革南人民共和国(かくなんじんみんきょうわこく、
革南語:Какнан пуепн лыпвк сксаки 、英: People's Republic of Kaknan)、通称革南(かくなん、英: Kaknan)は、セアシア大陸に位置する主権国家である。
革南人民共和国は、1億人以上の人口をもつ国である。革南人民共和国は、首都
南准市を本部所在地とする
南准共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。
| 革南人民共和国 |
| 公用語 |
革南語・日語 |
| 首都 |
南准 |
| 政府 |
| 党代表 |
劉員報 |
| 全権 |
劉員報 |
| 党副代表 |
逸革邦 |
| 人民監督委員長 |
李蔵功 |
| 国家保安委員長 |
望峻甲 |
| 面積 |
|
| 人口 |
|
| 通貨 |
人民ドル |
| 建国宣言 |
954年16月21日 |
概要
セアシア大陸において大雲帝国を破った革南共産党(当時)により、954年16月21日に南准市にて建国された。同国は、18の州によって構成される。
同国は、恒により統治される北華地区の領有をも主張する。(全華問題)。
革南は、大雲帝国の一強と考えられる過去500年間の大部分で世界最大かつ最も複雑な経済を有した。1000年における改革開放の導入以来、外資流入の勢いが増してゆき、産業構造が政策から転換して、革南は主要経済大国の1つになった。同国は核保有国にで、世界でも最大規模の防衛予算で世界最大の常備軍を有する。革南人民共和国は960年以来MWO加盟国であり、大雲帝国の後任として恒が就いている安全保障理事会常任理事国を強く主張している。革南は現在MWO以外の国際機構には加盟していない。革南はセアシアの地域大国であり、多数の解説者により潜在的な超大国として特徴付けられてきた。
国名
現在の公式国名は、革南人民共和国である。一般国名は、革南である。
科学主義の部分を強調させるときには革南人民科学共和国とすることもあるが、正式ではない。
「革南」という言葉は、大雲帝国からの独立時に革南共産党(当時)がつけた名称で、過去に使われてはいなかった。
歴史
大雲帝国からの連続
古代から続く歴史は文化と経済の両面から革南人民共和国のあり方を規定している。850年前後の時代は外資が西欧近代化を推進した。
900年代から衰退した大雲帝国の領土をめぐって断続的に行われていた国共戦争において、順碑延が率い革南共産党率いる人民解放軍が恒軍と膠着状態となり、954年に共産主義政党による一党独裁国家である革南人民共和国を樹立した。なお、大雲帝国政府は西方の南砂に追われるかたちで政府機能を移転、王政復古のクーデターが発生して西大雲王国となった。
革命戦争
大雲帝国からの独立とその旧領土をめぐった恒との戦争を総じて革命戦争と称している。
| 日付 |
出来事 |
内容 |
| 954年9月4日 |
華大河戦 |
恒軍が華大河を突破 |
| 954年9月14日 |
東州攻防戦開始 |
恒軍が東州を包囲するが膠着 |
| 954年13月1日 |
華影上陸戦 |
革南人民軍が東州の北80kmの華影に上陸・反撃する |
| 954年13月2日 |
東州攻防戦終結 |
恒軍が撤退する |
| 954年15月23日 |
内風停戦協定 |
恒と停戦し現在の国境線になる |
| 954年16月21日 |
革南人民共和国建国 |
正式に建国を宣言し革命戦争の一時終結を発表した。 |
呂学時代
革南人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、呂学時代(954年 - 968年)と中間時代(968年 - 1000年)と劉李時代(1000年 - )の3つの時代に分類することができる。
呂学時代の革南人民共和国は、社会の共産主義化を推進し自身の独裁化を進めた。革南人民共和国の建国後、呂学は古典的思想に基づき、閉鎖主義路線を推進した。
内政では大躍進政策の失敗によって失脚していた呂学が復活し経済の立て直しを巡る対立からプロレタリア政治大革命(政革)を発動し、自由化した革南共産党を打倒しようと呼びかけた呂学の訴えに国内右派が呼応したため、「反革命」派と目された国内左派の人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。先住民族に対しては革命党粛清事件などの粛清を行った。
外交では大雲帝国に代わってMWO安全保障理事会常任理事国となることができなかった。しかしこれによって生まれた強硬的態度で国際社会に強い影響力を持つことに成功した。政治大革命は968年の呂学の逮捕・粛清と共に終結した。その後、「鎖につながれた領土」を掲げた呂耐が呂学の後を継いだが、969年の中央委員会で将晏径が実権を掌握した。
中間時代
969年より始まる中間時代以降の革南人民共和国は、部分開放理論に基づいて政治体制は革南共産党による一党体制を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、革南人民共和国の近代化を進めた。
970年代以来の経済の改革開放の進展により、「大陸の工場」と呼ばれるほど経済が急成長した。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。また政府は、革南人民共和国の分裂を促すような動きや、共産党の一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢を取り続けている。973年の核門事件での対応などはその一例である。宅証越の自由化は、経済に限定されていた。共産党員の中にも「外交開放が必要」との声も上がるほどであった。政治開放の延長線上で民主化要求の大規模な政治運動である核門事件が起こる。
劉李時代
1000年に劉員報が国家主席に就任すると、中間時代まで封印されていた外交を開放して国際主義政策を取り、外貨の獲得に動いた。それであっても社会主義の経済は残しているため、外交による失敗で国内が崩壊することはなさそうだ。また、民衆の支持を強く得ていたため、李安白主席の時代になってからは95%を超える支持率で国家を率いた。
しかし1007年に李安白主席が自害してからは混乱期があり、再び劉員報が全権となって政府代表に就いたが大きな改革は実現せず、また外交では強硬的な政策で緊張が走る時期もあった。
地理
国土の外観
革南人民共和国はセアシア大陸の南東部、南セアシア海の北東海岸に位置している。領土は北は東州北部の分華線から、南はXXXX海峡の線まで。東は東セアシア海岸から、西は南砂丘陵まで広がっている。陸地の国境線の北は恒、西はXXXX、南は海を挟んでXXXXと接している。
セアシア大陸の東部は東セアシア海に、南部は南セアシア海に臨んでいる。海域には1000近い島々が点在する。これらの島嶼では南セアシア海の海運において重要なXXXX島やXXXX海峡の領有権も主張している。その一部は武力支配の危険があり、周辺国から反感を買い警戒されている。
交通機関
革南人民共和国の鉄道の一部は列強による大雲分割の途中に敷設されたものがある。国有化されても影響は残るものであるが更新期間となっていて最近は消えつつある。自動車道も鉄道沿線に網を張った。革南の国道は経済格差を反映し逆に貧しい都市から離れた地域で密に整備されている。革南人民共和国の高速道路は外資がなだれこむ前の980年から整備が進んだ。
交通事情の東西格差は、南北方向で格差を捉えにくいことを示唆する。
空港
政治
法律一覧
国家の統治体制
南准共産党と憲法を拠り所とするその衛星政党(社会主義もしくは社会民主主義)以外の政党は認められておらず、国民には法律の下の結党の自由があるとされているが実際ないも同然の状態である。
立法機関として人民議会が置かれ、行政機関として、政府中央が、司法機関として、国立裁判所が存在する。法律上は人民議会に権限が集中する。この他に各団体、各界の代表なども参加する人民政治産業会議が存在するが、「国政助言機関」であって法律の制定権などは持っていない。三権分立の相互抑制メカニズムは存在しない(民主集中制)。
実際には国政を動かすのは南准共産党であり、共産党の最高指導集団である中央委員会が権力を掌握する構造となっている。最近では法治を重視する政策の下、一定の役割を果すようになってきている。
現在の最高指導グループである第12期南准共産党中央委員は以下の通り。
- 劉員報 - 序列第1位 党代表、全権、外務大臣、国家唯物論学会長
- 逸革邦 - 序列第2位 党副代表
- 李蔵功 - 序列第3位 人民監督委員長、外務副大臣
- 望峻甲 - 序列第4位 国家保安委員長
- 趙麓改 - 序列第5位 司法大臣
- 宅証越 - 序列第6位
- 曹異仁 - 序列第7位 陸軍大臣
歴代の指導者
| 代 |
名前 |
統治期間 |
党代表 |
副代表 |
人民監督委員長 |
軍の統帥者 |
| 0 |
順碑延 |
- 954年 |
順碑延 |
関銀 |
|
順碑延 |
| 1 |
呂学 |
954年 - 968年 |
呂学 |
呂耐 |
呂学 |
孫項然 |
| 応起 |
| 2 |
将晏径 |
969年 - 973年 |
将晏径 |
典盃輪 |
進嶺春 |
応追因 |
| 3 |
進嶺春 |
973年 - 979年 |
進嶺春 |
将晏径 |
漸往省 |
雷革陣 |
| 4 |
漸往省 |
979年 - 984年 |
漸往省 |
董洋鞍 |
| 5 |
周錠宣 |
984年 - 990年 |
周錠宣 |
董洋鞍 |
逸革邦 |
涯再双 |
| 6 |
董洋鞍 |
990年 - 993年 |
宅証越 |
周錠宣 |
校来永 |
| 7 |
宅証越 |
993年 - 997年 |
逸革邦 |
劉員報 |
常郭閃 |
| 8 |
逸革邦 |
997年 - 1000年 |
逸革邦 |
宅証越 |
| 9 |
劉員報 |
1000年 - 1004年 |
劉員報 |
逸革邦 |
帯炎符 |
| 10 |
1004年 - 1007年 |
望峻甲 |
李安白 |
| 11 |
李安白 |
1007年 - 1008年 |
李安白 |
劉員報 |
曹異仁 |
| 11補 |
曹異仁 |
1008年 |
史大林 |
劉員報 |
| 史大林 |
| 12 |
劉員報 |
1008年 - |
劉員報 |
逸革邦 |
李蔵功 |
地方行政区分
| 州名 |
州規模 |
州ナンバリング |
| 南准州 |
一級 |
N |
| 中山州 |
二級 |
Y |
| 銀岸州 |
一級 |
G |
| 奥藩州 |
二級 |
O |
| 大雲州 |
一級 |
D |
| 椎内州 |
二級 |
T |
| 北馬州 |
二級 |
H |
| 南砂州 |
三級 |
S |
| 東岸州 |
二級 |
A |
| 風泊州 |
二級 |
P |
| 積里州 |
二級 |
C |
| 壌南州 |
二級 |
J |
| 琢陽州 |
三級 |
K |
| 東州 |
二級 |
E |
| 南洋州 |
未制定 |
| 北華州 |
※南洋州と北華州は実効支配していない。
国家機関
警察
国家保安委員会
人民軍警備隊
情報機関
国家報道委員会
革南中央放送
軍
革南人民共和国憲法によれば、形式的には、中央委員会は革南人民軍(現役部隊)など全国の武力を指導するとある。しかし現実は、南准共産党の党中央委員がほぼ中央司令部のメンバーを兼ねており、実質的に南准共産党の指導の下、軍・警察を支配しており「南准共産党傘下の軍隊」となっている。
軍隊近代化のため、兵力5万人削減を、李安白が表明し、総兵力は約125万人となった。
また、革南人民共和国は核兵器を保有している。
軍事費
国家中央統計局の統計によると、1007年の革南人民共和国の軍事費は約1兆
人民ドルで、997年〜1007年の10年間で194%増加した。
革南人民共和国は対西大雲戦争などで、軍事兵器や軍事システムや戦闘スタイルの革新に力を入れている。
国際関係
革南人民共和国は、冷戦構造の下、建国当初は完全に東側陣営に組み込まれていた。しかし、呂学の閉鎖政策で決裂した。
XXX年のXXXX大統領の革南訪問と旭革共同声明採択によってアマース合衆国と旭日を始めとする西側諸国との関係の回復を果たした。
また、冷戦下における西側諸国と東側諸国との微妙なバランスの中で、「全華地域を代表する正当な政府は、恒ではなく革南人民共和国である」という既成事実を東側だけでなく、西側諸国の多くに確認させる全華統一政策は成功しなかった。
1000年から始まる改革開放路線以降、経済面での資本主義諸国との関係も強め、経済活動を絡めた積極的な地域外交を展開している。旭日に対しては劉員報政権は、対旭新思考を打ち出した。
区分としては開発途上国に含まれるため、国際会議等で「開発途上国の代表」と表現されることがある。国際的影響力を確保することを目的として開発援助を行っている。
急速な経済成長を遂げ、革南人民軍の軍備拡張を続ける革南人民共和国に対して、周辺諸国やアマースは警戒感を持ち(革南脅威論)、また、人権問題・全華問題・国境問題など、革南人民共和国の国際関係は緊張をはらむ側面もある。
領土問題
前述のとおり、南セアシア海の海峡部と北華地域の領有を強く主張している。
国際交通
現在以下の区間で航空国際線が運航されている。
経済
国際主義政策の成果
1日20人民ドル未満で暮らす貧困層は600万人前後と推計されており、世界銀行によって発展途上国に分類されている。国家成立後、970年代中半までの経済は大躍進政策の失敗や文化大革命によって立ち遅れていた。産業のみを志向した社会主義経済の非効率性も経済発展の障害となっていた。このため、劉員報の主導によって1001年に「経済改革」政策が採用され、社会主義市場経済の導入、国営企業の民営化や不採算企業の閉鎖、生産責任制の実施、外資導入など、経済政策の方針を、市場経済原理によるものに転換した。
社会問題
汚職問題
地方政府の役人(共産党員に限らず)の腐敗や職権の濫用が多いことが問題となっている。地方政府の対応に不満を持った農民や労働者は政府中央へ訴え出たり、場合によっては暴動を起こしたりしており、大きな社会問題となっている。また、政府高官でも汚職を行った者に対しては死刑が適用・執行されており、998年には刻魏韻(元党中央委員会参議)が収賄罪で死刑が執行されている。
経済改革が進んで以降の革南では拝金主義、物質主義が進行しているという指摘が多くある。たとえば、大規模な工場を建設する際に、周囲の住民の意見には聞く耳も持たず、「金にならない」というだけで工場の存在から出るリスク(汚水、悪臭、排煙など)を無視しているケースが散見される。また、食品製造では、安全性よりコストを優先するがゆえに無視し、危険な食品であっても生産するケースもあった。こうした問題の深刻な実態は1000年代に入って以降、国内外の調査団体や有志の調査により表面化し、国家によって規制が始まっている。
司法問題
革南人民共和国の司法に関してはいくつかの問題が内外から指摘されている。革南人民共和国刑法では死刑が定められており、死刑の場合は判決後数日の過酷な強制労働ののち、迅速に決行されるケースが多い。控訴する権利は与えられてはいるものの実際に控訴で逆転できるパターンはわずかである。
テロの首謀者から汚職といった他人に暴力を振るったり生命の危機に直面させない罪などでも、死刑判決即決行に該当する。最近は新たな死刑施行方法を取り入れて、薬物で麻酔した上で銃殺するケースも増えてきた。
992年8月には、大雲市上級裁判所の裁判官3名が集団売春した容疑で、懲戒免職処分になった事件が起こっている。
人権・報道問題
革南人民共和国では、報道は革南中央放送が世界的に知られている。国際主義政策以後は新聞はタブロイド紙が爆発的に増えた。そのため報道機関の影響力は相対的に低下している。一方、新興報道機関は中小多数で熾烈な報道合戦を展開している。そのため、大衆の好奇心を刺激する論評で大衆の関心の高い事柄を報道するが、そのうち政府への批判的な報道は当局から「調査」と呼ばれる修正を命じられることが多い。そのため、「上と下を見つつ報道」しているといわれる。
革南人民共和国政府は、検閲での情報操作を行っている。共産党・政府に対して、マイナスと認識した報道を規制している。
インターネットへの検閲行為
革南国内では、インターネット上のウェブページで、反政府のページを閉鎖、または回線を切断させたりしていることが多い(革南のネット検閲)。
1004年には検閲されていない違法なインターネットカフェ1600店余りを摘発し、更にはネット上で政府を非難する自国人を逮捕しメールの文章も検閲内容として規制されている。XXXXなどのアマース企業も政府の検閲に協力している。こうした企業に対しては、国際的に多くの人々が、革南人民共和国国内での言論の自由を奪っていると非難している。
こうしたネット文化の進展に伴い、革南人民共和国政府はネット規制システム「赤旗」をバージョンアップさせた。検閲、規制を回避するためのシステムも一部で配布されていると見られている。
国民
人口
革南中央政府の成立後、急激な人口増加が進んだことにより、食糧問題、エネルギー問題などが発生した。人口増加に危機感を抱いた政府は、優秀一子政策を展開した結果、人口増加率は低下した。
しかし一方で、戸籍上は子供を一人しか持たないようにするため、出産しても届出を行わないことによって黒孩子(ヘイハイズ)と呼ばれる戸籍を持たない子供が激増したり、貧乏な農家の子供たちが人身売買のバイヤー経由で裕福な家庭に売られるなど、新たな問題が発生した。また、統計上では総人口は約1億人であるが、黒孩子や盲民と言われる浮浪民の存在のため、潜在的な人口は1.5億人を超えているとも言われる。 また、急激な出産制限は全人口に占める若年層の割合を低下させた。そのため、将来少子高齢化が問題になると指摘されている。その状況に対し、政府は1006年に行った党中央委員会で優秀一子政策を廃止している。
国内では、沿岸部など経済発展の著しい地域と、内陸部の発展に取り残された地域との格差が拡大しているため、沿岸の都市部に出稼ぎするために流入する農民(民工)が増えその数は2000万人を超える。
言語
北大雲の言語に代表される漢字語を基礎として若干の改訂を加えた古冊を標準語としていた。同じ革南語であっても、日語、欧語などの異なる言語があり、かけ離れているため、政府は革南語をルーシアの言語をもとに作り標準語とした。しかし、建国以来の教育および放送等の普及により、若年層には革南語を話せない者は少なくなった。
教育
義務教育期間は原則6年間で、一般に基礎3年と高等3年からなる。学年は1月に始まる。
高等教育に関しては、1006年時点で革南の大学進学率は19%に達し、過去最高を記録した。革南の学問の中心の一つとして国内外に名を知られる国家重点大学に南准大学がある。現在では、
南准国際大学が国内のトップ大学であるとする評価が定着しており、南准大学は3番目の位置づけとなっている。南准国際大学は李安白名誉国家主席の出身校でもあり、2万5000人の学生が学ぶ。
宗教
国教はない。
宗教信者は総計150人余り、宗教活動場所4か所、宗教団体2といわれる。欧米では国民の多くは宗教信者であるが、現在の革南人民共和国の宗教信者数は非常に少ない。これは南准共産党政府による宗教弾圧の影響が大きい。
また、宗教信者を処罰し信教を全面禁止する憲法改正案・宗教規制法がすでに成立していて、施行までに事実上の国外追放となる。
文化
大衆文化
対人関係に於いて「自己人」(自分の味方)、「熟人」(知り合う人)、「外人」という独特の概念が革南にある。 ポルノの規制は厳しく、ポ現在では法律で禁止されている。インターネットのポルノサイトも同様で、1003年に行った反ポルノキャンペーンで44000件のサイトを取り締った。また、サイト運営者が死刑になったケースもある。家庭用ゲーム機の販売も970年から禁止されてきたが、999年に完全に解禁された。家庭用ゲームソフトの販売も、ソフトウェアメーカーが検閲(革南にはコンピュータゲームのレイティングシステムは存在しない)を受けた上で販売することになる。
祝祭日
| 16月21日 |
建国記念日 |
| 革命暦3月29日 |
李主席称賛日 |
| 革命暦5月1日 |
革命記念日 |
公募情報
国家の内容に直接影響しないが、この場を借りて公募を行う。
| 大臣職 |
財務省・内務省 |
| 大学教授 |
国立大学 |
| 大学特待生 |
国立大学 |
最終更新:2018年08月04日 20:40