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相川亮二

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相川亮二


  • 横浜の正捕手だったが2008年オフに横浜からヤクルト球団初のFA移籍。見事にツバメ軍団の仲間入りとなった。
  • FAというものに縁がなかったやくせん民は、人的補償有ということもあり相川の移籍にちょっと戸惑い気味であった。だが補償は金銭ということに落ち着き、さらに本人も「由規や増渕のようないい素材を育ててやりたい」と語ってくれたため、大半のやくせん民は心を許したようである。
  • 2004年のアテネ五輪での縁でおハゲを慕っている。
  • もともと足の速い捕手。長打を捨てると高打率を残す。バントはあまり上手くないらしい。
  • パワーはないがシュアなバッティングと、クルーンの球を全くポロリしなかった捕球力と強肩が魅力。リードはシーズンによってムラがあるとか。
  • なかなか男前で独身。オフに開催したクリスマスパーティーに200人以上の女性ファンが集まって大騒ぎになったらしい。
  • 笑顔の似合う兄ちゃんだが下手に野次ると絡んでくるので気を付けよう。
  • 横浜時代、神宮の駐車場でリードに文句つけて来たオヤジに「何だお前」と威圧したのは有名。ちなみに「何だお前」は相川の口癖のようである。
  • 腰痛が心配・・・。
  • 石井弘寿は高校の1年後輩。
  • 雑誌や出陣式などで「まだヤクルトに友達がいません。」「15人食事に誘って全員に断られました。」などと言っておりファンを心配にさせる。(後者については北海道遠征時の話であったため、日ハムの元ヤクルト選手などとすでに予定の入ってた選手も多かったと思われる。)その翌日には無事田中浩康を誘うことに成功、投手陣もオープン戦登板後のコメントで相川ときちんとコミュニケーションを取りながら投げていると言っており、まあ実際は大丈夫なのであろう。
  • 当初は強奪にアレルギーを持つやくせん民からはあまりいい感情は無かったが、下位打線の軸となる打撃、ノーコン投手の球を逸らさないキャッチング、横浜時代に酷評されたリードや肩でもドングリとは格の違う働きを見せ、やくせん民から絶大な信頼を受けている。

以下引用
PUKI WIKI

ニコニコ特攻リードが武器の捕手。だったはずだが、2006年度は外角一辺倒の逃げ逃げ
リードが目立ち、フォアボールフォアボール甘く入って痛打のコンボを投手陣が食らう一因となった。
ずっと正捕手候補だったが2004年に背番号を59から8へ変更。アテネ五輪にも出場した。
2005年には144試合に出場しベイスターズの正捕手の座を不動のものにした。
2006年度から2008年度までベイスターズ選手会長を務めた。
2007年度は大矢監督の就任で、かつての谷繁のようにリードが向上することが期待される。
開幕から打撃好調で初めてのオールスターに選出された。
2008年シーズン終了後、一時断念と報道されたメジャー挑戦を決意しFA宣言。
球団はメジャー挑戦によるFA残留を認めない方針のため、この時点で退団が確定的になった。
2009年1月15日にメジャー移籍の断念と16日にヤクルトとの交渉の意思を伝え、翌16日ヤクルトへの入団が決まる。
背番号は2

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