☆『カムカムエブリバディ』がなかったことにした2つのモノ


 9か月半ぶりの更新かぁ‥‥

 朝ドラ『カムカムエブリバディ』が、大好評のうちに終了しました。
 その脚本の緻密さや構成が高く評価されてるようです。
 が‥‥で、あれば、という感じで、私はこの物語である2つのモノが意図的になかったことにされていることに気がつきました。

 ひとつ目。
 上白石萌音がヒロインをつとめた第1期のラストは、怒涛の展開でした。るい編やひなた編が、要所要所を拾いながら。比較的ゆったりと進行した中で、第1部のクライマックスの進行だけが異様に早かったことに違和感を感じている人は少なからずいるはず。
 実は、1951年2月にいわゆる『カムカム英語(NHK)』は終了したのですが、その2か月後の4月下旬には新しい英会話の番組が始まっています(さらに12月にはラジオ東京で平川唯一の番組もスタートしている)。ラジオ英語講座の番組を心のよりどころとしていた安子が失意の中ロバートとアメリカへと渡るには、この2か月を利用するしかなかった。英語講座が再開しても安子が立ち直らなかったら、これまでの演出効果が大幅にダウンしてしまうし、ラジオ講座をもってしても立ち直れないくらい安子が絶望したのだとしたら、逆に終戦直後にラジオ講座で立ち直った、というのが嘘になる。
 ただ、私としてはこの急展開には、ラジオ東京版の『カムカム英語』をなかったことにしたい、というNHK側の意図があったような気がするのですね。この2か月の中断期間に全てを詰め込むことで、安子編の次のるい編で、るいが英語講座に触れる機会を意図的に奪ったんじゃないかという気がしてる。「ラジオ英語講座はどこへいった?」と言われ続けたるい編ですが、NHKがラジオ東京版のカムカム英語をなかったことにしたかったから、るい編では登場しなかったのではないかと思われるのです。
 ちなみに、この安子編の最後の方で、雪絵さんがつわりを催すシーンがあるのですが、あのシーンの意味に気づいた人って、どのくらいいるのでしょうか? 「昼ドラみたい」と言われた勇と雪絵が結ばれるシーンから、あの時点では数日しか経っていないはず。つわりって、そんなに早くくるの? 受精卵が着床して細胞分裂が始まって、個体を形成し始めた胎児が排出した物質が血中を巡るようになって、初めてつわりっておこるんじゃ‥‥? そう考えれば、勇と雪絵はとっくに「そういう関係」になっていたと考えるのが自然である。すると、逆にそれまでのシーンで見逃していた小さな違和感が解消する。勇が父親に安子と結婚するように言われても中々告白しなかったのは、アメリカ云々ではなく、雪絵とそういう関係になった自分に安子に告白する資格があるのか、と感じたからだと解釈可能。だからこそ、アメリカに勝ったら‥‥みたいな発想に至った。また、安子がロバートにひかれていることを知って酒によって帰ったあとに、何だか女中の立場とは思えない発言を雪絵がしていたのも、それで納得できる。また、勇の部屋から出てくるのを算太に見られたときに雪絵が平然としていたのも、とっくにそれが日常になっていたからと解釈できる。初めてのあとだったら、少しは動揺するんじゃないか‥‥と思ったのは私だけでしょうか? そして雪絵が平然としていたことで、ふたりがとっくにそういう関係になっていた、と気づいたからこそ算太はいなくなったのではないか、と思われるわけです。逆に言うと、るいに暴言を吐いた翌日に雪絵が『憑き物がおちたように』落ち着きを取り戻したのは、その際に、最初のナニがあったから‥‥という解釈も可能になる。
 逆に、安子が勇に告白されたあと、るいのためには勇と結婚するのが一番だとわかっていながら返事が出来なかったのは、勇と雪絵がそういう関係にあったことに気づいていたからではないかと推測可能です。そして雉真家を出る決断をしたのも、そんな勇に嫌悪感を感じている自分が同じことをしているのに気づいたから、だと考えられるわけです。自分のことが今でも好きなのに、雪絵とそういう関係になって、さらにその後に安子に告白してくる勇、そしてロバートに心を惹かれているにも関わらず、るいのためには勇と結婚すべきではないかと悩む自分‥‥それが、どうしても許せなかったんでしょうね。物語では語られることはありませんでしたが、そうでなければ、雉真家に住み続けながら、たちばなを再建する‥‥ということは十分に可能だったんじゃないか、と思えるわけで‥‥「自分の気持ちを優先」という晩年のセリフには言葉にできない深い意味がこめられていたと思われます‥‥

 ふたつ目。
 これは、ひなた編の舞台が京都ということで、京都を舞台としてもう一つの朝ドラ『あすか』。
 『カムカム』は、過去の朝ドラがさまざまな場面で登場する、何か、仮面ライダーでみたような戦隊シリーズでみたようなギミックが入った作品だったわけですが、なぜか『あすか』は登場しませんでした。
 たまたま‥‥という解釈は一見可能なようで、ちょっと説明がつかない状況もあったりします。まず、なかでも同じ太秦を舞台にした『オードリー』のオマージュが無数に出てきたこと。『オードリー』のことを思いだすと、同時に「主演していた岡本綾は、中村獅童(現中村芝翫)との不倫で芸能界を追放されたっけなぁ」を想いだしてしまう。そのとき中村獅童の妻だったのが『あすか』のヒロインを演じていた竹内結子だったわけで‥‥
 『あすか』が登場しないのが偶然ではない、と考えるのは、るいが回転焼きやを始めた際に、一子が「あたしは京都中の高級和菓子店の菓子を食べつくしたけど、そのどれよりもおいしかった」と発言したから。扇屋一心堂の看板メニューはおかめ饅頭であり、たちばなと同じ餡子がメインの菓子なわけです。もちろん、たちばなの餡が扇屋一心堂の餡よりもおいしかった、ということは一応ありえるわけだけども、るいがその味を再現できていた可能性は、その時点では低かったと言わざるを得ない。安子は実家では餡をつくらせてもらえなかったと言っているけども、たちばなの餡の原点はおばあちゃんのお汁粉だと金太が言っている。そしてそのお汁粉に関しては、安子も何度も教わってつくっていたわけで‥‥豆の選別の仕方や基本的な仕込みの方法などの技術は備わっていたと考えられ、わずかな金太のアドバイスでも自分の舌の記憶をたよりにたちばなの味を再現できていたのではないか‥‥と推測できます。でも、るいは‥‥_
 るいが安子と暮らしていたのは小学校に上がるまで。その頃の味の記憶って、再現しろ、と言われて出来るかな、という疑問。そして、安子の場合とは違い、るいは基本的な仕込みの部分の手ほどきを受けてはいなかったと思われます(幼かったため)。つまり餡づくりに関してはほぼ素人のつくった餡が、一応、京都で一二を争う名店である扇屋一心堂の餡よりおいしいって‥‥あきらかにおかしいでしょう。
 これが「どこの菓子にも負けへんくらいおいしい」だったらまだしも「どの高級和菓子店の菓子よりおいしい」と言うのですから‥‥そこには脚本家の明らかな作為があると解釈するのはおかしなことではないと思います。おそらく岡本綾が芸能界を追放された件について、何か胸に秘めていたものがあったんだろうな‥‥と思ったりもするわけで‥‥


 ちなみに、アニー平川のプロフィールが1924年生まれとなっていた謎については、解決してるんでしょうかね? 私はこれ、偶然が重なって戸籍にご記載されたのが「ま、いっか」でそのままにされていたんじゃないかと思ってます。
 私の親世代(るいと同世代)は、自分の生まれた年を西暦で言えませんでした。さらにその親世代(安子と同世代)は、そもそも西暦をきちんと理解していなかった(個人差はあると思うけど)。
 ロバートとアメリカに渡る際、渡航証明書(と『ちむどんどん』で言っていたので、この時代もそうな筈)、をつくる際、安子は大正14年生まれと主張したが、アメリカの係官は理解できず、安子は西暦で説明することができなかった。そこで今何歳かを聞かれて数え年(誕生日が来てなければ1歳多くなる)をつたえ、結果1924年生まれと記載されてしまった‥‥と、こういうことではないか、と思われるわけで‥‥ちなみに安子はあとで気づいたかも知れないのだけど、別人として生きることを決めていたので、あえて修正しなかったとか(あるいは、最後まで気づかなかった可能性もある)‥‥なかなか芸が細かい‥‥

 あと。
 『おちょやん』で福助がトランペットを実際には吹いていなかったので、オダギリジョーはどうなのよ、と思って凝視していたら、運指が違って「あれ?」‥‥となったが、すぐにある事実に気が付いた。
 これ、C管トランペットだよ!!!
 学生時代、楽器のカタログに高級品のカスタムモデルとしてのみ売られていたC管トランペット。実は、アメリカ軍のフォーマルなトランペットだったのです。だから、スーザの楽曲はハ長調で作られている(現在、我々が手にする楽譜は変ロ長調に変換されているけど)。
 そして、今頃気が付きました。
 ロサンゼルスオリンピックのテーマ曲の冒頭のファンファーレ、これ、解放管で吹くならまだしも、補助管使って吹くのは至難の業だ‥‥と何十年も思ってたんだけど、アメリカで演奏される場合のみ、C管トランペットを使えば解放菅で演奏できるわけです。つまり、そもそもが、強いアメリカを象徴するアメリカ軍の象徴でもあるC管トランペットの魅力を最大限に発揮できるよう意図的に作曲されたファンファーレだったわけで‥‥
 なんてこった。
 37年経って、ようやく事実に気が付いて愕然としました。


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最終更新:2022年06月25日 03:31