今更当たり前の事を言うが、この物語はアイドルのサクセスストーリーでもなければ、少しHなラブコメでもない。
あくまでこれは聖杯戦争。
血に塗れた殺し合いの物語。
死人が何人も出る事が確約された戦記。
のほほんとしたコメディを楽しむ余裕など、本来あるはずがない。
参加者たちが争えば争うほど、血を流せば流すほど、聖杯は完成へと近づき、戦争は加速してゆくのだ。
加えて、今話ではいよいよ初の死亡者が出る。
聖杯戦争の過熱を止められる者は、誰も居ない――今のところは。
▲▼▲▼▲▼▲
「あーはっはっはっは!」
ロシア帽を被った少女は、笑い声を教会に響かせながら夢から目覚めた。
「…………随分と楽しそうな目覚めじゃあないか、魔女よ。何かいい夢でも見たのか?」
壁に寄りかかるようにして立っているローブの男――
カシヤーンは、両眼の閉じた顔貌を少女に向けて、そう言った。
彼女の夢の内容が気になるというのもあるが、「そんな馬鹿みたいな大声で笑うからには、かなり愉快な夢だったんだろうな?」という皮肉も込めて言い放たれた言葉である。
『魔女』と呼ばれた少女は、あまりに笑いすぎて目元に浮かんだ涙を指で拭いながら、邪眼の聖人からの問いに答える。
「うん。ちょっと昔の思い出を夢で見てね。いやぁ、あれは愉快だったなぁ!」
少女は長椅子に横たえていた身体を起こし、すぐ傍に置いていた木製の円柱の元へと移動する。
「よいしょ」と言いながら、ひょいとバックジャンプするようにして、それへ腰かけた。
彼女からの返答を受け、ルーラーは、
「昔の思い出と言うと……そこらで捕まえた子供を食った夢でも見たのか?」
「いやいや、そんな昔の話じゃあなく、もっと最近のアレだよ。アレ」
「最近のと言うと……ああ、アレか」
傍から聞けば何を指して『アレ』と言っているか分からないが、二人の間ではそれで通じているらしい。
「私は貴様からの伝聞でしか聞いたことがないから、アレがどのようなものだったのか詳しくは知らないが……それ。寝起きのついでだ。具体的にどんな夢だったか聞かせてくれよ」
ルーラーからの頼みに了解した少女は、続けて語った。
「ある日、すっげー強い騎士と戦うことになったんだよね。日が出ている間は三倍の力が出るって云うチートな体質を持った奴。多分キミでも時間や環境次第では負けちゃうかもしれないぜ――最強のサーヴァントの一人と言って良いだろう」
「ふむふむ」
「しかも、そいつの武器が聖剣でさぁ……知ってる? 聖剣。まぁ、すっげー簡単に言うと、ちょー強い剣なんだけど」
「簡単に言い過ぎだろう」
「加えて、そいつの精神の高潔ぶりもまたすごくてね。流石騎士サマ! って感じ? 彼の言動は使い魔越しで何回か見たくらいだけど、身も心も見事なハンサムだったぜ」
そんな奴がサーヴァントだったから、あのマスターは調子に乗ってたのかなぁ――と、付け加えて言う少女。
「で、貴様はその最強の騎士とやらを相手にどうしたんだ?」
「そいつにメタ張ってねー、ボッコボコにしたんだよ!」
「はぁ!? ……ああ、成程! 『日中において三倍の力を持つ騎士に有利を取る』――貴様ならば、いや、貴様だからこそできる技だな! ふふふふ! それはまた随分と愉快な話だ!」
実に面白おかしいといった様子で笑うルーラー。
「強き英雄のくせに――いや、強き英雄だからこそ、突かれると弱い弱点があったのか! カシチェイにとっての針の様に!」
「一応彼の名誉の為に言っておくけどね、ボク――正確には黒騎士――が相手じゃない限り、誰も勝てないレベルで最強だったからね、あの騎士クン。多分、アーチャーやバーサーカーでも無理だったんじゃないかな。まぁ、彼とボクじゃ相性が最悪すぎただけなのさ……はははっ! 思い出したら、また笑えてきちゃったぜ」
言って、少女は手の平を宙に向かって構えると、窓拭きのパントマイムでもするようにして手を動かした。
すると、どこからともなく霧が生じ、それらは少女の手の動きに沿って集まって、テレビの画面サイズの長方形になった――霧のモニターの完成だ。
暫くすると、それに光が浮かび上がる。
「……とまぁ、こんな雑すぎる雑談は置いといて。何か進展はあったかな?」
とある用事で今朝から働いていた少女は、その疲れを癒すべく、仕事終わりからこれまで眠っていたのである。
その間に冬木市内で何かハプニングは起きてはいなかったか調べるために、彼女は市内各所の様子を映す霧のモニターを起動したのだ。
まず、モニターは市内のテレビ局の惨状を映した。少女は目を輝かせた。
次に、モニターは皇帝の根城となりつつあるアイドル事務所を映した。少女は笑った。
続いて、モニターは半壊した武家屋敷を映した。少女はつまらなさそうな顔をした。
「どうやら貴様が寝ている間に色々と起きていたようだな」
未だに口元に先ほどの笑みを残しながら、カシヤーンはそう言った。
「そうだねぇ、聖杯戦争がバンバン進んでくれるのは万々歳なんだけど、その過程を見逃しちゃってたのはちょっと残念かな――ん?」
そこまで言って、少女はモニターへ、顔をぐいいっと近づけた。
つい先ほど何処ぞの女神がやっていた以上に、『テレビを見るときは画面から離れてみてね!』という文句を完璧に無視したスタイルである。
ニマァ~~。そんなオノマトペが背後に浮かぶような、気味の悪い笑みを口元に浮かべる少女。
「と、何とかかんとか言ってると、ちょうど今から戦場になりそうな所を見つけたぜ」
画面から顔を離し、カシヤーンの方へ顔を向け、興奮した様子で画面を指さす少女。
「ボクって運が良いなあ! 幸運Aはあるんじゃないかな? あはは!」
瞼を開けば視界に入ったものすべてに『不幸の果ての死』を与える男の前でそんな事を言って、少女は右手の指をスナップした。
すると次の瞬間、彼女の右手には一本の箒が握られていた。
箒の穂先を床へと付けようとする少女に向かい、ルーラーは次のように言う。
「モニターで見ずに、直接現地へ向かうつもりか?」
「うん。これまで見逃しちゃってた分を取り返すために、生でガッツリ見てみたいからね」
「私が付いて行かなくて平気か?」
「ヘーキヘーキ! ちょっと離れた場所からこっそりと観戦するだけだから! それにキミには別の仕事を頼んでいるだろう? 使命を任せていると言ってもいい」
「? ……ああ」
カシヤーンは俯いた――否。床越しに、教会の地下へと顔を向けた。
「白雪の少女の保護、か」
「全く、忘れてもらっちゃあ困るぜルーラークン。いくら聖杯戦争の参加者に、この教会がルーラーにして聖人の根城だと知る人が居ないとはいえ、誰かがうっかりここに入ってくる可能性は、ゼロじゃあないんだからね。そんな不埒な奴らからここを――スノーホワイトを守ってくれよ?」
「そのルーラーにして聖人である私に、こんな仕事をさせるのはどうかと思うがな。魔女よ、貴様は『役不足』という日本語を知ってるか?」
「ボクだって本当はキミにこんな雑用をさせたくないさ――あの子たちが付いてきてくれれば、今頃彼らにこの仕事を頼んでいたんだろうけどねぇ」
唐突に、遥か昔の思い出を懐かしむような顔をする少女。
それは若き乙女が浮かべるには似つかわしくない、長年の経験を積んだ者のみが浮かべることを許される表情であった。
しかし、それも僅か数秒の事。
しばらくすると、少女はルーラーへと向き直る。
「というわけで、この仕事を頼めるのは、今の所キミだけだ。キミにはここでお留守番してもらうぜ」
「ふっ、まあ良いだろう。サーヴァント・ルーラーとして手に入れた力を、たかだか場所一つと少女一人の為に使ってみるのも面白そうだ」
「いや、面白い面白くない抜きで頼むよマジで。スノーホワイトはボクにとって、とってもとっても大切な子なんだからさ」
んじゃ、よろしく~――と。
そう言って、少女は改めて箒を構えなおし、サッと一回床を掃いた。
すると、次の瞬間には彼女の姿は綺麗さっぱり消え失せた――まるで最初からその空間に誰も存在して居なかったかのようである。
教会に残されたのは、黒きルーラーと主を失い消えてゆくモニターのみ。
モニターの画面には、市内の病院の光景が映されていた。
【教会/1日目 午前】
【ルーラー(カシヤーン)】
[状態] 実に健康。十全この上ない。自由に動ける地上生活で、ややテンションが上がっていると思われる。
[装備] 鎖
[道具]
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針: ???
1. 魔女の指示に従い、教会にて白雪の少女を見守る。
▲▼▲▼▲▼▲
ウェカピポが去った後で、突然生じた欠員をカバーするべく、警備員の配置換えがあったのか、それともかの同僚は現在昼休みの最中なのか。
どちらかは定かではないが、現場へと戻ってきたウェカピポを迎えたのは、先ほど別れた気の良い同僚ではなく、別の同僚であった。
いかにも不健康そうな瘦せぎすの顔をしており、クルクルと巻きの入った黒髪が特徴的な男である。
咳をしていた彼は、ウェカピポの姿を認めると、傍に近寄り、
「ゲホッ! ゴホッゲホッ!……戻ってきたのかウェカピポさん。今日はもう早退したのかと思ったぜ」
どうやら彼は責任者かあの気の良い同僚を介して、ウェカピポが早めに休んだ事を知ったらしい。
「体調が悪くなったから少し早く昼休みを取っただけだ……今はもう心配いらない」
ウェカピポはそう答えると、同僚の横を通り過ぎ、自分の持ち場に立った。
「危なかったなァ〜。ゲホウェホッ!……この時期に体調崩して、もし風邪なんか引けば、忘年会に出られない所だったぜ」
「……忘年会?」
「どちらかと言うと体調を崩して風邪を引きそうなのは、さっきから咳をしているお前なんじゃあないか?」と思いながらも、同僚の台詞の中にあった単語に、ウェカピポは思わず反応してしまった。
そんなイベントが開かれるだなんて、聞いていなかったからである。
「およっ!? もしかして知らねえのか? 先週あたりに連絡があっただろ? 来週はウチの会社の忘年会があるんだぜ」
こんな大事な予定を忘れてもらっちゃあ困るぜ――。
自分が知っている情報をウェカピポが知らなかったのがそんなにも嬉しいのか、同僚はこれ以上ない程に自慢気な表情をした。
それに多少の苛立ちを感じながらも、ウェカピポは考える――はたしてそんな情報を教えられた事があったのか? と。
勿論ない。
あったら、先程のような反応を取っていない。
クル毛の同僚は、忘年会の告知は先週に出されたと言った。
ウェカピポがこの冬木の町に呼び出されたのは、今週の始め辺りだったはずである。
故に、その情報をウェカピポが知らないのは仕方の無い事なのだ。
何せ、その告知が出された当時、彼はこの街に存在すらしていなかったのだから。
そもそも、ウェカピポは聖杯戦争が終わればさっさと故郷・ネアポリスへと戻り、聖杯の力で妹を幸せにするつもりである。
来週開かれる忘年会に出るわけがない。
(つまり、知っていようがいまいが、わたしにとっては意味のない情報というわけだな)
自分にこの冬木での役割設定や戦争の
ルールを一瞬にして『与えた』何者かも、そのような理由があって、忘年会の情報は与えなかったのだろう。
ウェカピポがそう結論付けた時。
「ん? 待てよウェカピポさん。そんじゃああんた、忘年会でやる余興の準備もしていないっちゅ〜事かい?」
「…………」
宴の席で一発芸や出し物のような余興の時間が設けられる事は、珍しく無い。
しかし、先程も言ったように、警備会社の忘年会の開催自体知らなかったウェカピポが、そのネタを考えているはずがないのだ。
いやそもそも、仮に忘年会の開催を知っており、出席する事になっていても、ウェカピポのようなユーモアとは縁が無い男が、余興の準備を整えられる事はないだろう。
「あちゃ〜、そりゃマズイな。忘年会に余興のネタ無しで参加するってのは、アレだ。『お気に入りのお菓子を持たずにピクニックに行く』ってくらいアホな行為だ。全然楽しくねー」
「忘年会があるのは来週なんだろう? だったら、当日までに何か考えておくさ」
そんなつもりはさらさらないが、ここは話を合わせておくためにそう言っておくウェカピポであった。
「だったらよォ〜〜〜〜、どうだい? 後で、俺が考えている余興のネタを見せてやろうか? この前、職場に来る途中で、踏み固められた路上の雪を見て思いついたギャグなんだが……パクるなよ? あくまで参考に見せるだけだからな?」
「いや、結構だ」
「チェッ!」
不満気に舌打ちする同僚。
もしや、こいつは始めから自分考案のギャグを披露したくて、わたしに忘年会の話をしたのか?――ウェカピポはそう推測した。
「なあ、ウェカピポさんよ。そういえばあんた、年末年始はどう過ごすんだ? 実家――祖国に帰るのか? ちなみに俺は帰らずに、アパートでダラダラと――」
「…………」
仕事中だというのに私語が一切減らない同僚に、ウェカピポは呆れた。
それと同時に、彼は同僚の「祖国に帰る」という言葉から、ふと思う。
この聖杯戦争を終え、自分が祖国――ネアポリスへと帰った後の事を。
聖杯の力で妹の視力を戻し、彼女に幸せな生活を与える。これはウェカピポの中で確定された予定だ。
では、彼自身は、祖国に帰った後、どう過ごすのだろうか?
ネアポリスに住まう人々からすれば、ウェカピポは、妹の夫と決闘したかと思えば、突如消え失せ、一人だけ帰国して来たように見えるだろう。事実、その通りだ。
そんな謎深い人物を、ネアポリス国民はどう思うか?
不気味だ――と思うはずだ。
そのような周囲の視線を浴びながら暮らす今後の生活は、少しばかり不便になるだろう。
そんな風に自分の今後の生活を想像し、憂いたウェカピポであったが、そんな事を言うならば、彼の妹の夫はどうだろうか?
ウェカピポの妹を殴りながらヤリまくり、また、決闘の末にウェカピポに執拗な暴行を与えた人間の屑であるとは言え、祖国から遠く離れた未来の異国にて何が何やら分からないまま惨死した彼の事を考えて、ほんの少しも憐憫の感情を抱かないほど、ウェカピポは冷血ではない。
出来る事なら義弟の遺体をネアポリスへ持ち帰り、祖国の地の下に埋めてやろうかと思ったほどである。
だが、現代日本において、一般人が成人男性の遺体を数日間隠し持ち続けるのは不可能なのだ。
そういう事情があり、冬木市に呼び出された直後――義弟が死亡した直後、ウェカピポはシールダーとの話し合いの末、義弟の死体を海に遺棄する事に決めた。
まだ日の姿も見えない早朝未明。どこかから聞こえてくる烏の鳴き声。寒気を孕んだ潮風――。
そんな中、義弟の死体を入れた袋を海に投げ捨てたのを、ウェカピポは今でもはっきりと覚えていた。
一応、せめて遺品の一つは持ち帰り、義弟の家族の元に届けてやろうと思い、彼が首元に巻いていたスカーフ――シールダーによる攻撃で切り裂かれていたが――を回収し、今でも鞄の中にしまっている。
だが、ネアポリスに帰り、義弟の家族にそれを渡す時、彼らはどんな顔をするのだろうか。
ウェカピポはどんな顔をすれば良いのだろうか。
分からない。
(そもそも、私はまだ聖杯戦争で優勝どころか、どの参加者とも本格的な戦闘を行っていない。今はまだ、そこまで先の事を考えるべきじゃあないだろう)
取らぬ狸のなんとやら、と言うやつだ。
と、そこまでウェカピポが考えた時。
『マスター』
彼の脳内に、女の声が響いた。
マスターとサーヴァントの間で行われる会話――念話による現象である。
発言主――巨人王のシールダー、
ベンディゲイドブランは、突然の念話で緊急事態である事を匂わせつつも、落ち着いた口調で、次のように言った。
『近くにサーヴァントの気配を探知した。どころか、そのサーヴァントはこの病院へ真っ直ぐ向かって来ている』
『なんだと?』
『向こうが既に私たちの気配を察知したのか、それとも元から病院に何か目的があるのか定かではないが……どちらにせよ、衝突は避けられまい。移動速度からして、「たまたま気配を察知したサーヴァントの元へ向かい、同盟を組もうと考えている」という雰囲気ではないからな……。私は外へ向かい、それを迎え撃とうと思っている。マスター、貴方は?』
『…………』
病院の混み具合を見た所、院外にも相当の人が居るだろう。
たとえ、シールダーが病院の外で迎え撃とうとも、相手サーヴァントとシールダーの戦闘の影響が、病院にまで届かないとは限らない。
誰か、聖杯戦争の事を知っている人物が一般人の保護に回らなければ、大多数の人間が混乱を起こす事になるはずだ。
ならば、聖杯戦争の参加者にして、元は護衛官、現在は警備員という守護る者であるウェカピポが取るべき行動は、一つしかあるまい。
▲▼▲▼▲▼▲
『――ガガッ、てのニュースです。――内のテレビ局に、ズズズガッ、――ガガガ……』
「あちゃあ、前々から調子が悪かったが、いよいよオシャカになっちまった」
ルームミラー越しに、後部座席に座る客の男性へ申し訳なさそうな顔を見せながら、タクシーの運転手の男は、今やノイズのみを流してるカーラジオのスイッチを切った。
「へ、へへへっ、すいませんお客さん。ただでさえ暇になりがちなタクシー移動で、ラジオが壊れてしまうだなんて。よければ、私が何か面白い話をしましょうか? この仕事を始めて長いんで、そういうネタは沢山ありますよ。最近ではですね……ああそうそう。昨日、夏場でも着ないくらいに丈の短い和服を着た、ナイスバディのお客さんが――」
「いや、結構だ。運転に集中してくれ」
「……はい」
ラジオが壊れたとはいえ、運転手が雑談を始めようとしたのは、何も彼が自分の仕事に対して不真面目だからという訳ではない。
単に、彼は気まずかったのだ――後部座席に座る客と、静かな車内で二人きりで居るのが。
客の名は×××××――我々が『ウェカピポの妹の夫』と認識している男だ。
彼の片目には大きな眼帯が付けられており、見るからに不気味な印象を感じさせられる。
加えて、ウェカピポの妹の夫の左頬は殴られたような痣があり、左腕は折れていた。
タクシーではなく救急車に乗るべきなのでは、と思うほどの重傷である。
いや、この場合、彼が運転手に告げた目的地は市内の病院なので、結果的に着く場所は、タクシーであっても救急車であっても同じなのだが。
ともあれ、そんな満身創痍を絵に描いたような怪我人の前で、ラジオが壊れたのだ。不吉この上ない。
だから、運転手は、申し訳なさと気まずさを感じ、先程のような行動をつい取ってしまったのである。
一方、ウェカピポの妹の夫は、ラジオの故障にそこまで不吉さを感じていなかった。
いや、正確に言えば、そんな事を気にする余裕がないほどに、彼は左腕の痛みに苦しんでいたのである。
痛みから気を逸らそうと、彼は右横の窓の外へと目を向ける。
窓の外には、雪化粧で白くなった街の景色が広がっていた。
(こんな怪我をして、『聖杯戦争』に参加させられていなければ、この景色を楽しんでいたかもしれないな……)
高速で左から右へと流れて行く景色を眺めつつ、そんな事を考えながら、視線を横の窓からフロントガラスへと向けるウェカピポの妹の夫。
(…………? なんだアレは?)
彼の視界の先――タクシーよりも百メートル以上前方に、何かが見えた。
それは建物の屋上から屋上へと跳ねるようにして移動している、四足歩行の動物であった。
その全長はちょっとした大型肉食獣程はあり、全身は赤く染まっている。
だが、残された半分の視界を凝らしてよく見てみると、それが肉食動物ではなく、人間である事が分かった。
(いや、そもそもあれは――)
ウェカピポの妹の夫の脳内に、今朝得たある情報が蘇る。
聖杯戦争の主催者からの手紙――それに記されていた討伐令。
討伐対象として開示された四枚の写真の一枚に写っていたバーサーカー。
それとあの赤い獣は、外見の特徴が、ピッタリ同じではないか!
(……マズイな)
討伐すれば令呪の一画が与えられるとされているバーサーカーを見て、ウェカピポの妹の夫が抱いた感想は、そのようなものであった。
(あちらは数多の人間を食らって腹一杯な獣のバーサーカー。一方、俺のバーサーカーは、魔力を消費したばかりで十全に戦える状態じゃあない。俺自身は言わずもがなだ。こんな状態で、もし戦闘になれば、勝つのはどちらかなど、教育を受けてない貧民のカスでも答えが分かる話だろう)
しかも、獣のバーサーカーが向かう先にあるのは、ウェカピポの妹の夫も向かおうとしている病院がある方向ではないか。
このままタクシーが進んで行けば、ウェカピポの妹の夫達は、獣のバーサーカーと接触する事になる。
これに気付いた途端、ウェカピポの妹の夫は頭を抱えた。
後部座席で客がそんな事をしたのだから、元々あった不安が更に高まったのだろう――タクシーの運転手は心配そうな口調で、
「だ、大丈夫ですか? 具合がよろしくないようですが……」
「こんな状態で具合が良いわけないだろ……それよりも、目的地の変更だ。今すぐ道を曲がって、別の道を走ってくれ。そして、病院ではなく、そこから少し離れた適当な場所にタクシーを停めてくれ」
「はあ、それは構いませんが……」
「直接病院に行かなくて大丈夫なのだろうか?」と思いながらも、運転手は客の指示に従い、次の曲がり角を左に曲がった。
(とりあえず、これで獣のバーサーカーとカチ合う事は無くなった……か)
後は、離れた場所から病院を観察し、獣のバーサーカーが通り過ぎるのを待つだけである。
敵わぬ相手に対して、おどおどと隠れるような行為は、ウェカピポの妹の夫のプライドを痛く傷つけたが、しかし今はほんの少しの判断ミスが命の危機に繋がる事態――時にはプライドを抑えなくてはならない。
(そもそも何故ヤツは病院へ向かっているんだ? 病院、あるいはその先に、何かあるのか?)
考えてみれば奇妙な話だ。
人喰いの獣であるはずのバーサーカーが、道を歩く人々に目もくれず、病院へと向かっているのだから。
(……まあ、畜生風情のバーサーカーが考える事など、俺に分かるはずがないか)
そう考えるウェカピポの妹の夫。
バーサーカーの思考は読み取れない――彼のこの考えは、これ以上なく正鵠を射ていた。
何せ、ウェカピポの妹の夫は自身が従えるバーサーカーの思考すらも、マトモに理解していないのだから。
獣のバーサーカー以外のとあるサーヴァントの気配を『直感』的に探知し、低く「Faaaa…………」と唸っている赤のバーサーカー――
モードレッド。
彼女が何を考え、これから何をしでかすかを、ウェカピポの妹の夫は、まだ知らない。
▲▼▲▼▲▼▲
病院の正面玄関から出て、霧に隠れるようにして実体化したベンディゲイドブランは、赤い弾丸と化してこちらへと向かってくるサーヴァントの姿を視認した。
(あれは確か、討伐対象の……!?)
姿を直接目にした事で、ベンディゲイドブランは、気配を発していたのは討伐令の写真で見た獣のバーサーカーであった事を知った。
そしてそれと同時に、国剣『イニス・プリダイン』を握る彼女の手に、更に力が込められる。
討伐令の手紙にて、獣のバーサーカーがした外道極まる所業を、ベンディゲイドブランは知っていたからだ。
たとえ、その犯人が理性なき獣であるとは言え、無辜の民を傷つけ、殺し、喰らった事は許せる事ではない。
故に、彼女がこれから取る行動はただ一つ――獣狩りである。
(しかし、ここで戦えば、無関係の人々まで巻き込む事になる。後で私を追って来るマスターが、一般人の保護に回るとは言え、この場での戦闘は避けたい所だ)
そう考えた彼女は、自分の身体を霧に変化させ、文字通り疾風の速度で、獣のバーサーカーへと向かって行った。
百メートル以上はあった両者の距離が、わずかゼロコンマ五秒でゼロになる。
「█ ██!?」
霧からの登場という、大道芸宛らな行為に、理性無き狂獣も流石に魂消たのか、その時着地していた屋上で脚を急停止させた。
続けて、突如出現したベンディゲイドブランから距離を取るように、バックステップをする。
その隙を狙うかのようにして、黒きシールダーは、出現から一秒と経たぬ間に、盾と見紛うほどの巨剣を横薙ぎに振るった。いくらバックステップで距離を取っても足りない程に、その剣の間合いは長大であった。
ベンディゲイドブランが放った攻撃は、マトモに当たれば鎧を着込んだ戦士であっても、鎧ごと粉々になるほどの威力が込められた一撃だが、ジェヴォーダンの獣は、剣の腹に下から突き上げるようにして前足蹴りを入れる事で、その軌道を逸らす事に成功。バーサーカーとしての並外れた筋力あってこその妙技であった。
獣の頭部すれすれを過ぎ去っていく剣。その下を潜るようにして、バーサーカーは完全にガラ空きになったシールダーの腹へと迫る――!
だが。
「やはり、狩りの常套は――罠だな」
巨人王がそう呟いた瞬間、獣が触れている屋上から、何本もの針が真上に向かって突き出た。
否――それは正確に言えば針ではない。
氷柱だ。
身体が水の属性を持つベンディゲイドブランは、屋上に辿り着くと同時に、自分の身体の一部を液体の状態で周囲に散布。獣がそれを踏むと同時に、氷柱となるよう、予め罠を張っておいたのだ!
巨剣による必殺の一撃と氷柱の罠の二段構えとは、流石百戦錬磨の英霊と言ったところか。
王である以前に戦士でもあった彼女にとって、この戦法は初歩的でシンプルなものであった。
四肢と胴体を氷柱で貫かれた獣は、激痛に顔を歪め、呻き声を上げる。
必死に身体を動かして拘束から逃れようとするが、それを許すような軟さを、ベンディゲイドブランの氷柱(からだ)は持っていない。
バーサーカー特有の怪力で氷柱を砕いても、次の瞬間には、その氷柱はヒビ一つなく完全に修復されていた。
「長く苦しめ――とは言わん。だが、その命を以って、人々の犠牲を償って貰うぞ、バーサーカー」
ベンディゲイドブランはそう呟き、獣の首に向かって剣を構える。
まな板の鯉すらぬるく見えるほどの絶体絶命が、其処にはあった。
▲▼▲▼▲▼▲
「ジェヴォーダンの獣。
「その正体は、大型の狼。
「あるいは、ハイエナ。
「もしくは、UMA。
「果てはそれを殺した猟師、ジャン・シャストルの自作自演だった。
「と、種類様々な説がある。
「しかし、まあ、真相はそのどれでもなく、『肉体改造を受けた人間』だったとはねぇ。
「今時、大学生の自主制作映画でも使わないような、チープすぎる設定だぜ。
「あらら、大昔の化物に対して、『今時の』なんていう喩えは使うべきじゃあなかったかな?
「ともあれ、チープだからこそ、恐ろしい部分もある。
「安上がり(チープ)な都市伝説(
フォークロア)の恐ろしさは、この数日間で散々目にしたからね。
「ジェヴォーダンの獣の場合、『肉体改造』という人工の手段によって得た――というよりも得てしまった――人並外れた身体能力の高さが、恐ろしさの一つであると言えるだろう。
「しかも、現在の彼女は、素のステータスに加えて、バーサーカー化による補正まで入っちゃてるからね。
「超強くなってるじゃん?
「そういえば、この前スノーホワイトに、カメハメハを『単純なステータスだけなら、今聖杯戦争最強のサーヴァントだ』と紹介したけど、獣ちゃんなら、あの南国の大王さまと殴り合いしても、中々良い勝負出来ちゃうんじゃあないかな。
「――いや、違うか。
「彼女の場合、勝負の手段は拳による殴り合いじゃあなく、牙による噛み付きだね。
「宝具になっている『赤血の捕食者(ベッ・ドゥ・ジェヴォーダン)』がまさにそうだぜ。
「――おっと。
「なーんて話をしていると、丁度今――」
▲▼▲▼▲▼▲
ブリテン島に似た形の剣、イニス・プリダイン――自分の誇りを乗せた得物を、目の前のバーサーカーの首へと向ける。
バーサーカーは、命の危機から逃げ出そうと必死だが、冷え固まった血が氷柱と合体した状態で、それは無理な話であった。
(マスターは今頃一般人の保護をしているだろうが、それは杞憂だったかもしれないな)
あまりにも早くついた勝負の決着に、ベンディゲイドブランはそう考えた。
初の対サーヴァント戦であったので、その被害規模や戦闘時間がどれほどのものになるのか、彼女自身把握していなかったのだが、まさか一分足らずで終わってしまうとは。
所詮相手はサーヴァントであるとはいえ、英雄とは言えない獣――ならば、寧ろこれが当然の結果だったのだろうか?
そんな疑問を頭に浮かばせながら、ベンディゲイドブランは、いよいよトドメを刺すべく、地に伏す獣を見下ろす。
獣の形相は、痛みからの苦しみと、ベンディゲイドブランという敵対者への敵意を混ぜに混ぜ合わせ、ぐちゃぐちゃにした、この世のものとは思えないそれであった。
口の端からは血が何滴も滴り落ち、唇の隙間からは赤く染まった歯が覗く。
そう。
歯が、覗いていた。
瞬間。
いきなり、何の前触れも前兆もなく、あっさりと、あっけなく、簡単に、刹那の時間もなければ微塵の予感もなく。
ベンディゲイドブランの頭は――爆散した。
最終更新:2017年06月28日 12:26