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捕手の戦い

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捕手の戦い

【説明】

337 名前:スタメン名無しさん[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 00:16
「捕手論争」 (ほしゅのたたかい)

紀元前に存在が確認されている「旧広島球団」において、定期的に繰り広げられたとされる戦いの総称。
当時最も大きな捕手豪族は当地の支配者として周囲の豪族に認知される効果があり、多くの豪族が参戦しては
戦い、散っていったとされる。
戦いに参加した主な豪族は以下の通り。

・西山秀二 (さいざんのしゅうじ) 河内国からやってきた名奉行。長らく当地の支配者となったが、最後は江戸の都へ流浪させられた。
・瀬戸輝信守(せとてるのぶのかみ) 官僚試験を主席で突破し、鳴り物入りで当地へやってきたが、結局完全支配はならず。
彼の次から次へ繰り出される球の後逸を人は「瀬戸物」と呼んで失笑したとされる。
・木村森伊蔵介(きむらもりいぞうのすけ)
前任者二人に無かった「飛び道具」による攻撃力を武器に全土の支配に成功するが、
脆くなった防壁を突破されると次々に兵が敗走して敗れ去った。
もはや領土の拡充の見込みを失った当主・森伊蔵介は自棄酒を飲み、
その酒がたたって大怪我をしたとされる。これが後世に「森伊蔵を飲んだのは余である」の張り紙として語り継がれている。
・石原飛燕守慶幸(いしはらひえんのかみよしゆき)
木村森伊蔵介を押しのけ領土を手にしたが、その戦いの最中、遠く玄界灘での戦いにおいて戦闘中に怪我を負い、
倉強肩守義和に領土を奪われる。以後、盛り返した飛燕守は長らく領土を二分した戦いを行ったが、最後は
戦いに疲れ果てた両軍の土民が一揆を起こし、その座を追われたという。
・倉強肩守義和(くらきょうけんのかみよしかず)
京の都からやってきた豪族。長らく三番手の地位しか与えられなかったが、
熱心なる群衆の後押しもあり、石原飛燕守の不在に乗じて版図を拡大する。
以後、長い戦いが行われたが、最後は石原飛燕守共々、戦いに疲れ果てた
群衆からの一揆により領土を追われ、元の一豪族に戻ってしまったという。
・上村蝦夷守和裕(うえむらえぞのかみかずひろ)
戦いが激化していた頃の広島球団に、遠く播磨の海賊集団「青波団」から派遣された
若き勇猛な武将。
倉・石原両軍の争いが激化する中、果敢にも領土の拡充をもくろみ参戦する。
しかし、あまりに非力な攻撃力が災いし、さほど大きな領土は奪えず、結果的に
「上村城」を築いてそこで守りを固めたという。

なお、この他にも山本翔なる武将や、小畑家なる豪族の存在が確認されているが
さほど大きな版図を拡充することは無かったようである。
その一方で、「鈴衛 佑規衛門」(すずえ ゆうきえもん)なる浪人が
毎年次々と主君を変えながら、表舞台には出てこないにもかかわらず長らく生き残り、群衆は彼を
「妖精」と呼んで敬愛したという。

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