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食器
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属人器(ぞくじんき)
個人専用の食器。属人器をもつのは日本と朝鮮半島で、中国や欧米にはない。江戸時代に箱膳を使用するようになってからの習慣と考えられる。ただし、身分や社会的役割によって食器を分けることは他の国でも見られる。
主に、箸、飯茶碗、湯呑茶碗が属人器とされている。
汁椀は個人専用でない場合が多い。
西日本ではお嫁入りの日、門口で自分のご飯茶碗を割る風習があった、また、棺が出るとき、故人のご飯茶碗を割る風習があった。
http://citrohan.sub.jp/be-eater/archives/000115.html
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/viewer.cgi?page=browse&code=85_174
主に、箸、飯茶碗、湯呑茶碗が属人器とされている。
汁椀は個人専用でない場合が多い。
西日本ではお嫁入りの日、門口で自分のご飯茶碗を割る風習があった、また、棺が出るとき、故人のご飯茶碗を割る風習があった。
http://citrohan.sub.jp/be-eater/archives/000115.html
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/viewer.cgi?page=browse&code=85_174
飯椀・汁椀
茶碗は、もともとはお茶を飲む時に使用されていた器のことであったが、江戸時代に磁器全般を茶碗と呼ぶようになり、ご飯を盛る飯椀も茶碗と呼ぶようになった。
日本の食卓では、ご飯は磁器・陶器、汁物は木椀漆塗というのが定番となる。白いご飯は、白い磁器がおいしく見える。また、飯茶碗、汁椀は左手で持ち上げて使用するため、特に熱い汁の入る汁椀は熱伝導性の悪い木製を使用する。
陶磁器と木椀を常に同時に使うというのも、日本の食文化の独自性になっていると思う。
日本の食卓では、ご飯は磁器・陶器、汁物は木椀漆塗というのが定番となる。白いご飯は、白い磁器がおいしく見える。また、飯茶碗、汁椀は左手で持ち上げて使用するため、特に熱い汁の入る汁椀は熱伝導性の悪い木製を使用する。
陶磁器と木椀を常に同時に使うというのも、日本の食文化の独自性になっていると思う。
磁器
- 素地は白色
- 素地に吸水性なし、透光性あり。
- 陶石を主原料に長石、カオリン、珪石等を配合して素地として、硬質に焼き上げる。
- 白磁、青花、釉裏紅、五彩など。
磁器は半透光性で、吸水性がない。また、陶磁器の中では最も硬く、軽く弾くと金属音がする。粘土質物や石英、長石を原料として1300℃程度で焼成するが、焼成温度や原料によって軟質磁器と硬質磁器に分けられる。日本の主な磁器として有田焼(伊万里焼)や九谷焼などがある。英語では、産地名をつけた場合は、陶磁器共通に(産地名)+wareと言うが、磁器自体を指す場合は、porcelainという。単に china ということもある。
磁器が発明されたのは11世紀の北宋と言われ、景徳鎮が産地として特に有名である。
豊臣秀吉が朝鮮半島から連れてきた陶工、李参平(金ヶ江三兵衛)が肥前で製作を始めたという説があるが、朝鮮半島では青磁が主流であり、磁器が朝鮮半島経由で伝わったということは考えにくいという説もある。
磁器が発明されたのは11世紀の北宋と言われ、景徳鎮が産地として特に有名である。
豊臣秀吉が朝鮮半島から連れてきた陶工、李参平(金ヶ江三兵衛)が肥前で製作を始めたという説があるが、朝鮮半島では青磁が主流であり、磁器が朝鮮半島経由で伝わったということは考えにくいという説もある。
1298年マルコ・ポーロが書いた「東方見聞録」によって、ヨーロッパに初めて東洋の磁器の製造方法が紹介された
メディチ磁器
1575年に創窯された。メディチ磁器は、メディチ家の援助によってフィレンツェでつくられた。これは一種の軟質磁器で、磁器というよりは不透明ガラスに近く、たいへんにもろく、実用化にいたらなかった。
マイセン窯
18世紀、学者エーレンフリート・フォン・シュリンハウスと、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーと、ザクセンのアウグスト強王によって、ようやくヨーロッパでの真正磁器の製作が成功した。
ベットガーは質素な研究室であらゆる種類の粘土を配合し、様々な温度で焼成し実験を重ねた結果、1707年に出来上がったのが、赤いストーンウェア(ベットガー炻器)です。その後白い素地を探す実験を続け、1708年1月15日、窯からでてきた7種のサンプルのうち3種が白く透き通っていました。更に生産するための模索を続け1709年に「良質の白い磁器」をつくるという覚書がベットガーから強王に書かれました。
1710年王によりドレスデンに磁器工房設立の布告がなされ、工房はマイセンのアルブレヒツブルク城に移され、マイセン窯が誕生しました。
そのつめたいまでにうつくしい白磁によって、ヨーロッパ最高峰の磁器として18世紀前半の陶芸をリードすることになりました。
ベットガーは質素な研究室であらゆる種類の粘土を配合し、様々な温度で焼成し実験を重ねた結果、1707年に出来上がったのが、赤いストーンウェア(ベットガー炻器)です。その後白い素地を探す実験を続け、1708年1月15日、窯からでてきた7種のサンプルのうち3種が白く透き通っていました。更に生産するための模索を続け1709年に「良質の白い磁器」をつくるという覚書がベットガーから強王に書かれました。
1710年王によりドレスデンに磁器工房設立の布告がなされ、工房はマイセンのアルブレヒツブルク城に移され、マイセン窯が誕生しました。
そのつめたいまでにうつくしい白磁によって、ヨーロッパ最高峰の磁器として18世紀前半の陶芸をリードすることになりました。
漆器
中国で最古の物は長江河口にある河姆渡遺跡から発堀された約7,000年前の漆椀。日本へは、漆木とともに伝播したとされていた。
北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡から中国の物を大幅に遡る約9,000年前の縄文時代前期の漆器が見つかり、漆木のDNA分析の結果、日本のウルシの木は日本固有種であることが確認され、日本を起源とする説が主張されるようになった。
北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡から中国の物を大幅に遡る約9,000年前の縄文時代前期の漆器が見つかり、漆木のDNA分析の結果、日本のウルシの木は日本固有種であることが確認され、日本を起源とする説が主張されるようになった。