アットウィキロゴ
If... @Wiki
掲示板 掲示板 ページ検索 ページ検索 メニュー メニュー

If... @Wiki

ブレイン

最終更新:

rock

- view
管理者のみ編集可
Mystery Circle Vol.26提出作品

お題
  • 起の分:人工的合成物に過ぎない有名人を、真の英雄だと思いこんでいた。
  • 結の文:「盲人の国では、片眼の者が王様ということを知っているか?」



 人工的合成物に過ぎない有名人を、真の英雄だと思いこんでいた。世間の誰もがニュースで伝えられる訃報を真に受けて、その人物が伝説であることを鵜呑みにするに違いない。この世を去った人物が、どのような作品を作ったのかも分からないままに。
 ヒデキに寄り添っている裸の女も、まったく違わない性質の持ち主だった。
「伝説的な人だったのにね」
 少し熱に浮かされた声。なにも知らない奴のセリフだ、ヒデキは顔に出さずに嘲笑した。そもそも、この世の誰が生前の芸術家を「伝説」と呼称したのだろう。液晶テレビの発光を受けて白く染まる彼女の肌に目を落とす。つい先程まで肌を絡ませていた時の熱情は、既にその色のように引いていた。もっとも、一晩を共にするだけの希薄な関係であり、彼にとっては切れても未練などない。
 ヒデキが心から異性を愛したことはない、そういう自覚があった。だからこそ、大抵が数日、長くて数ヶ月の蜜月に終始するのかもしれないと分析する。そして、その蜜が大した甘さではないからこそ、この口が衝動的に冷水を吐き出すのかもしれない。この夜も例外ではなかった。
「死んで美化されただけの奴に、価値なんてない」
 翌日、ベッドには彼女の温もりすら残されておらず、亡霊のように痕跡を残さず姿を消した。以降、連絡も何も寄越しては来ず、細すぎた糸は呆気なく断裂した。
 ――はて、俺はなにか悪いことを言っただろうか。正しいことは言ったが。
 どうやら、秋の乾いた涼しさが、この部屋から体温の残り香を消してしまったらしい。

「ジャズ喫茶で会話を交わしてはならない」
 ロックが原初の姿、現代ではポピュラー音楽を支配するエレクトロ・ミュージックなど辛うじて予見されていようかという時代に、ジャズ喫茶が一斉風靡していた頃の暗黙の了解である。今ではその拘束も緩くなってしまったが、頑なに初心を貫いている店もある。ヒデキが訪れている店「スウィング」はジャズ喫茶の初心に比べれば決め事が緩い店ではあったが、原則として私語は快く受け入れられない。
 雑誌を繰りつつ、次に針が落とされるレコードの曲に耳を傾ける。誰の曲かは分からない。彼はジャズに精通していないどころか、まったくの無知に等しい。単にジャズという音楽が彼好みの空気感で心地よく、良質の再生機器とスピーカーを備え、またコーヒーや軽食の味も悪くはないという理由からだった。
 時折、横目でヒデキを窺う客がいるが、彼はことごとく無視する。ジャズ喫茶で音楽に集中しないのは何事だ、という無言の勧告であることは想像に難くない。彼は沈黙でもって「静かに雑誌を読むことが、そちらの音楽環境を侵害するのか?」と意思を表明するのだった。
 ヒデキは一週間に二、三度は足を運ぶ常連と化しているので、マスターに挨拶したあとは定席である窓際で、外の風景に背を向けて腰を落ち着かせ、いつものようにコーヒーとミックス・サンドを注文すると、すぐにマスターの手で料理が運ばれてくる。彼の注文が二年もの間――ヒデキが初めて「スウィング」を訪れてから約二年だ――変わることがないので、ヒデキの顔を見たマスターは、精神と物理的な準備をして注文を待ち伏せしているに違いない。
 ところで、ここ一ヶ月は事情が違っていた。どうにも落ち着かない気配を感じたので雑誌から目を上げると、通路を挟んだ席に対座して、若い女性がヒデキを観察していた。彼の仕草が気に入らないのかと思えばそうではないらしく、最初の数回は興味津々といった無遠慮さで凝視に徹し、だんだんと不敵な笑みが彼女の顔を支配していく比率が増えていった。
 敵意はなく、好奇心むき出しの姿勢にヒデキは、心のどこかで恐れを感じていた。面識がなく、ジャズ喫茶という空間で音楽を楽しんでいる様子もない異端に対し嫌悪どころか好意を抱くなど、彼女も異端決定である。そして、彼女が異質を貫く理由がヒデキには理解できず、平静を装いつつも雑誌を読みふけることで己を慰めるしかなかった。
 勿論、ヒデキが「スウィング」を訪れるたびに遭遇することはなかった。ストーカーではないことが少し保障されたような気もするが、不幸にも今日は鉢合わせしてしまった。視界の隅にもやのかかった、だが脳が勝手に画像補正をかけて映し出した素朴な横顔は、彼の顔を反射的に下に向けるには十分だった。
 今日も動物園の見世物にされることにうんざりしながら、ヒデキはサンドイッチの最後の一口を頬張り、口腔をコーヒーで洗い流す。
「ちょっといいですか?」
 ヒデキが会話をしたことはないが、時々耳にした覚えのある声質だった。この喫茶店のレジの辺りから漏れ伝わってくる、あの声。
「なにか?」
 あなたは俺と寝たことはありますか?、とは訊かなかった。彼女は大学生風で、味気ない黒のTシャツに、太ももの辺りにポケッの付いたベージュのワイド・パンツという井出達。適度な室温に保たれた店内ではお呼びではないのか、セーターを腰に巻いていた。
「以前からお話したいなあ、って」
「俺、面白くもなんともないよ」
「この喫茶店の中では一番『面白いこと』をしているようですけど?」
 それは否定できない。常識にとらわれない楽しみ方をしていると、排他されるか面白がられるかのどちらかである。どちらにおいても共通しているのは、流れる雲ほどに違和感のなく馴染んでいるとはいえない、ということだ。
「……ジャズ喫茶の店内は私語禁止」
「ですから、外で話を窺おうかと」
 そうこられると立場が悪い、とヒデキはつい顔を背けてしまった。彼女が強引であり、ジャズ喫茶の掟を盾に取る強かさを持っている。なにより彼には断る理由が見つからないのだから、殊更に彼女の申し出から逃れることが難しい。今は忙しい、という言い訳は、ジャズ喫茶で時間を潰していられる時間のゆとりがあるのだから通用しないだろう。仮にそういう選択を選び、去り際に毒を吐かれる程度なら良心の呵責など欠片も覚えないが、彼女の片手に保持されているトール・バッグからナイフでも取り出されでもしたら、さすがに良心を発動させない訳にはいかない。
 だが、それのエンジンを始動するのは早い、と踏み止まる。我ながら名案だ、と崖っぷちの最中に光明を見出し、ヒデキはごく自然な至上の名演でうそぶく。
「今、かかっているレコードが誰なのか、必死に考えているところなんだ。独りにしてくれる?」
「あぁ」
 語尾にイントネーションを置いて、彼女は大きく頷いた。ヒデキには「邪魔をしてすいません」という意味に汲み取れた。鼻孔から僅かばかり安堵の嘆息を吐き出すと、彼女はレジとは逆の方向にある大口径スピーカーに耳を澄ませ、微笑みがより鮮明に浮かび上がった。
「セロニアス・モンク、ですね」
 勝ち誇った破顔だった。ヒデキは読みの浅さを呪い、恥じる。彼女との駆け引きに負けたということは、ヒデキは白旗を振って観念しなければならなかった。勝負事はフェアでなければ成立しない。
「…………行こうか」
 ヒデキの声は、宇宙の片隅で瞬く光のように小さかった。

「俺の名前はヒデキ。君は?」
 普通の喫茶店に鞍替えし、落ち着かない心中を押し隠すように椅子に腰を預けたヒデキは、真っ先に名前を名乗った。背広の内側には名刺が息を潜ませているが、この場で差し出す気はなかった。彼女は上客でも、取引相手でもないのだから。
「メグミです」
 捉えどころのないお辞儀を一つ。メグミのやや丸みを帯びた顔を冷静に見つめ、ヒデキは憶測を確信へと変える――彼女と同衾したことは絶対にない。
「あの……私の顔、変ですか?」
 メグミは、ストレートに伸びた黒髪に指を絡ませ、メグミは少々顔を紅潮させる。「スウィング」では強気に押してきたくせに、突然しおらしくなるとは不思議である。この程度の観察に恥じらいを見せたのは、ヒデキと付き合ってきた女性史の中では稀である。
「いや、別に。以前に会ったことがあるかどうか、考えていただけで」
「初対面ですよ」
「そっか。自分の記憶力に自信を取り戻せた、ありがとう」
 テーブルの横から、本日二杯目のコーヒーが届けられた。メグミの前には一足先にオレンジジュースが運ばれている。そういえば、彼女の席にコーヒーが運ばれているところを目撃したことはない。
「で、用事は?」
「……失礼かもしれませんが、職業はなにをされているんですか?」
「は?」
「いつもジャズ喫茶で美術関連の本を読んでいましたから……その関係の人なのかな、と思いまして」
 それはかなりの短絡思考のようにヒデキには思えた。確かに、「スウィング」に出入りする時は必ず美術書の類を持参してはいたが、だからといって美術を飯の種にしていることにはならない。
「だって、ジャズ喫茶に来て美術書を読むなんて、控え目に言っても普通ではないですよ。一度ならず、毎回でしたし」
 メグミ以外の客から時々発せられる視線の棘を鑑みて、ヒデキは妙に納得してしまう。ジャズ喫茶は自宅で再現できない音響でジャズを聴けることに意味があるのだから、彼の美術書は聖域を汚していることになるのかもしれない。理解のできない理屈ではない。
「そういう君は?」
「私は美大に通っているんです」
「なるほど、道理で」
 若干の渇きをコーヒーで癒す。喉が香ばしい熱で満たされることに、ヒデキはいわれのない落ち着きを覚える。おかしい、なぜこれまでは落ち着いていられなかったのだろうか。
「俺は、とある企業の社長をやってるんだ」
「本当?」
「嘘」ヒデキは冗談にもならない騙りを早々に破棄する。「小さな美術館を開いてる。そこの経営者」
「館長さんっ」
 無垢な子供が北極星を指差すように、メグミの人差し指がヒデキに向けて突き出される。彼は失笑を禁じ得ず、肩をすくめる。
「もっとも、死んだ親父のを継いだだけだがね」
「親子で経営?」
「いや、親父は趣味として、ね。社長だったんだよ。道楽に使えるだけの金はあって、俺は未だに肉のないすねをかじり続けてる」
「ふふっ。恵まれてるんですね」
 その意見には同意だが、笑いどころではないと思うな……こうしたズレた感覚が不安になっている原因なのかもしれないとヒデキは、メグミの微笑をかわすように覗き込んだコーヒーの底を眺め、思った。
「でも、館長って大変そうですよね。色々と」
「ああ、大変だ。俺のところは……一回目のブッキングには成功するんたが、二度目は上手くいかない」
「なんででしょう?」
「さあ。慢性的に貧乏神か、呪いにでもかかっているのかもしれない」
 まっさかあ、とメグミは軽い口調で否定し、ヒデキも倣って軽薄な笑みを貼り付けるが、彼自身は呪術的存在を信じている。彼のところで個展を開いた者のことごとくが、多かれ少なかれ創作意欲やイマジネーションが減退し、歯車が狂っていくのである。そろそろ悪魔祓いの予算を計上しようか真剣に検討中だ。
「出世したら、私も美術館をお借りしてもいいですか?」
「それは君次第だな。作品を見てから考える」
「……本当ですか?」
「偽りはない」
「本気で言ってます?」
「俺の美術館のほとんどは、まったく売れてないか、新進気鋭で知られていないかのどちらかだよ。大体、大した面積がないから、ビッグ・アーティストには見向きもされない」
 加えてアプローチするだけの財力もない、という野暮な後付けはしなかった。
「でも、館長ということは真贋を見抜く力とか、凄いんでしょうねぇ」
「いや、全然」
「……冗談ではなさそうですね」
「聡明で助かるね。だが、俺がなにも見抜けないと思うのなら、それは勘違いだ」
 ヒデキは中指を己の右目の下にやり、宣教師が宗教を諭すかのように、断言した。
「俺には贋作かどうかの違いを見分ける目はないが、その作品が異質であるかどうかは分かる」
 芸術とは、人間の感性が織り成す、世界を語るための媒体である。ヒデキは、父親の道楽に付き合わされていた際に、有形無形の様々なものを吸収していったが、その教えの中には「真贋を見分ける訓練」は含まれていなかった。彼の美術館は現代美術を基本にしているため、即興性の高いアートが多数を占めるのも理由かもしれない。
「この美術館を訪れる人々は、本物という血統書を見るために来ているのか? ノー、そんなつまらない理由のリピーターはいない。本質はエネルギーを感じるためさ」
 父の言葉。家庭よりも道楽に時間の比重を置いてさえいたかもしれない父親に、一切の恨みを抱いていない訳ではない。ただ、三十路になって分かることもある。父親が美術館に心血を注いでいた理由の一端も理解できないではなかった。
「俺は確かに、主観と客観を並立させた価値観でモノを判断してはいない。だがな、間欠泉のような息吹も感じられない盲人の国では、片眼の者が王様ということを知っているか?」
記事メニュー
最近更新されたスレッド
ウィキ募集バナー