世界~じぶん~ ◆vtepmyWOxo
光もほとんど届かない、陰鬱な水の底を黒い巨体が静かに進んでいく。
目指す場所は、右上に存在する基地。首輪を解析するにしても、クロガネの施設では手に余る。
もちろん、シャドウミラーがそういった手段、道具を全て撤去している可能性はある。
それでも何もしないのに比べれば、遥かにましだ。敵を避けるため飛ぶのを避け、川を進み、F-6から北上する。
もちろん、その途中にあるG-7、G-5の施設も調べたうえで、最終的に基地へ向かう。
それが今のところの方針だ。
濁っているわけではないが生命に乏しく、酷く空虚に感じる海か川かもわからぬ水域を、クロガネは進む。
海は全ての生命の源などとも呼ばれるが、これだけ広いにもかかわらず魚など動く影がほとんど見られない。
明らかに通常のものとは違う異質な光景に、ギリアムは顔をしかめた。
一旦訓練を停止し、シミュレータから出てきた二人の顔を交互に見回し、ため息を一つつく。
二人とも、才能はある。センスと若さが乗り方にはある、と言える。
だが、どことなくずれをギリアムは感じるのだ。反応がワンテンポ遅れている。
思考→操縦→行動という段階を踏んで機体は動く。だが、彼らはその動くまでの「間」というものが計算に入ってない。
「よほど追従性がいいマシンを使っていたか……思念操作系のマシンだったか……そういうところか」
この行動までの「間」というものが、時に選択の幅を増やし、直感による行動を可能とする部分がある。
しかし、この二人の場合、そこまで戦闘における経験が積まれていない。純粋に、「間」がただの「ラグ」になってしまっている。
アルトアイゼン・リーゼとヴァイスリッターのAIを最適化し、反応速度を限界まで上げてやろう。
異世界の技術まで精通しているわけではないが、元いた世界群の機体なら、ハード面、ソフト面、両方でギリアムはかなりの自信がある。
その程度なら朝飯前。どこまでしっくりくるようになるか分からないが、今よりは格段に良くなるはずだ。
とにかく、生存率を1%でもいいからあげることが当面の目標だ。
ある種、命すら度外視して戦っている節のある一騎は、なおさらそれ以外で可能なかぎりのバックアップをしてやらなければならない。
ヴァイス、アルト、ブラックサレナなら、一番大きく重装甲なアルトが一番だろう。
バリアというものは、一定以上の攻撃に対しては無意味なのを、ギリアムは前大戦の大将クラスとの戦闘で嫌と言うほど知っている。
歪曲フィールドでさえ一定の負荷をかけるタイプの攻撃なら無効化して貫通できるのだ。
装甲がある程度厚いとはいえ、ブースターをメインとしており小型なブラックサレナは危険と隣り合わせ。
となると、自分があのブラックサレナなる機体に乗ることになるが……
(黒い亡霊か……因果だな)
二対一でもギリアムに勝てないことがショックだったのか肩を落としている二人に近づき、ギリアムは励ますことにした。
彼らが弱いわけでも下手なわけでもない。機体の調整なしでも新兵の部類にしてはトップクラス、いや中堅クラスでも十分通用する。
自分ではなくカイやエルザムならもう少しましなアドバイスもできたのだが、と内心思いつつも気になる点を二人に口頭で伝えていく。
二人とも、真剣にギリアムの話に耳を傾けてくれる。
アラドあたりもこのくらいの聞き分けの良さがあれば、とちらりと頭によぎらせながらも、一通り話し終えた時だった。
「けど、遠見。身体が弱いからファフナーに乗れないって……身体、大丈夫なのか?」
一騎が、真矢に対して発したその言葉が、空気を変えた。
手元にあるデータに目を落としながら、一騎たちの生存率を上げるにはどうすればいいかと顎に手を当て考えるギリアム。
ギリアムも、最初は「ああ、先天性の疾患か何かがあるのか」と言う程度しか考えていなかった。
しかし、その言葉を最後に言葉が途切れた。どうしたのかと思い、ギリアムは視線を上げた。
「なにを言ってるの、一騎くん。それは間違ってて、ほら裁判で……」
真矢の顔に浮かぶのは困惑。それが伝染し、一騎の顔まで怪訝な表情を形作る。
ギリアムは、真矢の視線に込められた感情を知っている。
何故なら、ギリアム自身、その視線をかつて向けられたことがあったからだ。
ギリアムは、ボードデータを近くの台の上に置くと、つかつかとわざと足音を立てながら一騎と真矢の間に割って入った。
「……少し、いいかな?」
突然両者の視界を遮る形で現れたギリアムに二人の視線が集まる。
無言の二人。つばを飲み込み、口の中で言葉を一度転がしてからギリアムは言った。
「二人に聞きたいのは、ここに来る直前のことだ。……二人とも直前に出会った出来事を話してくれ」
ギリアムが問うてからもしばらくは黙ったままだった。
訓練の疲労が緊張のせいで大きく感じられる。身体が痛むのも抑え、ギリアムはそこからピクリとも動かず二人を見つめ続ける。
「俺、先生と竜宮島からファフナーで飛び出て……外の世界を見ようと思って。それから、気付いたらここにいました」
先に口を開いたのは一騎。ギリアムに読心能力があるわけではないが、その言葉に嘘は感じなかった。
何か言おうとした真矢を手で制し、真矢へ質問に答えるように促す。一騎の答えに何か悩んでいる様子だったが、真矢も答えてくれた。
「わたしは……初めてファフナーで実戦に出て、アルヴィスに帰ってきたと思ったらここに……」
「日付は?」
「えっ?」
「二人が来た日にち。できれば、月、年単位で答えて欲しい」
ギリアムは、さらに質問をぶつける。
あえて、二人には質問以外口を開かせない。ここで状況を整理する前に無秩序に話すことを許せば、おそらく収拾は不可能だ。
二人が答える。その日つけは、半ばギリアムが予想していた通り、大きなずれを見せていた。
お互いの認識の明確な齟齬。二人の視線が揺れる。言葉が止まる。なんといっていいのか、なんと接していいのかわからない。
そんな、空気。
「やはりな。シャドウミラーなら可能なことだ。なるほど、理解した」
「やはり」の部分にアクセントを思い切りつける。この混乱の原因を知っていることを、二人にアピール。
気休めでも、二人を落ち着かせなければならない。二人とも、暴れだすタイプではなさそうだ。だが、内に溜め込んでしまうタイプに見える。
「今から言うことを、静かに聞いて欲しい」
彼らのことから触れるのは危険だ。まずは、自分の状況を例に出して、受け入れる前提を作らねばらない。
失敗できないという思いが、口の中を乾かせる。裏腹に、手や首には冷たいものが滴る。
「まず、名簿を見て欲しい。この中で、ウォーダン・ユミル、ウェンドロ、アギーハは、『俺の時間軸』では死亡している」
言い淀んではいけない。
「だが、彼らは生きている。もっとも、同姓同名の別人の可能性もないわけでない。だが、俺は最初のあの集まりで見ている。
仮面をつけた、親友に良く似た巨漢がいたことを。それがウォーダン・ユミルであることは、一目で気付くことが出来た」
言うべきことを全て伝えるまで、聞いてもらわなければいけない。
「では、シャドウミラーは死者を蘇生する力を持っているか? 答えはノーだ。
遺伝子的に同一人物を作ることは奴らの技術なら可能であることを知っている。だが、記憶などは個人のものだ。
奴らが死者を蘇生するには、遺骸が原形をとどめていること。もっとも、それでも完全に記憶を戻すことはできなかった」
早口になってしまいそうなのをこらえ、ギリアムはしゃべり続ける。
「なら、この場にいる彼らは何者か。――答えは、別時間軸上の本人だ。俺の時間では死んでいる。
だが数カ月前まで、彼らは生きていた。おそらく、その過去の時間、もしくは平行世界から拉致したのだろう。
平行世界間に時間のずれが存在する。移動の際は、同じ時間に着地できるわけではない。
01年1月1日に時間移動しても、辿り着く世界ではそれ以前だったりそれ以後であったりするわけだ」
やっと、そこで大きく息を吸うことがギリアムにも許される。
二人は、ギリアムの言葉を完全に理解できていないのか、黙っていた。
「おそらく、二人は違う時間から呼び出された。
その結果、一騎からすれば真矢君は『未来の存在』に、真矢君からすれば一騎は『過去の存在』となっているだろう」
■
「ああ、なるほど、そういうことね」
ギリアムから話を聞かされたイネスは、そう言って静かに頷いた。
あまり驚いた様子がないことに、一騎が逆にまた驚かされた。そんな一騎を見透かすように、イネスは笑うと、
「説明しましょう。私たちの世界には、ボソンジャンプと言う技術があると言ったわね?
これは、瞬間移動のようなものと言ったけど、本当は時間移動なの。
粒子化した身体を目的地に移動させた後、ボース粒子の性質で「移動した分だけ」時間を逆行する。そういう技術。
もちろん、計算が狂えば過去や未来にも飛ばされてしまうの。あのエステバリスを見た時、なんとなく想定はしてたけど」
イネスの説明も、ギリアムに負けず劣らず信じられないものだった。
「私の時間じゃ、あれだけ小型化したボソンジャンプ搭載機は存在していない。
だけど、あの機体は間違いなく私の知る技術体系の延長線上にあるものだった。なら、理由をつけるのは簡単。
私より未来の時間軸によって接収させた機体だった……と考えれば矛盾は消えてなくなるわけ」
そう言った後、またブラックサレナをいじりだすイネス。
自分は我関せず、というよりもそれくらい当然だと態度が物語っている。
「真矢君、すこし、いいか? 一騎、ここで待っていてくれ」
ギリアムが、真矢を引っ張って通路に消える。
自分には待つように、わざわざ言うということは、聞かれたくない話なのだろうか。
過去。未来。現在。
全て、自分から見たものでしかない。名簿に一騎は再び視線を落とす。
先程までと書かれていることはまったく同じのはずなのに、酷く異質なものに映るのは、一騎の気のせいだろうか。
皆城総士、遠見真矢、羽佐間翔子、春日井甲洋。
一騎は思い出せる。彼ら、彼女らと取った集合写真を。思い出を。
けれど。もしかしたら、皆は自分を覚えているのだろうか。
翔子は、フェンリルで自爆した。甲洋は、今も目覚めていない。これが、一騎の記憶だ。
彼らは自分の記憶より過去の世界からこの世界にやってきたのだろうか。
だとしたら、彼らが消えた世界の自分は何を思っているのだろうか。
……あれ?
ふと、考えて、どうしてもわからない疑問が一騎の中で首をもたげる。
「イネスさん、俺がもしその過去の時間で消えたら……もうその時間には俺は『どこにもいない』。
遠見の時間にも俺はいないから……」
自分が拉致された後の時間のどこにも、自分はない。
もし自分が元の時間に帰ったとしたら、遠見にこのことを伝えていないはずがない。
どちらにしろ、矛盾してしまう。
「俗に平行世界分岐と言うものね。
あなたが消えた時間軸の世界Aと、あなたが消えなかった時間軸Bの世界があると考えればいいわ」
背中を向けたままイネスが答えた。
「……だとしたら過去とか未来に移動するのはどうなってるんだ?
未来が分かれているなら、なんで時間の迷子にならないんだ? いや、自分のいた以外の未来に飛んだら自分が二人……?」
一騎の呟き。
だが、その呟きがイネスの動きを止めた。
どことなく嬉しそうに見える。
「いいところに気付いたわね。いいわ、説明してあげる」
こっちに近づいてくると、どこからともなくホワイトボードを取りだし、絵を描き始めた。
一本の線を書き、その先が無数に枝分かれしている。
「よくある一本の線から無数の分岐する平行世界の視点、あれ結構乱暴なのよ?
どの時間で、何が原因で分岐するかが、個人の行動単位でも一切実は分からなかったりするの。
詳細とかは話し出すと1000字2000字じゃ足りないから省くけど、だからもう一つの説が実は、科学者の間では主流だったりするの」
こんどは、極めて近い感覚で大量の平行線を書き、その後一本一本の先端を別の方向へ曲げた絵。
根元の部分が分かれているが、先ほど書かれたものとほぼ同じだ。
「もう一つの説?」
「そう、まったく同じだから重ねて見えるだけで、実は分岐する前の線は、
『まったく同じ行動が行われた』世界を束ねたものって見方。これなら、過去も現在も全て一本。
神はサイコロを振らないって考えからある科学者が提唱したものね。名前、知ってる?」
「アインシュタイン……?」
「そうそう、そんな名前だったっけ」
無数の世界に、無数の自分がいる。
けど、元の世界に自分はもういない。遠見の言う世界とは別の世界。
『どこにでもいる』
『どこにもいない』
もし、ここで自分が消えたとしても、他の皆が元の世界に帰ったとき、そこにも自分はいるのだろうか。
もし、ここで他の皆が消えたとしても、自分が元の世界に戻ったとき、そこにも他の皆がいるのだろうか。
いや、そこにいるのは、本当に自分であり、自分の知る他の皆なのか。
一騎には分からなかった。
■
「……ここでいいか」
しばらくクロガネの艦内を歩いた後、設置された自動販売機の前でギリアムは止まった。
「何か飲むかな?」
「あ、いや……わたしはお茶で」
「分かった」
どうやら、タダで使用できるようになっているらしく、小銭を入れないままボタンをギリアムは押す。
コトンと、紙コップが落ちる音がした後、少ししてギリアムはお茶の紙コップを真矢に差し出した。
少しだけ口をつける。ギリアムは、最低限のやりとり以外になにも言わない。
今度は自分のコーヒーを取りだし、ギリアムも軽くそれに口をつけた。
「もし……未来予知というものが出来たら、どうする?」
「えっ……?」
なにを言いだすのだろうと身構えていた真矢に、壁にもたれたままギリアムは世間話でもするように呟いた。
「未来予知って……その、未来が分かるあれ、ですよね?」
「まあ、そう思ってくれて構わない」
なにをギリアムが伝えたいのか考えながらも、真矢は思ったままを答える。
「やっぱり、便利だと思います。未来が分かれば……きっと多くの悲しいことも防げると思いますし……」
「本当にそうかな?」
「……どういう、意味ですか?」
予想通りの答え――ギリアムの顔は誰でもそう読み取れるものだった。
「未だ来ていない『未来』は『過去』と同じだ、ということさ」
そう言って、ギリアムは静かに紙コップをテーブルの上に置いた。
「未来予知……聞けば便利な力に感じるかもしれない。だが、その力はあまりにも『明るすぎる』」
「……明るすぎる?」
「そうだ。例えば、真っ暗な夜道を人が歩くときは、手を伸ばし周囲に何があるか触れ、足を進めなければいけない。
だが、街灯が輝く街ならば、そんなものは必要ない。全て、既に見えているのだから」
真矢には、まだギリアムの真意が見えてこない。
けれど、そのまっすぐ真矢を射抜くようなまなじりは、アルヴィスにいた大人たちと同じくらいに真剣だった。
大切だと思うことを、真矢に伝えようとしている。自然と背筋が伸び、真矢もまたギリアムのほうを見た。
「時間も同じだと俺は考えている。
暗闇の一歩には、恐怖も伴うが同時に勇気が含まれている。そうやって決めた一歩だから、受け止めることが出来る。
だが、明るければどうする? 決意もなく踏み出した結果の痛みは、必ず他者へ向けられる。
多くの場合、他でもない光を灯したものに」
ギリアムは、一瞬目をそらした。
嘘をつくためではない。眉がより、頬を僅かに強張らせ、静かに拳を握りしめていた。
「昔、未来を全て知った『つもり』になった男がいた。男は、未来の危機を取り除くため、今で過ちを犯した。
……男は縛られていたのだ。自分の見た未来と言う名の幻想に。あまりに詳細に分かる、『明るすぎる』未来を
見たせいで、それ以外の未来を落としてしまい、見ることが出来なくなった」
真矢にも、分かった。
これは、独白なのだ。他でもない、ギリアム自身の過去なのだと。
思い出すこともつらい、自分を傷つける自分の過去を、ギリアムは語っている。
それは、何故か。
「一つの未来を見て、それに盲目的に従うというのは、『過去』に縛られているにすぎない。
多くの存在するはずの、無限の可能性を自ら閉じてしまうことに他ならない」
他でもない、真矢に似た過ちを繰り返して欲しくないからだ。
「……だから一騎には彼の『未来』を、君の『過去』を、教えないで欲しい。同時に、君も『過去』に囚われないで欲しい。
状況次第で、『未来』とは如何様にも変化する。だから、ここにいる一騎の『未来』が、君の知る一騎の『未来』と違っていても……
それに固執しないで欲しい」
一度置いたコップをもう一度掴み、一気にギリアムはそれを傾け飲み下した。
胸に残る苦い何かも纏めて飲み干そうとしている。そんな風に真矢には見えた。
「……少し、にが過ぎたな」
「飲み干すときに言う言葉じゃないですよ」
「いや、一気に飲む分にはという意味だ」
ふっと顔を緩め、ギリアムは小さくおどけて最後に言った。
「愚かにも太陽神を名乗った男が太陽を直視したばかりに盲目になる……そんなつまらない御伽噺だ。
だが、御伽噺は往々にして、人の習性、慣習が元になっている。そんな話があったと心に留めてくれるだけでいい」
ギリアムは、真矢の横をすり抜けて、どこかへ行ってしまった。
真矢が何かを言う前に、逃げるように。
「けど、傲慢な話ね」
ふいに、背中からする女性の声。真矢が振り向いた先にいるのは、ギリアムと、その前に立つイネス。
「ねえ、浦島太郎って知ってるかしら? 知らないなら、説明するけど……」
ギリアムの肩を押しのけ、今度はイネスが真矢の前に立つ。
「いえ、知ってますけど……」
たしか、竜宮城(りゅうぐうじょう)が出る子供向けの絵本だったはずだ。
竜宮島(たつみやじま)と字がよく似ているので、なんとなく印象に残っていて、真矢も覚えている。
亀を助けたお礼に、楽園へ浦島太郎は連れて行かれる。
だが、故郷に帰りたいと思い、帰路についたものの、そこは自分の知る時代から遥か遠い未来だった。
そこで玉手箱を開けた浦島太郎は、それまでの時間全てを返され翁となった。
大まかに話せば、そんな童話だ。
「時間は残酷なものよ。勇気のありなしに関係なく、自分で決められなくても、勝手に進んでいく」
ぽつりと、イネスが零す。
「時間に、たった一人取り残される。自分が誰かすら、誰も分かってくれない。
大切な思い出も、何もかも、共有した人はいるのに自分一人が胸に納めていなければならない。
それは、とてもつらいことよ。そしてそんなつらいことがあっても……すがること一つできない」
真矢から視線を外し、首だけをギリアムに向け、イネスは言葉を続けた。
「そんな孤独を強要する権利があなたにあるのかしら?」
「……そんなものは、ない。だが、それは両者を傷つけるだけだ……。
『ここにいない』誰かを重ねられる側も、重ねる側も、真の意味で相手を理解することはできない」
「強いわね。けど、その強さも押しつけたら何にもならないわ。
夢と分かっても、夢物語にすがりたい……一時の夢でいい。それを叶える権利だってあるはずよ」
真矢には分かる。
二人とも、自分の実体験を元に話している。
二人とも、真矢に自分と同じ失敗を繰り返してほしくないのだ。
それが、痛いくらいに伝わってくる。だから、悲しい。
「……やめよう。確かに俺も無理強いに近い形になったかもしれない」
「……なんでこんなことを言ってるのかしら、私」
二人が顔をそむけ合う。
なんとなく、わかってしまった。
二人は似ている。けれど、平行線だ。交わることはない。
それこそ、別の世界と同じように。
「二人から、聞いたこと……良く考えてみます」
今の真矢には、そう言うしかなかった。
■
真矢が立ち去った後、自動販売機の前で二人の大人――いや取り残されたものが言葉を発している。
「どちらを選んでも、結局こうなった時点で『後悔する未来』しかないのかもしれないわね」
「だが、選ばなくてはいけない。それが、俺にも、あなたにも……あの子にもあった唯一の自由だ」
「けど、あたし達には、『あたし達』はいなかったわ」
「だから、一人で決めるしかなかった。俺たちのような存在は、彼女にとって益となるのか、害となるのか……」
「それこそ、未来を見て確かめてみる?」
「……見えないさ。見えたとしても、それ以外の可能性を俺は探す」
コトン。
紙コップの落ちる音。
「あなたも、飲む?」
「先程飲んだばかりだが……もう一杯欲しい気分だ」
自分は、何をしているのだろう。
コーヒーをすすりながらイネスは自問する。
別に、真矢に肩入れするつもりはない。優勝するまでの仮初めのパートナー。それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
(自分の未練を他人にぶつけて……感傷ね)
イネスが願いの成就を目指す理由は、先程真矢に語ったものがそのまま当てはまる。
なんとなく、なのだろう。真矢の状況と、ギリアムの話を聞き、つい口を出してしまった。
(私も大概甘いわね……今でもあの子と変わらない)
そんな呟きは、コーヒーの中に溶け、どこにも届くことはなかった。
格納庫へ歩き始めるギリアムの背中を見ながら、イネスは冷めて冷たくなるまでコーヒーを飲み続けた。
胸に広がる晴れない靄は、飲み干せるものではなかった。
■
「なんだ、このブラックボックスは……」
調整のためヴァイスリッターを起動したギリアムは、不快な感覚に身を震わせた。
以前、元の世界でお遊びに模擬戦でヴァイスリッターに乗った時には感じなかった違和感。
これは――そう、変化したヴァイスリッターに乗った時に感じた意思のざらつきに似ている。
ヴァイスリッターと感覚で同調しなければ操作できなくなったライン・ヴァイスリッターは、事実上エクセレンの専用機だった。
それを、真矢は操縦できている。
「だが、何のためだ……?」
操縦桿を押す。不快さは止まらないものの、ヴァイスリッターの腕は動く。
自分でも、操縦できる。本来ヴァイスリッターは一般人でも操縦できるはずなのだ。
機体に何か細工があるのか。だが、それは何のためなのかが分からない。
「装甲……いや『外皮』でごまかしているが、むしろ変化したヴァイスリッターをベースに誰でも運用できるように改造してあるのか?」
いや、とギリアムは首を振る。
少なくとも、額の赤いコアはすでに砕かれている。
この機体に乗り続けることで精神的な失調が起こらないのは分かっているのだ。
今は、それよりもOSなどをいじることを優先しよう。
リーゼのほうはもう完了している。
あとはシステムの再起動を待つだけだ。
カチャカチャとキーを叩く音だけが、虚ろに響いている。
(俺は、間違っているのか……?)
結局ごまかしてしまった部分もある。
ギリアムは、わざと言わなかった。ウォーダン・ユミルはクローンであり、量産することも不可能ではないことを。
事実、マシンナリーチルドレンは無数にいた。だが、本来命は、一つしかない。そのことを強調したかった。
もし、短絡に自棄同然になってしまったら。
いつか露呈する事実とはいえ、あのような形で悩む前に口を出したことは正解だったのか。
「俺も手伝います」
「……すまない。さっきは、色々と急なことを言って」
一騎に簡単なシステム周りも教えながら、ちらりと一騎の顔を見る。
まだ、はっきりと納得できていない、そんな顔だった。何に納得できないのか、何が引っかかっているのか、ギリアムには分からない。
(未来を読むことが出来ても、人の心一つ知ることが出来ない。……情けないことだ)
会話のなさで、格納庫の空気が重くなる。
元々ギリアムも饒舌ではないが、何かに重く悩む人間がいる横で、何もアドバイスできないのを放置できる性格でもなかった。
「先程、言ったことで一つだけ訂正がある」
一騎と顔をあわせないまま、ギリアムは言う。
「平行世界の自分と言ったが……厳密には自分ではない。良く似た他人だ。自分は、ここにしかいない」
一騎の視線が自分の背中に向けられるのがギリアムにも分かった。
「……俺の世界に、ODEシステムと言うものがあった。
大量の人間を統合し、知恵を瞬時に結合し並列演算することで、全ての人智を人にはできない速度で処理するシステムがある。
だが、これは起動して早々に崩壊した。何故だと思うかな?」
ゆるゆると首を振る一騎に、ギリアムは答える。
「人間が『個人』であることをやめられなかったからさ。
結局、人間の持つ千差万別の意思を、システムは全体の異物としか認識できなかった」
ギリアムは、平行世界で別世界の自分と言うものに会うことはなかった。
だが、それでも断言できる。
「俺たちは俺たち以外の誰かになることなどできない。
仮に平行世界の自分を何千人集めても、同じ結果だろう。なぜなら、各自が独自の記憶を持っている。
結局、『ここにいる自分』は、他の場所には『どこにもいない』。ここにしかいないのさ」
その時、突然クロガネが揺れた。
「……何だ!?」――ギリアムは、どうにか機体に寄りかかって転倒を防ぐ。
「なんだよ!?」―― 一騎は腰を落とし、バランスを取る。
「まずったわ。どうやら待ち伏せされたみたい。レーダーの効かないところから出てきて船体の下に取りついてるわ」
イネスからの通信に、ギリアムは自分の迂闊さを呪う。
「俺が出ます!」
「いや、無理だ。アルトアイゼン・リーゼのシステムが再起動するまで時間がかかる」
「そんな!」
ギリアムが一騎の肩を叩く。
「安心しろ、俺がどうにかする。船が近くにあっては危ない、ここは俺に任せて先に行ってくれ」
焦燥――それに後悔。
それが一騎の顔には浮かんでいた。海で、かつて何かあったのだろうか。
ギリアムは、それを振り払うように小さく笑って見せた。
「まかせて欲しい。最初の探索ポイントで合流しよう」
それだけ言って、何か言いたそうな一騎を格納庫から追い出す。
「発進準備、よし!」
オペレーターの声――真矢の声。
なんというか、その姿が妙にしっくりきていることにギリアムは肩をすくめた。
機体に乗っているときの冷静な姿よりも、やはり明るい年相応の少女のような姿のほうが似合っている。
「一騎、俺は君が羨ましい。俺は、外の世界……いや多くの世界の内情を知った。その代わり、永遠に故郷というものを喪失した。
道を選んだ時には、既に帰り道などなかった。もし、帰りたいと思ったのなら――その時は素直に故郷に帰ることだ」
一騎が何か言う前に、通信をカット。
迷わせるようなことばかり言っていたことへの、小さな謝罪。
心からの言葉だった。
ギリアムは、静かにブラックサレナを立ち上げていく。
かつて「黒い幽霊」と呼ばれたブラックサレナ。
つくづく、自分は幽霊、幻影と縁がある。
この手の機体の操作は、慣れている。
そう、XN(ザン)ガイストで。
「ギリアム・イェーガー、出る!」
黒い亡霊が暗い海へ躍り出た。
■
「一刀両断――!」
「お前は……ウォーダン・ユミル……!? お前は、俺の知るウォーダン・ユミルなのか!?」
「ギリアム・イェーガーか……相手にとって不足なし! 問答無用!」
「くっ!」
何も見えない暗い海に、小さく光が走ったと思えば、すぐに消えていく。
戦いの激しさは、水流の乱れと言う形で離れていくクロガネにも伝わってくる。
だというのに、その戦いの瞬きは、酷く儚いものに感じた。
握りしめた拳が小さくふるえ、自然と顔がゆがむ。
一騎は、島を守るため、最初のフェスティム襲来から戦ってきた。
だから、初めてだった。こうやって、自分がなにもできず、ただ誰かが闘う姿を見ているしかないのは。
ただ、通信から戦う二人の声だけが、艦内に響く。外の苛烈な戦いとは逆に、戦艦内は静寂が広がっている。
戦うのが怖かった。自分がまったく別のナニカに変わっていくのではないかと怖かった。
けれど、知らなかった。戦えないことが、これほど苦しいことだったことを。
羽佐間の墓の前、甲洋が自分の胸倉を掴んで叫んだ言葉。それが今、良くわかる。
自分に出来ることがない。ただ、見ているしかない。その歯がゆさ。
そうして自分が見ている間に、何かが失われたら……きっとどうしようもない後悔になるだろう。
「我はウォーダン! ウォーダン・ユミル! ヴィンデルの剣なり!」
「そうか……お前は、俺の知るウォーダンではない、か。俺の知るウォーダンなら、絶対にそんなことは言わない……!」
「笑止! それがなんと関係がある!」
「関係あるさ……俺の知るウォーダン・ユミルのためにも、負けるわけにはいかない!」
ギリアムは、強かった。自分と遠見の二対一でも、まったく負けないほどに。
ギリアムは、言っていた。多くの世界を見てきたと。
外の世界を、いや世界の外を見た結果が、あの実力なのだろうか。
そうでもしなければ生き残れないくらい、世界は過酷な場所で――竜宮島は、本当に最後の楽園だったのか。
永遠に故郷を喪失した――故郷が羨ましい。
「俺は……」
外の世界が見たかった。
外の世界を見れば、総士と同じように何かが見えるかと思って、竜宮島を離れた。
奪ってしまった左目のように、総士の見るものを正しく見れるのではないか。
先生に、後悔はないとも言った。自分なりの、決心だった。だが、それは大人たちから見れば、ただの愚行だったのか。
「俺はギリアム・イェーガー……数多の平行世界を回ることを運命づけられた男だ」
「遅いっ!」
「俺の贖罪の旅は終わっていない……俺のような罪人を増やさないため、俺と同じ悪行に手を染めるものを打ち倒す。
それが俺の贖罪だ! 再び地の底に眠ってもらおう!」
ギリアムは、一度死んだはずの相手と、再び戦っている。
だが、蘇ったわけではない。死ぬより前の相手が再び現れただけ。
死が覆ることは、絶対にない。それは絶対の摂理。一騎の頭に浮かぶのは、一人の少女。
自分の世界の羽佐間は、死んだのだ。
この名簿に載っている羽佐間は、生きているどこかの時間から来た、自分と違う世界の羽佐間。
もしこの羽佐間が自分の知る羽佐間とほとんど同じだったらどうしているだろう。
あまり深く知っているわけではない。だが、甲洋や遠見と一緒に四人でトランプをしたことを、一騎は覚えている。
恐怖で潰れそうになっているのではないか。苦しんでいるのではないか。
別の世界だから。自分の世界では関係ないから。
一騎は、顎が砕けんばかりに歯を食いしばっていた。
それでも――それでも、自分の世界と関係ないからと見殺しにしていい筈がない。
それは、羽佐間だけではない。遠見も、甲洋も、もちろん――総士もだ。
自分も他人も変わっていく。それはあのフェストゥムが襲来した時から、絶対に逃れられないことだった。
親しかった友達が、自分の知らない誰かで、自分へ、自分の知らない誰かのような眼を向ける。
その想像は、恐ろしいものだった。
けれど彼らが死に絶えている姿に比べれば、遥かにいいと思えた。
「おおおおおおおおおおおおおおお!?」
「XNガイストより取り回しが軽いか……! 浅かったか!?」
「踏み込みが足らん! 終わりだ! ギリアム・イェーガー!」
「それはまだ甘い!」
海に、ひときわ明るい輝きが放たれた。
それを最後に、二機が通信の圏外に出たのか、声は聞こえなくなった。
一騎は、通信機を立ち上げる。
「なあ、遠見。遠見の世界の俺は……島を出る前に、遠見に何か言ったかな?」
「え……?」
「未来のことじゃなくて。過去のことなんだけど……教えてくれないかな」
少し間をあけて、遠見は答えてくれた。
その答えは、一騎が知っているものと同じ。
――遠見は、俺のことを覚えていてくれる?
遠見の知る一騎も、きっと同じだったのだろう。
同じように、きっと不安だったのだろう。
不安への答えは、まだ出ていない。
考えれば、胸が苦しくなる。
「それでも……俺は、皆を助けたい。過去でも、未来でも関係ない」
それだけは、嘘じゃないから。
そこに、自分はいないのかもしれない。それでも、皆で故郷に帰りたいから。
「……ありがとう」
「二回目、だね」
そう、あの時も一騎はありがとうと言った。
これで、二回目。
一騎は祈る。
ギリアムが、クロガネに戻ってくれることを。
そして、ギリアムがいつか故郷に帰る日が来ることを。
【ギリアム・イェーガー ブラックサレナ(機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-)
パイロット状況:良好
機体状況:??? スクリューモジュールを装備していた模様
現在位置:E-5
第1行動方針: ウォーダンを撃破し、G-7施設で合流する
第2行動方針:仲間を探す
第3行動方針:首輪、ボソンジャンプについて調べる
最終行動方針:バトルロワイアルの破壊、シャドウミラーの壊滅】
【ウォーダン・ユミル 搭乗機体:アストレイレッドフレーム(機動戦士ガンダムSEED ASTRAY)
パイロット状況:良好
現在位置:E-5
機体状況:フライトユニット装備、ビームコート装備、損傷軽微、EN消費小
第一行動方針:ヴィンデルの命令に従う
第二行動方針:次の戦闘相手を求める
最終行動方針:ヴィンデルの命令に従い優勝を目指す
備考:ヴィンデルを主人と認識しています。】
【イネス・フレサンジュ 搭乗機体:クロガネ(スーパーロボット大戦OGシリーズ)
パイロット状況:良好
機体状況:良好 格納庫にヴァイスの左腕あり
現在位置:F-6
第1行動方針:甘いわね、私も……
第2行動方針:一応、真矢への対抗策を用意
第3行動方針:ルリと合流、ガイもついでに
最終行動方針:願いを叶える「力」の奪取。手段は要検討。
備考1:地中に潜れるのは最大一時間まで。それ以上は地上で一時間の間を開けなければ首輪が爆発
備考2:クロガネは改造され一人でも操艦可能】
【真壁一騎 搭乗機体:搭乗機体:アルトアイゼン・リーゼ(スーパーロボット大戦OGシリーズ))
パイロット状況:良好
機体状況:良好 クロガネの格納庫に収容 反応速度上昇
現在位置:F-6
第1行動方針:仲間を守る。
第2行動方針: G-7施設でギリアムと合流
最終行動方針:バトルロワイアルからの脱出】
【遠見真矢 搭乗機体:ヴァイスリッター(スーパーロボット大戦OGシリーズ)
パイロット状況:身体的には良好
機体状況:左腕欠落、ミサイル半分ほど消費、EN消費(小) 精神的な同調ができないと不快感を覚える模様。
もしかしたら何かのきっかけでラインヴァイスリッターになるかも……? 反応速度上昇
現在位置:F-6
第1行動方針:一騎を守る
第2行動方針:総士、翔子、甲洋、カノンと合流し、守る
第3行動方針:仲間を傷つける可能性のある者(他の参加者全て)を率先して排除する
最終行動方針:仲間を生き残らせる。誰かが欠けた場合は優勝も視野に入れる】
【10:00】
最終更新:2010年04月03日 05:53