八木沢荘六
- 信頼と安心のの早大から1967年にドラフト1位で東京オリオンズ(現・千葉ロッテ)に入団。
- 1973年には太平洋クラブライオンズ(現・西武)戦で完全試合を達成。7勝1敗で最高勝率を獲得。
- 1967から1979年の現役期間で通算71勝66敗8セーブ・防御率3.32だった。
- 現役引退後は1980年ロッテ投手コーチ、1981から1991年まで西武の1軍・2軍投手コーチ、1992から1994年途中まで千葉ロッテ監督、1995年横浜の2軍投手コーチを務める。
- その後、解説者を経て1998年巨人2軍投手コーチ、1999から2001年まで阪神1軍投手コーチ、2004年オリックス1軍投手コーチ、2006年東京ガスの投手コーチを経て、2008年より山部とともにヤクルト2軍投手コーチを務め、現役のときに得意にしていたチェンジアップをイガスコらに伝授しているらしい。
- 現役時代、2008年にフィラデルフィア・フィリーズをMLBワールドシリーズ制覇に導き、当時近鉄に在籍していたC.マニエルのアゴを複雑骨折させたのはこのお方です。
ちなみにC.マニエルはその後手術、アメフトのヘルメットを被って復帰、強行出場したのは有名なお話し。古参のやくせん民でしたらご存知のはず。
若いやくせん民はお父さん、お母さんに聞いてみよう! - しかし当時この件でかなり険悪だったC.マニエル氏と八木沢氏が、時期は違えどヤクルトに在籍するとは….