重い風の音が外から少しだけ伝わり、しかし少しの風も伝わってこないこの船の中。船に揺られる事も無い彼らは、皆が規律正しく作業をしている。
…一人の少女を中心として。
ここは、O2部隊が誇る最先端技術の結晶。無数のドローンと戦闘機を艦載した巨大な親鳥、空中空母、『マザーバード』である。
この巨大過ぎる空母は超高度を飛行しており、その安定性とステルス性能。そして何よりも、その拡張性からなる様々な作戦への汎用性の高さかO2部隊の移動拠点として使用されている。
少女が一つ声を出せば、周りの彼らの動きが変わり、二つ声を出せば、その様相そのものが変わる。まるで、それら全てが生きているかのように。
その、異質ながらも可憐な少女は、三つ目の声を出すと彼らに敬礼し、背を向けると通路へと歩みを進めた。
幾つかに別れている通路のどれがどこに繋がっているのか、全てを覚えている彼女は淀みなく一つの部屋へと歩みを進める。
「おや、どうされたんですか?ジュリアさん」
落ち着いた声で部屋へと入った少女を出迎えたのは、少女よりもさらに一回り小さい、妖精のような少女・・・いや、妖精そのものだった。
「いえ、少しイストワール様とお話がしたくて。構いませんか?」
ジュリアと呼ばれた彼女は、本名を
ジュリア・カエサル。コードネームをマエストロという、O2部隊の指揮官である。
O2部隊創立時のメンバーである彼女は、O2部隊が発足したその時から、その敏腕を振るっていた。この可憐な少女こそが、そのマエストロなのである。
「私は構いませんよ。ですが、あなたはよろしいのですか?この時間ですと、訓練があったはずですが」
イストワール様、と様付けで呼ばれる彼女は、史書イストワール。人類の歴史を記録する存在であり、そのために人類を見守る存在でもある。
O2部隊での彼女は協力者という立ち位置であり、あくまでも直接的な干渉はせず、その力の一端を貸し与えるだけに留めている。
「あぁ、訓練なら想定よりも早く終わってしまったので、切り上げてきました。」
「・・・確か、あなたの訓練は『100人組手』でしたよね?まだ、一か月しか経っていませんが・・・もう終わったんですか?」
「えぇ、まぁ。勿論、その後次のプランにも取り組みましたが。指揮官だからといって、体を鈍らせるわけにはいきませんからね」
そう答えながら身体の調子を確かめるように腕を回す彼女だが、
「・・・」
彼女の訓練、100人組手というのは、VR訓練の枠組みに入る訓練の一つで、十人十色のNPC達とチェスを打ち、その全てに勝つまで続けるという、早い話が100人組手のチェス版である。
NPC、とは言うが、当然搭載されているAIは通常の物でなく、最先端の技術で作られた──たとえば、チェスのグランドマスター相手でも善戦以上の結果を残せるものである。
それらに勝つ事は容易ではないため、マエストロには半年という期間を与えられていたのだが、彼女には他の隊員達のVR訓練にも指揮官として参加していたので、それでもこれをこなせるかどうかには不安があった。
しかし、実際には彼女はこれを約一か月で終了させてしまった。
「良く人はAIに勝てなくなった、と言いますが、それは間違いです。AIにも、人が作る以上は必ず人間のように個性がありますし、逆に人間にはない弱点を持っていることもあります。」
「私も初めは全く勝てませんでしたし、結局は研究と研鑽ですよ、勝因というのは。次は、本物の百人組手でもやってみようと思います。」
変わらぬ口調でそう言うが、その能力こそが、彼らO2部隊のエキスパートたる所以だろう。
「なるほど・・・そうでしたか。それでは、お話というのは?」
その問いに「そうでした。」と、彼女は手を合わせて話し始めた
「イストワール様、『再現英霊』について、詳しいことを聞かせてくれませんか?」
「『再現英霊』についてですか?」
「はい。『再現英霊』について、詳しく知っておかなければ作戦行動に支障が出ると思いまして。」
「なるほど、確かにそうですね。では、一からご説明いたしましょう。」
そう言うと、妖精は乗っていた本を動かすと、マエストロの目線へ自身の目線の高さを合わせる。
「『再現英霊』について全てを説明するためには、まず私、史書イストワールの存在について正しく知っていただく必要があります。あなたは、アカシックレコードというものを知っていますか?」
「アカシックレコード・・・世界の全てを記録している、という物ですね?」
「そうです。まずは、私をそのようなものだと思ってもらって構いません。しかし、私はアカシックレコードとは違います。」
「・・・?」
「大雑把に解釈するのであれば、アカシックレコードでも構いません。ですが、本当に解釈するのであれば、私はアカシックレコードとは違うという認識を持って欲しいのです。」
「どう違うんですか?」
「まず、アカシックレコードというのはマエストロさんが言った通り、世界の全てを記録している、というものです。ですが、私は世界の全てなんて記録していません。」
「え?」
「私が記録しているのは、あくまでも『歴史』です。それは、嘘偽りのない真実などというものでもない。『本当は・・・』なんていうのもありません。あったとしても、それは一説の範疇です。」
「それは・・・確かに、アカシックレコードとは大きく違いますね」
「『歴史』というのは、過去に起こった物事を今の人間達が編纂する事で初めて生まれます。物や事がそこにあるだけでは、『歴史』なんて生まれません。人があって初めて生まれる、人々が生んだ概念。これまでは定説だとされていたものが覆るのは日常茶飯事、その不確定さには目を見張るものがあるとは思いませんか?」
「つまり、人間の生み出した概念、その変遷を記録するのが、イストワール様、ということですか?」
「その通りです。そして、ここからが『再現英霊』の話ですが、『再現英霊』は人類史、『歴史』からあなたたちに力を貸すため、英霊を再現するものです。私にはその権限があります。」
「条件は?」
「条件は、それが地球の存続、ひいては人類史の破滅を阻止する事を目的とすることです。私は、ガイア側の存在ですから。ですが、私の管轄、役目は人類にとても近いものです。だから、私があなた方、O2部隊に力を貸しているわけです。」
そう言うと一息つき、また静かに話し始める
「英霊を再現するに際して、私は人類の歴史を借ります。知名度、とも言えますが、英霊召喚とは違って、再現英霊はあくまでも再現です。神秘は必ずしも必要ではありません。英霊召喚では神秘が薄すぎて召喚出来ない英霊でも、再現英霊では喚ぶことが可能ですね。まぁ、再現英霊の力は人々の承認力によって決まりますので、そういったものを呼ぶメリットはあまりありませんが。」
「えっと・・・他には?」
「他には、私の役割の都合上、人類同士の争いなどには加担出来ません。過度に干渉し、歴史を歪めてしまうのもNGです。そして、これはもしもですが・・・」
多少の間を置いて、話を続ける
「もしも、私と同じガイア側の存在と交戦するような事があった場合、再現英霊の力を貸す事は出来ません。勿論、そんな事は別の世界にでも行かない限りはあり得ないとは思います。」
「ふむ・・・なるほど。まぁ、元々分かっていた事ではありますが、やはり再現英霊に頼りっきり、というわけにはいきませんね。局所的ではあっても、再現英霊の力を借りることが出来なくなる可能性がある以上は、我々の力がやはり最重要です。」
「その通りですね。ですから、今のあなた方の方針は良いと思いますよ。あまり、再現英霊を使った訓練はしていないようですし。」
「言われるまでも無い事ですよ、それは。誰にでも、分かります。」
そう言うと、彼女は席を立つ
「おや、もう行かれるんですか?」
「はい。そろそろ、次の訓練の時間ですから。イストワール様から、十分にお話は聞けましたしね」
「お役に立てたようなら何よりです。それでは、これからもお仕事頑張ってください」
「えぇ、ありがとうございました。それでは、失礼しました」
そう言って一礼すると、彼女は部屋から出ていった。妖精は、その後ろ姿を見送った。
「どうやら、あまり心配は要らなさそうですね。」
「・・・と、また新たな歴史が紡がれたようですね。今度はどんな内容でしょう」
そう呟いて、自身の乗っていた本をめくる。彼ら、O2部隊もまた、歴史に名を刻むのであろうか。
それは、彼ら次第だろう──