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Mystery Circle Vol.26提出作品

お題
  • 起の分:人工的合成物に過ぎない有名人を、真の英雄だと思いこんでいた。
  • 結の文:「盲人の国では、片眼の者が王様ということを知っているか?」



 人工的合成物に過ぎない有名人を、真の英雄だと思いこんでいた。
 その有名人は日本国内では著名な作家で、新作が出るたびに売り上げランキングの上位を獲ってしまうくらいに名が知られている。マサヤも何冊か単行本を購入し、読み終えたそれは棚の中で息を潜めている。彼にとって、その本達は目指すべき道筋の一つに思え、それらに感化されて原稿用紙――今はパソコンのワープロ・ソフト――に黒の足跡を残すことに決めた。中学三年生の思い出。
 だが、マサヤが様々な経験を重ねるごとに誤解が生じていくという痛痒を感じてもいた。揺るぎなく感じられていた価値観として祭り上げられていたものは、果たして本当にそうであったのか、と。
 マサヤは、彼の中の英雄の独創性(オリジナリティ)を疑い始めた。
 英雄像でタチが悪いのは、己の価値観において、森羅万象に対し一定の物差しを駆使することができるようになると、良し悪しはともかく、他者の意見への関心が薄くなり、自己完結することが増えていくことである。初期の物差しは長さが曖昧で、使うごとに壊れたメジャーのように伸縮してしまうが、やがて一定の長さに固着するようになる。
 それは二律背反を招くことに繋がり、様々な長さの物差しによる確認作業を怠っていくようになる――慣れてしまったがゆえに。
 主観のみの世界で動いている内は、そうした英雄像は個人思想の範疇に収まるが、客観に主観の世界を持ち込んだ時、大抵脆くも崩壊する。固着してしまった物差しは、二つの方向にしか作用しない。客観から弾かれて打ちひしがれるか、客観を巻き込んだ結果として、極めて個人的な趣向が世間的に浸透して評価されるか。
 マサヤは、覚めているのに悪夢に追われているような居心地を感じていた。布団を被りつつ、目の奥を往復する思考の波は、彼の睡眠時間を確実に削り取り、その意味では悪夢そのものであった。

 ここ二週間ほど寝不足気味のマサヤは、大学の先輩――マサヤと同じく文学サークル所属――と、大学の校舎内で久し振りに暇な時間が合致しているということで、近所の牛丼屋で昼食を取ることとなった。マサヤは文芸部に顔を出しているものの、先輩は就職活動が忙しいのか、ここ一ヶ月ほどは話す機会を持てずにいた。
 三年生の先輩があそこまで忙しそうにしているのだから、来年は自分も忙しいのかもしれない。そうだとしたら、このような悩みなど靴底で踏んづけたまま忘れ去られているのかもしれない、とマサヤは未来を描き、そのような発想しかできない自分に少々失望した。
「あの、先輩」
 牛丼大盛りを二つ注文する先輩の横から、マサヤ。
「『人工的合成物に過ぎない有名人を、真の英雄だと思いこんでいた』という文章を、どう解釈しますか?」
「糖分欠乏気味の食事前に、そんな小難しいことを言うなよ。次の小説のフレーズ?」
「まあ、そんなところです」
「ふうん」
 ややうつむき加減に黙考する先輩の横でマサヤは、お題として考えて来い、と部長に命じられたことは伏せておくことにした。
「解釈に困るなあ。ストレート過ぎて、捻りどころに困る。そもそも、人間が他者を判断する際に用いる基準からして、既に人工的合成物と言えなくもない…… 原初の時代、人間は『この道具は使えるのか、この生き物は食べられるのか』というのは、極めて本能的衝動に基づく判断だけど、例えば芸術なんていうのは、個人の感性よりも外的要因(プラス・アルファ)の方が大きいくらいだしぃ」
「いや、それくらいは分かります。ただ、問題は、その、極めて御しがたい個人的感情にどう処理をつけるか、なんですよ」
 マサヤはところどころで言葉を詰まらせながらも、熱っぽく心中を打ち明けることを恥とは思わなかったし、それを認識できるほど冷静ではいられなかった。昨夜から脳味噌の中を通る血流が熱く、勢い静まらない熱気にほとほとうんざりしている。酷暑における蚊の羽音など可愛いものだ。
「言葉にしてくれ、ちゃんとした」
「すいません。端的に言えば、ああ、なんでこの作品は全然評価されないんだろう。なぜ賞に選ばれなかったんだろう……そんな風に思いません?」
「思うよ。でも、慣れた。というか、そんなことに振り回されることが馬鹿馬鹿しくなった」
「そんな……」
 それは単なる思考停止だ、とマサヤは心中で責めた。
「他人の嗜好を変えさせるなんて、並大抵のことじゃできっこない。人間は人工的合成物だ、現在進行形の。外的な要因に興味を持ち、疑問を抱え、消化する。ただ、頭の中身が固着しちまえば、変化や刺激に鈍感になる。誰もがニュースの中の出来事を当たり前のことのように思っていて、雑誌のデタラメ・レビューを鵜呑みにする」
 ある意味、最速の近道は週刊誌の編集者になることなのかもな、と先輩は笑った。冗談のようでいて、極めて大真面目なブラック・ジョークに同調できるほど、マサヤは大人びてはいなかった。また、煮え切らない視線に動揺するほど、先輩の思想は軟弱ではなかった。
「政治家よりは近いだろ? 良いかどうかは別として」
 そう言い放つ先輩の顔は、ふざけているようで大真面目だったのかもしれない。マサヤは、今日もまたこの人に振り回されるのか、と少し俯いたものの、自分の周囲にこれほどあけすけな語り方をする人はいないと思い直し、顎を上げる。先輩の言葉の全てが正しいとは限らないのだから、反論材料は見つければいい。
「本当に、世の中の人達はそうなんでしょうか?」
「世の中のかなりの割合はそうかもしれない、という与太話、さ。俺だって正確な統計を根拠にして話してる訳じゃない。でも、少なくともこの世の上辺は、そういう感覚で回ってるとは感じる。例えば――」
 お待たせいたしましたー、とカウンターの向こう側から牛丼が二つ手渡される。少々時間はかかったが、まだお昼時の午後一時半なので、理想的なタイムを刻めなくとも仕方はない。先輩は割り箸を二膳、それぞれの牛丼の上に置き、肘をカウンターに突いた。
 調理場に引っ込んで行った店員の耳に届かないくらいの声で、先輩は囁いた。
「ここの牛丼は美味いと思うか?」
「まあ、値段の割には」
「それが、世の中を動かしている連中の発想、という訳だ」
「どういう意味ですか?」怒気をはらんだ声で、マサヤ。
「お前の思想が反映されるためには、明確な理由を文字によって説明されなければならない。美味いものは美味い、不味いものは不味い。しかし、それは『なぜ』美味いのか、『なぜ』不味いのか、真っ当な理由を提示してこそ成り立つ。だろう?」
 マサヤは、先輩の主張が正しいのか間違っているのか判断がつきかねたが、明確な論拠がない以上、反論を挟む余地はなく、頷くしかなかった。
「だが、関心の薄いことに、いちいち掘り下げた意見を求めるのは面倒だ。建設的でも、時間を費やすという意味では経済的でもない。だから、ここで新しい機軸を持ち出す必要がある……許せるか、許せないか。ちなみに、俺はここの牛丼は美味いとも、不味いとも思わない。が、許せる」
「じゃあ、大学からもっと近いところにある牛丼屋は?」
 先輩とは一年の内に何度か夕食をともにしているが、この牛丼屋にしか来店した覚えがなかった。大学からもっと近い位置にも牛丼屋があり、そこを利用すれば五分ほどの道のりを通過せずに済む。
「ここよりも質はいいんだよな。値段も同じだし」
「は?」
「いやな、こっちの方が質は低いけど、許せるんだよ。大学に近い方は……しょっぱくてなぁ。じわじわと塩分による毒殺を図られているようで、嫌なんだ」
 どこぞの国の諜報員に恨みでも買っているのだろうか、とマサヤはいぶかしみながらも、先輩の話には説得力があった。物事に対して評論ではなく、個人の許容の目線での判断となれば、客観に働きかけるだけの論拠の必要性はまったくない。どこまでも自己満足を通してゆける。
「じゃあ、創作という行為は? どういう範疇に入ると思います?」
「世の中の創作物の一パーセントでも、創作者が満足至極だった、完全無欠の作品って存在するのかね?」
 つまり「永遠に許せない」という範疇に入る、と先輩は暗に語った。
「世の中に、真の天才は何人いるか、考えたことはあるか? 数学の世界では、一パーセントの天才が青写真を作り、残りの九十九パーセントが天才の設計した建物を組み上げるんだ」
「へぇ……」
「うん?」
「なにも考えてなさそうなのに、実は色々と考えてたんですねぇ」
「俺がお前と気心が知れていて、ついでに縦社会に疑問を持つ人間で良かったな」
 オールバックにした、少し痛んできた茶髪を撫でながら、先輩は人工的な笑みを貼り付けた。他の先輩に向かってそんな口を利いたら釘バットで場外まで運ばれるぞ、とは元野球部の彼は忠告しなかった。
「でもまあ、ジャーナリストだろうが作家だろうが、大勢か少数の違いだけで、結局は他人の物差しを使わなきゃならないんだろうよ。自分の物差しが世界基準な訳じゃなし」
「俺は、物差しではなく、メジャーを使える人間になりたいですよ」
 お互いに揃って割り箸を裂き、牛丼を片手――先輩は左利きだ――で持ち上げる。マサヤは、一度でも箸が脂分をたっぷりと含んだ牛肉をかき分けると、二人の数十センチメートルの間は真空のように無音になることを、経験から知っていた。途中で紅生姜を一つまみ乗せ、後は寡黙にかっ食らうことだけが使命であった。
「で、メジャーなのはいいとして、伸縮の基準をどこに合わせるんだい? それは本当に、誰の影響も受けないのか?」
 一足先に箸を丼の上に置いた先輩が、プラスチックのコップに満たされた冷水を含みつつ、問うた。マサヤは牛丼の汁に染まった一口分のご飯の孤島を残し、じっと丼の底を睨む。器の底は浅いくせに、彼の視野には、どれだけ長く伸ばしたメジャーでは計測できないほどの無限が溢れているように見えた。
「俺達は結局、他者の存在なくしてはメジャーを引き出せない、色々な価値観の合成物ってこと。いくらでも長さなんて変わっちまうから、重要なのは物差しの長さを常に意識することと、直感を言語に変換する能力だと、俺は思うな……ふ、まだまだ青いよ。少年」
 先輩は芝居臭さを一片も隠さず、ニヤリと勝ち誇った笑み。青二才を落としたくらいで嬉しいのかとマサヤは、本気で先輩の良心を疑い、大学内の学生で親の顔を見たいと思った第一号に抜擢する。
「俺とお前のことを例えるなら、こんなところだろうな」
 先輩お得意の、誰かの書籍の引用に違いない、とマサヤは確信した。先輩は見てくれが荒くれ者のくせに、妙に知的な言い回しを好む。だから野球部で弾かれたに違いない。
「『盲人の国では、片眼の者が王様ということを知っているか?』」
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