私は、湖だ。
私の心は、水面だ。
けれど、雨が降ることはない。ただ、たまに水滴が落ちるだけ。
たった一つの水滴が、湖に波を起こす。今も確かに、それはあって。
静まり返ったはずの湖に、いつまでも、静かに、反響していた。

「ん・・・時間か。」
私は目を覚ます。寸分の狂いも無く、昨日までと同じ時間に。そして、図ったかのように開いた目の前のシャッターを通り抜ける。
シャッターは出た直後に閉じ、再び物言わぬ純白の棺桶のように、私が使っていたチューニングポッドは元に戻った。
すぐに光が眼に入るが、眩しいなどということは全くない。それらは人工の光であり、同時に、それ以外に光源の無いこの空間を適度に照らしていた。
ここは、私のベッドルーム。最も、本当に寝るとき以外に使わないので、あるのは光と寝るためのチューニングポッドのみ。他人が見れば、きっと殺風景だというのだろう。
「いや、私もそう思う。」
ただただ白い壁に囲まれた空間を見て、本当にそう思う。しかし、それで構わない。寝る瞬間以外、ここには立ち寄らないのだから、これでいい。
使用用途はあるので、ベッドも所有しているにはいるが、それはまた別の部屋に置いている。寝る際に必要としないからだ。
すると突然、目の前にドアが現れた。いや、本当に現れたというわけじゃない。最初からそこにあったが、自分が無意識に近づいていただけのことだ。
「ネットワークの点検と、ライブラリの閲覧をしよう。」
そう思いながら、私はそのままドアを開き、その奥へと歩いていく。
ドアをくぐれば、そこにはやや暗くもところどころが光り、大きな試験管のようなものが横に点在する一本道の通路のような空間が目の前に広がった。
試験管からはチューブが何本か伸びていたりもするが、これもまた日常風景だ。しかし、私はふとある物に目を移した。
それは、人間の脳。未だにネットワークに繋げないが故に、そこで漂っているだけの物。
「・・・」
夢想する。
人は、これを見て何を感じるだろうか。何の感情を覚えるだろうか。
元の持ち主に対しての「哀」だろうか?それとも、それを所持している私に対しての「怒」だろうか?
前者であれば、私は疑問を呈する。後者であれば、謝罪する他あるまい。生かす事が出来ず、すみませんでした、と。
疑問というのは、本当にそれでいいのか?ということだ。本当に、それは哀れむような存在であるのかということだ。
「言い方が悪いな」
その脳の持ち主は、確かに死んでいると言えるだろう。しかし、それが哀れであるか?それは、違う。
その脳の持ち主・・・仮に、彼と呼ぶとしよう。彼は、人生を全うしたはずである。
なら、それで彼の人生には意義がある。それも、今も。「哀れ」と思われること、それすらも彼の意味を証明しているのだから。
そうやって思考を終えた時、目の前に巨大な機械が出現した。まぁ、いつも通りだな。
「起きたまえ、エクスマキナ」
『―――』
私が声をかけると物言わぬ機械でしかなかったそれは起動音を鳴らし、浮く。
デウス・エクス・マキナ、起動完了だ。それを見届けると、自分もポケットの中から球体のようなデバイスを取り出す。
「ほっと」その球体の中心をボタンのように押すと、その形は瞬時に変わり、杖のようになる。
『―――――』
その姿を見てか、デウス・エクス・マキナは途端に周りの風景を文字通り、書き換え始める。0と1の羅列に。
「今日は、増設されたネットワークの点検日だ。ちゃんと、ライブラリが復旧できているといいんだがね」
『―』巨大な機械は、頭上に怒の字を浮かべる。
「ん?怒らせるような事を・・・言ってないよね?」
『―』今度は、肯。
「・・あぁ、なるほど。努力するということかい。全く、君もものぐさだね。二文字くらい浮かべてくれないかい?」
その言葉を受けて、「謝」の文字を浮かべる。心なしか、元気も無さそうに見える。
「あー、相変わらず一文字だが、いい。いい。そこまで落ち込まないでくれ」
そうだ、落ち込む必要など無い。彼は、これ以上無いほどに優秀なのだから。
だから、このくらいは些細な事だ。
「それじゃあ、早速名誉挽回といこうじゃないか。演算処理ネットワーク、開放」
その言葉に対応して、彼は周りの背景を崩し、0と1の羅列をむき出しにする
「さぁ、実験を始めようか。ライブラリ機能、始動」
『―――』
私の視界が、変化していく。殺風景な白へ、次にまた0と1。延々と、変化していく。
意識が、溶け込んでいく。膨大な、記憶へと・・・・

私は、花畑のある大きな丘に立っていた。
「ふぅ、ちゃんと機能してくれてて安心したよ。機能していなきゃ、何のためにこのネットワークを拡大しているのか分からないからね。」
ライブラリの閲覧は、結論から言えば成功に終わった。不治の病に冒され、倒れた記憶。戦場で、怪我から置き去りにされ、死を待つのみになった者の記憶。紛争地域で、食べる物もなく飢え、餓死寸前の子供の記憶。
うん、どれも鮮明だ。きちんと思い出せる。
「良かった良かった」
私は花畑の中心に潜り込むのではなく、丘の最も上の端。眼下に広大な湖が広がる場所に立ち、それを眺めていた。
よく見れば、花は一つも全く同じ物は無い。全て、色、葉、茎、そしてそれを構成するさらに小さな要素。それらは、全て似通っていたとしても全く同じ物はなくて。
それは、数字も証明していた。
ここは、いわば私の心象風景。らしい。デウス・エクス・マキナが勝手に私のライブラリの中に作ったステージ。それがこれだ。
けれど、ここにいると落ち着く事が出来る。何故かなど、分かりきっている事だが。
ふと、風が吹く。しかし、優しく。それは、私の頬を撫でる。彼が吹かせたのだろうか?
「良い風だ」
それだけで、花もまたざわめく。まるで、何かを感じているかのように。
そう、風一つを取っても、多くの感情が押し寄せる。それだけで、様々な物が呼び起こされる。
湖が、水面が、揺らぐ。
私のネットワークに繋がった者の記憶。それを覗く機能が、ライブラリ。
勿論、私自身の記憶もある。まぁ、今の「私」ではない、以前の『私』の記憶を見るに、『私』は悪魔的な科学者だったらしい。
『私』はこう言っていた。「私は文字通り、人類とは次元が違う。私以外の生命は、等しく無価値で無意味な存在だ」と。
「否だ」
そうじゃない。それは、この風景も証明している。そして、それに紐付く心が証明している。
「無意味で無価値な人なんて、この世界にいない。」
咲いているだけの花が美しいように。揺れるだけの水面が美しいように。
「誰も、無意味に死んでいった人なんていない。」
風が教えてくれる。
「例え、自らが無意味だと言う者がいようとも」
あらゆる物が、風景が教えてくれる。
「私は、証明したい。」
この世界には
「全てに意義が、あるのだと」

「さぁ、実験を始めようか」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2018年04月05日 02:42