関係あるとみられるもの
霊烏路空(東方地霊殿)
住所
〒606-8392 京都府京都市左京区聖護院山王町43
京阪鴨東線「神宮丸太町」より東へ徒歩5分
京都市バス31, 65, 93, 201, 202, 203, 204, 206系統「熊野神社前」より徒歩すぐ
熊野神社
平安末期に熊野信仰が盛んになり、後白河法皇は熊野詣でを行うとともに、紀州の土砂や樹木を用いてこの神社の整備を行った。
室町時代には足利義満から土地を寄進され、鴨川にまで及ぶ広大な境内があった。
歴代天皇や庶民からの信仰を集めたが、応仁の乱によって荒廃し、江戸時代になってから再興された。
熊野信仰は神武天皇の東征を導いたとされる八咫烏と深いつながりがあり、この神社にも数多くの烏の絵が描かれている。
サッカー日本代表が八咫烏をシンボルマークとしていることから、それに関連した「サッカー守り」なるものも社務所で売られていた。
また同じく売られている「からす守り」のご利益は「道中守護・勝運」とのこと。なんとも縁起がよさそう。
境内には「八ッ橋発祥之地」の石碑があり、八ッ橋を発展させた中興の祖といわれる西尾為治の説明がされている。
八ツ橋の発祥については、筝曲の祖である八橋検校の死を偲び箏の形を模して元禄時代に作られたという説があるが、
「本家」だの「本舗」だの「元祖」だのが乱立する現在では各製造元がそれぞれ主張しており定かではない。
八橋検校の墓は、ここから北東へ少し離れた
金戒光明寺にある。
最終更新:2015年11月13日 00:07