東方萃夢想 > Demystify Feast

東方萃夢想/Demystify Feast ◆Ok1sMSayUQ



 ここではない『どこか』。
 私たちの帰るべき場所。
 その言葉は、遙かな高みに存在する“希望”を指し示し、私にだって辿り着ける本当の“豊かさ”であるように感じられた。
 『誰か』だけじゃなくて『誰もが』おかえり、と言ってくれる場所。
 みんなで、自然とそう言える場所。
 それはとっても暖かくて、優しくて……そう、太陽。私にとっての太陽のようなものだ。
 見ているだけで、感じているだけで元気になれる。そして、それを掴むのはそれほど難しいことじゃない。
 ほんの少し時間をかけて、自分で考えるようになれれば、私にだって手に入れられる。
 私は物覚えが悪いし、要領だって良くないから、その程度のことしか分からない。
 でも、伝えたい。私の内に存在する、この太陽の暖かさを伝えたい。
 だから私は、みんなを助けようとチルノに言った。殺し合いなんかやめて、みんなで帰ろう、と。
 チルノは少し俯いて、でも素直に頷いてくれた。
 チルノも知っていた。ここではない『どこか』は、私たち二人だけのものじゃないってことが。

「でもさ。もし、それでも……戦うってやつがいたらどうするの?」

 言葉は、少し冷たい。でもそれは拒絶する冷たさなんかじゃなくて、私を冷静にさせてくれる冷たさだ。

「ぶっ飛ばす!」

 私はそう言った。それは根性叩き直すってことかもしれないし、殺すってことかもしれない。
 でも、確実に、自分のことしか考えない本当のバカがいる。反省もせず、自分さえ良ければいいって考えてるバカはいる。
 ……メディを殺した、あの天人のように。
 それはあっちゃいけない。あってはいけないって、私は思っていた。

「そっか! なるほど!」

 チルノはおおっと唸った。
 誰にでも分かる、簡単な答えだったからなのかもしれない。
 これが今の私たちにできることだった。考えることが苦手な私たちが、それなりに考えて生んだ、答えだった。
 そして私たちは人里に向かった。向かった先で、鬼が襲われていた。
 無抵抗な鬼に、人間が刃物を突き刺そうとしていたのだ。
 一も二もなく、私たちは鬼を助けることに決めた。理由は簡単だった。
 無抵抗ということは、決闘を望んではいないということ。それにも関わらず攻撃を仕掛けるあの人間は自分のことしか考えていない。そう思ったからだ。
 まあ、だけど、しかし――事はそう簡単には運ばなかったわけで。
 ここまでが今までの話。ここからが、今からの話だ。

「おーい、鬼ー。どうしたのさ」

 ぺしぺしと頭のてっぺんを叩くも、鬼は沈んだ表情のまま反応もしなかった。
 この鬼の名前は伊吹萃香というらしい。ってチルノが言ってた。私も会ったことはある気がする。名前まで覚えてないけど。

「ダメだこりゃ。うん。ダメだ」

 そう言って、チルノはやれやれと首を振った。
 あの人間――博麗霊夢とかいうらしい――を振り切り、どさくさ紛れに突っ立ってた鬼を連れてそこらへんの家に逃げてきたはいいけど、
 肝心の鬼は何も話してくれない。隠れているので怒鳴るわけにもいかず、私たちはほとほと困り果てていた。
 放っておくことはいくらでもできたけど、そんなのは私のハートが許さないし、
 今のまま放っておいたら霊夢とかいう人間だけじゃなく、他の奴にも狙い撃ちされるかもしれない。
 連れていこうにも、手錠があるしなぁ……まったく、誰だこんなことしたの。私だった。
 チルノも同じことを考えていたらしく、手錠に目を見やって、はぁと溜息をついていた。私たちの絆の証拠は、困り者だった。

「なぁ」

 しわがれた声だった。一瞬誰のものかと驚いて、答えはひとつしかないことにすぐ気付く。
 鬼だった。姿勢は変わらず、へたりこんだ姿のまま、覇気のない声が私たちに向かって発されていた。

「なんで、助けたんだよ」

 そして、耳を疑いたくなるような言葉が出ていた。
 助けるな。お節介だ。そんな意味を伴った言葉だったから。
 意味が分からず、チルノと顔を見合わせた。さっぱり分からないのはチルノも同じようだった。
 っていうか、ちょっとムカついた。なんで文句言われてんのか分かんない。

「なによ、助けてあげたってのにその言い草は」
「私なんて死ねば良かったんだ」
「はぁ?」

 生きていることそのものが屈辱とでも言わんばかりに、鬼の声は投げやりだった。
 っていうか、ますますムカついた。骨折り損のなんとか儲けになったことより、どうでもいいと諦めきっている鬼の態度に。
 一発制御棒で殴り倒してやろうかと思ったが、制したのは意外なことにチルノだった。
 おくう、もうちょっと待ちなよ。その言葉を視線で感じ取った私はぷうと頬を膨らませながら渋々待つことにした。

「なんでそう思うのさ」

 チルノの説得が始まる。いつになく、このちびっ子は真剣だった。
 時々、この子の……刃物のような冷たさが垣間見えるとき、私はいつものバカ妖精だなんて思えなくなる。

「私が卑怯者だからさ」

 鬼は自嘲気味に言った。
 んにゅ? 鬼って卑怯なことが大嫌いなんじゃなかったっけ?
 時々地霊殿に遊びに来る……誰だったっけ。まあ、あの鬼は確かそんな感じだったのに。

「強いことを笠に着て、高見の見物でいい思いをしてただけ。誰のことも考えてやしない。自分さえ楽しければよかった」

 私はこの鬼をあんまり知らない。
 口を挟むわけにもいかず、私は黙りこくるしかなく、チルノも同様だった。

「そんな奴が、のうのうと生きてていいって思うかい」

 鬼は卑屈に笑った。私は肌がそそけ立つ思いを味わった。
 自らの汚い一面を理解し、それに嫌悪するあまり自分の全てを嫌いになってしまったような顔だったからだ。
 私は知っている。これは、お燐の浮かべていた表情と同じだ。
 全てに絶望し、何もかもが信じられなくなったあまり、絶望とひとつになることを選んだ表情。
 全てが許せないから、辛くてたまらないから、闇の一部となって苦しみから解放されようとしている者特有の表情だ。

「あんたらがなんでこんなことをしたかは知らないけど……私は嫌われ者だったんだ。
 無自覚の差別。無自覚の押し付け。自分のことばっかりで、誰がどう思ってるかなんて考えもしなかった。
 だから、私が、私達妖怪がそうだから、蓬莱山輝夜も、こいしちゃんも私を殺そうとした」
「……は?」

 思いもよらぬ名前が出てきて、私は思わず鬼の胸倉を掴んでいた。
 こいし、様? 呟いた名前を聞いた鬼は、掴まれた態勢のまま「そうか、あんた確か地霊殿のペットだったね」と虚ろな笑いを寄越した。
 私のハートが早鐘を打つ。この鬼を殺そうとした? こいし様が? なんで? じゃあ、こいし様はどうなったの?
 殺そうと、『した』? バカな私でも分かる、簡単に想像できる未来。最悪な事実。
 チルノが私の腕を引っ張っている。鬱陶しい。黙れ。離れろ。しかしそんな言葉さえ出せないくらい、私の中では色んなものが渦巻いていた。

「私が古明地こいしを殺した」

 制御棒を振り上げていた。自分でも気がついたときには、もうそうしていた。
 許せない。私が思ったのはただそれだけの……けれど、あまりにも暴力的な感情だった。
 私の中にあったはずの太陽が消える。代わりに心に差すのは真っ黒な、悪意だった。
 どんな理由があったかなんて知らない。どんな事情があったかなんて知らない。
 でも、許せない! こいし様が殺された。こんな――全部諦めてるようなやつに!
 お燐が言う。ほら、そういう奴ばっかりだろ? と。
 天人が言う。ほら、私の言う通り。
 そうだ。その通りだ。こんなのばっかりだからお燐もああなったのかもしれないし、メディだって死んだのかもしれない。
 ……だけど。

「やめろっ、おくう!」

 チルノがしがみついていた。私の制御棒に。
 私に太陽の温かさを思い出させてくれた妖精が必死に振り下ろさせまいとしている。
 ここで鬼を殺してしまったら、もうここではない『どこか』には行けなくなってしまう。
 私の心は、この場所に置き去りになってしまう。
 そうして、私もお燐と同じになってしまう。だからやめてくれと、ぎゅっと歯を食いしばるチルノが無言のうちに呼び掛けていた。

「……っ!」

 制御棒を下ろす代わりに、私は隠れている状況を承知で叫んだ。そうせずにはいられなかった。
 私は我慢ができるほど、賢い子ではなかった。

「なんでこいし様を殺したの!」

 涙が溢れていることに、そのとき気付いた。
 殺したのと、自分で言った時。本当に死んでしまったと、理解してしまったのかもしれなかった。
 放送なんかじゃ信じたくなかった事実。どこかで嘘であってくれればいいと願っていた願望。
 でも、それはなくなった。残酷な現実に、私は泣かずにはいられなかった。
 こいし様は私達地霊殿のペットをよく可愛がってくださっていた。
 一緒に遊んだり、散歩したりすることも多かった。
 地底では、私たちペットの地位は正直高くはない。
 さとり様が偉かったから苛められることはなかったけど、仲間うち以外で対等に接してくれる方は中々いらっしゃらなかった。
 こいし様は格別私たちと遊んでくださった。楽しかった。いっぱい遊んでたから、私の頭なんかじゃ覚えきれないくらいの思い出があった。
 なのに……もう、会えないのだ。ずっと。

「元のこいしちゃんじゃなかった。心が……壊れてたんだ」

 声が詰まった。それは紛れもなく同じ――お燐と同じ結末だった。
 絶望し、壊れた心が、元の友達でさえも殺しに向かわせる。
 違う。友達だったからこそ、お燐は私を殺しに来たんだ。
 だって、思い出だって信じられなくなっちゃったから、思い出はお燐を苦しめるものでしかなくなってしまったから。
 こいし様も同じ道を辿ったのかもしれない。自分を苦しめるもの全てを破壊しようとして……
 気持ちは痛いほど分かった。思い出の中のこいし様はとっても優しかったから、その思い出が、とっても痛い。
 私でさえそうなのに、こいし様のような妖怪はどれだけ苦しむことになるんだろう。
 チルノはまだ心配そうに私の制御棒を掴んでいた。
 私は、チルノがいたからこの痛みに耐えられたし、自分を苦しめる思い出を壊そうと思えなかった。
 だったら……

「こいし様、一人ぼっちだったのかも」

 お燐も、会ったときには一人ぼっちだった。裏切られて、ひとりになって、そしてそれが正しいと思うようになってしまった。
 孤独は誰かを殺す。私はそのことに気付いた。
 お燐も、こいし様も、望まないうちにひとりにさせられ、ひとりを強要させられ、そうして心を壊していったのかもしれない。
 最後には、悪意だけを信じるようになってしまった。

「ねえ、鬼。あんたは……こいし様を、殺そうとだけしたの?」
「……違う。何度も呼びかけた。でも、ダメだった」

 信じてくれるかは分からないけどね、と付け加えた鬼。「信じるよ」と私は続けた。
 鬼は嘘をつかないと知っているから、この言葉は嘘ではない。
 でも私が鬼の言葉を信じたのはそれが理由じゃない。
 壊れた心は元には戻せない。お燐で、それはよく分かっていた。
 戻せるのだとしても、そんなことができるのはごく一部の、とびっきり凄い奴だけなのだ。
 私や、私たちのような、ごくごく平凡でありふれた言葉しか持てない存在には、壊れる前に心を通わせるしかない。
 けれどそれすら難しい。時間をかけて、少しずつ分かりあってゆくしかないのだ。
 その機会すら奪ってゆく連中が、ここにはいる。私たちから心を通わせる機会を失わせてしまう。
 それは……この鬼がやったことじゃないって分かったから。

「こいし様を殺したのは、絶対に許せない。許せないけど……でも、こいし様をひとりぼっちにさせた奴の方が、もっと許せない」

 本当の犯人。こいし様を孤独で殺した奴こそが、私が殴り倒すべき相手だった。
 結果、殺すことになってしまったとはいえ、孤独からこいし様を引き戻そうとした鬼は、本当の犯人なんかじゃないのだ。

「悪くないなんて言うつもり、これっぽっちもないよ。認めなきゃいけない。それで……どうするか、考えなきゃ。おんなじことの繰り返しだよ」

 私自身にも言い聞かせるように、強く強く、その言葉を言っていた。
 もしあのまま、鬼を殴っていたら。殺していたら。私もまた孤独を振り撒き、誰かを死に至らしめる存在になっていた。
 振り撒かれた孤独はさらに伝染し、やがて誰も助からなくなる。どこかでそれは食いとめなくちゃいけない。
 それだけは……私が本当に『我慢』しなきゃいけないことなんだ。

「おくう……」

 チルノが心配そうに私を見た。
 こんな妖精に心配されるなんて、このお空様もまだまだね。
 私もまた、最強には遠いみたいだった。
 でも、だから目指すんじゃない。
 ニカッと笑い返す。再び私の中に灯った、太陽の暖かさを伝えるように。

「なーに不景気な声出してんのよ! このお空様がこんなことでへこたれたり――」

 頭でも撫でてやろうかとしたとき、家がぐらぐらと揺れた。それも、思いっきり。
 まるで地震だった。とっさにチルノを支える。鬼を見てみると、膝立ちでこそあるものの転んではいなかった。

「な、なによ!?」

 地震といえばいつかの事件を思い出すが、その主犯はとうに消えている。じゃあこれの犯人は……
 思いを巡らす間に、柱がみしみしと軋んだ。やばい。あれは崩れる。
 ぱらぱらと落ちてくる木屑や藁片が、崩落の予兆だった。
 早く逃げないと! チルノを脇に抱えて退散しようとしたが、ふと鬼の方を見ると、まだ呆然としていた。

「ああもう!」

 見ていられず、私は咄嗟に鬼へと向かって『レトロ原子核モデル』をプレゼントしてやった。
 『レトロ原子核モデル』は言わば弾幕のバリアだ。周囲をぐるぐる回る原子核が守ってくれるって寸法である。
 私はこういう守りのスタイルはあんま好きじゃないから殆ど使わないんだけど。

「鬼も早く逃げな! 私らがおびき寄せてやるからさ!」
「は……」

 鬼がぽかんと口を開け、何か言いたそうにこちらを見たが、知ったこっちゃない。
 どんなことをしたかは知らないが、多分犯人はあの紅白だ。
 業を煮やした末にこんな派手な攻撃を仕掛けてきたに違いない。負けてたまるか。
 別に鬼を庇うわけじゃない。パワー勝負で負けたくないだけだ。

「行くよチルノ! 準備いいね?」
「あたいはいつだって全開だよ! っていうかコドモ扱いすんな!」

 脇に抱えていたはずのチルノはいつの間にか脱出していた。
 どうやら気に入らなかったらしい。そっか、相棒だもんね。
 相棒。心の中でもう一度口にしてみる。いい響きだった。
 私たちが友達を持ったり、仲間を作ったりするのは、ただ寂しいからだったり、力が弱いからという理由だけじゃない。
 ひとりでは結論を出せなかったり、間違った答えに辿り着いてしまうこともある。
 でもふたりなら違う。いくつもの意見があって、私たちはそのどれもを選んでゆくことができる。
 そうして私たちはここではない『どこか』に行けるように、ケンカしたり、寄り道したりしながら、進んでゆくのだろう。
 家を飛び出すと同時に――攻撃の手はすぐにやってきた。
 やはりさっきの紅白だった。手に妙な団扇みたいなものを持っている。

「あ! 天狗の団扇じゃん!」
「そうよ。たまにはこういうのも役に立つものね」

 チルノに応じるようにして、紅白が団扇を一振りする。
 途端、凄まじい烈風が吹き荒れ、小柄なチルノの体を吹き飛ばしてしまう。……ってことは。
 ぐいと私も引っ張られ、空へと舞い上げられる。

「ちょっ!」

 なんとか姿勢を正し、翼を広げて吹き飛ばされるのを食い止める。ぎゃっと悲鳴が聞こえたような気がした。
 構わず火炎弾で応射する。なりは小さくても、威力は抜群。
 が、紅白はひらりと私の弾を避け、さっきの小型バラバラ弾を撒いてくる。
 あれは苦手だった。しかしこっちも迎撃できるだけの余裕があるのだ。不意打ちを食らったさっきとは違うのよっ!

「そんなもんかき消してやる!」

 今度は少し気合いを入れ、巨大な火炎弾で応射。
 あんな小さいのは飲まれて消えてしまえ!
 私の放った火炎弾はバラバラ弾を丸ごと飲み込み、紅白へと向かってゆく。

「どう!? 私のパワーは……」

 が、紅白は対して慌てる素振りもなく、団扇をまた一振り。
 ふふん、風で私の炎を消そうって魂胆ね? ばーか、火は風に煽られると強くな……

「バカおくう! 避けろっ!」
「へ?」

 ぺしぺしと頭を叩くチルノ。
 何事かと思ってよく見てみると……『火炎弾が私に向かってきていた』。

「わ、わわわっ!?」

 あり得ない事態に頭がパニックになりながらも、私は上昇して弾を避ける。
 チッ、と足元を火が掠める。まさに間一髪だった。

「へー、案外使えるじゃない」

 一方の紅白はピンピンしている。
 なにこれどういうこと?

「あいつが跳ね返したんだよっ! 天狗の団扇で!」

 頭がバカになりかけた私をチルノがフォローしてくれる。
 はぁ? 風で跳ね返したっての?

「な、なんでそんなの知ってるのよ」
「だってあの天狗、よくあたいをつけ回してたし」

 あんまり理由になってない気がするが、恐らく、あの団扇の持ち主がよくこういうことをしていたのだろう。
 恐るべき団扇である。でも……

「負けてたまるか! 『メガフレア』!」

 パワーをコケにされて黙ってるわけにはいかない。
 跳ね返されるのなら、跳ね返せないパワーの砲撃を加えてやればいい。
 私たちの体よりも大きい、まさに地獄の業火とも言うべき弾が紅白に向かう。
 威力が違うと察知したのか、紅白は先程よりも早く団扇を振って烈風を巻き起こしたが、そんなもので私のメガフレアが跳ね返せるはずがない。
 風に煽られはしたものの、全く動じることなくメガフレアは突き進む。
 避けるしかないと判断したのか、紅白は横に大きく動きメガフレアを回避し、そのまま逃げようとする。
 ようし、勝った!

「満足してる場合かっ! 追わないと!」

 ガッツポーズを作っていた私にチルノが突っ込む。
 わ、分かってたわよ。それくらい。
 口に出すのは恥ずかしいので心の中で言いつつ、紅白を追撃するために羽を全開に広げ、加速しようとしたとき。
 ちらとこちらを見た紅白が、ニヤと笑ったのを私は見逃さなかった。
 追いつけるもんか、という笑みではなく、罠に引っかかったことを確信する笑み。
 不穏なものを感じた、その瞬間。
 けたたましい音が鳴り響き、私の羽を直撃した。
 私の羽を貫通したなにか。小さいけれど、超スピードで貫通したらしいそれは、弾幕に当たったときの比ではない痛みをもたらした。
 焼けた棒を押し付けられた感覚が広がり、私の意識が飛びそうになった。
 空中に浮いていられず、チルノを乗せたまま落下してしまう。

「お、おくう! 落ちてるよ! おくう!」

 チルノの声が、どこか遠い。
 羽が痛い。動かない。
 体全部が、動かなかった。
 再浮上することもできず、私はチルノ共々地面に落っこちて勢いのついたままゴロゴロと転がった。
 かはっ、と呻きが飛び出す。それが自分のものなのか、チルノのものなのかも分からなかった。

「おくう! しっかりしろおくう!」

 チルノが私の体を揺さぶる。応じようとしても、頭はいたいいたいと悲鳴を上げるだけで、命令を出させてくれない。
 激痛の中、私が思ったのは、ここにいる敵は紅白だけではないということだった。
 チルノはそれに気付いているのか? 問いかけようとしても声も出ない。
 もし気付いていなかったら、すぐにでも隠れなきゃいけないのに。
 あんな早すぎる弾幕なんて聞いたこともない。それに、この威力はなに……?
 そんな私の疑問に答えたのは、まさに今私が考えていた、新しい敵だった。

「霊夢、何のつもりか知らないけど……的を作ってくれたのだから感謝しないとね」
「お、お前……竹林の!」
「あら、ご存知だった? 八意永琳と言いますわ。お見知りおきを」

 もっとも、と永琳と名乗った赤青は、変な黒い筒を私たちに向けていた。
 あれが、あの弾幕の正体?
 何かを撃ち出す機構であるのは私にも分かる。あれが超高速弾幕の正体なのか?

「すぐに死ぬでしょうから、覚えてても意味はないと思うけどね」

 指が動きかかる。まずい、来る……!
 無駄だと分かりつつも防御しようとした。
 しかし、その前に――立ちはだかったチルノが、赤青と同じようなものを構えていた。
 幾分か小型。しかし筒状の、黒い物体だ。

「あたいだって持ってるぞ!」
「……あら」

 見よう見真似で片手で黒筒を持ち、チルノが相対する。
 しかし、あれは偽物だ。私たちは知っている。
 それを使おうとして、ちっぽけな火を出しただけのメディの姿を……

「さっきおくうを撃ったのはお前だろ! もっかいやってみろ! お前もただじゃ済まないんだからね!」

 虚勢だ。私には分かる。勇敢に叫びながらも、チルノの手は小刻みに震えている。
 時間稼ぎになるかどうかさえ分からない。同じ武器を突きつけられているというのに、赤青は妙に冷静だったからだ。
 まるで最初から、これが偽物だって分かってるかのように。

「やってみる? 私は丈夫だから、そんな拳銃の一発や二発じゃ死なないわよ」
「そ、そっちこそ後悔すんなよ!」

 お互いそんな言葉を放ちながらも、一発目を撃ち出さない。
 あの赤青にしてもなるべく手傷は負いたくないのだろうか。
 いや、チルノが化けの皮を曝け出すのを待っているのかもしれない。
 あれが偽物かもしれないという疑いを持っていて、安全を確認するために時間を使っているのか。
 まずい。だったらこの膠着は私たちに不利……!
 援護しようとした私だったが、相変わらず体は痛く全然動かない。
 ちくしょう! こんなときに!
 いつもそうだ。メディのときだって、今だって、私は肝心なときに動けてないじゃない……!

「どうしたの、撃たないの、妖精さん」
「うるさい! なによあんた! なんでこんなことすんのよ!」
「なんで?」

 赤青が、くすっと笑った。
 どこか自虐的で、諧謔的な笑み。
 まただ。どうしてどいつもこいつも、お燐みたいな笑い方をする。
 いや――既に、蔓延しているというのか。孤独という病気が。何もかもを壊してもいいと思える絶望が。

「だって、殺し合いでしょう? じゃあ私も……みんな殺さなきゃ。ねえ、そうでしょう?」

 その言葉は、私たちにではなく、他の誰かに向けられているような気がした。
 ここにはいない、しかしあの赤青には見えている誰か。
 赤青を壊してしまった誰かが、ここにはいたのだ。
 やっぱり、こいつも……

「時間ね」

 私たちの返答を待たず、赤青は淡々と言った。

「じかん……?」
「霊夢が来るんじゃないかって、罠を張ってたんだけど」

 言うと同時、赤青が黒筒を下ろす。
 まるでそれがスイッチになったかのように。
 大量の弾幕が、隙間なく私たちを取り囲んでいたのだった。

「天丸『壺中の天地』。さよなら。土にまみれて這い蹲ってなさい」

 反則だ。こんな避ける隙間もないほど弾幕を展開できる奴を、私は知らない。
 紅白の狙いはこれだった。私たちをおびき寄せ、この反則級の強さを持つ赤青と戦わせるための――
 もうどうしようもないと悟った瞬間、弾幕が私たちに殺到した。
 チルノを庇う暇さえ持てなかった。
 私たちは弾幕という壺の中で弄ばれ続ける。
 体中をハンマーかなにかで殴られる感覚が断続的に続く。
 悲鳴さえ上げる間もなく次の弾幕が命中し、嬲られる。
 まるで拷問だった。意識を失わせない程度の威力も苦痛以外の何物でもなかった。

「……ふむ、確かに弾幕じゃトドメは刺せないみたいね」

 ようやく弾幕が収まったころには、もう指の一本さえも動かせないほど、満身創痍の状態になっていた。
 チルノも隣で苦痛の呻き声を上げていた。気絶でもしていればまだ楽だったのだろうけど、あの赤青は狙って気絶させなかった。
 なんて性質の悪い、と感想を抱きながら、こちらを見下ろす赤青を睨みつけてやる。チルノも同様に睨みあげていた。
 せめてもの抵抗だった。気持ちだけでも絶対に負けないように。
 だって、私は……私たちは、最強なんだから!

「弾は勿体無いけど、仕方ないわね。今楽にしてあげる」

 そんな私たちに、赤青は一瞥をくれただけだった。
 下賎な動物でも見るような目だった。何もかもを犠牲にしていいと思えるようになると、こんな目ができるらしい。
 赤青が黒筒を向ける。先程の超高速弾幕が来る。
 目は閉じなかった。まだ負けてない。逃げるわけには……いかないんだ!

「派手に暴れてくれてありがとう。そして今度こそ、さようなら」
「『ありがとう』は――こっちの台詞だ!」

 それは、今までに聞いたことのない裂帛の声だった。
 遙か上。空から飛んでくるのは、小さな鬼。いや……『百鬼夜行』だった。

     *     *     *


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最終更新:2010年12月29日 19:06
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