第五章「水に流れて」
ヴェルスタンド北部に位置する港町ゲズィヒト。
そのはずれには有刺鉄線で囲まれた古びた建物があり、看板には『関係者以外の立ち入りを禁ず』とある。
レンガ造りのひび割れた壁には蔦が覆い茂り、木の扉は腐食を受けてぼろぼろだ。
扉の奥には地下へと続く階段があるようだが、このような得体の知れない場所に近寄ろうとする者はいない。
しかし、そこに敢えて近づく二人の男の姿。それはガイストとヘルツだ。
『少し下がってください』
ガイストの左腕の小型端末からレーザーが発射され、それは容易に有刺鉄線を焼き切った。
「よくやった、セイヴ。地下ドックはこの先だ」
地下ドックにはガイストが乗って来た小型潜水艇『鯱』が停泊されている。
目には見えない精神体の姿を確認することができ、さらにそれを封じ込めることができる機械『射影機』を取りに戻るために、ガイストたちはマキナへと向かう必要があった。
階段を下りるとその先には重厚な鉄の扉。ガイストはカードキーを取り出して扉横の機械にそれを通す。
が、扉は開かれることはなく、また何度カードを通しても何の反応も見せない。
「おかしいな。侵入するときには使えたんだけど。カードじゃなくてこの機械が壊れているのか?」
「その機械もイカれてしまったんじゃないのか? 暴れ出す前に離れたほうがいいと思うぞ」
不安そうにヘルツが言う。
現在ヴェルスタンドでは機械が一人でに暴走し出すという現象が起こっている。もしかすると車両や重機ばかりではなく、こういった小型の機械も例外ではないのかもしれない。
「困ったな。またグメーシスたちが戻ってきてしまう前にここを脱出したいんだが…。他に入り口はないだろうか」
左腕の小型端末に付近の地図を表示させるが、それらしい場所は記されていない。
するとその地図の隣にホログラムモニタが表示された。
『ここは私の出番ですね。端末を扉横の機械に接続してみてください』
言われた通りにすると、ホログラムモニタにはセイヴからのメッセージの代わりに規則的な文字の羅列が流れ始めた。
しばらくすると電子音とともに扉上方に緑のランプが点灯する。そして扉は静かに開いた。
『システムに侵入してちょっと弄ってやりましたよ。このくらいはちょろいもんです』
「さすがセイヴだな。メイヴもこうやってよく助けてくれたよ」
『私はメイヴの記憶ですからね。今はデータ上の存在でしかないので滞空機能やアームなどは使えませんが、それ以外の点ではメイヴと全く同じことができますよ』
その後もいくつか扉が開かなかったりエレベータが動かなかったりしたが、セイヴの助けを得て先へと進むことができた。
レールの車両が並ぶ空間を通過して古びたエレベータへ。下層に到着すると階段を伝ってさらに下へ。
そして侵入時に開けた扉を再度潜る。大型トラックが並んで3台は通過できそうなあの大きなシャッターだ。
続いて広い空間に出た。ガイストが侵入時に訪れた地下ドックへと到着したのだ。
深緑色の鉄骨の壁に二人分の足音と緑の回転灯の光だけが反射している。潜水艇はどうやら無事だ。
「よかった。こいつは暴走していないみたいだな」
小型潜水艇『鯱』に二人が乗り込む。
「なんだこの機械は。こんなのが海の中を進むのか? 大丈夫なんだろうな」
「安心するんだ。マキナの機械は内部から攻撃でもされない限りはそうそう壊れたりはしない。無理やり深海へ行こうとでもしなければ、この程度の水圧には十分耐えられるよ」
そう言って鯱を発進させようとすると、地下ドックに警報が鳴り響いた。赤いランプが点滅を繰り返す。
『追っ手です!』
セイヴが警告する。
ホログラムには周囲の状況が表示される。中央の点が鯱だ。そしてそれに急接近する3つの点がある。
そのとき地下ドックを大きな振動が襲った。外部カメラで確認すると、後方のシャッターから並んで3台のレールが突撃してくるではないか。無論、操縦者はいない。
「き、来たぞ!」
前方では警告音とともにドック搬入口が今にも閉じられようとしている。後方からは暴走したレールが迫る。
『すぐに脱出してください!』
急発進、エンジン全開、閉じる搬入口に潜水艇の胴体を擦らせながらなんとか脱出。
直後に搬入口は閉じ切られ、飛び出してきたレールが内側で激突し、搬入口の鉄の扉がぐにゃりと歪んだ。
沈黙の潜水艇内に外部損傷を知らせる警告音だけが鳴り続けている。
「あ、危ないところだった…」
鯱の構造をよく把握しているガイストは、警告音が鳴っていようともこの船はもう安全だと理解している。
しかし、ヘルツはそんなことは知らない。パニックを起こしたヘルツが叫び始めた。
「やはりマキナの復讐なんじゃないのか!? 機械が暴走してるんだ! それなのに機械の国へ行こうだなんてどうかしてる!」
「落ち着くんだヘルツ。マキナの安全はセイヴがデータで示してくれただろう」
「そのセイヴだって機械だ! いつか暴走するかもしれない! そんなやつが正常な判断なんか下せるわけがない! この船だっていつ暴走するかわからない! くそっ、俺はこんなところで死にたくないッ!!」
『ヘルツ、私を信じてください。大丈夫です。このまま無事マキナへ辿りつけると私が保証します』
ガイストとセイヴがなだめるが、ヘルツは興奮し切った様子で銃を取り出してガイストに向けた。
「な、何を…!」
「護身用に持っておいて正解だった…。さてはおまえマキナの回し者だな! 俺を拉致するつもりか、このスパイめ!!」
「ま、待て。銃を下ろすんだ! 僕がスパイだというなら、なぜ僕まで襲われたんだ? それに君はゲーヒルンでマキナ人であるにも関わらずに僕を助けてくれたんじゃないか!」
「た、たしかにあのときは…。だ、だがあれは芝居だった可能性もある! そうだ、精神体を研究しているとか言ったな。実はおまえが裏で操って事件を起こしていたんじゃないのか? 犯人は現場に姿を現すと言うしな!!」
「何をばかな。やめろ、それは誤解だ!」
「うるさい黙れ!」
ヘルツが威嚇発砲。
『シールド展開します』
咄嗟にセイヴが防御する。腕の端末から光の壁が現れて銃弾を弾く。
すると弾かれた銃弾は鯱の操縦盤に命中した。
「ああ、なんてことを!」
どう操作してもメインフレームがまるで反応を示さない。操縦盤から火花を散らしながら、潜水艇の機能は完全に停止した。
コントロールを失った鯱は大きく揺れて岸壁や海底にぶつかりながら進む。身体を船体のあちこちにぶつけてガイストもヘルツもとうとう気を失ってしまった。
『エマージェンシー、エマージェンシー! ああ、なんということでしょう。こんなときに私がその場にいさえすれば…!!』
鯱は潮に流されて海流の向こうへと消えていった。
そのはずれには有刺鉄線で囲まれた古びた建物があり、看板には『関係者以外の立ち入りを禁ず』とある。
レンガ造りのひび割れた壁には蔦が覆い茂り、木の扉は腐食を受けてぼろぼろだ。
扉の奥には地下へと続く階段があるようだが、このような得体の知れない場所に近寄ろうとする者はいない。
しかし、そこに敢えて近づく二人の男の姿。それはガイストとヘルツだ。
『少し下がってください』
ガイストの左腕の小型端末からレーザーが発射され、それは容易に有刺鉄線を焼き切った。
「よくやった、セイヴ。地下ドックはこの先だ」
地下ドックにはガイストが乗って来た小型潜水艇『鯱』が停泊されている。
目には見えない精神体の姿を確認することができ、さらにそれを封じ込めることができる機械『射影機』を取りに戻るために、ガイストたちはマキナへと向かう必要があった。
階段を下りるとその先には重厚な鉄の扉。ガイストはカードキーを取り出して扉横の機械にそれを通す。
が、扉は開かれることはなく、また何度カードを通しても何の反応も見せない。
「おかしいな。侵入するときには使えたんだけど。カードじゃなくてこの機械が壊れているのか?」
「その機械もイカれてしまったんじゃないのか? 暴れ出す前に離れたほうがいいと思うぞ」
不安そうにヘルツが言う。
現在ヴェルスタンドでは機械が一人でに暴走し出すという現象が起こっている。もしかすると車両や重機ばかりではなく、こういった小型の機械も例外ではないのかもしれない。
「困ったな。またグメーシスたちが戻ってきてしまう前にここを脱出したいんだが…。他に入り口はないだろうか」
左腕の小型端末に付近の地図を表示させるが、それらしい場所は記されていない。
するとその地図の隣にホログラムモニタが表示された。
『ここは私の出番ですね。端末を扉横の機械に接続してみてください』
言われた通りにすると、ホログラムモニタにはセイヴからのメッセージの代わりに規則的な文字の羅列が流れ始めた。
しばらくすると電子音とともに扉上方に緑のランプが点灯する。そして扉は静かに開いた。
『システムに侵入してちょっと弄ってやりましたよ。このくらいはちょろいもんです』
「さすがセイヴだな。メイヴもこうやってよく助けてくれたよ」
『私はメイヴの記憶ですからね。今はデータ上の存在でしかないので滞空機能やアームなどは使えませんが、それ以外の点ではメイヴと全く同じことができますよ』
その後もいくつか扉が開かなかったりエレベータが動かなかったりしたが、セイヴの助けを得て先へと進むことができた。
レールの車両が並ぶ空間を通過して古びたエレベータへ。下層に到着すると階段を伝ってさらに下へ。
そして侵入時に開けた扉を再度潜る。大型トラックが並んで3台は通過できそうなあの大きなシャッターだ。
続いて広い空間に出た。ガイストが侵入時に訪れた地下ドックへと到着したのだ。
深緑色の鉄骨の壁に二人分の足音と緑の回転灯の光だけが反射している。潜水艇はどうやら無事だ。
「よかった。こいつは暴走していないみたいだな」
小型潜水艇『鯱』に二人が乗り込む。
「なんだこの機械は。こんなのが海の中を進むのか? 大丈夫なんだろうな」
「安心するんだ。マキナの機械は内部から攻撃でもされない限りはそうそう壊れたりはしない。無理やり深海へ行こうとでもしなければ、この程度の水圧には十分耐えられるよ」
そう言って鯱を発進させようとすると、地下ドックに警報が鳴り響いた。赤いランプが点滅を繰り返す。
『追っ手です!』
セイヴが警告する。
ホログラムには周囲の状況が表示される。中央の点が鯱だ。そしてそれに急接近する3つの点がある。
そのとき地下ドックを大きな振動が襲った。外部カメラで確認すると、後方のシャッターから並んで3台のレールが突撃してくるではないか。無論、操縦者はいない。
「き、来たぞ!」
前方では警告音とともにドック搬入口が今にも閉じられようとしている。後方からは暴走したレールが迫る。
『すぐに脱出してください!』
急発進、エンジン全開、閉じる搬入口に潜水艇の胴体を擦らせながらなんとか脱出。
直後に搬入口は閉じ切られ、飛び出してきたレールが内側で激突し、搬入口の鉄の扉がぐにゃりと歪んだ。
沈黙の潜水艇内に外部損傷を知らせる警告音だけが鳴り続けている。
「あ、危ないところだった…」
鯱の構造をよく把握しているガイストは、警告音が鳴っていようともこの船はもう安全だと理解している。
しかし、ヘルツはそんなことは知らない。パニックを起こしたヘルツが叫び始めた。
「やはりマキナの復讐なんじゃないのか!? 機械が暴走してるんだ! それなのに機械の国へ行こうだなんてどうかしてる!」
「落ち着くんだヘルツ。マキナの安全はセイヴがデータで示してくれただろう」
「そのセイヴだって機械だ! いつか暴走するかもしれない! そんなやつが正常な判断なんか下せるわけがない! この船だっていつ暴走するかわからない! くそっ、俺はこんなところで死にたくないッ!!」
『ヘルツ、私を信じてください。大丈夫です。このまま無事マキナへ辿りつけると私が保証します』
ガイストとセイヴがなだめるが、ヘルツは興奮し切った様子で銃を取り出してガイストに向けた。
「な、何を…!」
「護身用に持っておいて正解だった…。さてはおまえマキナの回し者だな! 俺を拉致するつもりか、このスパイめ!!」
「ま、待て。銃を下ろすんだ! 僕がスパイだというなら、なぜ僕まで襲われたんだ? それに君はゲーヒルンでマキナ人であるにも関わらずに僕を助けてくれたんじゃないか!」
「た、たしかにあのときは…。だ、だがあれは芝居だった可能性もある! そうだ、精神体を研究しているとか言ったな。実はおまえが裏で操って事件を起こしていたんじゃないのか? 犯人は現場に姿を現すと言うしな!!」
「何をばかな。やめろ、それは誤解だ!」
「うるさい黙れ!」
ヘルツが威嚇発砲。
『シールド展開します』
咄嗟にセイヴが防御する。腕の端末から光の壁が現れて銃弾を弾く。
すると弾かれた銃弾は鯱の操縦盤に命中した。
「ああ、なんてことを!」
どう操作してもメインフレームがまるで反応を示さない。操縦盤から火花を散らしながら、潜水艇の機能は完全に停止した。
コントロールを失った鯱は大きく揺れて岸壁や海底にぶつかりながら進む。身体を船体のあちこちにぶつけてガイストもヘルツもとうとう気を失ってしまった。
『エマージェンシー、エマージェンシー! ああ、なんということでしょう。こんなときに私がその場にいさえすれば…!!』
鯱は潮に流されて海流の向こうへと消えていった。
気がつくと鯱は海岸に打ち上げられていた。
外に出て確認すると、どうやらここはフィーティン南部の半島らしい。
赤土の大地にサボテンが立ち並ぶ荒野で、北の地平線の向こうには薄らと大樹が見えた。
ずいぶん流されてしまったらしい。大陸北部にいたはずが、今は大陸南部の海岸にいるのだ。見知らぬ土地に流されなかっただけでも幸いと考えるべきだろうか。
「す、すまなかった。俺としたことが取り乱してしまった」
ヘルツも気がついたようで鯱から降りてきた。念のため、銃は彼が気絶している間に確保している。
「……気にしないでくれ。助かったんだから良しとしよう。海だけに水に流すよ」
「なんとか助かったが、大変なことをしてしまったようだな。本当に申し訳ない…。ところでここは?」
「どうやらフィーティンの領地らしい」
「フィーティンか…。あまり長居はしたくないな」
大樹大陸の歴史は戦乱の歴史だった。
ヴェルスタンド、マキナ、フィーティンの三国は過去にその国境線を巡って何度も対立してきた。
先のマキナ-ヴェルスタンド戦争は、精神体を用いた新兵器『鯰』の登場によりマキナが劣勢に立たされたが、メイヴたちの密かな活躍によってどうにか食い止められた。だがこの大陸で起こった戦争はそれだけではない。
例えばそれ以前にはフィーティンとヴェルスタンドの領土を巡る戦争があった。
マキナから輸入した機械兵器で両国は戦っていたが、ヴェルスタンドが精神の研究に長ける一方で、フィーティンは軍事力に長けている国だ。戦う前から結果は見えているようなものだった。
そこでマキナと関係が良かった当時のヴェルスタンド大統領はマキナの支援を受けることでフィーティンと対等に戦った。
しかし機械技術がさらに進歩してマキナが力をつけてくると、マキナは自身も領土の占有を主張。ヴェルスタンドとフィーティン両国に宣戦布告した。
当時のマキナはフィーティンと同等の力を持つようになっており、手のひらを返されたヴェルスタンドはマキナとフィーティンの挟撃を受ける形になり劣勢に。一転して窮地に立たされることになった。最終的にはマキナとヴェルスタンドが白旗を掲げ、フィーティンの領土が拡大される形でこの戦いは終結した。
この戦争が原因で、ヴェルスタンドはマキナやフィーティンとの関係を悪化させることになり、後にそれまで友好的だったマキナに対して戦争を仕掛けるに至ったのだ。
その当時新たに大統領になった前ヴェルスタンド大統領は、マキナやフィーティンを滅ぼしてヴェルスタンドが大陸を統一するとともに、それ以降は戦争のない大陸を目指すことを提唱し精神体の研究を促進、精神兵器の開発に踏み切った。これがメイヴたちの戦った戦争の原因になったわけだ。
「とくにフィーティンは昔から俺たちの国にとって脅威だった。ヴェルスタンドはマキナから機械を輸入しないと、フィーティンに対抗する手段がなかったからな」
「なるほど、それで大統領は精神兵器を…」
「精神兵器のことは知らなかったが、とにかくヴェルスタンドの国民はフィーティンを嫌っている。俺も含めてな。戦争なんてくそ食らえだ」
「そうだね。この大陸は戦争ばかりだ…。僕は争いが嫌いだ。大勢が苦しみ倒れていく。くだらない政治的な理由のために多くの人が犠牲になる。それが僕は嫌だったんだ…!」
だからこそガイストは精神体を研究していた。精神の解放……それがガイストの研究テーマだった。
大陸の土地は有限だ。しかし人口は増え続ける一方。だから土地を巡って争いが起こってしまう。
では土地が必要なくなれば争うこともなくなる。そこでガイストは精神の解放を唱えたのだった。
すべての存在が精神だけの存在になれば土地は不要になる。そうすればもう戦争が起きることもない。そう考えていた。
でもどうだ。ヴェルスタンドでは大勢がその精神だけの存在、精神体に襲われて倒れていく。
研究用の精神体は意識を閉じられているので意思を持たないはずだ。それが人々を襲うとは考えられないが、少なくとも原因が精神体であるという可能性は高い。つまり自分が研究していたことが結果的には原因になっているのだ。
「精神だけの存在になれば争いがなくなる? じゃあこの現状は何だ。なぜかはわからないが、精神体が人々を襲っている。皮肉なもんだな……争いをなくしたいと思ってやったことが、別の争いを生んでしまうなんて!」
争いの運命は避けられない。異なる立場の者が存在する限り必ずどこかで衝突が起きる。
そうだとわかっていても、それを避けたいと足掻くのが人間というものだと考えて研究に励んできた。
だが……私は間違っていたのだろうか。
「顔色が悪いな。大丈夫か、ガイスト」
様子を心配したヘルツが声をかけてくる。
「おまえも何か不安を抱えているみたいだな。そんなときは空を見上げてみろ。日光はセロトニンの分泌を促進させて精神を安定させてくれる。月や星を眺めて心を癒せば抑鬱状態を緩和してくれる」
言われて空を見上げる。が、あいにくの曇天で太陽も月も星も見えない。
「ありがとう。今はどちらも見えないようだけど、少し気が楽になった気がするよ」
「あまり根に詰めるなよ」
「パニックを起こした君が言うなよ」
「う、うるさいな。俺だって落ち着きが足りないって自覚はしてるんだ」
顔を見合わせて笑う。
そうだ、悩んでいても仕方がない。過ぎたことも仕方がない。そんなものは水に流してしまえ。
前だけを見ろ。そして少しでも良い方向を目指して足掻け。それが人間というものなのだから。
「さて…。予定よりずいぶんと遠回りになりそうだけど、改めてマキナを目指そう。精神体を相手にするなら射影機は必要だ」
マキナは大陸の北東部に位置する。ここから北方へ進めばいずれはマキナに辿り着くだろう。
しかしできることなら少しでも急ぎたい。近くに鉄道か何かがあれば助かるのだが。それに正確な現在位置も把握したい。
地図を確認しようと腕の小型端末を操作する。しかし、何の反応もない。
「セイヴ? 聴こえてるか?」
返事がない。ただの故障だといいのだが。
「仕方がない。フィーティンの都市に向かってみよう」
「大丈夫なのか?」
ヘルツが心配そうに言う。
「何か乗りものを調達できるといいんだけど…。フィーティンだって鬼じゃない。きっと話ぐらいは聞いてくれるさ」
「ガイストはフィーティンに来たことはあるのか?」
「いや、初めてだ」
フィーティンの大部分は平原や荒野が広がり、都市は東部に集中しているという。
このまま海岸沿いに道を行けばそのうちいずれかの都市には辿り着くだろう。
しかしその考えは甘いとヘルツが忠告する。
「ガイスト、おまえはあまり都市圏から出たことがないみたいだな。都市間がどれだけ離れているのか知っているのか?」
フィーティンの乾燥した気候では、すぐに体内の水分が奪われてしまうだろう。とくに大樹から離れたこの南部ではそうだ。
木々は少なくただ平原だけが広がる、あるいは乾いた赤土に干乾びた草やサボテンだけが立ち並ぶような場所だ。
水も食料も持たずにフィーティンの広大な土地を渡り歩くなんて自殺行為だ。
かつてゲンダーとメイヴが、ガイストクッペルへと辿り着く道中でフィーティンの平原を横切ったことがあったが、それは彼らが機械だったからこそ可能だったのだ。生身の人間は喉も渇くし疲れも溜まる。
「つまり遠すぎるってことだ。なんとか通りかかる車にでも乗せてもらわないと厳しいぞ」
「そ、そうなのか。すまない、無責任なことを言ってしまって」
「いや、もとはと言えばこうなったのは俺のせいだ。俺が責任を持ってなんとかする」
「……わかった。君を信じよう」
そうして二人は荒野の道を行く。
陽が傾いてきて二人の影が長く伸びる。しかし、一向に通りかかる車はおろか、人の姿さえない。
足は次の一歩を踏み出すのが苦痛に感じるほどに疲労が溜まっている。遠くが少し霞んで見える。
直に陽が暮れる。荒野の夜は危険だ。ヘルツによると、ここらにはサソリが出ることもあるという。
「……すまん。恨むなら俺を恨んでいいぞ」
ふとヘルツが呟いた。
「何を言い出すんだ。諦めるのは早いだろう! 僕は誓ったんだ。必ずこの一件を解決すると。そして必ずマキナへ帰ると。僕の帰りを待っている仲間がいるんだ」
「決意が固いのはいいことだ。だがそれだけじゃどうにもならないこともある。おまえはまだ若いようだが、俺ぐらいの年齢になるとそういうことはいやでも身に沁みさせられるもんさ…」
言って、とうとうヘルツがその場に座り込んでしまった。
「だからといって、それが諦める言い訳になるわけじゃないだろう」
「こうなったのは俺のせいだ。俺のことはいいから、おまえだけでも行け。俺はもう体力の限界さ…」
「何を言うんだ! 研究所に詰めていた僕だって体力には自信がないぞ。頼む、立ってくれ」
「はは、俺は足手まといになってばかりだな。いいから行け。おまえにはまだ未来があるだろう。俺はもう折り返し地点は過ぎてるんだから、別に気にすることなんかないさ」
ヘルツはもう一歩も動けなかった。
「俺にかまうな。行け」
そう言うが、ガイストはそんなヘルツを置いて一人で行くことはできなかった。
それに仮に自分だけで行ったとしても途中で力尽きてしまうだろう。行く先には町の影すら未だに見えてこない。
ヘルツの隣にガイストは腰を下ろした。
「甘かったんだろうか。僕が解決してみせるだなんて…。たった一度マキナを救ったからと言って調子に乗ってたのかもしれない」
マキナを救ったと言っても、その功績の大部分はゲンダーやメイヴだ。
彼らはきっとガイストがいなければ成功しなかったと言うだろうが、それでも彼らの占める活躍は大きい。
あれっきり腕の端末はうんともすんとも言わず、セイヴからの連絡も当然なかった。
(こんなときゲンダーやメイヴがいてくれたら…)
空を見上げる。が、そこには厚い雲が覆うだけで希望は見えない。
こんなところで諦めるものか。心はそう叫んでいるが、身体は悲鳴を上げていた。
二人ともその場に座り込んだまま、もう一言も言葉を発する気力もなく、ただ無情に陽だけが暮れていく。
荒野に乾いた風が吹き抜ける。
そして何度目の風が吹き抜けた頃だろうか。空はすでに闇に覆われ、静寂の荒野には風の吹き抜ける音だけが響く。
干からびた道路脇には二人の男が行き倒れていた。
ふと、その二人を明かりが照らした。
朦朧とする意識の中でガイストはエンジン音と声を聞いたような気がした。
一人の足音が近づいてくる。
「行き倒れか…? まだ息があるようですね。どうやら外国人のようですが」
「とりあえず連れて行こう。だが不法入国者の可能性が高い。念のため水を与えて拘束しておけ」
「はッ、了解しました。何か身分を証明するものを持っていないか確認します。…………あっ、こら! 待ておまえ!」
「どうした」
「いえ、荒野で拾った機械が勝手に動き出して…」
その機械は行き倒れの二人の姿を見るなり、急に慌てて飛び出したのだった。
そしてそのうちの一人を見るなり、驚いた様子で言った。
「ガイスト!? どうしておまえがここにいるんダ!」
外に出て確認すると、どうやらここはフィーティン南部の半島らしい。
赤土の大地にサボテンが立ち並ぶ荒野で、北の地平線の向こうには薄らと大樹が見えた。
ずいぶん流されてしまったらしい。大陸北部にいたはずが、今は大陸南部の海岸にいるのだ。見知らぬ土地に流されなかっただけでも幸いと考えるべきだろうか。
「す、すまなかった。俺としたことが取り乱してしまった」
ヘルツも気がついたようで鯱から降りてきた。念のため、銃は彼が気絶している間に確保している。
「……気にしないでくれ。助かったんだから良しとしよう。海だけに水に流すよ」
「なんとか助かったが、大変なことをしてしまったようだな。本当に申し訳ない…。ところでここは?」
「どうやらフィーティンの領地らしい」
「フィーティンか…。あまり長居はしたくないな」
大樹大陸の歴史は戦乱の歴史だった。
ヴェルスタンド、マキナ、フィーティンの三国は過去にその国境線を巡って何度も対立してきた。
先のマキナ-ヴェルスタンド戦争は、精神体を用いた新兵器『鯰』の登場によりマキナが劣勢に立たされたが、メイヴたちの密かな活躍によってどうにか食い止められた。だがこの大陸で起こった戦争はそれだけではない。
例えばそれ以前にはフィーティンとヴェルスタンドの領土を巡る戦争があった。
マキナから輸入した機械兵器で両国は戦っていたが、ヴェルスタンドが精神の研究に長ける一方で、フィーティンは軍事力に長けている国だ。戦う前から結果は見えているようなものだった。
そこでマキナと関係が良かった当時のヴェルスタンド大統領はマキナの支援を受けることでフィーティンと対等に戦った。
しかし機械技術がさらに進歩してマキナが力をつけてくると、マキナは自身も領土の占有を主張。ヴェルスタンドとフィーティン両国に宣戦布告した。
当時のマキナはフィーティンと同等の力を持つようになっており、手のひらを返されたヴェルスタンドはマキナとフィーティンの挟撃を受ける形になり劣勢に。一転して窮地に立たされることになった。最終的にはマキナとヴェルスタンドが白旗を掲げ、フィーティンの領土が拡大される形でこの戦いは終結した。
この戦争が原因で、ヴェルスタンドはマキナやフィーティンとの関係を悪化させることになり、後にそれまで友好的だったマキナに対して戦争を仕掛けるに至ったのだ。
その当時新たに大統領になった前ヴェルスタンド大統領は、マキナやフィーティンを滅ぼしてヴェルスタンドが大陸を統一するとともに、それ以降は戦争のない大陸を目指すことを提唱し精神体の研究を促進、精神兵器の開発に踏み切った。これがメイヴたちの戦った戦争の原因になったわけだ。
「とくにフィーティンは昔から俺たちの国にとって脅威だった。ヴェルスタンドはマキナから機械を輸入しないと、フィーティンに対抗する手段がなかったからな」
「なるほど、それで大統領は精神兵器を…」
「精神兵器のことは知らなかったが、とにかくヴェルスタンドの国民はフィーティンを嫌っている。俺も含めてな。戦争なんてくそ食らえだ」
「そうだね。この大陸は戦争ばかりだ…。僕は争いが嫌いだ。大勢が苦しみ倒れていく。くだらない政治的な理由のために多くの人が犠牲になる。それが僕は嫌だったんだ…!」
だからこそガイストは精神体を研究していた。精神の解放……それがガイストの研究テーマだった。
大陸の土地は有限だ。しかし人口は増え続ける一方。だから土地を巡って争いが起こってしまう。
では土地が必要なくなれば争うこともなくなる。そこでガイストは精神の解放を唱えたのだった。
すべての存在が精神だけの存在になれば土地は不要になる。そうすればもう戦争が起きることもない。そう考えていた。
でもどうだ。ヴェルスタンドでは大勢がその精神だけの存在、精神体に襲われて倒れていく。
研究用の精神体は意識を閉じられているので意思を持たないはずだ。それが人々を襲うとは考えられないが、少なくとも原因が精神体であるという可能性は高い。つまり自分が研究していたことが結果的には原因になっているのだ。
「精神だけの存在になれば争いがなくなる? じゃあこの現状は何だ。なぜかはわからないが、精神体が人々を襲っている。皮肉なもんだな……争いをなくしたいと思ってやったことが、別の争いを生んでしまうなんて!」
争いの運命は避けられない。異なる立場の者が存在する限り必ずどこかで衝突が起きる。
そうだとわかっていても、それを避けたいと足掻くのが人間というものだと考えて研究に励んできた。
だが……私は間違っていたのだろうか。
「顔色が悪いな。大丈夫か、ガイスト」
様子を心配したヘルツが声をかけてくる。
「おまえも何か不安を抱えているみたいだな。そんなときは空を見上げてみろ。日光はセロトニンの分泌を促進させて精神を安定させてくれる。月や星を眺めて心を癒せば抑鬱状態を緩和してくれる」
言われて空を見上げる。が、あいにくの曇天で太陽も月も星も見えない。
「ありがとう。今はどちらも見えないようだけど、少し気が楽になった気がするよ」
「あまり根に詰めるなよ」
「パニックを起こした君が言うなよ」
「う、うるさいな。俺だって落ち着きが足りないって自覚はしてるんだ」
顔を見合わせて笑う。
そうだ、悩んでいても仕方がない。過ぎたことも仕方がない。そんなものは水に流してしまえ。
前だけを見ろ。そして少しでも良い方向を目指して足掻け。それが人間というものなのだから。
「さて…。予定よりずいぶんと遠回りになりそうだけど、改めてマキナを目指そう。精神体を相手にするなら射影機は必要だ」
マキナは大陸の北東部に位置する。ここから北方へ進めばいずれはマキナに辿り着くだろう。
しかしできることなら少しでも急ぎたい。近くに鉄道か何かがあれば助かるのだが。それに正確な現在位置も把握したい。
地図を確認しようと腕の小型端末を操作する。しかし、何の反応もない。
「セイヴ? 聴こえてるか?」
返事がない。ただの故障だといいのだが。
「仕方がない。フィーティンの都市に向かってみよう」
「大丈夫なのか?」
ヘルツが心配そうに言う。
「何か乗りものを調達できるといいんだけど…。フィーティンだって鬼じゃない。きっと話ぐらいは聞いてくれるさ」
「ガイストはフィーティンに来たことはあるのか?」
「いや、初めてだ」
フィーティンの大部分は平原や荒野が広がり、都市は東部に集中しているという。
このまま海岸沿いに道を行けばそのうちいずれかの都市には辿り着くだろう。
しかしその考えは甘いとヘルツが忠告する。
「ガイスト、おまえはあまり都市圏から出たことがないみたいだな。都市間がどれだけ離れているのか知っているのか?」
フィーティンの乾燥した気候では、すぐに体内の水分が奪われてしまうだろう。とくに大樹から離れたこの南部ではそうだ。
木々は少なくただ平原だけが広がる、あるいは乾いた赤土に干乾びた草やサボテンだけが立ち並ぶような場所だ。
水も食料も持たずにフィーティンの広大な土地を渡り歩くなんて自殺行為だ。
かつてゲンダーとメイヴが、ガイストクッペルへと辿り着く道中でフィーティンの平原を横切ったことがあったが、それは彼らが機械だったからこそ可能だったのだ。生身の人間は喉も渇くし疲れも溜まる。
「つまり遠すぎるってことだ。なんとか通りかかる車にでも乗せてもらわないと厳しいぞ」
「そ、そうなのか。すまない、無責任なことを言ってしまって」
「いや、もとはと言えばこうなったのは俺のせいだ。俺が責任を持ってなんとかする」
「……わかった。君を信じよう」
そうして二人は荒野の道を行く。
陽が傾いてきて二人の影が長く伸びる。しかし、一向に通りかかる車はおろか、人の姿さえない。
足は次の一歩を踏み出すのが苦痛に感じるほどに疲労が溜まっている。遠くが少し霞んで見える。
直に陽が暮れる。荒野の夜は危険だ。ヘルツによると、ここらにはサソリが出ることもあるという。
「……すまん。恨むなら俺を恨んでいいぞ」
ふとヘルツが呟いた。
「何を言い出すんだ。諦めるのは早いだろう! 僕は誓ったんだ。必ずこの一件を解決すると。そして必ずマキナへ帰ると。僕の帰りを待っている仲間がいるんだ」
「決意が固いのはいいことだ。だがそれだけじゃどうにもならないこともある。おまえはまだ若いようだが、俺ぐらいの年齢になるとそういうことはいやでも身に沁みさせられるもんさ…」
言って、とうとうヘルツがその場に座り込んでしまった。
「だからといって、それが諦める言い訳になるわけじゃないだろう」
「こうなったのは俺のせいだ。俺のことはいいから、おまえだけでも行け。俺はもう体力の限界さ…」
「何を言うんだ! 研究所に詰めていた僕だって体力には自信がないぞ。頼む、立ってくれ」
「はは、俺は足手まといになってばかりだな。いいから行け。おまえにはまだ未来があるだろう。俺はもう折り返し地点は過ぎてるんだから、別に気にすることなんかないさ」
ヘルツはもう一歩も動けなかった。
「俺にかまうな。行け」
そう言うが、ガイストはそんなヘルツを置いて一人で行くことはできなかった。
それに仮に自分だけで行ったとしても途中で力尽きてしまうだろう。行く先には町の影すら未だに見えてこない。
ヘルツの隣にガイストは腰を下ろした。
「甘かったんだろうか。僕が解決してみせるだなんて…。たった一度マキナを救ったからと言って調子に乗ってたのかもしれない」
マキナを救ったと言っても、その功績の大部分はゲンダーやメイヴだ。
彼らはきっとガイストがいなければ成功しなかったと言うだろうが、それでも彼らの占める活躍は大きい。
あれっきり腕の端末はうんともすんとも言わず、セイヴからの連絡も当然なかった。
(こんなときゲンダーやメイヴがいてくれたら…)
空を見上げる。が、そこには厚い雲が覆うだけで希望は見えない。
こんなところで諦めるものか。心はそう叫んでいるが、身体は悲鳴を上げていた。
二人ともその場に座り込んだまま、もう一言も言葉を発する気力もなく、ただ無情に陽だけが暮れていく。
荒野に乾いた風が吹き抜ける。
そして何度目の風が吹き抜けた頃だろうか。空はすでに闇に覆われ、静寂の荒野には風の吹き抜ける音だけが響く。
干からびた道路脇には二人の男が行き倒れていた。
ふと、その二人を明かりが照らした。
朦朧とする意識の中でガイストはエンジン音と声を聞いたような気がした。
一人の足音が近づいてくる。
「行き倒れか…? まだ息があるようですね。どうやら外国人のようですが」
「とりあえず連れて行こう。だが不法入国者の可能性が高い。念のため水を与えて拘束しておけ」
「はッ、了解しました。何か身分を証明するものを持っていないか確認します。…………あっ、こら! 待ておまえ!」
「どうした」
「いえ、荒野で拾った機械が勝手に動き出して…」
その機械は行き倒れの二人の姿を見るなり、急に慌てて飛び出したのだった。
そしてそのうちの一人を見るなり、驚いた様子で言った。
「ガイスト!? どうしておまえがここにいるんダ!」