
第4話「ひらかれたとびら」
裕太は床で仰向けに倒れていた。
浩一郎は矢が飛んできた方向へ背中を向け、裕太を守るようにしてしゃがんだ。
「裕太!裕太!」
ジュリやカイトも駆け寄る。カイトは急いで棚から塗り薬や絆創膏と固定テープを持ってくる。医薬品が棚から散乱している。めぐると春生、灯織も走り寄った。もはや矢に体を貫かれるかもしれない恐怖など消し飛んでいた。
「裕太!」
「抜くな!」
裕太は浩一郎とジュリの呼びかけに答えはせず、目だけをパチクリさせていた。
口から出血は見られない。カイトは裕太が内臓を損傷している可能性が低いことを瞬時に察した。
「傷口を確認しろ!固定する」
カイトの指示を無視して、固定テープを引っ張る音で裕太は目を覚ました。胸に突き刺さっている矢を握った。
「はっ!おいっ・・・・びっくりしたー・・・・」
「裕太!」
「あ・・・・動くな、そのまま・・・・」
裕太は上体を起こした。カイトは裕太に動かないよう指示をする。
「頭打った」
裕太はそう言って側頭部を摩る。大きな肉体的ダメージを負っている素振りが全くない様子に、めぐるとジュリは違った意味で気が動転していた。
「えっ?」
「大丈夫?」
「見せろ」
矢は胸の前に回していたメッセンジャーバッグに刺さっていた。カイトがバッグのファスナーを下すと、中から防水ケースに入ったゲーム機が出てくる。矢は頑丈なゲーム機に遮られ、裕太の肉体へ届かずにいたのだ。
「わあ、すごいや!」
裕太はゲーム機を持参していることを浩一郎やジュリ、めぐるには内緒にしていた。生きるか死ぬかの混乱の中で、ゲーム機を持って逃げたなんてことが知られたら叱られるに決まっていると思ったからだ。
結果的にゲーム機が裕太の命を救うことになり、浩一郎やジュリ、めぐるが裕太を叱る理由はなくなった。
カイトは矢を抜いた。矢でゲーム機の画面は無残に割れていた。
「もう!」
ジュリは裕太が無事に生きていたことで抱きついた。
「ホントに何ともないの?」
「頭痛いだけです」
浩一郎は裕太の後頭部に触れた。少しだけコブができていたが、出血はない。
「ゴホンゴホン!」
「うん?」
店の奥から咳と足音が近づいてきた。店の奥へと続く1階のドアが開き、国男が重い足取りでやってくる。彼は老人にしては大柄だった。ポロシャツにズボン、右手には弓矢を持ち、背負った矢筒には矢が12本ほど入っていた。
ジュリは警戒心を緩めた途端、湧き上がった怒りを抑えることができなくなった。
「あんた!子供狙うとかありえない!」
ジュリは国男を睨んだ。国男は目を逸らす。小さい声で何か言ったようだったが、誰も聞き取ることはできなかった。
「死んでるところですよ!」
「ふざけるな!」
浩一郎やめぐるも参戦し、2人は国男を責め立てた。
ジュリやカイトたちは警戒心を強めた。国男は立ち止まると、ゆっくりと頭を下げる。
「すまない・・・・当てるつもりはなかったんだ」
「謝って済むと思ってるんですか!」
「あ・・・・」
めぐるは謝ったばかりの国男を責め立て、裕太はキョロキョロと様子を見渡す。ロボット犬から発せられていた時に比べると、国男の声から殺気は薄まっていた。
「・・・・大丈夫でしたしもういいよ」
「良くない!」
めぐるは裕太に良くなかった事を一言言う。裕太が立ち上がり、お尻を手で払った。
男女2人から責められ,黙りこくっている老人を見るのは、確かに耐えがたいものがあった。浩一郎とジュリ、めぐるも少し冷静になったらしく、それ以上口撃することはなかった。
「・・・・・・・・」
「1人か?武装しないといけないほど、治安が悪いんだな」
カイトの問いかけに国男は答えない。
「あーやだー・・・・!つかなくなっちゃった・・・・」
裕太はゲーム機の電源を入れようとするが、入らない。矢を受けたダメージで完全に故障してしまったようである。
「こんなとこ、早く出よう。裕太!」
「え・・・・?」
ジュリはここを出て行くよう裕太に指示をする。国男は裕太のゲーム機をつかみ取ると、店の奥へと歩き出した。浩一郎とジュリが後に続こうとした時、国男が声をかけた。
「・・・・外は荒れそうだ・・・・ここで良ければ凌いでいけ」
めぐるは威勢良く出ていきかけた手前、すんなりと留まるのが悔しかった。だが、国男から殺意が消えた今、残ることが最善策なことくらいは分かっていた。
国男の予想通り、夜は結構強い暴風雨となった。
国男は店の一角にある事務所の役割を担っているスペースで、職員室にあるようなグレーのディスクに向かっていた。
「へえぇー」
裕太はクレヨンで描いた絵を見つめた。周囲の壁には幼い子供がクレヨンで描いたロボットや国男の絵が飾ってあった。絵の下には「りお」と作者名が書かれている。
国男は先端が極細のマイナスドライバーでゲーム機をいじっていた。
「本当に修理できるの?」
裕太は国男の手元を覗き込んだ。
「人が作ったものならな」
「ふーん」
国男はくわえタバコのまま器用に喋った。断線しているケーブルを新品のケーブルに取り替えると、ハンダゴテで溶接を始める。
裕太はゲーム機の復活を願ってフィンガーズ・クロスをした。
「エンガチョすんな!」
「うっ・・・・」
国男は裕太のポーズの意味を勘違いし、右手で拳を上にあげて叱った。
「わあっ!何ですか、エンガチョって?」
誤解で𠮟られて、裕太からしたらたまったもんじゃない。
「汚ねえもんと縁切る時にやるやつだ」
「海外では、Good luckって幸運の意味ですよ!」
「日本を知りもせず、海外にかぶれやがって・・・・バカ野郎が・・・・」
国男が落ち込んで嘆き、裕太も落ち込んでシュンとなった。
国男は外国人や海外を嫌っていた。特に理由があるわけではない。田舎の年寄りにはありがちで、おそらく戦争に負けたことを未だに根に持っているのだろう。
「こいつ好きなのか?」
国男の声のトーンが数段優しくなった。
裕太は戸惑ったが、喜怒哀楽が激しいのが国男という人物なのだと10歳なりに理解した。
「・・・・eスポーツでオリンピックに出るのが夢なんです」
「・・・・そうか」
「知ってるの?」
「知っとるわ」
裕太は絵の作者のりおちゃんが孫なんだと自分の中で一致させた。
キュィィィィ・・・・と音をさせてロボット犬の鳴き声が響き、裕太の足元にロボット犬が寄って来る。
「ロボットは、あの子がプログラミングしたの?」
裕太は国男にロボット犬は孫がプログラミングしたのか質問する。
「禁煙!禁煙!」
賢いロボット犬は国男に向かってそう訴えていた。
「そうだ、脅し文句以外はな」
国男はこの店を略奪目当ての人たちから守るため、孫がプログラミングしたロボット犬に追加で声を吹き込み、仲間がいるように見せたのだ。
「可愛いね」
「番犬にはならんがな」
「禁煙!」
「うるせえ!」
「あはははは・・・・」
国男は怒鳴ったが、その顔は笑っていた。そんな国男を見て裕太も笑った。いつの間にか2人はお互いを誰かに置き換えているかのように、その仲を深めていた。
カイトはビールを飲みながら、そんな2人を眺めている。
「奇妙なじいさんだ」
カイトは奇妙なおじさんだと思っていた。春生はレンズがひび割れた古い眼鏡から新しい眼鏡に変えているところだった。
めぐると春生は床にシートや古新聞を敷き、ディナーの準備を進めていた。2人とも真新しい服に着替えている。裕太を射ってしまったお詫びにと、国男が無料で提供してくれた。
めぐるはついつい春生のシューズに目がいってしまう。その視線を感じ、春生は照れ臭くて俯いた。
浩一郎たちが複数の食材を前にしたのはいつ以来だろう。飢えのおかげでいつもの何倍も敏感になった嗅覚を、それぞれが醸し出す料理の香りがビンビン刺激した。
床一面に並んだ魚肉ソーセージ、味付け海苔、梅干し、サバの缶詰、ナスの一夜漬け、スライストマト、納豆、味噌汁、白米・・・・。全て国男が備蓄していたものだ。
「直った!イエーイ!はははは・・・・」
「座って」
裕太はゲーム機が直ったことを喜んだ。ジュリは裕太に席へ座るよう指示する。
「ありがとうございます」
「いただきます」
ジュリは裕太のゲーム機を直した国男にお礼を言った。めぐるは先にご馳走をしようとしている。
浩一郎、ジュリ、めぐる、春生、灯織がそれらを囲み、狂ったように胃に放り込んだ。裕太だけは食事よりも修理が完了したゲーム機に夢中だ。命の恩人と仲良くしていても怒られないだろう、そう踏んだらしく堂々とゲームをプレイしていた。
「お食事中はゲーム切りなさい」
「はーい」
さすがにジュリが注意をしたが、普段と比べたら100分の1程度の迫力だった。
国男は食欲がないらしく、デスクで地図らしきものを読んでいた。
めぐるは足元の新聞の記事に小野寺を見つけた。小野寺の写真と共に「地質学者 お騒がせ騒動」の見出しがある。小野寺と田所博士を批判する内容らしいことが分かった。
「この人が小野寺さん?」
「そうね、潜水艇の・・・・」
「日本以外が全部沈没するって言ってた人?」
「裕太、お肉ばっかりじゃなくて、野菜も食べなさい」
ジュリは裕太に肉ばっかり食べないで野菜を食べるよう指示する。裕太が箸で発酵の野菜を掴んで食べた。
「これ、腐ってんじゃないの?」
「発酵って言うんだよ」
裕太は発酵の野菜が気持ち悪くてすぐに飲み込み、彼は発酵の野菜が腐った野菜だと勘違いし、国男が発酵の野菜だと答えた。
ドドン!
「あ・・・・」
強い雨風がシャッターにぶつかる音がした。
「これじゃ野宿は無理だったわね」
「雨でも浴びたい・・・・」
ジュリは強い雨風だと野宿は出来ないと思い込み、裕太は雨でも浴びたいと思っている。服は着替えたが、体自体は汚れたままだった。電気は辛うじて止まっていないが、水道は随分と前に止まってしまっているそうである。
「ホント!」
「やめとけ」
「えっ?」
カイトがスマートフォンをいじりながら割り込んで来た。
「お前らに会う前、原発が煙を上げているのを見た・・・・雨は危険だ」
「あっ・・・・」
カイトはスマホの画面を見せた。放射能を測定するアプリが開いており、「6・41マイクロシーベルト/時間」と表示されていた。ちなみにチェルノブイリ原発事故による避難指示解除以前の目安は「5・24マイクロシーベルト/時間」である。
青森の田舎町を朝陽が照らす。
道に散乱した大量の落ち葉と水溜りが、嵐の余韻を残していた。
国男が店の裏山の一角で寂しげに佇んでいた。傍らに裕太がいる。ぬかるんだ地面で靴は泥だらけだ。
2人の前には国男のご先祖様たちのお墓があった。彼は先祖代々この地で生まれ、この地で育ったのだ。だが、度重なる大地震による土砂崩れと地盤沈下により、ご先祖様の墓石は倒れ、崩壊していた。
「・・・・この土地も、これまでか・・・・」
国男はこの土地がここまでだと思い込んだ途端に「ゴホン!ゴホン!」と咳き込み、膝から崩れ落ちた。裕太は自分なりに国男の気持ちを分かろうとした。たった17年しか住んでいない札幌の家がなくなっただけでとても悲しかった。国男の悲しみはそんなものじゃないはずだ。
「どうしたの?」
裕太が国男の体に手を添えようとした時、国男が突然泣き出した。
「だ・・・・大丈夫?」
「いいんだ・・・・ありがとう・・・・」
国男は目から涙を出して、裕太にお礼を言った。泣いたり笑ったり怒ったりと、国男の情緒は不安定だった。
「ここは日本で・・・・お前は日本人だ・・・・」
「あっ・・・・あ・・・・」
裕太はそこまで落ち込んで言葉を止めた。国男がまた「ゴホン!ゴホン!」と咳き込み始めた。
そんな2人の様子を離れた木陰からカイトが見ている。裕太の身を案じて監視していたのだ。カイトなりに裕太が死にかけたことに責任を感じていた。
店内の床に毛布を敷き、浩一郎、ジュリ、めぐる、春生、灯織が眠っていた。春生と灯織は寝る時に必ずしていたヘッドホンをしていなかった。
「うわっ・・・・」
「何?」
どこからかクラシック音楽が大音量で流れてきた。5人は音の大きさで目覚めた。
カイトがスマートフォンを握ってすまし顔で立っている。音楽はスマートフォンから流れていた。
「お目覚めの時間だ」
カイトはお目覚めの時間であることを浩一郎たち5人に伝えた。
「昨日は5度だったが、今朝は7度だ」
「え?そんなに寒いんだ」
めぐるとジュリは、カイトの話が気温の話であると勘違いしていた。
「ん?でもそこまで寒くないけどね」
カイトは「気温の話じゃない」と言って否定した。カイトはゴルフボールを床に置いた。ボールはコロコロと転がり、速度を上げてジュリに拾われる。
「あ・・・・」
「この建物だけじゃない。おそらく日本列島ごと、日本海側に傾いてる」
「世界が沈んでるってこと?」
カイトは日本列島ごと日本海側に傾いてる事をめぐるたち5人に伝え、ジュリは世界が沈んでいる事を実感した。明らかに昨日より地面が傾いていた。
「いや、ないよ・・・・ないって」
「移動するぞ、時間は待ってくれない」
めぐるは世界が沈むはずはないと思っており、カイトは待っている時間がなく、移動する準備を始める。
「裕太は?」
「いないの?」
浩一郎とめぐるは、裕太がいないことに気づいた。浩一郎たちが慌てて出発準備をしていると、国男と裕太が帰って来た。
「何だお前ら、早起きだな」
「何?みんなどうしたの?」
「世話になった」
「ありがとう。裕太、もう行くよ」
「え?」
ジュリとカイトは国男に別れを告げた。裕太はどうしても国男と一緒に行こうとしていた。
「一緒に行こうよ」
「・・・・・・・・」
「あ・・・・えー?」
裕太は国男の手を引っ張った。国男は何も答えない。
「そうだあれ、隣んちの車、動くの?」
「ああ、俺のだ」
「車があるって!」
裕太が国男に車の事を話していたその時、ゴゴゴゴォーッと音がし、壁や床が震え、天井の照明が揺れた。最初の巨大地震の後に襲った大きな余震以来の激しい揺れだった。
「来た!」
浩一郎たちに、国男と旅を共にするか迷っている時間はなかった。
「車まで走れ!」
「はっ!」
「俺の車で、連れてってやる・・・・!」
国男が叫んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・」
浩一郎たちは可能な限りの荷物を持ち、店を飛び出して駐車場へと走る。
84年式のフォードトラックの運転席に浩一郎が、助手席には裕太と国男が乗り込んだ。残りが荷台に乗り込んだのを確認して、浩一郎はエンジンをかけてアクセルを踏む。
「どこ行けば?」
「いい所を知ってる。シャンシティだ。現存してる保証はないがな」
浩一郎はそこが何なのかさっぱり分からなかったが、カイトは知っているらしく「ふっ」と笑った。
春生と裕太は名称だけはネットで見て知っているようであった。
ガレージから飛び出したトラックは、坂道を駆け上がる。春生は帽子が飛ばされそうになり、慌てて手で押さえた。
国男はサイドミラー越しに、小さくなっていく店を見せていた。ズシャシャーッと地滑りが起き、店が谷底へと消えていく。もう少し出発が遅れていたら、ここにいる全員が同じ結末を辿っていただろう。
国男はミラーから視線を外し、サンバイザーに挟んであった1枚の古びた写真に目をやった。それは国男とばあさんのツーショットだった。2人は開店したばかりの店の前で並んで笑っていた。
国男は元々自動車整備工だったが、43年前に妻と2人でスーパーを開店させた。コンビニの無い田舎町ではそれなりに繁盛した。自宅で収穫した野菜を売ったりもした。ばあさんが作ったコロッケが評判になってテレビの取材を受けたこともある。1番の思い出は、40周年を記念して、娘や孫たちが祝賀会を開いてくれたことだ。
長期休暇を取って妻と車で日本縦断する夢を描いていたが、それを叶えることなく、妻は去年の秋頃に2019新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎で他界した。独り身となった国男を心配して、夏休みには娘が孫を連れて遊びに来てくれた。裏山で虫捕りをした事が昨日のことのように思い出される。
国男は目頭を押さえ、グッと込み上げるものを堪えた。
トラックは南へ向けて走り続けていた。途中、剥き出しになった断層をいくつも目撃する。
「何・・・・あれ?」
「Fault Lint・・・・断層だ」
めぐるは日本列島に走る断層の多さに今更ながら驚いた。東北地方の山々が小規模な噴火を繰り返しており、至る所から噴煙が上がっている。
国男はダッシュボードから取り出した地図を見ながら、浩一郎に道案内をしていた。
時折、激しく咳き込むにもかかわらず、タバコをやめようとはしない。ロボット犬が「禁煙!禁煙!」と連呼し、浩一郎も「車だし、吸いすぎですよ。子供もいるのに」とお小言を言ったが、国男は「うるせえ!」の一点張りであった。
国男が目指している「シャンシティ」とはいったいどういう場所なのか・・・・?浩一郎が聞いても国男は「行けば分かる」としか言わなかった。めぐるから尋ねられたカイトは「コミュニティだ」とその一言で説明を終えた。
「はっ・・・・クソ!おい、地図と違えぞ。右へ行く道がなくなってやがる」
地形が地図と大きく違っていた。カイトはスマートフォンで地図アプリを開いたが、現在地を示すカイトのロゴは、川の中で点滅していた。
「地形が変わった?使い物にならない」
カイトもお手上げだった。カイトがスマホで地図アプリを見ていたその時、ドボーン!という火山が噴火する音が聞こえた。カイトが振り向くと、山から黒い煙がモクモクと上がっているのを目撃する。
「チッ、地図のくせに役立たずが!」
国男は地図を窓から放り投げた。国男がタバコの煙と一緒に吐き出すイライラで、車内には重い空気が充満していく。浩一郎は国男と行動を共にすることに葛藤していた。だが、裕太の懐いている姿を思うと、その心のザワザワも一時だけおさまった。
国男の勘を頼りに車を走らせて4時間くらいが経過していた。道中、裕太が車酔いで嘔吐する程度のトラブルがあったものの、大きな事故はなく進んでいた。
「はぁ・・・・うう・・・・ああー・・・・」
夕方、国男は車内で気分を落ち着かせるために酒を飲んでいた。
「今夜はここで野宿ね」
ジュリはここで焚火をして野宿をすることに決めた。カイトはスマホでテレビのニュースを見ていた。
「速報です。日本は、オセアニア大震災の対策を発表。隣接した・・・・」
「現在、世界各国の被災者は、確認できない方を含め、71億人以上に上ると思われ・・・・」
「非常に最悪の事態を考えて、日本へ避難するための船舶を、出来うる限り用意しました」
カイトはスマホでテレビチャンネルを変えながらニュースを見ており、最後はアメリカのジョーイ・バイデン大統領が日本へ避難するための記者会見の日本語吹き替えの放送に変えた。
「面白いニュースだ」
カイトはアメリカのバイデン大統領が日本へ避難するための記者会見の放送が、面白いニュースだと言った。カイトはバイデン大統領による記者会見の放送をめぐるたちに見せた。
「現在、出航可能な港は、バージニア、メイン、コネチカット、サウスカロライナ、ノースカロライナ、ジョージア、フロリダ・・・・それぞれ7つの港から出港いたします」
バイデン大統領は出航可能なアメリカの港を7つ紹介していた。
「満員になった船舶から、順次出航となりますが、乗船は混乱を避けるため、ビザによる抽選とさせていただきます」
「アメリカはなぜいきなりD計画なの?ABCがあったの?」
めぐるはアメリカにD計画が発動している事に気づいていた。D計画はアメリカだけではない、日本以外の他の国にもD計画が発動している。
「日本以外そんなに危ないの?」
「念のためよ」
「外国人が脱出したら、日本はどうなるんですか・・・・?」
裕太は日本国外がそんなに危ないのか疑惑に思っており、外国人が脱出したら日本はどうなってしまうのか、カイトに質問する。
「まだ分からん」
「年取った大統領ね」
「頼りなさそう」
「独身かしら?」
「えっ・・・・」
カイトは今のところ、日本がどうなってしまうのかはまだ分からないと答え、ジュリはバイデン大統領を年取った大統領だと呟いた。めぐるはジュリと話し合う。
やがて夜になり、裕太は眠れないまま浩一郎のLEDライトを手にし、浩一郎たちが寝ている間で空に向けてパチパチと点けたり消したりしている。
「おやすみ・・・・みなさん・・・」
裕太はLEDライトを消して眠りについた。国男はトラックの中で寝ている。カイトは寝ている間に地鳴りで起きてしまった。
「大地のきしむ音」
カイトはその地鳴りが大地のきしむ音だと決めつけている。
翌朝、トラックはシャンシティへ行くところだった。道路が土砂で塞がれている。
「どうします?」
「別の道を探す」
浩一郎はトラックを止めて、どこへ行くか国男に相談する。国男は別の道を探すことを言い出し、浩一郎はトラックをバックし、Uターンして別の道を探しながら走ることにした。
「あっ!すいません!こんにちは!」
ヒッチハイカーの少女が段ボールで作ったボードを掲げながら、トラックに近づいて来る。浩一郎がブレーキをかけて停車した。国男が目を疑らす。
近くにつれ、その人物がめぐるや灯織と同じ学年の高校1年生の少女で、ミルクティー色の髪をしており、段ボールで作ったボードを掲げていることが確認できた。ボードには黒いマジックで「シャンシティへ行きたい!」と書かれていた。どうやらヒッチハイカーのようである。
「こんにちは!ご機嫌いかがですか!?」
その人物は大きな声で呼びかけてきた。
「ヒッチハイク・・・・」
「止まるな!車を奪われたら終わりだ」
国男の指示に従い、浩一郎は車を走らせようとしたが、その人物の屈託のない笑顔に不思議と引き寄せられ、荷台のカイトやめぐるもヒッチハイカーを目視し、状況を把握した。
「悪い人には見えないな」
「外人なんか信用できるか」
「これ外車だろ?」
「車と酒とタバコだけは別だ」
浩一郎と国男がそんな言い合いをしている中、その人物は笑顔で駆けてきた。
「どうもどうも、櫻木真乃です。みんな調子はどう?」
こうして旅にまた1人新たな仲間が加わった。
櫻木真乃を浩一郎と国男の間に乗せ、トラックは再び走り出した。
浩一郎は真乃と楽しそうに会話しているが、国男は外国人の事で頭がいっぱいで益々不機嫌になり、黙ってタバコを吸うばかりだった。
「なるほどなるほど、みんなは、札幌から来たんだ」
「真乃は?」
「中国の四川省から」
真乃は関東地区を転々としている時に中国人旅行者と出会い、中国文化にハマったらしかった。休みを利用して中国へ旅行に来て、今回の大地震に遭遇した。行くあてに迷う中、噂でシャンシティの存在を知った。チャリでシャンシティを目指したものの途中で自転車が壊れてしまい、ヒッチハイクをしていたというわけだ。
「地震は大丈夫だった?」
「大丈夫じゃないけど、おかげさまで、私は大丈夫でしたよ」
真乃は「おかげさま」という日本語を気に入っているらしく、頻繁に使用した。
「生まれは中国」
「私は日本の東京都」
「そっか、俺はね・・・・」
「待って、当てる、えっとね・・・・分かんない」
「北海道の札幌」
「いいね」
真乃は常に笑顔だった。浩一郎は、こんな状況でもずっと笑っていられる彼女が羨ましくもあり、尊敬もできた。陽気な彼女の登場で、車内の空気は一変した。
「お前も外人か?」
「真乃と俺は日本人で、妻は外人だよ」
「ふざけやがって・・・・」
国男は浩一郎と真乃が外国人であるかどうか質問し、浩一郎は彼と真乃が日本人で、ジュリが外国人だと答え、国男はジュリが外国人だった事をがっかりした。
「おじいさん、外国人嫌いですか。おっ、これ良い時計ね。日本のアンティークですね」
「あのおじいさん、外国人を嫌ってる」
「田舎の老人にはありがちだ」
めぐると真乃は、国男が外国人を嫌っている事を明らかにし、カイトは外国人嫌いの老人は、田舎の老人に多いと言い出した。
「おかげさまで、でもおじいさんとおじさんの違いは、難しいね」
「シャンシティってそんなにいい所?」
「とっても素敵な所ですよ」
真乃はシャンシティがとっても素敵な所だと言い出した。ヘッドライトがアスファルトを照らす。タイヤが石ころを巻き込み、音を立てる。
真乃を乗せてから1時間近く経っていたが、人も車も見かけていない。国男の咳は激しくなり、荷台組の尻や腰の痛みは限界に達していた。
巨大な断層が剥き出しになり、巨大な壁となって行手を阻んでいた。乗り越えることが難しそうなので、浩一郎は迂回路を探す。山道を彷徨い、何とか断層の向こう側へ行くことができた。
今夜は野宿になるかもしれない。そんな思いを誰もが抱いた時、トラックの前方左斜め上の空に何かが光った。それは、打ち上げ花火だった。
「あ・・・・」
花火は連続で打ち上がり、夜空に1つ、2つ、3つと大輪の花を咲かせた。まさかの光景に誰もが見惚れた。カイトはスマートフォンで写真を撮る。めぐるはカイトが花火に興味を示すことが意外だった。
「一体、誰が花火なんか・・・・」
「きっとシャンシティの人たちですよ、おかげさまですよ」
浩一郎は真乃の言葉を信じ、花火が上がった方角へ向けてハンドルを切った。
しばらく走ると前方に不可思議な景色が広がってきた。広大な土地をフェンスで囲っており、その一帯は煌々と明かりが灯っている。平地に無数の白いテントのようなものが立ち並んでおり、中央には土偶と太陽の塔を掛け合わせたような巨像が建っていた。
古代文明のようでもあり、新興宗教のようでもあった。その不可思議な空間を前にし、浩一郎の心には期待と不安が混在していた。
フェンスの一角に入口ゲートがある。浩一郎はその前でトラックを停止させた。
「カメラだ」
「降ろして」
ゲートの上部には防犯カメラがあり、浩一郎たちを監視していた。その扉の中からダニエルが現れた。
「どーもどーも、ダニエルだよー!よろしく!僕たちはあなたたちのこと、みんな待っていたよー!」
ダニエルはトラックに近づき、トラックに向かってパフォーマンスを始めた。ポケットから小さなボールを5つ取り出すと、実に器用にジャグリングをする。何を隠そう、ダニエルの本職は大道芸人だった。
「ダニエル聞きつけて・・・・びっくりして、飛んできたよー!」
「すごーい!」
ダニエルは続けて耳と目が大きくなる手品を披露した。浩一郎とジュリは同じようなことをコメディアンがテレビでやっているのを見たことがあった。ダニエルはひょうきんさを前面に出し、敵ではないことをアピールする。
浩一郎とジュリはそんなダニエルを見つめながら、明確な目的地がある彼が羨ましかった。
グィィーン・・・・しばらくすると、自動でゲートが開いた。真乃はダニエルを見て「おかげさまですよ」とにっこり笑った。
「やったー!」
「ありがとう!」
「よかった!」
「オーイエーイ!」
裕太と真乃、ジュリは自動でゲートが開いた事が良かったと思っている。ダニエルはトラックの前から立ち去ってシャンシティへ戻り、トラックはゲートを潜って道なりに前進した。両サイドには蝋燭やランプが無数に置かれている。鳥居のような門があり、「生誕15周年祭」の横断幕がかけられていた。浩一郎は駐車場らしき開けた場所でトラックを停車させた。
「真っ暗ですよ」
「何も見えない・・・・」
めぐると裕太は周りが暗くて何も見えないことに気づき、裕太はLEDライトを付けて周りを見渡す。
「ママ、あれ!」
「生誕15周年祭・・・・15歳って中学生?」
めぐると裕太は、彼がLEDライトで照らした「生誕15周年祭」の横断幕を発見する。カイトは地面にスマホを置いて、地面が傾いていないか確かめている。
「断層のこっち側は、傾いてないんだな」
カイトはスマホの電子音に気付き、ここの地面がまだ傾いていないことが明らかになる。ここは巨大な断層を超えた先にあるので、さほど地面は傾いてはいなかった。
「あっ!来た!こんばんはー!」
浩一郎たちがトラックを降りると、ダニエルを含む12名ほどの男女が出迎えてくれた。真乃は12名ほどの男女に向けてこんばんはのあいさつをした。男性は髭が整っており、女性は髪を切り、化粧をしている者もいる。浩一郎はここが10分に潤っていることを即座に感じ取った。
出迎えの人たちの中に、ポロシャツの裾をズボンにインした小太りの中年男性・橘和巳や、スーツ姿で丸坊主の30代前半の男性・浅田修の姿がある。この2人以外は全員が麦わら色の作務衣を着ていた。
「ようこそ、シャンシティへいらっしゃいました。みなさんを、歓迎します」
橘が3歩ほど歩み出て言った。中国のお面のような笑顔がちょっと不気味だったが、悪い人ではなさそうだ。
「お世話になります」
真乃は誰よりも深々とお辞儀をした。
「疲れを取ってあげなさい」
「はい」
橘が浅田に指示を出した。浩一郎たちは橘がリーダー的なポジションなのだと理解する。
「どうぞみなさん、遠慮なく」
「ありがとうございます!」
「さあ、こちらへ」
女性スタッフが遠慮しないでジュリに指示を出した。浅田は1列に並んで歩く。
「もうすぐ、夕飯の時間ですが、その前に、お風呂やお着替えをされますか?」
「わあっ」
「わあっ。いいんですか?」
めぐるはあまりに嬉しくて声が上ずってしまった。浩一郎や裕太と春生にも自然と笑みが溢れた。
だが、ジュリは違った。見知らぬ自分たち受け入れてくれ、風呂や食事まで用意してくれる優しさに対し、感謝はしつつも警戒心を忘れずに持っておくよう自らに言い聞かせた。
「無論です」
「イエーイ!」
裕太は浅田が無論だと聞いて喜んだ。白いテントのようなものは、モンゴルの遊牧民の家屋・ゲルだった。そのゲルの集落の側に木材とトタンで作った建物がある。見た目は質素だったが、中には温水シャワー室が幾つも完備されていた。
「気持ちいいー!信じられません!」
裕太は服のままシャワーを浴びた。ハンドルを限界まで回してお湯を放出する。あまりの勢いに少しばかりチクチクしたが、蓄積された汚れを剥ぎ取るように落としてくれた。
浩一郎とジュリはお湯を染み込ませたタオルで体を拭いていた。
春生は伸びた髭をT字カミソリで剃っていた。ついでにもみあげも少しだけ整えた。洗い流す時以外はその都度シャワーを止めるところは、裕太とは大違いだった。
「あわわわわ・・・・うぐっ・・・・ん・・・・あ?」
めぐるは服のままシャワーを浴びて片足立ちになり、足の指の間を洗っていた。
ゲルの集落の近くにバーベキュー場のようなスペースがあり、ここに滞在している多くの人たちで賑わっていた。一角に大きな寸胴鍋が5つあり、5種類のエスニック風カレーが煮込まれていた。傍らには大きなジャーが3つあり、炊き立ての白米、五穀米、ターメリックライスが入っている。
めぐるを先頭に浩一郎たちが行列に並んでいる。カイト以外は真新しい作務衣に着替えていた。巨漢の料理番・大谷三郎が次々とカレーを皿によそっていた。ライスとカレーの組み合わせは自由に選べるようだった。あのコンビニ店長とは大違いだとめぐるは思った。
皿にはラップが敷いてあった。おそらく洗い物を減らすためだろう。
「はぁ・・・・カレーの香り。最高すぎる」
「スリランカ風ね」
あたり一面に漂うカレーの香りで、めぐるもジュリもおかしくなりそうだった。裕太はジュリの横に並んでいる。
「新入り!嫌いなもの、あるか?」
「野菜は嫌い。ポテトが好き」
「じゃあ、こっちだ」
大谷は選り好みすることなく、五穀米の上に豪快にカレーをぶっかけた。ニンジン、タマネギ、ナス、ピーマン、アスパラガス・・・・。
「はい」
「これ、野菜いっぱい乗ってるよ」
「ふっ、腹減ってんだろ?想像つかない味で、嫌いなもの克服する、大チャンスだ!あはははは・・・・!」
大谷は図体同様に豪快に笑った。
「えーっ?」
「大チャンスだ。ふふ・・・・」
人は食料を提供する側に回るとどうもこうも変になるのだろう、裕太は大谷の笑顔を見てがっかりした。そんな裕太の横顔を見て、めぐるとジュリは思わず吹き出した。
浩一郎たちは一角に固まって座った。裕太以外はカレーにがっついている。いつも冷めているカイトも、無愛想な国男も、陽気なダニエルも、絶品カレーの前に誰もが無口になっていた。
「裕太、食わず嫌いはもったいないよ」
ジュリは裕太に食べ物を粗末にしないよう指示する。裕太はカレーをスプーンで一口食わせた。
「僕はパパのカレーの方が好き」
「野菜の入ってない欧風だからでしょ」
「また食べたいです・・・・」
「特に、次の日の朝に食べるカレーは、最高だったよね」
裕太は浩一郎の作ったカレーが好きだった。めぐるの言う通り、浩一郎の作ったカレーは、野菜の入っていない欧風のカレーだ。ジュリは次の日の朝に食べるカレーは最高だったと思っている。
「・・・・美味しい」
「えっ?」
春生が小さな声で囁いた。これまで何を食べても一言も発しなかった春生が、初めて感想を口にした。めぐるは春生が少しずつ引き籠る前の姿に戻っているようで嬉しくなった。
「・・・・母さんのカレーみたいだ」
めぐるのスプーンを持つ手が止まり、笑みがスッと消えた。春生が次に何を言うのか怖くて耳を塞ぎたくなった。
「・・・・母さんは・・・・目の前で・・・・潰れていった・・・・」
春生は亡き母親を想起していた。春生の目前で母親は家に押しつぶされていた。
母親の傍には鍋が転がっており、中身のカレーが散乱していた。いつも半端な時間帯にお腹が空く春生のために、昨晩の残りのカレーを温め直してくれていたのだ。
春生は母親と祖母との3人暮らしだったが、大地震で2人とも失い、天涯孤独となった。母親の死を間近で目撃したことが原因で急性ストレス障害を発症してしまい、大きな音を聴いてしまうと、母親の死に顔がフラッシュバックするようになっていた。春生は音楽を聴くことで、それを防いでいたのだ。
春生は耳を塞がず、目も閉じず、じっとカレーを見つめた。やがて涙がボロボロと溢れ出した。涙が流れるにつれ、母親の死に顔が薄れていった。
めぐると灯織はもらい泣きする。
灯織は父親と2人暮らしだったが、大地震による交通事故で失い、春生と同じく天涯孤独となった。春生とは違い、灯織は部活の帰りに教室で大地震に遭遇し、灯織のクラスメイトやコーチ共々机の下に隠れて避難していた。灯織が父親の死を目撃したのは、大地震の後にイルミネーションがある神社へ行く途中、道路で車にはねられたと思われる父親の遺体を見ていたとされる。春生と同様、大きな音を聴いてしまうと、父親の死に顔がフラッシュバックするようになっていた。灯織は音楽を聴くことで、それを防いでいたのだ。
「弁当、食べておけばよかった・・・・」
裕太は浩一郎のお弁当を食べなかったことを悔やんだ。
「また食べなかったの?」
「弁当はちゃんと食べてくれよ」
「ごめん、パパ・・・・」
めぐるは裕太にまた弁当を食べなかったことを言い、浩一郎は裕太にちゃんと弁当を食べるように言い伝え、裕太は浩一郎に謝った。
春生は頷くと、カレーを掻き込んだ。それは少しだけ塩辛いカレーだった。
「美味しいけど、知ってる味ね。何かしら?」
ジュリはカレーをスプーンで一口食わせると、どこかで知っている味を感じた。
「Chicken powder」
「はっ!」
「チキンパウダー?」
「とっても美味しいよ、癖になりそうですよ」
カイトはこの味がチキンパウダーが入ったカレーだと答えた。真乃はチキンパウダーが入ったカレーが美味しくて癖になると言い出し、皿を持ってカレーを掻き込んだ。
「ちなみにこれも」
カイトはカレーをスプーンでジュリに見せると、あっという間に一口食った。
「あれ?おじいちゃんは?」
「あ・・・・」
「そういえば・・・・」
裕太たちは国男がいないことに気づく。
「みなさん、どうですか?自慢のカレーは?」
そこに浅田とダニエルがやって来る。
「まだ寝るには早そうですし、腹ごなしに、施設を案内しましょうか?」
浅田は浩一郎たちに施設を案内するよう呼びかける。
一方、医療棟では寝たきりのおじさんがリモコンでベッドを動かしていた。寝たきりのおじさんが窓からめぐるたちを見つめている。
「好きなだけ留まっていいし、出て行っても良い・・・・うちは、通信販売もやっていて、この倉庫は、在庫の保管場所でした」
「物がたくさん」
「今は、ここで暮らすメンバーの物資保管場所として、利用しています」
施設を巡りながら、浅田がシャンシティについての簡単な解説をしている。
「長く滞在されても、働くことは強制しません。全ては個人の自由です」
「自家発電なのね」
「貯水槽と繋がっており、温水の使用を可能にしています」
「水はどこから?」
「下水処理を完備していて、飲料水は、今羽黒山から運んでいます」
浅田は腹ごなしにと、浩一郎たちは浅田の案内で施設を見学して回った。巨大な備蓄倉庫や太陽光パネルの並んだ自家発電所、下水処理場も完備していた。工房もあり、滞在している人たちが割れた皿や湯飲みを金継ぎしていた。
「うわあっ、これは金継ぎですね」
「金継ぎ?」
真乃は滞在している人たちが割れた皿や湯飲みを金継ぎしているのを見て驚く。
「割れたお皿なんかを修理することで、日本人は、それを、美しい芸術にするんだよ」
「へぇー・・・・」
「物を大切にする日本人の象徴だね。もったいない。これは日本にしかない、言葉だよ」
「ダニエル物知りね」
ダニエルが説明してくれた。ジュリはダニエルの知識の豊富さに感心した。めぐるは夕食の時に使ったお皿が金継ぎされていたことを思い出した。
約5年前、健康食品や化粧品の販売で大成功した企業の女社長が、社会的弱者を受け入れるための施設として、ここシャンシティを創設した。女社長の魅力に惹かれ、徐々にメンバーが増え、特に大地震後は急増したそうだ。敬意を込めて彼女の事をマザーと呼んでおり、スタッフは総勢23名。浅田は、自分はマザーの付き人だと笑って説明した。
「それではみなさん、そろそろ寝床へ」
浅田がゲルの集落へと案内してくれた。ジュリとめぐる、浩一郎と裕太、カイトと春生、灯織と真乃が同じゲルで同居することになった。国男はいつの間にか姿を消しており、裕太は気を揉んだが、カイトが「気にするな」と一蹴した。
「モンゴルのテントだ。すごい!」
裕太はこのゲルがモンゴルのテントだと言った。ゲルの中は、赤を基調としたシンプルな内装だった。中央に暖炉があり、薪がくべられ、火が焚かれていた。暖炉を囲むようにベッドが2つあり、ベッドには真新しい真っ白なシーツと布団がかかっていた。
「へぇー、ベッドがある!」
「素敵」
「ゲルは、地震に強いのです」
「ありがとう」
めぐるがゲルのドアを開けると、そこにベッドがあることに気が付いた。浅田の言う通り、ゲルは地震に強いから安心だ。
「ふふ・・・・すーごーい!」
めぐるはベッドにダイブした。布団をクンクンと嗅ぐ。
「あぁ、いい匂いー」
「では、いい眠りを・・・・」
「ふふ・・・・」
この夜、めぐるも裕太も、そして、浩一郎も春生も灯織も札幌を出て以来、一番深い眠りにつくことができた。
「満たされすぎよね」
ジュリは急に満たされすぎたことで不安が募っていた。なかなか寝付けず、天窓から覗く月をずっと見つめていた。
「うう・・・・うう・・・・ああ・・・・んっ?」
駐車場に停車してあるトラックの運転席に国男の姿があった。国男はここを寝床に決めたようである。だが、国男は顔を苦痛で歪めており、とても寝付けそうになかった。ガチャッとドアが開き、カイトが助手席に乗り込んできた。
「何だ?くっ・・・・」
「ほら」
「あぁ・・・・」
カイトは錠剤のモルヒネを12個ほどを国男に差し出した。
国男は毟り取るように掴むと、震える手で錠剤を三錠口に放り込み、車内に置いてあるペットボトルの水で流し込んだ。
「やはり目的はモルヒネか。あんたのイラつきようは、薬物依存者の禁断症状だ」
国男はタバコが原因で肺癌を患い、余命3ヶ月の宣告を受けていた。モルヒネの過剰摂取による副作用で、幻覚が見えたり錯乱したりすることがある。かと言ってモルヒネの摂取をやめると禁断症状により、情緒不安定になってしまう。
カイトはそんな国男の事情を出会って1日半ほどで見抜いていた。
国男は自力での長距離移動が困難ゆえ、運んでくれる誰かを待っていた。その役に選ばれたのが浩一郎たちだったわけだ。
「・・・・渡りに船、お前らは船頭だ」
「目的は果たしたんだな」
「・・・・これが目的じゃない」
「うん?」
国男の瞳の奥のギラつきをカイトは見逃さなかった。
地平線に朝陽が昇る。
高さ45メートルほどの巨像の内部は階層構造になっており、大小幾つもの部屋がある。巨像の胸の中心にステンドグラスで出来たシャンシティの紋章があり、そこから差し込んだ朝の光がタイル張りの大きな浴場を薄らと照らす。
マザーこと室田叶恵は湯船に浸かり、目を閉じている。額に滲む細かい汗の玉が、叶恵の肌年齢の若さを物語っていた。
傍らにはお香があり、お線香の香りが漂っている。
叶恵が立ち上がり、裸体が露わになる。背中には巨大な鬼子母神が彫られていた。
叶恵は浴槽から出ると、全裸のままヨガを始める。牛の顔のポーズ、鳩のポーズ、三日月のポーズと次々変化し、最後は片足立ちする木のポーズのまま目を閉じて瞑想する。
これが1日のルーティンの始まりになっていた。
天井から滴る水滴の音がBGMになり、叶恵の心を静めた。
エレベーターのドアが開く音がして、コツコツと革靴の音が近づいて来た。浅田は全裸の叶恵を前にしても、眉1つ動かさない。
「死者との、面会のお時間です」
叶恵は目を開けた。
「ええ」
浩一郎は矢が飛んできた方向へ背中を向け、裕太を守るようにしてしゃがんだ。
「裕太!裕太!」
ジュリやカイトも駆け寄る。カイトは急いで棚から塗り薬や絆創膏と固定テープを持ってくる。医薬品が棚から散乱している。めぐると春生、灯織も走り寄った。もはや矢に体を貫かれるかもしれない恐怖など消し飛んでいた。
「裕太!」
「抜くな!」
裕太は浩一郎とジュリの呼びかけに答えはせず、目だけをパチクリさせていた。
口から出血は見られない。カイトは裕太が内臓を損傷している可能性が低いことを瞬時に察した。
「傷口を確認しろ!固定する」
カイトの指示を無視して、固定テープを引っ張る音で裕太は目を覚ました。胸に突き刺さっている矢を握った。
「はっ!おいっ・・・・びっくりしたー・・・・」
「裕太!」
「あ・・・・動くな、そのまま・・・・」
裕太は上体を起こした。カイトは裕太に動かないよう指示をする。
「頭打った」
裕太はそう言って側頭部を摩る。大きな肉体的ダメージを負っている素振りが全くない様子に、めぐるとジュリは違った意味で気が動転していた。
「えっ?」
「大丈夫?」
「見せろ」
矢は胸の前に回していたメッセンジャーバッグに刺さっていた。カイトがバッグのファスナーを下すと、中から防水ケースに入ったゲーム機が出てくる。矢は頑丈なゲーム機に遮られ、裕太の肉体へ届かずにいたのだ。
「わあ、すごいや!」
裕太はゲーム機を持参していることを浩一郎やジュリ、めぐるには内緒にしていた。生きるか死ぬかの混乱の中で、ゲーム機を持って逃げたなんてことが知られたら叱られるに決まっていると思ったからだ。
結果的にゲーム機が裕太の命を救うことになり、浩一郎やジュリ、めぐるが裕太を叱る理由はなくなった。
カイトは矢を抜いた。矢でゲーム機の画面は無残に割れていた。
「もう!」
ジュリは裕太が無事に生きていたことで抱きついた。
「ホントに何ともないの?」
「頭痛いだけです」
浩一郎は裕太の後頭部に触れた。少しだけコブができていたが、出血はない。
「ゴホンゴホン!」
「うん?」
店の奥から咳と足音が近づいてきた。店の奥へと続く1階のドアが開き、国男が重い足取りでやってくる。彼は老人にしては大柄だった。ポロシャツにズボン、右手には弓矢を持ち、背負った矢筒には矢が12本ほど入っていた。
ジュリは警戒心を緩めた途端、湧き上がった怒りを抑えることができなくなった。
「あんた!子供狙うとかありえない!」
ジュリは国男を睨んだ。国男は目を逸らす。小さい声で何か言ったようだったが、誰も聞き取ることはできなかった。
「死んでるところですよ!」
「ふざけるな!」
浩一郎やめぐるも参戦し、2人は国男を責め立てた。
ジュリやカイトたちは警戒心を強めた。国男は立ち止まると、ゆっくりと頭を下げる。
「すまない・・・・当てるつもりはなかったんだ」
「謝って済むと思ってるんですか!」
「あ・・・・」
めぐるは謝ったばかりの国男を責め立て、裕太はキョロキョロと様子を見渡す。ロボット犬から発せられていた時に比べると、国男の声から殺気は薄まっていた。
「・・・・大丈夫でしたしもういいよ」
「良くない!」
めぐるは裕太に良くなかった事を一言言う。裕太が立ち上がり、お尻を手で払った。
男女2人から責められ,黙りこくっている老人を見るのは、確かに耐えがたいものがあった。浩一郎とジュリ、めぐるも少し冷静になったらしく、それ以上口撃することはなかった。
「・・・・・・・・」
「1人か?武装しないといけないほど、治安が悪いんだな」
カイトの問いかけに国男は答えない。
「あーやだー・・・・!つかなくなっちゃった・・・・」
裕太はゲーム機の電源を入れようとするが、入らない。矢を受けたダメージで完全に故障してしまったようである。
「こんなとこ、早く出よう。裕太!」
「え・・・・?」
ジュリはここを出て行くよう裕太に指示をする。国男は裕太のゲーム機をつかみ取ると、店の奥へと歩き出した。浩一郎とジュリが後に続こうとした時、国男が声をかけた。
「・・・・外は荒れそうだ・・・・ここで良ければ凌いでいけ」
めぐるは威勢良く出ていきかけた手前、すんなりと留まるのが悔しかった。だが、国男から殺意が消えた今、残ることが最善策なことくらいは分かっていた。
国男の予想通り、夜は結構強い暴風雨となった。
国男は店の一角にある事務所の役割を担っているスペースで、職員室にあるようなグレーのディスクに向かっていた。
「へえぇー」
裕太はクレヨンで描いた絵を見つめた。周囲の壁には幼い子供がクレヨンで描いたロボットや国男の絵が飾ってあった。絵の下には「りお」と作者名が書かれている。
国男は先端が極細のマイナスドライバーでゲーム機をいじっていた。
「本当に修理できるの?」
裕太は国男の手元を覗き込んだ。
「人が作ったものならな」
「ふーん」
国男はくわえタバコのまま器用に喋った。断線しているケーブルを新品のケーブルに取り替えると、ハンダゴテで溶接を始める。
裕太はゲーム機の復活を願ってフィンガーズ・クロスをした。
「エンガチョすんな!」
「うっ・・・・」
国男は裕太のポーズの意味を勘違いし、右手で拳を上にあげて叱った。
「わあっ!何ですか、エンガチョって?」
誤解で𠮟られて、裕太からしたらたまったもんじゃない。
「汚ねえもんと縁切る時にやるやつだ」
「海外では、Good luckって幸運の意味ですよ!」
「日本を知りもせず、海外にかぶれやがって・・・・バカ野郎が・・・・」
国男が落ち込んで嘆き、裕太も落ち込んでシュンとなった。
国男は外国人や海外を嫌っていた。特に理由があるわけではない。田舎の年寄りにはありがちで、おそらく戦争に負けたことを未だに根に持っているのだろう。
「こいつ好きなのか?」
国男の声のトーンが数段優しくなった。
裕太は戸惑ったが、喜怒哀楽が激しいのが国男という人物なのだと10歳なりに理解した。
「・・・・eスポーツでオリンピックに出るのが夢なんです」
「・・・・そうか」
「知ってるの?」
「知っとるわ」
裕太は絵の作者のりおちゃんが孫なんだと自分の中で一致させた。
キュィィィィ・・・・と音をさせてロボット犬の鳴き声が響き、裕太の足元にロボット犬が寄って来る。
「ロボットは、あの子がプログラミングしたの?」
裕太は国男にロボット犬は孫がプログラミングしたのか質問する。
「禁煙!禁煙!」
賢いロボット犬は国男に向かってそう訴えていた。
「そうだ、脅し文句以外はな」
国男はこの店を略奪目当ての人たちから守るため、孫がプログラミングしたロボット犬に追加で声を吹き込み、仲間がいるように見せたのだ。
「可愛いね」
「番犬にはならんがな」
「禁煙!」
「うるせえ!」
「あはははは・・・・」
国男は怒鳴ったが、その顔は笑っていた。そんな国男を見て裕太も笑った。いつの間にか2人はお互いを誰かに置き換えているかのように、その仲を深めていた。
カイトはビールを飲みながら、そんな2人を眺めている。
「奇妙なじいさんだ」
カイトは奇妙なおじさんだと思っていた。春生はレンズがひび割れた古い眼鏡から新しい眼鏡に変えているところだった。
めぐると春生は床にシートや古新聞を敷き、ディナーの準備を進めていた。2人とも真新しい服に着替えている。裕太を射ってしまったお詫びにと、国男が無料で提供してくれた。
めぐるはついつい春生のシューズに目がいってしまう。その視線を感じ、春生は照れ臭くて俯いた。
浩一郎たちが複数の食材を前にしたのはいつ以来だろう。飢えのおかげでいつもの何倍も敏感になった嗅覚を、それぞれが醸し出す料理の香りがビンビン刺激した。
床一面に並んだ魚肉ソーセージ、味付け海苔、梅干し、サバの缶詰、ナスの一夜漬け、スライストマト、納豆、味噌汁、白米・・・・。全て国男が備蓄していたものだ。
「直った!イエーイ!はははは・・・・」
「座って」
裕太はゲーム機が直ったことを喜んだ。ジュリは裕太に席へ座るよう指示する。
「ありがとうございます」
「いただきます」
ジュリは裕太のゲーム機を直した国男にお礼を言った。めぐるは先にご馳走をしようとしている。
浩一郎、ジュリ、めぐる、春生、灯織がそれらを囲み、狂ったように胃に放り込んだ。裕太だけは食事よりも修理が完了したゲーム機に夢中だ。命の恩人と仲良くしていても怒られないだろう、そう踏んだらしく堂々とゲームをプレイしていた。
「お食事中はゲーム切りなさい」
「はーい」
さすがにジュリが注意をしたが、普段と比べたら100分の1程度の迫力だった。
国男は食欲がないらしく、デスクで地図らしきものを読んでいた。
めぐるは足元の新聞の記事に小野寺を見つけた。小野寺の写真と共に「地質学者 お騒がせ騒動」の見出しがある。小野寺と田所博士を批判する内容らしいことが分かった。
「この人が小野寺さん?」
「そうね、潜水艇の・・・・」
「日本以外が全部沈没するって言ってた人?」
「裕太、お肉ばっかりじゃなくて、野菜も食べなさい」
ジュリは裕太に肉ばっかり食べないで野菜を食べるよう指示する。裕太が箸で発酵の野菜を掴んで食べた。
「これ、腐ってんじゃないの?」
「発酵って言うんだよ」
裕太は発酵の野菜が気持ち悪くてすぐに飲み込み、彼は発酵の野菜が腐った野菜だと勘違いし、国男が発酵の野菜だと答えた。
ドドン!
「あ・・・・」
強い雨風がシャッターにぶつかる音がした。
「これじゃ野宿は無理だったわね」
「雨でも浴びたい・・・・」
ジュリは強い雨風だと野宿は出来ないと思い込み、裕太は雨でも浴びたいと思っている。服は着替えたが、体自体は汚れたままだった。電気は辛うじて止まっていないが、水道は随分と前に止まってしまっているそうである。
「ホント!」
「やめとけ」
「えっ?」
カイトがスマートフォンをいじりながら割り込んで来た。
「お前らに会う前、原発が煙を上げているのを見た・・・・雨は危険だ」
「あっ・・・・」
カイトはスマホの画面を見せた。放射能を測定するアプリが開いており、「6・41マイクロシーベルト/時間」と表示されていた。ちなみにチェルノブイリ原発事故による避難指示解除以前の目安は「5・24マイクロシーベルト/時間」である。
青森の田舎町を朝陽が照らす。
道に散乱した大量の落ち葉と水溜りが、嵐の余韻を残していた。
国男が店の裏山の一角で寂しげに佇んでいた。傍らに裕太がいる。ぬかるんだ地面で靴は泥だらけだ。
2人の前には国男のご先祖様たちのお墓があった。彼は先祖代々この地で生まれ、この地で育ったのだ。だが、度重なる大地震による土砂崩れと地盤沈下により、ご先祖様の墓石は倒れ、崩壊していた。
「・・・・この土地も、これまでか・・・・」
国男はこの土地がここまでだと思い込んだ途端に「ゴホン!ゴホン!」と咳き込み、膝から崩れ落ちた。裕太は自分なりに国男の気持ちを分かろうとした。たった17年しか住んでいない札幌の家がなくなっただけでとても悲しかった。国男の悲しみはそんなものじゃないはずだ。
「どうしたの?」
裕太が国男の体に手を添えようとした時、国男が突然泣き出した。
「だ・・・・大丈夫?」
「いいんだ・・・・ありがとう・・・・」
国男は目から涙を出して、裕太にお礼を言った。泣いたり笑ったり怒ったりと、国男の情緒は不安定だった。
「ここは日本で・・・・お前は日本人だ・・・・」
「あっ・・・・あ・・・・」
裕太はそこまで落ち込んで言葉を止めた。国男がまた「ゴホン!ゴホン!」と咳き込み始めた。
そんな2人の様子を離れた木陰からカイトが見ている。裕太の身を案じて監視していたのだ。カイトなりに裕太が死にかけたことに責任を感じていた。
店内の床に毛布を敷き、浩一郎、ジュリ、めぐる、春生、灯織が眠っていた。春生と灯織は寝る時に必ずしていたヘッドホンをしていなかった。
「うわっ・・・・」
「何?」
どこからかクラシック音楽が大音量で流れてきた。5人は音の大きさで目覚めた。
カイトがスマートフォンを握ってすまし顔で立っている。音楽はスマートフォンから流れていた。
「お目覚めの時間だ」
カイトはお目覚めの時間であることを浩一郎たち5人に伝えた。
「昨日は5度だったが、今朝は7度だ」
「え?そんなに寒いんだ」
めぐるとジュリは、カイトの話が気温の話であると勘違いしていた。
「ん?でもそこまで寒くないけどね」
カイトは「気温の話じゃない」と言って否定した。カイトはゴルフボールを床に置いた。ボールはコロコロと転がり、速度を上げてジュリに拾われる。
「あ・・・・」
「この建物だけじゃない。おそらく日本列島ごと、日本海側に傾いてる」
「世界が沈んでるってこと?」
カイトは日本列島ごと日本海側に傾いてる事をめぐるたち5人に伝え、ジュリは世界が沈んでいる事を実感した。明らかに昨日より地面が傾いていた。
「いや、ないよ・・・・ないって」
「移動するぞ、時間は待ってくれない」
めぐるは世界が沈むはずはないと思っており、カイトは待っている時間がなく、移動する準備を始める。
「裕太は?」
「いないの?」
浩一郎とめぐるは、裕太がいないことに気づいた。浩一郎たちが慌てて出発準備をしていると、国男と裕太が帰って来た。
「何だお前ら、早起きだな」
「何?みんなどうしたの?」
「世話になった」
「ありがとう。裕太、もう行くよ」
「え?」
ジュリとカイトは国男に別れを告げた。裕太はどうしても国男と一緒に行こうとしていた。
「一緒に行こうよ」
「・・・・・・・・」
「あ・・・・えー?」
裕太は国男の手を引っ張った。国男は何も答えない。
「そうだあれ、隣んちの車、動くの?」
「ああ、俺のだ」
「車があるって!」
裕太が国男に車の事を話していたその時、ゴゴゴゴォーッと音がし、壁や床が震え、天井の照明が揺れた。最初の巨大地震の後に襲った大きな余震以来の激しい揺れだった。
「来た!」
浩一郎たちに、国男と旅を共にするか迷っている時間はなかった。
「車まで走れ!」
「はっ!」
「俺の車で、連れてってやる・・・・!」
国男が叫んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・」
浩一郎たちは可能な限りの荷物を持ち、店を飛び出して駐車場へと走る。
84年式のフォードトラックの運転席に浩一郎が、助手席には裕太と国男が乗り込んだ。残りが荷台に乗り込んだのを確認して、浩一郎はエンジンをかけてアクセルを踏む。
「どこ行けば?」
「いい所を知ってる。シャンシティだ。現存してる保証はないがな」
浩一郎はそこが何なのかさっぱり分からなかったが、カイトは知っているらしく「ふっ」と笑った。
春生と裕太は名称だけはネットで見て知っているようであった。
ガレージから飛び出したトラックは、坂道を駆け上がる。春生は帽子が飛ばされそうになり、慌てて手で押さえた。
国男はサイドミラー越しに、小さくなっていく店を見せていた。ズシャシャーッと地滑りが起き、店が谷底へと消えていく。もう少し出発が遅れていたら、ここにいる全員が同じ結末を辿っていただろう。
国男はミラーから視線を外し、サンバイザーに挟んであった1枚の古びた写真に目をやった。それは国男とばあさんのツーショットだった。2人は開店したばかりの店の前で並んで笑っていた。
国男は元々自動車整備工だったが、43年前に妻と2人でスーパーを開店させた。コンビニの無い田舎町ではそれなりに繁盛した。自宅で収穫した野菜を売ったりもした。ばあさんが作ったコロッケが評判になってテレビの取材を受けたこともある。1番の思い出は、40周年を記念して、娘や孫たちが祝賀会を開いてくれたことだ。
長期休暇を取って妻と車で日本縦断する夢を描いていたが、それを叶えることなく、妻は去年の秋頃に2019新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎で他界した。独り身となった国男を心配して、夏休みには娘が孫を連れて遊びに来てくれた。裏山で虫捕りをした事が昨日のことのように思い出される。
国男は目頭を押さえ、グッと込み上げるものを堪えた。
トラックは南へ向けて走り続けていた。途中、剥き出しになった断層をいくつも目撃する。
「何・・・・あれ?」
「Fault Lint・・・・断層だ」
めぐるは日本列島に走る断層の多さに今更ながら驚いた。東北地方の山々が小規模な噴火を繰り返しており、至る所から噴煙が上がっている。
国男はダッシュボードから取り出した地図を見ながら、浩一郎に道案内をしていた。
時折、激しく咳き込むにもかかわらず、タバコをやめようとはしない。ロボット犬が「禁煙!禁煙!」と連呼し、浩一郎も「車だし、吸いすぎですよ。子供もいるのに」とお小言を言ったが、国男は「うるせえ!」の一点張りであった。
国男が目指している「シャンシティ」とはいったいどういう場所なのか・・・・?浩一郎が聞いても国男は「行けば分かる」としか言わなかった。めぐるから尋ねられたカイトは「コミュニティだ」とその一言で説明を終えた。
「はっ・・・・クソ!おい、地図と違えぞ。右へ行く道がなくなってやがる」
地形が地図と大きく違っていた。カイトはスマートフォンで地図アプリを開いたが、現在地を示すカイトのロゴは、川の中で点滅していた。
「地形が変わった?使い物にならない」
カイトもお手上げだった。カイトがスマホで地図アプリを見ていたその時、ドボーン!という火山が噴火する音が聞こえた。カイトが振り向くと、山から黒い煙がモクモクと上がっているのを目撃する。
「チッ、地図のくせに役立たずが!」
国男は地図を窓から放り投げた。国男がタバコの煙と一緒に吐き出すイライラで、車内には重い空気が充満していく。浩一郎は国男と行動を共にすることに葛藤していた。だが、裕太の懐いている姿を思うと、その心のザワザワも一時だけおさまった。
国男の勘を頼りに車を走らせて4時間くらいが経過していた。道中、裕太が車酔いで嘔吐する程度のトラブルがあったものの、大きな事故はなく進んでいた。
「はぁ・・・・うう・・・・ああー・・・・」
夕方、国男は車内で気分を落ち着かせるために酒を飲んでいた。
「今夜はここで野宿ね」
ジュリはここで焚火をして野宿をすることに決めた。カイトはスマホでテレビのニュースを見ていた。
「速報です。日本は、オセアニア大震災の対策を発表。隣接した・・・・」
「現在、世界各国の被災者は、確認できない方を含め、71億人以上に上ると思われ・・・・」
「非常に最悪の事態を考えて、日本へ避難するための船舶を、出来うる限り用意しました」
カイトはスマホでテレビチャンネルを変えながらニュースを見ており、最後はアメリカのジョーイ・バイデン大統領が日本へ避難するための記者会見の日本語吹き替えの放送に変えた。
「面白いニュースだ」
カイトはアメリカのバイデン大統領が日本へ避難するための記者会見の放送が、面白いニュースだと言った。カイトはバイデン大統領による記者会見の放送をめぐるたちに見せた。
「現在、出航可能な港は、バージニア、メイン、コネチカット、サウスカロライナ、ノースカロライナ、ジョージア、フロリダ・・・・それぞれ7つの港から出港いたします」
バイデン大統領は出航可能なアメリカの港を7つ紹介していた。
「満員になった船舶から、順次出航となりますが、乗船は混乱を避けるため、ビザによる抽選とさせていただきます」
「アメリカはなぜいきなりD計画なの?ABCがあったの?」
めぐるはアメリカにD計画が発動している事に気づいていた。D計画はアメリカだけではない、日本以外の他の国にもD計画が発動している。
「日本以外そんなに危ないの?」
「念のためよ」
「外国人が脱出したら、日本はどうなるんですか・・・・?」
裕太は日本国外がそんなに危ないのか疑惑に思っており、外国人が脱出したら日本はどうなってしまうのか、カイトに質問する。
「まだ分からん」
「年取った大統領ね」
「頼りなさそう」
「独身かしら?」
「えっ・・・・」
カイトは今のところ、日本がどうなってしまうのかはまだ分からないと答え、ジュリはバイデン大統領を年取った大統領だと呟いた。めぐるはジュリと話し合う。
やがて夜になり、裕太は眠れないまま浩一郎のLEDライトを手にし、浩一郎たちが寝ている間で空に向けてパチパチと点けたり消したりしている。
「おやすみ・・・・みなさん・・・」
裕太はLEDライトを消して眠りについた。国男はトラックの中で寝ている。カイトは寝ている間に地鳴りで起きてしまった。
「大地のきしむ音」
カイトはその地鳴りが大地のきしむ音だと決めつけている。
翌朝、トラックはシャンシティへ行くところだった。道路が土砂で塞がれている。
「どうします?」
「別の道を探す」
浩一郎はトラックを止めて、どこへ行くか国男に相談する。国男は別の道を探すことを言い出し、浩一郎はトラックをバックし、Uターンして別の道を探しながら走ることにした。
「あっ!すいません!こんにちは!」
ヒッチハイカーの少女が段ボールで作ったボードを掲げながら、トラックに近づいて来る。浩一郎がブレーキをかけて停車した。国男が目を疑らす。
近くにつれ、その人物がめぐるや灯織と同じ学年の高校1年生の少女で、ミルクティー色の髪をしており、段ボールで作ったボードを掲げていることが確認できた。ボードには黒いマジックで「シャンシティへ行きたい!」と書かれていた。どうやらヒッチハイカーのようである。
「こんにちは!ご機嫌いかがですか!?」
その人物は大きな声で呼びかけてきた。
「ヒッチハイク・・・・」
「止まるな!車を奪われたら終わりだ」
国男の指示に従い、浩一郎は車を走らせようとしたが、その人物の屈託のない笑顔に不思議と引き寄せられ、荷台のカイトやめぐるもヒッチハイカーを目視し、状況を把握した。
「悪い人には見えないな」
「外人なんか信用できるか」
「これ外車だろ?」
「車と酒とタバコだけは別だ」
浩一郎と国男がそんな言い合いをしている中、その人物は笑顔で駆けてきた。
「どうもどうも、櫻木真乃です。みんな調子はどう?」
こうして旅にまた1人新たな仲間が加わった。
櫻木真乃を浩一郎と国男の間に乗せ、トラックは再び走り出した。
浩一郎は真乃と楽しそうに会話しているが、国男は外国人の事で頭がいっぱいで益々不機嫌になり、黙ってタバコを吸うばかりだった。
「なるほどなるほど、みんなは、札幌から来たんだ」
「真乃は?」
「中国の四川省から」
真乃は関東地区を転々としている時に中国人旅行者と出会い、中国文化にハマったらしかった。休みを利用して中国へ旅行に来て、今回の大地震に遭遇した。行くあてに迷う中、噂でシャンシティの存在を知った。チャリでシャンシティを目指したものの途中で自転車が壊れてしまい、ヒッチハイクをしていたというわけだ。
「地震は大丈夫だった?」
「大丈夫じゃないけど、おかげさまで、私は大丈夫でしたよ」
真乃は「おかげさま」という日本語を気に入っているらしく、頻繁に使用した。
「生まれは中国」
「私は日本の東京都」
「そっか、俺はね・・・・」
「待って、当てる、えっとね・・・・分かんない」
「北海道の札幌」
「いいね」
真乃は常に笑顔だった。浩一郎は、こんな状況でもずっと笑っていられる彼女が羨ましくもあり、尊敬もできた。陽気な彼女の登場で、車内の空気は一変した。
「お前も外人か?」
「真乃と俺は日本人で、妻は外人だよ」
「ふざけやがって・・・・」
国男は浩一郎と真乃が外国人であるかどうか質問し、浩一郎は彼と真乃が日本人で、ジュリが外国人だと答え、国男はジュリが外国人だった事をがっかりした。
「おじいさん、外国人嫌いですか。おっ、これ良い時計ね。日本のアンティークですね」
「あのおじいさん、外国人を嫌ってる」
「田舎の老人にはありがちだ」
めぐると真乃は、国男が外国人を嫌っている事を明らかにし、カイトは外国人嫌いの老人は、田舎の老人に多いと言い出した。
「おかげさまで、でもおじいさんとおじさんの違いは、難しいね」
「シャンシティってそんなにいい所?」
「とっても素敵な所ですよ」
真乃はシャンシティがとっても素敵な所だと言い出した。ヘッドライトがアスファルトを照らす。タイヤが石ころを巻き込み、音を立てる。
真乃を乗せてから1時間近く経っていたが、人も車も見かけていない。国男の咳は激しくなり、荷台組の尻や腰の痛みは限界に達していた。
巨大な断層が剥き出しになり、巨大な壁となって行手を阻んでいた。乗り越えることが難しそうなので、浩一郎は迂回路を探す。山道を彷徨い、何とか断層の向こう側へ行くことができた。
今夜は野宿になるかもしれない。そんな思いを誰もが抱いた時、トラックの前方左斜め上の空に何かが光った。それは、打ち上げ花火だった。
「あ・・・・」
花火は連続で打ち上がり、夜空に1つ、2つ、3つと大輪の花を咲かせた。まさかの光景に誰もが見惚れた。カイトはスマートフォンで写真を撮る。めぐるはカイトが花火に興味を示すことが意外だった。
「一体、誰が花火なんか・・・・」
「きっとシャンシティの人たちですよ、おかげさまですよ」
浩一郎は真乃の言葉を信じ、花火が上がった方角へ向けてハンドルを切った。
しばらく走ると前方に不可思議な景色が広がってきた。広大な土地をフェンスで囲っており、その一帯は煌々と明かりが灯っている。平地に無数の白いテントのようなものが立ち並んでおり、中央には土偶と太陽の塔を掛け合わせたような巨像が建っていた。
古代文明のようでもあり、新興宗教のようでもあった。その不可思議な空間を前にし、浩一郎の心には期待と不安が混在していた。
フェンスの一角に入口ゲートがある。浩一郎はその前でトラックを停止させた。
「カメラだ」
「降ろして」
ゲートの上部には防犯カメラがあり、浩一郎たちを監視していた。その扉の中からダニエルが現れた。
「どーもどーも、ダニエルだよー!よろしく!僕たちはあなたたちのこと、みんな待っていたよー!」
ダニエルはトラックに近づき、トラックに向かってパフォーマンスを始めた。ポケットから小さなボールを5つ取り出すと、実に器用にジャグリングをする。何を隠そう、ダニエルの本職は大道芸人だった。
「ダニエル聞きつけて・・・・びっくりして、飛んできたよー!」
「すごーい!」
ダニエルは続けて耳と目が大きくなる手品を披露した。浩一郎とジュリは同じようなことをコメディアンがテレビでやっているのを見たことがあった。ダニエルはひょうきんさを前面に出し、敵ではないことをアピールする。
浩一郎とジュリはそんなダニエルを見つめながら、明確な目的地がある彼が羨ましかった。
グィィーン・・・・しばらくすると、自動でゲートが開いた。真乃はダニエルを見て「おかげさまですよ」とにっこり笑った。
「やったー!」
「ありがとう!」
「よかった!」
「オーイエーイ!」
裕太と真乃、ジュリは自動でゲートが開いた事が良かったと思っている。ダニエルはトラックの前から立ち去ってシャンシティへ戻り、トラックはゲートを潜って道なりに前進した。両サイドには蝋燭やランプが無数に置かれている。鳥居のような門があり、「生誕15周年祭」の横断幕がかけられていた。浩一郎は駐車場らしき開けた場所でトラックを停車させた。
「真っ暗ですよ」
「何も見えない・・・・」
めぐると裕太は周りが暗くて何も見えないことに気づき、裕太はLEDライトを付けて周りを見渡す。
「ママ、あれ!」
「生誕15周年祭・・・・15歳って中学生?」
めぐると裕太は、彼がLEDライトで照らした「生誕15周年祭」の横断幕を発見する。カイトは地面にスマホを置いて、地面が傾いていないか確かめている。
「断層のこっち側は、傾いてないんだな」
カイトはスマホの電子音に気付き、ここの地面がまだ傾いていないことが明らかになる。ここは巨大な断層を超えた先にあるので、さほど地面は傾いてはいなかった。
「あっ!来た!こんばんはー!」
浩一郎たちがトラックを降りると、ダニエルを含む12名ほどの男女が出迎えてくれた。真乃は12名ほどの男女に向けてこんばんはのあいさつをした。男性は髭が整っており、女性は髪を切り、化粧をしている者もいる。浩一郎はここが10分に潤っていることを即座に感じ取った。
出迎えの人たちの中に、ポロシャツの裾をズボンにインした小太りの中年男性・橘和巳や、スーツ姿で丸坊主の30代前半の男性・浅田修の姿がある。この2人以外は全員が麦わら色の作務衣を着ていた。
「ようこそ、シャンシティへいらっしゃいました。みなさんを、歓迎します」
橘が3歩ほど歩み出て言った。中国のお面のような笑顔がちょっと不気味だったが、悪い人ではなさそうだ。
「お世話になります」
真乃は誰よりも深々とお辞儀をした。
「疲れを取ってあげなさい」
「はい」
橘が浅田に指示を出した。浩一郎たちは橘がリーダー的なポジションなのだと理解する。
「どうぞみなさん、遠慮なく」
「ありがとうございます!」
「さあ、こちらへ」
女性スタッフが遠慮しないでジュリに指示を出した。浅田は1列に並んで歩く。
「もうすぐ、夕飯の時間ですが、その前に、お風呂やお着替えをされますか?」
「わあっ」
「わあっ。いいんですか?」
めぐるはあまりに嬉しくて声が上ずってしまった。浩一郎や裕太と春生にも自然と笑みが溢れた。
だが、ジュリは違った。見知らぬ自分たち受け入れてくれ、風呂や食事まで用意してくれる優しさに対し、感謝はしつつも警戒心を忘れずに持っておくよう自らに言い聞かせた。
「無論です」
「イエーイ!」
裕太は浅田が無論だと聞いて喜んだ。白いテントのようなものは、モンゴルの遊牧民の家屋・ゲルだった。そのゲルの集落の側に木材とトタンで作った建物がある。見た目は質素だったが、中には温水シャワー室が幾つも完備されていた。
「気持ちいいー!信じられません!」
裕太は服のままシャワーを浴びた。ハンドルを限界まで回してお湯を放出する。あまりの勢いに少しばかりチクチクしたが、蓄積された汚れを剥ぎ取るように落としてくれた。
浩一郎とジュリはお湯を染み込ませたタオルで体を拭いていた。
春生は伸びた髭をT字カミソリで剃っていた。ついでにもみあげも少しだけ整えた。洗い流す時以外はその都度シャワーを止めるところは、裕太とは大違いだった。
「あわわわわ・・・・うぐっ・・・・ん・・・・あ?」
めぐるは服のままシャワーを浴びて片足立ちになり、足の指の間を洗っていた。
ゲルの集落の近くにバーベキュー場のようなスペースがあり、ここに滞在している多くの人たちで賑わっていた。一角に大きな寸胴鍋が5つあり、5種類のエスニック風カレーが煮込まれていた。傍らには大きなジャーが3つあり、炊き立ての白米、五穀米、ターメリックライスが入っている。
めぐるを先頭に浩一郎たちが行列に並んでいる。カイト以外は真新しい作務衣に着替えていた。巨漢の料理番・大谷三郎が次々とカレーを皿によそっていた。ライスとカレーの組み合わせは自由に選べるようだった。あのコンビニ店長とは大違いだとめぐるは思った。
皿にはラップが敷いてあった。おそらく洗い物を減らすためだろう。
「はぁ・・・・カレーの香り。最高すぎる」
「スリランカ風ね」
あたり一面に漂うカレーの香りで、めぐるもジュリもおかしくなりそうだった。裕太はジュリの横に並んでいる。
「新入り!嫌いなもの、あるか?」
「野菜は嫌い。ポテトが好き」
「じゃあ、こっちだ」
大谷は選り好みすることなく、五穀米の上に豪快にカレーをぶっかけた。ニンジン、タマネギ、ナス、ピーマン、アスパラガス・・・・。
「はい」
「これ、野菜いっぱい乗ってるよ」
「ふっ、腹減ってんだろ?想像つかない味で、嫌いなもの克服する、大チャンスだ!あはははは・・・・!」
大谷は図体同様に豪快に笑った。
「えーっ?」
「大チャンスだ。ふふ・・・・」
人は食料を提供する側に回るとどうもこうも変になるのだろう、裕太は大谷の笑顔を見てがっかりした。そんな裕太の横顔を見て、めぐるとジュリは思わず吹き出した。
浩一郎たちは一角に固まって座った。裕太以外はカレーにがっついている。いつも冷めているカイトも、無愛想な国男も、陽気なダニエルも、絶品カレーの前に誰もが無口になっていた。
「裕太、食わず嫌いはもったいないよ」
ジュリは裕太に食べ物を粗末にしないよう指示する。裕太はカレーをスプーンで一口食わせた。
「僕はパパのカレーの方が好き」
「野菜の入ってない欧風だからでしょ」
「また食べたいです・・・・」
「特に、次の日の朝に食べるカレーは、最高だったよね」
裕太は浩一郎の作ったカレーが好きだった。めぐるの言う通り、浩一郎の作ったカレーは、野菜の入っていない欧風のカレーだ。ジュリは次の日の朝に食べるカレーは最高だったと思っている。
「・・・・美味しい」
「えっ?」
春生が小さな声で囁いた。これまで何を食べても一言も発しなかった春生が、初めて感想を口にした。めぐるは春生が少しずつ引き籠る前の姿に戻っているようで嬉しくなった。
「・・・・母さんのカレーみたいだ」
めぐるのスプーンを持つ手が止まり、笑みがスッと消えた。春生が次に何を言うのか怖くて耳を塞ぎたくなった。
「・・・・母さんは・・・・目の前で・・・・潰れていった・・・・」
春生は亡き母親を想起していた。春生の目前で母親は家に押しつぶされていた。
母親の傍には鍋が転がっており、中身のカレーが散乱していた。いつも半端な時間帯にお腹が空く春生のために、昨晩の残りのカレーを温め直してくれていたのだ。
春生は母親と祖母との3人暮らしだったが、大地震で2人とも失い、天涯孤独となった。母親の死を間近で目撃したことが原因で急性ストレス障害を発症してしまい、大きな音を聴いてしまうと、母親の死に顔がフラッシュバックするようになっていた。春生は音楽を聴くことで、それを防いでいたのだ。
春生は耳を塞がず、目も閉じず、じっとカレーを見つめた。やがて涙がボロボロと溢れ出した。涙が流れるにつれ、母親の死に顔が薄れていった。
めぐると灯織はもらい泣きする。
灯織は父親と2人暮らしだったが、大地震による交通事故で失い、春生と同じく天涯孤独となった。春生とは違い、灯織は部活の帰りに教室で大地震に遭遇し、灯織のクラスメイトやコーチ共々机の下に隠れて避難していた。灯織が父親の死を目撃したのは、大地震の後にイルミネーションがある神社へ行く途中、道路で車にはねられたと思われる父親の遺体を見ていたとされる。春生と同様、大きな音を聴いてしまうと、父親の死に顔がフラッシュバックするようになっていた。灯織は音楽を聴くことで、それを防いでいたのだ。
「弁当、食べておけばよかった・・・・」
裕太は浩一郎のお弁当を食べなかったことを悔やんだ。
「また食べなかったの?」
「弁当はちゃんと食べてくれよ」
「ごめん、パパ・・・・」
めぐるは裕太にまた弁当を食べなかったことを言い、浩一郎は裕太にちゃんと弁当を食べるように言い伝え、裕太は浩一郎に謝った。
春生は頷くと、カレーを掻き込んだ。それは少しだけ塩辛いカレーだった。
「美味しいけど、知ってる味ね。何かしら?」
ジュリはカレーをスプーンで一口食わせると、どこかで知っている味を感じた。
「Chicken powder」
「はっ!」
「チキンパウダー?」
「とっても美味しいよ、癖になりそうですよ」
カイトはこの味がチキンパウダーが入ったカレーだと答えた。真乃はチキンパウダーが入ったカレーが美味しくて癖になると言い出し、皿を持ってカレーを掻き込んだ。
「ちなみにこれも」
カイトはカレーをスプーンでジュリに見せると、あっという間に一口食った。
「あれ?おじいちゃんは?」
「あ・・・・」
「そういえば・・・・」
裕太たちは国男がいないことに気づく。
「みなさん、どうですか?自慢のカレーは?」
そこに浅田とダニエルがやって来る。
「まだ寝るには早そうですし、腹ごなしに、施設を案内しましょうか?」
浅田は浩一郎たちに施設を案内するよう呼びかける。
一方、医療棟では寝たきりのおじさんがリモコンでベッドを動かしていた。寝たきりのおじさんが窓からめぐるたちを見つめている。
「好きなだけ留まっていいし、出て行っても良い・・・・うちは、通信販売もやっていて、この倉庫は、在庫の保管場所でした」
「物がたくさん」
「今は、ここで暮らすメンバーの物資保管場所として、利用しています」
施設を巡りながら、浅田がシャンシティについての簡単な解説をしている。
「長く滞在されても、働くことは強制しません。全ては個人の自由です」
「自家発電なのね」
「貯水槽と繋がっており、温水の使用を可能にしています」
「水はどこから?」
「下水処理を完備していて、飲料水は、今羽黒山から運んでいます」
浅田は腹ごなしにと、浩一郎たちは浅田の案内で施設を見学して回った。巨大な備蓄倉庫や太陽光パネルの並んだ自家発電所、下水処理場も完備していた。工房もあり、滞在している人たちが割れた皿や湯飲みを金継ぎしていた。
「うわあっ、これは金継ぎですね」
「金継ぎ?」
真乃は滞在している人たちが割れた皿や湯飲みを金継ぎしているのを見て驚く。
「割れたお皿なんかを修理することで、日本人は、それを、美しい芸術にするんだよ」
「へぇー・・・・」
「物を大切にする日本人の象徴だね。もったいない。これは日本にしかない、言葉だよ」
「ダニエル物知りね」
ダニエルが説明してくれた。ジュリはダニエルの知識の豊富さに感心した。めぐるは夕食の時に使ったお皿が金継ぎされていたことを思い出した。
約5年前、健康食品や化粧品の販売で大成功した企業の女社長が、社会的弱者を受け入れるための施設として、ここシャンシティを創設した。女社長の魅力に惹かれ、徐々にメンバーが増え、特に大地震後は急増したそうだ。敬意を込めて彼女の事をマザーと呼んでおり、スタッフは総勢23名。浅田は、自分はマザーの付き人だと笑って説明した。
「それではみなさん、そろそろ寝床へ」
浅田がゲルの集落へと案内してくれた。ジュリとめぐる、浩一郎と裕太、カイトと春生、灯織と真乃が同じゲルで同居することになった。国男はいつの間にか姿を消しており、裕太は気を揉んだが、カイトが「気にするな」と一蹴した。
「モンゴルのテントだ。すごい!」
裕太はこのゲルがモンゴルのテントだと言った。ゲルの中は、赤を基調としたシンプルな内装だった。中央に暖炉があり、薪がくべられ、火が焚かれていた。暖炉を囲むようにベッドが2つあり、ベッドには真新しい真っ白なシーツと布団がかかっていた。
「へぇー、ベッドがある!」
「素敵」
「ゲルは、地震に強いのです」
「ありがとう」
めぐるがゲルのドアを開けると、そこにベッドがあることに気が付いた。浅田の言う通り、ゲルは地震に強いから安心だ。
「ふふ・・・・すーごーい!」
めぐるはベッドにダイブした。布団をクンクンと嗅ぐ。
「あぁ、いい匂いー」
「では、いい眠りを・・・・」
「ふふ・・・・」
この夜、めぐるも裕太も、そして、浩一郎も春生も灯織も札幌を出て以来、一番深い眠りにつくことができた。
「満たされすぎよね」
ジュリは急に満たされすぎたことで不安が募っていた。なかなか寝付けず、天窓から覗く月をずっと見つめていた。
「うう・・・・うう・・・・ああ・・・・んっ?」
駐車場に停車してあるトラックの運転席に国男の姿があった。国男はここを寝床に決めたようである。だが、国男は顔を苦痛で歪めており、とても寝付けそうになかった。ガチャッとドアが開き、カイトが助手席に乗り込んできた。
「何だ?くっ・・・・」
「ほら」
「あぁ・・・・」
カイトは錠剤のモルヒネを12個ほどを国男に差し出した。
国男は毟り取るように掴むと、震える手で錠剤を三錠口に放り込み、車内に置いてあるペットボトルの水で流し込んだ。
「やはり目的はモルヒネか。あんたのイラつきようは、薬物依存者の禁断症状だ」
国男はタバコが原因で肺癌を患い、余命3ヶ月の宣告を受けていた。モルヒネの過剰摂取による副作用で、幻覚が見えたり錯乱したりすることがある。かと言ってモルヒネの摂取をやめると禁断症状により、情緒不安定になってしまう。
カイトはそんな国男の事情を出会って1日半ほどで見抜いていた。
国男は自力での長距離移動が困難ゆえ、運んでくれる誰かを待っていた。その役に選ばれたのが浩一郎たちだったわけだ。
「・・・・渡りに船、お前らは船頭だ」
「目的は果たしたんだな」
「・・・・これが目的じゃない」
「うん?」
国男の瞳の奥のギラつきをカイトは見逃さなかった。
地平線に朝陽が昇る。
高さ45メートルほどの巨像の内部は階層構造になっており、大小幾つもの部屋がある。巨像の胸の中心にステンドグラスで出来たシャンシティの紋章があり、そこから差し込んだ朝の光がタイル張りの大きな浴場を薄らと照らす。
マザーこと室田叶恵は湯船に浸かり、目を閉じている。額に滲む細かい汗の玉が、叶恵の肌年齢の若さを物語っていた。
傍らにはお香があり、お線香の香りが漂っている。
叶恵が立ち上がり、裸体が露わになる。背中には巨大な鬼子母神が彫られていた。
叶恵は浴槽から出ると、全裸のままヨガを始める。牛の顔のポーズ、鳩のポーズ、三日月のポーズと次々変化し、最後は片足立ちする木のポーズのまま目を閉じて瞑想する。
これが1日のルーティンの始まりになっていた。
天井から滴る水滴の音がBGMになり、叶恵の心を静めた。
エレベーターのドアが開く音がして、コツコツと革靴の音が近づいて来た。浅田は全裸の叶恵を前にしても、眉1つ動かさない。
「死者との、面会のお時間です」
叶恵は目を開けた。
「ええ」