【扶桑蒸奇譚】妖都怪蒸抄 > 舞台設定

◆これを読めば、未知なる“妖都”がまるわかり!!!

 羅。秋津と住吉という、二つの大都市の丁度中間辺りに位置する町。秋津がまだ武陽と呼ばれていた頃、御三家のお膝元として栄えていた町。そんな町が、“妖都”と呼ばれるようになったのは、我々の記憶に新しい。
 しかし、秋津にてぬくぬくと日々を暮らしている皆様方は、この“妖都”について、あまり詳しいことを知らないのではないであろうか。

 曰く、大きな結界に包まれた都市である。
 曰く、魑魅魍魎が、平然と跋扈している都市である。
 曰く、今の扶桑で最もデンジヤラスな都市である——精々、こんなものであろう。

 そこで、本書『妖都見聞録』では、“妖都”の成り立ちから現在の状況、名所などを、余すことなく解説させていただく心づもりである。最後まで御付き合い頂ければ此れ幸い。


1.“妖都”の成り立ち

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 て、そもそも“妖都”が“妖都”と呼ばれるようになったきっかけ、それを説明していこう。すべての始まりは、二年前、あの「怪奇日食」が起こったことに由来するのである。

 二年前、明正八年に発生した皆既日食をお覚えだろうか。読者の皆様の中にも、神秘の現象をご覧になった方は大勢いるはずだ。かくいう私も、会社の屋上で同僚たちと眺めたものである。秋津から住吉にかけた、扶桑の広い範囲で観測が可能であったそれは、当然永羅においても人々の目をくぎ付けにして止まなかったであろう。
 しかし。月が日を食う刹那——即ち、月と太陽が完全に重なった瞬間——永羅近辺において、 ある二つの「怪奇」的な現象が発生した のである。一つ、永羅全域において、蒸気機関を要する機械全てが、突如けたたましく煙を吐き出し始めたこと。二つ、日に覆いかぶさっている月が、まばゆいくらいに赤く発光し始めたこと。その突然の事態に、永羅に住まう十万の人々が一様に動転——する暇もなく、発光量が頂点へ達すると同時に、人々の意識はプツリと、一斉に途切れたという。(暗い中で発光している月と煙を上げる蒸気機械の挿絵が入っている)

 人々が意識を取り戻したのは、それから半刻が過ぎてからのこと。彼らが目を覚ました時には既に、永羅は今の状況——町一帯が煙に覆われ、あやかしが町を練り歩いている状況だったという。「怪奇日食」の発生要因、なぜ永羅だけがそうなったのか、どうしてあやかしが町に溢れてしまったのか、等々は今なお謎に包まれたままである。

 また、さらに不可解なことに、「怪奇日食」時に永羅にいた人間のうち、五分(5%)の割合の人が、蒸気機械と融合した異形の存在、「ヤソメ」へと変貌してしまっていたという。このヤソメの存在については、“妖都”の成り立ちと同様かそれ以上に謎が深い。
 そこで次の章では、彼ら「ヤソメ」について紹介していきたい。


2.「ヤソメ」について

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 「ソメ」とは、“妖都”に住まう、 蒸気機械と融合してしまった異形の人々 のことを総称して呼ぶ言葉である。蒸気機械と融合、という言葉を聞くと、義肢などを装着した者のことを思い浮かべるかもしれない。しかし、彼らのようにスチヰムテクノロジを用いて蒸気機械を体に埋め込んだ人々とヤソメとでは、その本質が全く異なっているのである。

 先に述べた通り、ヤソメの人々は「怪奇日食」の際に、突如として蒸気機械と融合してしまっている。それは無論、誰かが義肢手術を行ったため、というわけでもない。完全なる自然現象(・・・・・・・・)として、彼らは機械と融合してしまったのだ。その証拠に、ヤソメの人々は義肢のように綺麗な状態ではなく、排煙筒が背中から突き出していたり、掌からオイルが滲み出てしまっていたり……と、人為的現象であれば起こりえない状態で機械と融合している。
(例に挙げた二人のヤソメのスケッチが描かれている。なお、排煙筒の人物の上には「本人曰く痛みなどは全くないとのこと」、オイルの人の上には「物を握りにくいこと以外に生活への支障はあまりないらしい」というメモ書きがされている。)

 加えて、ヤソメの人々の中のごく一部には、自らに埋め込まれた機械や、人体そのものを変貌させ、自在に操ることのできる者も存在する。このことから、「ヤソメ」化については、 土蜘蛛 変異の一種ではないか、というのが識者たちによる見解である。土蜘蛛という存在、その歴史的変遷や謎については、当社発行の日刊『レムリア』第七十七、百四十四、五百三十八号の記述を参照されたし。

 話が少し逸れたが、要するにヤソメとはこのように“蒸気機械と融合という変異を遂げてしまった人々”なのである。……その事実から、ヤソメを「人間ではない」と蔑み、排斥しようとする人々もまた存在する。それ故、過度な反発を避けるために“妖都”に存在する[人間居住区]には、ヤソメの住民は現在のところ一人も登録されていない。

 さて、少し話が重くなってしまったが、彼らヤソメについて、本文を読み嫌悪ではなく興味を示した者もいるはずだ。そのような方々へ向けて、現在『妖都見聞録 蜘蛛之巻』を絶賛執筆中である。そちらの本では、実際にヤソメになってしまった人物へのインタビウを中心とした、彼らの日常や知られざる力について迫っている。購入の際に本書『妖都見聞録』をご提示いただければ、通常の三割引で購入可能なキャンペェンも予定されているので、ぜひとも発売された際はお手に取っていただきたい。


3.現在の“妖都”

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 いて、現在の“妖都”の状況について、[人間居住区]の中と外に分け解説させていただく。
 まずは中の状況について。そもそも人間居住区とは、永羅市庁により定められた、町の東側二割ほどの区域を指す。この居住区内に住まう人々は、市庁により登録・管理され、年に一定額の税金やそれに相応する物品を奉納する、という制約は受けるものの、ある程度の命の安全と住まいの保全を保証されている。具体的には、居住区内には登録者と、立ち入り許可証を持つ者以外の侵入が一切禁じられており、また自責のない家屋の損傷(あやかしによる暴走事件の被害を受けたとか、自然災害により崩落しただとか)の完全修復が無償で保証されている。制約はあるもののそれ以上の恩恵が見込まれ、また納税額が一般民衆にも可能な良心的な額である、ということも相まって、永羅に住まう人間のうち半数がこの居住区に登録されている。

 そんな居住区であるために、この中での治安は相当に良い。場所によっては、秋津の一番街区と変わらないくらいの治安を誇る所もある。また、仮に事件などが起こったとしても、居住区の守護者と呼ばれる二匹の狛犬がすぐに駆け付け、解決するため、人間が眠れぬ夜を過ごす、なんて事態とは無縁なのである。

 さて、ここまでの話を聞き「なんーだ、“妖都”ってのはもっとデンジヤラスでエキサイトな場所じゃなかったのかよ」と思ったそこの君。治安がいいのは、あくまで[人間居住区]の内部に限った話。何故なら、居住区の外において人・あやかしを縛る掟は、次の三つしか存在しないからである。

一つ。“妖都”全体に不利益を及ぼす行為は、相応の処罰を覚悟せよ
二つ。東海道を通る人間は、居住区の者と同様に決して襲わないこと
三つ。強きが弱きを虐げるは、自然の摂理と心得よ

 ……特に三つ目の影響により、“妖都”の人間居住区外は、我々の常識では考えられないほどに多様化している。あやかしが力により全てを支配する区域、人とあやかしとが協力し、商才という強さを存分に発揮している商店街区域、秋津で抗争を続ける暴力系組織が場所を移し、日夜しのぎを削る区域……これほどまでに「混沌」という言葉が当てはまる町も、そう多くはないだろう。

 常識が非常識であり、非常識が常識。あやかしと人とが入り乱れ、機械と人とが入り混じる。それが、“妖都”が“妖都”たる所以であり、“妖都”永羅という町なのだ。


4.“妖都”名所録

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こまで読み進めてくれた方であれば、この非日常都市“妖都”に興味津々なこと間違いなし、だろう。そこで本章では、“妖都”永羅の見所、また訪れるには危険な場所など様々な名所を紹介させて頂く。


旧永羅城
 かつて御三家と呼ばれた大名様が暮らしていたお城。侍たちの時代が終わってからも永羅のシンボルであったが、『怪奇日食』とほぼ時を同じくしてあやかしにより占拠されてしまった。以来、永羅城は怪異たちの巣食う場所となり、下層部は常に深い霧に覆われている。


永羅市役所
 永羅市庁が置かれている場所。市長の淵上広大、副市長の不知火神菜を始めとした、永羅市の行く末を決める首脳達が集っている。……と言っても、他の一般的な都市と比べると、永羅市庁が取り仕切る事柄はごく僅かである。例を挙げると、人間居住区の戸籍管理手続き、市庁直轄の治安維持部隊『狐火』の本拠地、といったくらいに限られる。それには、どうせ多くを決めたところであやかし達がそれに従う訳がない、という事情もあるのだと推測される。それでも市庁が持つ権限は大きく、“妖都”内で最大の権力組織、と言って差し支えないだろう。


“御庭” (随身省永羅支部)
 かつての公方様が永羅へと滞在する際に使っていた別邸、それを改築した建物が現在、随身省の永羅支部として使われている。“御庭”という別称は、旧邸宅に備え付けられた見事な庭を讃えて付けられた──というのはあくまで建前。実のところ、随身省の“妖都”における仕事ぶりを揶揄して、その名で呼ばれているのだ。
 妖都にて、随身省が行っている仕事はたった一つ。それは、“妖都”と外とを行き来できる場所、「狭間門」「一色門」の権門。無論、それも大切な仕事ではあるのだろうが、随身省が“妖都”の内部に直接干渉してくることはほとんどない。それ故、『門番』『庭番』と揶揄される随身省の本拠地には“御庭”という渾名がつけられているのだ。


熱田宮
 東海道41番目の宿場町、その側に荘厳とそびえ立つ神宮。古来より神聖な地として崇められてきた場所であるが、現在でも、人間居住区の外にありながら諍い等が一切発生しない場所となっている。その高尚さが者どもの心を浄化しているのか、それとも意識に干渉するような結界が貼られているのかは定かではないが、ヤソメや一部の争いを好まないあやかし、また居住区に住む余裕すらない人々の憩いの場として、その存在を保ち続けている。


大須商店街
 “妖都”で一番栄えている繁華街。その賑わいは、秋津のそれに勝るとも劣らない。居住区の外にありながら、それほどまでに繁栄している理由は、人とあやかしとが互いに協力し合ってこの商店街が成り立っている点にある。
 この商店街にある店は、そのほぼ全てがあやかしと契約を結んでいる。その内容は、商品の一部を融通する代わりに店の警備をするだとか、あやかしの作った道具を納める代わりに食料たる血液を提供するとか、店によりけりである。ともかくそのように、人とあやかしが互いに利用し、協力し、認めているからこそ、この共存共栄の関係は成り立っているのだ。今日も大須商店街は、人妖の喧騒と活気にあふれた蒸気で満ちている。


[人間居住区]
 永羅市全体の面積の実に二割強を占める、弱き人間のために作られた居住区。外との出入口がいくつかある他は、その外周は塀に囲まれている。塀は腕に自信がある者ならば軽々と越えられる高さではあるが、「混沌とした“妖都”とは隔絶されている」という人々の安心感を作り出すのに一役買っている。まあ、所詮はそこも“妖都”の一部であることに変わりはないのだが。
 と言っても、居住区内の治安が相当に良いのは間違いない。“妖都”初心者のあなたが“妖都”を訪れよう、と思った暁には、まず始めにここを目指すことを強くお奨めする。


鳴海宿
 東海道における40番目の宿場町。人間居住区の内部に存在する。“妖都”永羅が危険な非日常都市である、ということは今や扶桑中に知れ渡っているが、それを知ってもなお「“妖都”に行きたい!」と宣うクレイジィな人々は多い(まあ、私もその中の一人だったわけだが)。そのような者たちの宿泊地として、この鳴海宿一帯はかなりの賑わいを誇っている。


喫茶『山小屋』
 東海道から少し路地に入った場所に店を構える喫茶店。人間居住区外の店ではあるが、居住区から歩いて数分という立地のため、人間の客もそれなりに多い。店主である日下部眞彩さんの「人とあやかし双方の憩いの場でありたい」という意向により、この店で暴れるあやかしは存在せず、誰でも落ち着いて過ごすことができる空間となっている。
 この店を訪れた際には、是非ともブレンドコーヒーを味わってほしい。店主の入れるコーヒーは絶品で、その腕は人妖双方の間で名高い。……しかし、店主のイチオシメニューは「クリヰム苺スパゲティ」らしい。一部の客にカルト的な人気を誇っているらしく、私も一度食させて頂いたことがあるが、味覚が人外じみている方以外は避けた方が賢明であると思われる。また同系統のメニューとして「炊き込みメロン御膳」「小倉カツレツ」なども存在する。


平和所
 人間居住区に隣接する、広大な墓地。墓地、と聞くとおどろおどろしい印象を抱く者も多いだろうが、“妖都”におけるそこは常に静寂と百合の花の香りに包まれた、「“妖都”で最も平和な所」とも言える場所になっている。
 ちなみに、人間居住区が現在の位置に作られた背景の一つとして、多くの人々の先祖が眠るこの場所に隣接させたかった、というものがあるらしい。


洩の代 (もりのしろ)
 “妖都”の北東部に位置する、いくつもの暴力系組織が群雄割拠している地域一帯の通称。伴い、広大なスラム街もこの場所に形成されている。これらのことから推測できる通り治安は最悪で、銃声が聞こえてくるのは日常茶飯事。秋津でも名を響かせる組織や、永羅での振興を図りあやかしと手を組んだ組織などがシノギを削っており、その全貌は誰にも把握できていない。
 それにしても、“妖都”で最も危険な場所が人間の抗争よって成り立っている、とはなかなかの皮肉である。


吉根橋
 “妖都”には、その外と中とを隔てる結界が張られている、というのは多くの人が知る事実であろう。この結界のおかげで、危険なあやかしが存在してもそれが外部に出てしまうことはなくなっている。ただもちろん、その全てが満遍なく結界に覆われていたら出入りが全く不可能になってしまう訳で、それを防ぐためにこの結界には“穴”が存在している。
 この穴の中で最も知名なのは「狭間門」「一色門」の二つだろう。それぞれ、“妖都”における東海道の起点と終点となっており、東海道を利用する旅人や、“妖都”を訪れんと志す狂人たちの多くがこれらを通過する。しかし、結界にはもう一つの穴——「吉根橋」が存在することは、一般にはあまり知られていない。
 先述した二つの穴には検門が設置されており、あやかしや前科持ちの人間の出入りは止められてしまう。そこで、前科を持つやくざの人々に利用されているのがこの吉根橋だ。ここを通じて多くの脛に傷を抱える者たちが“妖都”入りした結果、洩の代が形成されるに至ったのだという。随身省もこの場所に規制をかけたい気持ちはあるが、そもそもの人が足りず、また永羅市庁側から「手出し無用」との御触れが出てしまっているために、何も対策ができていないのが現状らしい。


+ “妖都”概略図

図中の番号は名所録の番号に対応
※本図は実在の場所及び施設とは一切の関係がなく、そのため「ここちょっとほんとの位置とずれてね?」といった質問には対応しかねます。
最終更新:2020年01月12日 01:21
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