佐藤真一
- 1992年のドラフト4位で福岡ダイエーホークスから指名を受け、27歳でプロ入り。
ヤクルトでは伊藤(智)、真中、山本樹らと同期入団。 - 「サトシンさん」の名でやくせん民らから呼ばれている。
- 学生のときは常に学年でトップクラスの成績だったらしい。
- 社会人のとき、1992年のバルセロナオリンピックに小久保や伊藤(智)達と共に出場。
3番・外野手で銅メダル獲得に貢献した。
- ルーキーイヤーから1軍で56試合に出場も打撃がパッとしなかったがフレッシュオールスターゲームには出場した。
- その後も打撃不振が続き、1995年オフに田畑と共に、柳田・河野との交換トレードでヤクルトに移籍した。
- 移籍後は守備堅め中心の起用が多かったが、1999年はシーズン途中から3番に定着。
この年は113試合出場・打率.341・13HR・48打点・10盗塁と覚醒!
ちなみにこの年に25試合連続ヒットを打っており、現在もチーム記録である。 - 2000年も活躍が期待され開幕から3番レフトでの起用が続いたが、また打撃不振に陥り戸田行き。日本一になった2001年は丸ごと戸田生活…。
- 2002年は2001年に3番を務めた稲葉が不振で、5月に1軍に昇格し一時代役を務めるも、1999年の成績とは程遠かった。
- 2003年、2004年も代打、時々スタメンで1軍中心でプレーし、特に2004年は40試合出場にとどまるものの、打率.323・13打点と好成績を残す。
- 引退は2005年。移籍選手では珍しく引退セレモニーを行った。それだけファンからも愛され、チームメイトからの人望も厚かった選手であったともいえる。
- 現役の通算成績は629試合出場し、376安打・打率.261・36HR・155打点で、40歳までプレーした。
- 「2000年代前半のバックナンバー 8 はサトシンさん」と思い起こす住民も多いことでしょう。
- 引退後もチームにコーチとして就任し、2009年からは1軍打撃コーチへ。
現役のときに見せたパワーある打撃と、勝負強さを若手に継承したってくれぇ!