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宮出隆自

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宮出隆自


  • 1995年ドラフト2位入団。
    同期入団は、三木(現ファイターズコーチ)、カツノリ、ゴリとなんか濃い面子。
  • もともとは投手として入団、その後膝の怪我もあり2002年野手転向。
  • ヤクルトに少ない和製大砲候補として頭角を現し始める。
  • 2006年にはラミレス・リグス・ラロッカの外国人助っ人らとともに打線を牽引し交流戦2位の原動力となった。
  • 2007年は、メジャーに移籍した岩村の穴を埋めるべくサードにも挑戦したが結果は…。
    結局サードの座は飯原に譲ることになり、自身はリグス不在の穴を埋めるべくファーストにつくことになった。
  • 2008年開幕では一塁にはリグスが復帰、飯原はレフトに入ったものの空いたサードには川島慶が入ったことによりチャンスを逸する。
    リグス・ガイエルの不振もありスタメンの機会もあったもののチャンスを掴みきれず、畠山・福地のスタメン定着によりスタメンの機会は激減。代打起用が増えたがそこで結果を残せず戸田軍行きに…。
  • でかいおとこ。でかくて心優しい巨神兵。優しすぎるが故にもう一皮向けない。
  • 現在は右の代打不足というチーム事情から復活を望む声や心機一転やり直すためにトレード要員にという声まで、やくせん住民の間で意見が分かれていた。
  • 毎年と言っていいほどキャンプやオープン戦では絶好調であるため、「練習試合の鬼」や「春の宮出」と呼ばれた。

  • 2009.3.23にWBC決勝進出に沸く中、突如楽天の一場靖弘投手とトレードが成立する。
  • この突然のトレードに本人も「突然だったので、びっくりしている。13年間お世話になったヤクルトは、自分を育ててくれた球団なので、すごく感謝している。楽天に行ったら、楽天のために一生懸命頑張りたい」とコメント。

  • ヤクルトでの通算成績は以下の通り。
    投手成績:49試合、6勝5敗・防御率4.73
    打者成績:520試合、1,328打数・371安打、打率.279・33HR・180打点・10盗塁

  • トレードに出されたとはいえ、チームへの愛着はかわらず。2009年10月12日には、城石花田両名のの引退試合に駆けつけた事がつば九郎のブログより判明。

  • 移籍先での楽天でも主に対左投手要員として、また1塁や外野での守備固めなど1軍でコンスタントに出場。
  • そしてプロ入り15年目の2010.5.8に、1軍での出場選手登録日数が8シーズンに達し国内FA権を取得したと報じられた。

  • 2010年シーズン、宮出は不振にあえぎ、一軍と二軍を行ったり来たりのシーズンを送った。
  • その年、楽天は成績不振を理由にブラウン監督を解雇。後任に星野仙一氏を迎える。
  • これに対し宮出は「星野監督がいらっしゃると厳しい練習になると思うが、一生懸命頑張る」と前向きなコメントをニッカンスポーツに残した。
  • やくせん民はこの報道に「成績が成績だからどうなるかと思ったが、これなら来年も宮出が見れそうだ」と安堵していた。
  • が、その翌日。楽天の公式HPより宮出を戦力外通告したとの発表が…。
  • このニュースにやくせん民は愕然。呆然。
  • ヤクルトには右の強打者が不足しているとのこともあり、やくせん内では直に獲得するよう求める声があがる。
  • そして後日、本当にヤクルト復帰が決定。おかえり、宮出。結果的には一場をただでもらうようなトレードになってしまった。しかし宮出の方が1軍出場数が多く、2009年の楽天CS進出にも少なからず貢献。決して楽天が大損したわけでもないはず。

  • どこに行ってもやくせんでは宮出を応援します。

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