衣川篤史
- 2006年の大・社ドラフト4巡目で高市、西崎とともに入団。
- 社会人時代は岡本と同じく会社(チーム)の活動休止などの煽りを受け、チームを転籍した苦い経験がある。
そんな経験を経て社会人4年目となった2006年の都市対抗野球で1試合4盗塁全阻止をしたことで、その強肩に一気にスカウトの注目を浴びこととなった。 - 短い1軍登録期間でヒロインを2回経験するなど勝負強いバッティングを見せ、もっとマスクをかぶらせてほしいとの声も多い選手。
- ただ盗塁阻止に関しては1軍でそもそも二塁へ投げようとしていなかったこともあり、不安視する人もいる。
上記4盗塁阻止に関しては、「その試合でバッテリーを組んだ現ロッテ・荻野のクイックがうまかっただけでは?」という説も…。
突然の一軍昇格
- 2008.05.13の中日戦で突然の1軍昇格、即スタメンマスクを被る。
- 当時福川の骨折が判明、川本は怪我のため戸田軍で調整中、そんな捕手不足のチーム状況で首脳陣が白羽の矢を立てたのが米野ではなくこの衣川だった。当日の先発は戸田軍でバッテリーを組んだこともある川島亮だったのも大きかった模様。余談だがその日のスタメンはファーストリグス、レフト武内、そして1軍昇格即スタメンマスクの衣川と突っ込みどころ満載でスタメン発表時やくせんは軽く騒然となった。
予想に反して(?)結果は上々。その後もスタメンマスクが続いた。 - しかし5月下旬コアラが復帰。今度は衣川自身が肘に違和感ということで戸田行きとなる。
…お前もスペかっ!
- 2008年はそのままシーズンを終え、17試合出場、打率.262・1HR・8打点であったが、打ったヒット11本は全てシングル。それより12三振は多いんじゃ…。
ちなみに戸田軍では44試合出場、打率.302・2HR・ 10打点で盗塁も1つ決めている。 - 2008年の成績を見ると、1軍での三振の数は気になるが打撃が上手くチャンスに打てる短・中距離打者のイメージ。前出のとおり勝負強いという点ではどんぐりーずより上であると思われるが、逆に課題はやはりリードとキャッチングか?
- 2009年もシーズンの大半を戸田で過ごし飽和状態の捕手陣の中で、なかなか出場機会に恵まれず、DHや途中出場が主体、ファーストでの出場も2試合あった。
- 1軍にお呼びがかかったのはシーズン終盤に疲労性腰痛となった仏と入れ替えで9.3。3試合出場、2打数0安打・1四球で9.20に静かに戸田行き。
- 2度目の1軍登録は左ヒザ痛を発症した武内と入れ替えで10.7。当日の横浜戦で代打に出場するもノーヒット。このままシーズン終了かと思われたが、10.12の読売戦で8回の裏にこの日引退試合となったポチが1アウトから2塁打で出塁すると、デントナが四球(代走:福地へ)、魔将がライトフライで倒れたところで川本に代わり代打で登場、越智からライト前同点タイムリーを放ち、ポチをホームに返す大仕事を成し遂げた。
- 2009年の1軍成績は5試合で1安打のみ。
戸田軍での打撃成績も51試合出場、打率.227・4HR・20打点と、前年の成績を大きく下回る。しかし、前出の10.12の読売戦で放った1安打は2008年に見せた勝負強さを思い起こさせるものがあった。
- 2009年シーズン終了後も秋季キャンプに参加、春季キャンプは浦添組(1軍)でスタート。特に打撃面の活躍に期待。