歴史、産地、効果、栽培、採取、製茶、煎茶、飲用についての知識と技術をを系統的にまとめたもの
唐代と唐代以前の茶の歴史、産地、効果、栽培、採取、製茶、煎茶、飲用についての知識と技術をを系統的にまとめたもの
- 一之源(茶樹の原産地、特徴、名称、自然条件と茶の品質との関係、茶の効用など)
- 二之具(茶摘みと製茶道具及び使用方法)
- 三之造(茶摘みと製茶法、及び品質鑑別の方法)
- 四之器(茶道具の種類と用途)
- 五之煮(茶の煎じ方と水質)
- 六之飲(飲茶の方法、意義と歴史の沿革)
- 七之事(古代から唐代までの茶事に関する記載)
- 八之出(全国名茶の産地と優劣)
- 九之略(一定の条件で、茶摘み道具と飲茶道具で省略することが出来るもの)
- 十之圖(以上それぞれの図)
「喫茶養生記」
1214 栄西(臨済宗)
上巻では茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれ、下巻では飲水(現在の糖尿病)、中風、不食、瘡、脚気の五病に対する桑の効用と用法が説かれている。このことから、茶桑経(ちゃそうきょう)という別称もある。書かれた年代ははっきりせず、建保2年(1214)鎌倉幕府の三代将軍・源実朝が二日酔いに 悩んでいた折に一杯の茶を進め、 その折に『喫茶養生記』 も献じられたという「茶徳を誉むる所の書」を完本の成立とするが、定説はない。栄西の伝えたのは宋代の茶
上巻では茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれ、下巻では飲水(現在の糖尿病)、中風、不食、瘡、脚気の五病に対する桑の効用と用法が説かれている。このことから、茶桑経(ちゃそうきょう)という別称もある。書かれた年代ははっきりせず、建保2年(1214)鎌倉幕府の三代将軍・源実朝が二日酔いに 悩んでいた折に一杯の茶を進め、 その折に『喫茶養生記』 も献じられたという「茶徳を誉むる所の書」を完本の成立とするが、定説はない。栄西の伝えたのは宋代の茶
「南方録」(なんぼうろく)
南坊宗啓著。千利休の秘伝書として伝わった古伝書である。
現在の「わび茶」の概念の形成に大きな影響を与えた。
現在の「わび茶」の概念の形成に大きな影響を与えた。
「北野大茶湯之記」
1587 豊臣秀吉が京都北野で大茶会を開いた。庶民も参加しての野外イベントの様子を記録
「山上宗二記」
1588 千利休の高弟である山上宗二が書き記した秘伝書
「茶経詳説」
「売茶翁偈語」
大典顕常(だいてん けんじょう、享保4年(1719年) - 享和元年2月8日(1801年3月22日))は江戸時代中期の禅僧、漢詩人である。近江国の生まれで相国寺に住し、わが国初の茶経への注釈書である茶経詳説を相国寺のもとで著す。
大典と売茶翁との交遊は有名。売茶翁の生涯を綴った唯一の伝記「売茶翁伝」を著し後世に伝えた。
大典と売茶翁との交遊は有名。売茶翁の生涯を綴った唯一の伝記「売茶翁伝」を著し後世に伝えた。
売茶翁(ばいさおう、まいさおう、延宝3年5月16日(1675年7月8日) - 宝暦13年7月16日(1763年8月24日)は、江戸時代の黄檗宗の僧。煎茶の中興の祖。東山に通仙亭を開き、また自ら茶道具を担い、京の大通りに喫茶店のような簡素な席を設け、禅道と世俗の融解した話を客にしながら煎茶を出した。
「和漢茶誌」
三谷 宗鎮。江戸中期の儒者,茶匠。茶道三谷流の祖。
中国・日本の茶の歴史や茶道具などを記した『和漢茶誌』(1728)
中国・日本の茶の歴史や茶道具などを記した『和漢茶誌』(1728)
酒茶論
1755 酒食の徳を論争する戯文
舞台は大体花の下で、かたやお酒とお弁当を持ってお花見をする人、かたや野点(のだて)をする茶人、お互いにどっちがいいのどっちが悪いのと言い合い、それで最後、お茶も酒も最後は水、水が中をとりもつというオチ。
舞台は大体花の下で、かたやお酒とお弁当を持ってお花見をする人、かたや野点(のだて)をする茶人、お互いにどっちがいいのどっちが悪いのと言い合い、それで最後、お茶も酒も最後は水、水が中をとりもつというオチ。
「禅茶録」
1828年 利休の孫、侘び茶人で名高い宗旦の遺書『茶禅同一味』を補足編集したと言われる
「茶の本」
1906『THE BOOK OF TEA』岡倉天心
「喫茶往来」
室町時代初期の茶会及び喫茶の知識を往来(往復書簡)の形式で示した書物。闘茶会とその様子が示され、室町時代初期の茶会の様子を知る上での貴重な資料である。
茶道
千家3代目の宗旦は屋敷の裏に今日庵を建てて隠居所とした。宗旦の死後、今日庵を四男の仙叟宗室が受け継いで独立し、裏千家となった。また次男の千宗守が養子先から出戻ってきて別に一家を起こし武者小路千家となった。こうして表・裏・武者小路の三千家が成立した
茶葉を使用しない茶
- 麦茶
- そば茶
- 甘茶
- ハトムギ茶
- ハブ茶
- ハーブティー
- マテ茶
- コカ茶
- 甜茶(てんちゃ)
- 柚子茶
- 韓国伝統茶
三大銘茶
日本のお茶(緑茶)の輸出先
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/0705/mf_data.html
財務省「貿易統計」より
財務省「貿易統計」より
- アメリカ 865,385kg
- シンガポール 102,745kg
- 香港 93,300kg
- ドイツ 72,845kg
- カナダ 56,128kg