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押本健彦

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押本健彦


  • 2003年にドラフト4巡目で日ハムに入団。
    ヤクルトでは亮君さん、青木、まさるさんらと同期にあたる。
  • 押本の経歴中央学院高校ー日産自動車って高校から社会人いけるのかよwwwwwwwww
  • …とはいいつつも、社会人野球では2003年の日本選手権大会優勝に大きく貢献した実績を持つ。
  • どうやらいじられキャラらしい。

  • 日ハム在籍時は、主に早い回からのロングリリーフとして登板する中継ぎの柱として活躍。2006年は5勝0敗・防御率1.50、2007年は10試合連続無失点を記録し、自己最多の36試合に登板。防御率は4.60と悪化したものの奪三振率が9.38と非常に高かった。

  • 2008年1月に、afo・ヤタロー・三木との3対3トレードで日ハムからKZ・ハッシーとともに移籍してきた。
  • 持ち球はやはり最速150km/hの低めに集めるストレート。他にスライダー、チェンジアップ、フォークボールなど多彩な変化球を持つ。
  • それよりも連投をいとわない、タフな投球が持ち味。
  • 2008年は開幕当初から1軍の座を掴み主に8回を抑えるセットアッパーとして登板。安定したピッチングを魅せ、5月にはマツケン、イムと併せ、勝利の方程式「MOL」の一角を担い、中継ぎエースとして定着した。
  • 20試合以上登板してもなお防御率0点台を維持し、開幕より24試合連続無自責点で話題になったが、登板過多がたたったのか7月頃から救援失敗が目立ち始め、疲れからか大量失点をすることが多くなり防御率が3点台に跳ね上がってしまい、中継ぎエースの座はマツケンへ…。
    このシーズンは67試合登板・5勝6敗1セーブ・27ホールド・防御率3.34だった。

  • 2009年は先発投手不足解消のため開幕前にオープン戦でテストを行う記事が出て住民から心配の声も上がったが結局は実現ならず。
  • 開幕は1軍からスタートしたものの、やはり2008年の後半の調子を引きずっている様子。更にマツケン、五十嵐、イムの活躍で前半は敗戦処理やビハインド時のロングリリーフでの登板機会が多かった。2008年の同時期ほどではないものの悪いながらも、登板した試合は全て自責点1以下で抑えてたが、6.2に右肩疲労で戸田行き。6.25に再登録。
  • AS明けチームが大失速に陥り、五十嵐、イム、マツケンも疲労等が原因で調子を落としていく中、徐々に以前の投球に戻りリードしている場面での登板機会も増えていった。
  • 9月には、一向に解消しない先発投手不足から9.5の読売戦で2005.6。8以来の先発マウンドへ。しかし結果は5回1失点で敗戦投手に…。続く9.12の中日戦に先発するも6回3失点で2連敗。両試合とも不安とは裏腹に好投したものの、打撃陣の拙攻が悔やまれる。
  • CS争いが激化した9月中旬以降は、戸田行きとなったマツケンの代役を果たし、CS進出に貢献。
  • 2009年は終わってみれば51試合登板・2勝6敗1セーブ・12ホールド・防御率2.67。シーズン前半、後半ともに起用方法は異なれど防御率2点台でまとめたのは流石であった。

  • 本人は年間通して投げられなかったのを反省点に挙げており、右肩痛の経験から打たせて取る投球にモデルチェンジ。球数を減らして年間通じて投げられるようにするとの報道もある。

  • マツケンと同様にチームには欠かせないセットアッパー。情報によると「隔年投手」らしいので、2010年は2008年前半の再来を期待してみよう。


  • 2010年は押本の登場曲が話題に。
  • 6月22日の巨人戦にテレビ中継でで押本が登板。そして全国のお茶の間に流れた曲はエヴァ覚醒時の音楽・・・。
  • もちろんやくせんは騒然。これまでまことしやかに囁かれていた押本オタク説が現実のものに(実は週べのインタビューで、マツケンがアニメ王と発言している)。
  • 当時押本は出るたびに打たれるような登板が続いていて、この曲を敗戦のテーマと呼ぶ人まで現れる。
  • おそらく今後やくせんでは押本はオタクキャラになるんだろうな。

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