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「……遂に、機は熟しました」
土埃に塗れた石畳の上に、如何とも形容し難い「陣」が鎮座する。
三百の犬、二百の蛇、百の鷲、十の人。
それら纏めて大釜で煮出して精製した塗料で描かれた絵画は、暗がりの中でも明確な存在感を発し。
冒涜的な円環を囲む様にして、老若男女問わないフードの人物が揃って直立する。
「我らの『臓』は奪われた。
最早、我らの隣に『影』はなく。
削り落とした『名』は、いずれ朽ち果てるだろう。
餌を奪われた『魂』は、無惨にも陵墓を追われ。
そして我らに残されたのは、この『心』だけだった」
「許せるか、その所業。何故、何故だ。何故、我らが!」
儀式の中心に坐す褐色肌の少女は雄大に、実に劇的に。
暗がりの閉所で、遠い過去と踏み締める現在に想い馳せ、恩讐を紡ぐ。
『否!』
フードの男が、続く。
『否!』
フードの女が、続く。
『否!』『否!』『否!』
繰り返される度に熱の籠もる怒声は、最上の供物として陣にくべられていく。
『否!』『否!』『否!』『否!』『否!』『否!』『否!』『否!』『否!』
「そうです。我らは許さない。幾億の月日が過ぎようと決して!何度星が巡ろうと……決して!
あの仕打ちを、忘れはしない……ッ!!」
――言葉と共に、静寂が訪れる。
篝火に掛けられた松の脂が解け、灼ける音を立てた。その音のみが、空間に木霊する。
「二度、繰り返しましょう。
機は熟した。『聖櫃』に封ず霊は、お前達の努力を以て名を取り戻しました。
此れで……漸く、漸く始められる」
「所詮は贋作の亜種聖杯程度に至れる筈もない――"完璧な願望器"の実現を」
歓喜に打ち震え、涙する者が居た。強く拳を握り締め、血を垂らす者が居た。
赤子の誕生を言祝ぐかの如く、祝詞を呟く者が居た。
此れから始まる戦を夢想し、顔に狂悦を浮かべる者が居た。
「時計塔に、聖堂教会に、他諸組織全てに通達を。
"貴様らの功罪に見合う烽火を祀り上げる時が来た"と」
「さあ、始めましょう。表向きは戦争……されど、本質は其処に在らず。
甘き毒を呑み、覇を征した王名の下に征伐を。もとい、逆襲を」
「『聖櫃戦争』の火蓋は――此処に、切って落とされました」
エル・カズネ。古代ヨルダンの都市ペトラに於いて、最も精緻な建築物の一つ。
様々な宝物が収蔵され……そして未だに大部分の発見に至っていないその場所で。
"番人"達による最大規模の「戦争」が、何の前触れもなく開始された――。
最終更新:2020年07月09日 19:52