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プロミシア

 北大陸の西方域で4000年以上に及び栄華を誇った王国。その歴史、文明、国力の偉容において、南大陸のエンゼスメキアと並び称される。しかしその主権の内実は連続したものではなく、戦乱や侵略を受けての断絶を数度挟んでいる。通算して四つの王朝がプロミシアの号を冠したが、ザカニラ朝を最後に歴史から姿を消すこととなった。
 プロミシアの国家理念は、第一紀文明の再興と継承とにあった。第二紀黎明期の未開時代において、失われた世の英知と栄華を復興させようとの試みが、プロミシアの建国につながっている。
 なかでも主たる基盤に置かれたのが、ウイリアの統一王国の諸制度・思想であった。人類の文明はもともと第一紀において大きく発展したものであって、行政制度、法体系、貨幣経済、文字、建築術、航海術などはすべてこの時代に確立し、統一王国を迎えてひとつの完成をみた。だが大変動を経てその大部分は忘却されてしまった。これらの諸制度が第二紀にある程度復活してやがて西方諸王国が繁栄する礎となったのは、ひとえにプロミシアの功労によるものであり、それゆえにプロミシアは“長上の国”とも称された。

 統一王国の主要な知識のなかで、プロミシアが唯一受け継ぐことを果たせなかったのが、魔法技術である。魔法こそがウイリア王国の真髄であったにもかかわらず、プロミシアが魔法の復活に結果として貢献できなかったのは、それらの知識がバルバドの書を求める魔法使いたちの個人的な探索に委ねられていたことと、また、第二紀初期の混沌のなかではまずは安定した国家制度の形成が優先されたことが原因とも言われている。
 第三王朝の代となりプロミシアが西方での覇権を確実なものにすると、ようやくにして魔法の追求に精力が向けられることとなる。しかし第一紀より既に遠く離れた時代にあって、失われた神秘の知識はバルバドの書をふたたび見出したラランに独占されており、プロミシアが復活させようとする魔法はもはや第一紀とのつながりの少ない独自性の強いものとならざるを得なかった。加えて、強国に滅ぼされた第二王朝の悲劇をふたたび招かないとの意志のもとに、魔法復活の主意が体制の防護へと向けられたため、編み上げられた知識は特権階級の形成とその維持に費やされることとなり、広く一般へと流布することには至らなかった。第一紀のような汎世界的な魔法文明が再生することがなかったのは、ひとつにはこの点に拠るとされる。
 プロミシア第三王朝は神官階層に強力な魔法技術を集中させ、大国ルアに対峙し続けることができたものの、やがて強大な力の暴走を許し、自壊することとなる。これに続くザカニラ朝もまた魔法のもたらす力への欲望を隠すことなく、ついには魔国と変ずるまでに堕落したが、結果としてやはり滅亡を迎え、プロミシアの壮大なる歴史はここに途絶えることとなった。ふたつの王朝の滅びはいずれも魔法への過剰な依存に端を発しており、第一紀の世界が魔法によって最大の災厄を招いたことを思うならば、“長上なる王国”の辿った運命に皮肉を感じずにはいられないだろう。











最終更新:2009年10月30日 20:17