岩手県山田町311震災メモ(更新終了)

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模型で示す津波避難…宮古工高生徒が検証へ

和歌山市、岩手・山田町に職員を長期派遣

 

岩手・山田高ボート部、インターハイへ

大震災の実態に涙 東京で報道写真巡回展始まる

白鵬が土俵復興!津波で流出の岩手・山田町のため自腹800万円

 

【山田】アシモが特別授業 轟木小で本田技研

 

<東日本大震災>医療費免除に7月から証明書が必要

犠牲者に鎮魂の祈り 宮古と山田で合同慰霊祭

【山田】被災廃材をプランターに 花とともに届く

 

全国の山田さん 山田支援

 

東日本大震災:静岡県が山田町に漁船20隻寄贈へ 応援職員派遣が縁

 

仮設診療所は医科24、歯科14 9月までに設置へ

 

6月23日午前6時51分、青森県三八上北や岩手県沿岸北部などで震度5弱の地震

 

補足給付などの認定証、暫定交付が可能に

<夏至>各地で30度超す じりじり迫る夏

 

木更津・君津の経営者ら 被災地支援

被災証明書発行手続きに長い列 高速道路無料通行で必要

仮設住宅、きょうで全戸着工 完成遅れ来月20日に

 

被災者の忍耐にも限界

ボランティア活動報告 集会に60人

 

ファンモン 岩手県宮古市と山田町で無料ライブ

久慈の同業者、山田へ発注 「被災者に仕事を」

【山田】さんさの慰問、心も躍る 山田高で公演

東日本大震災の被災地にボランティアが集まり、グルメグランプリ

 

被災地でがれき撤去 飯田市社協、ボランティア募集

 

県が仮設改良 玄関向かい合わせに

山田】応援派遣の警察官らに感謝 幼稚園で催し

被災地復興へ手を、市社会福祉協議会などがバスツアー開催へ

標本8万点津波で流出、3千点修復に尽力

ママ友 広がる支援 高津・このはな保育園から岩手県山田町へ

防火タンク命つなぐ 解体話一転、地域の「宝」 岩手・山田

 

同じ捕鯨の町、クジラ肉500キロ贈り元気づけ

【山田】満足、流しそうめん 復興イベント盛況

岩手・山田町から「いま、つたえたいこと」

 

復興シンボルに、泥まみれのクジラ標本を洗浄

東北の人々へ支援で恩返し 米国人タレントのカールさん

岩手・山田湾。ダイバーが見つけた海の底に沈んだ思い出の品々

大量のハエに漁業者苦闘 山田湾で廃棄ホタテが腐敗

被災地へ「届けた」

 

被災地ボランティア参加者を募集、被災家屋の片付けや泥だしなど

被災地に新茶を

 

被災小中高生9割「まちのため何かしたい」

被災児童らワイナイナさんと快走 岩手・山田町で

震災からの復興 岩手・山田町で建築許可をめぐり住民と行政の間に溝

大沢小「震災日記」3カ月で生活に変化

 

被災地の5団体元気に伝統の舞 盛岡で復興祈願祭

五輪金メダリストが訪問=東北小学生柔道大会

【山田】被災の老舗割烹が復活 14日、盛岡に新店舗

 

水底の家族写真、少女の手に戻る 岩手・山田湾

山田町 町長が復興を呼びかけ

 

県内避難者数なお2万人超 東日本大震災から3カ月

高台移転7割賛成…被災42首長アンケート

 

【山田】広島から技師、漁船修理 仮設造船場を設置

ボランティアは阪神の3分の1、38万人

被災の大工職人らに、全国の仲間から道具

岩手で活動の災害ボランティア募集

 

福島県内の捜索活動終了=岩手、宮城は継続―自衛隊

災害弔慰金、市町村で対応分かれる 国、県の補助なく

 

復興に向けて聞く 沼崎喜一・山田町長

ハエなど大量発生、駆除大作戦 京のNGOなど調査

議員報酬減額の動き 復旧・復興財源確保へ

白鵬、土俵入りで余震止めた!? 毎日のように続いていた山田町でピタッ

 

漁港に復興格差…石巻の業者、塩釜に移転も

 

常陸宮妃華子さまが岩手訪問 被災者を激励

穏やかな海、沈む思い出 岩手・山田湾

 

白鵬が被災地慰問、学校で土俵入りを披露

【山田】南小で洋菓子配布 全国の店主ら支援活動

 

教え子・サケよ、生きて帰れ 訓練中の稚魚、震災で放流

生活拠点に活気再び 山田・なかよし公園商店街開店

【山田】震災後初の大会に出場 大沢柔道スポ少

 

津波に流された介護ホームのこれから

山田の木村商店が販売再開 手作りで10品目

白鵬らが被災地入り 4日から外出禁止で慰問

国生さゆり、婚約者と岩手訪問!被災者を元気づける

ウミネコが巣作り 岩手・山田町の住宅跡に

 

【山田】待望の入居開始に喜び 仮設住宅

東日本大震災:新生活へ一歩 仮設住宅への入居始まる--山田町

思い出の写真を被災地に ボランティアら洗浄始める

人気の薫製カキ復活 きょうから限定販売 盛岡・特産品フェア

 

東北の夜空を花火で彩る「LIGHT UP NIPPON」が発足!

東日本大震災:物資の支給を終了 避難所は今後も継続--山田町

【山田】仮設商店街オープンへ 3日から、多彩な催し

 


2011年6月30日

<東日本大震災>模型で示す津波避難…宮古工高生徒が検証へ

毎日新聞

<東日本大震災>模型で示す津波避難…宮古工高生徒が検証へ

 岩手県立宮古工業高校(岩手県宮古市)の生徒が、東日本大震災の津波の教訓をもとに新たな防災教室の開催を目指している。同校は6年前から、生徒が津波 模型を作って地域防災の教室を開いてきたが、想定を超える大津波で宮古市では死者・行方不明者が約600人と深刻な被害が出た。生徒たちは「どうやったら 命を守ることができるか、今回の被害について模型を活用して徹底的に考えたい」と気を引き締めている。【福田隆】

【津波 静寂 街消えた】釜石を襲った津波を画像で

同校では05年度から毎年、機械科3年生の有志数人で「津波模型班」を作り、防災教育を実施。昨年度までに宮古市、山田町、大船渡市などの沿岸地区の巨 大模型を計8体、製作した。各地の小学校や公民館などで、模型に水を入れて疑似津波を実演する出張教室を続けてきたことが評価され、防災教育のコンテスト 「ぼうさい甲子園」(毎日新聞社、兵庫県など主催)で09年度(高校の部)の大賞に選ばれた。

ところが、今回の津波は想定を大きく超え、同校も1階が1メートル浸水し、実習用の機械がほぼ全滅。市内の2校に分散して授業を再開した。

「防災教室では『作った物は必ず壊れるから、最終的には逃げないといけない』と言ってきたのだが、初期避難が遅れたからだろうか……」。担当の山野目弘教諭(58)は被害の大きさに言葉を失った。

模型も被害を受け、市内の道の駅に寄贈していた1体は流され所在不明に。残りの7体は校内で奇跡的に無事だった。

再スタートする目標は「最悪の状況下で被災しても絶対に命を守ること」。避難経路の徹底だ。例えば、真冬の夜に発生した地震で、お年寄りでも安全に避難でき、孤立して凍死しないための避難経路を見つけ出し、模型上で示す。

久坂拓磨君(17)は「今こそ、模型に込められる意味は重い」と話し、君沢健吾君(18)は「模型で今回の津波を再現・検証し、必ず避難できるルートを 考え出したい」と言う。同校が元の校舎に戻る9月にも残存模型を使った今回の津波の検証や新しい模型の製作を始め、新たな防災教室の開催をさぐる。

藤原斉校長は「宮古では多くの犠牲者が出たが、助かった人もたくさんいる。『これまでの取り組みは役に立っている』と自信を持って、挑戦していきたい」と話している。

 

和歌山市、岩手・山田町に職員を長期派遣

産経新聞

 東日本大震災の復興支援のため、津波被害を受けた岩手県山田町に職員を長期派遣する和歌山市は29日、同市消防局で派遣式を行った。7月1日から来年3月末まで3~4人が交代で同町に常駐し、まちづくりなどに携わる。

13日現在で市は、被災地に延べ約140人を派遣。山田町にも避難所で健康相談などに対応する職員を送るなど交流を深めていた。この中で町側から上水道復旧やまちづくり計画について長期間の支援要請があり、今回の派遣を決めた。

第1陣で派遣されるのは竹中重雄審議監ら4人。派遣式で大橋建一市長は「(山田町の)海側の地区は津波や火災で町が消えている状態。現地の職員と力を合わせて復興に力を発揮してほしい」と激励。竹中審議監は「和歌山市の代表として貢献してきます」と誓った。

 

2011年6月29日

<東日本大震災>岩手・山田高ボート部、インターハイへ

毎日新聞 6月29日(水)20時19分配信

<東日本大震災>岩手・山田高ボート部、インターハイへ

 津波で練習場所や道具を失った岩手県立山田高校(同県山田町)のボート部が、8月に同県で開かれるインターハイへの出場を決めた。家族や自宅をなくした部員もいるが「たくさんの人に応援してもらった。感謝の気持ちは結果で返すしかない」と本番に向け練習に励んでいる。
【頑張れ高校生】被災の山田高が元気な姿…積極打撃及ばず敗退 春の高校野球
震災時、12人いたボート部員は全員無事だったが、山田湾岸にあった競技艇の倉庫は壊滅した。無残な姿を見た部員たちは「もうボートはできないかもしれない」と思ったという。
しかし、被災を知った他校やボートショップなどから運動着や靴、練習マシンが次々と届けられた。鎌野貴広監督(34)が部員に「黙っていても状況は変わらない。一歩踏み出しませんか」というメールを送り、4月15日から練習を再開した。
もともとインターハイ常連の名門ボート部だが、練習場の山田湾はがれきが散らばったまま。ボートに乗れるのは盛岡や花巻の内陸部の湖などに遠征できる週 末だけで、平日は陸上でのトレーニングしかできない。避難所で暮らす部員もいるため、決まっている夕食時間に間に合うよう練習も早めに終える。震災前に比 べ、練習時間は激減した。
それでも6月19日の県予選決勝は、6種目のうち5種目でインターハイ出場を決めた。ただ1位で出場を決めたのは1種目のみで、震災前の練習では勝てた 相手にも敗北した。鎌野監督は「十分に練習できない中、選手たちはよく我慢してやった」とねぎらったが、選手たちの目に悔し涙が浮かんでいた。
佐藤美奈子さん(2年)は自宅を津波に流され、町立山田北小学校体育館の避難所で家族と暮らす。食事はレトルト食品や弁当が多いが「何もない状態から多 くの人に助けてもらった。頑張る姿で避難所の人も笑顔になってくれるはず」と練習に励む。佐藤郷史さん(3年)は大会のたびに応援に駆けつけてくれた母由 美さんが津波で行方不明になっている。「母には今まで支えてもらったので全力で戦う」。大釋(だいしゃく)一揮(かずき)主将(同)は「被災したなんて言 い訳にならない。周囲の応援に応える結果を残したい」と誓った。【円谷美晶、川島紘一】

 

大震災の実態に涙 東京で報道写真巡回展始まる

岩手日報

 【東京支社】東京・銀座の銀座アートホールで28日「東日本大震災報道写真展」巡回展(東京ニュース通信社主催)が始まった。岩手日報社などの記者が撮影した津波や被災地の写真90点を展示している。

 横浜市の日本新聞博物館で4、5月に開かれた震災報道写真展は大きな反響を呼び、今回は初の巡回展。市街地を襲う津波の瞬間など岩手日報の7点をはじめ、報道各社が捉えた数々の震災の場面に訪れた人が見入っている。

 さいたま市から訪れた千沢英子さんは「見ているだけで涙が出てくる。何もできないことが申し訳ない」と目頭を押さえていた。

 巡回展は7月3日までの午前11時から午後6時半(最終日は午後4時まで)。入場無料。今後も全国各地で開かれる。

【写真=津波襲来後の被災地の姿を伝える巡回展=東京・銀座】

 

白鵬が土俵復興!津波で流出の岩手・山田町のため自腹800万円

スポーツ報知 6月29日(水)8時3分配信

大相撲の十両以上の関取による力士会が28日、愛知県体育館で行われ、横綱・白鵬(26)=宮城野=が、名古屋場所(7月10日初日、愛知県体育館)の 懸賞金を義援金として津波で被害にあった岩手・山田町の前須賀公園内の相撲場の修繕費用に充てる考えを明かした。修繕費用は約1000万円。力士会で集 まった義援金は約200万円で、不足分の約800万円を相撲を愛する横綱が補うつもりだ。関取衆からも寄付金を募り、力士全体で被災地を支援していく。
被災地の相撲を愛する人たちのために白鵬が立ち上がった。「(義援金を)山田町に渡します。関取衆は皆、協力的だった。費用が足りない分は懸賞金で穴埋 めします」。力士会を終えた横綱の手には土俵の設計図が握られていた。力士会では震災孤児に今後10年間、義援金を送ることが決まっているが、新たな支援 策として被災地の相撲場修復が加わった。
脳裏に浮かぶ被災地の光景が横綱を動かした。岩手・山田町は日本相撲協会が6月4日から行った被災地慰問巡回で最初に訪れた場所。横綱土俵入り後には、 震災後から続いていた余震が止まるなど不思議な“縁”も。山田町にある前須賀公園は沿岸に位置するため、津波ですべてを失い、園内にある相撲場も流され た。同町の関係者によると修繕費用は「約1000万かかる見込みです」。
1000円万を補うため白星をつかみ取る。力士会では現在までに義援金として約200万円が集まっているが、まだ約800万円足りない。懸賞金は1本6 万円で手取りは3万円。昨年の名古屋場所では、野球賭博問題により懸賞は激減したが、それでも全勝し111本(333万)の懸賞金を獲得した。今場所は通 常開催に戻り懸賞も復活する。昨年の白鵬の取組には1場所15日間で平均300本(900万円)の懸賞がかかっている。今場所の懸賞本数次第になるが、白 鵬がいつもの強さを発揮すれば修繕費用の不足分を補うことができる。
史上最多の8連覇がかかる名古屋場所。勝ち続けることが、震災復興と相撲復興につながる。
◆白鵬の震災復興支援
▽支援物資 白鵬基金を通じて被災地にろうそく100万本、カップメン1万食。
▽街頭募金 3月24、25日に東京都内計4か所で行った。
▽炊き出し 4月6日の東京・足立区の東京武道館をスタートに埼玉、千葉、福島などでちゃんこを振る舞い、被災者たちと交流した。
▽被災地訪問 6月4~8日まで協会とともに岩手、宮城県など東北慰問巡回。
▽白鵬シート 自身の公式応援歌「天運」の売り上げの一部で被災者たちを国技館に招待。

 

 

2011年6月28日

【山田】アシモが特別授業 轟木小で本田技研

岩手日報

 本田技研工業(本社東京都、伊東孝紳社長)は27日、開発中の二足歩行型ロボットASIMO(アシモ)を使った特別授業を山田町織笠の轟木小(山根洋子校長、児童41人)で行った。

 被災地の子どもたちを励まそうと企画された特別授業は、福島県に続き2回目。同校の全校児童のほか、近隣の織笠小5、6年生18人、山田南小の4、5年生90人が参加した。

 アシモが二足歩行で登場すると、児童は大喜び。ダンスを踊ったり、サッカーボールを蹴るなどの高度な動作を披露すると、子どもたちは驚いた表情を見せた。二足歩行が可能になるまでの開発の苦労なども説明され、児童は科学への関心を高めた。

 轟木小の中村滉弥(こうや)君(6年)は「アシモが僕たちのために来てくれてうれしい」と話し、山田南小の山崎里空(りく)君(5年)は「ジャンプをしながら1回転できたことに驚いた。将来はアシモを作ってみたい」と夢を膨らませた。

 

 

2011年6月27日

<東日本大震災>医療費免除に7月から証明書が必要

毎日新聞 6月27日(月)19時34分配信

自宅が全半壊したり、主に生計を担う家族が死亡した被災者は、医療費の一部負担金が免除されている。これまでは口頭の申告で免除されたが、7月1日以降は、加入する医療保険の「免除証明書」提示が原則、必要になる。免除期間は来年2月29日まで。

ただし、以下の市町村の国保や後期高齢者医療制度は、「免除証明書」が必要となる時期を遅らせる。8月1日から必要=岩手県宮古、大船渡、陸前高田市、 大槌、山田町、福島県田村、南相馬市▽9月1日から必要=宮城県南三陸町▽10月1日から必要=宮城県女川町▽免除期間終了まで証明書不要=福島県広野、 楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江町、川内、葛尾、飯舘村

小児アレルギー電話相談 日本小児アレルギー学会は、被災者を対象に電話相談窓口(電話090・7031・9581)を開設している。月~金曜の 11~14時。相談内容を事務局員が聞き取りした後、担当の相談医が折り返しで電話し、相談に応じる。メール (sup_jasp@gifu-u.ac.jp)でも相談でき、氏名や年齢、性別、住所を記入する。

犠牲者に鎮魂の祈り 宮古と山田で合同慰霊祭

河北新報 6月27日(月)6時12分配信

 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県宮古市と岩手県山田町で26日、それぞれ合同慰霊祭が行われ、多くの遺族らが犠牲者に鎮魂の祈りをささげた。
宮古市の慰霊祭は、市民総合体育館シーアリーナで営まれた。約1500人の参列者が黙とうし、白い菊の花を献花台にささげた。両親を亡くした会社員玉沢 邦彦さん(42)は遺族を代表し「津波の本当の恐ろしさを知った。子、孫の世代に伝えなければならない」と涙ながらに誓った。
山田町の山田中体育館には約1400人が参列。地震が発生した午後2時46分に黙とうした。妻、父を亡くした町社会福祉協議会事務局長福士豊さん (63)は「妻とゆっくり旅行でもしようと話していたが、かなわなかった。計り知れない深い傷が残った」と遺族代表の言葉を述べた。
両市町の死者・行方不明者は26日午後5時現在で、宮古が死者420人、行方不明者161人、山田は死者581人、行方不明者241人となっている。

 

【山田】被災廃材をプランターに 花とともに届く

岩手日報

「がれきに花を咲かせましょうプロジェクト」は24日、山田町に花とともに、被災したプラスチック廃材をリサイクルして作ったプランターを寄贈した。花はプランターに植えられ、26日の町合同慰霊祭の会場に飾られる。

 環境コンサルタント会社エコヒルズ(東京都、田宮嘉一社長)が主催したプロジェクトで、田宮社長がインターネットで花の寄贈を呼び掛けた。

 バーベナやマリーゴールドなど約400株の花が賛同した個人や業者から同町織笠の育苗センターに届けられた。中には広島県や山口県から届いた花も。ボランティア約20人が丁寧にプランターに移植した。

 プランターは、本県や宮城県で津波で流失したプラスチックケースなどの廃材を同社の提携会社が回収し、リサイクルした。田宮社長は「遺族や被災者の癒やしにつながってほしい」と期待した。

 プランターに植えられた花は、合同慰霊祭会場前通路に飾り、終了後は仮設住宅に設置する。

 同社はこのプロジェクトを継続するため寄付金を募っている。問い合わせは田宮社長の電話(080・2561・0001)かブログ(http://ktamiya.posterous.com/100-3)へ。

【写真=リサイクルしたプランターに送られてきた花を移植するボランティア=山田町織笠】

 

 

2011年6月26日

全国の山田さん 山田支援

読売新聞

 津波で被害を受けた山田町を支援しようと、県内出身の女性が、「山田」姓の人たちに寄付の呼びかけを始めた。全国に80万人以上いるとされる「山田さん」から月1000円の寄付を募り、街路灯の復旧や地元企業への無利子融資などに役立てる計画だ。

 寄付を呼びかけているのは、東京都港区のプログラマー高松洋子さん(35)。盛岡市生まれで、山田姓でもないが、名前の「洋子」は山田町に縁があ る。海が好きで、山田湾をたびたび訪れていた祖父が、「海のように澄んだ女性に育ってほしい」と太平洋から「洋」の文字を取った。高松さん自身も家族と一 緒に何度も遊びに訪れた。

 5月初旬、高松さんはボランティアで同町を訪れ、あまりの被害に声を失った。その後も時間があれば現地を訪れ、がれき撤去などにあたる一方、5月 下旬には「山田町応援団」と題したホームページを開設。支援物資の提供を呼びかけるなどしているなかで、全国の山田さんへの寄付の呼びかけを思いついた。

 寄付は、個人のほかに、山田と名が付く企業や団体にも呼びかける。来月半ばから受け付け始める予定で、集まった寄付金で、街路灯の設置や地元企業 への無利子融資のほか、県立山田高校に部活動用のボートを購入することも計画している。「山田町応援団」ホームページなどで呼びかける。

 高松さんは「せっかくの縁を生かして、全国の山田さんと一緒に町の復興を後押ししたい」と話している。(山田正敏)

 

 

2011年6月25日

東日本大震災:静岡県が山田町に漁船20隻寄贈へ 応援職員派遣が縁 /岩手

毎日新聞 6月25日(土)11時31分配信

 震災で多くの漁船を流失した山田町に、静岡県から漁船20隻の寄贈の申し出があった。カキやホタテなど養殖作業の再開にはずみを付けると期待される。
山田町に静岡県が9人の応援職員を派遣している縁から話がまとまった。静岡県が漁連に協力を要請したところ、清水漁協(静岡市)や伊東漁協(伊東市)などから小型の中古船提供の申し出があった。ほかに3隻の売却希望が寄せられているという。
静岡県内の各漁協が静岡県と山田町の仲介により、三陸やまだ、船越湾漁協に寄贈。2漁協は共同作業船として使用する。静岡県は既に提供漁船のリストを山 田町に渡しているという。養殖漁業が盛んな同町では約2100隻の漁船のうち、小型船を中心に約1500隻が津波で流されるなどの被害を受けた。
町水産商工課の伊藤勝幸課長は「震災復興対策事業で運搬費を助成してもらえないか、水産庁や県に協力を求めているところだ。大変ありがたい」と感謝。静岡県の小川幸弘危機対策課長は「水産業の復興に少しでも役に立てればうれしい」と話している。【鬼山親芳】

 

 

2011年6月24日

仮設診療所は医科24、歯科14 9月までに設置へ

岩手日報

 

 県復興に向けた医療分野専門家会議(会長・石川育成県医師会長)は23日、盛岡市内で会合を開き、県が策 定した復興基本計画案を踏まえ緊急的・短期的な取り組みを議論した。仮設診療所について県は、9月までに沿岸4保健医療圏に医科24カ所、歯科14カ所を 設置する方針を明らかにした。

 会議には委員8人が出席。前回の会議を基に県が論点を整理し、▽地域の医療提供施設の復旧▽継続的・長期的な医療従事者派遣の仕組みの構築▽県外派遣終了後の保健医療福祉従事者の確保―などについて取り組みの方向性や課題を示した。

 県が国の補助で整備する仮設診療所は現時点で、気仙医療圏に医科10カ所、歯科8カ所を予定。釜石は医科9、歯科4、宮古は医科4、歯科2、久慈は医科1の設置を見込む。

 また、山田病院は6月下旬~7月上旬、高田病院は7月下旬をめどに仮設診療所の開院を目指す方針をあらためて示した。

 委員からは計画案について「医師不足の中で将来理想となる岩手型のモデルをつくる発想を打ち出したい」などの意見が上がった。

 同会議は県の復興計画の医療分野の提言をまとめる。次回は7月中旬に中・長期的取り組みを議論する予定。8月の会議で実施計画の素案を検討する。

 

2011年6月23日

6月23日午前6時51分、青森県三八上北や岩手県沿岸北部などで震度5弱の地震

フジテレビ系(FNN)

6月23日午前6時51分、青森県三八上北、青森県下北、岩手県沿岸北部、岩手県内陸北部で震度5弱の地震があった。
震源地は岩手県沖・宮古の方位東北東・距離50km、震源の深さは20km、地震の規模を示すマグニチュードは6.7と推定される。
<地域最大震度> 
震度5弱 青森県三八上北 青森県下北 岩手県沿岸北部 岩手県内陸北部  
震度4 石狩地方北部 渡島地方東部 空知地方南部 胆振地方中東部 日高地方中部 日高地方東部 十勝地方中部 青森県津軽北部 岩手県沿岸南部 岩手県内陸南部 宮城県北部 宮城県南部 宮城県中部 秋田県沿岸南部 秋田県内陸南部

 

 

2011年6月22日

補足給付などの認定証、暫定交付が可能に-東日本大震災で厚労省が事務連絡

医療介護CBニュース

 厚生労働省はこのほど、東日本大震災で被災した自治体に、介護保険制度の補足給付などの認定証の暫定的な交付を認める事務連絡を、都道府県あてに出した。
認定証の暫定的な交付が認められるのは、介護保険施設などに入所する低所得者や旧措置入所者の食費と居住費を軽減する補足給付と、旧措置入所者の利用者 負担の減免。交付には本来、利用者の2010年の所得、または11年度の市町村民税の課税の有無の把握が必要だが、震災の影響で難しい場合、▽09年の所 得金額▽10年度の市町村民税の課税の有無▽利用者による簡易申告―のいずれかで暫定交付できる。
同様の条件で、介護保険サービスを提供する社会福祉法人が生計困難者の利用者負担を軽減する制度(社福減免)についても暫定交付が可能になる。また、高額介護(予防)サービス費と高額医療合算介護(予防)サービス費の支給でも暫定的な判定が認められる。
ただし、暫定的な交付や判定の後に、10年の所得などが判明した場合は、原則として利用者の負担額の過不足に対して還付または徴収する。

■一部被災自治体で認定証の期限延長も
このほか、一部の被災自治体では、補足給付と旧措置入所者の利用者負担の減免について、今年6月末までの有効期限を延長できる。延長の期限は、岩手県の 釜石市、大船渡市、山田町が7月末、陸前高田市、宮古市が8月末、大槌町が10月末。宮城県では気仙沼市が8月末、石巻市、東松島市、南三陸町が9月末、 女川町が11月末。福島県では南相馬市が7月末、広野町、楢葉町、大熊町が10月末、富岡町、川内村、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村が12月末。
また社福減免に関しても、同様に期限延長できる。

 

<夏至>各地で30度超す じりじり迫る夏

毎日新聞

<夏至>各地で30度超す じりじり迫る夏

 1年で最も昼間の時間が長い夏至の22日、東海から東北地方にかけて梅雨の晴れ間が広がり、各地で30度以上の真夏日となった。気象庁によると、東京都 心では午前10時前に大手町で今年初めて30.0度を記録。有楽町のオフィス街では雨傘を日傘に持ち替えて歩く女性が目立った。
【特集】節電の街から あの手この手を紹介
東日本大震災の被災地でも高気圧に覆われ気温が上昇。正午までに岩手県山田町で31.4度、仙台市で31.9度、福島県浪江町で32.4度となるなど今年一番の暑さになった。【長野宏美】

 

 

2011年6月21日

木更津・君津の経営者ら 被災地支援

2011年06月21日

写真

 東日本大震災で被災した岩手県山田町を継続的に支援しようと、木更津や君津などの若手経営者らが、かずさ災害支援ネットワークを立ち上げた。住民と交流を図り、要望を聞きながら、町の再建に力を貸していきたいという。

 同ネットが発足したのは、3月末。「被災地のために自分たちも何かしなければ」。木更津法人会青年部会などで活動する若手経営者らが、顔 を合わせては話をしていた時、葬祭業組合のボランティアとして岩手県山田町に入っていたメンバーの1人が帰ってきた。三陸海岸に位置する同町は、津波で町 が破壊され、当時はまだ支援が行き届いていない状況が報告された。「自分たちでボランティア団体を作り、山田町を支援していこう」。法人会青年部会や商工 会議所青年部、青年会議所の有志らで同ネットを立ち上げた。

 4月10日、知人に声をかけて集めた2トントラックいっぱいの支援物資を持って、メンバー8人が同町へ。道路の両脇に続くがれきの山に言 葉を失いながら、役場に物資を届けた。さらに避難所で設営を手伝ったり、綿あめを作って子どもにふるまったりした。その後も、2週間に1度のペースで現地 に入り、炊き出しなどをする一方、地元で募金活動に取り組む。

 同ネットには、建築業や自動車整備業から、弁護士、美容師まで、様々な職業の人たちがいる。斎藤和久代表(42)は「それぞれの職能を生 かした支援もできる。一方的に手伝いに行くだけでなく、長期にわたる交流をするなかで、山田町が復興し、自分たちの街もよくなっていけば。そのためにも、 もっと多くの人に参加してもらいたい」と呼びかける。

 同ネットへの問い合わせはホームページから。または斎藤さん(090・3210・6259)へ。(本田大次郎)

 

東日本大震災:被災証明書発行手続きに長い列 高速道路無料通行で必要 /岩手

毎日新聞

 東日本大震災の被災者が20日から東北地方の高速道路を無料で通行できるようになったことを受け、県内では盛岡市など各市町村で提示が必要な被災証明書の発行手続きが始まった。
盛岡市本宮のアイスアリーナでは、午後1時から開場の予定だったが、100人余りが押しかけ、午前11時45分に受け付けを開始。その後も来る人の波は途切れず、午後1時には1000人以上が会場の外にあふれた。
市内に住む、主婦、菊地みどりさん(47)は夫と大学生の息子の分も代理で申請に訪れ「夫は福島で仮設住宅の水道管工事を請け負う仕事をしている。家から現場までの高速代が無料になれば、非常に助かる」と話した。
県内34市町村のうち28市町村(20日現在)が、3月11日もしくは余震のあった4月7日に停電などした全戸を対象に被災証明書を発行する。発行を検討中なのは一戸町▽洋野町▽山田町▽宮古市▽大船渡市--の5市町。住田町は実施するかは未定という。【浅野孝仁】

 

東日本大震災:仮設住宅、きょうで全戸着工 完成遅れ来月20日に /岩手

毎日新聞

 ◇1万3835戸
東日本大震災の被災者のために県が建設を予定していた仮設住宅1万3835戸(312団地)は21日で全戸着工する。ただし7月上旬としていた完成目標は遅れが見込まれ、完了は7月20日ごろにずれ込みそうだ。
県によると、最終的な建設戸数は当初の1万4000戸から165戸減った。着工済みの仮設住宅は20日現在、1万3503戸(303団地)。21日までに釜石市など4団地212戸を着工する。陸前高田市のグループホーム型住宅2団地20戸も21日までに着手する。
一方、山田町など約50団地1800戸は完成が遅れる見通し。市町村の要望に沿った用地で大規模な造成が必要だったり、中国からの輸入資材が調達困難で建設業者が変更されたりしたためという。
また、仮設住宅に入居した被災者からは、二百数十件の苦情が寄せられた。クギの打ち忘れや天井の落下など内装関係(約90件)や雨漏り(約50件)、虫の侵入(約30件)が多い。完成を急ぐあまり建て付けの精度に欠けたことが主因という。
こうした不具合に対し、県は苦情受け付けや修繕申し込みに応じる「保守管理センター」を県建築住宅センター内に設け、24時間態勢で運営を始めた。電話は(電話0120・766・880)。【狩野智彦】

 

2011年6月20日

被災者の忍耐にも限界

朝日新聞

写真

 岩手県山田町や陸前高田市など被災地を、先月16日までの10日間、取材をして回った。名古屋から2度目の現地入りだったが、3月11日の震災発生以来、苦難に耐えてきた被災者同士のストレスが徐々に高まってきているように感じた。
町中心部が津波にのまれた山田町。発生3日後から、電気も水もない自宅3階で、寝泊まりする夫婦に出会った。被害を免れた家財道具を守るためだった。
1カ月ほど経ったある日、近くの避難所へ支援物資をもらいに行った。すると、そこで生活する被災者から「家のある者は来るな」と言われた。妻が「心にやりを刺されたようにつらかった」と声を震わせて打ち明けた。以来、避難所には近寄らないという。
約80人が暮らす別の避難所。取りまとめ役の男性に「困っていることは何でしょうか」と尋ねた。男性は声を少し小さくして、「実は少しずつ増えてきた 『わがまま』に困っちゃってねぇ」と答えた。「寝ている所まで食事を持ってきてくれないか」とあるお年寄りにせがまれたという。「最初は食事を取りにきて いたし、1人にだけ親切にするわけにもいかない。でも毎日のことだとつらさも分かる」と対応に頭を悩ませていた。
被災した身内同士では、被災時の話をしなくなってきたという。「みんなひどい目に遭っているから、自分だけ悲しいかのような話はできないでしょ」。自宅を津波で失い、夫が行方不明という竹内マサさん(74)はそう説明した。
被災地では、ほとんどの人が取材に嫌な顔をせず応じてくれた。その理由がわかったような気がした。「身内だから、ご近所だからこそ話せない心境を聞いて欲しい、話したい」。そんな思いが、被災者の胸にあるのかもしれない。
「復興の方向指示器を早く出してほしい。希望があれば耐えられる」。陸前高田市で会った女性の言葉が忘れられない。忍耐強くみえる被災者の絆にも限界がある。もっと復興の速度を上げられないのだろうか。(福留庸友)

 

東日本大震災:ボランティア活動報告 集会に60人--紀の川 /和歌山

毎日新聞

 東日本大震災の被災地に行ったボランティアの活動報告集会が19日、紀の川市貴志川町の西貴志コミュニティセンターであった。大震災から100日が過 ぎ、ボランティア同士の情報共有や近い将来予想される東南海・南海地震に備えるため、9条の会貴志川が企画した。県・市職員や薬剤師、病院職員ら6人が活 動内容や自身の思いなどを語り、約60人が聴き入った。
紀の川市の稲垣彰彦・管財課主幹は5月2~7日に岩手県山田町でごみ出しや支援物資の仕分け作業をした。稲垣さんは「物資は届いているが、余る品と不足する品があった。在庫品の適切な管理が必要だ」と述べた。
手崎健太・県社会福祉協議会主事は4月から計4回、岩手県大槌町で家屋の泥かきやがれきの撤去などをした。同県の災害ボランティアセンターでは、職員自 らが被災していたといい、和歌山で地震が起きた際に全国からどうボランティアを受け入れるか準備の必要性があると訴えた。手崎さんは「ひとごとではない」 と強調した。【山中尚登】

 

 

2011年6月19日

ファンモン 岩手県宮古市と山田町で無料ライブ

スポーツニッポン

 中高生を中心に人気の音楽グループ「FUNKY MONKEY BABYS」が19日、岩手県宮古市と山田町でそれぞれ無料ライブを開いた。
宮古市では河川敷を会場に、ヒット曲「ちっぽけな勇気」や「希望の唄」など約10曲を熱唱。ボーカルのファンキー加藤が「みなさんの笑顔に会えて良かった」と声を掛けると、約2千人の観客は多いに盛り上がった。
うちわを振って聞き入った宮古商業高校1年内藤澪さん(16)=宮古市=は「歌詞に共感できて元気が出た。これから頑張ろうと思った」とうれしそうに話した。
DJケミカルは「子どもたちは未来の象徴。力ある若者が先頭に立って、新しい町をつくってもらえたら」と期待を寄せた。

久慈の同業者、山田へ発注 「被災者に仕事を」

岩手日報

 久慈市侍浜町の電子製品製造、ジュークス(城内治社長)は自身が請け負った仕事を被災地の同業者に回し、現地の雇用創出に貢献している。「被災者の生活再建には仕事が不可欠」との思いから、復興の一助として今後も仕事を積極的に発注していく考えだ。

 同社は今月上旬、東京の業者から携帯電話関連の検査業務を依頼された。従業員では対応しきれなかったため受注しないことも考えたが、「少しでも被 災地に仕事を」との思いから、沿岸の被災3地域に声を掛け、最終的に山田町のコネクター検査製造、船越電子工業(芳賀泰彦社長)に仕事を発注した。

 同社の従業員だけでは人手が足りず、急きょアルバイトを集め、3日間で延べ200人余の雇用を生み出した。雇用された人の多くが被災者だったという。現地を訪れた城内社長(49)は「(雇用者から)仕事ができるうれしさをひしひしと感じた」と振り返る。

 芳賀社長(57)は「震災前の3割ほどしか仕事がない状態。町の復興には雇用が一番重要だ」と窮状を訴える。

 ジュークスは野田村の被災住民を積極的に臨時雇用もしている。城内社長によると、大手メーカーを中心に被災地の企業との取引を縮小する動きがあるといい、「製造業の灯を消さないためにも被災地に優先して仕事を出してほしい」と求める。

 

【山田】さんさの慰問、心も躍る 山田高で公演

岩手日報

 盛岡さんさ踊り実行委(会長・谷藤裕明盛岡市長)は18日、山田町織笠の山田高などで被災地公演を行った。ミスさんさらが優美な踊りを繰り広げ、被災者を元気づけた。

 鈴木稔副委員長や2010ミスさんさ踊りの3人ら計20人が訪問。避難所となっている同校体育館に太鼓のリズミカルな音色と「サッコラチョイワヤッセ」の掛け声が響き渡り、手を振り踊りをまねる被災者もいた。

 同校に避難している篠沢アサさん(73)は「盛岡のさんさ踊りは何度も見に行った。最高に良かった」と感激していた。一行は宮古市総合体育館や宮古駅前などでも踊りを披露した。

 8月1日から4日まで開催される今年の盛岡さんさ踊りは、東日本大震災からの復興を願い、被災地から各日約100人を招待する。被災地での公演も継続する予定で、鈴木副委員長は「さんさを見てもらい、少しでも被災地に元気を届けたい」と意気込んだ。

【写真=はつらつとさんさ踊りを披露する実行委のメンバー=山田町・山田高】

 

東日本大震災の被災地にボランティアが集まり、グルメグランプリなどが行われました。

フジテレビ系(FNN)

日曜日の19日、東日本大震災の被災地にボランティアが集まり、グルメグランプリやたこ焼き教室などが行われました。
行列の先には、焼きたてのお肉。
ボランティアV級グルメ対決が開幕した。
イベントを主催した津田 千恵子さんは「B級グルメをパクりました。(V級のVは?)Vは、ボランティアのVです」と話した。
宮城・石巻市で開かれたのは、B級グルメならぬ「V級グルメグランプリ」。
日差しが照りつける中、全国から集まったボランティアが、自慢の炊き出しを披露した。
沖縄から来た焼きそば店は「自分は沖縄から来たんですけど。(焼きそばの味は?)焼きそば? そりゃあ、おいしいですよ!」と話した。
北海道・函館から来たコーヒー店は「自分でいれてきました。アイスコーヒーが今回は売りです」と話した。
かき氷や焼きそばなど、およそ1,500食分の炊き出しに、訪れた人も大満足の様子だった。
訪れた人は、「おいしいです!」、「最高ですね、うれしい。ありがとう」と話した。
イベントを主催した津田 千恵子さんは「(いつもは)1テーマのごはん(食事)しか提供することができなかったので。いろいろ食べ物の選択肢、いろいろなもの(食事)を選ぶ楽しさを提供したいなって」と話した。
1位は後日、避難所で発表されるという。
一方、福島市では、旬の味覚サクランボが解禁された。
サクランボを食べた人は、「甘ーい! うまーい!」、「おいしいです。とっても甘くて」と話した。
市内の果樹園では開園式が行われ、参加者は、披露された真っ赤なサクランボを堪能していた。
震災以降、入っていた予約の90%以上がキャンセルになったという市内の農園。
19日の開園式には、政府関係者も駆けつけ、福島への継続的な支援を表明した。
市観光農園会長は「これから前向きになって、これからのモモ、あるいはナシ、ブドウ、リンゴ、そういうふうにつなげて頑張っていきたいと、そういう気持ちでいます」と話した。
一方、岩手・山田町では、本場・大阪のたこ焼き職人が、被災した子どもたちに職人の技を伝授した。
たこ焼き職人が、「丸く回すんではなくて、横まぜで」と指導し、子どもは「ちょっと難しい。早く食べたい」と話した。
ぎこちない手つきで、一生懸命たこ焼き作りに挑戦する子どもたちは、表情も真剣そのもの。
完成後は、自分が作ったたこ焼きをほおばり、思わず笑みがこぼれた。
参加した人は、「おいしい」、「やっぱり作り方も全然違ったんで、これはおいしいなと思って」と話した。
主催した斉藤幸男事務局長は「少しでも元気になっていただければということで。とっても、お子さんたちの笑顔が見れて、うれしく思っております」と話した。

 

 

2011年6月18日

東日本大震災:被災地でがれき撤去 飯田市社協、ボランティア募集 /長野

毎日新聞

 飯田市社会福祉協議会は、7月15~18日に東日本大震災の被災地でがれきの撤去作業などのボランティア活動をする2回目の「飯田市災害ボランティアバスパック」の参加者を募集している。定員20人。締め切りは6月24日。食事・宿泊費は1万3000円。
5月下旬に実施した前回のバスは定員を満たす20人が参加した。今回は飯田市から直行のマイクロバス2台で津波被災地の岩手県山田町を訪れ、16、17両日、現地でがれき撤去や家屋からの土砂のかき出しをする。
食事・宿泊費は前回より2000円安い。問い合わせは同社協(0265・53・3180)。【石川宏】

 

 

2011年6月17日

県が仮設改良 玄関向かい合わせに 

朝日新聞 2011年06月17日

 玄関は向かい合わせに、スロープや手すりも――。岩手県は16日、建設中の仮設住宅の一部に改良を加えると発表した。狙いは「コミュニティーの形成」だ。

 県内の仮設住宅は、南側に居室、北側に玄関がある住宅が連なっている団地が基本だ。まず、釜石市の平田多目的グラウンド、宮古市の第二中 学校グラウンド、山田町の織笠希望ケ丘の計154戸の玄関を北向きから南向きに変更。対面する同戸数の北向き玄関と「向かい合わせ」になる。

 きっかけは建築家山本理顕氏のアドバイス。玄関を向かい合わせにして住民が行き交う路地を作れば「住民同士が交流して、向こう三軒両隣になる」(県建築住宅課)という考えだ。

 玄関が南側になる住宅は居室の一つが南側になるよう間取りも変更。路地にならない仮設住宅と仮設住宅の隙間は雪下ろし場に活用する。

 玄関を向かい合わせにする配置は、釜石市や遠野市の一部ですでに実験的に導入されているという。

 県はすでに50戸以上の仮設住宅団地の空きスペースに遊具やベンチ、プランターなどを設置し、約8千戸の住宅に外から断熱材を貼り、二重 窓にする防寒工事をする方針を打ち出している。この他、住民の要望があれば玄関にスロープ、室内に手すりを設置するとも発表した。居室のうちの1室は畳敷 きに変更できる。

 追加工事は住民の負担は発生しない。問い合わせは各市町村の仮設住宅担当課へ。

 

【山田】応援派遣の警察官らに感謝 幼稚園で催し

岩手日報

 山田町八幡町の山田幼稚園(佐々木美賀子園長、園児43人)は16日、同町に応援派遣されている埼玉、群馬両県警の警察官ら約20人を招いて「ありがとうの会」を開き、園周辺のパトロールなど大震災での活動に感謝を表した。両県警は17日朝で任務を終え、同町を離れる。

 横一列に整列した警察官や園児の父親の自衛官を前に、全園児が「よさこいソーラン」を披露。「町の安全を守ってくれてありがとう」と声をそろえた。

 園児は手作りのバッジもプレゼント。「トンネルくぐりリレー」では警察官らと園児が手をつないで走り、大いに盛り上がった。

 群馬県警の矢野尚人警部補は「園児と触れ合い、新たにやりがいを得た」と表情を崩した。

 関根颯来(そら)ちゃん(5)は「おまわりさんはピューと速かった」とはしゃいだ。

【写真=園児とトンネルくぐりリレーでふれあう派遣警察官ら=山田町・山田幼稚園】

 

東日本大震災:被災地復興へ手を、市社会福祉協議会などがバスツアー開催へ/横須賀

カナロコ

 横須賀市社会福祉協議会と市民グループ「横須賀災害ボランティアネットワーク」は7月上旬から、東日本大震災の被災地で支援活動を行うボランティアのバ スツアーを開催する。会社勤務や学生でも参加しやすいよう日程を週末に設定。11月中旬まで計6便の運行を計画している。
第1便の日程は7月8~10日の2泊3日。岩手県山田町で主にがれきの撤去や、住宅と排水溝の泥出しを手伝う。8日午後8時半に市総合福祉会館(本町2丁目)を出発、2日間現地で作業し、10日午後10時ごろに帰着する予定。
参加資格は、市内在住・在勤・在学の18歳以上で、ボランティア活動保険加入者。作業着や作業靴、マスクなどの所持品を各自で用意し、食事も各自で調達する。関係団体が一部料金を負担するため、交通費は3千円(往復バス代)。
7月2日に事前説明会を実施する。ボランティア参加希望者は、6月20日午前8時から同月28日午後5時まで、指定の申込用紙に必要事項を明記し、同協議会ボランティアセンターまでファクス=046(824)8110=する。
各便の定員は30人(先着)。申込用紙の入手方法などの問い合わせは、同センター電話046(821)1303。

 

<東日本大震災>標本8万点津波で流出、3千点修復に尽力

毎日新聞 6月17日(金)13時2分配信

<東日本大震災>標本8万点津波で流出、3千点修復に尽力

 東日本大震災で、藻類研究者の吉崎誠・東邦大名誉教授(68)=千葉県成田市=が、岩手県山田町に寄贈した8万点を超す海藻の標本の大半が津波にのみこ まれた。40年以上の研究人生すべてが詰まった学術的にも価値の高いコレクション。「負けてられない」と吉崎さんは、残された標本約3000点の修復を進 めながら、研究で通い詰めた同町の早期再建を願う。
山田町は日本海側から暖流が回り込み、豊富な藻類が観察できる調査研究の拠点だった。恩返しの気持ちを込めて昨年12月に町に標本を寄贈した。震災1カ月後に標本を収蔵していた町立鯨と海の科学館を訪れたが、保管庫はまだ泥とがれきに覆われていた。
ホルマリン漬けの小瓶の標本を拾い出し、教え子と川の水をくんで洗った。町内の別の場所で標本の押し草を収蔵していた倉庫は跡形もなく流されていた。
高校1年の冬に藻類の研究を志した。故郷の青森で吹雪の海岸を歩いた時のことだ。モノクロの風景が広がる中、波打ち際で青々と揺れる海藻の生命力にひか れた。1966年に東邦大助手となり、教授で迎えた定年まで現場主義を貫いた。国内外の海岸で集めた標本は「日本で3本の指に入る」自負がある。
「未練がないと言えばうそになるけど、大半は僕の頭の中に残っている」と吉崎さん。「あと3年は顕微鏡をのぞける」と研究意欲は衰えていない。町は科学館を復興の象徴として再建し、標本の一部も展示する計画だという。【八田浩輔】

 

ママ友 広がる支援 高津・このはな保育園から岩手県山田町へ

東京新聞

 川崎市高津区の吉田里嘉子さん(38)と、矢吹朋子さん(36)が十六日、同区の「このはな保育園」の石村早苗園長(60)を訪ね、同保育園から 託されていた義援金と園児らの手紙を、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県山田町の保育園に無事に届けたことを報告した。現地の写真や、義援金を寄せ てくれた保護者へのお礼の手紙を園長に手渡した。 (平木友見子)

 吉田さんは山田町の出身。矢吹さんら「ママ友」仲間のネットワークを駆使し、故郷の復興支援をしている。

 「このはな保育園」は、保護者の有志で五月にフリーマーケットを開催。被災地に手作りの通園バッグなどを届けている吉田さんらの活動を本紙の報道で知り、収益金約七万円と、保護者や園児の手紙などを吉田さんに託していた。

 「(被災地の子どもたちの災難は)同じ子どもを持つ親として人ごとではなく、保護者は一生懸命フリーマーケットをやってくださった」と石村園長。「だからこそ、きちんと目に見える形で被災地の子どもたちに(支援を)届けたかった」と、吉田さんに託した理由を話した。

 吉田さんは山田町の役場経由で、町内で最も被害の大きかった「わかき保育園」に連絡。建物が津波で流され、民宿に移転した同保育園を十一日に訪れ、義援金などを手渡したという。

 吉田さんは「ママ友の支援の輪が広がり、感激。山田町の保育園の子どもたちも、すごく喜んでくれてうれしかった」と話し、「さらに継続して、山田町を支援していきたい」と力強く語った。

 

防火タンク命つなぐ 解体話一転、地域の「宝」 岩手・山田

河北新報 6月17日(金)

 東日本大震災で一時孤立した岩手県山田町大沢の浜川目地区に、住民の危機を救った防火用水タンクがある。水、食料などの物資が届かなかったとき、住民が その水を炊き出しや飲料水に使い、飢えをしのいだ。震災前には老朽化で解体が検討されていたタンクは一転、地区の「宝」として残る見通しとなった。
路地の一角にあるタンクは高さ約2メートル、奥行き約3メートルのコンクリート製。いつ造られたかは不明だが、戦前からあったという。近くに住む自治会長の鈴木徳夫さん(69)は「このタンクの水で生き延びた。なかったら、と思うとぞっとする」と振り返る。
浜川目地区は山田湾の北側にあり、約60戸、220人余りが住む。津波で海に近い約40戸が流され、9人が死亡、6人が行方不明となっている。
国道45号につながる県道はがれきで車両が通行できず、孤立した。地区外から水や食料の救援物資が届いたのは、1週間近くたってからだった。
その間、住民は被害を免れた家に身を寄せた。電気や水道は止まったが、プロパンガスは使えた。そこで注目したのがタンク。中には100メートルほど離れた井戸から引いた水が5トン以上貯蔵されていた。かつては地区の飲み水だった時代もあったという。
住民は食料を持ち寄り、炊き出しをした。沸騰させて飲料用にも使った。おかげで地区の孤立という危機を乗り切ることができた。
タンクは水漏れする箇所があり、たびたび解体話が出ていた。震災後、いざという時の水を確保するため「存続させよう」との結論になった。
「まさかこのタンクが住民を守ってくれるとは思わなかった。今は地区の宝。大事にしたい」と鈴木さん。町にタンクの補修を要望する考えだ。

 

2011年6月16日

同じ捕鯨の町、クジラ肉500キロ贈り元気づけ

産経新聞 6月16日(木)

 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県山田町を支援しようと、古式捕鯨発祥の地として知られる和歌山県太地町と町漁協いさな組合はクジラの肉を届けることを決め、16日朝、肉500キロ分をトラックに積み込んだ。17日早朝に出発し、今週末に現地で炊き出しを行う。
山田町は、商業捕鯨が禁止となる昭和62年まで捕鯨の町として栄え、現在もイルカ漁を行っている。震災で同町の漁業も大きな被害を受けたことから、太地町や同組合が同じ捕鯨の町を支援しようと企画した。
被災地に届けるのは、同組合が太地町沖の熊野灘で捕獲したゴンドウクジラ(マゴンドウ)2頭分500キロ。竜田揚げや焼き肉用に約2千人分を用意し、同 組合と町職員約20人が県立山田高校などの避難所を訪れる。また、被災地支援を続けている自衛隊にも鯨肉を届けるという。
脊古(せこ)博文組合長は「山田町の人にとって、クジラは懐かしく食べ慣れた肉のはず。おいしく食べて元気になってほしい」と話している。

 

【山田】満足、流しそうめん 復興イベント盛況

岩手日報

 盛岡市のボランティアや東京都のミュージシャンらが企画した復興イベント「I LOVE やまだ」(実行委主催)は15日、山田町八幡町の御蔵山で開かれ、流しそうめんや音楽ライブなどでにぎわった。

 屋内のテント会場では全国から寄せられた夏物衣料や茶わん、漫画本などを無料で配布。「ちょこっと食堂」と名付けたスペースでは、中華丼とフランクフルトも提供された。

 ミュージシャンによるライブも繰り広げられたほか、屋外では流しそうめんも振る舞われた。

 山田南小6年の沢田拓真君は「流しそうめんは楽しいから、いっぱい食べられそう」と、夏の味に満足げだった。

【写真=屋外で流しそうめんを楽しむ来場者=山田町】

 

岩手・山田町から「いま、つたえたいこと」

日本テレビ系(NNN) 6月16日(木)2時47分配信

 岩手・山田町では、東日本大震災の津波の影響で町の家屋の約半数が全壊した。現在、仮設住宅が建設される中、山田町で生活している人たちに「いま、つたえたいこと。」を聞いた。
三浦博美さん(41)「家は無事だったんですけれども、職場は津波で流されてしまいまして、仕事がなくなってしまいました。きのうから建設屋さんのお手 伝いで、重機が入らないところのガレキ撤去作業のお手伝いをしていました。早く、みんなが働ける場所ができるように、と思っています」
「中村生花店」の中村勇二さん(49)「最近、ここ何日か前からプレハブを中古で買って、どうにかこうにか、今、ここまできています。最初のあたり、お 花を買いに来る方も、花も買えるような状況じゃなかったので、お花屋さんができてよかったなって言われたりすることもありましたけれども、これからも皆さ んの力になるように、頑張っていきたいと思っています」
佐藤雄一さん(66)「ガレキが一部撤去されまして、花屋さんとか飲み屋さん、食堂屋さんが今、仮設で準備をしておられますので、いくらか復興の兆しは あるなという感じで受けています。こうしたことがどんどん広がるにつれて、今、避難している方もだんだんだんだん落ち着くのではないかと、そのように考え ております」

 

 

2011年6月15日

復興シンボルに、泥まみれのクジラ標本を洗浄

読売新聞 6月15日(水)23時27分配信

復興シンボルに、泥まみれのクジラ標本を洗浄

 東日本大震災で津波に襲われ、休館中の岩手県山田町の「鯨と海の科学館」で15日、泥まみれになったものの流失を免れたマッコウクジラの骨格標本を洗浄する作業が行われた。
全長17・6メートルで、マッコウクジラの標本としては世界最大級。商業捕鯨が禁止された1988年の前年に同県釜石市沖で捕獲された。
町観光協会の職員らが高圧の水や消毒液を吹きかけ、骨についた泥やカビをきれいに洗い落とした。科学館の専門指導員・道又純さん(61)は「鯨ももう一 度海の水につかるとは思っていなかっただろう。復興のシンボルとして親しまれてほしい」と話していた。科学館は損壊した施設の補修を急ぎ、再開を目指す。

 

東北の人々へ支援で恩返し 米国人タレントのカールさん

河北新報 6月15日(水)16時37分配信

 流ちょうな山形弁を操る米国人タレントのダニエル・カールさん(51)が、東北地方の被災地に支援物資を届けている。「大事にしてくれた東北の人にお返しをしたい」。野菜や生活雑貨を自ら運転するトラックに詰め込み、被災者に手渡してきた。
「ありがとう」「また来てくれた」。5月下旬、避難所となった岩手県山田町の大浦保育園。カールさんがトラックから納豆や歯ブラシ、絵本などの品物を 次々と取り出すと、周りに自然と人が集まった。園長の豊間根よね子さん(60)は「いただいた食べ物でおみそ汁を作った。明るい気持ちになる」と笑顔を見 せた。
米国の大学を卒業後、英語教員として山形へ赴任。東北地方の食べ物や人の優しさにほれ込み、各地を旅した。津波の被害を聞き「スコップを持ってすぐ助けに行きたいと思った」。東北道が通れるようになると、すぐに被災地入りした。
野菜が足りないと聞き「まずはうまいもの食わせて、元気出させてやろう」とキャベツやニンジンなどを届けた。短文投稿サイトの「ツイッター」で呼び掛けると反応があり、野菜以外の食べ物や生活雑貨へと支援の輪は広がった。
被災地の生活を立て直せるように、今後は東北の産品を西日本などに売り込む方法を考えていくという。カールさんは「現地は生活がまだまだ苦しい。これからも支援を続ける」と決めている。

 

岩手・山田湾。ダイバーが見つけた海の底に沈んだ思い出の品々

ギズモード・ジャパン 6月15日(水)

岩手・山田湾。ダイバーが見つけた海の底に沈んだ思い出の品々

震災から約3ヶ月後、甚大な津波の被害を受けた岩手県山田町の湾に、日本のNPO法人が捜索のために潜り、その様子がABC Newsで報道されました。
海の底には、流されたトラックや家、食器や靴や本、そして、思い出の写真も沈んでいます。
捜査員の「ただの瓦礫なんて言えるわけがない、かつて、これらは誰かの大切な物だったのだから。」というセリフが印象的です。
今も行方不明者の捜索は続いています。
参考サイト:http://stokereport.com/rant/villages-underwater[Stoke]

 

大量のハエに漁業者苦闘 山田湾で廃棄ホタテが腐敗

岩手日報

 

 山田町の山田湾で、海中から引き揚げ、廃棄するしかない養殖ホタテの腐敗が進み、大量に発生したハエが漁 業者を悩ませている。養殖を再開するには津波で流された大量の養殖施設を陸揚げすることが不可欠だが、量が膨大なため回収した分は岸壁に山積みのまま。消 石灰を散布するなど防疫対策を急いでいるが、発生を抑えられずにいる。

 山田湾では先月から、クレーンを積んだ台船で海中に沈んだ養殖施設の回収が進む。山田漁港に陸揚げしたロープなど施設は、岸壁の至る所に積み上げられ、漁協組合員がナイロン製のネットに入ったホタテと、針金やロープなどの漁具を手作業で分別している。

 気温上昇とともに、ホタテからはウジやハエが発生。陸揚げした施設を揺すると、無数のハエが飛び回る。組合員は皆マスク姿だが、強烈な腐敗臭に表情も険しい。

 消石灰を散布しているが、回収する量が膨大で処理が追いつかない現状。漁港から避難所や住宅地は離れているが、衛生面を考慮してホタテの焼却も行っている。

 それでも養殖再開を見越せば、陸揚げを急がなくてはならない。流された施設が残ったままだと、養殖が本格化する今秋までに新しい施設を海に設置できなくなるからだ。

 作業に当たる三陸やまだ漁協の上林実理事は「海の中にどれだけのホタテがあるか把握しきれず、岸壁にたまる一方。養殖再開の作業もやらなければいけないのに」とため息を漏らす。

 

被災地へ「届けた」

2011年06月15日

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 東日本大震災で津波被害を受けた被災地の子どもたちに野球用具を贈ろう――横浜市の少年野球チームのコーチらの呼びかけに、続々とバットやボールが集まった。5月、仙台市少年野球連盟を通じて宮城、岩手両県の野球少年たちに手渡された。

 呼びかけは、4月23日付の朝日新聞でも紹介した。バット約300本、グラブ約300個、ボール90ダース、スパイクにTシャツ……。呼びかけ人の横浜市都筑区の下郡稔さん(43)らの元には、300人近くから野球用具が届いた。

 その多くに手紙が添えられていた。「野球が好きなみんなの役に立てれば」「このバットで野球をし、楽しい時間をすごしてくれたら幸いです」。同世代の子は、こんなメッセージを寄せた。自分の子どもが小さい頃に使っていた用具を、物置から引っ張り出してきた人も多い。

 仙台市少年野球連盟の平間輝夫会長(64)は「子どもたちは津波で家を流され、用具もなくした。下を向いていたその子たちが、みなさんからのボールやグラブを手にした瞬間、笑顔になったんです」と喜ぶ。

 仙台市在住の知人から被災地の野球少年の話を聞き、「少しでも早く野球を楽しめる環境を取り戻してあげたい」と動いた下郡さん。「今後もいろんな形で支援を続けたい」と言う。

 8月には県少年野球交流協会の協力を得て、横浜スタジアムなどで開かれる「全日本選抜少年野球交流大会」に、仙台のチームを招待するという。

 (日高敏景)

 逗子市の女声合唱団「フラワー合唱団」が主催したチャリティーコンサートの義援金で、東日本大震災で被災した岩手県宮古市と山田町の二つの保育所にピアノや電子ピアノが届けられた。贈呈式が15日、盛岡市内である。

 フラワー合唱団は、逗子在住の声楽家で元東京音大講師の飯塚三枝子さん(69)の指導の下、高齢者や主婦ら25人で構成。1年半に一度開くコンサートには障がい者や、音大の元教え子、先生らも加わる。第7回演奏会は「被災地支援」として4月24日に逗子市内で開かれた。

 世界24カ国で公演し、21世紀の太鼓界をリードするヒダノ修一さん(41)が迫力ある演奏を披露。自閉症の塚原広介さん(36)がモーツァルト「ロンド」を客席に目線を送るほどの余裕でピアノ演奏し拍手が沸き起こった。

 約500人の客席も一体となって盛り上がり、集まった義援金は50万円。河合楽器製作所の協力もあって、5月末には保育所にピアノが届いた。

 その一つ宮古保育園(宮古市)の鈴木哲夫園長(75)は「子どもたちはピアノの伴奏で楽しく歌っています。全国の皆様の支援で希望の光が 見えました」と話す。同保育園は津波をかぶり、現在も市内の別の保育園を間借りしている。山田町第一保育所(山田町)の阿部哲雄所長(62)も「オルガン が流されてしまったので、本当にありがたい。心から感謝しています」。

 15日の贈呈式には飯塚さんが出席する。元教え子で、盛岡市出身の新進気鋭のピアニスト佐藤彦大(ひろ・お)さん(23)の慈善演奏会の前に飯塚さんと阿部所長のあいさつがある。

 佐藤さんは、演奏会で鎮魂の思いを込め、リストの「ダンテを読んで ソナタ風幻想曲」などを演奏する。入場無料、先着順。問い合わせは実行委員会の中野恵美さん(019・667・2840)。

 (山元一郎)

 

2011年6月14日

被災地ボランティア参加者を募集、被災家屋の片付けや泥だしなど/神奈川

カナロコ 6月14日(火)15時30分配信

かながわ県民活動サポートセンターなどは、東日本大震災の被災地ボランティアを募集する。岩手県山田町や宮城県東松山、石巻市周辺で被災家屋の片付けや泥だしなどを手伝ってもらう予定。
募集は岩手行き5便、宮城行き4便の計9便で各30人(先着順)。参加要件は18歳以上の県内在住で事前説明会に出席できる人。参加費は4千円(往復バス代)。県バス協会が一部料金を負担するため、ボランティアの負担額は従来より2~3千円減った。
申し込みは神奈川災害ボランティアネットワークの特設サイト(http://ksvn.jp/)またはファクス=045(324)1120=まで。
活動日程は次の通り。
【岩手】6月21~23日▽24~26日▽27日~7月1日▽6月30日~7月3日▽2~5日
【宮城】6月21~22日▽24~25日▽28~29日▽7月1~2日

被災地に新茶を 静岡

産経新聞 6月14日(火)

 東日本大震災の被災者に香り高い新茶を届けようと、大村慎一副知事らが岩手県を訪れ、大槌町と山田町に静岡茶(牧之原茶、島田茶、掛川茶など)60キロ と、急須130個、茶菓子を贈呈した。県茶業農産課では「贈った新茶は、すでに放射能検査の結果が判明し、安全性が確認されたものだけです」としている
同時に、県と茶業関係者は、両町の8カ所の避難所で呈茶(ていちゃ)サービスを実施。被災者約千人が新茶を楽しんだ。被災者は「久しぶりに急須でいれたおいしいお茶を飲みます」などと喜び、中には自分の湯飲みやタンブラーを持参して何杯も楽しんでいく人もいたという。
県の担当者は「被災地のお茶は、ペットボトルかティーバッグだそうで、急須でいれたお茶はとても好評だった」と顔をほころばせた。自ら被災者のためにお茶をいれた両河内茶業会の細川豊会長も、「静岡のお茶をゆっくりと飲んで、元気を取り戻してほしい」と願っていた。

 

 

2011年6月13日

<東日本大震災>被災小中高生9割「まちのため何かしたい」

毎日新聞 6月13日(月)

 東日本大震災で被災した小中高生約1万人の9割が「自分のまちのため何かしたい」--。子供支援の国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」(SCJ、本部・東京)が13日、こんな調査結果を発表した。
調査は5月24日~6月4日、宮城県石巻市、東松島市、岩手県陸前高田市、釜石市、山田町の小学4年~高校3年の計約2万1000人に実施、有効回答は 52%の1万1008人。SCJは地域復興への子供の参加実現に向け5年間の活動を計画しており、子供たちの意向を確認するため記述式で尋ねた。
「自分のまちのため何かしたいか」との問いに約9割が「はい」と答えた。その内容は「ごみ拾い・そうじ」が多く、津波に襲われた街を元に戻すため、できることに取り組もうとの思いがにじむ。
「まちをよくするためにだれと話をしたいか」との質問には約4分の1が「総理大臣」と答え「子供同士」を抑えてトップ。政治のリーダーシップの大切さを感じ取っていた。
SCJは既に、政府の復興構想会議や岩手、宮城、福島各県知事に子供の意見を尊重するよう要望書を提出。7月には、子供たちが復興について話し合う「子 どもまちづくりクラブ」をつくる予定。緊急支援担当の津田知子さんは「子供たちは震災の恐怖を体験しても、古里復興への思いが強い。提言を生かせるよう取 り組む」と話している。【鈴木梢】

被災児童らワイナイナさんと快走 岩手・山田町で

共同通信

ケニア出身でシドニー五輪マラソンの銀メダリスト、ワイナイナさん(37)が13日、岩手県山田町の町立船越小の児童らが学校生活を送っている県立陸中海 岸青少年の家を訪れ、児童らとマラソンを楽しんだ。児童は、震災で校舎が損壊し、仮校舎となった青少年の家で、5月からマラソンを再開した。この日、ワイ ナイナさんは約150人の児童と一緒に「頑張れ」「ファイト」と声を掛けながら、山道を1キロほどランニング。

 

震災からの復興 岩手・山田町で建築許可をめぐり住民と行政の間に溝があります。

フジテレビ系(FNN) 6月13日(月)13時13分配信

復興に向けて、「次」へ動き出す人や企業に焦点を当てて、シリーズでお伝えします。
岩手・山田町で津波で家を流された男性が、同じ土地で家の再建を目指していますが、建築自粛を求める行政との間には大きな溝があります。
復興に向けて動き出した被災地の問題を取材しました。

岩手・山田町の解体業・糸井孝行さん(63)。
家は津波で流され、土台だけ残った。
糸井さんは「今度、この土台を利用して家建てる」と語った。
祖父の代から住み続けた土地のため、糸井さんは、海沿いのこの地に再び家を建てる決意をした。
この日、糸井さんは、山田町役場に向かった。
糸井さんは「(これから何を?)家を建てる申請に。(許可は下りそう?)わかんない、通るかは」と語った。
家を建てるために必要な建築許可を求める住民。
一方で、山田町は、住民に建築自粛を要請している。
今、被災地では、家の建築許可をめぐって、住民と行政の間に大きな溝ができている。
震災で多くの土地が被害を受けた山田町。
堤防の決壊や地盤沈下が起きていることから、再度、津波や浸水に襲われる可能性がある。
また、山田町の新たな浸水マップは、6月9日に県が作成したばかりで、町ではまだ、災害危険区域を指定できていない。
山田町の沼崎喜一町長は「被災した地域は、まだ堤防が倒壊したままになっている場所もありますから、危険性が高くなっているので、(建築は)自粛していただきたい」と述べた。
しかし、多くの自治体には、建築を禁止する条例はない。
そのため、山田町では住民に対し、建築の自粛を呼びかけることしかできないのが現状となっている。
沼崎町長は「51年前のチリ津波で、建築制限をかけていれば、(今回)亡くさずにすんだ命もあったかもしれない。それが悔しいんですよ、わたしはね。町としては、以後、津波による犠牲者は1人も出さないんだと」と述べた。
さらに、住民が家を建てた場合でも、後に危険区域に指定されれば、立ち退きを求めなければいけない可能性もある。
そのため山田町は、住民に理解を求めるため、説明会を開催した。
しかし、住民にとっては先の見えない建築自粛に、不満がこぼれた。
説明会に集まった住民は「われわれ町民は、あしたを考えているんです。じゃあこれは、(家を)建てていいんですか? 悪いんですか? ということを、極端に聞きたいです。いつ建てられるんですかっていうのは、6月に目標が立つんですか、それとも9月に立つんですか?」と質問。
沼崎町長は「9月までかけて、復興計画ということで、さらに皆さんの意見をお聞きしたいと思います。最終的には、年内に、山田町としてはこうするんだと」と答えた。
建築許可の相談に山田町役場を訪れていた糸井さん。
町の建築自粛という答えに変わりはなかったが、糸井さんは、家を建てるための地鎮祭を行った。
住民と行政の間の埋まらない溝。
復興に向けた、一刻も早い枠組みづくりが求められている。

山田町で建築を行う場合、町を通して申請するが、許可は町ではなく、岩手県が出すことになる。
県では、その建築物が法律に反していない限り、制限することはできない。
新たに条例をつくれば、建築を制限することは可能だが、復興計画が決まっておらず、条例制定のめども立っていない。
山田町では、危険な場所ではあるが、建築は制限できないというジレンマを抱えている

 

<東日本大震災>大沢小「震災日記」3カ月で生活に変化

毎日新聞 6月13日(月)11時1分配信

<東日本大震災>大沢小「震災日記」3カ月で生活に変化

 東日本大震災の発生時から「震災日記」を書き続ける岩手県山田町立大沢小学校に通っていた子供たち。毎日小学生新聞に月1回「大沢からの報告」として掲載されている日記には、3カ月を経て復興で少しずつ変化する生活や心持ちがつづられている。
【写真特集】いま、あなたの宝物は何ですか?
5月11日
震災から2か月がたちました。あの時を思い出すと、今でもふるえます。でも、あの時と今の町ではぜんぜんちがいます。今ではみんな、前を向いてがんばっています。(佐々木あみ・6年)
5月12日
今日から家のおふろに入れるようになった。新しく買ったので、とても立派だった。おふろに入れてよかった。(中村百花・5年)
5月15日
震災後、ずっとやっていなかったピアノのレッスンをした。ピアノ教室が流されたので、家でやった。うれしかった。(白野虹歩(しらのにじほ)・5年)
5月23日
今日から家庭訪問があります。なので4時間授業です。私たちがいつも食べている弁当は、無料で、しかも毎日メニューが変わります。感謝しながら残さず食べています。(中村奈緒・中1)
5月28日
宮古から山田に帰ってくる時、国道の街灯がなく、とても暗くてこわかった。あかりって、私たちにとって、とても大切だと思う。早くつけてもらいたいです。(古久保優希菜・6年)
5月31日
今日は、早退をした。おじちゃんの火葬の日だ。顔を見れなかったけど、しっかりとお別れのあいさつをした。おじちゃんはスーパーで働いていた。今は再開 しているが、ぼくのお母さんは思い出して泣いてしまうから行けていない。早く元の明るいお母さんに戻って、元気になってほしいなと思う。(大川海成・中 1)
6月1日
今日から衣替えでした。だけど1年生はそのままジャージです。2、3年生も夏服を流された人がいたのでジャージ登校でした。早く山中生全員が制服を着る日が来るといいです。(中村奈緒)
6月2日
震災から二日目の時、お世話になった人におれいをしにいきました。(福士悠太・6年)
6月5日
盛岡で中学校に入ってから初めての柔道の大会があった。一か月以上練習が遅れていたので、その分何週間も精いっぱい練習を頑張ってきたけど、3年生とか と対戦して負けてしまった。くやしかった。次は、一週間後にまた大会があるので、試合に勝つために毎日頑張りたい。(大川海渡・中1)

 

2011年6月12日

被災地の5団体元気に伝統の舞 盛岡で復興祈願祭

河北新報 6月12日(日)6時13分配信

 盛岡市の桜山神社で11日、「三陸復興祈願祭」が開かれ、東日本大震災で被害を受けた岩手県山田、大槌両町の郷土芸能5団体が、神楽や鹿踊りといった伝統の舞を奉納した。
参加したのは、山田町の八幡大神楽、不動尊神楽、八木節、大槌町の臼沢鹿子踊、城山虎舞。境内に集まった約300人の市民らが見守る中、太鼓や笛の音に乗って元気に舞を披露した。
臼沢鹿子踊保存会リーダーの東梅英夫さん(65)は「内陸からの支援に対するお礼の気持ちも込めて、前向きな姿を見せることができた」と笑顔で話した。山田町に救援物資を送るなどしてきた桜山神社の坂本広行宮司は「沿岸と内陸が一つになって復興に進みたい」と語った。

 

<東日本大震災>休業・失業…避難所は47% 毎日新聞調査

毎日新聞 6月12日(日)10時53分配信

<東日本大震災>休業・失業…避難所は47% 毎日新聞調査

 東日本大震災は11日で発生から3カ月を迎えた。毎日新聞が震災後1カ月、2カ月時点でアンケートした被災者100人に改めて現状を聞いたところ、86人が取材に応じた。
この被災者追跡調査では、避難所生活者と、仮設住宅や賃貸住宅などに移った人々の「格差」が鮮明になった。震災から3カ月。被災者間で経済面だけでなく、体調などの面でも隔たりが生まれつつある。
◇「避難所」「避難所以外」で広がる生活の格差
避難所暮らしを続ける44人のうち、「今後の生計のめどが立っている」と答えたのは8人で18%にとどまる。避難所以外で生活する42人のうち55%の 23人が「立っている」としたのと比較すると、その差は際立つ。避難所にいる人のうち、「避難所を出て落ち着く先が決まっていない」とした人は73%に 上った。
この結果は、家計を支える「一家の大黒柱」が震災後も仕事を続けているかどうかに比例する。自分や主な所得を得ていた家族が現在も仕事をしているかどう かの質問で、「休業・失業中」と答えたのは、避難所以外では19%の8人だったのに対し、避難所生活者では47%の21人。仮設住宅に移れば支援を打ち切 る自治体もあり、先行きが見通せずに避難所暮らしを続ける人もいそうだ。
水産加工会社に勤務していた宮城県石巻市の藤原勝正さん(61)は、会社が被災し現在も休業中。市内の避難所に身を寄せながら業務再開の知らせを待つ。 「経営者は立て直しを考えているが、いつになるか。40年間続けてきた愛着ある仕事だったのに」とこぼす。同じく避難所暮らしを続ける岩手県山田町の漁 師、佐藤勇さん(62)は「仕事ができず、収入が得られない。家を再建したいのだが」と不安を口にした。
当座の生活資金についても、避難所生活者とそれ以外の人々の差が顕著だ。「あまりない」「全くない」と答えた人は、避難所では46%(20人)いたが、避難所以外では29%(12人)だった。
避難所生活を送る岩手県陸前高田市の無職、金野順一さん(48)は震災後、カー用品店を解雇された。失業保険を受け取り、7月には退職金も出る予定。それでも「当面は何とかなるが、その先どうなるか。自宅再建のあてはなく、車も知人から借りている」と嘆いた。
福島県いわき市から、東京都千代田区の旧グランドプリンスホテル赤坂に避難している司書の大野正一さん(43)は「食事は提供されるが、これから夏に向けて衣服を買う金はない。いざという時、金が手元にないのは不安」と話した。
現在、心身の不調を訴えている人も、避難所生活者の方が多い。「眠れない」と答えた人が8人おり、避難所以外の4人の倍となった。福島県南相馬市から都 内に避難した介護士の女性(53)は「慣れない避難所暮らしのほか、続く余震、将来のことを考えると寝られないこともある。早く落ち着いた生活に戻りた い」とため息交じりで語った。
「かぜなど病気をした」は避難所生活者で5人、避難所以外は3人。ほかにも岩手県大船渡市の無職、山口茂さん(63)は「野菜不足のためか口内炎ができている」と話し、宮城県石巻市の無職、山口和章さん(38)は「のどの調子が悪い」と訴えた。
◇「生活資金ない」37%
当座の生活資金が「十分ある」と答えた人は、わずか6%だった。「あまりない」は28%、「全くない」も9%おり、不安を感じながら暮らす被災者たちの 実情が浮かぶ。家族4人と仮設住宅に入った岩手県宮古市の無職、山田ヨウ子さん(74)は「収入源がないに等しく、切り詰めながらの生活」と言う。
震災前に近所づきあいしていた人が周囲にいるかについては、29%が「全くいない」。地域コミュニティー維持の難しさがうかがえる。福島県いわき市の船員、猪狩光男さん(64)は「市内の賃貸アパートに移り、知っている人が誰もいない。さみしい」と打ち明けた。
◇「暑さ対策できず」も半数
夏場を控え、暑さ対策も課題だ。「あまりできていない」「全くできていない」を合わせて半数。毎日入浴している人は66%で、「2~3日に1度」が 31%、「週1回以下」も2%いた。宮城県山元町のパート、高橋真弓さん(44)は、避難所で出る弁当を翌朝、高校生の子供の弁当にしており、「夏場は不 安」。岩手県宮古市の小学校で避難を続ける福祉関連施設スタッフの木下紀子さん(29)は「母は汗っかきで持病もある」と心配した。
一方、津波被害地区の復興を巡り、高台移転に賛成したのは、岩手68%、宮城81%、福島76%(県外避難者含む)だった。宮城県南三陸町の漁協職員、 三浦幸子さん(59)は「津波で同じことを繰り返したくない」と賛成した。岩手県大船渡市の無職、山口茂さん(63)は「街ぐるみで移転できればベストだ が、海の街は海のそばでないと活気が出ない」と賛否を示さなかった。
政府の震災対応や復興対策の5段階評価では、福島の半数が最低の「1(全く評価しない)」をつけた。田村市の避難所で暮らす原発作業員、亀田典夫さん(59)は「内輪もめばかり」と批判した。
福島県双葉町から埼玉県加須(かぞ)市の高校に避難しているハローワーク相談員、相楽比呂紀さん(42)は、福島県の対応に「県外避難者を後回しにしている気がする」と不信を募らせる。
宮城県名取市から仙台市のアパートに移った無職、若生恵美子さん(76)は「行政手続きは名取市まで行かなければならないが、車を運転できず困難」と訴えた。

 

五輪金メダリストが訪問=東北小学生柔道大会

時事通信 6月12日(日)20時55分配信

 スポーツを通じた子どもの人間形成などを目的に全国で開かれている「スポーツひのまるキッズプロジェクト」の東北小学生柔道大会が12日、青森県武道館で開かれ、五輪金メダリストの野村忠宏、谷本歩実、塚田真希の3氏が特別ゲストで参加し子どもたちを元気づけた。
昨年に続いて2度目の今大会は、東日本大震災復興支援イベントとして実施された。459人の参加者には被災地の岩手県宮古市の宮古少年柔道教室と同県山田町の大沢柔道スポーツ少年団も含まれ、学年別、体重・性別無差別のトーナメント戦や柔道教室が行われた。
野村さんは「今回、短い時間でしたが、子供たちと触れ合うことができ、笑顔と元気な姿を見て、本当に来てよかったなと思いました」と主催者を通じてコメントした。 

 

【山田】被災の老舗割烹が復活 14日、盛岡に新店舗

岩手日報

山田町で割烹(かっぽう)を営んでいた横田博安さん(52)は14日、盛岡市南大通1丁目に新店舗「山田魚河岸」をオープンする。震災で山田町の店 舗が被災したが、少しでも早く立ち上がろうと新天地での営業開始を決意。「山田の人が行くべ、となるような店にしたい」と故郷への思いを胸に包丁を振る う。

 80年ほど続く老舗「家族割烹鮨(すし)魚河岸」3代目の横田さん。3月11日、店で夜の仕込みを終えたころ震災に見舞われた。地震、津波とその後の火事で「全部やられた」。新メニューを考え、店の新たな魅力づくりをする矢先だった。

 豊間根中、雫石プリンスホテルと避難所を転々とした。地元の仮設店舗に入ることも考えたが、できるだけ早く店を構え、地元の人たちに再起した姿を見せたいと盛岡での開店を決めた。

 設備も何もない中「内陸の人が手伝ってくれ、本当に助かった」とかみしめる。親戚のすし店主に包丁の提供を受け、付き合いのあった酒店にはコップや升を贈られた。店舗のリフォームは、沿岸での仕事を終えて戻ってきた業者が深夜まで作業してくれたという。

 10日から3日間は取引先などの関係者を招待し、以前と変わらない腕を振るっている。

 「応援してくれている人も、戻ることを見据えてくれていると思う」と周囲の期待を受け止め、山田町でまた店を開くという目標に向かう。

 山田魚河岸は7月上旬までは無休。問い合わせは同店(ファクス兼019・651・4122)へ。

【写真=お世話になった取引先などを招待し、腕を振るう横田博安さん】

 

 

2011年6月11日

水底の家族写真、少女の手に戻る 岩手・山田湾

朝日新聞

 岩手・山田湾に震災後3カ月近く沈んでいた写真の少女は無事だった。朝日新聞記者とカメラマンが潜水取材で見つけた1枚。7日付朝刊で紹介したところ、「私の娘」と母親から連絡があった。記者が10日、少女と家族に手渡した。

 写真の中でせんべいをかじっていたのは、岩手県山田町の稲川萌(もえ)ちゃん(6)で、後ろの男性は一関市に住む伯父の鈴木智さん(36)。鈴木さんが 昨年8月に同町の実家に戻った際の写真で、鈴木さんは「アルバムを捜したけれど見つからなくて。一枚でも見つかってうれしい」と喜んだ。

 実家は津波でさらわれ、萌ちゃんの祖母鈴木敏子さん(当時61)は亡くなった。祖父教之(のりゆき)さん(68)は家族写真を撮るのが趣味で、アルバムに整理するのが敏子さんの役だった。「何かあったらアルバムを持って逃げたい」と話していたという。

 「こんなにきれいに残っていたなんてびっくり」と写真を手にした母美樹子さん(34)。教之さんは「帰ってきたんだ。3カ月も海にね……」と写真を見つめ、家族がそろっていた1年前の夏に思いをはせていた。(中山由美)

 

山田町 町長が復興を呼びかけ

NHK 6月11日

震災で大きな被害を受けた岩手県山田町では、沼崎喜一町長が「復興に向けて一丸となって前に進もう」と、防災無線で町民に呼びかけました。

山田町では、津波やその後に発生した火災で大きな被害を受け、577人が死亡し、今も271人が行 方不明となっていて、避難所では2100人余りの人が避難生活を続けています。震災から11日で3か月となり、沼崎喜一町長は、町役場にある無線室から防 災無線を使って町民にメッセージを伝えました。この中で、沼崎町長は「全力を挙げて行方不明者の捜索が続いています。いまだに多くの方の安否は確認できて いませんが、町はがれきの撤去が進み、仮設商店街も出来て、にぎわいを取り戻しつつあります。復旧から復興に向けて、これからも一丸となって前に進みま しょう」と呼びかけました。このあと沼崎町長はNHKの取材に対して「長かったようでもあり、無我夢中で過ごしてきたので短かったようにも感じる3か月間 でした」と述べ、復興への決意を新たにしていました。

 

県内避難者数なお2万人超 東日本大震災から3カ月

岩手日報

 東日本大震災の発生から11日で3カ月。県災害対策本部の10日午後5時現在のまとめでは県内の死者数は 4532人、行方不明者数は2787人に上る。全避難者数は発生当初から半減したもののまだ2万人超。仮設住宅は7月上旬までに全戸を整備予定で、現在は 半分の7千戸余が完成した。一方、岩手日報社が行った岩手・宮城内陸地震の被災世帯アンケートでは、3年で住宅再建にめどが付き始めたことが分かった。今 後、仮設住宅での自立が始まる震災の被災者。早期の生活再建へ支援は第2ステージに入る。

 県内の避難者数は34市町村で2万1183人(6日現在)。うち9998人が336カ所で避難所生活を送り、1万1185人が在宅避難を続ける。

 県は7月上旬までに仮設住宅1万4千戸の整備を終える予定だが、10日現在、まだ半数の7056戸しか完成していない。

 沿岸の多くの市町村は7月末までの入居完了を目指しており、今後、多くの被災者が避難所から移り自活を求められる。国や自治体の雇用や資金面の生活再建支援は急務だ。

 被災者への義援金交付状況は10日現在、対象となる3万1731件のうち1万8617件と58・6%。県は6月中に80%以上の支給を目指し、市町村と連携して給付事務を進める。

 がれき撤去は仮置き場として300ヘクタールが必要とされる中、143ヘクタールを確保。岩泉町など沿岸中部で仮置き場への撤去が完了する自治体も出始めた。ライフラインはほぼ復旧し、大船渡、陸前高田など4市町1193戸で続く断水は今月中に解消できる見通しだ。

 医療機関では全壊した高田、山田、大槌の3県立病院のうち既に仮設診療所を開所した大槌に続き、高田、山田でも7月中をめどに開設を進めていく。

 

<東日本大震災>高台移転7割賛成…被災42首長アンケート

毎日新聞 6月10日(金)20時6分配信

 東日本大震災で被害の大きかった岩手、宮城、福島3県の市町村長に毎日新聞がアンケートしたところ、津波被害地区の復興策として、住宅などを高台に移転 する手法に7割が賛成した。復興時期のめどは「5~10年」の間とした首長が4割を超え、長期化を覚悟している様子がうかがえる。復興の最大の課題は、半 数超が「財源」を挙げた。東京電力福島第1、第2原発の再稼働は、4割近くが「ともに認めない」と答えた。
◇復興「5~10年」4割
アンケートは、沿岸部37市町村(岩手12、宮城15、福島10)と福島第1原発事故の警戒区域、計画的避難区域にかかる5市町村の首長計42人に実施した。
沿岸部の37人のうち、津波被害地区の再生方法として高台移転に賛成したのは25人(68%)。岩手は9人、宮城は11人と7割超が賛成した。岩手県大 船渡市の戸田公明市長は「大津波は必ず来る。防潮堤で防ぐなんて考えない方がいい。津波が来ても人が死なないまちづくりの原則を貫徹する」と述べた。
実際の再生方針では「住宅と商工業施設など職場を一緒に高台に移転」が3人。「住宅だけ高台に移転」は13人で、水産施設や商業施設の一部は沿岸に置か ざるを得ないという意見が目立つ。「住宅だけ高台移転」とした岩手県山田町の沼崎喜一町長は「被災地域を国が買い上げる制度がないと進められない」と注文 を付けた。
一方、5人は「同じ場所で再生」と回答。移転を望まない住民の意向に配慮したり、既に復旧に着手したことなどが理由で、防潮堤整備や地盤かさ上げなどで 津波対策を施すとした。そのほか、高台移転を含む複数の手法を組み合わせると答えた首長が5人いた。復興のめどは、42人中18人(43%)が5~10年 の間を挙げた。
被災して運転停止中の原発の再稼働に関する質問では、福島第1、第2原発について15人(36%)が「ともに再稼働を認めない」と回答した。このうち福 島の首長は5人で、市域に警戒区域がある田村市の冨塚宥※(ゆうけい、※は日へんに景)市長は「国民感情が許さない」と断言。「第2原発だけ認める」は2 人いた。一方、東北電力女川原発は「再稼働を認めない」が3人(7%)にとどまり、立地する宮城の6人を含む8人(19%)が「認める」とした。
福島第1、第2で25人(60%)、女川で31人(74%)が「現段階では分からない」と態度を保留したが、「停止すれば経済活動が止まる」(佐々木一十郎・宮城県名取市長)などの声もあった。
政府の震災対応について、5(高く評価する)から1(全く評価しない)まで5段階で評価してもらったところ、最多は2(あまり評価しない)の18人で、1も3人。平均は2・49だった。「スピード感が全くない」「方針に財源の裏付けがない」など厳しい指摘が目立った。
復興へ向け最大の障害・課題は、岩手の10人、宮城の11人ら23人が「財源」を挙げた。福島は10人が「原発事故」と答えた。【まとめ・加藤隆寛】

 

 

2011年6月10日

【山田】広島から技師、漁船修理 仮設造船場を設置

岩手日報

 山田町船越の大浦漁港に9日、カキやホタテなどの養殖用小型船を修理する仮設造船場が設置された。作業するのは広島県の造船業者から長期派遣された技師2人。震災で被害を受けた同町の三陸やまだ漁協の漁船を修理し、早期の漁業再開を後押しする。

 技師を派遣したのは、同県尾道市のツネイシクラフト&ファシリティーズ(神原潤社長)で、グループ会社による復興支援の一環。中古のサッパ船2隻も同漁協に寄贈した。

 カキやホタテの元集荷場を利用した造船場は津波で被害を受け、壁が破られた状態。それでも派遣技師の島田文彦さん(36)と冨高智さん(28)は「漁を再開したい漁師さんの気持ちに応えられるように頑張りたい」と意気込む。

 震災前、同漁協所属の漁船は約1300隻。津波でほとんどが被害を受け、現在稼働できるのは150隻程度にとどまる。陸に打ち上げられ、修理可能な船は100~200隻ほどあるというが、各地の造船所は予約待ちが続き、早期の修復は困難だった。

 10日から地元の船大工と連携して修理をスタート。修理した船は漁協の共同利用船として活用する。生駒利治組合長は「支援は本当にありがたい。これから船外機をそろえる必要もあるが、カキやホタテの養殖、アワビの共同採捕に役立てたい」と期待を込める。

 

<東日本大震災>ボランティアは阪神の3分の1、38万人

毎日新聞 6月10日(金)15時0分配信

<東日本大震災>ボランティアは阪神の3分の1、38万人

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県で活動するボランティアが、発生当日から3カ月間の延べ人数で、阪神大震災(95年)の3分の1にあたる 40万人程度にとどまっていることが、内閣府のまとめで分かった。人数はゴールデンウイーク(GW)以降急減。被災地で復興の本格化とともにボランティア の需要が高まっており、関係者は東京など主要都市と被災地を結ぶ送迎バスを導入するなど、受け入れに奔走している。
【ボランティアは】東日本大震災:寄り添うボランティア 広がる笑顔
内閣府の震災ボランティア連携室のまとめでは、3県の災害ボランティアセンター(VC)に登録して活動したボランティアの総数は、震災当日から6月5日 までの約3カ月間で延べ38万7900人。このほか連合や生協、NPOなどがVCを経由せず数万人規模のボランティアを送り込んでいるとみられるが、合わ せても3カ月間で117万人(兵庫県の推計)という阪神大震災に遠く及ばない。
この差について、同室は「被災地域が大都市圏から遠く、面積も広いうえ、新幹線や高速道路などの交通網寸断やガソリン不足などから当初は容易に近づけ ず、福島県では原発事故も重なった」と分析。さらに、被災自治体の多くが当初、県外ボランティアを受け入れなかったことも影響していると見ている。
3県のVCは各地域の社会福祉協議会(社協)が設立。震災からしばらくは大部分が、ボランティア登録を地元住民に制限していた。社協や自治体の職員自身 も被災し、大勢を受け入れても指示を出すのが困難だったことに加え、岩手県社協の根田秋雄・地域福祉企画部長は「自分で何とかしようという東北人気質とと もに、『県外者を入れたら物が盗まれる』という警戒感もあった」と説明する。
3県の内訳は、岩手9万9900人▽宮城21万7200人▽福島7万800人。宮城は岩手の倍以上だ。仙台市が被災地とも近接しているのに対し、岩手の 被災地は盛岡市から車で2時間以上かかるなど遠いことが影響しているようだ。岩手の被災地には復興から取り残されかねないとの危機感も漂う。福島は原発事 故のため立ち入れない区域が広いことが影響している。
1週間ごとの人数の推移を見ると、震災直後から増え、ピークのGWの週は5万4100人だった。ところが、直近の6月5日までの1週間は2万4100人 で、ピーク時の45%にまで落ち込んでいる。GW以降、ボランティア供給源となる大学の授業が本格化したことなどが影響しているとみられる。
がれきや泥の撤去など復興の本格化で県外ボランティアを積極的に受け入れるようになった被災地は、需給のギャップを埋めようと知恵を絞っている。
岩手のVCは盛岡市から大槌町へボランティアを無料で運ぶバスを4月に導入。今は陸前高田市や山田町にも出ている。GW以降は東京と被災地を直接結ぶ有料バスが運行し、連日満席という。宮城や福島でも同様のバスが運行されている。
ボランティア活動と観光地巡りを合体させたツアーも登場している。日本旅行が今月中旬予定する宮城県ツアーは、2泊3日の日中に石巻市で漁港や住宅の泥かきをし、鳴子温泉に1泊。復興支援と観光振興の一石二鳥を狙う。【井上英介】

 

東日本大震災:被災の大工職人らに、全国の仲間から道具--宮古 /岩手

毎日新聞 6月10日(金)11時37分配信

 震災で被災した宮古建設組合加入の大工職人らに9日、全国の同業者から寄せられた支援の大工道具が配られた。津波で道具を流された職人らは「これで震災復旧の仕事に本格的に取り組める」と口をそろえた。
大工や左官、木工職人らでつくる県建設労働組合連合会(斎藤徳重会長)を通じてトラック2台分が届いた。電動丸ノコギリや電動カンナ、電動ドライバー、 スコップ、ヘルメットなどで新品も含まれている。宮古市や山田町などから約30人が同市長町の宮古職業訓練センターに集まり、分け合った。
倉庫や車に保管してあった道具一式を流された同市田老の畠山幸喜さん(54)は「買いそろえるのに100万円はかかる。助かります」と感謝した。宮古建設組合の鈴木勇平組合長によると、組合員296人のうち半数の職人が被災して道具を失ったという。【鬼山親芳】

東日本大震災:岩手で活動の災害ボランティア募集--支援センター /三重

毎日新聞 6月10日(金)11時56分配信

 みえ災害ボランティア支援センターは、東日本大震災で被災した岩手県山田町で活動する災害ボランティアを募集している。
30日出発から8月1日出発までの計9グループのボランティア隊で、先着で各20人を募集する。18歳以上(高校生は不可)の健康な人が対象。
各グループとも派遣期間は7日間で、同町B&G海洋センターに宿泊。往復のバス代1万円のほか、食費などは参加者が負担する。
同センターは、参加者に対し、25日と7月9日、同21日に、津市羽所町のアスト津で事前説明会を開く。詳しい出発日など問い合わせは同センター(059・226・6916)。【田中功一】

 

 

2011年6月9日

道の駅、復興の“始発駅” 避難、食料・温泉提供…被災者に寄り添う拠点

産経新聞 6月10日(金)7時57分配信

道の駅、復興の“始発駅” 避難、食料・温泉提供…被災者に寄り添う拠点

 主要道路の休憩所として知られる「道の駅」が東日本大震災をきっかけに変貌しようとしている。被災者に密着し震災直後には避難所となり、それ以降は生鮮 食品を絶えず供給。家族を亡くした従業員らが奮闘し、温泉を提供したり、原発問題にあえぎながら再開にこぎつけた道の駅もある。災害時の拠点として道の駅 を見直す動きも全国で進んでいる。(桜井紀雄)
「ありがとうございます」。宮城県石巻市の道の駅「上品(じょうぼん)の郷」の野菜直売所では女性従業員の元気な声が響く。広大な駐車場は被災地からの車でびっしり埋まる。人気なのが温泉施設「ふたごの湯」で、震災前の客数を大きく上回る1千人近くが毎日訪れる。
子供連れで来ていた女性(43)は「久しぶりにゆったりお湯につかれました」と笑顔を見せた。駅長の太田実さん(69)は震災翌朝の光景が忘れられない。大きな被害を免れ、震災当日も営業を続けたが、翌朝の営業前には着の身着のままの被災者らが行列を作っていた。
▼ニーズくみ上げ
「在庫がある限り続けよう」と思ったが、従業員自身が被災者だった。65人中、女性従業員1人は行方不明。多くが家族や親戚を失い、太田さんも同市立大川小学校に通うめいを津波で亡くした。
流通が寸断されて再開できなかったスーパーと違い地元農家が直接野菜を持ち込む強みがあった。「野菜料理を食べたい」との被災者の要望に応え、ほうれん草をおひたしにしたりして提供。従業員も戻り始め、震災から10日余りで温泉再開にこぎ着けた。
壊滅的被害を受けた岩手県山田町の道の駅「やまだ」には震災後、隣の大槌町の避難所からもシャトルバスが出て大勢の被災者が買い出しに訪れる。震災直後は避難所となり、1週間後には営業を再開。土産物中心だった品ぞろえが、被災者のニーズで鮮魚や野菜、果物に変わった。
副支配人の豊間根仁(ひろし)さん(39)は「従業員から『避難所にいるより役に立ちたい』との声が上がった。皆さんに買い物するところがなく『ここが開いていて本当によかった』と言ってもらえます」と話す。
▼寸断された道
道の駅を所管する国土交通省によると、岩手、宮城、福島3県の65カ所のうち、4カ所で津波が直撃したが、残る大半は営業を続けている。頑丈な建物が多く、郊外の立地が多いことが幸いした。
道の駅が災害時のよりどころとなったのは今回が初めてではない。平成16年の新潟県中越地震でも広い駐車場を備え、避難所として活用されたことから「防 災拠点」に位置付ける自治体が増えた。全国970カ所のうち、非常電源を備えたり、水や食糧を備蓄したりしている道の駅は約1割。同省の担当者は「震災か ら3カ月たち、災害拠点に見直す動きはさらに進んでいく」とみている。
東京電力福島第1原発事故の影響を受けながら再開した道の駅もある。福島県南相馬市の道の駅「南相馬」も震災直後に避難所となった。その後は、南に3キ ロ行けば、警戒区域として通行止めとなったため、一時は駅長の大竹健次さん(55)ら2人だけで事務業務に当たっていた。それでも「気軽に立ち寄れる場所 がほしい」との声が相次ぎ、今月1日に営業を再開。ただ、原発の影響で地元野菜を並べられず、客足も事故以前の半分に落ちた。
大竹さんは「早く原発問題が収束して以前の車の往来と活気が戻ることを願っています」と話している。

 

福島県内の捜索活動終了=岩手、宮城は継続―自衛隊

時事通信 6月9日(木)

 防衛省の折木良一統合幕僚長は9日の記者会見で、自衛隊による東日本大震災での行方不明者捜索について、福島県内での活動を終えたことを明らかにした。
陸自は最後まで残っていた福島第1原発付近での捜索を続けていたが、地元自治体の了解を得て8日に活動を終了したという。今後は原発周辺住民の一時帰宅や避難住民の生活支援が中心となる。
一方、岩手県山田町や宮城県石巻市など津波による被害が深刻な地域や沿岸部での捜索活動は続く見通し。 

 

東日本大震災:災害弔慰金、市町村で対応分かれる 国、県の補助なく /岩手

毎日新聞 6月9日(木)

 ◇兄弟姉妹へ対象拡大
東日本大震災による犠牲者の遺族に支給される災害弔慰金で、兄弟姉妹への支給対象拡大をめぐって市町村で対応が分かれている。費用を分担する国や県が対 象拡大方針を示さないなか、市町村が独自に行えば、さらに負担が増えるためで、二の足を踏んでいるのが実情だ。【宮崎隆】
災害弔慰金が支給される遺族は法律で、配偶者▽子▽父母▽孫▽祖父母--に限られている。主な生計者が死亡した場合500万円、そのほかは250万円が 支給される。補助率は国が支給額の2分の1、県と市町村がそれぞれ4分の1。市町村が条例改正をすれば、兄弟姉妹に支給対象を拡大できる。
県内では、岩泉町が兄弟姉妹への支給拡大を決め、6月町議会に条例改正案を提出している。町保健福祉課によると、町内の条例改正前の対象は7件で、改正 されれば新たに1件が加わる。だが支給額250万円は国や県の補助がないため、全額が町の負担となる。同課は「亡くなった兄弟と同居している遺族がいる。 その遺族にも支給しなければ公平性に欠ける」と指摘する。
417人(6日現在)の犠牲者を出した宮古市では、弔慰金とは別に、市独自の兄弟姉妹への救済制度の導入を検討している。だが市福祉課は「国が財源問題も含め法改正をするかしないかを早く決めてくれないと、身動きがとれない」と憤る。
一方、577人(同)が犠牲となった山田町は、厳しい財政事情から支給拡大は考えていないという。町健康福祉課は「せめて法改正で兄弟姉妹も対象になれば検討の余地もある」と話す。
県は、これまでの補正予算で災害弔慰金費約123億円を計上した。県は「支給対象を拡大するかは市町村の判断」としている。

 

2011年6月8日

復興に向けて聞く 沼崎喜一・山田町長

2011年06月08日

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 復興は、水産加工場の再建が最優先だ。町独自で1件1千万円の補助を出す。補正予算案を6月議会に提出する。同額の補助を出すから乗らないかと県の打診があった。合わせて2千万円になる。一日も早く工場を再開して、従業員を呼び戻して欲しい。

 漁業復興のカギは、やはりブランド化したカキだ。一時、水揚げ高が12億~13億円まで増え、Uターンして漁業を継ごうかという若者が出始めた矢先、ノロウイルスの風評被害を受けて半減した。そこに、津波が追い打ちをかけた。

 就労者は減るだろう。だが、漁業の収量は変わらないのだから、1人あたりは増える。意欲ある若者が残って大規模化しないと生き残れない。商店再建にも、県と町で百万円ずつ出す予定だ。これらが復興の呼び水になってほしい。

 まちづくりでは「二度と津波犠牲者を出さない」を基本に据えたい。町内19カ所で住民懇談会を開いた。大きな被害を受けただけに、住民には「元の所には危険で戻れない」という共通認識があったようだ。

 そうだとすると、防潮堤に頼るようではだめだ。高台への移転なり、住宅地のかさ上げなりが必要になる。その方向性には賛同を得られると考えている。

 国が低地を買い上げることが前提になる。当初菅直人首相は国有地化も選択肢の一つだと前向きだったが、最近とんと音沙汰がない。財政措置と合わせて国の施策が必要だ。国にはほかにも不満があるが、この点をもっとも強調したい。

【住民主体を重視】

 3日現在、577人が死亡、273人が安否不明。山田湾内の浜が全域で浸水した。家屋は45%を超す2789戸が全壊した。約2200人が28カ所に避難している。養殖施設は壊滅し、漁船は2138隻の7割を超す1568隻が被害にあった。

 町は(1)津波から命を守るまちづくり(2)産業の早期復旧と再生・発展(3)住民が主体となった地域づくりの三つを柱に復興を進める方 針だ。住民懇談会や議会を経て、6月中にビジョンを策定。9月末までに町の素案を示し、さらに住民の声を聞きながら年内に町としての最終案をかためる。

 被災した経験を後世に伝えるために、計画段階から住民に主体的な参画を求めている。「結いの精神を醸成する」とコミュニティーを基盤に据えている点がユニークだ。

 

ハエなど大量発生、駆除大作戦 京のNGOなど調査

京都新聞 6月8日(水)

ハエなど大量発生、駆除大作戦 京のNGOなど調査
東日本大震災の津波被害に遭った東北地方の沿岸部でハエなどの害虫が大量発生し、京都のNGOなどが岩手県陸前高田市など現地行政の要請を受けて、害虫 の調査や駆除作業に乗り出した。がれきなどに紛れ込んでいる魚介類の除去は一般ボランティアの手では困難だが、放置すると衛生上の問題や感染症の懸念もあ るだけに、期待が高まっている。
4月下旬。壁の一部と骨組だけが残る加工場が並ぶ同市の海岸沿い。日本国際民間協力会(NICCO、京都市中京区)のスタッフ大塚友子さん(33)は悪臭に顔をしかめた。一面に散乱した魚にハエがたかり、上空にたくさんのカモメが飛来していた。
「床に魚を流した感じ。既に腐り始め、ボランティアが1日、撤去作業をするとにおいがとれない」と大塚さん。約1キロ先の住宅地にハエが増え、住民の苦情を受けた同市の要請もあり、駆除に向け調査を進めてきた。
駆除作業は5月28日に同市と大槌町、山田町で開始した。害虫駆除業者が魚やがれきなどに応急的に殺虫剤を散布している。被災3県13市町村で半年間をかけて行う予定で、作業班も増やすという。
水産加工場が多い宮城県気仙沼市では実態把握も十分進んでいない。一部では冷凍倉庫床一面にウジが発生する被害の報告があり、気温も高くなり腐敗が進むなか作業の一層難航が懸念されている。
NICCOは「排水機能を失った市街地の用水路から蚊の大量発生の恐れもある。復興に取り組む行政の対応力も限られており、準備が整い次第、実施規模を拡大したい」としている。

東日本大震災:議員報酬減額の動き 復旧・復興財源確保へ--宮古・下閉伊 /岩手

毎日新聞 6月8日(水)

 宮古・下閉伊地区の市町村議会で、議員の報酬を議員発議で減額する動きが広がっている。大震災の復旧・復興財源を確保するのが狙いだ。
岩泉町議会は7日開会の定例議会に議員報酬を一律15%削減する条例改正案を提出した。削減額は月額で議員が3万1500円、副議長3万3900円、議 長4万1850円。7月から来年3月までとし、県外行政視察の取りやめや期末手当の減額も合わせて約1000万円の財源が確保できるという。
山田町議会も8日開会の定例議会に一律15%削減の条例改正案を提案する。削減額は月額で議員が3万2400円、副議長3万4650円、議長4万2000円。7月1日から任期満了日までだが、震災により選挙実施のめどが立たないため、任期満了日は未定だ。
普代村議会は月額で議員1万8000円、副議長2万1000円、議長2万6000円の削減を4月21日の臨時議会で決め、今月25日の任期満了日まで実 施中。宮古市議会は8日の議会運営委員会で検討するほか、田野畑村議会も17日の定例議会開会に向けて検討中という。【鬼山親芳】

 

白鵬、土俵入りで余震止めた!? 毎日のように続いていた山田町でピタッ

スポーツ報知 6月8日(水)

白鵬、土俵入りで余震止めた!? 毎日のように続いていた山田町でピタッ

 日本相撲協会の被災地慰問巡回が7日、宮城・女川町と仙台市で行われ、横綱・白鵬(26)=宮城野=が、4日に土俵入りを行った岩手・山田町で余震が収まったと伝えられたことが分かった。
連日、精力的に慰問活動を行う横綱に吉報が届いた。「山田町で余震がなくなったと聞きました。うれしいですね」。山田町では、震災後から毎日のように余 震が続いていた。しかし協会関係者に山田南小・佐賀敏子校長(55)から入った電話で、土俵入りを行ってからは余震がウソのようになくなったことを聞い た。また、「力士を見に来て3か月ぶりに再会できた人もいるみたい」と、知らぬ間に被災者の懸け橋となっていたことも喜んだ。
ここまで被災地で行った土俵入りは合計8回。土俵入りには大地の邪気を払う意味もあり、「本場所と同じ通りにやっているけど気持ちが伝わっているのかな」と話した。慰問巡回も残り1日。「コツコツやっていくのが大事。風化させてはいけない」と力強く語った。

 

 

2011年6月7日

穏やかな海、沈む思い出 岩手・山田湾

朝日新聞

 岩手県の山田湾は、何千ものカキ養殖の筏(いかだ)に覆われる穏やかな海だった。今わずかに残る筏は壊れ、あちこちに団子状となって漂う。湾沿いの山田 町は、約3千棟の住宅が津波にのまれた。3月から不明者を捜しているNPO「大雪りばぁねっと」(岡田栄悟代表理事)のメンバーとともに、記者が湾に潜っ た。

 初夏の日差しが注ぎ始めても、海水温は10度ほど。いまも、濁りが残る。海底はねっとり、津波に運ばれた泥の感触だ。津波にのまれた家が浮かび、生活の跡が海底に散らばる。海上で船を走らせ、海の中に潜り、行方不明者の捜索は続く。(中山由美)

 

 

2011年6月6日

<東日本大震災>漁港に復興格差…石巻の業者、塩釜に移転も

毎日新聞 6月7日(火)20時40分配信

<東日本大震災>漁港に復興格差…石巻の業者、塩釜に移転も
東日本大震災からまもなく3カ月。大被害を受けた岩手や宮城の水産業は復興へ動き出したが、魚の水揚げを再開した漁港がある一方、がれきの撤去も進ま ず、再開のメドが立たない漁港も多く、“復興格差”が出始めている。国や自治体は漁港集約も検討するが、現場の反発も強い。【永井大介、浜中慎哉】
◇震災から3カ月
「塩釜に客(漁船)をとられ、石巻の水産業が廃れてしまう」--。5月27日午後、宮城県石巻市の石巻商工会議所で開かれた「水産復興会議」。100人以上の水産加工業者の間に重苦しい雰囲気が漂った。
県3大漁港の石巻、気仙沼、塩釜。カツオなど200種超が水揚げされる石巻は県内最大、全国3位の水揚げ量を誇った。しかし、震災で状況は一変した。
松島が津波を防いだ塩釜は4月上旬に水揚げを再開。石巻同様、壊滅的な被害を受けた気仙沼も地盤沈下した港をかさ上げし、6月中旬にカツオの水揚げを行う予定だ。
しかし、石巻では港が70センチ以上も地盤沈下。5月末になっても、水産加工会社元社員らが腐敗したサバやサンマの廃棄に追われた。6月中旬に廃棄のメ ドが立てば、漁協は規模の小さい西港で小型底引き網漁船から水揚げを始めたい考え。石巻魚市場を運営する須能邦雄社長(67)は「水揚げ実績を作るのが大 事」というが、水深の浅い西港にカツオ巻き網漁船は入れない。
加工業者の不安は強い。復興会議メンバーで魚卵加工の丸信須田商店の須田紀一社長(53)は津波で工場設備が全壊。「土地をかさ上げし加工団地を再興す るか、内陸に移すか方針が決まらないと手が打てない」と嘆く。国が11年度第1次補正予算に盛り込んだ市場や加工場の支援は18億円。宮城、岩手、福島3 県で分けても1県6億円。「1社当たりはスズメの涙だ」(宮城県漁協関係者)
石巻の加工業者の中には、水揚げを再開した塩釜に工場を移す動きも出始めた。石巻市水産課の勝亦睦男課長は「200社の加工業者がどんな魚もさばけるのが強み。業者が離散すれば漁船は寄り付かない」と懸念する。
◇漁港集約か、すべて復旧か
「働けば働いた分だけカネになるのが漁師。サラリーマンにできる仕事じゃない」。宮城県気仙沼市唐桑地区の舞根湾に面した小さな漁港で祖父の代から続く カキ養殖業の畠山信さん(32)は、津波で流された養殖場跡を見つめながら、つぶやいた。カキの養殖向け稚貝の国内最大の供給基地だった宮城県。養殖業者 の多くが被災し、産卵能力が高い親ガキの大半が失われた。
全142港が被災した宮城県では、村井嘉浩知事の主導で石巻、気仙沼、塩釜など5港を重点整備、小規模の漁港は3分の1程度に集約することを検討。「水 産業復興特区」を設け、従来、漁協に優先的に与えてきた漁業権の企業による取得を認め、漁業者の雇用や収入の確保を目指す。
背景には、養殖を含めた県内の漁業就業者数が08年までの5年で約15%も減少し、60歳以上がほぼ半数に達している事情がある。村井知事は「20年、30年先を見据え(改革し)なければ、宮城に漁業はなくなる」と危機感をあらわにする。
しかし、現場の反発は強く、畠山さんも県の特区構想を「現場を知らない人が頭だけで考えた案」と酷評。「いかだも流され、養殖がいつ再開できるか分から ない」と不安は強いが、「今後、(福島第1原発事故に伴い)放射性物質が海流でここまで拡散しないなら、国や県には頼らず、自力でカネを工面する」と言い 切った。

トップダウンで「復興特区」を掲げる宮城県に対して、岩手県は漁協と協力し漁船や養殖施設を一括購入。漁師が共同利用する復興の青写真を描く。すでに漁船を発注し、県は「3年後に県内111のすべての漁港を復旧したい」と説明するが、実現性は未知数だ。
漁獲高県内5位ながら震災前までシャケの定置網漁やワカメ、ホタテの養殖業が盛んだった岩手県山田町。津波で防潮堤が全壊、魚の水揚げ後、不可欠な氷工 場も流された。町民(約1万9000人)の8割が水産業で生計を立てるが、再開のメドは立たない。三陸やまだ漁協幹部は「10月の秋シャケの水揚げ本番に 間に合うのか」と気をもむ日々だ。隣町の大槌町では、漁港の規模も小さく「結局、切り捨てられるのではないか」(漁協幹部)との不安が消えない。
魚市場を運営する三陸やまだ漁協の佐藤竜男参事(54)は「県の本音は宮古や大船渡、釜石など全国的に有名な漁港の復旧。国も自治体も財政は厳しい。氷工場の復旧さえ後回しにされているのに全漁港の復旧なんてできるのか」と不満をぶちまけた。
同町から北へ30キロ離れた宮古港は冷凍設備も無傷で、4月11日から魚市場を再開。午前7時半と午後2時には「さあ、買った、買った」と威勢のよいセ リの声も復活した。魚市場を運営する宮古漁協の佐々木隆参事(56)は「午前は定置網のマグロやサクラマス、午後はスケトウダラがセリにかかる。大漁の日 もあり、水揚げ量はまずまずだ」と説明した。
ただ、福島第1原発事故に伴う風評被害で中国や韓国向けの輸出がストップし、旬を迎えたスケトウダラの価格は昨年の半値程度に大きく落ち込む。スケトウ ダラの底引き網漁をする漁師の三浦清之さん(48)は「実家が半壊し、アパート暮らしなのに、収入は減って、生活はきつい」と明かすが、「宮古の業者は漁 ができるだけマシ」とも話した。宮城や岩手の水産業の“復興格差”は、東北の水産業再生の厳しさを映し出す。
◇漁業権◇
漁業法で定められた、一定の区域で特定の漁業を営む権利。都道府県知事の免許で付与される。漁業権が設定された水域では、免許を持つ漁業者しか、動植物を採取できない。権利の付与には優先順位があり、漁協に優先権がある。

 

<東日本大震災>常陸宮妃華子さまが岩手訪問 被災者を激励

毎日新聞 6月6日(月)19時38分配信

<東日本大震災>常陸宮妃華子さまが岩手訪問 被災者を激励

 常陸宮妃華子さまは6日、岩手県を訪問し、雫石町の雫石プリンスホテルに滞在する東日本大震災の被災者を励ますとともに被災したペットを預かっているボランティア団体の施設を視察した。
ホテルには山田町と大槌町の住民約90人が避難している。華子さまは「怖かったことを一人でしまっておかないで話してください」などと話し掛けながら被災者約50人の話に約1時間耳を傾けた。
また、被災地のペットを預かっている「動物いのちの会いわて」では、スタッフを激励し、ペットをなでたりしていた。華子さまは「日本動物福祉協会」の名誉総裁を務めている。

 

 

2011年6月5日

白鵬が被災地慰問、学校で土俵入りを披露

サンケイスポーツ 6月5日(日)7時51分配信

白鵬が被災地慰問、学校で土俵入りを披露

 日本相撲協会の東日本大震災の被災地慰問が4日、岩手・山田町からスタートし、横綱白鵬(26)が避難所となっている山田南小、同・大槌町立相撲場で横 綱土俵入りを披露。1日に2度の土俵入りをするのは異例のケースだが、被災者支援のため、鎮魂の土俵入りを続ける。協会全体での慰問は今回が初めてで、8 日まで宮城、福島を合わせた3県の計10カ所を回る。
間近に聞こえる歓声と拍手に身が引き締まる。「よいしょ!」「日本一!」。白鵬が、高々と上げた右足にこん身の力を込めた。慰問で訪れた被災地で、不知火型の土俵入りを初披露。多くの命が失われた被災地で、鎮魂の土俵入り。1つ、ひとつの所作に復興への願いを込めた。
「来てよかった。自分のやるべきことを精いっぱいやった。土俵入りでは一段と力が入った」
被災地での土俵入りには大きな意義がある。古来、日本には大地を踏んで地の邪気を払う信仰があり、力士がしこを踏むのは地にひそむ悪霊を踏みつけるとい う神事に由来する。相撲の歴史にも造詣が深い横綱は、こうしたことを理解しており、その役割をかみしめながら大役を果たした。
この日は山田南小校門付近の昇降口前、そして大槌町立相撲場で土俵入りを披露。こうした場所で、さらに1日に2度も行うのは長い相撲の歴史でもきわめて 珍しいこと。元横綱大鵬の納谷幸喜氏(71)の言葉を引き合いに、「大鵬さんがいうように、土俵入りは(本場所で)相撲を2番取るのと同じくらい疲れ る」。
だが、残り4日、8度予定される土俵入りでも力を抜くつもりはない。山田町には約2000人、大槌町には約800人が集まった光景をみた横綱は「相撲はこの国で一番歴史が長いスポーツ。(見た人が)元気で、心豊かになってくれたらうれしいよ」。
この日、訪れた大槌町では小、中学生が汗を流した土俵が津波で跡形もなくなったと聞き、「機会があれば、東京に招待して、(所属する宮城野)部屋で稽古をしてもらいたい」。現役力士の頂点に立つ横綱は、さまざまなかたちでの支援を約束した。

【山田】南小で洋菓子配布 全国の店主ら支援活動

 全国の洋菓子店有志で組織する、全国スイーツで支援の会は4日、山田町などで被災者にお菓子を配布する支援活動をした。

 福岡や香川、大阪など6都府県の洋菓子店主らが参加。同町飯岡の山田南小で、各店が作ったロールケーキ1400個と焼き菓子800個を無料配布した。

 町内のケーキ店は被災し、支援物資でも生菓子が出てくるのはまれ。震災後初めてケーキを味わったという同校3年の今井星矢君と近藤響樹(ひびき)君は「ケーキは大好き。クリームがおいしい」と声をそろえた。

 全国スイーツで支援の会は阪神大震災でも活動した。呼び掛け人の同会代表三嶋隆夫さん(67)=福岡市=は「子どもが喜んでくれてうれしい。被災地支援はこれからも続けたい」と継続を誓っていた。一行は同日、大槌町でも支援活動をした。

【写真=山田南小で子どもたちにロールケーキをプレゼントする菓子職人たち】

 

 

2011年6月4日

教え子・サケよ、生きて帰れ 訓練中の稚魚、震災で放流

朝日新聞 2011年6月4日

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 忘れるな、あの音――。岩手県山田町の橋場明彦さん(53)は織笠川を眺めながらいつも願っている。思いの先は、東日本大震災の9日前から「音」に反応して餌を食べる「学習」に取り組んでいた約80万匹のサケの稚魚たちだ。

 体長5~6センチで川に放流される稚魚は、ほかの魚などに食べられてしまう確率が高い。無事に川に戻ってくる率(回帰率)は約2%。1996年の 5.5%から減る傾向が続いている。回帰率を上げるには、放した後もしっかりと餌を与え、敵に襲われないよう大きく育てる必要がある。

 そこで、独立行政法人水産総合研究センターなどが着目したのが「音」だった。放流後も、湾などで水中スピーカーから音を出して稚魚を1カ所に集めること ができれば、効率的に餌を与えられるのではないか。全国で初めての実験が3月2日、橋場さんがトップを務める織笠川さけ孵化(ふか)場で始まった。

 養魚池の水中スピーカーから朝夕に100~200ヘルツの周波数の音を流し、自動給餌(きゅうじ)システムで餌を与える。「音が鳴れば食事」と覚えさせる訓練だ。2週間後に山田湾のいけすに移し、湾に放してからも継続する計画だった。

 しかし開始9日後――。大きな被害は免れたものの、震災で孵化場は停電した。自家発電機の軽油がなくなれば、池の水の入れ替えができなくなり、酸欠が危ぶまれた。震災2日後、稚魚はまだ学習の途中で成長も乏しかったが、やむを得ず放流することにした。

 「生きて帰ってきてほしい」。昨年9月から孵化場の2階に泊まり込んだりして稚魚の面倒を見てきた橋場さんは、祈るような思いで送り出した。

 音の学習をした稚魚にはタグがついている。数年後に戻れば確認できる仕組みだ。震災から間もなく3カ月。「今ごろ海中でどんな音を聞いているかな。波の音か、仲間の跳ねる音か」(高田純一)

 

生活拠点に活気再び 山田・なかよし公園商店街開店

岩手日報

 「ここからがスタート」。東日本大震災で被災した沿岸部の小売店主らが大型テントで「仮設商店街」をつく り出した。陸前高田市では多数の商業者が集い「けせん朝市」を週末に開催。宮古市田老では17店舗による「たろちゃんテント」が立ち上がった。4日には山 田町に「なかよし公園商店街」がオープンし9業種による商店街がスタートする。商店主らは、商店街復活へ向けた一歩をまちの復興と重ね合わせる。

 山田町の小売店が集まる「なかよし公園商店街」参加9店舗の店主たちは3日、商店街をプレオープンさせて翌日に控えた正式オープンの準備作業に追われた。店や自宅を東日本大震災で失った店主たちは、買い物客を前に仮設商店街にかける再起の思いを強くした。

 「洋菓子のかわさい」を出店する川村幸正さん(47)は、昨年12月18日に開いたばかりの店を大津波で流された。

 川村さんは、独立を決め埼玉県から帰郷。クリスマスケーキが予想以上に売れ幸先の良いスタートを切った。

 最も忙しい時季を乗り切ったことで自信がつき、地産地消のケーキが評判となるなど経営にめどがつき始めたころ、大震災に見舞われた。

 初めて感じる大きな揺れ。卵がテーブルから次々に落ちるのがスローモーションのように見えた。外出していた父を待ち砂煙の舞い上がる町を高台の兄の家を目指して逃げた。

 翌日、がれきをかき分け自身の店へ。「短かった3カ月。借金だけが残った」。だが、町民に愛された3カ月でもあった。「子どもたちに誕生日は来る。その時、どこでケーキを買う? 宮古? 釜石?」と自問自答。

 「生まれ育った町で、皆と一緒に復興を目指したい。幸せな気持ちになれる菓子を作ることが私の役目」との思いが芽生えた。

 「今年のクリスマスのケーキを作る」との思いを胸に、店舗跡で探し出したナイフ2本で新たな門出を祝う甘い逸品をつくる。

 川村さんのはす向かいには、大手キミさん(73)、恵美子さん(47)母娘が大手書店を復活させた。

 大手さんは、大震災で店と家を失った。昨夏、リフォームしコピー機などを新調した店。「これから」のはずだった。

 新学期を前に、在庫をそろえ、町内の学校に教材を納品して集金が終わったところで大津波に遭った。流された金庫は見つかっていない。

 「後から取りに来るつもりだったのに」と肩を落としたものの、恵美子さんは「悲しんでいる暇はなかった」と震災直後を振 り返る。夫の収入がなくなる中、三男が大学進学を控えていた。避難所の山田高で朝夕の食事の用意を手伝いながら「仕事を再開しなくては」と強く感じてい た。

 3月中に学校回りを再開。仮設商店街に申し込んだ。避難所暮らしの商売は厳しかったが、開店が決まると「元のように商売ができる」と胸が高鳴った。

 今月1日、仮設住宅に引っ越した。大手書店復活と合わせ新生活が始まる。キミさんと恵美子さんは「車を運転しない人に不便を掛けないためにも品ぞろえを増やしていきたい」と意気込む。

 

【山田】震災後初の大会に出場 大沢柔道スポ少

岩手日報

 山田町の大沢柔道スポーツ少年団は5日、東日本大震災後初の大会に出場する。団員12人のうち半数が被災し、中には柔道着を津波で流された児童もいる。約2カ月間にわたって練習ができない逆境にもめげず、児童は「上位入賞を目指す」と張り切る。

 同スポ少は町内の小学2~6年生12人が所属。6人の自宅が被災し、現在も3人が避難所生活を送っているほか、町外から活動に参加する児童もいる。

 震災後は約2カ月間活動を自粛したが、5月中旬から同町の山田中で週3日の練習を再開した。

 「ファイトー」。児童のはつらつとした声が武道場に響き渡る。練習再開当初は、震災のショックで元気もなかったというが、柔軟体操から筋力トレーニング、打ち込みと続く練習に汗を流す児童の顔には充実感がにじむ。

 福士悠太君(大沢小6年)は「幼稚園から柔道をやっているけど、2カ月も練習できなかったのは初めてだった。みんなと一緒に練習できてうれしい」と目を輝かせる。

 5、6年生の児童は、5日に盛岡市で開催される県小学生学年別柔道大会に出場。12日には、青森県弘前市の東北小学生柔道大会に全児童が参加する。

 津波で柔道着を流された児童もいたが、矢巾町の佐和道場が柔道着と選手一人一人のゼッケンを提供し、出場にこぎ着けた。

 甲斐谷こころさん(山田南小6年)は「津波が来ても柔道を続けたい気持ちは変わらなかった。大会では技を積極的に仕掛けて3試合以上勝ちたい」と支援を力に必勝を誓う。

【写真=打ち込み練習に汗を流す大沢柔道スポーツ少年団の児童。震災後初の大会出場を喜ぶ=山田町・山田中】

 

 

2011年6月3日

津波に流された介護ホームのこれから

2011年06月03日

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 環境の変化に影響を受けやすい認知症のお年寄りが地震に遭ったら、どう対応したらいいのか。岩手県山田町豊間根のグループホーム「まぶる」は建物 が東日本大震災の津波で流され、今、空き家で仮住まいをしている。職員たちは何に困り、どう解決したのだろうか。「まぶる」を訪ねた。

 5月中旬、穏やかな春の日の午後。お年寄りたちが、木造2階建ての古い民家の居間で「ひゅうず」を一心に食べていた。

 職員の宮村りさ子さん(49)が「がんばっぺね」と言うと、ハルさん(91)が振り向き、トクさん(99)がうなずいた。ひゅうずは、岩 手県沿岸部に伝わるお菓子。小麦粉を練って半月状にした中に黒砂糖の蜜が詰まっている。昔は農作業の合間に食べた。地元の高齢者にはなじみのおやつだ。

 ただ、お年寄りがいるのは、仮住まいの空き家だ。元のグループホーム「まぶる」は海岸線を走る国道45号沿いにあった。海から250メートルのところにある木造2階建ての建物だった。

 3月11日は午前中、数人がドライブに出かけていた。午後2時46分、施設でおみやげのたい焼きをお年寄り9人と職員が食べ終えた時に地 震が起こった。職員は訓練通り、お年寄りの頭に座布団をかぶせ、介護タクシーを含む車3台で高台の小学校へ。みんなの薬箱も紙おむつも運び出せた。ただ ――。到着5分後、まぶるは津波の泥水とともに流されていった。

 素早く逃げられたのは、偶然の重なりがあった。ドライブの際、介助が必要でいつもの倍以上の7人の職員がいた。戻った後、車が玄関前に付 けたままだった。そして、たい焼きを食べるため、全員が個室から出てホールに集まっていたのも幸いした。山田町では約850人が死亡・行方不明になってい る。

 当時は、まだ夜になると零下になった。避難した学校の体育館の床はお年寄りには冷たすぎる。暗くなる前に畳部屋のある山田町ふるさとセンターに移った。停電でろうそくがともされたが、余震のたびに怖くて消した。

 センターには約100人の避難者がいた。お年寄り9人は気持ちが高ぶり、寝付けない。介護の必要度を表す5段階の要介護度で2番目に重い 「4」の人もいる。排泄(はい・せつ)には全員介助が必要だ。このままだと周りに迷惑をかけ、お年寄りのストレスもたまる。「もとの環境にどう近づける か」。職員は移動先を探した。

 空き家は、元の建物から約7キロ離れた山あいの集落にある。たまたま職員の親類が最近まで使っており、無料で貸してもらった。翌日移り、 1階の8畳2間と6畳1間に布団を並べて寝た。「ここはどこ」。初めのうち、お年寄りは聞いた。職員は「『まぶる』だよ」と答えて安心させた。

 まぶるの管理者、金田茂さん(42)はあの日、グループホーム協会の会議で盛岡市にいた。道路は不通、電話も通じず、1週間後に職員と再会して、建物が流されたことを知った。

 上司の死を知ったのもこの時だ。「まぶる」と、隣の訪問介護事業所を統括していた箱石進一さん(49)はポータブルトイレを小学校に届けた後、事業所に戻って波にさらわれた。

 「まぶる」は地元方言で「守る」の意味だ。金田さんはお年寄りの無事な姿を見て覚悟を決めた。「ほかの施設に移さず、命を守ろう。職員に仕事をしてもらい、給与を払おう」と。

 生活環境を徐々に整える中で、寝具を改善した。布団だと、お年寄りは立ち上がりにくく、職員は介助で腰に負担がかかるため、協会を通じて折りたたみベッドを入手した。

 仮設住宅ができたら移ることになる。そこには期限がある。新しい環境に、お年寄りになじんでもらうことの繰り返しだ。職員の宮村さんは「避難所で暮らす認知症の人はまだたくさんいる。早く施設ができて、場所を変えずに生活できるようになれば」と話す。

 復興のための交付金が出たら、元のグループホームを再建したい。金田さんは言う。「落ち着くまで何年かかるのだろう。それまでお年寄りと職員を精いっぱい守りたい」(石井暖子)

■被災した認知症の人の環境調整
○ストレスをなくす
・周りの人が穏やかに
・避難所では部屋の隅など落ち着ける場所に
・見知らぬ人の中で1人にしない
○混乱をなくす
・大声を出したら諫(いさ)めず、優しく声をかける
・テレビの衝撃的な映像はあまり見せない
○徘徊(はいかい)への対策
・避難所では周囲の人に認知症だと知らせ、見守りを手伝ってもらう
※日本認知症学会発行の「被災した認知症の人と家族の支援マニュアル〈介護用〉」から。〈医療用〉もある。学会のホームページ(http://dementia.umin.jp/)からダウンロードできる。

山田の木村商店が販売再開 手作りで10品目

岩手日報

山田町の水産加工会社、木村商店は2日、盛岡市菜園1丁目の県産品プラザ「らら・いわて」で販売を再開した。待ちわびた常連客らが続々と訪れ、健在ぶりを喜んだ。

 商品は、約10品目と震災前の3分の1ほど。それでも客の一人は「魚はここでしか買わないから再開を待っていた。本当にうれしい」とサバの千枚漬けやホヤの塩辛を購入していた。

 同社は3月11日の津波で本店と工場が流失し、従業員1人が行方不明のまま。町内に仮作業所を設置し、4月下旬から宮古市の冷凍庫に保管していた材料の加工を始めた。

 機械が流されたため、今は全て手作り。製造できる数も限られるが、木村トシ社長(66)は「東京の取引も復活した。早く工場を再建し震災前に戻したい」と意気込む。

 

白鵬らが被災地入り 4日から外出禁止で慰問

デイリースポーツ 6月3日(金)19時3分配信

東日本大震災の被災地を慰問する大相撲の横綱白鵬ら力士団が3日、岩手県盛岡市に入った。4日に同県の山田町、大槌町を訪問し、8日まで1日につき2カ 所の被災地を回り、炊き出しや横綱土俵入りなどを行う。通常の巡業では各地で夜の繁華街に繰り出すのが力士の楽しみの一つだが、今回は原則外出禁止。引率 の九重巡業副部長(元横綱千代の富士)の指導で、付け人のお使い程度しか外出は許されなかった。大関日馬富士は「遊びじゃないので」と気を引き締めてい た。

 

国生さゆり、婚約者と岩手訪問!被災者を元気づける

サンケイスポーツ 6月3日(金)14時57分配信

国生さゆり、婚約者と岩手訪問!被災者を元気づける

 女優、国生さゆり(44)は4、5の両日、婚約者のコンサルタント会社社長、甲田英司氏(37)と東日本大震災の被災地である岩手県山田町と大槌町を訪問する。現地では、避難所を訪れて被災者を励ますほか、支援物資の受け渡しも行う予定だ。
【写真で見る】国生さんは女性向け救援物資を呼びかけた
国生は4月にも、福島県郡山市の避難所を訪れてクッキー2000個を配布している。自身のブログで救援物資を募集し、「今後もできる限りの支援活動を続けていきたい」とコメントするなど、復興支援に意欲的だ。

 

<東日本大震災>ウミネコが巣作り 岩手・山田町の住宅跡に

毎日新聞 6月3日(金)11時59分配信

<東日本大震災>ウミネコが巣作り 岩手・山田町の住宅跡に

 津波被害を受けた岩手県山田町の住宅跡にウミネコが巣を作り、卵を温めている。日本野鳥の会みやこ代表の佐々木宏さん(72)は「人が近づくと巣から離れてしまい卵が死んでしまう。遠くから見守ってほしい」と話している。
【東日本大震災の関連ニュース、写真特集、連載、図説も】
ヒナは6月上旬にふ化し、7月下旬に巣立つ。町観光協会によると、ウミネコは通常、養殖筏(いかだ)など陸続きでない場所で営巣するが、その約8割が被害を受けたことで住宅跡を選んだとみられる。【兵藤公治】

 

2011年6月2日

【山田】待望の入居開始に喜び 仮設住宅

岩手日報

 山田町で1日、仮設住宅の入居が始まった。東日本大震災発生から2カ月半以上を経過しての入居開始に被災者は、安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 入居が始まったのは、山田の町民グラウンド、長崎4丁目の町商工会付近、船越の船越家族旅行村多目的広場と大浦小付近の4カ所、計294戸。町民グラウンドでは、朝早くから被災者が荷物を運び入れた。

 同町織笠の自宅が被災し、親戚宅に避難していた佐々木宏之さん(47)は、母親らと入居。佐々木さんは「仮設住宅がどこに建つかしばらく分からず不安だったが、これでひと安心。住む場所を見て、新しい生活が始まる実感が湧く」と待望の入居を喜んだ。

 仮設住宅入居に合わせ、同町を支援している秋田県仙北市からは、花のプランター300個が届けられた。入居者にプランターを配った市消防団長で園芸農家の佐藤生治さん(62)は「皆さんの心の癒やしにつながってほしい」と願いを込めた。

【写真=仮設住宅の入居が始まり、荷物を運び入れる佐々木宏之さん=山田町】

 

東日本大震災:新生活へ一歩 仮設住宅への入居始まる--山田町 /岩手

毎日新聞 6月2日(木)11時8分配信

山田町で1日、仮設住宅への入居が始まった。避難所から移ってきた被災者らは、ボランティアらの協力を得ながら生活用品を部屋に運び入れていた。
町建設課によると、入居が始まったのは、同町織笠の町民グラウンドなど4カ所294戸。8月中旬を目標に、町内計39カ所に約1700戸の仮設住宅を建設予定で、完成した住宅から順次入居を進める。
県立山田高の避難所から移った武藤小夜子さん(65)は、テレビや冷蔵庫、洗濯機などが備え付けられた部屋を見て「本当にありがたい」と繰り返した。「さっそく娘の弁当でも作ろうかしら」と、新生活に一歩を踏み出した。【川島紘一】

 

思い出の写真を被災地に ボランティアら洗浄始める 三重・伊賀

産経新聞 6月2日(木)7時55分配信

■結婚式や家族旅行…
東日本大震災の津波被害で泥にまみれた写真の洗浄作業が1日、伊賀市千歳の元工場内で始まった。「思い出の詰まった写真をきれいにして被災地に戻そう」 と、市災害ボランティア支援センターの呼びかけで集まった市民ボランティアが、ハケなどを使いせっせと作業の手を進めた。
写真は、みえ災害ボランティア支援センターが支援先の岩手県山田町から持ち帰るなどしたもの。県内各地の支援センターなどが分担して洗浄作業を進めてお り、伊賀市の支援センターには段ボール9箱分の写真が届いた。結婚式や家族旅行など思い出が詰まった貴重な写真ばかり。いずれも表面に泥が付着して津波被 害の大きさをうかがわせる。
「思いで戻し隊いがプロジェクト」と名付けた今回の洗浄作業には、市民ら26人がボランティアとして登録し、初日のこの日は17人が参加した。プロジェ クトリーダーで写真店を経営していた西田勝利さん(67)が「写真を傷つけず、持ち主のことを考えながら手を進めて」と作業を指導し、市民らがアルバムに 張られた写真などをぬるま湯につけ、ハケで汚れを落として乾燥する作業に取り組んだ。
洗浄作業は20日ごろまでに終える予定。

人気の薫製カキ復活 きょうから限定販売 盛岡・特産品フェア

河北新報 6月2日(木)6時13分配信

 岩手県山田町の養殖カキを薫製にした人気商品「山田の牡蠣(かき)くん」が、2日から盛岡市のデパートで限定販売される。加工を手掛ける山田町の漁業 佐々木俊之さん(53)が、東日本大震災で被災した加工場の代わりに岩手県花巻市の工場を借りて製造、復興に向け一歩を踏み出した。
「牡蠣くん」は、佐々木さんが山田湾で目利きしたカキを加工。2009年の販売開始と当時に口コミで全国に評判が広まり、同年度、岩手県水産加工品コンクールで県知事賞を受賞した。
地震発生時、佐々木さんは山田町の大沢漁港そばにある加工場で従業員3人と作業していた。高台へ逃げて無事だったが、工場と自宅を失った。
お客さんから相次いだ「(再開を)待っています」という言葉に励まされ、営業再開を決意。知人の紹介で花巻市に加工場を借り、カキの加熱処理機は機械 メーカーから無償で貸与を受けた。当初は生カキが手に入らないため冷凍を使う予定だったが、うまくいかず、北海道厚岸町のカキ直売所を飛び込みで訪れて養 殖カキを12キロ購入し、製造再開にこぎ着けた。
花巻市の加工場では5月31日、販売に向け急ピッチで製造が進められていた。「いい感じでできた」。オリーブオイルで下味を付けたカキの薫製をじっくり吟味し、佐々木さんはうなずいた。商品の出来栄えに満足した様子だ。
山田町は津波被害で漁業再開のめどは立っていないが、今夏に山田町に加工場を再建し、秋からの本格販売を目指す。「また山田産のカキを使って商品を作りたい」という気持ちが支えになっていると言う。
「牡蠣くん」は盛岡市のカワトクで7日まで開かれる「いわて特産品フェア」に出品される。150グラムの大瓶が2500円、70グラムの小瓶は1250円。

 

2011年6月1日

東北の夜空を花火で彩る「LIGHT UP NIPPON」が発足!

@ぴあ 6月1日(水)12時26分配信

東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県釡石市や福島県いわき市などの被災地で花火を打ち上げるプロジェクト「LIGHT UP NIPPON」が発足した。
このプロジェクトは、震災後、次々と花火大会の自粛が決定する中で、被災地、日本全体を元気にするためにできることはないだろうかという思いを持つ有志の人々によるもの。花火が本来持っている「追悼」「復興」を込めて、東北の太平洋沿岸各地の夜空を明るく彩る。
花火の打ち上げは8月11日(木)に行われる。打ち上げ場所は岩手県山田町・大槌町・釜石市・大船渡市三陸町、福島県いわき市で予定されており、そのほかの地域でも調整中だ。
なお、ひとつでも多くの花火を被災地に届けるため募金(1口1000円より)を7月31日(日)まで受け付ける。

【山田】仮設商店街オープンへ 3日から、多彩な催し

岩手日報

 被災した山田町の商店主による「なかよし公園商店街」は3日、同町長崎3丁目のなかよし公園にプレオープンする。4日の本オープンでは、ミニSL体験乗車など多彩な催しが繰り広げられる。

 縦10メートル、横24メートルの大型テントに9店舗が入居。食料品、衣料品や生花、文具店などが入居。写真や自転車、寝具販売店も入り、街中の買い物環境充実を図る。

 同商店街は、被災した商店を対象に山田町商工会が入居募集し、35業者が応募。抽選で入居業者を決定した。開店時間は午前10時~午後5時。

 4日の本オープンでは、午前9時半からオープニングセレモニーが行われ、山田中のブラスバンド演奏やミニSLの体験乗車、鬼剣舞公演などが繰り広げられる。入居業者からの記念品プレゼントもある。翌5日も炊き出しが行われる。

東日本大震災:物資の支給を終了 避難所は今後も継続--山田町 /岩手

毎日新聞 6月1日(水)11時54分配信

 津波の被害を受けた山田町は31日、避難所以外に住む町民への物資の支給を終了した。震災後の3月14日から毎日続けてきたが「ライフラインも徐々に回復し、商工業の復興のためにも区切りをつける必要がある」と判断した。避難所での支給は今後も続ける。
町役場近くの保健センター前では同日午後、大きな袋を抱えた町民が長蛇の列を作った。袋を広げると、職員らがパンやジュース、即席めん、調味料などを次々と入れていった。
同町山田の主婦(43)は「震災直後は買い物するところがなくて大変だったが、外国の皆さんも含めて多くの人から支援をもらい、本当に助かった」と話し た。一方で、同町飯岡の主婦(36)は「生活が軌道に乗るまで、もう少し続けてほしかった」と、継続を要望する声もあった。【川島紘一】

 


 

 

 

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