語り継ぐことを許されなかった遥か昔の物語 『後編』

今週の初めに、カハルの地を取り囲むラウロス山脈の麓に到着した。

この辺りは未だ魔王のもたらす破壊の影響をあまり受けていないらしく、牧歌的な生活を営む獣人たちが静かに暮らしている。

ここの景色を見て美しいと思ったことは言い添えておかなければなるまい。

雪を被った雄大な山脈と、それを湖面に映す静かな湖、その麓に広がる緑の草原。そこで群れて草を食んでいる羊たち。

私はもう随分久しく景色を見て美しいと思ったことは無かった。

ここに来てその感情が再び私の中に蘇ったようだ。感謝しなければならないだろう。

私の探求の旅も終わりに近づいている。この雪と氷でできた巨大な山脈を越えた先に伝説の眠る地が横たわっているのだ。

もう私は迷わない。泉にあるという古き神々の力を手に入れ、それを使って魔王を退ける。




そういえば故郷に残してきた家族は今頃どうしているだろう。まだ生きていると良いのだが。


グリムが私を裏切った。やはり、と言うべきか。

エイダを失って以来、私は、私を見つめるグリムの瞳の中に憎悪の炎が燃え盛っているのを見てとっていた。

彼の碧き双眸は、さながら凍り付いた炎のようだった。

噂によればグリムは私のことを偽りの勇士と呼んでいるそうだ。彼こそは私が勇士であると最初に主張した男であったのだが。

グローフェンドもギルワイムも激怒して彼のことを非難しているそうだ。しかし私は彼らのようにグリムを責めようとは思わない。

やむを得ない事だったとはいえエイダを手にかけたのはこの私だ。

彼が私を心の中で憎悪していたとしてもそれは仕方のない事なのだ。

彼にはその権利がある。

しかしグリムがいなくなってしまった為に、カハルの地に入る道が分からなくなってしまった。

仕方ないがここの住民に道案内を頼むとしよう。


彼が、今や私に反対する人々の中心となっているという噂には眉をひそめざるを得ない。

私がこの世界を強引に統一した時から抵抗し続けている者たちがグリムの元に集結しつつあるというのだ。

魔王との決戦を控える今この時に分裂を許すことは断じて出来ない。グリムが個人的に我が元から離反するならそれも良いだろう。

が、もしもグリムが私に表立って反抗するというのなら叩き潰すより他に道は無い。

世界の命運はこの私に懸かっている。私は失敗するわけにはいかない。



私の邪魔をするというのなら、かつての親友であろうと排除するのみだ。

初めて彼と出会ったのは、私がまだ只の農夫の小倅に過ぎなかった頃の事だ。

当時、ある事情からあの驚嘆すべきグレイオンの公文書館に赴いていた私は、そこで彼と出会った。

その後の私の人生を大きく変えるグリムという名の男に。

彼は獣人と呼ばれる珍しい人種の一人で、更に珍しいことに、ある伝説を大真面目に探求している『探索者』と呼ばれる者の一員だった。

彼はその時、あの公文書館の一隅で己の馬鹿げた好奇心を満たすために読書に耽っていた。

人狼と呼ばれるタイプの獣人だった彼は、その外見からとても人目を惹いていたが、彼はそういった好奇の視線の一切を無視していた。

私も彼の外見に興味を覚えたが、獣人である彼に自分から関わろうとは思っていなかった。

だが偶然にも、私の探していた本と彼が次に読もうとしていた本が被ってしまったのだ。

『勇士は実在するか?』という題名のその本に、私と彼は同時に手を伸ばしていた。



それが切っ掛けだった。

その時は彼が私に譲ってくれてそれっきりだったのだが、それから一年ほど経ったある日、思いがけず我々は再び遭遇したのだ。

その時の事は十年以上経った今でもはっきりと覚えている。

彼は私を見るなり興奮して訳の分からぬ言葉を叫びだした。

最初は何を言っているのか理解できなかったが、やがて彼がとんでもないことを言っている事に気が付いた。

彼は私を大陸中に流布する伝説に登場する『勇士』、即ち『救世主』であると言ったのだ。

この伝説はかなり昔から大陸で一番有名な伝説として語り継がれてきた。

この伝説をモチーフにしたお伽話は星の数ほどもあったし、伝説の勇士を騙る者も後を絶たなかった。

まさか自分がそんな狂人の仲間入りをする羽目になるとは、と当時は驚きよりも怒りが募ったものだ。

まさか本当に己が勇士であったとは、当時はまったく考えもしなかった。

まさかラウロスの峰々がこれほど峻険だったとは。

麓から見ていたときはここを越えることは容易いと思っていたのだが、その認識は改めねばならないようだ。

現地で雇った獣人の水先案内人がいなければ、とっくの昔に深い雪に足を取られて崖下に転落していたことだろう。

やはり彼ら獣人はこの周辺の地理に明るい。彼らに尋ねたところによれば今我々は山の中腹辺りにいるらしい。

これだけ登ってまだ半分とはラウロスの山々はどれほど高いのか。

だがこの山を抜ければカハルまでは一直線だ。

そこに眠る神々の力を取り込めば、今この瞬間にも世界を蝕んでいる魔王を容易く打ち破ることが出来よう。

我らの一行の中でも気の早い者たちは、もう既にカハルにあるとされる巨大な魔力泉の名前をどうするかで議論している。

我らの新たな歩みが始まる場所として、後世にその名を残そうとしているらしい。

聞き耳を立てていると、『新生の泉』と『即位の泉』の二つが候補として上がっていた。

私の個人的な意見としては前者の方が好ましい。だがどうやら皆の意見は後者で一致しそうだ。



さて、皆の意見も出揃った所でそろそろ出発すべきだろう。ラウロスを越えるまでは気を抜くことは出来ない。

我々一行を導いてくれている獣人たちのリーダーは、名をオロナルという。

灰色の髪と碧い眼が特徴の青年だ。グリムやエイダと同じく人狼である彼は、無愛想な男ではあるが、しっかりしていて頼もしい。

聞けば彼はグリムの甥であるという。そういえば彼の目や髪の色はグリムにとてもよく似ている。

ただ、オロナルはグリムが私を裏切った事については何も知らされていないようだった。

彼は私からその話を聞いてから何を話しかけても黙ったままだ。

恐らくショックを受けているのだろう。

私との関係について、グリムは色々とこの地の同胞に報告していたようだから無理もない。

ラウロスの峰はもう目と鼻の先だ。あそこを越えれば眼前にカハルの地が広がっている。


恐らくあと数時間の内に彼の地をこの目で見ることが出来よう。


私の探求の旅はまもなく終わる。魔王は打ち倒され、新たな時代が幕を開けることだろう。






願わくは、この素晴らしき世界に古き神々の祝福あらんことを!

赤い背表紙の日記はここで終わっていた。

途中の大部分は茶色く変色していて解読できなかったが、それにしてもこんな終わり方は無いだろう。

これではこの日記の主が使命を完遂したのかどうか分からないではないか。

ちょっとした欲求不満に陥った私は、他の本には何が書いてあるのだろうかと黒い背表紙の本に手を伸ばした。



表紙を見てみる。

そこに書かれた『日記』の二文字。

どうやら違う人物も日記をつけていたらしい。まあ日記帳なのだから日記をつけていてもなんら不思議は無いのだが。

こちらも赤い背表紙の本と同じくかなり分厚い。解読には手間が掛かるだろう。

しかし梲の上がらない考古学者の私には、時間だけはたっぷりある。



それでは早速解読に取りかかるとしよう。

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最終更新:2011年08月12日 10:54
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