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311 :夏の残り香 ◆HdhN8f97gI :2008/09/09(火) 20:29:03 ID:zyCKtWkT

 ツクツクボウシが鳴き始めると、夏が終わるらしい。 
 人間が作った暦ももう九月で、夏と言うには遅すぎる時期に差しかかっている。
 夏休みも終わったし、もう夏だって終わる頃のはずだ。
 なのに、空から降り注ぐ日差しは未だに強く、夏の自己主張は終焉の気配を見せない。 
「くそ……」
 高杜学園高等学校の屋上で、仰向けになっている僕――米倉啓祐に向けて落ちてくる、容赦のない日差しに悪態を吐く。
 現在の時間は、二時間目の真っ最中。
 自習時間というわけではないし、屋上で寝転ぶ授業である道理など、当然ない。
 要するに、新学期早々サボタージュの真っ最中だ。
 ちなみに、一時間目だって出ていない。そもそも、学校に来たのがついさっきだ。  
 別に授業や勉強が嫌なわけじゃない。そりゃ、面倒だと思うときは少なくないけど。
 どちらかと言うと真面目な方だし、こうやってサボるのだって初めてだ。
 十七歳にしてサボり初体験をしようと思ったワケは、馬鹿みたいに単純で分かりやすい。
 クラスメイトに会いたくない子がいるのだ。正確に言えば、会うのが辛い子がいる。
 少し前までは、あの子に会いたくて会いたくて堪らなかったのに。

 ――そう、夏祭りの夜までは。

 あの子のことを考えるたび、胸が高鳴って眠れない夜を過ごした。
 あの子と一緒にいるときに流れる時間は、地球の自転速度が変わったんじゃないかと疑うほどに速かった。
 楽しくて、嬉しくて、幸せで、気恥ずかしくて、でもちょっとだけ、物足りなかった。
 だから、勇気を出した。
 浴衣姿のあの子が、あまりにも魅力的だったこともあったのだろう。
 汗ばんで、心臓がどくどく鳴って、顔が熱気に中てられたように熱かったのに、自然に、言えていた。
 夜空を彩る大輪の花火の下で、体を震わせるほどの大音響を受けながら。

 高校二年にして、愛の告白と言うものを、僕は初めて試みた。

 相手の名前は、沢口名希。
 地味で大人しいが、芯はしっかりしていてとても優しい、同じクラスの女の子。
 大好きだった。
 いや、過去形になんてしたくない。今だって、大好きだ。
 フラれたけどさ。
 ごめんなさい、って。
 申し訳なさそうにしてた。縮こまって、辛そうにして、必死で頭を下げてた。
 そんなに謝る必要なんてないのにな。
 僕が勝手に好きになって、友達のままじゃ満足できなくなって、暴走しただけなんだから。
 沢口は何も悪くないんだ。悪いのは、身の程知らずな僕だけで。
 あの日から、沢口に会ってない。
 始業式は休んだ。沢口の顔を見るのが、声を聞くのが苦しかったから。
 どうやって接すればいいか分からないし、顔を合わせているのに距離を置くのは辛い。
 そしたら、沢口からメールが来た。
 欠席した僕を、心から心配してくれる、優しいメールだった。
 嬉しかった。すごく嬉しかった。
 だけど同じくらい、切なかった。  
 沢口に心配を掛けたくなかった。
 僕が学校に行かないと、沢口はきっと自分を責める。
 だから、学校に行こうと思った。
 そう決めたのに、今朝はなかなか踏ん切りがつかなくて家から出られなかった。
 長い逡巡と葛藤の末、ようやく登校しても、教室に行く勇気が出ずに足は屋上へ向かうだけだった。
 サボりのメッカである保健室へ行かなかったのは、誰にも会いたくないからだ。
 きっと、今の僕は見るに耐えないような情けない顔をしているに違いない。
「あー、くそ……」
 米倉啓祐と言う人間が、こんなにヘタレだとは思わなかった。
 ヘタレ過ぎて泣きそうになる。
 その事実がまた格好悪く思えて、更なる自己嫌悪を生む。

 逃げ道のない、ヘタレスパイラル。
 そんな僕を責め苛むように、太陽はぎらぎらと輝いて熱を降らせてくる。
 何処までも続いているような真っ青な空は雄大で、ちっぽけな僕を見下しているようだった。
 遠くから近くから聞こえる蝉時雨が、僕を取り囲んでいた。うるさいな。静かにしろよ。もう九月だぞ。
 何もかもが腹立たしく思える。
 全部八つ当たりだって分かってるのに、意識にも口にも、蓋が出来ない。
 僕の自尊心を糧にして成長した真っ黒な自己嫌悪は、心に収めておくには大きくなりすぎていた。
「くそ、くそ……っ」
 その欠片が、口汚く漏れ落ちる。
 それだけでは足りずに、涙となって目から流れ、鼻水となって鼻から垂れそうになる。
 これ以上惨めになりたくなかったから、なんとか抑えようと鼻を啜って目元を覆う。
 暗くなった視界に、相変わらず聞こえてくるのは蝉の声。
 このまま耳も塞いでしまおうとした、その直前に。

「腹痛か? さっきから随分と悶えているようだが」

 ――声が、飛んできた。
 まるで風鈴の音のように透き通った、大人びた女の声。
 その突然さに、心臓は敏感に反応して飛び出しそうになる。
 視界を塞いでいた手をどけるついでに目じりを拭い、上体を起こしあたりを見回す。
 慌ててキョロキョロする僕が見つけたのは、植林された木が作り出す木陰から出て、こちらへと歩み寄ってくる女生徒の姿だった。
 細い眉に切れ長の目、細い鼻梁と、薄めの唇。それらが絶妙のバランスで、色白の小顔の上に乗っている。
 女生徒にしては長身である彼女が、その長い足で一歩一歩を踏むたびに、漆黒の絹糸のような髪が揺れる。
 腰まで届くほどに伸ばした髪が、強い日差しを反射して、艶のある輝きを放っていた。
 同年代の女子とは思えない。学生服を着ていなければ、大学生か社会人に見える。
 可愛いというよりも、綺麗という表現が的確だろう。
 その大人びた美しさに見とれてしまっていることに気付いたのは、彼女が僕のすぐ側までやってきて足を止めたときだった。
 慌てて、僕は彼女から目をそらし地面を見る。
 好きな子がいるのに、他の女の子に見とれる自分が、嫌になる。
「大丈夫か? 私に医術の心得があれば診てやりたいが、残念ながら無知なんだ。
 保健室へ行くなら付き添うぞ? 腹痛ならトイレに行くという選択肢もあるな。
 階段を下りてすぐのところが一番近いが、そこまで行けそうか?」
 矢継ぎ早に問うてくる。女の子らしくない妙な口調が、やけに似合っていた。
「別に、体調不良じゃないんで、お気遣いなく……」
 素っ気なく返す。タメ口にならなかったのは、大人っぽい見た目のせいだろう。
 僕は再び、その場に寝転がる。そのときにちらりと見えた彼女の顔には、心配の色が浮かんでいた。
「本当に、大丈夫か?」
「大丈夫ですってば」
 返答は短く、簡潔に。告げた声には苛立ちが籠もってしまったが、謝罪する気にはなれなかった。
 目を閉ざし、寝返りを打って彼女に後頭部を向ける。耳に触れる地面の感触が、不愉快だった。
「……それならいいんだが、こんな直射日光が当たるところで寝転がっていると体を壊すぞ?
 日光浴をするにはまだ暑すぎる」
 話しかけてくる女生徒に、僕は答えない。ただ、いいから放っておいて欲しいと、背中で訴える。
 だけど、その願いは伝わらなかったらしい。
 汗まみれになった僕の背に、手が触れる感触が伝わってきた。
「ほら、汗だってこんなにかいてるじゃないか。一緒に木陰へ行こう?」
 ああもう、うるさいな。空気読めよ。誰にも会いたくないから屋上に来たのに、なんで人がいるんだ。
 僕は、黙りこくって無視を決め込むことにした。
 そのうち根負けして、木陰に戻るなり屋上から出て行くなりするだろう。
 そんなことを考えていると、背中から手の感触が離れていき、遠ざかっていく足音が聞こえてきた。
 思ったより早く立ち去ってくれたみたいだ。奇妙な安堵感は、でも、長くは続かなかった。
 また、足音は近づいてきたからだ。
 すぐ近くまで来て、音は止まる。背中の向こうに感じる、人の気配。
 そっと振り返ってみて、耐え切れずに溜息を吐いてしまった。
 僕の隣で、女生徒は腰を下ろしていたからだ。ご丁寧に、鞄まで持ってきて。
 訳が分からない。いい加減にして欲しい。
「何か用ですか」
「いや、別に」
「じゃあ何ですか」
「もう夏も終わりだろう? もうすぐこの日差しも浴びれなくなる。
 そうなる前に、浴びておくのも悪くはないと思って。でも、日焼け止めだけは塗っておかないとな」
 女生徒は鞄から日焼け止めのクリームを取り出すと、細い腕に塗り始める。完璧に居座るつもりらしい。
「そんなの、また来年になったら嫌ってほど浴びれるじゃないですか」

「うん、夏はまたやって来るね。でも、ここで浴びる日差しは今年で最後だ。私にとっては、ね」

 蝉の鳴き声に包まれて聞こえた彼女の声は、なんだかとても哀愁を帯びているようだった。
 僕は、思わず彼女の顔を見た。
 眉尻を下げて笑む彼女の顔が、儚く憂いに満ちているようだった。
 それでいて。
 抗えない終焉を前にしたかのような表情は、とんでもなく綺麗だった。
 僕に絵心があったなら、すぐにでも絵筆を握っていただろう。
 胸が、締め付けられた。沢口のことを思うときとは違った切なさが、胸の奥で痛みを訴える。

「この広い屋上を独占するために授業をサボったんだが――」
 そこで言葉を切ると、僕へと微笑みかけてきた。
 たおやかな笑みはひたすらに無邪気で、優しくて、穏やかで。
 目が、離せなくなる。
 乾燥しひび割れたた心に、温かい湯が沁み入るように。
 彼女の笑顔が、僕の苛立ちを胸に温もりを与えてくる。

「こうして、誰かと共有するのも堪らなく素晴らしいね。
 一人だと、どうしてもよくない考えをしてしまうものだから、な」

 綺麗さに目を奪われていたせいで、今まで気付かなかった。
 彼女の瞼が腫れぽったくなっていて、両目が微かに充血していたことに。
 その事実は、彼女への忌避感を、瞬時に反転させた。
 きっと彼女は、僕と同じだったんだ。
 何か辛いことが、苦しいことがあって、耐えられなくて。
 誰もいない屋上に僕よりも早く来ていて、誰にも見られないよう、一人泣いていたんだ。 
 僕が邪魔されたんじゃない。
 僕が、邪魔していたんだ。
 一人になるための彼女の空間に、土足で踏み込んでいたんだ。
 そんな傍迷惑な邪魔者である僕を、彼女は気遣ってくれた。
 それなのに僕はどうだ?
 歩み寄ってくれた彼女を迷惑に思い、無視しようとし、邪険に扱おうとした。
 八つ当たりだって分かっていたのに、そうせずにはいられなかった。 

 ――ああ、やっぱり最低だ。こんな男、フラれて当然だよな。

 僕は、跳ね上がるようにして起き上がって彼女の瞳を真正面から見つめる。 
 黒真珠のような瞳を見つめるのは気恥ずかしかったけど、決して目を背けないようにする。
 そんなことをしたら、本当にヘタレスパイラルから抜け出せなくなる気がした。
「あの、すみませんでした。その、僕……」
 その優しい表情から、怒っていないことくらい分かる。
 それでも僕は、自分が情けなすぎて、謝らずにはいられなかった。
 僕の内心を知ってか知らずか、彼女は、必死で謝る僕の言葉を黙って聞いてくれていた。
 想いを声にし、外に出す。
 それに合わせて、胸に詰まったしこりや心を縛っていた鎖が消えていく。
 心が軽くなり、靄が少しずつ晴れていく。
 ようやく、気付いた。僕はどうやら、自分の心すら見えなくなっていたらしい。
 みっともないところを見せたくないから、誰にも会いたくないと思いながら、本当は。
 誰かと、話をしたかったんだ。
 さすがに、初対面の相手に失恋の愚痴を告げることはできなかったけれど、話をすることで、楽になっていく。
 彼女には悪いけど、今更ながら、ここに来てよかったと、思った。


 ◆ 


「そういえば、自己紹介がまだだったな」
 謝罪を終えた僕を笑って許してくれると、彼女がそう口にした。
 軽く咳払いをすると、改まって僕に向き直る。
「三年の、宮野明菜。射手座のA型で、元弓道部員だ。もう止めた身だが、時々顔を出させてもらっている。
 趣味はゲーム。テレビゲームに限らず、カードゲームやボードゲームも好きだぞ」 
 どうやら彼女――宮野先輩はゲーマーらしい。
 予想だにしなかった趣味に驚きつつも、僕は、弓を射る先輩の姿を想像する。
 長い黒髪を束ね袴を纏い、鋭い眼差しで的を狙う。
 張り詰めた弓以上に引き締まった表情から感じられる、深く強固な集中力。
 あまりにもハマり過ぎていた。カッコイイ。
 危うく妄想に浸りそうになるが、先輩に自己紹介をさせて僕がしないわけにはいかない。
「二年の米倉啓祐です。帰宅部で、『マクガフィン』って喫茶店でバイトしてます。
 趣味、って程じゃないかもしれないんですけど、結構料理とかしますね」
 無難に纏めた自己紹介を終える。すると、宮野先輩は目を輝かせて僕の顔を覗き込んできた。 
「料理が出来る男の子とは素敵だ! バイト先でも調理したりするのか?」
「いえ、ウェイター業務なんで、注文取ったり料理運んだりレジ打ったりですね」
「おや、そうか。ならば米倉くんの料理を頂くには、直接お願いしなければならないというわけだね?」
 期待の色が、宮野先輩の顔に広がる。クールな人かと思っていたが、意外と感情が表に出るタイプのようだ。
「ええ、まあ。僕に出来るものなら、何かご馳走しましょうか? あまり期待されると困りますけど」
「いいのか? だったら是非お願いしたい!」
 僕の申し出に、先輩は大きく頷いて即答する。すごく大人っぽい見た目をしているのに、その仕草はやけに子供っぽい。
 そのギャップが、可愛さを強く演出してくる。
「何かリクエストとか、あります?」
 速くなりそうな鼓動を抑えるようにして、そう尋ねるのが精一杯だった。
「米倉くんの得意料理を食べたいな。嫌いなものは特にないから、大丈夫だぞ」
「分かりました。じゃあ、明日にでも作ってきますよ。昼休みに、屋上に持ってくればいいですか?」
 さっきのお詫びとお礼も兼ねるつもりだし、早いほうがいいだろう。
「うん、構わないよ。ふふ、明日のお昼が楽しみだ」
 心底楽しみにするように、先輩の表情が満面の笑みになる。そこまで楽しみにされると、嬉しい反面恥ずかしい。
「ところで、宮野先輩」
 だから話を摩り替えることにしたが、すぐに話題が思いつかない。
「……射手座だから、弓道やってたんですか?」
 咄嗟に口にしてしまったのは、しょうもない質問だった。
「いや、違うよ」
 そんな質問にも、先輩は笑って応じてくれる。
「あるゲームに、弓を使うキャラがいてな。そのキャラに憧れたのがきっかけだ」
 楽しそうな先輩の答えも、なかなかにしょうもなくて、僕は笑ってしまった。
 残暑の下で、穏やかな雑談が交わされる。
 日差しは変わらず強くてクソ暑いし、蝉は相変わらずうるさい。
 それでも、笑うことができた。 
 まだ、沢口と顔を合わせるのは辛いけど、何を話せばいいのか分からないけど。
 チャイムが鳴ったら教室へ行こうと、思う。






315 : ◆HdhN8f97gI :2008/09/09(火) 20:34:54 ID:zyCKtWkT
 以上、投下終了です。
 キャラ紹介も書いてみました。よろしければ使ってやってください。

米倉啓祐(よねくら けいすけ)
  • 高校二年、帰宅部。
  • 真面目で人がいい。繊細で女々しい。結構ヘタレ。
  • 趣味は料理で、喫茶店『マクガフィン』でウェイターのバイトをしている。
  • 線は細く、身長は男子生徒の平均くらい。

宮野明菜(みやの あきな)
  • 高校三年、元弓道部員。射手座のA型。
  • クールに見えるが、感情が表に出る。割と子供っぽかったりする。寂しがり。
  • 趣味はゲーム。テレビゲームで徹夜もしばしば。
  • 黒髪長髪。女子にしては高身長。大人っぽい外見。

 駄文のくせに長文ですみませんorz

 >>113で出てきた夏祭りと、>>236喫茶店を登場させてみました。
 今後も投下していけたらいいなぁ…


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最終更新:2008年09月13日 23:52