信仰の報償/Reward the Faithful ◆gcfw5mBdTg
夜は明け、妖怪の時分は幕を閉じたというのに、いたるところに闇が蠢き、瘴気が跋扈する不気味な森林。
この森は、侵入者を好まず、立ち入った者に化け物茸の放つ瘴気で追い返す。
だが、物好きというのは、どの世界にも存在しており、この幻想郷でも例外ではなかった。
特に化け物茸による幻覚を、魔法へと転用できる魔法使いが、その例外の中でも最も多い。
此処は、そんな物好きの一人の棲家。
苔や蔦が壁を取り囲む古ぼけた洋風の家屋――霧雨魔法店。
そこに、いま、殺戮劇を強要された二人の迷い子が、辿り着く。
「……ここが、魔理沙さんの家なのですか?」
一人は紫色のショートヘアの少女、古明地さとり。
黄色のハートのアクセサリーがところどころを彩る、不思議な印象を与える水色の衣服に身を包み。
胸元には瞳を模ったアクセサリー……ではなく、さとり妖怪の一部であり、象徴でもある第三の目が飾られている。
細められている穏やかな両目とは異なり、唯一、その目だけは、はっきりと開き、異彩と神秘を放っていた。
「ええ。神社の石段からほんの少しだけ見えてましたし、一度訪れたこともありますから。あ、燐さん、この銃どうぞ」
もう一人は、用心のためにと、さとりに銃を手渡している少女、東風谷早苗。
エメラルドの髪を一房、サイドに縛った髪型に、蛙と蛇を模した髪飾りで彩っている。
声色の明るさに反し、整った柔らかな容姿は、憂いの影を堪えていた。
自身が着用している、鮮血の真紅に染め上げられた巫女服が、その原因だろう。
古明地さとりと東風谷早苗、二人が此処へ訪れたのは、早苗の衣服の調達と、さとりの目的からである。
早苗の目的である誤解の解消は後回し、というよりも探し人の向かった方角すら分からなくては、どうしようもない。
銃を受け取ったさとりは、一階の窓の外から、内部を慎重に調べた後、物音にも注意を払うが、人妖の姿や気配は、一見したところ察知できない。
さとりは、残念と安心が入り混じった複雑な心持ちで、ほっ、と息を抜き、ノブを回し、ドアが開くというところで――。
――殺戮劇のSTAGE1の閉幕と、STAGE2の開幕を意味する神の囁きが、会場へと浸透する。
幸いにして、双方の親類縁者は含まれてはいなかったが、僅か六時間で参加者の四分の一以上が露と消えたという衝撃の内容。
拝聴していた二人の表情が、不安めいた影に覆われる。
「じゅ、十四人ですって!」
早苗はあまりのショックに、首を横に振り、ふらりと頼りなくよろめいた。
「だ、大丈夫ですよ……。神奈子様や諏訪子様ならなんとかしてくれます」
そう言って、自分の胸をポンと叩き、ふぅ、と唇から息を吐き出し、不安を払拭するようにしきりに頷く。
言葉だけならば、同行者を安心させようという意思だが、さとりの第三の目を通さなくとも、自らに言い含めたいという想いが、ひしひしと見て取れる。
さとりは、内面のざらついた心を隠し、瞳を冷たく細め、惰性で頷き。
「その二人は、貴方にとってどんな役割なのでしょうか?」
さとりは、早苗の顔を覗き込むように問いかける。
早苗を落ち着かせるための会話ついでに、ペットに勝手に力を与えた神の人柄を聞き出す、という目論見によるものだ。
「う~ん。親……というところでしょうか」
早苗の沈鬱な顔立ちに笑みが灯される。
思い返すだけで、身を抑圧する恐怖から抜け出せるあたり、絶対の敬愛と信頼を携えているのでしょう、と、さとりは理解する。
その後もしばらく、二柱の神について会話を交わし、早苗が完全に落ち着いたことを確認したさとりは、今度こそドアを開き。
万が一、誰かがいたとき、早苗の服を目撃されないように、さとりが、まず覗く。
……ごちゃごちゃ。
霧雨魔法店の内情は、一言で表せばそんな言葉がぴったり来るほどの悲惨な状況。
バリケードのようなものが崩れた跡や、本、茸、実験器具などが、塵のように散らかっている。
音を立てずに行動することは不可能だろう。
「あっ、ちょっと待っててくれませんか?」
と、そのとき、早苗がさとりを呼び止めた。
何事でしょうか、とさとりが不思議にしていると。
早苗は、きょろきょろと辺りを見回し、振り撒かれている木の葉を踏みしめながら、霧雨魔法店のすぐ隣の井戸へとゆっくり近づいていく。
そして、井戸から桶に冷水を汲み……頭から思いっきり冷水を被る!
「――――!!!」
無論、無傷であるはずもない。
春先とはいえ、戸外で非常に冷えた井戸水を被れば、凍えるような寒さになるというのは誰でもわかる。
キンと底冷えのする濁流に身を揉まれた早苗は、声にならない間の抜けた声を上げると同時に、体が浮いた。
それでも二度、三度、苦行を繰り返し、冷水が体を伝い、衣服と体から大半の血を洗い流し、剥き出しの大地に滴って、粗い土に染み込んでいく。
「…………」
目を大きくまんまるに見開き、ぽかーんと佇んでいたさとりが、平静を取り戻し、冷めた視線で早苗を見やる。
「うう……お風呂だとお待たせさせてしまいそうなので……つい、勢いに任せたのですが。
……無謀でした。そこで着替えてきますね……」
早苗は自らが晒している姿に羞恥を感じ、微かに頬を赤く染めた。
そして歯をガチガチと鳴らしながら、さとりの横を通り、霧雨魔法店へと入り、その一室へと踏み入る。
さとりは、それを、両の目だけでなく第三の目までもを用いた呆れた眼差しで見やりながら、後に続き、魔理沙の部屋の前へと到達した。
◇ ◇ ◇
早苗は部屋の中で着替えており、他に人の気配はない。
人心地ついて気を抜いたのか、さとりは、早苗の入った部屋の扉を背もたれに、しなだれる様に身を委ね、座り込んでいた。
気分転換のためか、常為らぬ素直な微笑みを浮かべながら、気怠そうな瞳を、虚ろなる窓の外の景色に向ける。
生い茂るのは、日光を遮り、雰囲気を暗く染めている、大小の濃い緑の大木群。
年月の風化に晒された魔法の森の景色は、恐怖と不安を齎す、自然の恐怖を創りだしている。
……ただ暗く深い森林……。
その寂しさは、さとりの棲家である地底を想起させ、無性に過去の思い出に浸りたくさせた。
重い目蓋を閉じる。
想起するのは古明地こいし、火焔猫燐、霊烏路空。
地霊殿にて同居している、妹と二人のペット。
どんな顔で笑っていたのか、どんな声で笑ったのか。
それらを思い浮かべながら、自らの紫髪を指先でくるくるし、耳にかけたりしながら、まどろんでいた。
しかし、そのまどろみは、ほんの数秒の後、風が揺らした枝の音により破られた。
現実へと引き戻されたさとりは、不安や迷いや混乱がいくらでもあることに徒労感を感じる。
それでも、未来を按じ、色々な感情の混ざった溜息を零しながら、現状を改善しようと必死に思考を巡らせ始める。
…………。
少々の時間を経て。
「……早苗さん」
静かな空間で気だるそうに口を開くさとり。
「はい?」
扉の向こう側で、濡れた髪をタオルでがしがししていた早苗が反応を返す。
「貴方は、これから神社へと戻るつもりですか?」
いつも通りの、淡々とした声。
「……えーと……そうしたいですね……誰かが呼びかけに答えてくれているかもしれませんし。
三人寄らば文殊の知恵ともいいますし……夏休みの宿題だって人を集めれば一日で……」
自信なさげに、ゴニョゴニョと言いよどみながらも意思を表明する早苗。
「……既に一度、兎に騙されたのでしょう? ……撃たれそうになったのでしょう?
此処は執念、妄念、諦念、無念、敵意、悪意、害意、様々な妄執が渦巻く地獄。
そんなところで何故――他人を信じれるのですか?」
唐突に、さとりの声のトーンが変わる。
早苗の思考を、都合のいいように誘導させ、なおかつ、心を読む能力に頼らずにやってみようという試みだ。
進むべき道を見据えれば、これぐらいできなくて話にならない。
さとりが早苗に求めているものは、さとりへの信頼、さとり以外への警戒、そしてそれによる――人選の主導権。
魂を削り、精神を磨り減らす、この地獄で、自らの心の内は唯一といえる避難場所。
そんな安住の地を荒らされ精神を犯されるに等しい悪行の結果が、如何ほどの苦痛になることか。
更に、騙していたということも加味すれば、それまで笑っていた目も警戒や恐怖に染まり……。
……さとりの末路は良くて追放、最悪は――であることは想像に難くない。
さとりを知らない人妖ならば、早苗と同じように、騙し騙し、付き合う。
さとりの性質を把握し、心を読まれても動じない友好的な人妖ならば、うまく口裏を合わせるよう依頼する。
集団に属する人妖を、この二種類に選別しなければ、到底、さとりを含める集団の和は保てない。
もしも、さとりの性質を把握し、敵視する人妖と出会えば……。
機先を制し、本性を暴かれる前に、同行者と逃亡するか……。
相手の言動を虚偽と断定し、口八丁で同行者に信じ込ませるか……。
もしくは……同行者に目撃されないよう、――――か。
「人を集めるという行為自体は否定しません
けれども……人も妖怪も神も決して綺麗なものではないのです」
さとりは、数百年を心を読む妖怪として過ごした実感を籠めた言葉で、自身にも言い含めるかのように、語る。
「この地獄に棲まう限り……どんな存在であっても、犠牲がなくては生を謳歌できぬ獣に過ぎません。
――例えば、このように」
ガチャリ。
さとりは、自嘲の笑みを浮かべながら、両手に収まっている銃を弄り、不吉な音を響かせる。
扉の向こう側にいる早苗に、神社での一件を想起させるには十分な行動。
それを証明するかのように、扉の向こう側からは、本かなにかと衝突したような物音が響いた。
「理解しましたか?
……地獄で、儚き生命を維持したいのならば、相手の素性は必ず疑わなければならない。
神社に戻り、気性が知れない輩でも気にせず、不用意に人を集めるという行動は推奨できません」
感情を称えぬ瞳と抑揚の少ない声で、粛然に辛辣な意見で畳みかけるさとり。
経験済みの窮地を想起させられた早苗の心を、じわりじわりと侵食していく。
重苦しい沈黙が二人の間に立ち込め始める。
さとりとしては、『なぜ、私と同行するのですか?』といった感じの返答を予想していた。
しかし、いくら待ち構えていても、終始無言。
さとりは、……少しやりすぎたのでしょうか、と負い目と罪悪感を感じ、我ながら情けない限りですね、と自嘲した。
数百年生きている妖怪が、儚い尺度を輪廻する人間、それも十代の子供の精神を丸裸にし……心的外傷を抉る。
さとり妖怪としての性質を、本気で行使しているわけではないとはいえ、決して誇りにはできない罪業。
だが、それでも。
さとりは、自分のエゴを突き通さなくてはならない。
何も動かずとも、順風満帆に歩める永遠などという都合のいい未来など、幻想にしかないのだから。
……ぁ……ぅぅ。
突如、扉から漏れる幽かな声。
静寂だけが蔓延する中、漏れた声は――嗚咽。
さとりには、それが、痛みに耐え兼ねている子供のように感じられた。
だから、一拍の間を置き、告げる。
「……心が欲するままに従うことをお勧めします。
……涙は、悲哀を洗い流してくれますから」
――こいしは、涙すら流し尽くしたから、目を閉じてしまったのでしょうか。
懐かしいことを思い出してしまった、と言いたげなさとりの目は、どこかここではないところを見ていた。
早苗の涙に感化された影響か、不思議と涙が零れそうになってしまい、顔を伏せる。
◇ ◇ ◇
「――っぅ。
っあ、ふあぁ、うっ……」
感情の堤防に穴を穿たれた早苗は、とうとう堪え切れず、嗚咽を漏らし。
涙ぐんだ表情で、ぺたん、と情けなくその場に尻餅をつく。
早苗の心中に氾濫するのは〝平和な日々に、突如、来訪した理不尽を嘆きたい〟という想い。
きっと、この会場に存在する参加者のほとんどが、大なり小なり内包している、偽らざる本音だろう。
死にたいわけがない。苦しくないわけがない。悲しくないわけがない。無力でありたいわけがない。
だけど、下を見て地獄の底にいることを自覚すると、自分を見失ってしまうかもしれない。
だからこそ、弱き者は。
家族、友、恋人、自分、世界、力、
そういった様々な理由で、己を奮い立たせ。
〝勇者〟もしくは〝悪魔〟の仮面を被り〝上〟を向く。
そうすることで〝弱さ〟と〝死〟から目を背け、無意識に自分を誤魔化してしまう。
しかし、それは、何時切れるやも判らぬ脆い糸。
仮面を被れば、本当の意味で現実を見据えることは叶わない。
上だけを見ていれば、足元はおろそかになり、注意力や警戒心が薄れ、大事なことを見落としてしまう。
そして、古明地さとりも東風谷早苗も、弱き者だった。
古明地さとりの思惑は〝不完全〟なものでしかない。
成就しても、放送による火焔猫燐の発表という懸念が残ってしまう。
そんな不完全なものになってしまったのは、最悪の答えに直面するのを恐れ……火焔猫燐の死を無意識に除外していたからだ。
火焔猫燐だけでなく、古明地こいし、霊烏路空も同様。
現実を見据えれば問題の先送りでしかないことは、本来のさとりならば自覚できたはずだ。
東風谷早苗は、戦乱からは程遠い外の世界の人間社会の一部として、人生の大半を過ごしていた。
特殊な能力を保持しているといっても、そんな一般人が、生命の危機に素面で対応できるはずもない。
外見をいくら取り繕っていても……殺し合いへの参加、てゐの裏切り、血液の感触と不快感を催す巫女服。
そして、なによりも……、〝人が死ぬ〟という実感が、心の奥深くに刺さった楔と化して、絶えず早苗の精神を圧迫していたのだ。
修羅場を潜り抜けた人妖ならば、いずれは仮面を素顔と同化させることもできる者もいるだろう。
強靭な精神を保有する人妖ならば、そもそも仮面を被る必要性すら見出せないだろう。
だが、今の二人はそうではなかった。
「なんでっ、こんなことにっ……。
っあ、神奈子様や諏訪子様と、楽しく過ごしてただけっ、なのにっ。
みんなで、異変を、解決しようとし、ただけっなのに……。
なのにっ、なんでっっ! こんなとこ、ろで、殺しあっ、えって言わっれて。
てゐさんに銃を、向け、られてっ、初対面の、人に、人殺しだっって目で、見られて、
私の、せいでっ、人が死ぬな、んてっ……。っあぁ……あっ、あぁぁああぁぁっ、ああああぁぁ……」
胸の奥から溢れ出る何かはどうする事も出来ず、堰を切ったように咽び泣き、背負った運命をぽつりぽつりと嗚咽交じりに吐露する。
瞳が時折瞬きを繰り返し、澄んだ水音を響かせる。
「……人を信じ、るというのは…………間違ってい、るのでしょう、か?」
俯き、懸命に顔を隠しながら、それでも涙は止まらない
幾粒もの涙の粒がぽろぽろと零れては、服を濡らしていった。
涙と共に、心のもやもやも流れてほしいと、ただ願っていた。
「……いいえ。
それは、人間が失ってはいけない、とても大切で、正しいものでしょう。
だけど……ここでは意味を成さない。
一時的でいいのです。生きたいという意志からくる行動は、決して否定されるようなものではないのだから」
善意を飲み込み、安寧を侵食する存在――悪意。
それに対し、理想や想いでは、無力でしかない。
◇ ◇ ◇
早苗の嗚咽もいつしか止まり、またもや静寂が場を支配した。
…………。
数分の逡巡を経て、扉が内側からノックの音を通す。
部屋から出た早苗は、いまだ凍えているのか、早苗は魔理沙の部屋から失敬した薄い布団で身を包んでいる。
その下には、霧雨魔理沙のエプロンドレスを清楚に着こなし、右手には博麗霊夢のお払い棒を持っている。
そして――裾でぐしぐしと、泣き腫らした曇りなき瞳を擦っていた。
「……ごめんなさい。辛かったでしょう」
暖かな微笑みを早苗への返事としたさとりは、細くしなやかな震える指先で、早苗の頭を撫でる。
「泣いても、やっぱり……辛いです。
でも、ましには、なった……かな。……ありがとうございます」
迷いを抱えながらも、必死に表情を作っているといった様子だ。
握った拳は、いまだにかたかたと震えており、ぐっと己を抱き締める腕にも力が篭もっている。
やがて冷静さを取り戻し、気恥ずかしくなった早苗は、撫でているさとりの手に、自分の手を重ねる。
さとりも、それを受け入れ手を引っ込める。
そして、いま気づいたとでもいうように、早苗の右手のお払い棒に視線を向けた。
「これは私の支給品だったんですが……あんまり使いたくなかったもので……。
あ、あとはもう、ここにくる前に話した、灯りの点いてない行灯と制限解除装置だけしかないですよ」
早苗は、あっ、というような表情を見せ、どこか困っている様な、そんな半笑いで必死に弁明する。
今まで隠していたのは、武器を行使した結果の一つである〝死〟を、無意識に忌避していたのだろう。
易々とさとりに銃を渡したり、唐突に水浴びを行ったりしたのも、そんな理由が混じっていたのかもしれない。
「えーと、これからのことなんですが――」
早苗が話題を流すかのように、なにかをいいたげに言葉をつむいだ時。
くぅ~。
と、小さく早苗のお腹が鳴った。
「……とりあえずなにか食べましょうか?」
「はい……」
話題どころか閑静な雰囲気を吹き飛ばしてしまった早苗は、恥ずかしそうに俯きながら表情を染める。
「……先程話したこれはどうでしょう?」
そう言い、さとりは袋から二個のケーキを取り出し、でんっと置いた。
生クリームでスポンジを匠に飾り、沢山の鮮やかな苺で彩ったオーソドックスなホールケーキということだけは共通している。
まずは左のケーキ。
上面に、『失敗作』と器用にクリーム文字で描かれている。
よくよく見れば、端の一部が型崩れしているように見えなくもない。
そして右のケーキ。
こちらの上面には、×100、×10、×1といった数字が描かれた、火の点いていない蝋燭が、幾つも立てられている。
そして中央には、フランドールという少女の誕生日を祝うという内容を示す絵が描かれているカード。
所謂、誕生日ケーキと呼称されるものだ。
「ああっ!これがさっき言ってたケーキですね!」
早苗は聞く者をも歓喜に染めるような、喜びが滲んだ声を上げる。
漂ってくる香りに食欲を刺激され、思わず喉を鳴らすあたり、まだまだ子供である。
幻想郷に訪れてから久しく目にしていないそれに欲望に掻きたてられ、つい付属のフォークに手を伸ばそうとした。
しかし、すぐに表情を真剣なものへと変え、その手を、すぐに引っ込ませる。
「支給品って大丈夫なんですか、これ?」
早苗は不安げにケーキを観察している。
ケーキを食べたいと露骨に態度で訴えているが、命の危機がそれを必死に押し止めているようだ。
「まだ食べてはいませんが……このケーキに細工をしている形跡は見られません。
でも0ではないことは確かです。
――これを、お互いに、食べさせあうというのはどうでしょう?」
そのリスクは、どうやっても0にはできない。
だが、説明もなしに、食べれば死ぬというものを支給するというのは考えにくい。
だから、さとりは、毒ではないと踏み、思い切って、メリットを期待できる賭けに変質させた。
〝共有〟〝共同〟
この二つは信用を確かめあうには手っ取り早い方法だ。
経験、恐怖、リスク、運命といったものが代表的だろうか。
とはいえ、0に近くても、ケーキと命では、比べることはできないだろう。
ケーキをさとりが用意し、提案もさとりからとなれば、条件も平等ではない。
だが、それでも早苗は誘いに乗ると、さとりは予想していた。
一度裏切られたからこそ、もう一度裏切られるかもしれないという不安を早めに振り切りたい。
そんな思考に堕ちている、と読み切っていたからだ。
「0じゃないって……でも、それなら安心できるかなって、ええっ!
それって……いや、でも……幻想郷なら普通なの……ですか?」
だが、さとりの思惑は、ちょっと別の方向にずれることになった。
それも当然だ。外の世界では親しい男女限定の行為を強要されて、慌てないはずがない。
というか、幻想郷でも、こんなことをやる人妖は滅多にいないだろう。
しかし、幻想郷の常識をそれほど知らない早苗では、間違いだと断定できない。
「いつもそうしているわけではないですが……さほどおかしいというほどではないんじゃないでしょうか?」
そして、さとりはさとりで、幻想郷の常識から外れていた。
心を読むという人妖問わず忌避される能力の影響で、日常では外部と交流を断ち、周りは妹とペットだけ。
更には、教育方針が基本的に甘やかしなのだから、仕方ないのかもしれない。
「幻想郷ってやっぱりすごいところです……。
あ、なにか飲み物、淹れてきますね」
嘘がまったく含まれていない言葉に、ついつい信じ込まされた早苗は準備を整えるため、台所へと足を運んだ。
◇ ◇ ◇
準備は終了。
お茶を淹れた湯呑みで、カチンと乾杯し、宴が始まる。
「では……いただきましょう」
「はい!」
二人が選んだケーキは当然、誕生日ケーキではないケーキ。
最高の素材と技術で精製された逸品を、鈍い銀の光を放つケーキナイフで、四分の一を切り抜く。
早苗はケーキに付属されていた銀のフォークを手に取り、切り抜いたケーキから、苺を含んだあたりを一切れ、適当な大きさに切り取り。
さとりもフォークを手に取り、早苗の切り取った部分に近いところを切り抜く。
そして、ケーキをお互いに、相手の小さな口に、ぱくっと同時に差し入れる。
互いに顔を見合わせた二人の間で、共感が奔った。
溶けるような舌触りと甘さが、口内を満たし、郷愁と食欲をかきたて、うっとりと体を弛緩させる。
濃密な時間を過ごしてきた早苗にとって、何日振りかと錯覚してしまうほどの享楽。
ただ美味しいというだけでなく、日常の想起による逃避もスパイスとなっているのだろう。
さとりも、早苗ほどではないが一時の幸せを噛み締め、子供のような無垢な微笑を堪えていた。
「失敗作だなんてとんでもないです。
ここまでおいしいケーキだなんて……」
早苗は賛辞の言葉を呟き、甘いそれを音もなく咀嚼していく。
そうして食べ続けていれば、当然のように、舌は水を求め、自己主張を始めてきた。
その解消のため、お茶を啜り、口の中で転がし、転がし、嚥下する。
甘いケーキに渋いお茶は、まったくといっていいほど合わないだろう。
それでも、冷え切った体を、ほう、とさせる温もりに、自然と頬が緩ませた。
誰もが思わず表情を緩めてしまうような、そんな可憐な表情だ。
そうこうしているうちに、ケーキは半分以上消えうせ、残りはもう僅か。
早苗は、さとりが差し出している最後の苺に、らんらんと目を輝かせつつも、食べることをもったいなさげに渋る。
そんな幼さ残る仕草に、さとりは微笑ましさを覚え、子供を見守るように、やれやれと目じりを下げた。
…………。
「ごちそうさまでしたっ!」
「……ごちそうさまでした」
二人は礼儀正しく両手で拝み、食事に礼を述べる。
こうしてケーキは栄養と成り果て、雑談に花を咲かせた宴は閉幕を迎えた。
「こんなところで、おいしいケーキが食べれるなんて……。
でも……なにかよくわからない味が入ってませんでした?」
「そうですか? 私にはとくに……」
「そうですか……まぁ、幻想郷ですしね」
無理矢理自己解決した早苗は正解だろう。
……このケーキは吸血鬼のためのケーキなのだから。
とはいえ、誕生日ケーキという特性上、人間である調理人も食べれるように、ケーキに含まれる人間の血液は本来よりも少量に抑えてあるものだ。
安心したい早苗と、信頼を得たいさとりにとっては幸運、人間を食したい
ルーミアにとっては不幸なことに。
◇ ◇ ◇
「さっき言おうとしてたことなんですが…………やっぱり……博麗神社に戻ろうと思います」
ようやく人心地つき、冷静さが戻ってきた早苗は、先程の続きを提唱する。
「……危険です。
貴方の衣服に塗れていた血液の量から見るに、神社には死のマーカーが残されているでしょう。
もしもそれを見られたならば、かなりの警戒心を抱くと予想されます。
それでいて、神社へ人を集めた発起人ということが発覚すれば、結果は目に見えている」
自分への保身と早苗への心配からくる、さとりの本心からの言葉。
危険と判明している箇所に、無闇に突撃していては、命がいくつあっても足りるものではない。
「……でも、いかなくちゃいけないんです……。
私は使命である風祝として、神奈子様や諏訪子様の代弁者足り得なくてはならない。
だから、ちゃんと責任は取らなくてはならないんです」
毅然と真っ向から粘る早苗の瞳には、普通の人間には宿らない筈の神性が潜んでいた。
「……責任なんてものは、大人が背負うべきものです。
子供の唯一の責任は、大人へと成長すること。
そして、その晴れ姿を、親へと見せてあげることです」
妹の成長を阻害してしまった過去を噛み締めながら、さとりは悲しげな目で諭す。
「燐さんは優しい人ですね」
「……そんなことはありません」
さとりは、ついつい目線を逸らしそうになってしまう。
予想を遥かに超える立ち直りの早さと純粋さの持ち主の視線は、繊細なさとりの神経では耐え難かった。
「いいえ、なんといおうと燐さんは優しい人です」
それでも、良く通る抑揚のある声での純粋な言葉は、さとりを容赦なく抉り続ける。
……ここまで見る目のない人間も珍しいわね、と、さとりは心中でがっくりとうなだれ、全力で呆れた。
「私を誘ってくれたときもほんとうにありがたかったですし、さっきのケーキでもそうです。
私なんかとは違って、燐さんは〝安心〟を私に与えてくれました。
……神への信仰っていうのは、信じる方にも、色々と効能や意味があるんですが……。
そのなかで一番重要なのは、その〝安心〟じゃないかと私は思うんです。
……だから……つい……私もあんなふうになりたいな、って…………できれば行動も伴いたいんですけど……」
神を奉ずる少女は、儚く淡い泡沫のような願いを、とうとうと語り続ける。
穢れなき意思は、耳を傾けているさとりの罪悪感を刺し、申し訳ないやら、気恥ずかしいやら、いろいろな感情を胸の中で渦巻かせる。
仕方なく、さとりは、早苗をじっと見つめ、決意を確認するために、第三の目を行使する。
さとりが動揺していたからか、心情はよく読み取れない。
ただ――心象風景だけは鮮明に読み取れた。
「やっぱり……だめ……ですかね?」
自信なさげに俯きながら、二度目の勇気を振り絞る早苗。
さとりは、こんなときどうすればいいのでしょうか、と顎に手を当て、悩み。
「……仕方ありませんね。
ただし、精一杯気をつけてください。
いざとなれば逃げることも忘れないように」
結論は、溜め息をつきながらも、渋々と許可を出すことだった。
さとりの心を開かせたものは、拒否による早苗との関係の悪化の忌避。
さとりの背中を押したものは――早苗の心象風景。
包み込むように優しい、広大な雲海が広がる、清楚で澄んだ、柔らかな色の大空。
それは、全身に感じる心地の良さに暫く身を任せていたいと、さとりに思わせるほどの価値ある景色だったのだ。
「ありがとうございますっ!」
早苗は、愛嬌溢れる風貌に、晴れやかな笑みを浮かべ。
グッと、イマイチ迫力に欠けるガッツポーズをとった時。
「がんばりま……は……は……」
くしゅん。
と、かわいらしい音が鳴った。
「あ、あはは。
か、風邪ひいちゃったみたいです。
えーと……あ、この湯呑み片付けてきますね!」
固さのある笑顔を浮かべた早苗は、恥ずかしさを誤魔化すかのように、ばびゅんと風のように台所へと、翔けていった。
……さっきの大空はきっと気のせいですね。
脱力感に見舞われたさとりは、そう小声で零し、思わず小さな苦笑を漏らした。
【F-4魔理沙の家 一日目・朝】
【古明地さとり】
[状態]:健康
[装備]:トンプソンM1A1(50/50)、M1A1用ドラムマガジン×4
[道具]:基本支給品、咲夜のケーキ×1.75、上海人形
[思考・状況] 基本行動方針:殺し合いには乗らない
1.早苗と一緒に人妖を集める。ただし自分に都合のいい人妖をできるだけ選ぶ。
2.空、燐、こいしと出合ったらどうしよう? また、こいしには過去のことを謝罪したい
3.魔理沙を探すかどうか迷う。上海人形を渡して共闘できたらとは思っている
[備考]
※
ルールをあまりよく聞いていません
※主催者(八意永琳)の能力を『幻想郷の生物を作り出し、能力を与える程度の能力』ではないかと思い込んでいます
※主催者(八意永琳)に違和感を覚えています
※主催者(八意永琳)と声の男に恐怖を覚えています
※森近霖之助を主催者側の人間ではないかと疑っています
【東風谷早苗】
[状態]軽度の風邪、精神的疲労
[装備]博麗霊夢のお払い棒、霧雨魔理沙の衣服
[道具]支給品一式、制限解除装置(現在使用不可)、魔理沙の家の布団とタオル、東風谷早苗の衣服(びしょ濡れ)、人魂灯
[思考・状況]1.火焔猫燐(さとり)と一緒に人を集め、みんなに安心を与えたい。
2.神社へ戻り、責任を取りたい。
3.殺人犯であるという誤解を解きたい。
最終更新:2009年07月23日 00:14