石井弘寿
- 1995年のドラフト4位で指名され、現・日ハムコーチの三木、宮出らとともに入団。
- 高校のときはエース兼強打の5番打者として活躍していた。
ちなみに高校は憧れの石井一久と同じ高校に入学したが、実は石井一久は別の高校の出身だったことが入学後に判明したことは有名なお話し。
横浜の相川捕手とは、1年先輩にあたる。 - 背番号も石井一久の背番号「16」をひっくり返した「61」を愛用しているが、石井一久が西武へ移籍し「61」を選択したため奇遇にも同じとなった。
- あだ名はゴリ(さん)
- カツオの靴にカレーパンを仕込むなど、おちゃめな事で知られる。
- 左投げだが日常生活は右利き。
- 同僚の五十嵐亮太と合わせて、「ロケットボーイズ」を形成する。
- 持ち球はやはり最速155km/hの直球とスライダー。これで三振の山を重ねる。
左投手の最速155km/hは今のところNPBでNO.1の記録。 - メジャー思考が強い。 ・・・メジャー行かないでほしいな。
- 入団してからしばらくはパッとせず、野手転向を示唆されたこともあったが、2000.5.3の広島戦では先発し、ようやく初勝利。
- 2001年は初めてリリーフに専念。4.24の中日戦でプロ初セーブを挙げる。この年は日本シリーズでも登板し1回を無失点で無難に抑えた。
- 2002年はまさに飛躍の年で、セットアッパーでリーグ最多の69試合に登板、6勝2敗5S・防御率1.51で最優秀中継投手賞を受賞した。
- その後も脇腹痛を抱えながらも、セットアッパーで期待通りの活躍を見せる。
その活躍が認められてか、2004年にアテネ五輪日本代表に選出される。 - 2005年は五十嵐の故障と不調でクローザーへに転向。61試合に登板し、4勝3敗37S・防御率1.97はお見事としか言いようがない神っぷり。
- しかし2006年にWBC日本代表に選出されるも左肩を故障し本戦を辞退。
さらに戸田軍で5試合、1軍は11試合の登板に終わり、この年のオフに手術を受けた。 - その後はリハビリに専念し復帰を目指すものの、流れに流れ、やくせん民は「いつ復帰するんだ。」との声が絶えなかった。
- そしてついに2008.9.27の戸田軍の最終戦で777日ぶりの実践復帰を果たすものの全盛期にはまだほど遠く、自慢の直球のスピードが…。
- 2009年にはTVでリハビリに励む姿が放送され、復帰登板は夏頃となりそうとのことで住民の期待度は一気に高まる。しかしブルペンで投げているとの現地情報は入るがなかなか登板がなく、共用スレで他球団ファンからもゴリさんの状態を聞かれることも多かった。
- そんな中、7月15日のファームの浦和戦で2番手として2009年実戦初登板!1回を被安打1 与四球1の無失点で抑える。変化球中心の投球内容であったが、昨年よりもストレートの球威は戻ってきているとの情報も。
- この年も1軍登板はなかったが、13試合に登板し0勝1敗で防御率5.25。投球回数は12回に留まるも、直球は140Km/h台後半まで回復。
- その後もCS前の練習で左対策として1軍に合流、シートバッティングに登板。秋季キャンプも9年ぶりに参加。ブルペンで投げる姿がTVで放送される。
- 左投手が少ないチームの事情、五十嵐の移籍により監督も中継ぎ投手陣のキーマンとして、特にポスト五十嵐(イムへ繋ぐセットアッパー)として期待。
- 故障を再発せぬよう2010年シーズンの開幕を無事に迎えて欲しいものである。