レポート10「イナクナッタ」
「私はすべてを否定してやろう」
最後のナメカタは不敵な笑みを浮かべて言う。
「私は知っているぞ。この世界はおまえが……ナメカタが信じることによって生まれた脆い世界であると。そして、そのナメカタはとうとうおまえと私、残すところあと二人しかいないと。にわかには信じられない話だが、おまえは私以外のあらゆる可能性のナメカタたちを消して回ったそうだな。なんとまぁ……悪霊のくせに地道なことを。そういうところは、いかにも私らしいがな」
「……何が言いたい?」
「この世界は”信じられていることによってのみ存在できる”世界だ。そしてそれは”ナメカタによってのみ信じられている”んだ。それならば、それを信じる存在がいなくなったら……どうなるかわかるな?」
「この世界の存在を否定することで消滅させようというのか! だが、残念だったな。たとえおまえがこの世界を否定しようとも、私が存在を信じている限りは決してこの世界はなくならない!」
「そうだな…。それは認めよう。だが……おまえがこうしてあらゆる世界から私の存在を消してくれたおかげで、私たちナメカタが存在できるのは、唯一この外なる世界だけになってしまった。あらゆる可能性の世界を探しても、もはやナメカタはこの外なる世界にしか存在しない」
「それがどうした?」
「わからないか? この外なる世界はナメカタが信じることで存在する。その外なる世界の中にそのナメカタが存在する。これは矛盾しているんだよ。もはやこの世界がなければ私たちは存在することができない。そしてこの世界は私たちが存在して信じることでしか存在できない。つまり、この世界がなければ私たちは存在できないし、私たちがいなければこの世界は存在できないんだよ。これはニワトリが先か卵が先かの問題によく似ている。”この世界”も”私たち”も互いに存在を認め合うことでしか存在できない希薄な存在になってしまったんだよ! おまえがわざわざあらゆる可能性の世界からナメカタという存在を切り離してくれたおかげでね!」
外なる世界はナメカタに関しての数多の可能性の並行世界を俯瞰できる場所に位置している上位次元の世界のはずだった。
しかし、こうしてすべての並行世界の中のナメカタの存在がなくなってしまった今、外なる世界は数多の並行世界から切り離された孤立した世界になってしまったのだ。
外なる世界はもはや外の世界でも中の世界でもない。何もないところにただ二人が信じることのみでやっと存在できているだけの、狭くて希薄なものになってしまった。
「じゃあ、改めて聞こうか。ここは私たちたった二人が信じることによってなんとか存在できているだけのちっぽけな世界さ。少なくとも今はこの世界の半分は私の裁量次第ということになるぞ? さぁ、それを信じる存在がいなくなったらどうなるかな……?」
怨霊は言いようのない不安と焦りを感じた。
「な、何をする気だ!?」
「ふ……」
最後のナメカタは怨霊を憐れむような、あるいは自虐するような表情で何もない世界の虚空を見上げた。すると、空間に大きな音とともに亀裂が走った。さらにノイズが走るかのように空間がちらつき始めた。
「こ、これは…! 何をしたんだ!?」
空間は亀裂の入った先からノイズが激しくなり、空間そのものが塵のようになって消えていく。空間のそとは白でも黒でもない、闇ですらない。何もない、『無』そのものだった。
「なぁに、ただこの世界の存在を強く否定しただけさ。悪霊、おまえは別の世界での私のなれの果てなんだろう? 同じナメカタとして恥ずかしい限りだ。おまけに他の世界のあらゆる私を殺してまで邪魔をしやがって…」
最後のナメカタの表情はすでに闇……いや、無に飲み込まれかかっていて読み取ることはできない。
「おい、悪霊。おまえが他のナメカタが未来を手に入れるのを妬んだように、他のナメカタだって未来を手に入れるのを邪魔されるのは嫌なんだよ。どのナメカタだって未来を手に入れたいんだよ! 全部、”同じ私”だからなぁ!!」
いつの間にか最後のナメカタは怨霊ナメカタよりも強大な存在になっていた。もはや無に飲み込まれて姿は全く見えない。しかし、気配がその力の大きさを怨霊に感じさせる。それは数多の世界のナメカタたちの魂を喰らってきた怨霊さえも軽く凌ぐものだった。
「ここは信じることで実現する世界なんだろう? ならば、ここでは想いが強いほうが勝つ。いくら他の世界の魂を喰らおうが無駄だ。なぜならそれは全部自分自身なんだからな。1に1をかけたところで解は1以外にはあり得ない。結局、独りは独りのままなんだよ!!」
最後のナメカタの気迫が怨霊の身動きを許さない。
「ば、ばかな…。おまえだって、”同じ私”のはずだろう? だったらどうしてこんなにも力の差が現れるんだ…」
「どうしてだって…? なぜなら私は…『最強のナメカタ』だからね。あらゆる可能性の世界なんだ。そんな私がいたってかまわないだろう? そして、この最強のナメカタを生み出したのは他でもない、オリジナルのナメカタ、おまえ自身だ。おまえが想像したすべてにおいて完璧なナメカタ……それが私だ。たしかに、あくまで私は”ナメカタの考えた完璧な自分”であって、他の誰かには遠く及ばない程度の存在なのかもしれない。だが、少なくともそれを考えた本人には確実に勝るのさ!」
「な、なんだと…!? 最強の私だと、ば…ばかばかしいにも程がある!」
「ふ…。ばかばかしかろうと何だろうと、”この可能性”を生み出したのもオリジナルであるおまえの心だ。だとすれば、おまえはおまえ自身の心に敗れたということだろう。意志が弱いと言われたことはないかね? くっくっく…」
「………ッぐ……!!」
怨霊は何も言い返せなかった。
そうしている間にも空間は塵となってどんどん姿を失っていく。希薄な世界はみるみる無に飲み込まれていく。
「どうしたんだ。独りだろうと信じて貫ければいいじゃないか、孤独な世界を。もしかしたら外なる世界の消滅を防げるかもしれないぞ? くけけけ……」
もはやどちらが悪霊なのかわからない。
ああ、わかっている。互いに自分なのだから、そもそも初めからわかっていたことなのだ。ナメカタは……私は孤独だった。この外なる世界において初めから孤独だった。いつでも、この世界にナメカタ以外の存在はなかった。
そうだ、私の望みはすべてを終わらせること。それはあらゆる世界の私自身を消滅させることだった。それは”この世界”だって例外じゃない。”自分自身”だって例外ではないのだ。
「ならば、互いの意見は一致した! まぁ、どちらも私なのだから当然か。では私はおまえを消滅させ、そして私も消えよう……永遠にな!」
「いままでずっと独りだったから気付かなかったが、ここじゃ心まで読まれるか……はは。当然だな、おまえも私も、同じ存在なのだから……。ああ、いいんだ。もういいんだ…」
運命のあの場所、あの時間。あの時からすでに私の時間は止まっていたのだ。なぜなら私はもう死んでいたのだから。
それをまだ死にたくない、未来を諦めたくないという未練から、こうしてわざわざこんな世界までつくって駄々をこねて無理やりしがみついていたのだ。
しかし、それももうやめた。結局は自分の心の中で生み出した他の世界の自分をひたすら殺して独りで満足しているだけに過ぎなかったのだ。心の中で殺す相手が他人じゃなくてあくまで自分なのが、いかにも私らしくておかしかった。最後の最後でようやく気付くとは私はなんてばかばかしい男だろうか。
「私はあらゆる私を消滅させ、そして私も消えよう……永遠に。結果的には当初の目的を達成したことになるのか…。だが私は決しておまえに屈したわけじゃないぞ。これは私自身が選んだこと、私の意志なんだ! 意志が弱いなどとは言わせない!」
そうとも、そもそも孤独こそが怨霊ナメカタにとっての牢獄であり地獄だった。死後の世界なんて信じてなかったが、この現状を見るにないとも言い切れない。もちろん目に見えるものがすべて正しいとは限らないからなんとも言えないけれど。
「もし本当に死後の世界があるなら、地獄でもいいから先に逝った妻にでも再会してみたいもんだ。でも、これでもう私は未練などないさ…」
外なる世界はとうとう無に飲み込まれて消滅した。
「無とは一体……うごごご。……あっひゃっひゃ、言ってみたかっただけだよ」
そしてナメカタという存在もまたこうして消滅したのだった。
最後のナメカタは不敵な笑みを浮かべて言う。
「私は知っているぞ。この世界はおまえが……ナメカタが信じることによって生まれた脆い世界であると。そして、そのナメカタはとうとうおまえと私、残すところあと二人しかいないと。にわかには信じられない話だが、おまえは私以外のあらゆる可能性のナメカタたちを消して回ったそうだな。なんとまぁ……悪霊のくせに地道なことを。そういうところは、いかにも私らしいがな」
「……何が言いたい?」
「この世界は”信じられていることによってのみ存在できる”世界だ。そしてそれは”ナメカタによってのみ信じられている”んだ。それならば、それを信じる存在がいなくなったら……どうなるかわかるな?」
「この世界の存在を否定することで消滅させようというのか! だが、残念だったな。たとえおまえがこの世界を否定しようとも、私が存在を信じている限りは決してこの世界はなくならない!」
「そうだな…。それは認めよう。だが……おまえがこうしてあらゆる世界から私の存在を消してくれたおかげで、私たちナメカタが存在できるのは、唯一この外なる世界だけになってしまった。あらゆる可能性の世界を探しても、もはやナメカタはこの外なる世界にしか存在しない」
「それがどうした?」
「わからないか? この外なる世界はナメカタが信じることで存在する。その外なる世界の中にそのナメカタが存在する。これは矛盾しているんだよ。もはやこの世界がなければ私たちは存在することができない。そしてこの世界は私たちが存在して信じることでしか存在できない。つまり、この世界がなければ私たちは存在できないし、私たちがいなければこの世界は存在できないんだよ。これはニワトリが先か卵が先かの問題によく似ている。”この世界”も”私たち”も互いに存在を認め合うことでしか存在できない希薄な存在になってしまったんだよ! おまえがわざわざあらゆる可能性の世界からナメカタという存在を切り離してくれたおかげでね!」
外なる世界はナメカタに関しての数多の可能性の並行世界を俯瞰できる場所に位置している上位次元の世界のはずだった。
しかし、こうしてすべての並行世界の中のナメカタの存在がなくなってしまった今、外なる世界は数多の並行世界から切り離された孤立した世界になってしまったのだ。
外なる世界はもはや外の世界でも中の世界でもない。何もないところにただ二人が信じることのみでやっと存在できているだけの、狭くて希薄なものになってしまった。
「じゃあ、改めて聞こうか。ここは私たちたった二人が信じることによってなんとか存在できているだけのちっぽけな世界さ。少なくとも今はこの世界の半分は私の裁量次第ということになるぞ? さぁ、それを信じる存在がいなくなったらどうなるかな……?」
怨霊は言いようのない不安と焦りを感じた。
「な、何をする気だ!?」
「ふ……」
最後のナメカタは怨霊を憐れむような、あるいは自虐するような表情で何もない世界の虚空を見上げた。すると、空間に大きな音とともに亀裂が走った。さらにノイズが走るかのように空間がちらつき始めた。
「こ、これは…! 何をしたんだ!?」
空間は亀裂の入った先からノイズが激しくなり、空間そのものが塵のようになって消えていく。空間のそとは白でも黒でもない、闇ですらない。何もない、『無』そのものだった。
「なぁに、ただこの世界の存在を強く否定しただけさ。悪霊、おまえは別の世界での私のなれの果てなんだろう? 同じナメカタとして恥ずかしい限りだ。おまけに他の世界のあらゆる私を殺してまで邪魔をしやがって…」
最後のナメカタの表情はすでに闇……いや、無に飲み込まれかかっていて読み取ることはできない。
「おい、悪霊。おまえが他のナメカタが未来を手に入れるのを妬んだように、他のナメカタだって未来を手に入れるのを邪魔されるのは嫌なんだよ。どのナメカタだって未来を手に入れたいんだよ! 全部、”同じ私”だからなぁ!!」
いつの間にか最後のナメカタは怨霊ナメカタよりも強大な存在になっていた。もはや無に飲み込まれて姿は全く見えない。しかし、気配がその力の大きさを怨霊に感じさせる。それは数多の世界のナメカタたちの魂を喰らってきた怨霊さえも軽く凌ぐものだった。
「ここは信じることで実現する世界なんだろう? ならば、ここでは想いが強いほうが勝つ。いくら他の世界の魂を喰らおうが無駄だ。なぜならそれは全部自分自身なんだからな。1に1をかけたところで解は1以外にはあり得ない。結局、独りは独りのままなんだよ!!」
最後のナメカタの気迫が怨霊の身動きを許さない。
「ば、ばかな…。おまえだって、”同じ私”のはずだろう? だったらどうしてこんなにも力の差が現れるんだ…」
「どうしてだって…? なぜなら私は…『最強のナメカタ』だからね。あらゆる可能性の世界なんだ。そんな私がいたってかまわないだろう? そして、この最強のナメカタを生み出したのは他でもない、オリジナルのナメカタ、おまえ自身だ。おまえが想像したすべてにおいて完璧なナメカタ……それが私だ。たしかに、あくまで私は”ナメカタの考えた完璧な自分”であって、他の誰かには遠く及ばない程度の存在なのかもしれない。だが、少なくともそれを考えた本人には確実に勝るのさ!」
「な、なんだと…!? 最強の私だと、ば…ばかばかしいにも程がある!」
「ふ…。ばかばかしかろうと何だろうと、”この可能性”を生み出したのもオリジナルであるおまえの心だ。だとすれば、おまえはおまえ自身の心に敗れたということだろう。意志が弱いと言われたことはないかね? くっくっく…」
「………ッぐ……!!」
怨霊は何も言い返せなかった。
そうしている間にも空間は塵となってどんどん姿を失っていく。希薄な世界はみるみる無に飲み込まれていく。
「どうしたんだ。独りだろうと信じて貫ければいいじゃないか、孤独な世界を。もしかしたら外なる世界の消滅を防げるかもしれないぞ? くけけけ……」
もはやどちらが悪霊なのかわからない。
ああ、わかっている。互いに自分なのだから、そもそも初めからわかっていたことなのだ。ナメカタは……私は孤独だった。この外なる世界において初めから孤独だった。いつでも、この世界にナメカタ以外の存在はなかった。
そうだ、私の望みはすべてを終わらせること。それはあらゆる世界の私自身を消滅させることだった。それは”この世界”だって例外じゃない。”自分自身”だって例外ではないのだ。
「ならば、互いの意見は一致した! まぁ、どちらも私なのだから当然か。では私はおまえを消滅させ、そして私も消えよう……永遠にな!」
「いままでずっと独りだったから気付かなかったが、ここじゃ心まで読まれるか……はは。当然だな、おまえも私も、同じ存在なのだから……。ああ、いいんだ。もういいんだ…」
運命のあの場所、あの時間。あの時からすでに私の時間は止まっていたのだ。なぜなら私はもう死んでいたのだから。
それをまだ死にたくない、未来を諦めたくないという未練から、こうしてわざわざこんな世界までつくって駄々をこねて無理やりしがみついていたのだ。
しかし、それももうやめた。結局は自分の心の中で生み出した他の世界の自分をひたすら殺して独りで満足しているだけに過ぎなかったのだ。心の中で殺す相手が他人じゃなくてあくまで自分なのが、いかにも私らしくておかしかった。最後の最後でようやく気付くとは私はなんてばかばかしい男だろうか。
「私はあらゆる私を消滅させ、そして私も消えよう……永遠に。結果的には当初の目的を達成したことになるのか…。だが私は決しておまえに屈したわけじゃないぞ。これは私自身が選んだこと、私の意志なんだ! 意志が弱いなどとは言わせない!」
そうとも、そもそも孤独こそが怨霊ナメカタにとっての牢獄であり地獄だった。死後の世界なんて信じてなかったが、この現状を見るにないとも言い切れない。もちろん目に見えるものがすべて正しいとは限らないからなんとも言えないけれど。
「もし本当に死後の世界があるなら、地獄でもいいから先に逝った妻にでも再会してみたいもんだ。でも、これでもう私は未練などないさ…」
外なる世界はとうとう無に飲み込まれて消滅した。
「無とは一体……うごごご。……あっひゃっひゃ、言ってみたかっただけだよ」
そしてナメカタという存在もまたこうして消滅したのだった。
「せ、先生! 患者の容体が急変しました!!」
「至急、集中治療室へ!!」
とある病院である患者が峠を迎えた。交通事故で運び込まれた重体患者だった。長らく意識不明の状態が続いていたが、とうとう死神が彼を迎えに来てしまったらしい。果たして、その患者が峠を越えることはなかったという……。
しかし、彼の死相は決して苦しそうなものではなく、何かふっ切れたような穏やかな顔をしていたそうな――
「至急、集中治療室へ!!」
とある病院である患者が峠を迎えた。交通事故で運び込まれた重体患者だった。長らく意識不明の状態が続いていたが、とうとう死神が彼を迎えに来てしまったらしい。果たして、その患者が峠を越えることはなかったという……。
しかし、彼の死相は決して苦しそうなものではなく、何かふっ切れたような穏やかな顔をしていたそうな――
内なる世界、外なる世界……。世界は我々が生活している”この世界”だけではない。
心の中にだって、無限に広がる世界があるんだよ。あらゆる可能性の、ね。クケケケ……
心の中にだって、無限に広がる世界があるんだよ。あらゆる可能性の、ね。クケケケ……