291 :『杜を駆けて』 ◆k2D6xwjBKg :2008/09/08(月) 23:06:21 ID:KrpfJgF5


午後8時を過ぎると、高杜駅周辺には補導員が巡回し始める。仕方なく絵莉は、行くあてもなくモールを飛び出した。

夕闇が迫る市内に降り出した秋の雨は、途方に暮れる絵莉を冷たく濡らす。ようやくたどり着いた寂しい高架下のトンネルに座り込んだ彼女は、まだ幼い体を寒さと後悔で震わせた。

夏休みの間に彼女が積み重ねた過ち。柚季も、未沙も、同級生はみんな幼稚な子供に思えた。 しかし、背伸びし過ぎた自分も、彼女をそうさせた年上の少年達も、結局みんな同じ無責任な子供だったと、雨の音を聞きながら絵莉は思う。

『そーだよ!! あんた達が考えてること全部した!! 私の体だもん!! 自由でしょ!!』

自暴自棄な絵莉の言葉に崩れ落ちる両親。無計画な家出から、まだ四時間しか経っていない。もう、家には帰れない。


『…これから、どうしよう…』

真っ暗な高架下のトンネルの中、悪夢のような孤独が絵莉を包む。


『…この街でオレの事知らねー奴ぁいねーよ。なんか困ったらいつでもオレんとこへ…』

腕のタトゥーをひけらかしながら話す『先輩』達の屯するゲームセンターが、ここからそう遠くないことを思い出し、絵莉ふらふらと立ち上ったが、しばらく躊躇して、またすぐしゃがみこんで再び膝を抱えた。

『…夢だったら、いいな… 目を覚まして、学校へ行って…』

朝の教室の喧騒。始まった運動会の練習。近付く中学受験の話…

髪から流れる雨の雫に混じって、涙が頬を伝った時、トンネルの向こう側から、高く足音が響いた。
トンネルに反響する堅い靴音。逆光でよく見えないが、どうやら女性のようだ。

『…もし親切な人で、助けてもらえたら…』

僅かな希望にすがって、次第に近づく人影を見つめる。


高杜学園の制服を着た、驚くほど長身のすらりとした…女学生。
短く切った髪に意志の強そうな瞳。絵梨は一瞬、状況も忘れ彼女に見とれた。

彼女は歩調も変えず、無表情に絵莉に一瞥をくれると、すぐ怜悧な横顔を見せて絵莉の前を通り過ぎていった。

「あの…」

おずおずと小さな声をかけた絵莉は自分の行動に驚く。

しかし、この…場違いとも言える際立った個性の人物が去ったあと、再び自分を救ってくれる人がこの暗いトンネルを通ることはないという、確信めいた第六感が、絵莉の唇を動かしていた。


靴音が止み、静寂のなかで音もなくゆっくりと、女学生は小さな顔を絵莉に向けた。

『わ、私、行くところが…なくて、それで…』

絵莉のか細い声が届いたのか、彼女は未だ表情を変えぬまま、絵莉の目を真っ直ぐに見据えて、一歩だけ近づいた。

魂を見透かすように澄んだ、そして鋭い瞳に見下ろされて、絵莉は視線を自分の震える膝に落とし、審判を仰ぐように彼女の言葉を待つ。

沈黙の後、耐えられず目を閉じた絵莉の耳にやっと届いた声は、不本意にも絵莉に向けられたものではなかった。

「…もしもし。霧尾の高架下に家出した子供がいます。 保護して下さい。」

絵莉は状況を悟り、携帯電話で話す彼女から逃れようとクルリと背を向けて走り出した。

「…はい。岩波 由良といいます。」

走っても遠ざからない声に思わず振り向いた時、絵莉の襟首を、力強い手ががっちりと掴む。

「離して… いや…」

「雛鳥はね…」

『岩波由良』は、その長身を曲げて絵梨に囁いた。
「雛鳥は、巣から落ちたら、大抵死ぬよ。」

喩えのとおり、ぱくぱくと惨めに抗う絵梨は雛鳥に似ていた。そして、由良は鋭利で強靭な爪を持つ鷹。

やがて絵梨は力尽き、抵抗を止めた。

数分後、サイレンを鳴らさず到着したパトカーの後部座席で、絵梨は放心したように助手席の警官の質問に答えていた。

死んでしまいたかった。説諭の後、家に連れ戻されるのだろう…

絵梨を捕らえた由良と名乗る女学生が立ち去って行くのが見えた。

「ところで…」

助手席の警官が初めて振り向いた。

「…絵梨ちゃんはどこの神社の氏子かな?」

意外な質問に、絵梨は戸惑いつつ答える。

「高見…神社。」

「そうか!! それじゃ、今年の紫阿童子の神楽は絵梨ちゃん達だな。」

紫阿童子の神楽。毎年氏子を代表して、六年生が行う神事だった。絵梨は去年、上級生が演じる紫阿童子を、食い入るように見つめていた将也たち男子の眼差しを思い出した。
あの瞳の先にこそ、確かに『大人』が待っている筈だった。

そしてずっと昔、父親の肩車で見た、あの鮮やかで勇壮な舞い…。

突然絵梨は、先刻自分を捕らえた力強い手は、猛禽の鉤爪ではなく、地に落ちた雛鳥を巣に戻す、優しく暖かい手であったことに気付いた。

絵梨は堪えきれずに激しく嗚咽し、とめどなく、涙を流し続けた。


…神代の昔、あやまちを犯したツバキヒメを、命がけで魔物から守った勇敢で優しい紫阿童子は、きっといつか、絵梨の前にも現れるに違いない。


END








297 :『杜を駆けて』 ◆k2D6xwjBKg :2008/09/08(月) 23:21:34 ID:KrpfJgF5
申し訳ありません!!
携帯投下の為、重なってしまいました。
投下終了です。

紫阿童子の伝承及び祭事の詳細、どなたか宜しければお願いします。


あとこれまで書いた設定整理しました。

『フラウ高杜』
高杜市南部にある、比較的新しいいわゆる新興住宅地。まだ分譲中の区画も多い。

『プリズン』
高杜モール内のファッション雑貨店。アクセサリー、ロック系アイテムが充実。B1Fは古着コーナー。

『煙突岩』
高杜湾の沖に立つ、煙突状の白っぽい岩。市内では高見山山頂より以外は視認困難。


岸谷絵莉
高杜市立第二小学校六年生。 補導歴二回。






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最終更新:2008年09月09日 14:06