水龍の体内から現れたのは黒い水銀のようなメタディア『メルキュール』だった。
メルキュールからは以前にコテツたちを襲ってきた黒メーが次々と発生した。あるいは、これがメタディアの母体なのかもしれない。黒メーを生み出すたびにメルキュールは小さくいなっていき、そしてついに苦闘の末にメルキュールを消滅させた。
そう思った矢先だった。
メルキュールからは以前にコテツたちを襲ってきた黒メーが次々と発生した。あるいは、これがメタディアの母体なのかもしれない。黒メーを生み出すたびにメルキュールは小さくいなっていき、そしてついに苦闘の末にメルキュールを消滅させた。
そう思った矢先だった。
Chapter17「あの世からの予言」
ぼたぼたと厭な音と共に黒い液体が垂れる。水龍ワダツミを苦しめていたメルキュールは一体だけではなかった。
メルキュールに触れたシエラは魔力中毒で苦しむことになったが、そもそも水龍とシエラでは身体の大きさが違い過ぎる。よほどワダツミの魔力が貧相でもない限りはシエラと同量のメルキュールが、水龍が意識を失うほどに苦しませてそれを暴走させるほどの中毒を引き起こすとは考えにくい話だったのだ。
「そんな! こんなにいるなんて」
数十、いや数百はあるだろう。周囲にはおびただしい量の黒い塊が蠢いている。そしてそのすべての赤い眼がこちらを凝視している。その視線が毒の針のように突き刺さり、背筋を冷たいものが這い上がる。
無数のメルキュールはじわじわと距離を詰め、ついにコテツたちを円になって囲んでしまった。円の中心に四人は背を寄せ合う。
「さすがにこの数では……シエラ、大丈夫?」
「大丈夫。と言いたいけど、さっきのくらくらのせいでしばらくは魔法をコントロールできないよ…」
「敵は増大、戦力は半分。多勢に無勢どころじゃねぇってか」
「これじゃ袋のわんことにゃんこと狐だよ!」
ひとつのメルキュールが百の黒メーを生み出す。そのメルキュールは数百。すでに黒一色の地上に続いて、空中も次第に黒に覆われていく。その数、数万。いや、数億はいるかもしれない。視界は瞬く間に黒メーで埋め尽くされた。
「まだ増えンのか! イザヨイだけじゃ……いや、シエラが健在だったとしてもこの数は骨が折れちまうぜぃ。水銀野郎の自然消滅を待ってる余裕もねぇ。ここはモトを叩くべきだ!」
黒メーにはコテツの刀もステイの槍も通用しなかった。黒メーは実体を持たない黒い霧のような存在。そして魔力から生み出された存在だ。それを消滅させるには魔力を使い切らせて自然消滅を狙うか、魔法をぶつけて魔力を散らせてしまうしかない。
だがいくら黒メーを蹴散らしてもメルキュールがすぐに新しい黒メーを生み出してしまう。これを繰り返せばいずれメルキュールも消滅してしまうが、その元がこの数ではまるでキリがない。だからこそ、元を叩く必要があった。それに黒メーには物理的な攻撃が通用しなかったが、だからといって本体もそうであると決まったわけではない。
「まずはこの窮地を切り開く! 包囲を突破するぜぃ!」
メルキュールの黒い液体は水で洗い流すことができた。ということは敵は水の中には入れないはずだ。つまり突破すべきは海に面した方角。海辺に逃げ込めば、少なくともメルキュールは追って来れないはず。そうなれば黒メーに気をつけながら、少数のメルキュールを誘き寄せつつ、確実に敵の数を減らしていけるはずだ。
コテツとステイが武器を構えつつ先陣を切る。あとに続くのはシエラとイザヨイ。
走る先頭二人にさっそく反応した黒メーが迫る。しかし、そこにイザヨイの蒼い炎が浮かび上がるとそれらを焼き尽くす。コテツは身を低くして、ステイは飛び上がり上空から、正面を塞ぐ黒い塊に攻めてかかる。
正面のメルキュールたちは黒い触手を伸ばして反撃に移った。触手は鞭のようにしなりながら先頭二人を襲う。コテツはこれを一閃し斬り落として突撃、ステイは空中で身をひるがえしてこれをかわす。
斬られた触手は空中で分解されて霧のように変化する。霧からは新たに黒メーが生まれ出でた。
「くそッ、本体もやはり斬れないか!?」
「だったらこれで!」
イザヨイが言うと同時にコテツの刀を蒼い炎が纏った。シエラの魔法と同様にイザヨイの炎も敵の魔力を弾くことができた。その炎ならばメルキュールを斬れるかもしれない。
「よし。このまま突っ切るぜィ!」
黒い壁は目前。距離にして数歩。まずはこれを退けて突破口を開きたい。
蒼炎の刃を構えつつ、一閃の構えで素早く直進する。敵は目前、その炎が今まさに黒を斬り裂く。
そのときだった。何かぬるっとしたものを踏み付けた。
「しまっ……!?」
そのまま足を滑らせ転倒、体勢を崩してコテツの身体は宙に投げ出された。
見るとコテツの右後足からは黒い粘液が糸を引いている。そしてコテツが地面に叩きつけられるよりも早く、メルキュールたちは一斉に飛びかかり、その黒くどろどろした身体の中にコテツを呑み込んでしまった。
魔法のセンスが皆無のコテツはシエラのように魔力中毒に陥ることはないが、メルキュールの黒い粘液の身体の中にあっては呼吸ができない。このままでは黒い沼の中で溺れてしまう。べとつく粘液を掻き分けてなんとか液中から頭を出すも、粘性の高いこの黒液は薄い膜のようになってコテツの鼻や口を塞いでしまう。
それだけではない。この黒い液体はメルキュールの身体でもあり、すなわちこの液体そのものに意思がある。粘液は口から鼻からコテツの体内に入り込もうと伸びてくる。このまま体内に入られてしまっては水龍の二の舞だ。
(くそ……っ! このままじゃ…)
水龍は時折意識を失い暴走していた。そしてその原因は体内にいたこのメルキュールたちだ。とすれば、もしかするとこのメタディアは体内に侵入すると、その身体を乗っ取って操作する能力があると考えることもできる。
水龍はあの巨体だ。それを支配しようものなら、かなりの量のメルキュールが必要になるだろう。対してコテツは水龍に比べればとても小さい。そんなコテツの身体を支配するには周囲に溢れかえるメルキュールは十分すぎるほどだろう。
この粘液そのものが生きている。黒液はじわりじわりとコテツの身体を液中に引きずり込んでいく。ここで溺れてしまっては、体内にメルキュールの侵入を許してしまう。そうはいかない、と液中を泳ぎ何度も液外に顔を出すが、何度も何度もコテツの身体は液中に引きずり込まれてしまう。粘性の高い液体の中では非情に身動きが取り辛く、それがコテツの体力をひどく消耗させる。これでは完全に引きずり込まれるのも時間の問題だ。
何度かもがいて次に顔を出したときに周囲の様子が見えた。無数のメルキュールたちが集まって、周囲にはどろどろした黒い粘液の山が出来上がっている。そしてシエラやイザヨイも同様に粘液に呑み込まれ、上空で逃げ回っていたステイも、黒メーに纏わりつかれたところをメルキュールに飛びかかられて粘液の黒海に落ちるところが見えた。
(ば、万事休すか…)
そしてその光景を最後に、コテツの視界は完全に黒に覆い尽くされた。
黒い粘液の海に沈んだコテツの身体はすべての方向から締め付けられ、さらに鼻から口から耳から肛門から、身体の穴という穴から粘液に侵入され始める。口一杯にぬめぬめとした気味の悪い感触が広がる。腹は不自然なほどに膨張している。外からも内からもきつく圧迫され、もはや指一本も自由に動かせない。唾を飲み込むことも舌を動かすことすら許されない。次第に全身の感覚は痺れて失われ、ついにはその意識も黒い闇の底へと沈みかけていた。まるで脳までもが黒液に侵されているような錯覚さえする。
かすかに残る朦朧とした意識で思う。このまま自分はこの黒いメタディアに呑み込まれて吸収されてしまうのか。そしてこの黒の一部となってしまうのか。自分自身は、コテツはこのまま消滅してしまうのかと。
こんなところで終わるわけにはいかなかった。コテツには帰らなければならない場所があった。強くならなければならない理由があった。力をつけていつか必ず故郷を帰らなければならなかった。
(こ、こンなところで……終われない。オイラは……皆の仇を……じ、じっちゃン……)
意識が黒い闇に埋もれていく。思考がどんどん黒で塗り潰されていくのがわかった。もう何も見えない。何も聞こえない。そして何も考えられない。黒、黒、黒……すべてが黒。もう何も感じない。何もわからない。何も無い。
上も下も右も左も前も後も外も内も身も心も魂も夢も希望も視界も音も味も臭いも感覚も色も形も意味も存在も黒、黒、黒、黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒……
――もううんざりだ!!
黒はもういらない。黒以外の色を見せろ。
そんなコテツの僅かに残された意識の片隅に翠光が微かに煌めいたような気がした。
それを最後にコテツは意識を失った。
メルキュールに触れたシエラは魔力中毒で苦しむことになったが、そもそも水龍とシエラでは身体の大きさが違い過ぎる。よほどワダツミの魔力が貧相でもない限りはシエラと同量のメルキュールが、水龍が意識を失うほどに苦しませてそれを暴走させるほどの中毒を引き起こすとは考えにくい話だったのだ。
「そんな! こんなにいるなんて」
数十、いや数百はあるだろう。周囲にはおびただしい量の黒い塊が蠢いている。そしてそのすべての赤い眼がこちらを凝視している。その視線が毒の針のように突き刺さり、背筋を冷たいものが這い上がる。
無数のメルキュールはじわじわと距離を詰め、ついにコテツたちを円になって囲んでしまった。円の中心に四人は背を寄せ合う。
「さすがにこの数では……シエラ、大丈夫?」
「大丈夫。と言いたいけど、さっきのくらくらのせいでしばらくは魔法をコントロールできないよ…」
「敵は増大、戦力は半分。多勢に無勢どころじゃねぇってか」
「これじゃ袋のわんことにゃんこと狐だよ!」
ひとつのメルキュールが百の黒メーを生み出す。そのメルキュールは数百。すでに黒一色の地上に続いて、空中も次第に黒に覆われていく。その数、数万。いや、数億はいるかもしれない。視界は瞬く間に黒メーで埋め尽くされた。
「まだ増えンのか! イザヨイだけじゃ……いや、シエラが健在だったとしてもこの数は骨が折れちまうぜぃ。水銀野郎の自然消滅を待ってる余裕もねぇ。ここはモトを叩くべきだ!」
黒メーにはコテツの刀もステイの槍も通用しなかった。黒メーは実体を持たない黒い霧のような存在。そして魔力から生み出された存在だ。それを消滅させるには魔力を使い切らせて自然消滅を狙うか、魔法をぶつけて魔力を散らせてしまうしかない。
だがいくら黒メーを蹴散らしてもメルキュールがすぐに新しい黒メーを生み出してしまう。これを繰り返せばいずれメルキュールも消滅してしまうが、その元がこの数ではまるでキリがない。だからこそ、元を叩く必要があった。それに黒メーには物理的な攻撃が通用しなかったが、だからといって本体もそうであると決まったわけではない。
「まずはこの窮地を切り開く! 包囲を突破するぜぃ!」
メルキュールの黒い液体は水で洗い流すことができた。ということは敵は水の中には入れないはずだ。つまり突破すべきは海に面した方角。海辺に逃げ込めば、少なくともメルキュールは追って来れないはず。そうなれば黒メーに気をつけながら、少数のメルキュールを誘き寄せつつ、確実に敵の数を減らしていけるはずだ。
コテツとステイが武器を構えつつ先陣を切る。あとに続くのはシエラとイザヨイ。
走る先頭二人にさっそく反応した黒メーが迫る。しかし、そこにイザヨイの蒼い炎が浮かび上がるとそれらを焼き尽くす。コテツは身を低くして、ステイは飛び上がり上空から、正面を塞ぐ黒い塊に攻めてかかる。
正面のメルキュールたちは黒い触手を伸ばして反撃に移った。触手は鞭のようにしなりながら先頭二人を襲う。コテツはこれを一閃し斬り落として突撃、ステイは空中で身をひるがえしてこれをかわす。
斬られた触手は空中で分解されて霧のように変化する。霧からは新たに黒メーが生まれ出でた。
「くそッ、本体もやはり斬れないか!?」
「だったらこれで!」
イザヨイが言うと同時にコテツの刀を蒼い炎が纏った。シエラの魔法と同様にイザヨイの炎も敵の魔力を弾くことができた。その炎ならばメルキュールを斬れるかもしれない。
「よし。このまま突っ切るぜィ!」
黒い壁は目前。距離にして数歩。まずはこれを退けて突破口を開きたい。
蒼炎の刃を構えつつ、一閃の構えで素早く直進する。敵は目前、その炎が今まさに黒を斬り裂く。
そのときだった。何かぬるっとしたものを踏み付けた。
「しまっ……!?」
そのまま足を滑らせ転倒、体勢を崩してコテツの身体は宙に投げ出された。
見るとコテツの右後足からは黒い粘液が糸を引いている。そしてコテツが地面に叩きつけられるよりも早く、メルキュールたちは一斉に飛びかかり、その黒くどろどろした身体の中にコテツを呑み込んでしまった。
魔法のセンスが皆無のコテツはシエラのように魔力中毒に陥ることはないが、メルキュールの黒い粘液の身体の中にあっては呼吸ができない。このままでは黒い沼の中で溺れてしまう。べとつく粘液を掻き分けてなんとか液中から頭を出すも、粘性の高いこの黒液は薄い膜のようになってコテツの鼻や口を塞いでしまう。
それだけではない。この黒い液体はメルキュールの身体でもあり、すなわちこの液体そのものに意思がある。粘液は口から鼻からコテツの体内に入り込もうと伸びてくる。このまま体内に入られてしまっては水龍の二の舞だ。
(くそ……っ! このままじゃ…)
水龍は時折意識を失い暴走していた。そしてその原因は体内にいたこのメルキュールたちだ。とすれば、もしかするとこのメタディアは体内に侵入すると、その身体を乗っ取って操作する能力があると考えることもできる。
水龍はあの巨体だ。それを支配しようものなら、かなりの量のメルキュールが必要になるだろう。対してコテツは水龍に比べればとても小さい。そんなコテツの身体を支配するには周囲に溢れかえるメルキュールは十分すぎるほどだろう。
この粘液そのものが生きている。黒液はじわりじわりとコテツの身体を液中に引きずり込んでいく。ここで溺れてしまっては、体内にメルキュールの侵入を許してしまう。そうはいかない、と液中を泳ぎ何度も液外に顔を出すが、何度も何度もコテツの身体は液中に引きずり込まれてしまう。粘性の高い液体の中では非情に身動きが取り辛く、それがコテツの体力をひどく消耗させる。これでは完全に引きずり込まれるのも時間の問題だ。
何度かもがいて次に顔を出したときに周囲の様子が見えた。無数のメルキュールたちが集まって、周囲にはどろどろした黒い粘液の山が出来上がっている。そしてシエラやイザヨイも同様に粘液に呑み込まれ、上空で逃げ回っていたステイも、黒メーに纏わりつかれたところをメルキュールに飛びかかられて粘液の黒海に落ちるところが見えた。
(ば、万事休すか…)
そしてその光景を最後に、コテツの視界は完全に黒に覆い尽くされた。
黒い粘液の海に沈んだコテツの身体はすべての方向から締め付けられ、さらに鼻から口から耳から肛門から、身体の穴という穴から粘液に侵入され始める。口一杯にぬめぬめとした気味の悪い感触が広がる。腹は不自然なほどに膨張している。外からも内からもきつく圧迫され、もはや指一本も自由に動かせない。唾を飲み込むことも舌を動かすことすら許されない。次第に全身の感覚は痺れて失われ、ついにはその意識も黒い闇の底へと沈みかけていた。まるで脳までもが黒液に侵されているような錯覚さえする。
かすかに残る朦朧とした意識で思う。このまま自分はこの黒いメタディアに呑み込まれて吸収されてしまうのか。そしてこの黒の一部となってしまうのか。自分自身は、コテツはこのまま消滅してしまうのかと。
こんなところで終わるわけにはいかなかった。コテツには帰らなければならない場所があった。強くならなければならない理由があった。力をつけていつか必ず故郷を帰らなければならなかった。
(こ、こンなところで……終われない。オイラは……皆の仇を……じ、じっちゃン……)
意識が黒い闇に埋もれていく。思考がどんどん黒で塗り潰されていくのがわかった。もう何も見えない。何も聞こえない。そして何も考えられない。黒、黒、黒……すべてが黒。もう何も感じない。何もわからない。何も無い。
上も下も右も左も前も後も外も内も身も心も魂も夢も希望も視界も音も味も臭いも感覚も色も形も意味も存在も黒、黒、黒、黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒……
――もううんざりだ!!
黒はもういらない。黒以外の色を見せろ。
そんなコテツの僅かに残された意識の片隅に翠光が微かに煌めいたような気がした。
それを最後にコテツは意識を失った。
ステイも同様にねっとりとした黒い沼の中に沈んでいた。
口の中がねちゃねちゃする。黒い粘液で身も心も一杯だ。しかし窒息感はない。
メルキュールはこうして獲物を捕らえて体内に侵入し、意識を奪った後に消化器から時間をかけてじわりじわりと身体の奥深くに侵入する。獲物は徐々に身体がメルキュールに侵されていき、最後には脳まで支配されて完全に闇に落ちる。獲物を支配下に置くために、メルキュールは決して獲物を殺しはしない。胃を支配し、肺を支配し、完全に生かした状態ですべてを支配する。それがこの水銀メタディア『メルキュール』の真の恐ろしさだった。
薄れゆく意識の中でステイは思った。
(こんなの、おいらが思ってた「世界」と違う。こんなの、おいらの考えてた旅じゃない。まさかこんなことになるなんて…。嫌だ。おいらはこんなところでメタディアと一緒になるつもりなんかない! こんなところで終わってなんかいられない!)
黒一色の液の中にステイはひとつの翠光を見つけた。
(あれは――)
光に導かれるように腕を伸ばすと、何か棒のようなものが手に触れた。
(これは……族長に託された槍!)
エルナトの里を発つときに族長ナフから渡された槍。それは穂先の刃が稲妻のような特殊な形をしていた。その稲妻の刃が今、翠色の光を発して輝いている。黒一色の闇を斬り裂くように、その槍は光っている。
(そうだ。こんなところを泳いでる場合じゃない。まだ溺れるには早い。族長、おいらに力を貸して!!)
ステイはそれを力強く握り締めた。その光を見ていると、身体の奥から力が湧いてくるように感じる。
次の瞬間、雷鳴とともに翠の旋風が巻き起こり、周囲に纏わりつくすべての黒を弾き飛ばした。吹き飛ばされたメルキュールはびちゃびちゃと四散する。そしてその場にはステイと輝く槍、そして倒れたコテツ、シエラ、イザヨイが残された。
槍の先端からは電流がほとばしり、飛び交う黒メーを瞬時に一掃。電撃がメルキュールたちの接近を許さない。
ステイがメルキュールたちを退けていると、咳き込んで黒液を吐き出しながらコテツが意識を取り戻した。
「うげぇぇええぇ、ゲホゲホ! し、死ンだかと……思ったぜ、今度こそ…。こりゃァ……トラウマになりそうだァ」
シエラとイザヨイはまだ目覚めない。魔法や妖術に長ける二人はメルキュールの黒液に触れると魔力中毒になってしまうのだ。重症にもなれば精神が崩壊してしまうため、すぐにでも付着した黒液を洗い流さなければならない。
コテツの再起を確認したステイが言った。
「おいらが道を切り開くよ! すぐに二人を運んで!」
道を塞ぐメルキュールに槍を投げる。と、槍は空中で静止し激しい電流を放つ。電撃を受けたメルキュールは弾けて飛び散り、跡形もなく蒸発した。
「お、おめぇいつの間にそンな技を…。いや、話はあとだな。よし、こっちは任せろ!」
イザヨイを背負い、シエラを咥えて走る。前方では再び電流がほとばしり、さらにメルキュールが弾け飛んだ。それを見た他のメルキュールたちは恐怖してさっと道を開ける。その先は海だ。
開いた間を素早く駆け抜けると、コテツはシエラとイザヨイを海に投げ込んだ。少し遅れて泡が立ち、二人が水面から飛び上がる。
「な、な、な、何なに!? 津波? 渦潮? 大洪水!?」
「し、しょっぱい…! どうして私、海の中に…」
二人の無事は確認した。あとは目の前の黒いどろどろを追い払うだけだ。
コテツが振り返ると槍を片手にメルキュールと対峙するステイの背中があった。槍だけでなく、ステイの身体も翠色に発光しているように見える。錯覚か、目を擦ろうとしたところでコテツは全身が黒い粘液まみれでねばついていることを思い出して、急いで海に飛び込んだ。その背後で再び激しい雷鳴が響く。
黒液を洗い落として海面から顔を出したコテツが最初に見たのは、空へと昇っていくメルキュールたちの姿だった。空は暗い雷雲に覆われ、上空には不思議な穴がぽっかりと開いている。メルキュールたちはその穴に向かって吸い込まれているようで、すべてのメルキュールとともに穴は跡形もなく消えた。そして空は明るく晴れ渡った。
「こいつはすげぇや…」
目の前で起こった不思議な出来事に、コテツは開いた口も塞がらなかった。
口の中がねちゃねちゃする。黒い粘液で身も心も一杯だ。しかし窒息感はない。
メルキュールはこうして獲物を捕らえて体内に侵入し、意識を奪った後に消化器から時間をかけてじわりじわりと身体の奥深くに侵入する。獲物は徐々に身体がメルキュールに侵されていき、最後には脳まで支配されて完全に闇に落ちる。獲物を支配下に置くために、メルキュールは決して獲物を殺しはしない。胃を支配し、肺を支配し、完全に生かした状態ですべてを支配する。それがこの水銀メタディア『メルキュール』の真の恐ろしさだった。
薄れゆく意識の中でステイは思った。
(こんなの、おいらが思ってた「世界」と違う。こんなの、おいらの考えてた旅じゃない。まさかこんなことになるなんて…。嫌だ。おいらはこんなところでメタディアと一緒になるつもりなんかない! こんなところで終わってなんかいられない!)
黒一色の液の中にステイはひとつの翠光を見つけた。
(あれは――)
光に導かれるように腕を伸ばすと、何か棒のようなものが手に触れた。
(これは……族長に託された槍!)
エルナトの里を発つときに族長ナフから渡された槍。それは穂先の刃が稲妻のような特殊な形をしていた。その稲妻の刃が今、翠色の光を発して輝いている。黒一色の闇を斬り裂くように、その槍は光っている。
(そうだ。こんなところを泳いでる場合じゃない。まだ溺れるには早い。族長、おいらに力を貸して!!)
ステイはそれを力強く握り締めた。その光を見ていると、身体の奥から力が湧いてくるように感じる。
次の瞬間、雷鳴とともに翠の旋風が巻き起こり、周囲に纏わりつくすべての黒を弾き飛ばした。吹き飛ばされたメルキュールはびちゃびちゃと四散する。そしてその場にはステイと輝く槍、そして倒れたコテツ、シエラ、イザヨイが残された。
槍の先端からは電流がほとばしり、飛び交う黒メーを瞬時に一掃。電撃がメルキュールたちの接近を許さない。
ステイがメルキュールたちを退けていると、咳き込んで黒液を吐き出しながらコテツが意識を取り戻した。
「うげぇぇええぇ、ゲホゲホ! し、死ンだかと……思ったぜ、今度こそ…。こりゃァ……トラウマになりそうだァ」
シエラとイザヨイはまだ目覚めない。魔法や妖術に長ける二人はメルキュールの黒液に触れると魔力中毒になってしまうのだ。重症にもなれば精神が崩壊してしまうため、すぐにでも付着した黒液を洗い流さなければならない。
コテツの再起を確認したステイが言った。
「おいらが道を切り開くよ! すぐに二人を運んで!」
道を塞ぐメルキュールに槍を投げる。と、槍は空中で静止し激しい電流を放つ。電撃を受けたメルキュールは弾けて飛び散り、跡形もなく蒸発した。
「お、おめぇいつの間にそンな技を…。いや、話はあとだな。よし、こっちは任せろ!」
イザヨイを背負い、シエラを咥えて走る。前方では再び電流がほとばしり、さらにメルキュールが弾け飛んだ。それを見た他のメルキュールたちは恐怖してさっと道を開ける。その先は海だ。
開いた間を素早く駆け抜けると、コテツはシエラとイザヨイを海に投げ込んだ。少し遅れて泡が立ち、二人が水面から飛び上がる。
「な、な、な、何なに!? 津波? 渦潮? 大洪水!?」
「し、しょっぱい…! どうして私、海の中に…」
二人の無事は確認した。あとは目の前の黒いどろどろを追い払うだけだ。
コテツが振り返ると槍を片手にメルキュールと対峙するステイの背中があった。槍だけでなく、ステイの身体も翠色に発光しているように見える。錯覚か、目を擦ろうとしたところでコテツは全身が黒い粘液まみれでねばついていることを思い出して、急いで海に飛び込んだ。その背後で再び激しい雷鳴が響く。
黒液を洗い落として海面から顔を出したコテツが最初に見たのは、空へと昇っていくメルキュールたちの姿だった。空は暗い雷雲に覆われ、上空には不思議な穴がぽっかりと開いている。メルキュールたちはその穴に向かって吸い込まれているようで、すべてのメルキュールとともに穴は跡形もなく消えた。そして空は明るく晴れ渡った。
「こいつはすげぇや…」
目の前で起こった不思議な出来事に、コテツは開いた口も塞がらなかった。
ステイの大活躍によってメルキュールはいなくなった。
シエラとイザヨイは黒液に呑み込まれた後、魔力中毒による目眩や頭痛ですぐに気を失ったためか、ほとんど黒液を呑み込んでしまうことはなく大事には至らなかった。一方コテツとステイは少なくない量の黒液を体内に取り込んでしまったが、もともと魔力が全くないせいかコテツには水龍のように意識を失ったり暴れたりするような症状も表れず、同様にステイも平気な様子だった。おそらく呑み込んだのはメルキュールの身体の一部で、その本体が消滅したことでその一部の液体の持つ力も失われ、無害なただの黒い水になったのだろう。
「だけどあまりいい気分じゃねぇな…。あンな気味の悪ィモンが腹の中に入ったかと思うと……うげェ」
「おいら、おなかたぷんたぷん。これ後で黒いおしっことか出るよ、絶対」
砂浜に打ち上げられ失神していた水龍ワダツミもやがて意識を取り戻し、身体から苦しみが消えたと喜びを伝えた。メルキュールのことを知らせると、そういえば以前にそういう生き物に襲われたことがあったとワダツミが語った。そのときに体内に入ったメルキュールが何らかの原因で増殖して水龍の暴走を引き起こしたのかもしれない。
魔力中毒で暴走していたということはワダツミにも当然魔力がある。メルキュールは体内からその魔力を吸い取って増殖したのではないか、とシエラは推測した。
ともあれついに水龍の一件は解決された。
ワダツミに運ばれ竜宮へと戻った一行は乙姫へ経過を報告した。
「まさかそんなことになっていようとは…。いささか不安と心配もありましたが、よくぞ解決してくれました。この一件にはわたくし共もずっと頭を抱えていたのです。海帝様もきっと喜ばれることでしょう。何より水龍様が大変お喜びになっています。あなたたちのことは伝説となって今後、この竜宮で語り継がれていくでしょう。この乙姫が皆を代表して心からお礼申し上げます」
乙姫が祝辞を述べる。
「相変わらず前置きが長ぇぜ。そういうときは素直にありがとうって言やァいいンだよ」
「なるほど。それは勉強になりますね」
やはりコテツは文句をつけたが、その顔に不満の色はなかった。そしてイザヨイがこれを咎めることもなかった。
「これで海を渡れるかな」
「そのうちな。今はまだ水龍の被害でいろいろあったから、すぐには鳴都の船も復活しねぇだろうしなァ…」
それを聞いた乙姫は言った。
「おや。あなたたちは海を越えるつもりだったのですか。なるほど、それで合点がいきました。そのために水龍様を助けてくださったのですね。たしかに水龍様が暴れていては船が出せませんからね。ロジャーがあなたたちを連れてきたので、そのままあなたたちにお願いしてしまったのですが、どうやら二重に迷惑をかけてしまっていたようですね」
それにイザヨイが答える。
「いいえ。構いませんよ、乙姫様。水龍さんの件は鳴都で既に聞いていましたし、海を渡るためにはどっちにせよ水龍さんの問題を解決しなければならないと考えていたところですから」
「そう言って頂けるとありがたいことです。わたくしとしては是非とも今回の謝礼を兼ねて、あなた方を竜宮の一員として歓迎したいところです。この王宮に特別に部屋を設けて然るべき地位を与えましょう。……しかし、どうやら話によると海を越えた先に何か目的があったのでしょう。今回の一件でその足止めをしてしまったようですし、そうとあれば無理に引き止めるわけにもいきません。やはり可能ならばすぐにでもここを発とうと考えているのでしょう?」
「ええ、そうですね…。コテツはそう考えていると思います。それに私もここで立ち止まっているわけにはいきません。そのお話はとても魅力的ですが、残念ながら私にも行かなければならない理由があるんです」
彼女らにはそれぞれ旅の目的があった。強くなるため、己を知るため、故郷を見つけるため、そして父の仇を討つため。その目的を達成するまで、彼女らの旅に終わりはない。旅の終着点は場所ではないのだ。だからこそ行かねばならなかった。
「そうかなぁ。あたいはここに住むのも悪くないと思うけどなぁ。魚いっぱいいるし」
「おめぇはちょっと黙ってろ」
そこで乙姫は謝礼として別の形で報酬を用意することにした。
ひとつは船。鳴都はすぐには船を出すことはできないだろう。そこで船の代わりに竜宮の者が一行を咲華羅大陸まで送迎することを約束した。
もうひとつは珠。乙姫が命じると、側近のロタネフがシエラにふたつの宝珠を授けた。
「これは?」
「それは潮満珠、そして潮干珠。この竜宮に代々伝わるものです。それがあれば無から水を呼び、また水を無に還すことができます。水術を得意とするというあなたにはきっと役に立つことでしょう」
「そんな大切なもの、もらっちゃっていいの?」
「ええ、まだたくさんありますから」
「たくさんあるんだ…」
宝珠はそれぞれ水色と桃色に輝き、艶を放っている。水を呼ぶこの宝珠があれば、水気のない場所でもシエラは水術を使うことができるだろう。
「ところで玉手箱はないの?」
ステイが訊いた。
「ええ、もちろんありますよ。必要だというのであれば用意させますが?」
「コテツ。わんこも年取ったら白髪になるの? 白髪犬になるの?」
「はっ……それがてめぇの狙いか! いらねぇ。いらねぇぞ、玉手箱なンか!!」
「なーんだ、つまんないの」
報酬を受け取った一行は、乙姫の好意を受けて一晩だけ歓待を受けて翌日、咲華羅へ向けて竜宮を発った。
これですべての障害は取り除かれた。水龍の暴走は収まり、鳴都は再び平穏な港に戻るだろう。竜宮は抱えていた問題を解決でき、そしてコテツたちはこれでようやく海を越えて咲華羅の大陸へ渡ることができる。こんどこそ万々歳だ。
シエラとイザヨイは黒液に呑み込まれた後、魔力中毒による目眩や頭痛ですぐに気を失ったためか、ほとんど黒液を呑み込んでしまうことはなく大事には至らなかった。一方コテツとステイは少なくない量の黒液を体内に取り込んでしまったが、もともと魔力が全くないせいかコテツには水龍のように意識を失ったり暴れたりするような症状も表れず、同様にステイも平気な様子だった。おそらく呑み込んだのはメルキュールの身体の一部で、その本体が消滅したことでその一部の液体の持つ力も失われ、無害なただの黒い水になったのだろう。
「だけどあまりいい気分じゃねぇな…。あンな気味の悪ィモンが腹の中に入ったかと思うと……うげェ」
「おいら、おなかたぷんたぷん。これ後で黒いおしっことか出るよ、絶対」
砂浜に打ち上げられ失神していた水龍ワダツミもやがて意識を取り戻し、身体から苦しみが消えたと喜びを伝えた。メルキュールのことを知らせると、そういえば以前にそういう生き物に襲われたことがあったとワダツミが語った。そのときに体内に入ったメルキュールが何らかの原因で増殖して水龍の暴走を引き起こしたのかもしれない。
魔力中毒で暴走していたということはワダツミにも当然魔力がある。メルキュールは体内からその魔力を吸い取って増殖したのではないか、とシエラは推測した。
ともあれついに水龍の一件は解決された。
ワダツミに運ばれ竜宮へと戻った一行は乙姫へ経過を報告した。
「まさかそんなことになっていようとは…。いささか不安と心配もありましたが、よくぞ解決してくれました。この一件にはわたくし共もずっと頭を抱えていたのです。海帝様もきっと喜ばれることでしょう。何より水龍様が大変お喜びになっています。あなたたちのことは伝説となって今後、この竜宮で語り継がれていくでしょう。この乙姫が皆を代表して心からお礼申し上げます」
乙姫が祝辞を述べる。
「相変わらず前置きが長ぇぜ。そういうときは素直にありがとうって言やァいいンだよ」
「なるほど。それは勉強になりますね」
やはりコテツは文句をつけたが、その顔に不満の色はなかった。そしてイザヨイがこれを咎めることもなかった。
「これで海を渡れるかな」
「そのうちな。今はまだ水龍の被害でいろいろあったから、すぐには鳴都の船も復活しねぇだろうしなァ…」
それを聞いた乙姫は言った。
「おや。あなたたちは海を越えるつもりだったのですか。なるほど、それで合点がいきました。そのために水龍様を助けてくださったのですね。たしかに水龍様が暴れていては船が出せませんからね。ロジャーがあなたたちを連れてきたので、そのままあなたたちにお願いしてしまったのですが、どうやら二重に迷惑をかけてしまっていたようですね」
それにイザヨイが答える。
「いいえ。構いませんよ、乙姫様。水龍さんの件は鳴都で既に聞いていましたし、海を渡るためにはどっちにせよ水龍さんの問題を解決しなければならないと考えていたところですから」
「そう言って頂けるとありがたいことです。わたくしとしては是非とも今回の謝礼を兼ねて、あなた方を竜宮の一員として歓迎したいところです。この王宮に特別に部屋を設けて然るべき地位を与えましょう。……しかし、どうやら話によると海を越えた先に何か目的があったのでしょう。今回の一件でその足止めをしてしまったようですし、そうとあれば無理に引き止めるわけにもいきません。やはり可能ならばすぐにでもここを発とうと考えているのでしょう?」
「ええ、そうですね…。コテツはそう考えていると思います。それに私もここで立ち止まっているわけにはいきません。そのお話はとても魅力的ですが、残念ながら私にも行かなければならない理由があるんです」
彼女らにはそれぞれ旅の目的があった。強くなるため、己を知るため、故郷を見つけるため、そして父の仇を討つため。その目的を達成するまで、彼女らの旅に終わりはない。旅の終着点は場所ではないのだ。だからこそ行かねばならなかった。
「そうかなぁ。あたいはここに住むのも悪くないと思うけどなぁ。魚いっぱいいるし」
「おめぇはちょっと黙ってろ」
そこで乙姫は謝礼として別の形で報酬を用意することにした。
ひとつは船。鳴都はすぐには船を出すことはできないだろう。そこで船の代わりに竜宮の者が一行を咲華羅大陸まで送迎することを約束した。
もうひとつは珠。乙姫が命じると、側近のロタネフがシエラにふたつの宝珠を授けた。
「これは?」
「それは潮満珠、そして潮干珠。この竜宮に代々伝わるものです。それがあれば無から水を呼び、また水を無に還すことができます。水術を得意とするというあなたにはきっと役に立つことでしょう」
「そんな大切なもの、もらっちゃっていいの?」
「ええ、まだたくさんありますから」
「たくさんあるんだ…」
宝珠はそれぞれ水色と桃色に輝き、艶を放っている。水を呼ぶこの宝珠があれば、水気のない場所でもシエラは水術を使うことができるだろう。
「ところで玉手箱はないの?」
ステイが訊いた。
「ええ、もちろんありますよ。必要だというのであれば用意させますが?」
「コテツ。わんこも年取ったら白髪になるの? 白髪犬になるの?」
「はっ……それがてめぇの狙いか! いらねぇ。いらねぇぞ、玉手箱なンか!!」
「なーんだ、つまんないの」
報酬を受け取った一行は、乙姫の好意を受けて一晩だけ歓待を受けて翌日、咲華羅へ向けて竜宮を発った。
これですべての障害は取り除かれた。水龍の暴走は収まり、鳴都は再び平穏な港に戻るだろう。竜宮は抱えていた問題を解決でき、そしてコテツたちはこれでようやく海を越えて咲華羅の大陸へ渡ることができる。こんどこそ万々歳だ。
病み上がりの水龍は身体を休める必要があるとして、竜宮から遣われたのは鳴都から一行を騙して竜宮へと連れて行ったあの老亀ロジャーだった。文句を垂れるコテツとその仲間を乗せて大亀が海原を行く。目指す先は癒島から南西、咲華羅の大陸だ。
亀の背で潮風を受けながら、ようやく一息ついた一行はメルキュールとの戦いを振り返っていた。
「しかし、ステイ。おめぇすごかったよな。いつから雷を操るようになったンだよ」
話題は専らステイのことだ。何せあのメルキュールを追い払ったのはステイだったからだ。
「あれは間違いなく魔法だったね。あのときは魔力中毒の影響でわからなかったけど、今のあたいにはわかる。ステイから魔力を感じるよ。今まではそんなことなかったのに……もしかして逆にメルキュールから吸収しちゃったとか?」
「中毒にならずに吸収してしまう…。ということはステイさんの魔力はメルキュール以上!? それってつまり、水龍さんよりもすごいってことじゃないですか! ステイさん、あなたって一体……」
「何ッ、ステイに魔力が!? ちくしょう、ってことはオイラだけ何もないのかよ! くそぅ、こンなことならガマンしてもっとあの黒いやつを摂取しておけばよかったか。あれ魔力の塊みたいなモンだったンだろ?」
魔力。それは魔法を扱う者の力の源。
遺伝などによって生まれつき魔力を持っている者もいれば、修行の末にそれを身につける者もいる。シエラは前者だ。そして魔力を一度その身に宿したことがある者であれば、他者の持っている魔力の強さを感じ取れるようになるという。
竜族は基本的に先天的に魔力をその身に宿らせて生まれてくるものだが、竜人族は必ずしもそうとは限らない。そして以前まではステイから魔力が感じられることはなかった。だが今は違う。
「おいらは……よくわかんない。それにシエラみたいに水を出したり、イザヨイみたいに火を出したりできないし」
「じゃあステイのほうから感じるこのエネルギーは何なの?」
「たぶん、おいらはこれだと思う」
そう言ってステイは族長の槍を背後から取り出した。槍はメルキュールとの戦い以来ずっと、その穂先の稲妻のような刃が翠色に発光し続けている。時折、火花が散ったり電流が走るようなこともあった。
「槍……に魔力があるってこと? そんなことってあるのかしら」
イザヨイが首を傾げる。
「平牙にタワシのおやっさンていうオイラの知り合いがいるンだが、おやっさンも似たような魔法の道具を持ってたぜぃ。火と氷を操るやつだ。とするとナンだ。ステイの槍もそういう類のモンなのか? 雷術の魔道具ってところか」
「魔道具……そういえば癒では道具に魔法を込めたもののことをそう呼ぶんだね。あたいたちは物に魔法を込めることをエンチャントって呼ぶけど」
「エンチャント?」
魔法は魔力を持つ者にしか扱えない。しかし、コテツのように魔力が全くない者でも魔法の力を込められた道具を通して間接的に魔法を使うことができる。それがエンチャントされた道具、魔道具だ。込められた魔法の力を使い切ってしまえば、それはただの道具になってしまうが、再び魔力を注入することでそれは再び魔道具となる。そうシエラは説明した。
「つまりは電池の代わりに魔力を入れてる、って言えばわかりやすいかな」
「じゃあ族長にもらった槍は魔道具だったんだ?」
「そうだね…。もしかしたら、あの黒いぬるぬるに触れたことで槍に魔力が充填されたのかも」
「なンだ。じゃあステイが急に魔法使いなったわけじゃねぇンだな。ちょっとほっとしたような、がっかりしたような。……けど、それならアレはなンだったンだ? オイラはステイがすげぇ魔法を使うのを見た。おやっさンの魔道具でもあそこまでのことはできなかったぜ」
コテツは最後にメルキュールが上空の穴へと吸い込まれて消えたのを見たことを話した。するとシエラとイザヨイも頷いて同じものを見たと言った。シエラはそこが不思議だという。
エンチャントでは複雑な魔法をものに込めることはできない。上空から異次元に対象を吸い出して消滅させるような魔法なんて込められるはずがないのだ。それどころか、そんな魔法が存在することさえ知らなかったという。
「ステイって自分がどこで生まれたとか知らないんだよね。もしかして、すごい魔法使いの一族とかだったりするんじゃない?」
するとステイは首を振って否定した。
「あれはおいらがやったんじゃないんだ」
電撃でステイがメルキュールを追い詰めたとき、他の三人はまだ海の中にいた。そこからはステイの様子はよく見えなかったが、そのときステイは雷槍を手にメルキュールにトドメを刺そうとしていた。
すると慌てたメルキュールが空に向かって金切り声を上げた。次の瞬間にはその上空に丸い穴が開き、メルキュールたちは自ら空へと昇って消えていった。ステイが見上げると穴の向こうは真っ暗な空間で、そこからは赤い眼がこちらを覗いていたという。
「自分で消えていったって!?」
「うん。それに穴の中にも赤い眼があった。しかも、穴の中の眼はしゃべったんだ!」
『メルキュール回収完了。座標接続を解除、境界展開終了します』
その言葉を最後に空中に開いた穴は閉じたという。
「……なンだそりゃ。言ってることもさっぱりわけがわかンねぇ」
「メルキュール……っていうのかしら。あの黒いメタディアって」
「ふーん。じゃあ、メルキュールは空に棲んでるのかな。今まで見たことはなかったんだけど…」
四人、揃って空を見上げる。
空は薄暗い雲に覆われていたが、もう不可思議な穴は見当たらない。ただ得体の知れない存在がまだいるということがわかって、背筋には悪寒を感じた。黒いメーはメルキュールから発生し、そのメルキュールは空の穴の中にいる。しかも穴の中にいるものは不可解な言葉を話せる程度に知能が高いと考えられる。つまり、メタディアとは空から来たものなのだろうか。
メルキュールの一件で黒い液体とメタディアが繋がっているということはわかった。だがそれでもまだ謎は多かった。
亀の背で潮風を受けながら、ようやく一息ついた一行はメルキュールとの戦いを振り返っていた。
「しかし、ステイ。おめぇすごかったよな。いつから雷を操るようになったンだよ」
話題は専らステイのことだ。何せあのメルキュールを追い払ったのはステイだったからだ。
「あれは間違いなく魔法だったね。あのときは魔力中毒の影響でわからなかったけど、今のあたいにはわかる。ステイから魔力を感じるよ。今まではそんなことなかったのに……もしかして逆にメルキュールから吸収しちゃったとか?」
「中毒にならずに吸収してしまう…。ということはステイさんの魔力はメルキュール以上!? それってつまり、水龍さんよりもすごいってことじゃないですか! ステイさん、あなたって一体……」
「何ッ、ステイに魔力が!? ちくしょう、ってことはオイラだけ何もないのかよ! くそぅ、こンなことならガマンしてもっとあの黒いやつを摂取しておけばよかったか。あれ魔力の塊みたいなモンだったンだろ?」
魔力。それは魔法を扱う者の力の源。
遺伝などによって生まれつき魔力を持っている者もいれば、修行の末にそれを身につける者もいる。シエラは前者だ。そして魔力を一度その身に宿したことがある者であれば、他者の持っている魔力の強さを感じ取れるようになるという。
竜族は基本的に先天的に魔力をその身に宿らせて生まれてくるものだが、竜人族は必ずしもそうとは限らない。そして以前まではステイから魔力が感じられることはなかった。だが今は違う。
「おいらは……よくわかんない。それにシエラみたいに水を出したり、イザヨイみたいに火を出したりできないし」
「じゃあステイのほうから感じるこのエネルギーは何なの?」
「たぶん、おいらはこれだと思う」
そう言ってステイは族長の槍を背後から取り出した。槍はメルキュールとの戦い以来ずっと、その穂先の稲妻のような刃が翠色に発光し続けている。時折、火花が散ったり電流が走るようなこともあった。
「槍……に魔力があるってこと? そんなことってあるのかしら」
イザヨイが首を傾げる。
「平牙にタワシのおやっさンていうオイラの知り合いがいるンだが、おやっさンも似たような魔法の道具を持ってたぜぃ。火と氷を操るやつだ。とするとナンだ。ステイの槍もそういう類のモンなのか? 雷術の魔道具ってところか」
「魔道具……そういえば癒では道具に魔法を込めたもののことをそう呼ぶんだね。あたいたちは物に魔法を込めることをエンチャントって呼ぶけど」
「エンチャント?」
魔法は魔力を持つ者にしか扱えない。しかし、コテツのように魔力が全くない者でも魔法の力を込められた道具を通して間接的に魔法を使うことができる。それがエンチャントされた道具、魔道具だ。込められた魔法の力を使い切ってしまえば、それはただの道具になってしまうが、再び魔力を注入することでそれは再び魔道具となる。そうシエラは説明した。
「つまりは電池の代わりに魔力を入れてる、って言えばわかりやすいかな」
「じゃあ族長にもらった槍は魔道具だったんだ?」
「そうだね…。もしかしたら、あの黒いぬるぬるに触れたことで槍に魔力が充填されたのかも」
「なンだ。じゃあステイが急に魔法使いなったわけじゃねぇンだな。ちょっとほっとしたような、がっかりしたような。……けど、それならアレはなンだったンだ? オイラはステイがすげぇ魔法を使うのを見た。おやっさンの魔道具でもあそこまでのことはできなかったぜ」
コテツは最後にメルキュールが上空の穴へと吸い込まれて消えたのを見たことを話した。するとシエラとイザヨイも頷いて同じものを見たと言った。シエラはそこが不思議だという。
エンチャントでは複雑な魔法をものに込めることはできない。上空から異次元に対象を吸い出して消滅させるような魔法なんて込められるはずがないのだ。それどころか、そんな魔法が存在することさえ知らなかったという。
「ステイって自分がどこで生まれたとか知らないんだよね。もしかして、すごい魔法使いの一族とかだったりするんじゃない?」
するとステイは首を振って否定した。
「あれはおいらがやったんじゃないんだ」
電撃でステイがメルキュールを追い詰めたとき、他の三人はまだ海の中にいた。そこからはステイの様子はよく見えなかったが、そのときステイは雷槍を手にメルキュールにトドメを刺そうとしていた。
すると慌てたメルキュールが空に向かって金切り声を上げた。次の瞬間にはその上空に丸い穴が開き、メルキュールたちは自ら空へと昇って消えていった。ステイが見上げると穴の向こうは真っ暗な空間で、そこからは赤い眼がこちらを覗いていたという。
「自分で消えていったって!?」
「うん。それに穴の中にも赤い眼があった。しかも、穴の中の眼はしゃべったんだ!」
『メルキュール回収完了。座標接続を解除、境界展開終了します』
その言葉を最後に空中に開いた穴は閉じたという。
「……なンだそりゃ。言ってることもさっぱりわけがわかンねぇ」
「メルキュール……っていうのかしら。あの黒いメタディアって」
「ふーん。じゃあ、メルキュールは空に棲んでるのかな。今まで見たことはなかったんだけど…」
四人、揃って空を見上げる。
空は薄暗い雲に覆われていたが、もう不可思議な穴は見当たらない。ただ得体の知れない存在がまだいるということがわかって、背筋には悪寒を感じた。黒いメーはメルキュールから発生し、そのメルキュールは空の穴の中にいる。しかも穴の中にいるものは不可解な言葉を話せる程度に知能が高いと考えられる。つまり、メタディアとは空から来たものなのだろうか。
メルキュールの一件で黒い液体とメタディアが繋がっているということはわかった。だがそれでもまだ謎は多かった。
なんとなく気味の悪さを感じながら海を行く。
すると、ある小さな島の近くを横切った頃からだったろうか。急に霧が立ち込めてきて辺りが真っ白になった。
「前が見えないね。なんだか不気味だよ」
すると老亀は笑いながら言った。
「なんと陰気なもんじゃろう。こりゃあ幽霊が出るかもしれんのう!」
「幽霊!?」
震え上がるステイを脇目に冷めた態度でコテツが言う。
「何言ってンだ。幽霊なンているわけねぇだろ。よく考えてでもみろよ。死ンだやつがみんないちいち幽霊になってたら、世の中は幽霊だけで溢れかえっちまうってなモンだぜぃ?」
「あら。妖怪は信じるのに幽霊は信じないのね」
「同じオバケでも化け物は実在するだろ。だが幽霊は実体がないモンだ。なのに居たらもうそれは幽霊じゃねぇさ」
「ふっ、屁理屈じゃな」
亀は笑いながら続けた。
「このあたりにはこーんな言い伝えがあってのう……」
鳴都の近くにはニライカナイと呼ばれる島があると云われている。癒には天の神の国や、地の黄泉の国など死後の世界の伝説はいくつか存在するが、ニライカナイ島もそんなあの世の伝説のひとつであり、この島は死者の国と繋がっているのだという。
その島は癒の西方にあると云われているが、実際にその正確な位置を確かめた者はおらず、突然現れたと思えばいつの間にか忽然と消えてしまう蜃気楼のような島だとされている。そしてその島に遭遇するのは決まって死の運命に囚われたものだという。
「そういえば、言い伝えでもニライカナイ島が現れるのはこーんな霧の深い日のことじゃったのう」
「死の運命!? なにそれこわい。じゃあ、もしその島を見ちゃったら死ぬってこと!?」
「さーて、どうじゃろうな。わしも百年近く生きておるが、そんな島は見たことがないからのう」
怖がるステイに調子良く脅かすロジャー。ばかばかしいといった様子でコテツはその話を聞き流していた。
(まったく、何が死の運命だよ。そもそも誰だってトシ取ればいつかは死ぬモンじゃねぇか)
そのうちに周囲の霧はますます深くなり視界は白一色。隣の仲間の顔も自分の両手さえも見えないほどになった。
「あれ? なんだか静かになっちゃったよ。ちょっと亀のおじいさん、急に黙らないでよ…。ねぇ……誰かいないの? コテツ? コテツ!!」
不安になって名前を呼ぶ。と、姿は見えないがコテツの声はすぐ近くから聞こえてきた。
「なンだよ、うるせぇな。ここにいるだろうが」
「あ。なんだ、いたんだ」
「呼んどいて、なンだじゃねぇだろ」
「だって…。急に静かになっちゃって怖かったんだもん。なんか幽霊とか出そうで…」
そのとき、白いもやをかき分けて蒼白い炎がぽっと浮かんだ。
「幽霊……ってつまりこういう……」
「ぎゃあああっ! 出た、火の玉が!!」
驚いたステイは飛び上がってコテツにしがみ付こうとしたが、見当違いの方向に跳んで転んでしまった。
「ばーか。イザヨイの炎じゃねぇか」
「ふふっ、お見通しでしたか」
炎が照らすとその周りだけ霧が晴れて視界が通るようになった。
それぞれコテツ、イザヨイ、シエラの顔。そしてすっ転んだステイの尻が見える。
転んだステイは怪訝な顔をしながら立ち上がった。その手には何か握られている。
「ねぇ…。おいらたちってさ。……亀の上にいたよね?」
炎が少しずつ視界を晴らしていって足下が明らかになった。彼らの足下には草が覆い茂っている。ステイが転んだときに掴んだのもその草だった。
「でもこの亀、甲羅に苔とか生えてたじゃん。草も生えてるんじゃない?」
「それはいいとしても、だったらあれは何?」
さらに視界が明らかになるにつれて、ステイが指差したものの正体が見えてくる。そこには一本の木が生えていた。いくら甲羅に苔が生えているような亀であっても、まさか木まで生えてはいまい。それもこんなにたくさん。
いつの間にか周囲の景色は木々の鬱蒼と生い茂る森に変わっていた。
「おい、イザヨイ。いくらなンでもやり過ぎだぜぃ」
コテツはまた妖術で幻でも見せているのだろうと考えた。しかしイザヨイは首を縦に振らない。
「い、いえ…。幻なら触ることはできないはずよ…。たしかに私たちは亀さんの背中にいたはず…」
「森……島……ま、まさかここはニライカナイ島!! ってことは死者の国!? おいらたち死ぬの? というか死んだの!?」
蒼ざめた顔でステイが震える。実はさっきまでの光景はすべてが夢か幻で、本当はメルキュールとの戦いでみんな命を落としてしまったのではないか。だからこうして死者の国に招かれたのではないか。なんて想像を口にする。
「馬鹿言え。ンなわけあるかよ。ニライカナイだってただの伝説じゃねぇか」
「でも別の伝説の竜宮城は本当にあったよ! ってことはニライカナイ島だって…」
「同じ幻なら、あたいは死者の国より魚の国が良かったなー」
「……それはつい最近行って来たばかりだろ」
不可解な現象に困惑していると、四人の下に森の奥からぼんやりとした光が近づいて来た。今度はイザヨイの炎ではない。
光は紫色の霧を撒き散らしながら、空中を跳ねるように現れて四人の前に止まった。光の中には獣の頭蓋骨のようなものが浮かんでいて、側頭部からは黒いコウモリのような翼が生えている。二対の前足の骨はあるが、腕や胴体以下の骨はない。
こんどこそ幽霊だとステイが飛び上がって地面の次は木にぶつかった。どうやら木も幻ではないようだ。
翼の生えた頭蓋骨は四人の目の前に静止して、その場でゆらゆらと浮遊しながら開口一番にこう語った。
『星の海よりこぼれ落ちた黒き雫が世界に災いを呼び起こす』
その声は直接心の中に響いてくるような重く暗い声だった。
『地底より蘇る黒き石は世界に争いの火種を落とす』?
声は続ける。
『天に昇りし黒き力は世界に新たなる争いの渦を巻き起こす』
「……な、なンだ。こいつは? 何を言ってるンだ」
『そして今、ここに新たな運命は紡がれるであろう。我、メメントモリの名に於いて此処に予言する。汝ら、運命を紡ぐ者として心して聴くが良い』
「メメントモリ? 予言? なんなのこいつ…。これもメタディア……なの?」
そして予言者は第4世界の運命を告げる。
『黒き雫は魂を得て蘇り再び世界に災いを呼び起こす。其れは二つに別れて全てを覆い尽くさん。一つは天に。黒き本質を備え古の精神を継ぎて蘇り、全てを黒く塗り潰さんとすべし。一つは地に。黒き模造として生まれ落ち、主を裏切り全てを奪わんとすべし。世界は黒い闇に覆われて四度目の破滅を迎えるだろう』
予言者は全てを言い終えると、黙して運命を紡ぐ者の返答を待った。
「何を言ってるのかわからない。けど、これだけはおいらにもわかった。四度目の世界の破滅……世界が滅びるの!? それは大変だ!」
「にわかには信じ難いが……黒き雫ってのはやはりメルキュールのことか?」
「四度目の破滅…。この第4世界が滅びるのかしら。かつての三つの世界のように?」
「破滅って……それはいつなの!?」
『我はメメントモリ。ただ其の運命を然るべき相手に伝えるのみ』
「その予言ってのは絶対か、それとも可能性に過ぎねぇのか? その運命ってやつは避けられねぇのか!?」
『運命は不変なり。盛者必衰、生者必滅。其処で如何に生きるかを撰択するは個々なり』
質問がなくなったところで予言者は予言にひとつ言い加えた。
『宿命の終わりが訪れるとき、黒き力は時を超えて遠く時の狭間に消ゆ』
必要なことを伝え終えたと判断すると、予言者メメントモリは白い炎に包まれて燃え尽き、灰となってその姿を消した。
最後に『死を忘れるな』という言葉を遺して。
白い炎はそのまま視界をも焼き尽くし、気がつくと四人は元通り亀の背中で呆けたように立っていた。いつの間にか、あれほど濃かった霧はすっかり晴れていて、まるで白昼夢でも見ていたかのような心境だ。亀はまだ一人でニライカナイ島の言い伝えを話し続けている。
「い、今のは……夢?」
何事も無かったかのように、亀は目的地を目指して海を行く。どうやらロジャーには何も視えなかったらしい。だが四人はたしかに視た。そして聴いた。その予言を、その運命を。全員が揃って全く同じ夢をみるなんてことがあるのだろうか。
『黒き雫は魂を得て蘇り再び世界に災いを呼び起こす。そして世界は黒い闇に覆われて四度目の破滅を迎えるだろう』
ただその言葉だけならいかにも胡散臭い話だ。だが四人の頭からは予言者の遺したあの言葉がいつまでも離れなかった。
『死を忘れるな』
すると、ある小さな島の近くを横切った頃からだったろうか。急に霧が立ち込めてきて辺りが真っ白になった。
「前が見えないね。なんだか不気味だよ」
すると老亀は笑いながら言った。
「なんと陰気なもんじゃろう。こりゃあ幽霊が出るかもしれんのう!」
「幽霊!?」
震え上がるステイを脇目に冷めた態度でコテツが言う。
「何言ってンだ。幽霊なンているわけねぇだろ。よく考えてでもみろよ。死ンだやつがみんないちいち幽霊になってたら、世の中は幽霊だけで溢れかえっちまうってなモンだぜぃ?」
「あら。妖怪は信じるのに幽霊は信じないのね」
「同じオバケでも化け物は実在するだろ。だが幽霊は実体がないモンだ。なのに居たらもうそれは幽霊じゃねぇさ」
「ふっ、屁理屈じゃな」
亀は笑いながら続けた。
「このあたりにはこーんな言い伝えがあってのう……」
鳴都の近くにはニライカナイと呼ばれる島があると云われている。癒には天の神の国や、地の黄泉の国など死後の世界の伝説はいくつか存在するが、ニライカナイ島もそんなあの世の伝説のひとつであり、この島は死者の国と繋がっているのだという。
その島は癒の西方にあると云われているが、実際にその正確な位置を確かめた者はおらず、突然現れたと思えばいつの間にか忽然と消えてしまう蜃気楼のような島だとされている。そしてその島に遭遇するのは決まって死の運命に囚われたものだという。
「そういえば、言い伝えでもニライカナイ島が現れるのはこーんな霧の深い日のことじゃったのう」
「死の運命!? なにそれこわい。じゃあ、もしその島を見ちゃったら死ぬってこと!?」
「さーて、どうじゃろうな。わしも百年近く生きておるが、そんな島は見たことがないからのう」
怖がるステイに調子良く脅かすロジャー。ばかばかしいといった様子でコテツはその話を聞き流していた。
(まったく、何が死の運命だよ。そもそも誰だってトシ取ればいつかは死ぬモンじゃねぇか)
そのうちに周囲の霧はますます深くなり視界は白一色。隣の仲間の顔も自分の両手さえも見えないほどになった。
「あれ? なんだか静かになっちゃったよ。ちょっと亀のおじいさん、急に黙らないでよ…。ねぇ……誰かいないの? コテツ? コテツ!!」
不安になって名前を呼ぶ。と、姿は見えないがコテツの声はすぐ近くから聞こえてきた。
「なンだよ、うるせぇな。ここにいるだろうが」
「あ。なんだ、いたんだ」
「呼んどいて、なンだじゃねぇだろ」
「だって…。急に静かになっちゃって怖かったんだもん。なんか幽霊とか出そうで…」
そのとき、白いもやをかき分けて蒼白い炎がぽっと浮かんだ。
「幽霊……ってつまりこういう……」
「ぎゃあああっ! 出た、火の玉が!!」
驚いたステイは飛び上がってコテツにしがみ付こうとしたが、見当違いの方向に跳んで転んでしまった。
「ばーか。イザヨイの炎じゃねぇか」
「ふふっ、お見通しでしたか」
炎が照らすとその周りだけ霧が晴れて視界が通るようになった。
それぞれコテツ、イザヨイ、シエラの顔。そしてすっ転んだステイの尻が見える。
転んだステイは怪訝な顔をしながら立ち上がった。その手には何か握られている。
「ねぇ…。おいらたちってさ。……亀の上にいたよね?」
炎が少しずつ視界を晴らしていって足下が明らかになった。彼らの足下には草が覆い茂っている。ステイが転んだときに掴んだのもその草だった。
「でもこの亀、甲羅に苔とか生えてたじゃん。草も生えてるんじゃない?」
「それはいいとしても、だったらあれは何?」
さらに視界が明らかになるにつれて、ステイが指差したものの正体が見えてくる。そこには一本の木が生えていた。いくら甲羅に苔が生えているような亀であっても、まさか木まで生えてはいまい。それもこんなにたくさん。
いつの間にか周囲の景色は木々の鬱蒼と生い茂る森に変わっていた。
「おい、イザヨイ。いくらなンでもやり過ぎだぜぃ」
コテツはまた妖術で幻でも見せているのだろうと考えた。しかしイザヨイは首を縦に振らない。
「い、いえ…。幻なら触ることはできないはずよ…。たしかに私たちは亀さんの背中にいたはず…」
「森……島……ま、まさかここはニライカナイ島!! ってことは死者の国!? おいらたち死ぬの? というか死んだの!?」
蒼ざめた顔でステイが震える。実はさっきまでの光景はすべてが夢か幻で、本当はメルキュールとの戦いでみんな命を落としてしまったのではないか。だからこうして死者の国に招かれたのではないか。なんて想像を口にする。
「馬鹿言え。ンなわけあるかよ。ニライカナイだってただの伝説じゃねぇか」
「でも別の伝説の竜宮城は本当にあったよ! ってことはニライカナイ島だって…」
「同じ幻なら、あたいは死者の国より魚の国が良かったなー」
「……それはつい最近行って来たばかりだろ」
不可解な現象に困惑していると、四人の下に森の奥からぼんやりとした光が近づいて来た。今度はイザヨイの炎ではない。
光は紫色の霧を撒き散らしながら、空中を跳ねるように現れて四人の前に止まった。光の中には獣の頭蓋骨のようなものが浮かんでいて、側頭部からは黒いコウモリのような翼が生えている。二対の前足の骨はあるが、腕や胴体以下の骨はない。
こんどこそ幽霊だとステイが飛び上がって地面の次は木にぶつかった。どうやら木も幻ではないようだ。
翼の生えた頭蓋骨は四人の目の前に静止して、その場でゆらゆらと浮遊しながら開口一番にこう語った。
『星の海よりこぼれ落ちた黒き雫が世界に災いを呼び起こす』
その声は直接心の中に響いてくるような重く暗い声だった。
『地底より蘇る黒き石は世界に争いの火種を落とす』?
声は続ける。
『天に昇りし黒き力は世界に新たなる争いの渦を巻き起こす』
「……な、なンだ。こいつは? 何を言ってるンだ」
『そして今、ここに新たな運命は紡がれるであろう。我、メメントモリの名に於いて此処に予言する。汝ら、運命を紡ぐ者として心して聴くが良い』
「メメントモリ? 予言? なんなのこいつ…。これもメタディア……なの?」
そして予言者は第4世界の運命を告げる。
『黒き雫は魂を得て蘇り再び世界に災いを呼び起こす。其れは二つに別れて全てを覆い尽くさん。一つは天に。黒き本質を備え古の精神を継ぎて蘇り、全てを黒く塗り潰さんとすべし。一つは地に。黒き模造として生まれ落ち、主を裏切り全てを奪わんとすべし。世界は黒い闇に覆われて四度目の破滅を迎えるだろう』
予言者は全てを言い終えると、黙して運命を紡ぐ者の返答を待った。
「何を言ってるのかわからない。けど、これだけはおいらにもわかった。四度目の世界の破滅……世界が滅びるの!? それは大変だ!」
「にわかには信じ難いが……黒き雫ってのはやはりメルキュールのことか?」
「四度目の破滅…。この第4世界が滅びるのかしら。かつての三つの世界のように?」
「破滅って……それはいつなの!?」
『我はメメントモリ。ただ其の運命を然るべき相手に伝えるのみ』
「その予言ってのは絶対か、それとも可能性に過ぎねぇのか? その運命ってやつは避けられねぇのか!?」
『運命は不変なり。盛者必衰、生者必滅。其処で如何に生きるかを撰択するは個々なり』
質問がなくなったところで予言者は予言にひとつ言い加えた。
『宿命の終わりが訪れるとき、黒き力は時を超えて遠く時の狭間に消ゆ』
必要なことを伝え終えたと判断すると、予言者メメントモリは白い炎に包まれて燃え尽き、灰となってその姿を消した。
最後に『死を忘れるな』という言葉を遺して。
白い炎はそのまま視界をも焼き尽くし、気がつくと四人は元通り亀の背中で呆けたように立っていた。いつの間にか、あれほど濃かった霧はすっかり晴れていて、まるで白昼夢でも見ていたかのような心境だ。亀はまだ一人でニライカナイ島の言い伝えを話し続けている。
「い、今のは……夢?」
何事も無かったかのように、亀は目的地を目指して海を行く。どうやらロジャーには何も視えなかったらしい。だが四人はたしかに視た。そして聴いた。その予言を、その運命を。全員が揃って全く同じ夢をみるなんてことがあるのだろうか。
『黒き雫は魂を得て蘇り再び世界に災いを呼び起こす。そして世界は黒い闇に覆われて四度目の破滅を迎えるだろう』
ただその言葉だけならいかにも胡散臭い話だ。だが四人の頭からは予言者の遺したあの言葉がいつまでも離れなかった。
『死を忘れるな』