荒木大輔
- 1982年、巨人と競合の上ドラフト1位で入団。
同期入団として元巨人の斎藤雅樹、駄洒落職人川相さんらがいる。 - 高校1年生のときから夏の甲子園に出場。以降、春夏5季連続で甲子園に出場し「大ちゃんフィーバー」は社会現象となり、新生児の名前に「大輔」が流行した。
MLB R.ソックス 松坂の母親も荒木の大ファンで、「大輔」と命名したのは有名なお話し。
- プロ入り後も絶大な人気で、ファンの混乱を避けるために神宮球場のクラブハウスと球場を結ぶ地下道が作られた。これを「大輔トンネル」と呼び、今もヤクルトの選手が球場に向かうときに使用することがある。
- 4年目の1986年にやっと先発ローテーション入りし、オールスターゲームにも出場する。1987年にも10勝を挙げ主力投手として期待されていた。
- しかし1988年シーズン中盤にヒジ痛を発症し手術を受ける。1989年にも再手術、1991年には椎間板ヘルニアの手術も受け、丸4年プレイすることができなかった。
- 1992年9月に1541日ぶりの1軍登板を果たす。この復活登板が阪神とのな優勝争いを繰り広げていたチームに団結力を与え、14年ぶりの優勝を遂げる。
1993年もリーグ連覇、日本一に貢献した。 - 1995年は1軍登板が無くチーム構想から外れ、同年オフに横浜へ無償トレードしたが、横浜でも結果を残すことができず1996年にひっそり引退…。
- 現役通算成績は180試合登板・39勝49負2S・防御率4.80だった。
- 引退後は野球解説者などを経て、2004年より西武の投手コーチを4年間務めたが、2007年、成績不振を理由に伊東監督と一緒に投手コーチを辞任。
- 2008年に総統の監督就任とともに、古巣ヤクルトの1軍投手コーチに就任した。
- 前年まで在籍していた西武ファンからは「荒木登場は炎上フラグ」と揶揄されるなどあまり西武での評価は高くなかったようである。
- しかし2007年にakmtのもとで投壊を経験し、また2008年から新しい必勝リレーが確立されたこともあり、やくせん住人は「そら(投手コーチが出る場面なら)そうよ(炎上も増えるわ)」とあまり気にしていない。
- 荒木登場といえば、韓国人投手登板の際に共に現れる慎通訳の腰に手を回し、ずっとそこを撫でたり叩いたりしながら作戦を指示しているのがエロスwとやくせん民の間で密かに話題になっている。
- 甲子園のアイドルも今やおっさんである。
- 松岡の覚醒は配置転換によるところが大きく、松岡を中継ぎで起用した荒木を評価する向きもある。
- 村中の育成に非常に熱心で、村中が登板した試合における大本営コメント出現率が非常に高い。
- 2008年オフの秋季キャンプでは、特に巨人戦で大きく負け越した(6勝18敗・防御率5.41)ことが悔しかったらしく、(1)強化指定(2)指定(3)普通の3組に分け、鬼のような練習メニューを考案、強力打線に動じない精神力を鍛えている。
よすのるを始めとした強化指定組へは、打ち上げまで「休みなし!」と宣告するほど。 - 更には若手投手を1人ずつ呼び出し、(1)今季の反省点、(2)技術面・精神面の課題、(3)練習量のノルマ設定を徹底的に話し会う予定で、本人も「どうやってビビらせようかな…」と不気味な演出も考案しいてるらしい。
おそろしや…。
.:ハ_ハ:ハ_ハ:
:(;゚ω゚)゚ω゚;): コワイよー
:(´`つ⊂´):..
:と_ ))(_ つ
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