2011年度
 今年度は、「西洋史」の大きな流れと、それが教育の現場、歴史学、社会でどのように扱われているのかを学びます。私たちが「西洋史」として学んできた/いる「歴史」とはどのようなものなのでしょうか。
 「歴史」という言葉は実はいくつかの意味を持っていて、身近ですらあるのですが、あまりそれが意識されることはありません。他方、歴史教育や歴史学においては、意識的に「問い」を立てて「歴史」に臨むことになりますが、その「問い」は社会的拘束を受ける中で立てられるものです。すなわち、歴史に対するこの「問い」とそれに答えようとする営為の中に、社会について考えるヒントがあると言えます。

第1回 射程・方法論・歴史観
第2回 ギリシア・ローマ
第3回 中世
第4回 十字軍
第5回 国家と宗教
第6回 神聖ローマ帝国からハプスブルク帝国へ
第7回 フランスとドイツ~ネイション(1)
第8回 プロイセンとオーストリア~ネイション(2)
第9回 第一次世界大戦
第10回 両大戦間期
第11回 第二次世界大戦
第12回 戦後世界
第13回 ソ連・ペレストロイカ
第14回 確認

2010年度
シラバスより~
 国民史(ナショナル・ヒストリー)を描き、それを普及することは、近代における国民国家(ネイション・ステイト)建設の中で大きな意味を持ってきました。ではこの場合に「国民」として描かれるのはどのような人々なのでしょうか。また国民ではない人々は国民史の中でどのような位置を占めているのでしょうか。歴史の中の「国民」は常に同じ範囲の人々であったわけではありません。また、人の国際移動が活発化している現代、国民とそれ以外の人々の関係が緊張をはらむ中で国民史そのものの書換えが必要になる場面もあります。
 この授業では、『民族とネイション――ナショナリズムという難問』(塩川伸明、岩波新書)をテキストとして利用し、事例としては、ヨーロッパ、とくに中東欧諸国や北欧諸国を取り上げながら、歴史学における国民史の位置を考えていくとともに、国民史に対抗するような歴史の語りの登場とその社会的・政治的背景について考えます。


2009年度
シラバスより~
 国民史(ナショナル・ヒストリー)を描き、それを普及することは、近代における国民国家(ネイション・ステイト)建設の中で大きな意味を持ってきました。ではこの場合に「国民」として描かれるのはどのような人々なのでしょうか。また国民ではない人々は国民史の中でどのような位置を占めているのでしょうか。歴史の中の「国民」は常に同じ範囲の人々であったわけではありません。また、人の国際移動が活発化している現代、国民とそれ以外の人々の関係が緊張をはらむ中で国民史そのものの書換えが必要になる場面もあります。
 本講義では、『民族とネイション――ナショナリズムという難問』(塩川伸明、岩波新書)をテキストとして利用し、歴史と社会の関係を考えます。具体的な事例としては、ヨーロッパ、特に中欧や北欧諸国の歴史を取り上げます。

2008年度
シラバスより~
 国民史(ナショナル・ヒストリー)を描き、それを普及することは、近代における国民国家(ネイション・ステイト)建設の中で大きな意味を持ってきました。ではこの場合に「国民」として描かれるのはどのような人々なのでしょうか。また国民ではない人々は国民史の中でどのような位置を占めているのでしょうか。歴史の中の「国民」は常に同じ範囲の人々であったわけではありません。また、人の国際移動が活発化している現代、国民とそれ以外の人々の関係が緊張をはらむ中で国民史そのものの書換えが必要になる場面もあります。
 本講義では、ヨーロッパの真ん中、まさに「中欧」と呼ばれる地域の国々の歴史を題材に、国民史の描かれ方、役割、そしてその危うさと限界を考えていきたいと思います。

《参考文献》
-Timothy Snyder, The Reconstruction of Nations, Poland, Ukraine, Lithuania, Belarus, 1569-1999. Yale University Press, 2003.
「ヴィリニュスがなぜリトアニアの首都になったのか」これが本書の中心をなす疑問です。現在の姿を基準に過去を見て歴史を描くのではなく、なぜ、この状況からこうした国ができたのか、と考える思考の道筋を示してくれます。リトアニア人にはちょっと厳しい本かもしれません。}
最終更新:2011年11月08日 09:01