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 太陽が眩しい。
 日陰に移動したつもりだったのだが、斜光は顔面をピンポイントで狙い撃ってくる。
 思わず、右手の甲で日光を遮ることにした。
 親指と人差し指の間の、小さな視界。
 そこから縮小された青空が映る。
 今日は少しばかり風が強いのか、その小さな青に、色々な形の白が右から左へ、次々と
流れて行った。
 大きな白、ばらばらの白、動物の姿をした白、あいつの好きな芋羊羹みたいな長方形の白・・・
 薄く、薄く。雲が尾を引いて流れていく。
 それは何かの形を連想させ、俺は首ごと視線を逸らそうとした。

 「・・・む、」
 頭を少しでも動かすと、ゴリゴリという音と細かな物質の存在が、頭蓋骨に小さな痛み
と不愉快な気分を容赦なく押し付けてくる。
 青色のビニールシートの上は、接地面にあるコンクリートの硬さをそのまま伝えるため、
不必要な動作は体を痛めてしまうのだ。

 「はぁ」

 仕方なく、
 だから、このまま。
 空を見上げることにした。

 「事実は小説より奇なり、か」
 「何言ってるの?」

 と、前触れもなく上から声が降ってきた。
 右手を顔から離し、顎を上向きに逸らす。
 すると、見慣れた少女の姿がそこにあり、彼女は刀の鞘で俺の額をこずいた。
 「いて。・・・なんだよ」
 「なんだよ、じゃないよ。具合悪くて保健室行ってたんじゃないの?」
 「嘘に決まってるだろ?」
 「そんな『なに当たり前のこと言ってんだこいつ』みたいなこと言わないの!」
 彼女はまだ何かを言おうとしていたが、どうせ煙にまかれるんだろう、と諦め、少年
へ手を差し出す。
 「ほら、次はキラちゃんの得意な化学だから、一緒に行こう?」
 少年はあからさまに面倒くさそうな顔をし、不満の声をあげる。
 「得意だから好きだとは限らないだろう。俺がいまさら高校レベルの化学を復習しな
きゃならないほど脳細胞が死滅した、とでも言いたいのか」
 「そういうわけじゃないよ。・・・でもさ、授業には出よう?」
 「・・・」
 少年は、自分に差し出されたままの彼女の右手を見る。
 昔からそうだった。
 俺が一人でいると、こいつは手を差し伸べるんだ。

 俺――松戸 亜輝羅(まつど あきら)の父親は生物学者なんて職業をやっていて、
普段は研究所に篭り、一月に一度姿を見られれば僥倖、というものだった。
 それでも、当時の俺にとっては十分だった。
 アニメで見た、何万馬力もあるロボットとそれを操縦する科学者。その姿に俺は憧れ
ていた。だから、『学者』という職業は俺の中ではスーパーマンみたいな存在であり、
その『学者』の父を持つ俺は誇らしい気持ちだったんだ。
 家にいる間、俺は読書をしていた。絵本や漫画ではない、父の書斎にある学術書。
 父を尊敬していた幼い俺は、父に褒めてもらうため、勉強を始めた。
 最初は漢字すら読めなかったので辞典を使って調べ、薬品の外国表記を解読するため、
英語やドイツ語などを学んだ。
 たまに近所に住んでいる法子(のりこ)という幼馴染が邪魔しに来たが、自分の分のお
菓子を与え、黙らせておいた。
 あの頃は、遊びよりも勉強の方が楽しかったんだ。

 ・・・そうだ。いい機会だから俺に対する認識を訂正してもらうとしよう。
 今のおれを「天才」と持て囃す奴がいるが、それは違う。
 「天才」とは生まれながらに「天才」であり、俺のような努力で才能を開花させる奴
は「秀才」と呼ぶんだ。
 だから、俺は「天才」なんかじゃない。

 ――俺は「天才」にはなれないんだ。 

 日に日に知識を詰め込んでいくことに達成感を覚え、優秀になっていく俺を母は褒めてくれ
た。
 早く、早く父にも褒めてもらいたい。
 そう、子供ながらに願った。
 父が4ヶ月ぶりに帰ってきた。
 どうやら研究に没頭していたようだが、なかなか良い結果が出た、と嬉しそうな笑み
を浮かべていた。
 俺は待ちに待ったこの時に、学んだ知識を色々と披露すると、父は喜びの笑顔を見せ
た。とても、とても嬉しそうな笑顔だった。

 ――なのに、それはすぐに無表情になり、顔の筋肉が引きつり、父は俺を抱いて子供
のように大声で泣き始めた。

 訳がわからなかった。母も驚いて父に駆け寄り、その背中を摩り始めたが、父が何故
泣き始めたのかが理解できていないようだった。
 父は、
 「・・・すまん。・・・すまんなぁ」
 と誰かに謝り続ける。
 俺も母も父に謝られる理由が分からず、俺は父の頭を、母を父の背中を撫でていまし
た。

 次の日、父がいなくなった。
 母は「また研究所でしょ」、と言っていたが、やはり心配しているようだった。
 念のため母は父の勤務していた研究所に電話をかけた。
 そして、係員によると父は研究所には戻ってはいなかったらしい。

 季節が一周巡っても、父は帰ってこなかった。
 母は気丈に振る舞い、「きっと、またひょっこり帰ってくるわよ」と俺を安心させる
ように笑う。
 母のその想いやりが俺には痛々しく感じ、俺はそれを勉強にうちこむことで忘れよう
とした。
 暗い書斎で、ただ一人、勉学に励む日々。
 古い紙の匂い、木の匂い、――父の匂い。
 書斎にいるとそんな匂いに包まれて、心が少しだけ安らぐんだ。
 もう外のことはどうでも良くなった。
 今はただ、この知的欲求を満たしていれば俺はそれで――。

 「キーラーちゃーん、あーそーぼー」
 そんな俺の殻を間延びした声が断ち割った。

 背後から、光を感じる。
 暗い書斎に、光が注ぐ。
 闇に慣れた目をしょぼしょぼと細めながら、そちらに振り向くと、
 光の中に、小柄な少女が立っていた。


 左手にピンク地に猫をあしらったリストバンドをしている、青いワンピースを着た、
長い髪の少女。
 彼女はずかずかと書斎に入って来て、俺の手を掴み、机から引きずり下ろすように引っ
張る。
 「――な、なにすんだよ!!」
 この時はさすがに俺も怒った。小柄な癖に力は強くて、文字通り引きずられたから
な。
 「なにって、あそびにいくんだよ?」
 「なんで俺も行かなきゃなんないんだよ! 遊びたきゃ一人でやってろ、俺は勉強で
忙しいんだよ!」
 机に戻ろうとする俺の手を、再び彼女が掴む。
 「だーめ、二人であそぶの」
 そういって俺を引きずりながらニコニコと笑顔を浮かべる。
 いつもなら俺の分のお菓子を献上することでこいつも引き下がってくれるのだが、今日
はちょうど小腹が空いたため、自分で食べてしまった。
 なんという不幸。
 それから俺は彼女に連れ回されて色々な場所へ出かけることになった。
 ・・・相も変わらずこいつは強情だな。

 彼女の名前は大麻 法子(たいま のりこ)。
 近所に住む、同い年の女の子。
 彼女の母親はすでに他界していて、父親が仕事に出ている間、暇で暇でしようがない
らしい。
 元々、別の町に住んでいてこちらに引越してきたのだが、その引っ越し祝いを家に持っ
て来た際に俺を見つけ、標的にしたようだ。
 それからというもの、俺が勉強している時に限って現れ、遊びに行こう、と邪魔しに
くる。インドア派の俺よりも身体能力が高く、抵抗しても結局引きずられていくのだ。
 時々、こいつは男なんじゃないか、と思うこともある。
 だが唯一、俺が彼女が女の子であった良かったと思うのは、甘いものが好きなところ。
 自分の分のお菓子を献上すると、幸せそうに立ち去っていくのだ。
 ただし、味には煩(うるさ)いらしく、俺が一度法子対策にお菓子を買いだめし、法子
に渡そうとしようとしたものの、
 「キラちゃんのおかあさんのてづくりじゃなきゃ、やーよ」
 といって俺を引きずっていった。

 本当に相手をするのが面倒臭い。
 疲れるし、痛いし、勉強の邪魔はするし、嫌なことばかりだ。
 面倒臭いが、けっして悪い奴ではない。

 ある日の遊びの帰り道。
 「キラちゃん、きょうもたのしかったね」
 「・・・」
 前を歩いていた法子が振り向きながら話しかけてきたが、勉強の邪魔をされたことを
根に持っていた俺は無視した。
 「わたしはたのしかったよ」
 法子は特に害した訳でもなく、夕日で作られた影から影へぴょんぴょんと飛び移って
いる。
 「ふたりでいれば、たのしいよ」
 「俺はそんなでもないけどな」
 法子は飛び跳ねるを止め、立ち止まり、俺に背を向け、夕日を見上げた。
 俺もつられて立ち止まった。
 夕日に照らされた彼女の背中は、小柄なのに何故か、少し年上に感じる。
 「わたしは、キラちゃんがいれば、たのしいよ」
 一言一言、大事そうに区切って言葉を紡ぐ。
 「わたしは、キラちゃんがいれば、さみしくない」
 自分に言い聞かせるように、少女は言葉を紡ぐ。
 「だから、わたしは、だいじょうぶ」
 自分の両肩を抱きながら、法子は言葉を紡ぐ。

 「・・・・・・・・・」

 なんだか、小さいことを気にしていた自分が馬鹿らしく感じ、彼女を追い抜いていく。
 それでも彼女は動かない。
 俯き、肩を抱き、少し体も震えているようにも見える。
 「――はぁ」
 俺は彼女に近づき左肩に掴んでいた右手を引き剥がし、無理矢理握る。
 法子は、ぼうっとした顔に涙を浮かべ、俺を見た。
 「キラちゃん・・・?」
 「俺は早く帰って勉強しなきゃならないんだ」
 「うん、ごめんね」
 「だから、帰るぞ」
 「・・・うん」
 オレンジの色の世界の中を、蝉しぐれをBGMに、二人、手を繋いで帰った。

 あの日から、法子は強引に俺を連れ出すことはなくなったが、毎日といっていいほど
家に遊びに来るようになった。
 不思議と悪い気はせず、そんな関係のまま、今に至る。


 「キラちゃん・・・?」
 俺を引きずりながら廊下を歩いていた法子が、何も文句を言わず、素直に引きずられ
ていることに疑問を抱いたのか、話しかけてきた。
 「どうかしたの? あ、もしかして腕痛かった?」
 自分から引きずっておいて、心配している法子。
 中途半端に勢いをつけながら手を離したため、受け身がとれず、そのまま自重でリノ
リウムに叩きつけられた。
 「・・・なんでも、ない」
 小さい頃から法子の相手をしていたせいか、体が頑丈になってしまったようだ。
 特に痛めるところもなく、立ち上がろうとする。
 こういうのも「怪我の功名」っていうのか?
 「そっか、じゃあ行こう」
 俺に異常がないことを確認すると、立ち上がろうとする俺に、法子は俺に向かって手
を差し伸べた。
 手首には、小さい頃から付けている、ピンク地に猫をあしらった子供っぽいリストバ
ンド。
 このリストバンドみたく、こいつも中身は昔のままなんだろな・・・。
 そう思いながら、俺はその手を掴んだ。
 幼い自分を暗い殻の中から救い出した、その小さな手を――。

                                  -了-




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最終更新:2009年10月20日 23:13