第6話「殴らせなさい!」
あまりにも唐突な提案。しかも今から人の家に行くなんて。一体何をしたいのだろう。彼女の部屋にラーセマングが監禁されているのだろうか。何を彼女は見せたいのか。何も分からない彼は、提案に乗るべきなのかすら見当もつかない。
だが、あまり熟考している時間もないらしい。携帯でアテーマングからメッセージが入っているのだ。戻るように促すものだ。少女もその内容を見た。
「あら、お呼ばれなのね」
「止める気か、それとも
ウェールフープ転送か?」
ナムレは用を足そうとせずに急いでトイレを出ようとドアに手をかける。彼女は手を阻止しようとはしない。
「いいえ? この近くだから、車で行けるわ」
車? ナムレは疑問に思う。どうしてそんなに近くに住んでいる。いや、そもそも住んでいるということ自体あまりにも現実味を帯びすぎていて想像がつかないというのが彼の本音だ。正体の知れない少女も、居を構えて王国に住んでいるのか。しかも、見た目からして明らかにユーゲ人っぽくはないのに。
「とりあえず、俺はアテーマングのところに戻らなければならない。さもないと彼女なら入ってくるぞ」
「あらあら、すべての女の子がみんなラーセマングみたいに距離感のおかしいやつと思ったら大間違い。早く行ってきたら? ここで待っているから、二人ともおいで」
「馬鹿か、ここは男子トイレだぞ。さっき言っていたことと矛盾しているようだが」
「それとこれとは話は別よ」
そもそも、他の女性をまとったナムレにアテーマングが近づいてくるわけがないのだが。しかしナムレはそこまで相手の気持ちを考えることはどうやらできなかったらしい。案の定、急いで彼は戻ってアテーマングに男子トイレに来るように頼んだことになる。だが、彼の顔が真剣であったためか、アテーマングはそれを引き受ける反応を示した。
「別にいいけど、どうしたの? こぼしちゃったとか?」
「は? 違う違う、とにかく来てくれ」
アテーマングの手を強引に引っ張りナムレは男子トイレに駆け込んだ。しかし、そこに足を踏み入れる必要はなかった。さっきの少女はすでにトイレから出ており、入口付近で腕を組みながら彼を待っていた。
「……あなた、誰?」
全く関係がないアテーマングと金髪の少女の出会い。先に話しかけたのは金髪の少女、アテーマングはそもそも人と話すのが苦手なので少し気負いしてしまいすぐに返事を返すことができない。
「いや、あなたこそ――」
「先にあなたから自己紹介してほしいわ。私はナムレとここで待ち合わせしていたの。あなたなんてお呼びでないわ」
「……は?」
つい喧嘩を売るような彼女の口癖を漏らしてしまった。だがこれについてはナムレも同感。ついさきほどの話とどこかかみ合っていなくて、それでいて何か策略を感じたのである。
「ナムレ君も、どうしてこんな女の子を連れてきたのかしら? 私はあなた一人で来てほしかったのよ?」
「何を言っているのか分からん、君が俺に彼女も連れてくるように言ったんだろう、それにアテーマングのことだって君は了解していたような口ぶりだったじゃないか」
「知らないわ……そんな了解はしていない。邪魔者はついて来なくて結構。さあ、彼女にお別れを言って早く来なさい」
おもむろにナムレの左手――アテーマングをつかんでいない方の手をつかんで今度は女子トイレの方に引っ張っていった。
「お、おい、何処へ行くんだ?」
「さっき場所なら言ったじゃない。早く」
異様に力が強いらしく、それでいてナムレに対抗する術はない。
「くっ…!」
ナムレは簡単に連れていかれまいと、金髪少女に脚をかけてその手を逃れようとした。素早く足元を払おうとしたが、それは軽くあしらわれ後ろに回られた。両手を後ろで結ばれ、有無も言わさずに女子トイレに拉致られていった。入る直前にふと我に返ったアテーマングが金髪少女の後頭部を殴った。
「いっっ……」
自分で殴っておきながら自分の手を痛がるアテーマング。よっぽど下手くそな殴り方をしたのだろうか。
「もうっ、邪魔よ!」
金髪少女は勢いよくアテーマングの腹に真っ直ぐパンチを入れた。アテーマングは軽く後ろに吹っ飛び倒れこむ。意識を失ったのかそれとも戦意を喪失したのか、動くことはなかった。
「あ、アテーマング!」
「みっともないわよ、そんなに叫ばないで頂戴」
女子トイレのある個室に入り金髪少女は落ち着いた。ナムレは声を上げようにも、上げた後に起こる屈辱的な仕打ちを予想すればそんなことはできなかった。彼のプライドがそれを許さない。
「この時をずっと待っていた……」
またしても訳の分からないことを言い始める。
「あなたの耳元でささやくだけじゃダメだったんだわ。彼らに気付かされた。まさか、ここまで事態が深刻になっていただなんてね……」
金髪少女はナムレの頭に手を当てて撫で始めた。それに対してもナムレは平静を保とうとする。色気に負けることを狙っているのだろうか。さまざまなことを予想しながらナムレはこの屈辱に耐え続けた。
「さて、懐かしさも取り返したし…今から連れて行くわよ」
ナムレの頭を後ろから腕でロックしたまま、個室を出た。鏡の前を通りかかったので自分がどのようなことをされているのかがよく分かる。だがそれは一瞬で、何かのロックを外すかのような音が聞こえたかと思うと、自分の体はまるで宙に浮いているかのような感覚に襲われた。同時に少しだけ寒いのである。まるで強風が吹いている。
「寒っ――」
景色はさっきの閉鎖空間から一変して異様なほど開放的に。そしてスリャーザに聳え立つ如何なるビルの照明が、夜の空に点々と光を現す。ここはスリャーザ上空である。彼女は窓から飛び降り、そして今落下中なのだ。
「なっ……!?」
そんなに高いところではないので、数秒この感覚を味わうともう地表がすぐそばにあるように見えた。ちょっと首を回して金髪少女の方を見てみると、その長く少し癖っ毛な髪が風にあおられて無造作に荒れていた。よく見るともう片方の手では被っている帽子を押さえている。
そして地表に激突するかと思ったその時、通りの真上に躍り出た二人の体は、暫しの間空中にとどまった。持っていたのはメシェーラだ。帽子の中から取り出したらしい。
「くっ……ちょっと早かったかしら」
ナムレには何の話か分からない。
「おい、どういうことだ」
「あ、来たわ」
来たも何も、通りには絶えず車が行き交っていてどれのことなのか分からない。と思っていたら、あからさまな車が向こうから近付いてきた。
「んん……あんまりエネルギーがないから早くしてほしいのに」
その車は天窓が開いていたのである。まさかその天窓から車に飛び乗ろうとしていたのだろうか。ナムレの予想は見事に当たり、車が近づくとタイミングを見計らって降下を開始した。
降下してから車に降りるまではスムーズ。しかしながらあまりにもタイミングが正確で、内心ナムレも拍手を送りたくなるくらいだ。
「よいしょっと」
金髪少女はナムレをつかんだまま席に座る。やがて手を放したものの、ナムレもいきなり車の外に出ることはできない。だが、それでもナムレは車を運転しているのが誰なのかくらいは一目見ようとしていた。
「久しぶりだなあ、ナムレ君」
そんな彼を予想していたかのように朗々と聞こえるこの声は、またしても彼に聞き覚えのあるものであった。なんてことだ、これまで様々な奇怪なことがありさんざんナムレ自信を悩ませていながら、それらの黒幕だったのはいずれも彼に見覚えのある身近な人物だ。ラズィミエは一体何を思ってあんなことをしてきたんだろう。ラーセマングだって、今どうなっているのか見当もつかない。だが、一つ確信できるのは、自分は今からその謎に近づこうとしているということだ。運転手の声がそれを示していた。運転していたのは、確か旅行に行っていたはずのツェッケナルだったのだ。
「ツェッケナル……お前、今までどこに行っていたんだ?」
「俺も一仕事さ……お前をあの女の呪縛から解くためのな」
やっぱり何を言いたいのか分からないというのは、彼も同様であった。みんなラーセマングをまるでドルムか何かのように忌み嫌っていて自分をそこから救い出そうとしている。あの強いラーセマングに勝つための対抗策も分からず、そもそも殺さなければならない理由も見つからない。天啓を受けた訳でもないのにそんなことができる筈がない。
「名も知らぬドライバー、あと何分で着くのかしら?」
金髪少女の態度はなかなか横柄で、足を組みで大きくシートにもたれかかっていた。
「そう急かすなってお嬢ちゃん、あとほんの数分で着きますよっと。パイグ将棋だったら、駒を取り出して並べている間にもう着いているような時間ですぜ」
車は左に曲がり、その大通りをまっすぐ行ったかと思ったら、狭い路地に入り、そこからは徐行を始めた。こんな道幅を車が行けるとは。
「よーし、着きました、二人とも、さっさと済ませてきなさいな」
といわれても、ナムレは訳も分からず連れてこられた身なのでまたしても金髪少女に腕を掴まれながら行くことになる。いそいそと車を降りて、まるで裏口のような玄関の扉を開けた。
「ここが君の家なのか……?」
「そうよ、でもあなたの家でもあるわ」
「え?」
ナムレの家は、一応ラーセマングが住むイルキス。ここからは遠く離れていて、こんな都会ではなくもっと辺境の、山道の先にある見晴らしのいい丘の上だ。彼自身、こんなところは初めてでどの記憶をたどってもこんなところに住んでいた覚えはない。本当に、覚えていない。
ハタ王国の伝統的な建築物であるというのはあまりにも程遠いつくりをしていた。モダンな見た目に加えて明らかに木材ではなくコンクリートで作られた壁、この合理性のみを追求したかのような、不思議なほどに見どころのない外見。ハタっぽくもリパラオネっぽくもアイルっぽくもパイグっぽくもない、そんな見た目である。
だが、内装はそれとは明らかに違っていた。確かに一部にはトイターらしい棚やトイターらしいキッチン、トイターらしい品々が並べられているのだが、目に映るものの約半分は文化の根源を探ることができない、つまりナムレが知っている国のものではない品が並べられているのである。
「不思議なものを見る目をしているわね……イルキスに長いこと居たからかしら」
それでも、決して豪勢な部屋とは言えないものだった。実際、中においてある家具を見てみれば、薄暗くてよく見えない本棚、メシェーラが建てられている書斎に座布団と食卓ぐらいしかない。奥をよく見てみると洗面室のような扉があり、まるで借りているアパートみたいにあまりにも質素な内装だ。
「ラーセマング=カリーファテリーンは、この部屋の奥でとらえているわ……でも彼女に会う前に、私の部屋をよく見て」
玄関で靴を脱ぎそこに立ち尽くすナムレを待機させ、金髪少女は奥へ入っていった。部屋の明かりをつけると蛍光灯が光り、辺りが照らされた。彼女は話しながらタンスの棚をゆっくり開けて何かを取り出してはテーブルに並べ始めた。その形状は様々で一貫性はない。
「……なんだ?」
「私の思い出話をするわね。あなたがラーセマング=カリーファテリーンと持っている因縁にも深く関係することよ。私はここから遠く離れたある国の貴族の娘だったの。父上は爵位を持つ大資本家で、特に歴史が好きだった。彼の部屋には歴史的な価値を持つ骨董品がたくさん並べられていて、屋敷にはそんな品々がたくさん置いてあるほどのコレクターでもあったわ」
一般の人々はここですでに背景を想像しがたいことだろう。ものすごくお金を持っている人なんて、この国に果たしているだろうか。
ユエスレオネにも、ファイクレオネにもそんな人がいるだろうか。
それが彼の中で、この人物がまるで異世界から来た人なのだというように感じられた。ハタ王国とも違う、ファイクレオネとも違う、そんなところから来た人間なのだと。
そしてテーブルに目新しい品が新出することは止んだように見えた。ざっと見返してみると、写真立てがほとんど、たまに体のどこかに着けるのであろうアクセサリーの破片など諸々。
「屋敷での生活は本当に楽しかった。でも、ある日国民が蜂起して革命がおこった。私の父親も含めた貴族が一斉に処刑され、流刑に処され、または地位剥奪に会って乞食をせざるをえなくなった」
革命が起こったのか。古代ファイクレオネのそれと似ていなくもない異世界の歴史である。ファイクレオネの出身だと思っていたが、時代が合わない上に別にあの国には金髪がたくさんいるわけでもない。
「娘の私も同じく命を狙われた。結局私もつかまって流刑が決定したの」
彼女が話をしている最中に、物音がした。話を続けようとしてもそれを阻止するかのように音はどんどん、そして二人に近づいてくる。長い廊下の先に誰かがいて、段々と近づいてきているかのよう。ついに姿を現した時、金髪少女は急に身をかがめた。彼女自身がそれに攻撃を受けることはなかったが、それはついにラーセマングだと分かり、ついでにナムレに飛びついて奪っていった。壁に激突したかと思うと壁を突き破って外に出た。二人は再び夜の闇に戻った。
「くっ、しまっ……」
「あなたが彼らの言う『依頼人』ね」
ナムレはその言葉に引っかかった。そして無事だったということに安心しながらラーセマングに問いかけようとした。
「ら、ラーセマングか。よかった、生きてて」
「っ!」
ナムレの上にかぶさっていたラーセマングが、彼の言葉を聞いて突然涙ぐみそうになった。
「どうしたんだ? 実は何かされたのか?」
「いえ……あなたが私のことを…姉であろう私のことを心配してくれるなんてって」
「ええええい邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔~!! 私はさっきまでお話をしていたというのに、それを破ってその子を奪った挙句、何感動シーンを演出しているの!? 頭に来たわ、殴らせなさい!」
そう宣言して金髪少女は目にも留まらぬ速さで接近して拳を突き出してきた。その眼は殺意にあふれていて、ナムレにはそれが何か非常に恐ろしい感情を秘めているように感じられた。
人間が私欲の奴隷になったとき、結果的に神によって滅ぼされる。これは隔河大戦を振り返った預言者トイターの残した言葉らしい。利権にしがみついてハグナンスケ一族を迫害した帝国貴族は結果多くの財産を失い、祖国を忘れ寝返った帝国軍人も最後には嘘をつき続ける背教者として刑に処された。欲は欲を生み、また自滅を呼ぶ。
車に揺られながら、夜の景色を窓に流す。長年の因縁に決着をつけるために、彼はスリャーザへ向かう。決して作戦が予定通りだったとは言い難い。それでも、彼は彼なりに頑張ってきたつもりだ。
すぐに料金所へ差し掛かり、一気に加速を始めた。確かにこの速さならすぐに現場に追いつけるかもしれない。彼の理想を実現するために、復讐のために。
「それからな……ドライバーよ」
「なんですか?」
「俺のことをビルテと呼ぶなよ」
「あ、すいません……あの、失礼でなければでいいのですが」
運転手は前を見たまま、しかし表情でその謙虚な表情を見せることはできず代わりにその言葉遣いと息遣い、声のトーンでそれを伝えてくる。だが、何を訊きたいのかスリャーザにはすぐに分かったらしい。
「理由が知りたいのか?」
「はい」
「つくまでに話し終わるなら、いいだろう。簡単に言うと、俺はラーセマングの実弟だった。本名にカリーファテリーンが入っているのもそのせいだ」
「え…?」
運転手は驚いた。窓を延々と流れる防音壁をじっと見ながらスリャーザはその記憶を思い返す。制服スカルタンを着なおす彼の右手。そして話をつづけた。