【Magical ballet“noon moon”act7~Supreme ombre, supreme aurore~】
「それじゃあ行ってきます」
「ええ、お気をつけて」
ジャンゴは馬車の御者台の上から静かにユリに向けて頭を下げた。
傷も癒え、魔力も充実し、闘志に溢れ、銃も整備が終わっている。
やるべきことはたった一つ。
戦うことだけ。
「はい」
頷いて馬車を走らせようとしたその時だった。
釘が、槍が、螺子が、注射針が、ありとあらゆる物が突如として降り注ぎ、
皮を裂き、白い脂肪の層を貫き真っ赤な血と肉の色を描き、臓物を切り裂いて一人の人間をあっという間に解体していく。
「―――――!?」
「待っていたわお兄さま」
少女は歌う。
「待っていても来ないから」
少女は笑う。
「迎えに来たわお兄様」
花の笑み、小鳥の音色、風に揺れてる長い髪、眠りそこねた朝の月を背負い、彼女はそこに居た。
「私ね、やっと分かったの」
「お前……なんてことを!」
「どうしてお兄様はそんな顔をしているの」
ゆっくりと彼女はジャンゴに近づいていく。
甘えた猫なで声を出しながら、先ほどまでユリだったものを踏みつけながら。
「ディエゴなら私がもう始末したわ、これでもう私たちは自由よ?
私たちの敵はもう居ない、二人でずっと、いつまでもいつまでも暮らしました、ソレでオシマイ」
「……何故殺した」
ディエゴを殺した、この言葉にも驚いていたが今の彼には妹の行動のほうが衝撃的だった。
「だってほら、二人で何時までもずっと平和に暮らしました、でしょう?」
ダリアはジャンゴを抱きしめて、彼の胸に顔を埋める。
「邪魔じゃない」
路傍の石を蹴り飛ばした時、罪悪感を覚える人間は居ない。
それ自体は至ってアタリマエのことなのだろう。
しかし、お前が蹴り飛ばしたつもりの小石は人だ、産まれて生きて物語があって、死ぬ人間だ。
ジャンゴは目の前のイモウトが恐ろしかった。
「それにお兄様に色目を使っているんだもの、その女
許せないわ、お兄様には私以外要らないの、私にもお兄さま以外誰も要らないの
二人の間には誰も入ってこなくて良い、入ってくるならば邪魔者で
排除しなくちゃいけない」
「お前たち何をやっている!」
「あら」
その時、突如として保安官が現れる。
恐らく先日の事件があったのでまたチンピラに襲われていないかユリを心配して見に来たのだろう。
「待ってくれ違うんだ!」
保安官はこう思ったはずだ。
流れ者が善人を装って牧場の主人を殺したと。
しかもとりわけ残酷に。
「あー、大変見つかっちゃったー」
「やめろダリア!もう殺しは沢山だ!」
ダリアの魔術により幾つもの拷問器具が保安官に向けて飛ぶ。
が、それは全て彼を外れて地面に突き刺さる。
「ひ、ひいいいい!?」
彼我の実力差を理解し、保安官は馬に乗って逃げ出す。
ダリアは薄ら笑いを浮かべながらそれを見送る。
「何故こんなことをした!?」
「うふふ、どの道もう私たちはお尋ね者なんですから細かいことを気にしちゃ駄目ですよお兄様」
「だからって、だからってもう目的は達成したんだ!もうこれ以上……!」
「ところで良いんですかお兄様、あの保安官逃しちゃって」
「…………え?」
「顔も見られちゃったし、そのうち応援とか呼んでくるかもしれませんよ?」
迂闊だった。
突然のことに気が動転していたが確かにその通りだったのだ。
「これは困ってしまいましたね、逃げないと大変なことになってしまうかもしれません」
「お前は……!」
彼女の狙いはそれだった。
ジャンゴによる弁解の機会を完全に潰して彼と自分を共犯に仕立て上げることだったのだ。
「お兄様は可愛い妹を捨てて逃げるのですか?
きっとお兄様も共犯だと思われてそれでお終いですよ?
それにそもそも私を保安官に突き出すことなんてお兄様にはできない、そうでしょう?」
艶然と舌なめずりをしてダリアはジャンゴに問いかける。
「だって、お兄様は私を愛している。どんな時も私を守ってくれる
それはお父様と約束したことであり、お母様たちと約束したことであり、何より自分自身が誓ったこと
他人との約束ならば破ることはできる、でも自分にした約束は破っても破りきれるものではない
何時までも自身の心に楔を打ち込んで決して解き放たれることなど無い
だって約束した相手がずっとそこにいるのだから」
ダリアは背伸びして馬車を曳くロシナンテの鬣を撫でる。
ロシナンテはすこしばかり様子の変わった主人に驚いたもののそれでもその感情を表に出すこと無く彼女に頭を擦り付ける。
ロシナンテとしては自らが住みつけるエルフの森があればそれで良く、人間の生き死になど大したことではない。
むしろダリアとジャンゴにエルフの森を再建してもらうためにもこんな所で引きこもられては困ると思っていたところだったのだ。
「寂しかったわロシナンテ、貴方は最高のお友達よ」
ロシナンテは機嫌良さそうに蹄を鳴らす。
「さあ、馬車に早く乗ってお兄様、急がないと囲まれてしまうわ」
「違う、こんなの……こんなの間違ってる」
「お話なら後で聞きます、時間は幾らでも有るんですもの」
「でも……!」
何かを言いかけたジャンゴの口をダリアが唇で塞ぐ。
彼はそれを拒絶できない。
心まで吸い取ってしまいそうなほどにダリアはジャンゴを貪る。
彼はそれを拒絶できない。
小さくて冷たい唇、死にかけた蟲のようにのたうち回る舌、薔薇の花より甘い香り。
そして足元には屍。
退廃と虚無と官能だけが支配する時がすぎる。
何もかも捨ててこのまま二人でどこかに消えてしまおう。
それが出来る程度にはこの大陸は広い。
そんな考えがジャンゴに浮かぶ。
そんな時、彼女の唇がジャンゴから離れる。
名残を惜しむように彼はダリアを抱きしめて彼女の頬と自らの頬を重ねた。
「ねえ、助けてお兄様、私怖いの……お兄さまが居ないと私きっと生きて行けないわ」
ジャンゴにはもう他の選択肢は無かった。
数年後、二人は緑の濃い山の中で静かに暮らしていた。
なんせこの大陸は広い、そしてエルフにはそこで自由に暮らす為の秘術と技術がある。
二人はもともと自然が豊かだったこの山の自然をより一層豊かにしながら隠れ家を作り上げていた。
「……また税があがるのか、俺達には関係ないけど」
「戦争に魔物、外には面倒なことが沢山有るのですね」
新聞を読みながらジャンゴは呟く。
彼は魔術で外見を変えて時々山を降りては新聞なんかを手に入れているのだ。
「ここは平和で良いところです」
「俺達と動物だけしか居ないしな」
ロシナンテが遠くで野生の馬群を率いて走っている。
栗毛の馬たちの中で芦毛の彼は一際目立った。
「あら、もう一人増えますよ」
そう言ってダリアは自らの腹をさすり笑う。
父が知れば、母が知ればなんというだろうか。
そんなことをジャンゴは一瞬だけ考えた。
しかし風が吹いたと同時にそんな事も忘れてしまっていた。
それくらいに両親のことは過去のことで、どうでもいいことだった。
「幸せだな」
長い沈黙の後、何かに納得したように彼はそう言った。
「はい」
彼女は答えた。
寄り添う二人を真昼の月が何時までも照らしていた。
【Magical ballet“noon moon”act7~Supreme ombre, supreme aurore~fin】
【Magical ballet“noon moon” fin】
最終更新:2011年12月19日 21:53