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幾つかの骸と、骸に数倍する数の半死人が、地面に転がっていた。
顔筋の限界を超えて歪み、涙と涎と鼻水に塗れた死相は、死者達が凄まじい恐怖と苦痛の中で死んでいったと、見る者全てに悟らせる。
彼等がどの様な苦痛と恐怖の中で息絶えていったかは、地べたで激しく痙攣し、叫び過ぎて潰れた喉から、血と掠れた声を未だに吐き続ける、半死人達に訊けば良い。
己が今現在どの様に苦しみ、どの様に死んでいっているのかを、語って聞かせてくれるだろう。死という絶対の安寧を交換条件に。
痙攣し続ける半死人の一人が、ひときわ大きく身を震わせた。
潰れた喉から、断末魔の声を振り絞りながら、激しく身体中を掻き毟る。
爪が剥がれ、肉が削げ落ちても、掻き毟る指は止まらない。骨だけになるまで指は止まる事は無いだろう。いや、骨だけになっても、止まらないのかも知れなかった。
凄絶なまでの自傷行為、その原因は、半死人が削ぎ落とした肉の中に有った。
血塗れの赤黒い肉片の中に在って蠢く白いもの。
蛆虫だ。無数の蛆虫が、削ぎ落とされた肉に群がり、蠢いている。
肉片は三つ呼吸をする内に、蛆虫に貪り付くされて消滅した。
肉片が消える僅かな間にも、自傷行為は止まらない。
身体を掻き毟る指は、込め過ぎた力の為に、全てへし折れているというのに、それでも尚、掻き毟る事を止めはしない。
遂には蛆に塗れた臓物を書き出し、口と肛門から蛆と肉汁を盛大にぶちまけて、悍ましき“死の舞踏(ダンス・マカブル)”は終わりを告げた。
「此処も…至極アッサリと陥ちましたね」
血と臓物と排泄物の臭いが混じる空間に、玲瓏透徹な女声がした。
声を聴いただけで、美女だと確信させる。そんな声だった。
死者と生者を問わず、だれもが地に横たわる中で、その美女はただ一人、二本の足で凍土を踏みしめ、周囲を見回していた。
ファーの付いた黒いコートと黒いスラックスを着た、180cmを僅かに超える均整の取れた長身の美女は、微笑を浮かべて左右を見回す。
右を見る。九穴から、血肉と蛆虫が溢れ出た少女が絶命する。
左を向く。黒蠅に集られた青年の身体が、溶けて血泥となる。
満足気に美女は口元を綻ばせる。
地獄絵図を堪能し、全てを記憶に焼き付けようとするかの様に、視線を忙しなく周囲に向ける。
美女の視線の先で、無惨な半死人が無惨な死人と変わっていく。
最後の一人が石で自身の頭を叩き割り、蛆虫塗れの脳漿を、凍結した地面にぶち撒けて死んだのを見届けると、瞼を閉じた。
「強者だけが生き残る権利を持つ。弱者は強者の糧となれ……。第二崩壊の思想だそうですが…随分と酷いものだと思いませんか?」
眼が有る、鼻が有る、耳が有る、唇が有る。美神が権能の限りを尽くした美を持つそれらは、芸術神が才智の全てを振り絞った配置の精妙さを誇っていた。
美神と芸術神の寵愛を一身に受けて産まれ落ちた。そう形容しても、誰も意を唱える事は無い、比類無い美貌を持つ女の名を、易津縁美といった。
オーストラリアの人類を業病と業毒で死に絶えさせ、人類にオーストラリア大陸を放棄させた破格の禍者。
十二崩壊に迫る業と実力を備えた怪物である。
「生きたまま喰べられる。それはとてもとても、痛くて、辛くて、恐ろしくて、悔しい事なのですよ?」
瞼を開く。此処で流された全ての血よりも、濃く鮮やかな血の色が現れる。
「そうは思いませんか?貴方方」
答える者は存在しない。この地に居た生物は、全て白と栗の虫の群れに喰われて消えてしまっていた。
「私が知る限りでは、此処が最後の猟場の痕跡。弱肉強食を掲げ、生き続けてきたにしては…どれも脆い。崩壊に隷属する者では仕方がありませんか」
戦いを楽しむ習性は持ち合わせてい無いが、こうも脆いのでは面白くも無い。飽きる程に殺した旧人類に比べれば、禍者の耐久性は破格と言えるが、それでも未だ物足りない。
希望を抱き、理想を掲げ、大義を奉じ、慈愛を施し、忠義に殉じる。
その様な烈士を苦痛にのたうち廻らせ、その様な聖女を屈辱の果てに心を折り、自尊心どころか、生存の意欲すら失わせて果てに、嬲り殺すのが縁美の本懐。
オーストラリアからベトナムに至る殺戮行で、その様な者には終ぞ出逢えなかった為に、殺戮殺戮を重ねてなお、縁美は満たされていなかった。
「東南アジアで遊べる場所は…もう有りませんね。中国にでも行きましょうか」
“紅罪楽府”放埒に生きる者たちの巣窟。混沌の坩堝たる“姫”の庭ならば、此処よりは愉しめるだろうか?
ベトナムの地で、幾つ目かの猟場の痕跡を鏖殺し、易津縁美は北上を開始したのだった
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「それで…此処ですか」
東南アジアから中国へと歩みを進めていた縁美は、何故だか殺し合いの場に放り込まれていた。
「殺し合いは好きませんが…。救世主は…愉しい道具ですね。このまま氷河期が続けば、人類が絶滅してしまいますし、人に増えて貰わないと、私が殺す人間が居なくなります。
それに………。
おそらく落命しているだろう両親に、第二の生と、穏やかな地球を贈れますしね」
両親に対する情愛は無いが、人として敬服できる人達だった。育てられた恩義と併せれば、彼等を甦らせる為に戦うのは、至極当然と言えた。
「その為には殺さなければなりませんが…。十二崩壊に空の勇者。中々に粒の揃った相手を用意して下さりましたね」
縁美の神禍は、集団相手の大規模な殺戮に特化した性質を持つが、傑出した個を仕留めるには不向きと言える。
この様な殺し合いに選ばれる者が、有象無象の弱者なわけは無いだろう。
正面からぶつかれば、縁美の苦戦は免れ得無い。
それでも殺せない訳では無い。それならば何とかなるだろうと、そう結論付けて縁美は神禍を行使した。
肉を削り、血を流して、蛆と蝿を無数に産み出す。
瞼を閉じて優美に立つ縁美の姿は、縁美の肉体を蝕む苦痛と不快感が、禍者ですら耐え難い、言語を絶するものだという事を微塵も窺わせなかった。
「はぁ…。いつもの事ですが疲れますね」
地を覆う蛆の群を従え、空を覆う蠅の群れを四方に放つ。
周囲に誰かが居れば、蠅の群れが襲い、誰かが縁美を害しにやって来れば、蛆の群れに貪り食われる。
単体でありながら、禍者の集団をも圧殺する数的優位。悍ましき貪蟲軍勢(レギオン)。易津縁美がオーストラリアと東南アジアで殺戮を恣に出来た所以である。
虫を四方に放つと、縁美は地図を眺めて、現在位置を把握しようとした。
「何処でしょうか?周囲の人が状況からして廃村でしょうか?……大体の位置は把握できましたが…。さて…何処へと向かいましょうか」
出来れば人の多い所が良い。十二崩壊や空の勇者が居れば尚良い。彼等ならば、愉しく愉しく遊べるだろうから。
大雑把に現在位置を推測すると、取り敢えず聖域を目指す事にする。
彼処なら、人がそのうち集まってくる。その中には遊べる相手もいる事だろう。
雪を踏みしめて歩き出す。十歩も行か無い内に、縁美は地面が揺れるのを感じた。
「地震……。現代の地球では有り得ませんが」
人類を滅ぼす為の神罰と称される全球凍結(スノーボールアース)。神罰と称されるのは伊達では無く、分厚い雲が空を覆い、陽光が地表に届かぬのみならず。
地下深くで活動するマグマもプレートの動きも止まっていた。
この為に、人類誕生以前に有った全球凍結に於いて、生物が何とか生き延びる事を可能とした環境を齎した活火山も、全てが活動を停止。
現在の地球には、地熱に依る温暖な環境すら、存在していない。
地球の星としての活動が動きが停止している為に、地震も発生する事はない。現在の地球で大地を震わすものが有るとすれば、それは強大な禍者が振るう神禍に他ならない。
一定の間隔を置いて大きくなる震動に、縁美の口元が笑みの形に釣り上がる。
そこいらを歩けば骸を見る時代だが、寒さの故に屍肉に群がる蠅は存在していない。
つまりは空を覆う黒蠅は、禍者に依るものに他なrない。
開戦の狼煙を見て、早速誰かがやって来た。
空の勇者や十二崩壊の様な、殺し甲斐のある相手なら望ましい。
態々殺しに行った“金獅子”や、殺しに行こうと思っていた“姫”ならば尚の事。
そんな事を思い、震動の元へと視線を向けると。
「随分と…酷すぎる臭いですね」
鼻をつく────どころか、突き刺さる異臭。人によっては痛みすら覚えるだろう悪臭が、縁美の鼻腔に強烈な不快感を与えて来た。
「十二崩壊には巨獣が居たと聞きますが、その方でしょうか?」
八位が聞いたら怒りで発狂するかもしれなかった。
「まぁ、私の神禍を思えば相応わしい相手かもしれませんね」
更に蛆と蝿を生み出しつつ、待つ事暫し。
「随分と…寒そうな格好ですね」
垢で変色したと一見で理解できる黄土色のタンクトップ。垢に塗れてごわつく黒い短パン。
不気味な薄笑いを浮かべた醜悪な顔立ちに、分厚い垢と脂汚れに覆われたグロテスクな肥満体。
美の極致というべき縁美と同じ空間にいるだけに、更に際立つグロテスクな醜悪さ。
汚と穢を寄せ集めて、人の形に捏ね上げたかのような、巨大な肉塊を前に、縁美は的外れな感想を漏らす。
自身の神禍もそうだが、そもそもが人間など一皮剥けばグロテスクで悪臭を放つ肉塊だと知っている縁美は、嫌悪や忌避といったものを抱く事は無い。
「ンンンン~~。最初に出逢ったのがこの様な美女であるとは、オイラの日頃の賜物ですか~~」
破顔すると、醜悪な顔が更に醜悪に崩れた。見るもの全てが二度と見たく無いと思う程に嫌悪の情を湧かせる笑顔。
外見に相応しく、声もまた醜悪。不快感を抱かせる音と形容すべきダミ声だった。
醜悪の極致というべく怪人の名は、北奈杉意秋。
長年引き篭り続けた意秋を、何だかんだ言いながらも養い続けた両親や妹を、自分をバカにしたという理由で皆殺しにし、次いで近隣の住民全てを殺し尽くし、その後も出逢った者が少しでも嫌悪や忌避を抱けば悉く殺して来た暴虐の禍者。
「お褒め頂き、ありがとうございます」
縁美もまた、笑顔を浮かべて会釈する。眼にしたもの全てが永遠に独占したいと願う美麗な笑顔。
美と醜の極みともいうべき男女が、凍てついた天地の間で対峙している。
「ムフフ…オイラはこれでも審美眼には自身が有るのですぞ」
「はぁ…そうですか」
誰もが嫌悪を抱く醜悪な怪人を前に、拒絶やそれに類する感情を一切見せることも無く、笑顔を浮かべたままで、縁美は神禍の行使を止めない。
反吐を吐きそうな悪臭の中、内臓を吐き出しそうになる不快感を表に僅かも出す事なく、黒蝿群れを産み続ける。
鉛色の分厚い雲に覆われて、星も月も陽届かぬ、常に薄暗い世界が、更に闇に染まっていく。
「私は易津縁美と申します。貴方のお名前をお聞かせください」
「むむッ!オイラともあろうものが、マイsweetheartラブリーエンジェルであるルクシエルたんには遠く及ばないとしても、絶世の美女に出会って舞い上がっていた次第。
オイラの名前は北奈杉意秋。意秋と読んでくれても問題無い」
本来、意秋は見ず知らずの相手に、こうまで明朗かつ流暢に話仕掛ける事などできる男では無かった。蚊の鳴く様な声で、途切れ途切れに話す男だった。
禍者となり、圧倒的な“暴”を身につけた事が、意秋に過剰なまでの自負を与え、他人との円滑な会話をするに至ったのだ。
微妙に早口なのは、絶世の美女に有効的に接せられて舞い上がっているからだ。
「意秋さんですね…一つお伺いしますが、意秋さんは私に何か用がお有りなのでしょうか?」
縁美の問いに、意秋はハッと何かに気付いた様なリアクションを示す。
意秋には崇高な使命がある。
愛しいルクシエルたんの為に、あのババア(ソピア)が集めた奴等を皆殺しにするという使命が。
最後にババア(ソピア)も殺して、北奈杉意秋大勝利!希望の未来へレディーゴー!!して、ルクシエルたんを幸福にするという使命が。
初っ端から絶世の美女に出逢って舞い上がってしまい、僅かな間とはいえ、ルクシエルたんと使命を忘れていた事を、意秋は認識したのだった。
「戦え、とルクシエルたんが言っている」
「つまり私を殺すと」
「ルクシエルたんが望んでいるんだ。だから縁美たんはオイラに一方的に殺されるんだ」
意秋の全身に力を込もる。それだけで、体が更に膨れ上がったかの様に見える。
「悔しいだろうが仕方無いんだ」
「ルクシエルさんとは、どういう御関係ですか?」
羽音が増す。白い凍土が、異なる白で覆われていく。
病を齎す黒と、毒を撒く白とが、縁美を起点に広がっていく。
「オイラと赤い糸で結ばれたお嫁さんだよ」
振われる拳。質量もさることながら、拳の速度もまた尋常のものでは無かった。
戦いに長けた禍者であっても避ける事が困難な速度で、巨拳が縁美目掛けて殺到する。
普通乗用車程度であれば、砕けながら宙を舞う事になる拳打は、何も打つ事は叶わず、虚しく空を裂くだけに終わった。
高まる羽音。意秋の視界が、無数の黒蠅に覆われる。
「ブギッ!?」
視界が塞がれ、意秋が無防備を晒した瞬間。意秋の股間に凄まじい衝撃が生じた。
縁美は、互いの身長差を活かして、しゃがみ込む事で意秋の拳を回避。
次いで、幼少時から続けていたバレエにより獲得した、高い柔軟性と、鍛えられた体幹を以って、足を振り上げ、意秋の睾丸を蹴り抜いたのだ。
弧を描くように跳ね上がった足は、足の甲と意秋の太腿の間に、意秋の睾丸を挟み撃ち、確実に潰す事を意図している。
深窓の令嬢といった風情と真っ向から反する、暴の所作。
縁美が過去に行った殺戮が、決して神禍のみに依るものでは無いと、言葉にせずとも理解らせる。
「ブギョオオオオオオオオオオオ!!!」
耳をつんざく不協和音。
至近で生じた巨大な不快極まりない音に、縁美は思わず距離を取った。
「あれで潰れなかったとは…丈夫な方ですね」
悪臭と不快な音を撒き散らしながら、のたうち回る意秋を前に、縁美は愉悦の笑みを浮かべる。
簡単に死んでくれるなと。少しでも生きて愉しませろと。
穏やかな風情の裏に、苛烈なまでの嗜虐心を覆い隠し、縁美は神禍を行使する。
無数の蛆が、意秋に群がり、鋼鉄すら噛み裂く牙と顎門を以って、意秋の身体を貪り出す。
無数の蝿が、消化液で意秋の身体を溶かして啜る。
鋼鉄すら噛み裂く牙と、鋼鉄すら溶かす消化液。
何方ともが、群れなす禍者を鏖殺し得るに足る代物だが、この神禍の本質はそこには無い。
蛆虫は牙と共に毒を打ち込み、蠅は消化液と共に病を噴きつける。
河豚、カエンタケ、アンボイナ、ヤドクガエル、鉛、水銀、プルトニウム、鳥兜、青梅。
地球上の生物どころか、非生物の持つ毒すらもが、惜しみなく意秋の身体へと投入され。
エボラ出血熱、狂犬病、コレラ、黒死病、マールブルグ病、エイズ、ラッサ熱、赤痢、チフス。
文明が健在で有った頃ならば、どれか一つでも医療関係者が聞けば、顔色無からしめた病を意秋の体内へと送り込む。
一個人に対して行う殺人行為としては、明らかに度が過ぎている。一つの国家を滅ぼせるだけの毒と病の大量投入は、もはやオーバーキルという言葉ですら生温い。
意秋の巨体は、鮮血を全身から噴き出し、白と黒の群れに覆われ、体内を無数の毒と病が破壊している惨状を呈している。
十二崩壊。空の勇者。凍てついた世界に於ける極峰であっても、十度は殺せるだけの“死”を叩き込み、縁美の笑みは更に深く、朗らかなものへとなっていく。
「本当に丈夫な方ですね。単なる身体強化というわけでは無いでしょうが」
意秋は未だに死んではいない。とうの昔に皮膚も肉も血も骨も、全てが腐りきり爛れきって死んでいなければならない筈が、未だに巨体が蠢いている。
「これで死なないというのは…中々に愉しめますが、どう殺せば良いものか……」
縁美の言葉に呼応するかの様に、意秋の巨体が活動を開始した。
地面に手をつき、立ち上がる。それだけで、大地と大気が震える程の、力が込められた動きだった。
「グフフフフ…いきなりキンタマを蹴られたのは痛かったけど、何だか随分と調子が良くなったでござる」
無数の蛆と蝿に集られたまま、意秋は平然と動き出す。再度右腕を引き、渾身の右ストレート。
風切る音も、迫る速度も、初撃とは比較にならない程に向上した一拳を、縁美は後ろに跳躍する事で、間合いの外へと逃れ出る。
巨大は拳に押し出された空気が、暴風となって縁美身体を叩き、縁美の体は空中で大きくよろめいた。
「ぶひゃああああああ!!!」
そこへ繰り出される意秋の前蹴り。
比喩でもなんでも無く、丸太の様な太さの脚が、縁美の胴へと伸びる、
縁美は周囲の蝿を操作。己の身体を後方へと押させる事で、意秋から離れる速度を上昇させた。
結果、当たれば決着。内臓が破裂するどころか、胴が爆散する蹴撃は、縁美の身体に僅か数センチの差で届かない。
それでも、押し出された空気に身体を激しく打たれて、縁美の体は三十mも後方へと飛ばされた。
地面への激突を、蝿を操り空中で固めて足場と為し、蹴り抜いて再度跳躍。優美な弧を描いて宙を舞う。
僅かな間を置いて、縁美の居た位置に意秋拳の拳が直撃し、直径5m程の陥没が生じ、周囲に全長20m程の亀裂が蜘蛛の巣状に発生した。
「先程よりも明らかに身体能力が上がっていますね」
「ムウン!!!」
意秋が全身を激しく震わせ、纏わりつく白と黒の汚穢を振り落とす。
飛散した黒白は、半数が地に落ちて蠢き、半数は四散した。
「ああ…。垢と脂が分厚過ぎましたか?」
現れた意秋の身体が、明らかに血色が良くなっている。
具に見れば、身体が僅かだが細くなっているのが見て取れるだろう。
縁美の放った虫は、意秋の分厚い垢と脂汚れに阻まれて、身体まで届く事が無かったのだ。
『調子が良くなった』というのは、気の所為でも何でも無く、意秋の全身を覆っていた汚れが落ち、適度に皮膚が刺激されて、身体中の血行が良くなった為だろう。
「グフフフフ…我が人生最大の絶・好・調!!ハッ…こ、これは、オイラの優勝を願うルクシエルたんの加護ッ…!」
ルクシエルが意秋の勝利を願っているのかといえば、そんな事は当然の事ながら、無い。
なお意秋が生贄に選ばれたのは、この機に鬱陶しいストーカーを始末しておこうというソピアの意図であるが、意秋がそんな事を知る由は当然無い。
「見ていてねルクシエルたん!オイラの雄姿を!!」
凍土が爆ぜる程の踏み込み。瞬間移動じみた動きで、縁美を間合いに捉えた意秋は、十二崩壊ですらが無視出来ない豪打を繰り出す。
対する縁美は、初撃と同様、地に伏せて回避。蠅を意秋の九穴へと殺到させ、内部からの破壊を試みるが。
「お“ッお“ッお“ッお“ッ」
肛門を絶え間なく刺激され、意秋が気色の悪い鳴き声を上げる。
「お“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“ッお“~~~~~!!!」
肛門から侵入し、腸を溶かし破って身体中へと広がり、やがて皮だけを残して肉も骨も血も啜り尽くす蠅の大群は、意遊の鳴き声と共に悉く放り出され。目耳口鼻から突入させた蝿は────。
「ブエッックショッッ!!!」
盛大なくしゃみ一つで、纏めて外に排出される。
「……………はぁ」
くしゃみにより吐き出された意秋の呼気。圧縮空気砲と呼ぶべきそれが凍土を粉砕し、派手に上がった土煙の中を舞い飛びながら、縁美は短く溜息を吐く。
意秋の神禍は、単純に自己強化。それだけならば珍しくも無いが、強化率が異常に過ぎる。
だがしかし、所詮は自己強化。それだけでしか無いが、それでも残る疑問が有る。何故に意秋に毒と病が通じないかだ。
蠅や蛆による物理攻撃が通じないのは、意秋の肉体強度によるものだが、毒も病も効果が無いのは、縁美の理解の域を超えている。
縁美は知らぬ。意秋の神禍の本質を。
拒絶への反抗(リジェクション・オブ・リベリオン)。自身に対する拒絶の意志に、若しくは意秋の他者への拒絶の意志に応じて、肉体が強化されるというもの。
全球凍結に依る寒波ですらが、意秋への拒絶と判定され、肉体に超強化が掛かる神禍。
縁美は意秋に対し、全くと言って良い程に拒絶の意思を見せてはいないが、意秋に対して行った攻撃が、拒絶の意思と判定される。
身体中を覆う垢と脂が落ち、全身を刺激されて血行が良くなった事のみならず、意秋の神禍に依る肉体強化も合わさって、縁美と出逢った時よりも、肉体は更なる強化を遂げている。
打ち込んだ毒も、齎した病も、全てが拒絶と判定され、強化された肉体が速やかに免疫抗体を生成。毒と病の悉くを無力化してしまったのだった。
これでもまだ、縁美自身が拒絶の意思を見せていない為に、本領を発揮してはいないのだ。
「最初に当たるにしては…流石にキツいものが有りますね」
内臓が掻き回される様な不快感と、全身の神経にヤスリをかけられているかの様な激痛。
常人ならば狂死する苦痛を意にも介さず、舞う様な動きで意秋の猛撃を躱し続け、蛆と蝿を意秋目掛けて差し向ける。
この敵は早々に死ぬ事は決して無い。それが愉しい。限り無く愛しい。
北奈杉意秋という禍者は、存在そのものが他者からの拒絶を呼び起こす。
容貌、体躯、声、体臭。それら全てが他者にとっての不快感と嫌悪感に満ち溢れ、至極当然の様に、意秋の神禍を発動する。
そうして強大になる意秋の前に、誰もが等しく血泥となった。
だが、易津縁美には、意秋に対する殺意は有っても、嫌悪は無い。
易津縁美にとっての殺意は、他者へと向ける親愛の情と等しい。嫌いだから、憎いから、理由が有るから殺すのでは無く、只々愉しいから殺す。殺したいから殺す。
其処には嫌悪もなければ拒絶も無い。有るのは受容と親愛だ。
故に縁美に対して意秋の神禍は、万全の威力を発揮できてはいなかった。
それでも尚、脅威の一言に尽きる意秋の神禍は、十二の崩壊に迫るものと言えるかも知れなかった。
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北奈杉意秋と易津縁美。共に暴力の極致と言うべき神禍を振るう両者だが、その性質は全く異なる。
意秋が用いるのは全球凍結以前から人類が用いてきた、己が五体を駆使した暴力だ。
拳を振るい、脚を振るい、肉体を駆使して、対象を破壊する。
過去から現在に渡って用いられ続け、神禍を得ても尚、廃れる事なく使われ続ける、誰しもが持つ原初の加害の手段。
そこに込められた力が、兵器のそれに匹敵し、一拳一蹴毎に、凄絶な破壊を引き起こすという一点を除けば、北奈杉意秋のそれは、旧時代のそれと全く以って変わらない。
一撃を振るう毎に、引き裂かれた大気が衝撃波となって荒れ狂い、蛆と蝿を消し飛ばし、周囲の家屋を薙ぎ倒す。
一歩を踏み出す、或いは足による踏み付けを行うだけで、地面が砕けて岩盤が舞い上がり、大地が震え、複数方向に無数の深い亀裂が伸びて行く。
意秋の神禍は、単純に個の極致。幼稚な人格に相応しい傍若無人な我儘をそのまま神禍としたかの如く、行使される絶大な暴力は、凡ゆる全てを撃砕する。
対する易津縁美の神禍は、北奈杉意秋の対極。圧倒的と言う言葉ですらが追い付かない、絶望的な数の暴力だ。
百人どころか、万相手であっても、短期間で骨どころか血すらすら残さず殺し尽くせる絶大な数の暴威を行使し、意秋の前後上下左右全てを、己が神禍の及ぶ部位と為している。
頭部、顔面、首筋、胸板、双肩、両腕、諸手。全てを黒蠅が覆い尽くし、意秋の巨躯を溶け崩れさせんと、消化液を噴き付ける。
地面を覆い、意秋の足から這い上った蛆虫は、意秋の下肢の全てを覆い、蠢きながら癒えぬ飢えに任せて、牙を突き立て続ける。
並の禍者であれば────第八崩壊の率いた巨獣の群れであったとしても、存在した痕跡を残さずに喰い尽くす暴食の群。
当に意秋の衣服は全て消失し、強化された意秋の肉体にも、無数の傷が生じて、意秋の巨体をくまなく鮮血で染め上げている。
「ブギイイイイイイイイイイ!!!!」
衝動の赴くままに拳脚を振り回し続けた意秋が、動きを停めて吼える。
苦痛では無く、群がる虫の不快感に耐え切れなくなったのだろう。
地面に倒れ込むと、地響きを伴いながらローリングを行い、群がる虫を潰していく。
粗方潰して立ち上がった意秋の眼は、限り無い親愛の笑みを向ける縁美を映した。
「愉しませてくれますね。ではもう一度」
再度押し寄せる虫の津波。これこそが易津縁美の真の脅威。
千を潰せば万を繰り出し、万を殺し尽くせば間髪入れずにその百倍が押し寄せる。
絶やし尽くせぬ毒と病の波濤は、正しく蒼白き騎士(ペイルライダー)の名に相応しい。
第二崩壊“金獅子”の理を掲げる者達を、歯牙にもかけずに嬲り殺した、縁美の持つ無尽蔵の悪意の具現化。
「うぎゃあああああ!!!」
意秋が絶叫する。殺しても殺しても尽きない虫の前に、さしもの意秋も戦意を挫かれたのだ。
だが、戦意を挫いたところで、何の意味も持たぬのが北奈杉意秋という禍者。
押し寄せる虫の波濤に、膨れ上がる拒絶の意志が牙を剥く。
意秋の身体に群がった虫達が、群がる端から消えて行く。
更に複数の触手が意秋の身体から伸び、空を飛ぶ蠅の群れを粉砕する。
「はぁ…これはまた……愉しませて下さいますが。殺せるのでしょうか?」
群がった虫達は、全て意秋の身体へと吸収されて行き、意秋の全身の傷を塞ぐ皮膚や肉となっている。
縁美の繰り出す虫を吸収した為か、意秋の身体が更に膨れ上がった。
「グフ…グフフフフ。これがオイラの神禍。虫を吸収するのはキモいけど、縁美たんから生まれたということは、縁美たんの一部ッ!?
つまりコレは……二人は一つになった!!?」
「…………そうとも言えますね」
「ななな何と!しかしですよ縁美たん。オイラには“スウィートエンジェル”ルクシエルたんという運命の相手がッ!
アアッ!縁美たんを不幸にするオイラの魅力が憎いッ!」
「………はぁ」
一人悦に入る意秋を無視して、意秋の神禍を考察する。
単なる肉体強化の枠には収まらないこの現象。一体如何なる神禍なのだろうか。
「与えられた刺激に応じて、肉体が適応変化する?」
面白い。愉しい。ならば高熱で焼けばどうなるのか?電熱は?巨大質量による圧潰は?真空状態での窒息は?
どれもを試したい。全てを試して結果を見たい。
100℃に耐えれば次1000。
1万ボルトに耐えれば次は百万ボルト
再現無く与える苦痛を上げていき、上限を超えて苦しむ姿を、その果てに死ぬ姿を見たい。
「まぁ、どれも試せませんが」
折角のオモチャであるが、此処では満足するまで愉しめない。
今あるもので、殺すより無い。
黒蠅を操り、空中で二本の巨大な槍を形作らせる。
猛速で意秋へと飛翔した蝿槍は、意秋の左右の胸を直撃。
蠅の速度と、鋼鉄すら溶かす消化液。其処に群れ成すことで得た質量が加われば、並の禍者など容易く貫く妖槍となるが、並どころか異常という言葉でも足り無いのが北奈杉意秋。
堤にぶつかった波濤の如きに、蠅槍が砕け散る。
「触手プレイッ!」
蠅の群れを払い落とす為に獲得された触手が六本、縁美を拘束するべく飛来する。
「良く分かりませんが、お断りします」
対する縁美は、黒蠅で意秋の視界を塞ぎ、バレエで培った平衡感覚と跳躍力を活かして全てを回避。
再度蠅槍を形成し、意秋の顔面目掛けて撃ち込んだ。
「ブハッ!?」
流石に顔への直撃は答えたのか、僅かに意秋が蹌踉めく。
当然、その隙を見逃す縁美では無い。
一気呵成に駆け寄ると、地面を蹴って跳躍。意秋の右膝へ全身のバネを活かし、体重を余す事無く乗せたドロップキック。
見事に縁美の両足は、意秋の膝へと吸い込まれ、骨がひしゃげる音がした。
此処までの両者の闘争は、絵に描いたような千日手。
個の極致である意秋には、縁美の数を突破する事が叶わず。
数の暴威を行使する縁美は、個の極峰である意秋にまともにダメージを与えられない。
アプローチをする方法を、今までと変えなければならばかった。
だからこその、肉体を用いた直接打撃。鍛え用の無い急所である膝関節への猛撃。これで脚を潰して動きを封じる。
目論見は見事に成功し、意秋の右膝に痛撃を見舞う事に成功したものの。
直後に生じた爆発により、縁美の身体は遥か遠くへと飛んで行った。
◯◯◯
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「此処は一体何処でしょうか」
足元には海が広がり、北には塔が見え、目を凝らせば、西の方角に病院が見える。
「南には聖堂が有りますね。という事は……結構飛ばされましたね」
あの時、意秋の膝に痛打を見舞った直後に、激痛で意秋が絶叫。
爆発と形容した方が相応しい叫び声は、空中に在って不意を突かれた縁美の身体を、風に舞う木っ葉の如くに吹き飛ばしたのだった。
危うく氷点下の水温の海に落ちる所だったが、咄嗟に黒蠅を大量に出して足場とする事で、滞空して、命を拾ったのだった。
「まぁ、あのまま戦っていても、決着を見たかどうかは……まぁ良いでしょう。少し休まないといけません」
一人を相手に、あそこまで神禍を行使した事など無く、あそこまで神禍を行使して、殺せなかった事も無い。
初めて出逢う相手だった。そして恐るべき強敵で、殺し甲斐の有る相手だった。
暫し戦闘の余韻に浸り、何処に行こうかを暫し考える。何分神禍での飛行は大変疲れる。力を使い果たしかねない。鋭い眼差しで考え込み、即座に答えを出す。
さっき戦った廃村は、戦いの余波で相当な被害を受けた筈。訪れた者も、得るもの無しとして、即座に踵を返すだろう。
意秋にした所で、ルクシエルの為に優勝を目指すというのならば、何時迄も彼処に留まっているとは思えない。
彼処に戻れば誰とも会うこと無く、休めるだろう。
足場の蝿を操作して、陸地へと移動を開始しながら、縁美は考えを巡らせる。
十二崩壊や空の勇者。彼等は一体どの様な夢や希望を抱いているのか。それらはどれだけ強固で、壊した時にどんな顔をするのか。
邪悪な物思いに耽りながら、縁美は海の上を飛んで行った。
【D -2・海上/1日目・深夜】
【易津縁美】
[状態]:疲労(中)
[装備]:
[道具]:支給品一式
[思考・行動]
基本:優勝して、両親を蘇らせてもらう。
1:愉しめそうですね
2:十二崩壊や空の勇者…彼等は何を抱いて戦うのでしょうか?
[備考]
◯◯◯
間断無く続いていた、骨が形を変え、肉が膨れ上がる音が止まり、蹲っていた北奈杉意秋が立ち上がる。
膝に激痛を感じ、思わず絶叫して、気づいたら意秋一人だけだった。
縁美たんは何処へ行ったのか。当たりを見回しても、倒壊した家屋しか存在し無い。
キョロキョロと周囲を見回す意秋の姿は、どう見ても不審者そのものである。全裸だし。
暫くの間、不審な挙動を見せていた意秋は、聖堂の方に決意に満ちた眼差しを向けた。
「待っていてくれ、ルクシエルたん。オイラ、きっと勝ってみせるから」
【待っています。我が愛しの勇者意秋】
ソピアとエヴァンに聞かれれば、ガチ殺し必至の妄言を吐いて、意秋は聖堂から離れて行く。
ルクシエルの為に勝利を重ね、縁美たんを始めとした全員を殺し尽くす為に。
なおルクシエルの声は、意秋の脳内にしか響いていない。
縁美との死闘を経て、更なる巨大化と異形化を果たした怪人は、力強い足取りで南下を開始した。
【B -4廃村/1日目・深夜】
【北奈杉意秋】
[状態]:健康 380cm・550kg 触手が背中から六本生えている
[装備]:
[道具]:支給品一式
[思考・行動]
基本:優勝してルクシエルたんと結婚する
1:戦えと、ルクシエルたんが言っている
2:縁美たんは何処へ?
[備考]
B -4の廃村で起きた戦闘で、家屋の大部分が倒壊しました。
最終更新:2025年06月26日 00:46