ある夜。
私は机の上にあるピンク色の便箋とにらめっこしていた。
「……だめだ」
まるでいい言葉が浮かんでこなくて、私はついにペンを投げ出した。
勉強とかなら誰かに聞けばすぐ教えてくれるけど、これはそうはいかない。
……私は、ラブレターを書いているのだ。
受験勉強そっちのけでペンを手にしてから、かれこれ2時間は経っていた。
「……もう難しいことは考えずにズバッと書こう!」
私はペンを持ち直して、ピンク色の便箋に自分の思いの丈を綴った。


朝。
私はいつもより早く起きていた。
「お姉ちゃん、今日は早いんだね?」
「目覚ましを見間違えてね……。ギー太の練習しに行ってくるよ」
私は軽く朝食を摂ると、カバンにしまった封筒を確認して家を出た。
学校に近づくたびに心臓の音が大きくなっていくようで、私は無表情のまま足を動かしていた。
「……」
気がつけば、桜が丘高校の校門に立っていた。
校舎には朝連に来ている部活の掛け声が聞こえている。
「すぅ……、はぁ……」
朝の匂いを肺にいっぱい吸いこんで、私は震える足取りで下駄箱に向かった。
あずにゃんの下駄箱は大体見当は付いている。
「な……、だから……」
適当な下駄箱を開けてみると、かかとの所に”中野”と書かれた上履きを見つけた。
よし、ここだ……。
私はカバンの中から封筒を取り出した……。
「あれ、唯ちゃん。こんな早くにどうしたの?」
「ふえっ!?」
私を呼ぶ声に飛び上がって振り返ると、さわちゃんが不思議そうな顔で見つめていた。
「い、いや……、あの……」
「ん?」
私は混乱して、パニックになって……。
あ、あああぁ……! うああああぁ……!
「う、うあああああああぁ!」
「ゆ、唯ちゃん!?」
……私は逃げ出してしまった。
「はぁ……、はぁ……」
何しているんだろう、私……。
息を切らせて、校舎の中を走ってさ……。
気がつくと、生徒が次々と登校を始めていてラブレターを入れるような状況ではなくなっていた……。
「……」
一通り落ち着いて、私は封筒を眺めてみた。
女の子同士で恋愛なんて、やっぱりだめってことなのかな……。
昨日の夜まであんなに気持ちが高ぶっていたのに、あっという間にしぼんでいった。
とても冷静に自分の行動と、その未来を見つめていた……。
「はぁ……」
そうだよ。あずにゃんに告白して、うまくいくなんてありえないよ。
女の子同士で恋愛はあるかもしれないけど、こんな……。
……いつもの私達でいいんだ。
私の告白の勇気は、たったこれだけで潰れてしまったのだ。
自分自身で、潰してしまったのだ……。


その日の部活は、どうも力が入らなくて妙なミスを連発した。
「今日はちょっと調子悪いみたい……」
「まぁ、唯にもそういう日があるさ」
澪ちゃんは笑ってそう言ってくれた。
私はみんなに悪いなぁと思いつつも、今日はそのまま終わりになった。
「あ、唯。ちょっといいか?」
さっきのミスのことについてかな?
私は少し怯えながらりっちゃんの所へ行った。
「唯、なんだか変だぞ?」
「どこが……?」
「ん~。どこって言われるとわかんないんだけど、違和感みたいな感じかな?」
「そんなことないけど……」
「……恋の悩みだろ?」
「なっ!? ち、ちち違うよ!?」
「わっかりやすいなぁ、お前」
呆れた顔で笑うと、りっちゃんは真剣な顔になった。
「まぁ、話したくないのならいいけど部長としては部活に支障が無いようにして欲しいな」
「……」
私は、誰かにこの思いを聞いてほしかったのかもしれない。
表に出すことを許されないこの思いを出したかったのかもしれない。
私は口を開き始めた。
「私ね……、今日ある人に告白しようと思っていたんだ」
「梓だろ?」
「……うん」
なんでもお見通しなりっちゃんに、私は包み隠さず話した。
あずにゃんのことが好きなこと。
それも、1人の女の子として好きなこと。
ラブレターを書いて告白しようとしたけど、これからのことを考えるとどうしてもできなかったこと。
「そっか……」
りっちゃんは私の話を聞いても気持ち悪がったりしないで、時々相槌を打ちながら真剣に聞いてくれた。
「けどね、このままでもいいと思うんだ」
「……本当にいいのか?」
「あずにゃんだって困るでしょ? もし恋人になっても、うまくいかないよ……」
私のせいで、あずにゃんも世間の目を気にして生きていかなくてはいけないのはだめだよ……。
「……唯!」
りっちゃんが急に立ち上がると、力強く私のことを呼んだ。
「しない後悔より、する後悔だ!」
「えっ……?」
「思い切ってラブレターを渡せ!」
「でも……」
「つべこべ言うな! 月曜日は7時に校門に来いよ!」
「で……」
「いいな!?」
「……はい」
私はりっちゃんに強く言われて反論することができなかった。


月曜日。
土日の間に私はたくさん悩んで、結局私はりっちゃんに連れられて下駄箱まで来ていた。
「おい、早くしないと梓が来ちゃうだろ?」
「うぅ……。で、でも……」
「私が入れても意味無いだろ? ちゃんと自分で……」
もう少しであずにゃんの下駄箱というところで、私のことを引っ張っていくりっちゃんの顔色が変わった。
「唯、隠れろ!」
「うわっ……! な、何?」
くいくいっとりっちゃんに手招きされて、私は下駄箱の陰から覗いて見た。
「おぉ、妬けますなぁ……」
「梓ちゃんかわいいもんねぇ」
憂と純ちゃんがあずにゃんの手の中を覗いて嬉しそうにしていた。
「遅かったか……」
りっちゃんが悔しそうにつぶやくのを聞きながら、私は三人が見ているものが気になっていた。
何を見ているんだろう……。
「ねぇ、開けてみようよ!」
「こ、ここでラブレターを開けるの!?」
「なっ……!?」
私は驚きのあまり短い悲鳴を上げた。
……あずにゃんにラブレターが来た。
「ラ、ラブレターって、おい……」
りっちゃんも私と同じように驚いた顔で3人を見つめていた。
それからあずにゃんはピンク色の封筒を開いて、中から手紙を取り出した。
「……」
ほっぺを赤くしながらあずにゃんはラブレターを読み終えると、とても嬉しそうにはにかんだ。
「お、おい……。大丈夫か?」
りっちゃんに肩を揺らされても、私は目の前のあずにゃんを見つめて固まっていた……。
そして、私は目に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
「唯……?」
あずにゃんが……。あずにゃんが……。
私は堪らなくなって、体をゆっくりと下駄箱から離していった。
「ちょ、ちょっと唯……」
「……っ!」
気がつくと、私は歪んだ視界の中で走っていた。
遠くの方でりっちゃんが呼ぶのも振り切って、私は教室に逃げ帰った。


「……大丈夫か? 顔が青いぞ」
りっちゃんが心配そうな声で私の顔をまじまじと見た。
「ほ、ほら、梓が断るかもしれないだろ?」
りっちゃんがあれこれ励ましてくれたけど、私はもう絶望の底にいた。
「……りっちゃん。しばらく独りで考えたいから」
「唯……」
りっちゃんは何か言いたげな顔だったけど、軽く頷くと自分の席に戻った。
「はぁ……」
自分でもういいって決めたくせに、あずにゃんにラブレターが来ただけでこんなに胸が苦しくなる。
未練がましいよ、私……。

私はそのまま上の空の状態で授業を受けて、流されるように部室に入った。

案の定、ムギちゃんのお茶を飲んでも気分はブルーなままであずにゃんも私の変化に気付いたみたい。
「……唯先輩、何だか顔色悪いですよ?」
「へっ? そ、そう?」
慌てて顔を隠すようにティーカップを口元に寄せたけど、それすら自分で思ってもおかしく思えた。
「ちょっと勉強しすぎて寝不足なだけだよ」
言い訳にしてはちょっと苦しかったかもしれない。
あずにゃんは不安げな目で見ていたけど、それ以上聞くことは無かった。
練習の方もさほどミスもせずに、いつも通りにできた。
でも、心の中はさまざまなことが飛び交いぐちゃぐちゃになっていた。
これでよかったんだと必死に考えている自分と、何だかすっきりしない気分を抱えている自分が混ざっておかしくなりそうだった。
そのせいかあずにゃんに声をかけられても上の空だった。
「もう、調子が悪いならしっかり休んでくださいよ。心配しちゃうじゃないですか」
そんなこと言わないでよ……。
私の心を揺さぶらないでよ……。
私は照れたりその気持ちを抑え込もうとしたりと忙しくなっていた。
適当な返事でごまかして、私の心の中を隠そうとした……。
でも、やっぱり私は正直だった。
「それじゃあ、失礼します」
「ま、待って……」
な、何しているんだろう、私……。
「何ですか?」
「えっと……、その……」
あきらめるはずじゃなかったの?
「あのね……、ぎゅってしていい?」
……言ってしまった。私はどこまで未練がましいのだろう。
誰かに取られたくないからって、こうやってハグをすることでごまかそうとしている。
「……いいですよ」
それでも、あずにゃんは優しくそう言ってくれた。
元気が無い私に同情してくれたの? それとも……。
私はこれで最後にしようと決めて、あずにゃんの体を抱きしめた。
これで諦めよう。諦めよう……。
「あずにゃん……、ありがとう」
私は涙が零れそうなのを堪えて、あずにゃんをそっと放した。
「それじゃあ、また明日ね」
「はい、失礼します」
そう、これが私たちの正しい距離。
ただの先輩と後輩という関係なんだ……。


これですっきりしたと思っていたら、りっちゃんがあずにゃんのラブレターの話を持ち出してきた。
必死に忘れようとしているのに、りっちゃんは無理にでも思い出させようとする。
「梓にラブレターを出したのって誰なんだろうな?」
「……知らないよ」
「唯、何怒っているんだよ」
私はりっちゃんのその態度が癪にさわって、とてもいらついていた。
確かにあきらめたのならあずにゃんにどんな恋人ができようが構わない。
でも、諦めきれないのを知っていているのかりっちゃんは執拗に話しかけてくる。
そのせいで、私はあの時の気持ちを思い出してしまった。
私があんなに悩まなければ、先にラブレターを渡せたかもしれない。
あの時逃げ出さなければ、先にラブレターを渡せたかもしれない。
そんな思いが金曜日までずっと付きまとっていた……。


「今日、梓がラブレターを出したやつと会うみたいだぞ」
いちいちそんなこと言わないでよ……。
それが私に何の関係があるの……?
私は無言のままりっちゃんの言葉を聞き流していた。
「……唯。お前は本当はどうしたいんだ?」
「……」
「もうあきらめたんだろ? いまさら何を恥ずかしがっているんだ?」
「……」
「……行ってみようぜ。体育館裏」


頭の中がぐちゃぐちゃで整理もつかないまま、私はりっちゃんに体育館裏まで連れて行かれた。
「ここなら大丈夫だろう」
草むらにに身を隠すと、私は何とも言えない気分になって項垂れていた。
「……」
りっちゃんも私に声をかけることはなく、草むらの向こうにいるであろうラブレターの差出人を待った。
しばらくすると、りっちゃんが短く驚いた声をあげた。
「ほら、来たぞ……」
「……」
「もう、ほらっ」
俯いたままの私の頭をりっちゃんがくいっとあげて、目線を草むらから出させた。
「……純ちゃん!?」
そこにいたのは純ちゃんだった。
あずにゃんも驚きを隠せないようで、どうしていいのかわからずおろおろとしていた。
私は、震えながら事の次第を見守ることにした……。
「よかった……。来てくれて」
「えっと……、あの手紙をくれたのは純なの?」
「うん。そうだよ」
「……」
あずにゃんは手紙を手に持ったまま、戸惑った表情でもじもじしていた。
「その……、えっと……」
「……梓、実は話があるんだ」
「へっ?」
何か言いかけたあずにゃんは、純ちゃんに遮られてきょとんとした顔で聞いた。
「梓のことが好きな人っていうのは、私じゃないの」
「えっ……? それって、どういうこと……?」
「律先輩」
「おう! ここいいるぞ~」
私の隣にいたりっちゃんが大きな声で手を振った。
「ちょ、ちょっとりっちゃん! 何しているのさっ!」
「ほ~ら、こっちに来い!」
そして、そのままりっちゃんに引っ張られてあずにゃんの前に引き出された。
あずにゃんはどういう状況なのか呑み込めないまま固まっていた。
「唯が梓に話があるんだってさ!」
「うわっ……」
りっちゃんが封筒を握ったままの私をあずにゃんの前に押し出した。
「後悔するなよ……!」
りっちゃんは私の軽く肩を叩いて、純ちゃんを連れて行ってしまった。
「……」
「……」
ど、どどどどどどどどどどど!
どうしよう! どうしよう! どうしよう!
あずにゃんも顔を真っ赤にして気まずそうにしているよ……。
「あ、あの……、唯先輩……?」
「……」
なんでこんなことになっちゃうの~!?
もう、どうしよう。顔が熱くて絶対に変な表情になっているよぉ!
「……あの、話が無いなら」
「あっ……!」
そうだ……。
あの時、私は後悔した。
ラブレターを出さなくて、すごく後悔した。
なのに、私はまた問題を先送りにしようとしている。
もう後悔したくないって思ったのに……。
もう後悔したくないのに……!
深く息を吸って、私は覚悟を決めた。
「中野梓さん!」
「は、はい!」
あぁ……! 心臓が飛び出しそう! 言わなきゃ! 言わなきゃ……!
「……」
あぁ……、震える……! ドキドキする……! 怖い……!
でも、後悔する方がもっと怖い……!
「……好きです! 受け取ってください!」
私は勢いに任せてあずにゃんにピンク色の封筒を突き出した。
「……」
───しばらくの沈黙。
固く目を瞑って手紙を差し出したまま固まっていると、あずにゃんの息がどんどんあがっているのがわかった。
「……唯先輩のバカッ!」
あずにゃんの口から放たれた言葉は、あまりにも答えからかけ離れたものだった。
恐る恐る顔をあげると、あずにゃんの瞳から涙がこぼれていた。
「わ、私……、ずっと不安で……! 誰かわからない人にラブレター貰って……」
「今日までずっとドキドキしっぱなしで……! あのラブレターをくれたのが唯先輩だったらって……!」
「ずっと! ずっと思っていて……!」
「でも、そこにいたのは純で……! どう答えていいかわからなくなって……!」
しばらく嗚咽を漏らしながら、あずにゃんが心の中を吐き出し続けた。
「あああぁ……! もうっ!」
一通り言い終わると、あずにゃんは涙を拭って私のことを見据えた。
「私も好きです! 唯先輩のことが好きなんです!」
拭った瞳からまたぽろぽろと涙を流して、あずにゃんが一生懸命言ってくれた……。
「あずにゃん……!」
私は堪らなくなって、あずにゃんのかわいい体を抱きしめた。
「ごめんね……。こんな先輩で……」
「そんなこと言わないで下さい……。私はそんな先輩が好きなんです……!」
それからしばらく、私たちは泣きながら抱き合っていた……。


「はぁ……、りっちゃんと純ちゃんには悪いことしちゃったな……」
私は今までのことを思い返してみて、しみじみ思った。
「2人に感謝しないといけませんね」
あずにゃんも私の隣で涙の跡を消すように笑いながら言った。
夕方の空がきれいに赤く燃えている……。
「ねぇ、あずにゃん……」
「何ですか?」
「キス、しようか……」
「うぇっ!?」
突然そんなことを言われたあずにゃんは小さく跳ねると、俯いて私の腕を掴んだ。
「……いい、ですよ」
か細い声でそういうと、震えながら私の前に立った。
「あずにゃん、こんな私を好きになってくれてありがとう……」
私はあずにゃんの頭を撫でながら、精一杯の感謝の気持ちを込めて言った。
(りっちゃんも、純ちゃんもありがとう……)
何度お礼を言っても足りないぐらい、あの2人には感謝している。
心の奥で温かな思いを抱いて、私はあずにゃんの肩に手を添えた。
「あずにゃん、大好き……」
そして、私はありったけの愛をこめてあずにゃんの唇を奪ったのだった……。


END


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最終更新:2011年09月09日 00:07