第13章「Under Go(首都ゲーヒルンへ)」
いつかヘイヴが還ってくるその日まで。オレはメイヴを護り続ける。
そう心に誓ったゲンダーは、マキナ-ヴェルスタンド戦争を止めることを決意した。
メイヴは――ブラックボックスは無事にマキナのスヴェン博士のもとへと届けられた。彼ならヘイヴの意志を継いで、ブラックボックスを正しく扱ってくれる。そしてそれはメイヴがマキナへ残るということを意味する。ということは、マキナが戦争状態にあるのはメイヴにとっても危機である。
だから決めた。この戦争を終わらせると。
協力を買って出てくれたメイヴとグメーシスを伴って、ゲンダーは海岸沿いを西のヴェルスタンドとの国境へと向かっていた。
(メイヴを護るための戦いにメイヴが出撃するなんて変な話ダけど、でもありがたい。メイヴの能力にはこれまでも何度も助けられてきたからな。しかし「オレが」メイヴを護ると誓ったからには、いつまでも助けられてばかりじゃいけない。オレが頑張らなければ……)
先頭に立って張り詰めた想いで足を進めるゲンダー。その緊張した面持ちを見かねてか、沈黙を破ってメイヴが声をかける。
『何を難しい顔をしているんですか、ゲンダー。今からそんな様子では、到着する前に疲れてしまいますよ』
「あ、ああ……すまん。ちょっと考え事をしてたダけさ。ほら、えっと……これからどうしようか、とかな」
『そういえばロクな作戦会議もせずに半ば勢いで飛び出してきてしまいましたからね。この戦争を止めるために最終的に目指すべき場所はどこだとゲンダーは考えていますか?』
マキナはヴェルスタンドの兵器『鯰』に苦しめられている。その脅威を取り除くためには、鯰そのものを破壊してしまうのが手っ取り早い。
だが鯰はあくまで兵器のひとつに過ぎない。たとえ鯰の破壊に成功したとしても別の兵器が攻撃を仕掛けてくるかもしれないし、第二、第三の鯰がすぐに現れないという保障もない。
だから鯰を破壊するのは過程ではあっても、最終的な目的ではない。
鯰を始めとした兵器をこれ以上増やさないために、ヴェルスタンドの研究所や工場を破壊するのはどうだろうか。
いや、それもこの人数じゃ不可能に近い。研究地区ヒュフテだけでも数百の施設がある。ヴェルスタンドのすべての開発施設をひとつずつ止めていたのでは遅すぎる。その間にマキナが倒れてしまうだろう。
それではヴェルスタンド軍を直接叩くか。それも無理だろう。いくらメイヴが有能だとしても多勢に無勢。数の暴力には敵うわけもない。
「オレたちダけでできることには限りがあるな。必要最小限の行動で最大限の成果を上げなくちゃならない」
『ではどうするつもりですか?』
「敵の司令官を叩く。そうすればヴェルスタンド軍は大混乱に陥るダろ。軍隊さえ止めれば兵器も動かないし、そうすればマキナも安心ダ。あとはマキナと同盟のフィーティン軍がなんとかしてくれるはずダ」
『賢明な判断だと思います。しかしゲンダー、ヴェルスタンドの司令官は誰か知っていますか。……アドルフ・ルートヴィッヒ。ガイストにとっても因縁のある、あの男ですよ』
「……大統領か。思ったより大事になりそうダ」
『ですね。たった三人で国を攻め落とすようなもんですから。どうしますか、今ならまだ引き返せますよ』
「やる。もう決めたんダ。少なくとも全軍を相手に戦うよりは遥かに楽勝のはずさ。そうダろ?」
『合点承知。その意気ですよ、ゲンダー』
方針はこうだ。
まずはヴェルスタンドに潜入する。正面から入れてくれるはずはないだろうし、国境は通らずに地下か海路で密かに潜入する。そして首都のゲーヒルンへ向かい、中枢タワーの最上階、大統領の執務室を目指す。
いくら力を持っていたとしても、大統領もただの人間だ。説得できるのならそれが一番いいが、難しいようなら人質にとるなど強硬手段に打って出る必要もあるかもしれない。
大統領さえ押さえれば軍は動けないはずだ。その隙を突いてフィーティン軍に協力を要請する。フィーティンの力を借りて、戦争を放棄させるのがいいだろう。
「ふむ。とにかくまずはどうやって潜入するかダな。地下を通るなら、あのレールが使えるかな」
『エネルギーがないので難しいですね。急がないのでしたら路線を歩いていけばいいでしょうけど、いつまでもマキナを脅威に曝しておくわけにもいきません。あまりゆっくりしている時間はなさそうです』
「そうダな、またメイヴが動けなくなっても困るし。それにあの路線は一本道ダった。出口はガイストクッペルになるが、あそこは崩れてしまって通れないと思う。地下ルートは消えたな」
『では海路ですね。船が必要です』
「船……そうダ! たしかスヴェンのところに翼のついた変な船があったよな。あれを貸してもらうか」
そう考えて来た道を引き返しかけたそのとき、
「その必要はない」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、海のほうに楕円形の機械が浮かんでいる。上部にはハッチがついていて、そこから顔を出しているのはよく知っている男だ。
「ガイスト!」
「遅くなってすまない。僕も連れて行ってくれ」
「いいのか? 自分の国に攻め込むようなもんダぞ」
「大統領のやり方に不満を持っている者は少なくない。僕が子どもだった頃からあの国の代表はずっと変わっていない。もはや独裁状態だ。あいつを止めたほうが国のためなんだ。それにあいつには言いたいことが山ほどあるからな」
「そうか……それならよろしく頼む。ところでその船は?」
「小型潜水艇さ。まだ試作段階だが、先生のところから借りてきた。開発コードはMe1v号だ」
『ほほう。メイヴ号って読めますね、それ! 気に入りました。そいつを使わせてもらいましょう』
「うわぁ、偶然にしてもさすがにできすぎダろ……メイヴ号っておまえ…」
『冗談はさておき、出発しますよ。いざヴェルスタンド!』
一行は潜水艇に乗り込み、かつてマキナの街だった湾を潜行する。
海底を行けば敵に発見される可能性はかなり低くなるだろう。
ガイストによれば港町ゲズィヒトに海底ドックがあり、普段はあまり使われていないので、そこからなら比較的安全に侵入できるだろうということだった。この海底ドックは研究者専用のもので、その存在は関係者以外は知らされていない。潜入には打ってつけだ。
湾を北上して大陸を西へと回りこむ。しばらくは何もない岸壁が続いたが、レーダーがその中に窪みを見つけた。一見すると自然にできた洞窟のようにも見えるが、少し窪みの奥へと進むと景色は一変して岩肌は人工的な金属の管になる。そこを抜ければ、いよいよガイストの話していた海底ドックだ。
ドックに到着するとそこには誰の姿もない。錆びたコンテナや、古びたクレーンが静かに佇んでいるだけだ。
潜水艇を停泊させて奥へと進むと巨大なシャッターが行く手を塞いでいる。そのすぐ脇には、シャッターのあまりの大きさに目を奪われて気がつきにくいが、小さな扉があった。
扉のすぐ近くには小さな端末とモニタ画面があり、その上部には赤い回転灯が光っている。
端末にはカードを認識するための装置がある。ガイストは懐からカードキーを取り出すと装置にカードを通してみるが、ブザーが鳴るだけで扉は開かない。
「くそっ。予想はしていたけど、やはりカードをロックされているみたいだ」
「警告音みたいなのが鳴ったけど大丈夫なのか? 使用履歴とかでオレたちが来たことバレないかな」
「ここはあくまで研究用資材の搬入なんかに極たまに使う程度の場所だ。いちいち履歴なんてとっていないし、監視カメラすら置いていない。心配はいらないさ」
『それなら問題はありませんね。ではここは私が。ちょっと失礼して……』
メイヴがコードを伸ばして端末に接続すると、ほどなくして端末横のモニタには『Complete』の表示。そして緑の回転灯が灯り、扉は静かに開いた。
さらに先へ進むと古びたエレベータがあり、上まで昇ると今度は地下鉄のホームのような場所に出た。ヴェルスタンドの地下を縦横に走るレールの駅のひとつだ。
地下鉄とは違い、レールは主に研究関係者が利用する施設のみに通されているので基本的に人の姿はあまりない。幸い、このホームには今は他に誰もいない様子だ。
「ゲズィヒトには研究施設があまりないからね。資材搬入でもなければ、こんなところに来る研究者はいない」
「どうりで寂れているわけダ」
「ここから直接ゲーヒルンの駅までレールに乗っていくこともできるが、あっちはさすがに首都というだけあって、人の目が多い。そこを見つからずに抜けるのはさすがに無理だろう。一旦ここは地上に出て陸路を行ったほうがいい」
『しかし地上に出るのは危険なのでは? 研究者だけでなく一般人の目もあると思いますが』
「一般人にマキナの機械とヴェルスタンドの機械の違いなんてわからないさ。いくらでも誤魔化せる。気をつけるとしたら、軍の前哨基地だけだ」
「こんなところに前哨基地があるのか。ここが前線ってわけでもあるまいに」
「鯰の攻撃でマキナの半分が沈むまでは、ゲズィヒトはマキナとの国境のひとつでもあったからな。その名残のようなものだ。さあ、こっちだ。あそこから外に出られる」
地上に出ると潮の香りが鼻につく。青と白のコントラストが目に眩しい。
出てきた建物を振り返って見上げるとまるで廃墟のようなレンガ造りの建物だ。ひび割れた壁は蔦に覆われており、木の扉は潮風で腐食してぼろぼろになっている。なるほど、こんなところに好き好んで近づく者はいない。研究者だけが知る施設としての偽装なのだろうが、潜入にあたってはそれがありがたい。
廃墟を取り囲む有刺鉄線をメイヴが切断し、倉庫の立ち並ぶ海岸沿いを行くと広場に出た。
右手に海、左手にはタイル張りの広場。コンテナがいくつも積まれており、クレーンが何台も見える。桟橋には大小さまざまな船が停泊しており、出港の準備であったり積荷の上げ下ろしであったりでずいぶん賑やかだ。
さらに前方奥の建物は、上部で大きなパラボラアンテナが回っているのが非常によく目立つ。あれがガイストの言っていた前哨基地なのだろう。
「思ったよりハイテクのようダ。前哨基地っていうから野営みたいなもんダと思い込んでたが」
『おそらく港に出入りする船の監視も兼ねているのでしょう。なんとか見つからずに抜けたいものです』
「レーダーを無効化できないか?」
『できますが、それでは異常に気付かれて逆に警戒心を与えてしまいます。どうしたものか……』
悩んでいると、先に一人で様子を確認しに行ったガイストが戻ってきた。いつの間にか着替えて漁師のような格好をしている。手には小さな鍵のようなものをぶら下げていた。
「うまく言ってトレーラーとコンテナをひとつ借りてきた。あの中ならレーダーに感知されることもないし、市場へ運ぶ荷物だと言い張れば怪しまれることもないはずだ」
『それは名案です! よく思いつきましたね』
「機械に変装は真似できないだろう。これぞ人間の特権ってね」
「ところでガイスト。研究者出身なのによく大型車を運転できるな。驚いたぞ」
「何を言ってる? もちろん運転なんかしたことないに決まってるじゃないか」
「え? ……おまえが何を言ってるんダ。そ、それじゃあ一体どうやって……」
「僕たちにはメイヴがいるじゃないか」
そう心に誓ったゲンダーは、マキナ-ヴェルスタンド戦争を止めることを決意した。
メイヴは――ブラックボックスは無事にマキナのスヴェン博士のもとへと届けられた。彼ならヘイヴの意志を継いで、ブラックボックスを正しく扱ってくれる。そしてそれはメイヴがマキナへ残るということを意味する。ということは、マキナが戦争状態にあるのはメイヴにとっても危機である。
だから決めた。この戦争を終わらせると。
協力を買って出てくれたメイヴとグメーシスを伴って、ゲンダーは海岸沿いを西のヴェルスタンドとの国境へと向かっていた。
(メイヴを護るための戦いにメイヴが出撃するなんて変な話ダけど、でもありがたい。メイヴの能力にはこれまでも何度も助けられてきたからな。しかし「オレが」メイヴを護ると誓ったからには、いつまでも助けられてばかりじゃいけない。オレが頑張らなければ……)
先頭に立って張り詰めた想いで足を進めるゲンダー。その緊張した面持ちを見かねてか、沈黙を破ってメイヴが声をかける。
『何を難しい顔をしているんですか、ゲンダー。今からそんな様子では、到着する前に疲れてしまいますよ』
「あ、ああ……すまん。ちょっと考え事をしてたダけさ。ほら、えっと……これからどうしようか、とかな」
『そういえばロクな作戦会議もせずに半ば勢いで飛び出してきてしまいましたからね。この戦争を止めるために最終的に目指すべき場所はどこだとゲンダーは考えていますか?』
マキナはヴェルスタンドの兵器『鯰』に苦しめられている。その脅威を取り除くためには、鯰そのものを破壊してしまうのが手っ取り早い。
だが鯰はあくまで兵器のひとつに過ぎない。たとえ鯰の破壊に成功したとしても別の兵器が攻撃を仕掛けてくるかもしれないし、第二、第三の鯰がすぐに現れないという保障もない。
だから鯰を破壊するのは過程ではあっても、最終的な目的ではない。
鯰を始めとした兵器をこれ以上増やさないために、ヴェルスタンドの研究所や工場を破壊するのはどうだろうか。
いや、それもこの人数じゃ不可能に近い。研究地区ヒュフテだけでも数百の施設がある。ヴェルスタンドのすべての開発施設をひとつずつ止めていたのでは遅すぎる。その間にマキナが倒れてしまうだろう。
それではヴェルスタンド軍を直接叩くか。それも無理だろう。いくらメイヴが有能だとしても多勢に無勢。数の暴力には敵うわけもない。
「オレたちダけでできることには限りがあるな。必要最小限の行動で最大限の成果を上げなくちゃならない」
『ではどうするつもりですか?』
「敵の司令官を叩く。そうすればヴェルスタンド軍は大混乱に陥るダろ。軍隊さえ止めれば兵器も動かないし、そうすればマキナも安心ダ。あとはマキナと同盟のフィーティン軍がなんとかしてくれるはずダ」
『賢明な判断だと思います。しかしゲンダー、ヴェルスタンドの司令官は誰か知っていますか。……アドルフ・ルートヴィッヒ。ガイストにとっても因縁のある、あの男ですよ』
「……大統領か。思ったより大事になりそうダ」
『ですね。たった三人で国を攻め落とすようなもんですから。どうしますか、今ならまだ引き返せますよ』
「やる。もう決めたんダ。少なくとも全軍を相手に戦うよりは遥かに楽勝のはずさ。そうダろ?」
『合点承知。その意気ですよ、ゲンダー』
方針はこうだ。
まずはヴェルスタンドに潜入する。正面から入れてくれるはずはないだろうし、国境は通らずに地下か海路で密かに潜入する。そして首都のゲーヒルンへ向かい、中枢タワーの最上階、大統領の執務室を目指す。
いくら力を持っていたとしても、大統領もただの人間だ。説得できるのならそれが一番いいが、難しいようなら人質にとるなど強硬手段に打って出る必要もあるかもしれない。
大統領さえ押さえれば軍は動けないはずだ。その隙を突いてフィーティン軍に協力を要請する。フィーティンの力を借りて、戦争を放棄させるのがいいだろう。
「ふむ。とにかくまずはどうやって潜入するかダな。地下を通るなら、あのレールが使えるかな」
『エネルギーがないので難しいですね。急がないのでしたら路線を歩いていけばいいでしょうけど、いつまでもマキナを脅威に曝しておくわけにもいきません。あまりゆっくりしている時間はなさそうです』
「そうダな、またメイヴが動けなくなっても困るし。それにあの路線は一本道ダった。出口はガイストクッペルになるが、あそこは崩れてしまって通れないと思う。地下ルートは消えたな」
『では海路ですね。船が必要です』
「船……そうダ! たしかスヴェンのところに翼のついた変な船があったよな。あれを貸してもらうか」
そう考えて来た道を引き返しかけたそのとき、
「その必要はない」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、海のほうに楕円形の機械が浮かんでいる。上部にはハッチがついていて、そこから顔を出しているのはよく知っている男だ。
「ガイスト!」
「遅くなってすまない。僕も連れて行ってくれ」
「いいのか? 自分の国に攻め込むようなもんダぞ」
「大統領のやり方に不満を持っている者は少なくない。僕が子どもだった頃からあの国の代表はずっと変わっていない。もはや独裁状態だ。あいつを止めたほうが国のためなんだ。それにあいつには言いたいことが山ほどあるからな」
「そうか……それならよろしく頼む。ところでその船は?」
「小型潜水艇さ。まだ試作段階だが、先生のところから借りてきた。開発コードはMe1v号だ」
『ほほう。メイヴ号って読めますね、それ! 気に入りました。そいつを使わせてもらいましょう』
「うわぁ、偶然にしてもさすがにできすぎダろ……メイヴ号っておまえ…」
『冗談はさておき、出発しますよ。いざヴェルスタンド!』
一行は潜水艇に乗り込み、かつてマキナの街だった湾を潜行する。
海底を行けば敵に発見される可能性はかなり低くなるだろう。
ガイストによれば港町ゲズィヒトに海底ドックがあり、普段はあまり使われていないので、そこからなら比較的安全に侵入できるだろうということだった。この海底ドックは研究者専用のもので、その存在は関係者以外は知らされていない。潜入には打ってつけだ。
湾を北上して大陸を西へと回りこむ。しばらくは何もない岸壁が続いたが、レーダーがその中に窪みを見つけた。一見すると自然にできた洞窟のようにも見えるが、少し窪みの奥へと進むと景色は一変して岩肌は人工的な金属の管になる。そこを抜ければ、いよいよガイストの話していた海底ドックだ。
ドックに到着するとそこには誰の姿もない。錆びたコンテナや、古びたクレーンが静かに佇んでいるだけだ。
潜水艇を停泊させて奥へと進むと巨大なシャッターが行く手を塞いでいる。そのすぐ脇には、シャッターのあまりの大きさに目を奪われて気がつきにくいが、小さな扉があった。
扉のすぐ近くには小さな端末とモニタ画面があり、その上部には赤い回転灯が光っている。
端末にはカードを認識するための装置がある。ガイストは懐からカードキーを取り出すと装置にカードを通してみるが、ブザーが鳴るだけで扉は開かない。
「くそっ。予想はしていたけど、やはりカードをロックされているみたいだ」
「警告音みたいなのが鳴ったけど大丈夫なのか? 使用履歴とかでオレたちが来たことバレないかな」
「ここはあくまで研究用資材の搬入なんかに極たまに使う程度の場所だ。いちいち履歴なんてとっていないし、監視カメラすら置いていない。心配はいらないさ」
『それなら問題はありませんね。ではここは私が。ちょっと失礼して……』
メイヴがコードを伸ばして端末に接続すると、ほどなくして端末横のモニタには『Complete』の表示。そして緑の回転灯が灯り、扉は静かに開いた。
さらに先へ進むと古びたエレベータがあり、上まで昇ると今度は地下鉄のホームのような場所に出た。ヴェルスタンドの地下を縦横に走るレールの駅のひとつだ。
地下鉄とは違い、レールは主に研究関係者が利用する施設のみに通されているので基本的に人の姿はあまりない。幸い、このホームには今は他に誰もいない様子だ。
「ゲズィヒトには研究施設があまりないからね。資材搬入でもなければ、こんなところに来る研究者はいない」
「どうりで寂れているわけダ」
「ここから直接ゲーヒルンの駅までレールに乗っていくこともできるが、あっちはさすがに首都というだけあって、人の目が多い。そこを見つからずに抜けるのはさすがに無理だろう。一旦ここは地上に出て陸路を行ったほうがいい」
『しかし地上に出るのは危険なのでは? 研究者だけでなく一般人の目もあると思いますが』
「一般人にマキナの機械とヴェルスタンドの機械の違いなんてわからないさ。いくらでも誤魔化せる。気をつけるとしたら、軍の前哨基地だけだ」
「こんなところに前哨基地があるのか。ここが前線ってわけでもあるまいに」
「鯰の攻撃でマキナの半分が沈むまでは、ゲズィヒトはマキナとの国境のひとつでもあったからな。その名残のようなものだ。さあ、こっちだ。あそこから外に出られる」
地上に出ると潮の香りが鼻につく。青と白のコントラストが目に眩しい。
出てきた建物を振り返って見上げるとまるで廃墟のようなレンガ造りの建物だ。ひび割れた壁は蔦に覆われており、木の扉は潮風で腐食してぼろぼろになっている。なるほど、こんなところに好き好んで近づく者はいない。研究者だけが知る施設としての偽装なのだろうが、潜入にあたってはそれがありがたい。
廃墟を取り囲む有刺鉄線をメイヴが切断し、倉庫の立ち並ぶ海岸沿いを行くと広場に出た。
右手に海、左手にはタイル張りの広場。コンテナがいくつも積まれており、クレーンが何台も見える。桟橋には大小さまざまな船が停泊しており、出港の準備であったり積荷の上げ下ろしであったりでずいぶん賑やかだ。
さらに前方奥の建物は、上部で大きなパラボラアンテナが回っているのが非常によく目立つ。あれがガイストの言っていた前哨基地なのだろう。
「思ったよりハイテクのようダ。前哨基地っていうから野営みたいなもんダと思い込んでたが」
『おそらく港に出入りする船の監視も兼ねているのでしょう。なんとか見つからずに抜けたいものです』
「レーダーを無効化できないか?」
『できますが、それでは異常に気付かれて逆に警戒心を与えてしまいます。どうしたものか……』
悩んでいると、先に一人で様子を確認しに行ったガイストが戻ってきた。いつの間にか着替えて漁師のような格好をしている。手には小さな鍵のようなものをぶら下げていた。
「うまく言ってトレーラーとコンテナをひとつ借りてきた。あの中ならレーダーに感知されることもないし、市場へ運ぶ荷物だと言い張れば怪しまれることもないはずだ」
『それは名案です! よく思いつきましたね』
「機械に変装は真似できないだろう。これぞ人間の特権ってね」
「ところでガイスト。研究者出身なのによく大型車を運転できるな。驚いたぞ」
「何を言ってる? もちろん運転なんかしたことないに決まってるじゃないか」
「え? ……おまえが何を言ってるんダ。そ、それじゃあ一体どうやって……」
「僕たちにはメイヴがいるじゃないか」
ゲズィヒトからゲーヒルンへと通じる道路を一台のトレーラーが走っていく。
運転席に座っているのはガイスト。ゲンダーたちは後ろのコンテナの中だ。
しかしガイストはハンドルを握ってはいるものの、一切運転はしていない。曲がり道に差し掛かると、ガイストの意思とは関係なくハンドルは切られ、自動的にブレーキがかかって速度を調整する。
よく見るとハンドルの下部からは数本のコードが伸びており、それは助手席に置かれたホログローブに接続されている。
『自動操縦機能の調子は悪くなさそうですね』
遠隔モニタが現れて、メイヴからのメッセージを伝える。
メイヴはホログローブのデータを初期化して、そこに自動操縦機能をインストールしていた。スヴェンの研究所を発つときに彼から提供してもらっていた飛行艇に関連するデータをメイヴが独自に改変したものだ。
「さすがメイヴ。機械のコントロールに関して君の右に出るものはいないな」
『私の右といえば、さっきから隣でゲンダーが不安そうに震えています。何か言ってやってください』
「冷凍コンテナを借りたのは失敗だったな。機械だから寒くないと思ったんだが」
『ふむふむ…………「そうじゃない」って怒ってますよ』
「知ってる」
港から首都への輸送は少なくなく、同じような輸送車が脇をいくつも走り抜けていく。違和感は何一つない。
ゲーヒルンまでは何の心配なくたどり着けるだろう。そう信じて疑わなかったが……
やがて前方に車が並んでいるのが見えてきた。渋滞だろうかとも思ったがそうではない。
「まずい。検問だ」
『まさかバレたのでは?』
「わからない。しかし何とか切り抜けなければ…」
並んだ車の列の最後尾につける。
どうやって切り抜けるか考えを巡らせるも、名案が浮かぶ前に順番が回ってきてしまった。
検問官に指示されて窓を開ける。
「ど、どうも…」
「行き先と積荷の中身は?」
「ゲーヒルンまで。市場へ……魚を届けに」
「ほう、魚を? 今日はいつもより遅いんだな」
ぎくり、として冷や汗が背中を伝う。
検問官はうつむいて何かを手帳に書き記している。
顔が見えないのが相手の考えを読めなくさせて、かえって不安を煽る。
「その助手席にあるモノはなんだ?」
「そ、その……ただのホログローブですよ。音楽を聴いてて」
「へぇ、あんた変わってるな。そんなもの載せなくたってナビに再生機能がついてるだろうに」
「うっ……う、うっかり壊れてたのを忘れててね」
「まあ別に何で聴こうがかまわんが、くれぐれも安全運転で頼むよ」
再び俯いて何かを書き記している。
そのまま検問官は何も言わない。
「あ、あの。もう行ってもいいですか?」
「ああ、そうだな。行っていいぞ。ご協力感謝する」
ほっと胸を撫で下ろして窓を閉じようとする。
と、突然検問官の男が手を伸ばして閉じる窓を掴んだ。
「待て」
慌てて窓を閉じるのを止める。
一体何事か。やはりバレたのか。何か怪しまれるような素振りがあっただろうか。
不安と焦りで悪い想像ばかりが脳裏によぎる。
検問官は咳払いをひとつしてから言った。
「すまない。免許証を見せてもらうのを忘れていた。なあに、大したことではないのだが、決まりなのでね。よろしく頼むよ」
(た、大したことあるんだよ! 免許証だと。こ、困ったな…)
もちろんガイストでも免許証ぐらい持ってはいる。
ただ大型車を運転できるようなグレードではないというだけのことだ。
運転席に座ってはいるが、運転はしていない。動かしているのは自動操縦機能だ。
しかしそんな言い訳が通じるわけもないし、ここで免許証を見せないというのは怪しまれるもとになる。
ためらっていると、やはり検問官は怪訝そうな目でこちらをじろじろと見つめてくる。
「どうした。早く出したまえ。それとも何かやましいことでもあるのか?」
「いや、そんなことは……え、ええと、どこにしまったかな。おかしいなぁ……ははは」
(まずい。これはまずい。一体どうしたら!?)
免許証を探すふりをしてなんとか時間を稼いでいると、俯きこんだガイストの目の前に小さく遠隔モニタが現れた。
それを見たガイストは、はっとして落ち着きを取り戻すと、すました様子で堂々と検問官に自身の免許証をつきつけてやった。
検問官はガイストの免許証を手にとってじっくり眺めると、それをガイストに返して「行っていいぞ」と答えた。
「どうも。お勤めごくろうさまです」
懐にしまう免許証の表面には、免許証とまったく同じサイズの遠隔モニタが張り付いてその内容を偽装していたのだ。
辛くもメイヴの機転で検問を突破したガイストは、ギアを入れ直して車を発進させる。
トレーラーはコンテナの中の安堵のため息を包み隠して、道路を走り抜けていった。
運転席に座っているのはガイスト。ゲンダーたちは後ろのコンテナの中だ。
しかしガイストはハンドルを握ってはいるものの、一切運転はしていない。曲がり道に差し掛かると、ガイストの意思とは関係なくハンドルは切られ、自動的にブレーキがかかって速度を調整する。
よく見るとハンドルの下部からは数本のコードが伸びており、それは助手席に置かれたホログローブに接続されている。
『自動操縦機能の調子は悪くなさそうですね』
遠隔モニタが現れて、メイヴからのメッセージを伝える。
メイヴはホログローブのデータを初期化して、そこに自動操縦機能をインストールしていた。スヴェンの研究所を発つときに彼から提供してもらっていた飛行艇に関連するデータをメイヴが独自に改変したものだ。
「さすがメイヴ。機械のコントロールに関して君の右に出るものはいないな」
『私の右といえば、さっきから隣でゲンダーが不安そうに震えています。何か言ってやってください』
「冷凍コンテナを借りたのは失敗だったな。機械だから寒くないと思ったんだが」
『ふむふむ…………「そうじゃない」って怒ってますよ』
「知ってる」
港から首都への輸送は少なくなく、同じような輸送車が脇をいくつも走り抜けていく。違和感は何一つない。
ゲーヒルンまでは何の心配なくたどり着けるだろう。そう信じて疑わなかったが……
やがて前方に車が並んでいるのが見えてきた。渋滞だろうかとも思ったがそうではない。
「まずい。検問だ」
『まさかバレたのでは?』
「わからない。しかし何とか切り抜けなければ…」
並んだ車の列の最後尾につける。
どうやって切り抜けるか考えを巡らせるも、名案が浮かぶ前に順番が回ってきてしまった。
検問官に指示されて窓を開ける。
「ど、どうも…」
「行き先と積荷の中身は?」
「ゲーヒルンまで。市場へ……魚を届けに」
「ほう、魚を? 今日はいつもより遅いんだな」
ぎくり、として冷や汗が背中を伝う。
検問官はうつむいて何かを手帳に書き記している。
顔が見えないのが相手の考えを読めなくさせて、かえって不安を煽る。
「その助手席にあるモノはなんだ?」
「そ、その……ただのホログローブですよ。音楽を聴いてて」
「へぇ、あんた変わってるな。そんなもの載せなくたってナビに再生機能がついてるだろうに」
「うっ……う、うっかり壊れてたのを忘れててね」
「まあ別に何で聴こうがかまわんが、くれぐれも安全運転で頼むよ」
再び俯いて何かを書き記している。
そのまま検問官は何も言わない。
「あ、あの。もう行ってもいいですか?」
「ああ、そうだな。行っていいぞ。ご協力感謝する」
ほっと胸を撫で下ろして窓を閉じようとする。
と、突然検問官の男が手を伸ばして閉じる窓を掴んだ。
「待て」
慌てて窓を閉じるのを止める。
一体何事か。やはりバレたのか。何か怪しまれるような素振りがあっただろうか。
不安と焦りで悪い想像ばかりが脳裏によぎる。
検問官は咳払いをひとつしてから言った。
「すまない。免許証を見せてもらうのを忘れていた。なあに、大したことではないのだが、決まりなのでね。よろしく頼むよ」
(た、大したことあるんだよ! 免許証だと。こ、困ったな…)
もちろんガイストでも免許証ぐらい持ってはいる。
ただ大型車を運転できるようなグレードではないというだけのことだ。
運転席に座ってはいるが、運転はしていない。動かしているのは自動操縦機能だ。
しかしそんな言い訳が通じるわけもないし、ここで免許証を見せないというのは怪しまれるもとになる。
ためらっていると、やはり検問官は怪訝そうな目でこちらをじろじろと見つめてくる。
「どうした。早く出したまえ。それとも何かやましいことでもあるのか?」
「いや、そんなことは……え、ええと、どこにしまったかな。おかしいなぁ……ははは」
(まずい。これはまずい。一体どうしたら!?)
免許証を探すふりをしてなんとか時間を稼いでいると、俯きこんだガイストの目の前に小さく遠隔モニタが現れた。
それを見たガイストは、はっとして落ち着きを取り戻すと、すました様子で堂々と検問官に自身の免許証をつきつけてやった。
検問官はガイストの免許証を手にとってじっくり眺めると、それをガイストに返して「行っていいぞ」と答えた。
「どうも。お勤めごくろうさまです」
懐にしまう免許証の表面には、免許証とまったく同じサイズの遠隔モニタが張り付いてその内容を偽装していたのだ。
辛くもメイヴの機転で検問を突破したガイストは、ギアを入れ直して車を発進させる。
トレーラーはコンテナの中の安堵のため息を包み隠して、道路を走り抜けていった。