Session1 "YOU"
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イントロダクション 斎藤兆史
イギリスのチェスプレイヤーであるハリー=ゴロンベックは自著"The Games of Robert J. Fischer"の序文で、その本に収められているチェスの試合の集まりを、「ボビー=フィッシャーのプレイヤーとしての特有の性質」を表すものだと表現している。ボビー=フィッシャーは、1972年に世界チャンピオンになったが、その後すぐに奇妙なことに真剣勝負から手を引き、他のすべてのチャンピオンシップの状況を拒否し、結果として不戦敗によってタイトルを失ってしまった伝説のアメリカ人チェスプレイヤーである。
しかし、棋譜の寄せ集めでどのような種類のチェスプレイヤーの「特性」を表せるのだろうか。このフィッシャーの試合の集積物はその名人がレイキャビクでの世界選手権においてどのように独特に振舞ったか、失敗したかさえ私たちに伝えるのだろうか。それはルールや戦略の点において一般のチェスと何か独特に異なるものの記録なのだろうか。そんなことはない。その本の中にあるのは、最も美しくさされたチェスの試合以外の何物でもない。フィッシャーの「独特の資質」は超人的な方法において彼が精確に天文学的な数の指手から非常に限られた適切な手を選んで組み合わせ、相手に壊滅的な打撃を与える攻撃と、相手からの攻撃に揺るがない防御とを作り上げることに見て取れる。言い換えると、彼の独自性は厳格に決められたチェスの規則体系の範囲内において顕現する。ゴロンベックはこう述べることで「unique」という語を使うことをとり急ぎ正当化している。
しかし、棋譜の寄せ集めでどのような種類のチェスプレイヤーの「特性」を表せるのだろうか。このフィッシャーの試合の集積物はその名人がレイキャビクでの世界選手権においてどのように独特に振舞ったか、失敗したかさえ私たちに伝えるのだろうか。それはルールや戦略の点において一般のチェスと何か独特に異なるものの記録なのだろうか。そんなことはない。その本の中にあるのは、最も美しくさされたチェスの試合以外の何物でもない。フィッシャーの「独特の資質」は超人的な方法において彼が精確に天文学的な数の指手から非常に限られた適切な手を選んで組み合わせ、相手に壊滅的な打撃を与える攻撃と、相手からの攻撃に揺るがない防御とを作り上げることに見て取れる。言い換えると、彼の独自性は厳格に決められたチェスの規則体系の範囲内において顕現する。ゴロンベックはこう述べることで「unique」という語を使うことをとり急ぎ正当化している。
私は、彼のチェスは先人たちの影響をまったく受けていないといっているのではない。誰一人、いわば真空の状態からはじめることなどできないし、すべての人、まったくの素人から最上級のグランドマスターまで、は時代を超えたチェスの発展の、連綿と続く途切れることのない鎖の一部なのだ。
おそらく私たちはこの一匹狼のチェスの天才についてなされた明確な発言から、個人主義の時代には常に心に留めておかねばならないことを一般化できるだろう。あなたが今からかかわろうとし、深く没頭するようになる長い伝統や慣習の基本的なルールを知らずに、本当に「独特の」ものや、「独創的な」ものに出会うことなどないのである。
この文脈の中でもう一つ指摘しておきたいのは、独自性や独創性というのは、到達することを望む目的ではなく、あなたがその活動を通して、自分を成長させようとする努力に比例する結果として、無意識に得る特性なのだということである。それはちょうど、助けを求めるとすぐに飛び去ってしまうが、彼が賛同することにあなたが最大限の努力をしているときに、気付かれないようにあなたを助けに降りてくるいたずら好きの天使に似ているのである。
Pablo Picassoの初期の芸術家としての経歴は独自性や独創性がどのようにして、伝統や習慣の既存の枠組みの中の、長い多大な労力を要する努力の結果として生まれてきたかを示す。私たちは彼のキュービズムによる絵に大変親しんでいるため、彼は物を「独自の」方法で見る能力を賦与されて生まれてきたと考えがちであるが、それは正しくない。Picassoは十代前半は慣習の代表のような画家として出発したが、基本的なスケッチを大量に自らに課すことで、徐々に自らの画法を形成していったのだ。彼の親友の一人は、彼が捨てたスケッチシートの山は長い冬の間、ストーブの十分な燃料になったという信じがたいほどの事実を証言する。彼の画法を真似すれば、あなたは無名の、第2のPicassoの亜流になれるかもしれないが、彼が通った過程を飛ばすと、決して彼のような存在になることはできない。
個人主義は民主主義の基本原理の1つであり、個人はともに作り上げる集合体、家族・社会・国家などに優先するという考えは、異なるレベルの人間関係の規範に浸透している。人々は個人として目立とうと、また他人とは「独特の」違いを持とうとしている。アメリカのテレビ番組は人々に「自分自身」であることを推奨している。しかし、軽々しく他人と異なろうと努力しても、変人であるという結果に終わることがしばしばある。私たちは人間社会のシステム全体の中でのみ「私たち自身のように」意味のある振る舞いができるのであり、それゆえ、まず第一にシステムを学ぶために大いに努力する必要があることを常に気にかけておかなければならない。
このセッションに使用した文章は、シカゴ大学のNorma Field教授が2002年卒業予定の学生たちのために作った演説から取ったものである。これを読み、自分自身を育てるためにあなたは今、何をすべきか考えてみなさい。
この文脈の中でもう一つ指摘しておきたいのは、独自性や独創性というのは、到達することを望む目的ではなく、あなたがその活動を通して、自分を成長させようとする努力に比例する結果として、無意識に得る特性なのだということである。それはちょうど、助けを求めるとすぐに飛び去ってしまうが、彼が賛同することにあなたが最大限の努力をしているときに、気付かれないようにあなたを助けに降りてくるいたずら好きの天使に似ているのである。
Pablo Picassoの初期の芸術家としての経歴は独自性や独創性がどのようにして、伝統や習慣の既存の枠組みの中の、長い多大な労力を要する努力の結果として生まれてきたかを示す。私たちは彼のキュービズムによる絵に大変親しんでいるため、彼は物を「独自の」方法で見る能力を賦与されて生まれてきたと考えがちであるが、それは正しくない。Picassoは十代前半は慣習の代表のような画家として出発したが、基本的なスケッチを大量に自らに課すことで、徐々に自らの画法を形成していったのだ。彼の親友の一人は、彼が捨てたスケッチシートの山は長い冬の間、ストーブの十分な燃料になったという信じがたいほどの事実を証言する。彼の画法を真似すれば、あなたは無名の、第2のPicassoの亜流になれるかもしれないが、彼が通った過程を飛ばすと、決して彼のような存在になることはできない。
個人主義は民主主義の基本原理の1つであり、個人はともに作り上げる集合体、家族・社会・国家などに優先するという考えは、異なるレベルの人間関係の規範に浸透している。人々は個人として目立とうと、また他人とは「独特の」違いを持とうとしている。アメリカのテレビ番組は人々に「自分自身」であることを推奨している。しかし、軽々しく他人と異なろうと努力しても、変人であるという結果に終わることがしばしばある。私たちは人間社会のシステム全体の中でのみ「私たち自身のように」意味のある振る舞いができるのであり、それゆえ、まず第一にシステムを学ぶために大いに努力する必要があることを常に気にかけておかなければならない。
このセッションに使用した文章は、シカゴ大学のNorma Field教授が2002年卒業予定の学生たちのために作った演説から取ったものである。これを読み、自分自身を育てるためにあなたは今、何をすべきか考えてみなさい。
ONLY YOU Norma Field
私は、あなた方のどれほどがRobinson Crusoeを読んだことがあるかはわからないが、おそらくあなた方は、それは独力で社会の基本になるものを作り上げた、無人島に置き去りにされた男についてかかれた18世紀の小説だということは知っていると思う。いや、完全に独力というわけではない。なぜなら彼は、忠実な下僕であるFridayの力を、彼を人食い人種から救出した後に得たからである。Crusoeは多くの18世紀の思想家にとっては規範的人物であった。彼らはCrusoeに自然を支配することで文化を作り上げたという理想を彼に見出したのである。Karl Marxは、思想家たちはCrusoeを何もないところ、というよりは自然の中から急に現れた完璧に孤立した人間だと誤解しているとして痛烈に批判した。彼らは個人のように複雑なものを作るときに、歴史的に必要な過程を無視しているのだ(私は、あなた方それぞれが、自らのことを個人であり、複雑なものだと考えていると確信している。それで正しいのだ。)。彼は、「人類とはただ単に群れているだけの動物ではなく、社会の中でのみ、自らを同州の他の個体と明確に区別できる動物である。」と書いている。社会の外での人の活動について考えることについて、彼はこう続けている。「それは、共に住んで、互いに語る相手もいない中での言語の発達と同じくらいばかげたものである。」彼は個人の存在を否定しているわけではないことに注意してください。個人はもちろん存在しているが、それはMarxが社会的関係とよぶものから構成されたものとしてである。
Marxは社会関係を、権力に依存する、権力の差を生み出す経済過程の点から、詳しく説明している。非常にしばしば学者(銀行員や政治の専門家も)は、経済の過程が、どのようにお金から離れた人間の生活の詳細になるかについて考えることを忘れている。そこで、それをもう1つの目的から突き止めて、あなたが何者であるかという視点から社会の関係について考えてみよう。例えばあなたが文字通りに両親の生産物だとしたら、私たちは両親が出会った理由のすべてについて考えなければならない。私たちは他の家族のメンバーや、自らが育った場所、どんな学校に通っていたか、見た映画、親や友人の話す言葉(たとえ両方が英語だったとしても、それらは全く異なっていることもあるのだ)、あなたの着ていた服についても考えなければならない。重要なものは場所を含む物だけではない。重要なのは関係、あなたの生活の一部を作り上げている収入源・知識・技術・友人・隣人なのである。たとえば、あなたの服はあなたのために選ばれたものだろうか。あなたが服を買えるとしたら、そのお金は、自らで稼いだものだろうか、それとも自分に与えられたお金だろうか。あなたは車を使える立場にあるだろうか。それとも公共交通機関を自在に使える専門家になっていただろうか。
背景の多様性を体現する独特の存在であるあなたの能力とは何であろうか。私たちが社会的に生み出されている部分、分析する部分を大変誇張しすぎたので、私はしばらくの間、再び作り出す部分、むしろ、今の確固としたあなたに焦点を当てたいと思う。私は、ある児童書の編集者が、とても若い作家、いや実は未来の作家でまだ高校にいる人だが、に向けて送った手紙から引用することで、そのことを行おうと思う。
そして、あなたが私に伝えたことはあなただけが知っているということを忘れてはいけない。他の誰も、あなたが何について知っているかということを正確には知らない。そういうわけで、あなたの考えや感情を絵本の形で書きとめておくことは大変重要なことになるだろう。
その編集者の名前はUrsula Nordstromであり、彼女は1940年から1973年までHarperの児童書部門の管理者であった。彼女は革新的な存在であり、「悪い子によい本を」作ろうとした人物で、あなた方の多くは覚えているかもしれないが、Goodnight moon、Charlotte’s Web、Where the Wild Things Areといった本を世の中に送り出したのだ。この引用文はアフリカ系アメリカ人の作家・イラストレータのJohn Steptoeへの手紙からのものである。
私が始めてこの手紙を読んだとき、”only you”がすべて大文字であったので、私は即座に、これは編集者から駆け出しの作家に送るためだけではなく、教師が生徒に送るためにも素晴らしいことだと思った。私が明確に説明しようとしてきた理由から、それはどんな生徒に対しても当てはまるものなのだ。しかしNordstromは誰も、「誰もあなたが何について知っているかは知らない」と主張した後に、「考えや感情を書き留めておきなさい」と助言していることに注目してほしい。私が思うに、彼女は、世界が能力ある若者の独特の知識を見ることができることの重要性を強調していると思う。そしてこれは、絵本の形式ではないとしても、何度も何度も要求されるだろうことであり、感情ではなく考えのほうに重点が置かれるだろう(しかし、知識を形作る上では、感情的な動きがかなりの働きをすることを心に留めておきなさい)。あなたは自分の教育を、成長していく自分の知識を書き留める能力を通じたあなたが知っていることとの出会いの連続だとさえ考えるかもしれない。その結果としてあなたは中に入ろうと要求している新しい知識に対してより確かな視点を持つことになる。
私はもちろん比喩的に内側と外側の言葉を使っている。私たちが経験から知っていることを「あなただけが知っている」のは、知識とはあなたの内側で、奇跡的に何もないところから発生するためではなく、あなた方のそれぞれは世界との相互作用における独特の歴史の積み重ねであるからである。その家庭に終わりはないが、私たちがそれについて関心を持つほど、世界に与えたり、世界から受け取ったりする活動は多くなる。
Marxは社会関係を、権力に依存する、権力の差を生み出す経済過程の点から、詳しく説明している。非常にしばしば学者(銀行員や政治の専門家も)は、経済の過程が、どのようにお金から離れた人間の生活の詳細になるかについて考えることを忘れている。そこで、それをもう1つの目的から突き止めて、あなたが何者であるかという視点から社会の関係について考えてみよう。例えばあなたが文字通りに両親の生産物だとしたら、私たちは両親が出会った理由のすべてについて考えなければならない。私たちは他の家族のメンバーや、自らが育った場所、どんな学校に通っていたか、見た映画、親や友人の話す言葉(たとえ両方が英語だったとしても、それらは全く異なっていることもあるのだ)、あなたの着ていた服についても考えなければならない。重要なものは場所を含む物だけではない。重要なのは関係、あなたの生活の一部を作り上げている収入源・知識・技術・友人・隣人なのである。たとえば、あなたの服はあなたのために選ばれたものだろうか。あなたが服を買えるとしたら、そのお金は、自らで稼いだものだろうか、それとも自分に与えられたお金だろうか。あなたは車を使える立場にあるだろうか。それとも公共交通機関を自在に使える専門家になっていただろうか。
背景の多様性を体現する独特の存在であるあなたの能力とは何であろうか。私たちが社会的に生み出されている部分、分析する部分を大変誇張しすぎたので、私はしばらくの間、再び作り出す部分、むしろ、今の確固としたあなたに焦点を当てたいと思う。私は、ある児童書の編集者が、とても若い作家、いや実は未来の作家でまだ高校にいる人だが、に向けて送った手紙から引用することで、そのことを行おうと思う。
そして、あなたが私に伝えたことはあなただけが知っているということを忘れてはいけない。他の誰も、あなたが何について知っているかということを正確には知らない。そういうわけで、あなたの考えや感情を絵本の形で書きとめておくことは大変重要なことになるだろう。
その編集者の名前はUrsula Nordstromであり、彼女は1940年から1973年までHarperの児童書部門の管理者であった。彼女は革新的な存在であり、「悪い子によい本を」作ろうとした人物で、あなた方の多くは覚えているかもしれないが、Goodnight moon、Charlotte’s Web、Where the Wild Things Areといった本を世の中に送り出したのだ。この引用文はアフリカ系アメリカ人の作家・イラストレータのJohn Steptoeへの手紙からのものである。
私が始めてこの手紙を読んだとき、”only you”がすべて大文字であったので、私は即座に、これは編集者から駆け出しの作家に送るためだけではなく、教師が生徒に送るためにも素晴らしいことだと思った。私が明確に説明しようとしてきた理由から、それはどんな生徒に対しても当てはまるものなのだ。しかしNordstromは誰も、「誰もあなたが何について知っているかは知らない」と主張した後に、「考えや感情を書き留めておきなさい」と助言していることに注目してほしい。私が思うに、彼女は、世界が能力ある若者の独特の知識を見ることができることの重要性を強調していると思う。そしてこれは、絵本の形式ではないとしても、何度も何度も要求されるだろうことであり、感情ではなく考えのほうに重点が置かれるだろう(しかし、知識を形作る上では、感情的な動きがかなりの働きをすることを心に留めておきなさい)。あなたは自分の教育を、成長していく自分の知識を書き留める能力を通じたあなたが知っていることとの出会いの連続だとさえ考えるかもしれない。その結果としてあなたは中に入ろうと要求している新しい知識に対してより確かな視点を持つことになる。
私はもちろん比喩的に内側と外側の言葉を使っている。私たちが経験から知っていることを「あなただけが知っている」のは、知識とはあなたの内側で、奇跡的に何もないところから発生するためではなく、あなた方のそれぞれは世界との相互作用における独特の歴史の積み重ねであるからである。その家庭に終わりはないが、私たちがそれについて関心を持つほど、世界に与えたり、世界から受け取ったりする活動は多くなる。