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経済・自由・平等のバランス

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経済・自由・平等

経済・自由・平等のバランス



増補 ケインズとハイエク
―"自由"の変容─

間宮陽介
内容(「BOOK」データベースより)
計画経済の提唱者と自由主義経済の旗手、融通無碍な進歩主義者と真正の保守主義者として対照的に語られる二巨匠。だが二人は、あらゆる思想と倫理が崩壊に瀕した両大戦間の同じ課題と対決し、新時代の自由の意味を探求するところから出発した。近年、ケインズ主義は過去の遺物、ハイエクこそ新・新自由主義の源泉とされがちだが、それが自由放任主義に転落し、経済倫理が消滅しつつあるかに見える今、新たな“自由の技法”が問われている。本書では自由主義の系譜をたどりつつ両者の思想に新鮮な照明を当てる。文庫化に当たりグローバリズムの拡大とネット社会到来後の“自由”を問い直す補論を増補。

経済と倫理の関係

2007.1
ケインズとハイエクは同時代の経済学者として論敵だった(みたいです)。間宮氏も経済学者。でもここで議論されているのは「自由」。一体どう云う事でしょう。面白い切り口だなと思って読んでみると納得。経済は倫理抜きでは学問の対象にならない。「自由」観を必然的に伴う(この辺りは他にいい参考図書があったような気がします。見つけたら追補します)。

西欧諸国が近代化の仕上げをしていた時期、自由の意味が変容し始めた。後から見れば変容だけど、当事者にとって見れば自由が失われて行ってると感じていたはず。ここに間宮氏は二人の論敵の共通項を見つける。二人は失われつつあった自由に夫々どのように接したのか。

文庫化に伴って増補。

著者の間宮氏は、ケインズの「一般理論」の一部を翻訳した文章が大瀧雅之著「動学的一般均衡のマクロ経済学」の序文で引用されていて知りました。

DATA

目次
  • 第1章 喪われた世界
  • 第2章 自由主義と自由放任主義
  • 第3章 ハイエクの自由論
  • 第4章 自由のディレンマ
  • 終章  大衆社会の中で
  • 補論  ケインズとハイエク―その後
出版社
筑摩書房; 増補版 (2006/11)




ケインズ

西部 邁
(「MARC」データベースより)
「既得権益よりも危険なものは観念である。」 大衆化状況の中で、なおも独立不羈であろうとする知的貴族の悪戦の模様。20数年ぶりに甦る著者の名作。

若き日の西部邁氏。

ケインズが、経済学を金勘定だけの学問にしてしまったと批判も。

商品の詳細

単行本: 230ページ
出版社: イプシロン出版企画 (2005/07)
ISBN-10: 4903145026
ISBN-13: 978-4903145020
発売日: 2005/07
商品の寸法: 18.8 x 12.6 x 2 cm




自由の平等
―簡単で別な姿の世界─

立岩 真也
内容(「BOOK」データベースより)
少子高齢化、不況と失業、逼迫する財政。私たちの不安をかき立てる社会状況への対処法として近年もてはやされるのは、自己決定と自己責任、能力主義と自由競争であり、社会全体の調整・介入は批判されがちである。本書は、リバタリアニズム(自由至上主義)やリベラリズムのこうした磁場に対抗して、自ら障害者の介護や医療問題にも積極的に関わる気鋭の社会学者が、必要なものを必要な人に届けるための社会的分配の正当性を、さまざまな角度から徹底して考察したものである。

DATA

目次
出版社
岩波書店(2004/01)




市場社会の思想史
―「自由」をどう解釈するか─

間宮 陽介
内容(「BOOK」データベースより)
一七七六年、アダム・スミスは『国富論』を著し、「見えざる手」による市場社会の成立を理論化した。歴史学派・社会主義者はこの自由主義に異議を申し立てたが、経済学の科学化は「パレート最適」を生み、自由主義経済理論は完成したかにみえた。しかし大戦と恐慌は各国産業を弱体化し、自由放任を補完する形での政府介入を説くケインズ理論が世界を席捲するものの、その反動が七〇年代現れる。「自由」への対応を通して経済思想史を展望。
2007.1
未読です。

DATA

出版社
中央公論新社(中公新書)(1999/03)



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