響きライブラリー

ウイグル人の土地に核実験の死の灰が降り注ぐ

最終更新:

library

- view
管理者のみ編集可
書籍ライブラリ

日本の独立とアジアの独立

現在のアジア

メルマガコピペ

中国に植民地支配されたウイグル人の土地に、核実験の死の灰が降り注ぐ。


http://archive.mag2.com/0000000699/20071118060000000.html
■JapanOntheGlobe(523)■国際派日本人養成講座■■■■
TheGlobeNow:
シルクロードに降り注ぐ「死の灰」
中国に植民地支配されたウイグル人の土地に、核実験の死の灰が降り注ぐ。
■転送歓迎■H19.11.18■35,690Copies■2,687,862Views■

1.『シルクロードの死神』

ある日本人青年がシルクロードを一人で旅をしていた時のこと、こんな体験をした。

ローカルバスに乗って南新彊をめざしていたところ、突然昼間なのにピカッと光るものを感じた。その後、バスの中を見渡すと同乗者たちが皆、鼻血を流している。その光景は滑稽にさえ思えた。そころが、鼻に手を当てると自分も同じように血が出ているのに気がついた。バスの中は騒然となった。あの時、私は被爆したのかも知れない。

新彊ウイグル自治区の南部に広がるタクラマカン砂漠には、中国の核実験基地がある。その風下に位置する西側の村々では、直接、放射性物質が降り注ぐ。

大脳未発達の赤ちゃんが数多く生まれ、奇病が流行し、ガンの発生率は中国の他の地域に比べて極めて高い。その9割が血液のガン、白血病である。中国政府の圧力のために、こうした事実は公にされず、貧しい患者たちは薬も買えずに死を待つ。

こうした状況を報道したドキュメンタリー"DeathontheSilkRoad"『シルクロードの死神』が1998年7、8月、イギリスのテレビ局で放映され、衝撃を与えた。この番組は、その後、フランス、ドイツ、オランダなど欧州諸国をはじめ、世界83カ国で放送され、翌年、優れた報道映像作品に送られるローリー・ペック賞を受賞した。

弊誌で調べた範囲では、この83もの国々の中に、なぜか我が国は含まれていないようだ。

2.ウイグル人医師の苦難

このドキュメンタリー番組の制作に協力したウイグル人医師アニワル・トフティのこれまでの人生が、中国に植民地支配されているウイグル人たちの苦難をよく物語っている。

アニワルは難度の高い手術を行い、国際学会にも幾たびか出席するような優れた外科医だった。しかし中国内の民族差別に耐えかねて、同じテュルク系民族の国で働きたいと、語学留学を理由にトルコに渡った。そこで英国のテレビ記者に誘われて、ドキュメンタリー制作に協力したのだった。

中国の核実験による後遺症を世界に告発した「罪」で、「新彊分裂主義分子」のレッテルを貼られたお尋ね者となり、「中国に入境すれば禁固20年は免れない」という。家庭は崩壊し、中国に残してきた二人の子供も出国は許されず、祖父母に養育して貰っている。

今はイギリスで、大勢のウイグル人亡命者とともに暮らす。ここでは中国の医師免許は認められないので、外科医として働くこともできない。慣れない生活と苦しい暮らし向きにもかかわらず、彼は「決して後悔していない」と語る。

3.「豚は彼らの先祖だから喰わないんだ」

アニワルは1963年シルクロードの東端コムルに生まれ、鉄道局の学校に勤務する父の転属で新彊の中北部に位置するウルムチに引っ越し、そこで育った。当時、鉄道局に雇われているウイグル人はほとんどおらず、同局の運営する幼稚園や小中学校で、アニワルは漢人に囲まれて育った。当時は、子供どうしで一緒に遊んでいた。

だが、子供心に傷ついたのは、漢人の大人から蔑まれることだった。小学校2年の時、同級生に家に遊びに行った。食卓にはご馳走が並んでいて、一緒に食べようと誘われたとき、「豚肉以外のものなら」と言うと、同級生は不思議そうに「どうして豚肉を食べないの?」と聞いた。
「イスラム教の教えでね」と答えようとするアニワルを遮って、その同級生の父が言った。「豚は彼らの先祖だから喰わないんだ。」
漢人は自らの先祖を龍だとする。動物を先祖と考えるのは、漢人の独特の民族伝統だろうが、その思考を他民族にも適用してウイグル人の先祖を豚とする。いかにも漢人らしい差別である。

アニワルは心底傷ついたが、それをバネに「漢人に負けるものか。僕は劣等民族じゃない」と、猛勉強するようになった。

4.1949年、中国共産党の軍隊が占領

ウイグル民族が漢人の支配に屈したのは、わずか60年前、第2次大戦後のことだった。現在、独立運動の指導者であるラビィア・カーデル女史は、当時のことをこう回想している。

当時、アルタイ(JOG注:新彊北部、モンゴル国境近くの町)ではロシア人は多かったのですが、漢族を見かけることは極々稀で、たまに漢族がいたら「ヒタイ(中国人)だ」と噂になったものです。山岳地方に住むカザフ族と、麓に住むウイグル族との関係は良好で、互いに密な往来をしていました。

アルタイのウイグルの家々は豊かで、私の家など他家に比べたら、豊かとは言えない部類でした。庭には犬を飼い、美しい木々や香りのよい花々が何種類も植えられ、裏の山からは鳥が飛んできて囀(さえず)っていました。しかし、そんなアルタイの風景が一変したのは、この地が中華人民共和国の統治下に入ったときからです。

1949年、中国共産党の軍隊が「東トルキスタン」を占領し、ウイグル族、カザフ族を問わず、お金持ちの家の人々を逮捕しました。逮捕者は着の身着のまま大きなトラックに乗せられ、タリムの砂漠にある労働改造農場や、監獄へ送られていきました。[1,p18]

カーデル女史の家も、1962年の再調査で「資本家」のレッテルを貼られ、家も土地も店もすべて没収された。父親は山に逃亡し、残された母とカーデル女史と幼い弟妹たちは、トラックでタクラマカン砂漠に連れて行かれ、そこで置き去りにされたという。

こうして、ウイグル人は独立を失い、漢人に植民地支配されることになった。

5.職場での民族差別の壁

1991年にアニワルは鉄道局付属病院の医師となったが、そこでも民族差別の壁に何度も突き当たった。

ある日、外科のオフィスに一人の看護婦がやってきて、治療に関する質問をした。部屋にいた7人の漢人の医者が答えられないので、アニワルが教えてやると、その看護婦は「あら、『吃羊脳子的』(いつも羊肉ばかり食べている者の脳)にしては、このひと意外に賢いじゃない」と言った。アニワルは「豚の脳味噌と羊の脳味噌はどっちが賢いと思う」と怒った。

勤務先の病院では、漢人の医師には2LDKの部屋を一律に割り当てていたが、アニワルは夫婦と子供一人で1LDKの部屋しか貰えず、毎年同僚と同じ2LDKの部屋を要望したが、「住宅割当会議の時に不在だった」などの理由で拒否され続けた。「もうこんな不平等な国には居たくない」との思いが募った。

アニワルの父は、中国では共産党員でなければ、安定した生活も出世も富も望めないと知っていたので、息子に入党を勧めた。入党の申請をすると「次の党支部拡大会議に招聘するから、その時、入党の決意を語るように」と命ぜられた。しかし、当日、緊急の手術が入って、会議に行けなかった。

党委員がやってきて「党が大切なのか、おまえ自身の用事が大切なのか。次回は絶対に参加するように」と厳しい口調で言った。しかし、その次回も重態患者の緊急手術が入った。会議の事が頭をかすめたが、アニワルは医師として人の命を救う方を優先した。党委員は「入党申請書」を突き返してきた。

6.あなたがた漢人は「偉大なる」民族だ

ある時、ウルムチでバス爆破事故が発生し、多数の死傷者が出た。東トルキスタンの独立を目指す組織が犯行声明を出した。百人を超える医師と看護婦が現場で負傷者の手当に当たった。アニワルもその一人だった。

その時、ある漢人の医師が腹立たしげに叫んだ。「はやくウイグル人は我々と同化すべきだ。そうすればこのような事件は起こらない!」
すべての人の視線がその場にいたただ一人のウイグル人、アニワルに注がれた。アニワルは言い返した。

確かに、、、あなたがた漢人は「偉大なる」民族だ。「日本鬼子」(漢族の日本人への蔑称)が中国を侵略したとき、あなた達は8年の抗戦を経て勝利した。我々ウイグル人もいつの日か、それに倣うだろう。

その場の空気が一瞬にして凍りついた。

96年にアニワルは主任医師(管理職)になるための試験を受けた。理論、技術などすべての科目は合格したが、外国語だけは合格点に達しなかった。中国語もウイグル語も外国語とは認められず、もう一つの外国語で受験しなければならなかったからだ。そこで外国語習得のための留学を目指した。しかしそれは口実で、本音はウイグル人と同じテュルク系民族の国に渡り、医者を続ける道を探りたかったのだ。

そこでトルコに渡り、3ヶ月の語学研修を受けた。トルコ語は同じテュルク系の言葉なので、3ヶ月ほどで日常会話は支障なく話せるようになった。次に、中国では学べない外科知識を学ぼうと、医科大学院の受け入れ先を探し始めた。

7.核実験被害の潜入取材

そこに、ウイグル人の知人が「英国のテレビ局の記者がウイグル人医師を捜している」という話を持ち込んできた。英人記者に会ってみると「新彊に観光客を装って潜入取材し、核実験被害の実態をルポしたい。ガイド兼通訳と偽って、あなたも一緒に行ってくれないか」と懇願された。

アニワルは鉄道病院にいた時、鉄道局の健康調査データから、ウイグル人も新彊の地に長くいる漢人も、悪性腫瘍の発生率が他の地域に比べて35パーセントも高い、という分析をして、核実験被害に関する懸念を抱いていた。

アニワルは「協力しましょう」と答えたが、もし潜入取材中に見つかったら、と思うと、「逮捕」「投獄」「拷問」「禁固20年」などの言葉が頭の中をよぎり、体にガタガタと震えが来た。

98年7月に、アニワルを含む6人の取材チームは新彊に入った。チームの中でアニワルはツーリストガイドを装っていた。車を借りて交替で運転し、可能な限り裏道を走って、核実験基地のある「ロプノール」近辺の村々を回った。

8.「お母さん、もう死にたい」

農民たちは「基地では、漢人の住む方向に向かって、つまり西から東に風が吹く時は核実験をしない。西に吹いた時に行っていた」と憤る。

基地の西方面では、直接、放射能物質が降り注ぐ。ある村では、生まれてくる赤ちゃんの8割が口唇口蓋裂(上唇や上顎が割れている症状)だった。別の村では、内臓異常のため腹や喉など身体の一部が肥大化して瘤を持った者がたくさんいた。また先天性異常で大脳未発達のため、歩けず話せない障害児ばかり生まれてくる村もあった。

それでも村人たちは、貧困のために転居もできず、汚染された水を飲み、「死の灰」の降った土壌を耕して生きていかねばならない。

ドキュメンタリー『シルクロードの死神』には、奇病に冒された17歳のウイグル人少女が登場する。生まれた時には問題はなかったが、成長するにつれて骨が自然に折れて変形する間接異常を患っている。踵(かかと)の骨が飛び出て、その痛さに泣き続ける。「痛い。私の足を切って。お母さん、もう死にたい。」
「死を待つしかない子供たちに、親は『これは神様の定めた運命なのだ』と説明するしかない」とナレーションが入る。

一行は文献資料収集も行った。アニワルが大学や病院、図書館の資料を借り出し、英人記者たちが夜な夜な、ホテルでフィルム撮影を行う。収集した1966年からのデータで、核実験の開始と共にガンの発生率が年々上昇している事が分かった。

取材を終えると、アニワルは逮捕を恐れて、ウルムチに住む家族に電話すらせずに、トルコに戻った。放映された番組は大きな反響を呼んだ。

ようやく外科医の仕事を見つけ、これからは生活も安定すると思っていた矢先に、「中国とトルコが貿易関係の強化を図るので、政治亡命者は身の安全を考えた方がよい」とトルコ駐在の台湾人記者が警告してくれた。

せっかく見つけた外科医の仕事もなげうって、イギリス大使館に駆け込んだ。大使館員は、アニワルが『シルクロードの死神』の制作に協力したと知ると、即座にビザを発給してくれた。

9.「広島の経験を新彊で活かすことができれば」

今はイギリスで同様に政治亡命してきた大勢のウイグル人とともに狭い家で暮らすアニワルは、新彊での核実験被害について「医者としてやりきれない」と頭を抱えながら、こう語った。

中国では被曝者が団体を作ることも抗議デモをすることも許されないし、国家から治療費も出ない。中国政府は「核汚染はない」と公言し、被害状況を隠蔽しているので、海外の医療支援団体は調査にも入れない。医者は病状から「放射能の影響」としか考えられなくとも、カルテには原爆症とは記載できない。学者は大気や水質の汚染調査を行うことを認めて貰えないから、何が起きているのか告発することもできない。このように新彊では、原爆症患者が30年間放置されたままなのだ。

さらにアニワルは、日本人に向けて、こう語った。

被爆国日本の皆さんに、特に、この悲惨な新彊の現実を知って欲しい。核実験のたび、日本政府は公式に非難声明を出してくれた。それは新彊の民にとって、本当に頼もしかった。日本から智恵を頂き、広島の経験を新彊で活かすことができればといつも私は考えているけれども、共産党政権という厚い壁がある。[1,p141](文責:伊勢雅臣)

リンク

a.JOG(186)貧者の一燈、核兵器~中国軍拡小史
9回の対外戦争と数次の国内動乱を乗り越えて、核大国を目
指してきた中国の国家的執念。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog186.html
b.JOG(123)チベット・ホロコースト50年(上)~アデの悲しみ
平穏な生活を送っていたチベット国民に、突如、中共軍が侵
略を始めた
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog123.html
c.JOG(124)チベット・ホロコースト50年(下)
~ダライ・ラマ法王の祈り~
アデは27年間、収容所に入れられ、故郷の文化も自然も収
奪された
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog124.html

参考

(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1.水谷尚子『中国を追われたウイグル人
-亡命者が語る政治
弾圧』★★★、文春新書、H19
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166605992/japanontheg01-22%22
ウィキ募集バナー