やくせん@ ウィキ

松岡健一

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

松岡健一


  • ご存知「マツケン」。
  • 2004年自由獲得枠で指名を受け、浩康、川本、上原、丸山とともに入団。
  • 別名「昭和のイケメン」。(※一部やくせん住人からは「チキンハートの可愛いあの子」)
  • 流し目に定評がある。
  • プロ入り初のキャンプで投球練習中に古田にフォークを要求されながら、「調子が悪い」という理由で拒否し続け激怒されたことは、やくせん民なら知らない人はいないほど有名なお話し。
  • その春季キャンプ途中で早速故障。初年度シーズン終盤に初勝利を挙げるも、しばらく1軍と戸田軍の往復が続いた。
  • 2007年も登板するたびに炎上するも、何故かその強力な援護力で無駄に勝利することもあった。1軍の成績は11試合登板・4勝2敗・防御率5.69…。
    ちなみにこの年のオフに、ケガで帰国した丸山にかわり派遣されたハワイ・ウィンターリーグでは、防御率0.00の成績を収めた。

  • 2008年に入ると当初は戸田軍スタートも、加藤の乱調で4月早々に先発要員として1軍に昇格。しかし、このとき日程の関係でたまたま先発要員が足りていたので、首脳陣が中継ぎに回したら複数回のロングリリーフも苦にせず大活躍!
    そのまま押本とイムと併せ、磐石の勝利の方程式「MOL」の一角を担うまでに成長した。
  • ちなみに先発の時は140km/h以下のしょっぱいストレートと落ちないフォーク、時々カーブと球種が少ない上にノーコンという花田レベルの投球だが、リリーフになるとMAX151km/hの速球とキレキレフォークに加え、抜群の制球で三振の山を築き、全く人が変わる。
    恐らく先発の場合、長いイニングの持続(5回以上)が難しかったのでは思われる。
  • 2008年終盤になると押本やイムが炎上する試合が多くなったが、マツケンだけは「そんなの関係ねぇ!」の安定した投球。
    最終的に65試合登板・5勝3敗・29ホールド・防御率1.39!の神ピッチだった。
  • 後に監督はマツケンのセットアッパー転向について「先発で結果を出せていなかったが、いい球を投げてたから中継ぎで使ってみることにした。」、「何度か使っているうちに勝ちゲームで使える投手だとわかった。」、「勝っている試合で登板する投手は精神的に強くないと任せられないが、精神的にもタフ。 」と語っている。


  • 2009年も期待させる選手だが、2008年の登板過多からくる反動を心配するやくせん民もいたが、その心配は当たってしまいました。
  • 自身初の開幕を1軍で迎え順調なスタートを切ったものの、2008年と比べ球のキレがイマイチ。3凡に抑える試合はなかなか見られず。
  • 6月に登板間隔が空いた時期があり「先発転向か!?」との噂が立ち込めたことも。(原因は軽い肘の疲労)
  • 8.23の広島戦でイニング跨ぎになった7回裏1アウト1塁の場面で打者のハーフスイングについて相手監督が猛抗議。試合が中断し打者と監督が退場処分となったが、人が変わったかのように突如乱れ、後続の打者から連続タイムリーを浴び今季初黒星。
  • 次に登板した9.4の東京ドームでの読売戦、1-3のリードでこの日もイニング跨ぎとなった9回裏にあの事件が起きる。
    ・8番 代打・木村拓 セカンドゴロで1アウト。
    ・9番 代打・谷 打球が3塁ベースに直撃し内野安打。
    ・1番 坂本 初球にワイルドピッチで走者は2塁へ。 坂本はライト前ヒットで1アウト1・3塁。走者は鈴木尚へ交代。
    ・2番 松本 初球に鈴木尚が盗塁、1アウト2・3塁。松本はセカンドゴロで2アウト、3塁走者がホームへ帰り2-3。
    ・3番 小笠原 ライト方向へフライを上げ、魔将も捕球体制に入り試合終了かと思われたが打球が天井に当たり急降下。魔将が全力で前進したがその前にポトリと落ちタイムリーツーベースヒットで同点に…。
    ・4番 ラミレス セカンドゴロで延長戦へ。
  • 誰が言ったかこれを「天井タイムリー」と呼び、抑えればプロ入り初セーブだったが一転、2009年シーズン1、2を争う不運な試合に。この試合での住民の反応はご想像にお任せします…。
  • この2試合をキッカケに9.8と9.10の広島戦、9.15の横浜戦で登板した試合全て敗戦投手、9.17の横浜戦も1アウトも取れず3失点で降板。8.27から9.15までの6試合で投球回数5回2/3・被安打20(被弾3)の自責点15で防御率は23.86、2008年からの活躍がウソだったかのように崩れ9.18に戸田行き…。五十嵐の不調、仏の戦線離脱していた中での登板の連続であったため、住民から心身の疲労を心配される。
  • 戸田で調整後、1軍復帰は10.5。10.11の中日戦に登板し2回をパーフェクトに抑える。五十嵐とマツケンと入れ替えで復帰していた仏とともにCSへ挑んだが、微熱を発症し登板することなく終了。
  • 2009年は52試合登板・6勝4敗・17ホールド・防御率4.72。
    AS前の防御率は2.78であったので後半戦だけで防御率を2点も悪化…。 特に2008年と比べ被安打が目立ったシーズンで、一部からは「球を置きにいってる感じ」、「腕の振りがやや斜めになってるのでフォークの落ちが悪くなっている」との声も。
  • また、読売・中日・阪神の対戦防御率はそれぞれ2.25・2.61・0.00。広島と横浜の防御率は9.00・9.28、4敗も全てこの2チームからと相性は極端だった。
  • しかし登板数52は仏、五十嵐に次ぐチーム3番目。シーズン通じて信頼されてた立派な数字。

  • 2009年オフには右肘の遊離軟骨除去手術を受けたが、2010年は万全の状態で開幕を迎えて欲しいものである。

  • 2010年は結婚(後述)もし、心身ともに充実してシーズンイン。
  • 増渕、松岡、林昌勇という勝利の方程式を形成し、防御率1点台前半という好成績で前半を終える。
  • 8月、チームが10連勝を記録した時は、10試合中8試合に登板し、わずか1失点で抑えるなど、チームの10連勝に大きく貢献した。
  • 8月下旬から、シーズン終盤にかけて調子をやや落とし防御率を悪化させたが、それでも最終的にはチーム最多登板記録を更新する73試合登板し、3勝4敗、セリーグ2位の34ホールド、防御率2.64という好成績を残す。
  • 結婚パワー恐るべし。

  • 2011年はシーズン序盤こそ調子を落とすが直ぐに復調し、結局63試合登板で2勝2敗、25HP、防御率2.86という順調な結果を残した。
  • 4年連続50試合登板は一流中継ぎ投手の証。これからも頼むで!

  • 2012シーズンはプレから順調な調整を披露。今年も十分やってくれるとやくせん民は期待してシーズンイン。
  • ところがどっこい、4月の早い段階で調子を崩したかのように見えると実は右太腿痛を発症していて全治は未明だということ…。
  • シーズン最初から怪我人出過ぎやでホンマ。


  • AAが似ていないとたまにスレで話題になる。
    …似てると思うけどなぁ。(´, _ `)ゝ
    それでも似てないという意見も多く、議論の結果(`¬,_ゝ¬´)が加わった。
    しかしAA職人さんによると双方とも「大きすぎて使いづらい」、「応用しづらい」との意見も。
    確かに正座させるとバランスが…。
  • マツケンに恋焦がれる住人(男)から【マツケンのちょっと可愛い話】や【可愛い画像】が2008年の8月に入り急激に現れ始めやくせん内で信者が増える。
  • 8月末現在「マツケンの結婚相手は女子アナではイケナイ」という話にまで進んでいて、もはやアイドルと親衛隊レベルから可愛い弟を心配する兄姉レベルにまで症状が進んでいる。
  • ただ、徐々にヤクルト体型になってきているのが気になる。
  • 2010年の1月3日に元OLの一般女性と結婚を発表した。これにて一件落着か…?
  • 誰だ松岡が結婚した時に「女に取られるなんて」とか書き込んだ奴は。




 (`¬,_ゝ¬´)どう?
 ( ∪ ∪
 と__)__)旦~



幻の「松岡の乱」とは

松岡の乱とは、2007年8月21日神宮球場での対阪神戦のことを指す。

先発ヤクルト松岡ー阪神ジャン

一回裏 先頭の飯原への死球から始まり、青木のタイムリー、ラミレスにも打たれガイエルにタイムリー、武内の犠牲フライでジャン3失点。

さらに2回裏にはラミレスに左2ランを浴びると、ガイエルに四球、武内のところで初球にボーク。日本記録の12ボーク達成。この直後、武内の後頭部に危険球。ジャン退場。
2番手桟原は、田中浩に2点タイムリーを打たれ、ヤ7-0虎というワンサイドゲームとなる。

この時点でやくせんは楽勝ムードとなる 松岡は投球内容が非常に良い試合だった。

ところがそれは間違いだった。

3回表 鳥谷のセンターへ2ランを打たれる。

そして運命の4回。

林と桜井の連続安打に矢野の四球で無死満塁、ここでどんでんが告げたのは「代打桧山」。
やくせんには安心感がただよった。今年の桧山はオフに戦力外という噂すら立っていたからだ。ところが……。
松岡は魅入られるように、130km台のストレートをど真ん中に投げ込んだその1球を桧山バックスクリーンにたたき込む…。

ヤ7-6虎となる。

このとき野球chは大騒ぎで、桧山代打グランドスラムのスレが20以上立つほどだった。やくせんも半端ないほど荒らされはじめた。

試合は松岡降板、2番手田中充は藤本、鳥谷に連続四球で降板。
三番手鎌田がシーツに同点タイムリーを打たれ同点に。

5回表には鎌田が矢野にレフトスタンドへのHRを打たれ逆転、8回表には松井が赤星にタイムリーを打たれヤ7-9虎に…。

一方阪神投手陣は江草からJFKにつなぎ、そのまま7-9で敗戦。


この日のやくせんも半端ではないほど荒らされた。

この桧山の代打満塁HRはサンテレビの2007年名場面で1位に選ばれ、このHRがあったからこそ桧山も現役を続けられた。

一方、松岡は即登録抹消され、この日以来二度と先発マウンドを踏んでいない。

試合中からやくせんでは「松岡の乱」という言葉が書き込まれていたが、やくせん長老の「若い者は打たれてもいいんだ これを糧に成長するから」とのレスにより、なんとか「乱」認定は避けられた。 しかし「石川の乱」と比較すると、満塁HRがある時点で松岡のほうが完成度が高いのも事実である。

やくせん民の間では松岡不要論まで書き込まれたのだが、次シーズンでのMOLの活躍を誰が予想できただろうか。
松岡はこの屈辱を乗り越えて不動のセットアッパーに成長したのであった。

ただし、桧山にはサヨナラヒットを一本献上している。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
ウィキ募集バナー