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エリュオス建国談

レイス暦○○年冬、エリュオス地方南部山脈の麓に広がるレムネスト平原にて両軍は対峙する。

エリュオス地方南部を支配するラサ帝国と、それに反発するエリュオス諸国同盟軍の間で、最後の大規模戦闘が始まった。後にレムネストの決戦と呼ばれる戦いである。

決戦の開幕は古式の作法に乗っ取り、日の出と共に両軍指導者が距離を取って対峙し、互いに引く意志が無い事を宣言。

この時の諸国同盟軍の代表は、諸国同盟盟主にして後の初代エリュオス国王となるヨルディア・スウェッテセン、帝国の代表は帝国軍団長クロードリヒ・シュベンタスだと言われている。

剣が抜かれ号令が下されると決戦の火蓋が切って落とされた。

開戦当初、数に勝る諸国同盟軍をラサ帝国騎馬隊が圧倒する。
これはラサ帝国騎馬隊の精強さ、騎馬隊隊長ウォレス・ロンディルの用兵の巧みさもあることながら、諸国同盟軍が寄せ集めの混成部隊であり指揮系統に乱れあった、兵のほとんどが歩兵であった事も起因する。

開戦から一時間、諸国同盟軍の前線部隊はハロン・ゲジャックを始めとする優秀な戦士と兵力の三割を失う大損害を受けていた。
勢いに乗る帝国軍は全軍を突撃させ、諸国同盟軍の分断を図る。

この時左翼前線部隊を指揮していたとされるルネチマ・ヴィヴィが、帝国軍の側面から必死の抵抗を指揮し自ら帝国軍に切り込む活躍を見せ、中央突破を阻止。
この攻防によりルネチマは討死するも、帝国軍は前線の建て直しの為に一時後退を余儀なくされた。

再度の突撃が開始されたのは正午、開戦から三時間余りが経過した頃である。

今度は前線が崩壊することは免れたものの、騎馬兵と歩兵の差で徐々に諸国同盟軍は押されていく。

その時レムネスト草原の東に突如現れた騎馬隊が、帝国軍前線部隊に横合いから突撃。
これは今まで傍観の立場にあった遊牧民族、ノルゲ民であった。

この騎馬隊はノルゲ民の族長メイバロン・シモル自らが率いており、メイバロンはヨルディアに対しその場で諸国同盟軍への参加を伝える。

数で勝る諸国同盟軍に騎馬隊が加わり帝国軍は動揺、瓦解し始める。
騎馬隊隊長ウォレスを始めとする帝国の名だたる武将が討たれ、ついには軍団長クロードリヒが討たれると帝国軍は崩壊、逃走を始める。
開戦から七時間、ついに諸国同盟軍は勝利を収めた。

ラサ帝国帝都カマルトにその敗北が知らされると、二代目皇帝バンカイトは即日和睦の使者を派遣する。
それはほぼ降伏に近い形であったが諸国同盟はその条件として、二代目皇帝とその一族ことごとくの処刑を要求する。

使者の持ち帰った文書に二代目皇帝バンカイトは反発、徹底抗戦を命じた。
これに残存する帝国軍は抗戦派と降伏派に分裂、カマルトの民衆も蜂起し皇帝の居城へと押し寄せる。

決戦から四日後、諸国同盟軍がカマルトへ到達した時、既に皇帝の居城は火の海であった。
バンカイトを始めとする皇帝一族は首を括られ城門に吊されていた――悪政を敷き我欲のおもむくままに権力を振るった独裁者の最期である。

ここに帝国は43年の短い歴史を終えた。
初代皇帝バランクス、彼の死後わずか16年。
後の歴史研究家はこう語る。
「バランクスに良き後継者さえいればエリュオスは存在しえなかった」

年が明けレイス暦○○年、ヨルディアは諸国同盟軍を引き連れ王都ポートルへ凱旋し、そこで諸国の代表者達と共に新たな時代の到来を宣言する。
後にエリュオス建国宣言と言われるこの宣言で、諸国は諸国の自治を認められ、エリュオス全体に関わることを諸国の代表者同士の会議で決定すると定めた――この議会は現在、元老院と呼ばれる機関として存続している。

レイス暦○○年、こうして一つにまとまったエリュオス地方に、束の間の平和が到来した。

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最終更新:2011年07月20日 09:12
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