関係あるとみられるもの
秦こころ(東方心綺楼)
霊烏路空(東方地霊殿)
住所
京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
京都市バス202, 207, 208系統「今熊野」より徒歩3分
新熊野神社
境内にある看板によると、観阿弥・世阿弥による今熊野での猿楽演能は「それまでの能(大和猿楽)」に革命をもたらし、
現代の「能」「狂言」「歌舞伎」は全て今熊野猿楽に始まるとしている。
また応安7年(西暦1375年)に当時の新熊野神社の例大祭で今熊野猿楽が行われ、さらに当時はこの神社が足利将軍家や
北朝の歴代天皇と密接な関係にあったため、義光はこの年の例大祭で観阿弥・世阿弥の「能」を鑑賞したと考えられているらしい。
さらにその演能地は当時の鳥居をくぐったすぐ左側と考えられているらしく、看板には「ここしかない」という言葉で強調されていた。
「今熊野猿楽図」の碑
「能」の碑と能楽の歴史を示す碑
「熊野」という名前の通り熊野三山と関係があり、境内には熊野古道を再現したとされる「京の熊野古道」がある。
この神社が神仏習合を強く推し進めていたこともあって、古道の中にはそれに関連する説明が多くあり、
熊野信仰を象徴する八咫烏をはじめ、荼枳尼天(だきにてん、ここでは伏見稲荷大社の祭神である稲荷大神と同一視される)や
矜羯羅童子(こんがらどうじ、ここでは不動明王と同一視される、靈異伝のkonngaraの元ネタとされることもある)などが紹介されていた。
2015年8月現在、本殿向かって右手側の古道に通じる道が工事中のため、通り抜けることはできず引き返す必要がある。
最終更新:2015年11月13日 00:08