仕事上のトラブル

吉田豪氏が「小島一志を嫌いな人間で集まればフルコンタクト空手界の大同団結ができるのでは」と言うほどの質量ともに多くのトラブルをおこしている。

■大道塾

月刊空手道編集長時代、伝統派空手中心だった紙面に極真会館から独立し、旗揚げしたばかりの東孝の大道塾に関する記事を掲載し、組み手理論などの紹介も行っていたが、後には試合形式、東孝に対する批判が掲載されるようになった。 その後、小島は編集長を解任され、月刊空手道の編集スタッフは総入れ替えになった。その号では新編集長による「メディアを使って特定個人や団体のネガティブキャンペーンをする間違った正義感は許されないことだ」というあとがきが記載されている。 この件に関して小島は「長田賢一達当時の指導員から直談判されて頼まれた東氏への苦情を、私が憎まれ役を買う形で受けて進言し、それを嫌った東氏が「大道無門」という機関誌に「小島は情緒不安定なので以後小島と付き合う者を罰する」と書いたのが発端であり、福昌堂を辞めたのも、私が個人的に東氏に書いた手紙の中のボーナス等がない福昌堂の社員に対する待遇の悪さを記した部分のみを抜粋コピーして福昌堂の社長に見せ、小島の解雇を迫った事が原因。東氏のこれらの行動こそが明らかに常軌を逸したものある。」「東氏が自著の中で小島が独立して新雑誌を作る為にお金を借りにきたが断って諭した事を逆恨みして大道塾の悪口を言いだしたと書いているが、それは虚偽であり、当時自らが経済的に困窮していた東の為に大道塾の機関紙、「大道無門」を無報酬で作っており、東孝の著作である『はみだし空手』『格闘空手2』も自らがゴーストライティングをしたものであると主張しているが東はこれを否定している。 武術研究家でライターの長野峻也は関係者からの伝聞として、小島が福昌堂から独立して新会社を興して新しい空手道雑誌を創刊するから、その後援をしてほしいと東孝に内密に打診した事に対し、東が「世話になった会社に後ろ脚で砂をかけるような真似をしてはいけない」と小島を窘めた事が原因であるとしており、小島の「月刊空手道」における大道塾に対する批判を「常軌を逸したバッシング」「卑劣な報復」と評している。小島は後に大道塾と東をモデルにした仇役がでる小説、拳王を執筆(作画、影丸穣也で月刊武道空手で連載もされた)。またブログ上で東氏の大学生で逝去した子息に対して中傷を行った。

■福昌堂

小島は福昌堂の社員として月刊空手道編集長をしていたが、大道塾とのトラブルを起こし、編集長を解任され、その後退社し、成美堂出版から月刊武道空手を出版した。福昌堂社長である中村文保は月刊空手道&フルコンタクトに連載中の回顧録で小島の名前を仮名の川畑としつつも、小島が独立の際に得意先などの入ったデーターを盗んだ(横領罪に該当する)事を記載している。また武道空手の誌面で中村を攻撃した事に触れ、「恩知らず」、「仕事は出来たが、それは福昌堂のノウハウの中での事であり、全くのゼロから作る困難は認識できない人だった」と小島への評価を記している。小島は中村氏を度々ブログで中傷している。

■笹川良一

小島は福昌堂退社後、成美堂を版元とし、1989年に月刊武道空手を創刊し、編集長になったが、同誌は約二年後に休刊をしている。この休刊に関し、2016年、11月2日、facebook上で当時、伝統派空手の全日本空手道連盟(全空連)の会長を務めていた笹川良一の財団による「全日本空手道連盟に属していない団体を雑誌等で扱うならば、全空連加盟流派の書籍を全て絶版にする」という圧力があった事を表明した。

■新極真会

新極真会元代表の三瓶啓二氏はかつての小島の早稲田大学極真空手サークルの先輩であったが、極真分裂騒動以降は絶縁状態。小島は2007年5月27日に「刃物をもった約10名の人間に襲われたが撃退した。新極真会による犯行である。」と主張しているがこの事件が警察に届けられたなどの報道は一切ない。また小島は新極真会に対して著書やブログで中傷を行っている。三瓶啓二氏に対しては「かつて岩崎達也の実家資産目当てに自らの出身校である早稲田大学に裏口入学をさせようとした」「自身の頭には権力欲と色欲しかない最低な人物」、緑健児氏に対しては「そんな鬼畜に操られているパシリ」等。

■極真会館(松井派)とのトラブル

2012年より夢現舎は極真会館(松井派)の機関誌『ワールド空手』の編集を委託され、事務所を松井派ビル内に移転。それに伴い同誌上でコラムを執筆していたが、現在は中断している。小島は2014年4月28日にブログ上で松井章圭との間に起きたトラブルについて記載し、自分が既に『ワールド空手』の編集とは関わりがない事を明らかにした。小島はこの契約解除によって年間五千万円の赤字になる損害を受けたと主張している。2014年6月27日に自らのブログ上で「自分が行方不明になるか不審死をした場合、犯人・殺人教唆は松井章圭である」と発表、 また2015年にはブログ上で松井章圭に対し「早く朝鮮に返り許永中さんの下部として生き治して欲しい」と記載している。2014年に松井章圭との共著で『大山倍達の遺言を背負って…』(仮)を出版予定であることが2013年6月に発表されていたが、現在ブログ上の出版予定からは消えている。2014年4月28日には北之口太による伝記『一撃の拳松井章圭』を「ノンフィクションもどきの駄作」であると主張、自らが「日本人でなく純粋な韓国人でもなく、かといって正確にはアメリカ人でもない松井章圭の本当の素顔を書く」と発表した[37]。また、自らが知り合ったという公安関係者の証言として極真会館が実質的には韓国系パチンコメーカー・SANKYOの所有団体であり、松井章圭が脱税による追徴課税により自己破産を免れない状況であると記載している。

■芦原会館に対するインタビューの捏造、脅迫、中傷行為

特筆事項につき別項で記載

■正道会館とのトラブル

2016年5月10日、自らのフェイスブック上で正道会館のバックは闇社会、特に韓国系、資金ルートは統一協会他の宗教団体であり、もはや正道会館は暴力団またはフロント団体であると主張し、自らがあった被害として1990年前後、正道会館宗師である石井和義から「俺には山口組がついてる」「正道とK-1を批判したら大阪湾に埋めたる」、部下の塚本佳子には「お嬢ちゃん、どっか遠くに売り飛ばすよ。フィリピンなら明日の夜に船が出るから乗せてやってもええよ」と恫喝された事、その証拠のテープが残っていることを記載した。ちなみに石井は雑誌BUBKAの2014年5月号における吉田豪のインタビューで小島とは面識がないこと、「芦原英幸正伝」で証言をしている正道会館所属の人物が実際には取材を受けていない旨を表明している。

■黒澤浩樹との著作をめぐるトラブル

極真空手第16回オープントーナメント全日本空手道選手権大会王者であり、現、聖心館館長である黒澤浩樹とは親友であると称し、黒澤に関連する書籍を二冊執筆しているが、現在では絶縁状態になっている。黒澤は雑誌BUBKAの2015年6月号における吉田豪のインタビューで小島が書いた黒澤像が本来の自分とは異なる事、またこの二冊の書籍に関して自分に対して一切報酬が支払われていない事を明かしている。

■太田出版とのトラブル

神戸連続児童殺傷事件の犯人の少年の手記、「絶歌」を発売した太田出版を「ド腐れ太田出版」「メディアに巣喰うゴキブリ」「叩けば裏社会の塵がどんどん舞い上がってくる」と批判し、「以前からフリーの編集者や物書きの評判がすこぶる悪い事で知られている」として自らがあった被害として「50万円のゴーストライティングの仕事を引き受けたが報酬は20万円しかもらえず、木刀を持って編集部に乗り込み、警察に引っ張られながらも、その場で10万円だけ回収した。」とブログ上で記載している。これに対し、書評家の吉田豪は『事情を知らない人がこれを読むと「やっぱり太田出版は酷い出版社なんだ!」と思うかもしれないですけど、ボクが仕事してきてそういう問題は一切なかったし、まずは「小島一志」で検索した上で判断することをオススメします!』と批判している。

■士道館とのトラブル

  • 士道館と暴力団住吉会の関係についての発表
2014年2月3日にブログ上に士道館が暴力団、住吉会渉外委員長で十三代目幸平一家総長である加藤英幸より寄贈された道場太鼓の写真を載せ、「清濁併せ飲む!桜の代紋・士道館の道場太鼓」と記載している。小島は士道館館長添野義二に関する書籍を執筆中であり、士道館最高師範、村上竜二が主宰する大日本強育会の顧問、相談役でもある。小島は士道館を讃えるつもりで投稿したのだろうが、士道館にとっては迷惑極まりないものである。士道館から抗議が入ったためか、その後該当記事は削除された。

  • 添野義二の暴行事件に関する記述
2015年7月8日、ブログ上で関連する著作を執筆しているとしている添野義二との最初の出会いを約三十年前に「月刊空手道」の編集長代理として、当時話題になっていた硬式空手の全日本選手権を取材していた時であり、主宰者に対して添野が「壁際に押し付け膝蹴りを数発、そして最後には掌底で顔面を殴り血だるま状態にした」事態を目撃した事、そして自らに対して口止めを要求してきた事を記載している。

■澤井健一に対する批判に関する真樹日佐夫の証言捏造疑惑

太気至誠拳法の創始者である澤井健一をインチキであると主張し、真樹日佐夫の証言として「戦後の闇市にチンピラ相手に金でもせびろうかと行ったところ木刀で面を打たせる大道芸をしていた澤井がいたが、兄の梶原一騎が木刀を振ったところ逃げ出した」と聞いたと主張しているが、真樹日佐夫の生年は1940年、兄の梶原一騎の生年は1936年であり、1949年にはGHQから闇市の撤廃命令により青空闇市は規制され、終了している。

■家高康彦の発言の改ざん疑惑


作家で「極真大乱」著者である家高康彦とは大学時代に所属した極真空手同好会からの友人であったが、小島が自身のブログにおいて、家高の許可なく勝手にプライベートの言葉を記憶による書き起こしで公表したとして、2007年5月21日、家高は自らのブログで「小島一志氏が自身のブログで公表している私に関わるすべての表記は、私の意に反するものであり、私が容認したものでもなく、したがって私の関知するものでは一切ないことをここに明記いたします」という声明と、小島とまったく連絡が取れなくなったことを発表した。小島は2015年7月9日にブログ上で「家高はどうでもいい、物書きの落ちこぼれで小島に対するコンプレックスを持っている。大学も早稲田とはいえ夜間部の第2文学部で、東孝や三瓶啓二とおんなじ劣等感の塊。」「家高はええかっこしぃ。自分に不利になる事はみ~んな「そんな事言ってない」とバックレるヘタレ。」と記載している。

■吉田豪に対する脅迫行為

特筆事項につき別項で記載。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2017年01月25日 18:04