『行って来るね』
短いメールを眞一郎くんに送った。
眞一郎くんは自室の窓から、顔を見せてくれる。
『結果を待っている』
メールでも返してくれた。
きっと永久に消すことのないメールになるだろう。
あの逃避行のときには夢中で走った道のりを歩いて行く。
石動家に到着して呼び鈴を鳴らす。
出て来た四番に驚かれる。
「あんたから来てくれるとはな」
四番とはあまり連絡をしていなかった。
お互いの身体を心配し合うメールの遣り取りだけだった。
今日も事前に伝えずにいた。
「バイク事故のこと、申し訳ありませんでした」
私は深々と頭を下げた。
「他人行儀だな。運転していたのは俺だから、そこまでしなくてもいいのだが」
「事故後に謝罪はしていなかったから。混乱していてどうでもいいことばかり言っていたし」
「そんなもんだろ。お互いに無事で良かった」
四番は笑みを浮かべてくれている。
「弁償はおじさんが払ってくれることになっているわ。
私の両親の遺産からも出そうかなとも考えているの」
私の判断に四番は顔を顰める。
「急な話だから保留させてくれ。さすがに全額とまではいかないし、折半とか。
俺にも意地があるから、請求しないかもしれない。
あんたのおじさんたちと今回のことで話し合うべきかもしれないな」
「そういうことになるの、やはり……」
できれば四番をおじさんたちに会わせたくはない。
せっかくうまくゆきかけている状況を変えたくないからだ。
「謝罪しなければいけないのは、こちらかもしれない。
仲上家のことはよくわからないが、大事な娘を事故に遭わせたのだからな」
「私がバイクに乗せてと頼んだのだから、おじさんたちは、あなたを責めないわ」
私にはバイクの運転手の責任問題についてはわからない。
ただ事実から解釈して穏便に済ませようとする。
「よくできたおじさんたちだな。
何か言ってくるかもと考えていたのだが。
捜索願を出していたようだから、かなり心配していたようだな」
「いろいろあったからね、帰宅後に」
誰にも話していないというか、停学中だから会っていない。
今、学校にいる時間外であっても、四番と会っているのはまずいかもしれない。
私はできるだけ早くあらゆる結果を出しておきたい。
「あいつとはどうなったんだ?」
四番は表情を消して訊いてきた。
「私たち、別れましょう」
私はすべてを明かさずに答えた。
「あいつと何かを話したのか?」
四番は目を細めて窺ってくる。
「具体的にはまだだけれど、私はあなたと別れると伝えている。
眞一郎くんも石動乃絵と別れようとしているわ」
私の発言には、さすがの四番も焦りが滲んでいる。
「そこまで合わせてくるとはな。あの抱擁が利いたのか?」
「そうかもしれないわね」
否定せずに肯定した。
私自身はまだ確認できていないが、きっかけにはなっているはずだ。
私を乗せたバイクをタクシーで追い駆けて来て、
事故に遭遇した私を眞一郎くんが抱き締めてくれた。
状況が把握できていない私は、眞一郎くんに怒られると思っていたのにだ。
その後に私は正常の状態に戻れた。
「そういうものか。
俺があいつの立場なら、同じことをしていたし、乃絵は俺に抱き付いていたが」
四番は平然と語ったので、私の思考の根底から崩されてしまった。
「何でそうなるの。眞一郎くんが私を想って……」
あのとき、私は眞一郎くんしか見えていなかった。
「俺にはあんたたちの関係がわからないからな。
あの後に仲良くなれるくらいなら、今まで何をやっていたのかと言いたくなる」
四番は頬を膨らませていた。
「私にもわからないところがあるからね」
「別れても構わないが、あいつが乃絵を振れると思えないが」
四番なりに最大の難所を読めている。
「石動乃絵に交換条件を話しているの?」
私の発言に四番は左手を握り締めてきた。
「それだけはやめてくれ。乃絵はそういうものが嫌いだ。
せっかく家族以外の他人であるあいつに、心を開いているのを閉ざしてしまう」
四番の苦悩が掴まれた左手から伝わってくる。
「
私だってそういうことをしたくないわ。
でも眞一郎くんが乃絵と別れられないなら、私が引導を渡すしかないでしょ。
私の手を汚してまでもね」
四番から左手を振り払った。
「そこまでするのか。あいつのために」
「もともとこうなったのは私のせいだから。
親友から追及されて、眞一郎くんのことが好きなのをかわすために、
あなたの名前を出したわ。
それを眞一郎くんにたまたま聞かれてしまったの」
もう隠す事無く打ち明けた。
四番も巻き込んでしまった私の罪。
「だからあいつは俺が乃絵と付き合うように言ったときに、あんたの名前を出したのか」
「そのようね。私も否定する機会を失っていたわ」
「あんたも何をやっていたんだ、今まで。
あいつばかりを責められないな。
もう怒る気力を無くしている。
本来ならあんたは俺の彼女なんだから、
俺の目の前で抱き付いたことで、あいつを責めようと考えていたんだ」
四番は肩の力を抜いていて、呆れ返っている。
「眞一郎くんは私の初恋。
十年以上も想い続けていて結果が出ていないの」
何でこんなことまで話してしまうのだろう。
「だから今まで大切にしていて動こうとしなかったのか、納得した」
「さらに石動乃絵のように幼い頃の思い出があって克服しようとしているわ」
あの
夏祭りで塞ぎ込んでしまった私をだ。
「そっか、実るといいな、初恋。
影ながら応援させてもらおう。
何かあったら相談にも乗ってやる」
四番は疑いようのない瞳を向けてくる。
「ありがとう、がんばるね」
私は感謝を示した。
「一旦、俺たちは別れるか」
「一旦……」
「交換条件はどうでもいい。
もしあいつとうまくいかなかったら、俺が交際を申し込もうと考えている。
今までは交換条件を盾にしていたが、やめる」
さきほどと変わらない本気の眼差しだ。
「あんなことされたのに、よく言えるわね」
どう対処すべきかわからなくなった。
「バイクは故障したが、
ふたりとも無事だったから、問題ない。
あんたと付き合っているとおもしろそうだ。
俺のゲームに口を出すし、シスコンと罵るからな。
今まで乃絵しか見ていなかったから、あんたが新鮮なんだ」
悪ふざけはしていないようだ。
「気持ちだけは受け取っておくね」
「あんたがあいつと仲睦まじくしてくれれば、俺は諦められる。
いつか四人が集まって話し合いたい。
あんたたちの複雑な関係を話の種にな」
懐が広いのか、そこまで考えられる余裕は私にはなかった。
石動乃絵に勝とうとしか思っていない。
眞一郎くんには無理をさせなくても、私は汚れ役にもなる覚悟がある。
今まで私がしてきた行為への終止符を打つためにだ。
「雪が解けるようにかな?」
私は空を見上げる。
「今も雪が嫌いなのか?」
「そんなことはないわ。今はいいことのほうが多いから」
おばさんに兄妹疑惑を教えられたときの雪はなくなった。
アイスクリームで少しだけ仲良くなれたから。
「バイクのことは考えておく」
「あなたの好きにして構わないわ。
それだけのことを得られたから」
私は満足して述べた。金銭には及ばないものが私にはある。
「あんたが俺のところに来てくれたのは嬉しかった。
あんたが俺と付き合っていたのが、あいつへの当て付けであっても楽しかった」
懐が大きすぎて私にはもったいない男の人だと思う。
「あなたが何をしたいのかわからなかったわ、結局」
「乃絵のためでもありながら、俺自身も変化を求めていた。
もう少しあんたと付き合えれば、俺の初恋はあんただったかもしれない。
近くにいすぎて触れ合えない相手がいる似た者同士だから、長続きしそうだったのにな。
俺は始まりが交換条件だったとしても、終わりが良ければいいと思っていた」
柔らかく包み込んでくれるような笑顔だ。
眞一郎くんが私の心を占有していなければ、惹かれていたかもしれない。
いくつもの四番の姿を見られただけでも、私の思い出に加えられる。
「そろそろ帰るわ」
「せめて結果は報告してくれよ」
「わかっているわ。いつか四人で会えるといいね」
私は優美な微笑になるように心掛けた。
その姿を見てから、石動純は家の中に戻った。
今まで番号としかみなしていなかった存在が変わった瞬間だ。
これからの行動次第では四人の関係は崩されるだろう。
そうならないように、できる限り尽くすつもりだ。
誰からも祝福されない付き合いを眞一郎くんとしたくはない。
私は仲上家に向けて歩み出す。
帰りのほうが気分が重くなっている。
まずは眞一郎くんに報告をしなければならないからだ。